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2021年4月23日 (金)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 2 高崎線 倉賀野駅 part1

2021年春、信州の旅、最初は高崎線の倉賀野駅です。

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Dsc027642021/4/3 駅名標

この駅は高崎線と八高線が合流する駅ですが、列車運行上は全ての列車が高崎駅まで運行されており、水郡線の安積永盛駅と同じような関係にあります。八高線の施設上の分岐点は北藤岡駅構内にあります。そして、JR東日本とJR貨物の駅が併設されています。番地的にはJR東日本の駅が倉賀野町1797番地であるのに対してJR貨物の駅は東側にあり、町名も東中里町65番地となっています。

1894年5月1日日本鉄道の駅として開業しました。高崎線の開業の歴史的には1883年7月28日に上野~熊谷、10月21日に熊谷~本庄、12月27日に本庄~新町、1884年5月1日、新町~高崎間が延伸開業していますので、倉賀野駅は同区間の開業後10年後に新設されたことになります。1906年11月1日には日本鉄道が官設鉄道に、1917年4月28日、同駅から上州岩鼻を結ぶ陸軍の火薬製造所の貨物輸送のための岩鼻軽便鉄道が開業しました。軽便鉄道という社名ですが軌間は1067mmだったそうです。

大日本帝国陸軍は1882年11月に「東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所」と称した黒色火薬の製造所を設置し、1923年4月に「陸軍造兵廠火工廠岩鼻火薬製造所」へ、1940年4月に「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」へとそれぞれ改称し、1945年の終戦を迎えるまで、黒色火薬やダイナマイト、軍用火薬、民間用の産業火薬の生産・供給を行なっていました。1945年の8月の太平洋戦争終戦、陸軍の解体で同年8月30日、全線が廃止されました。火薬製造所跡地は北から順に量子科学技術研究開発機構(旧法人名:日本原子力研究開発機構)高崎量子応用研究所、群馬県立公園群馬の森、日本化薬高崎工場として利用されています。

1960年9月15日、亜細亜石油(現ENEOS)は倉賀野駅からの専用線を開設しましたが、同線は岩鼻軽便鉄道の線路敷の一部を再利用したものでした。国鉄は倉賀野駅を貨物ターミナルとして整備することとし、石油基地、自動車基地、コンテナ基地、飼料基地、セメント基地を次々に設置し、これらの施設に向かう線路もかつての岩鼻軽便鉄道 の線路敷きの一部を使用したものでした。その後、 専用線や自動車基地、飼料基地は廃止されましたが、石油基地とコンテナ基地は現在も稼働しています。

Dsc02766 2021/4/3 高崎行 225D

現在の八高線は1931年7月1日、同駅から児玉駅までが開業しました。1933年1月25日、寄居駅まで延伸、1934年10月6日、小川町~寄居間が開業し、八王子まで全通しました。

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