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2021年7月 8日 (木)

2021年春、外房線~内房線を巡る旅 その17 浜金谷駅

館山から浜金谷にかけての房総半島西海岸は今でもそうかもしれませんが、東京の学校の臨海学校や会社の夏の保養施設も多く、海水浴の季節になると首都圏からの海水浴客で賑わう場所であるかと思います。わたしも小学校の頃、父親の職場の保養施設が岩井にあり、一度だけ来た憶えがあります。その頃の房総西線はまだ非電化でキハ30形キハ35形が走っていました。通勤電車の101系に似たスタイルながら、ステップがあり、客用扉が外吊り方式だったのが強烈な印象として残っています。そして浜辺には高度経済成長の遺物として重油の塊が打ち上げられていたのも当時の記憶として残っています。

内房線の木更津電化が1968年7月13日、千倉電化が1969年7月11日、安房鴨川電化が1971年7月1日です。一方、東京湾は開口部が狭く、閉鎖的形状のため、高度経済成長期に海洋環境が悪化し、政府が海洋環境整備事業に本格的に取り組んだのが1973年のことでした(参考文献)。

210407 2021/4/7 車内から撮影した岩井駅の駅名標

今回の旅では岩井で下車はしませんでしたが、あの頃に較べれば浜の様子もかなり変わったものになっているのかも知れません。

Dsc03270
そして今回は金谷港から東京湾フェリーで久里浜港に渡るため、浜金谷で下車することにしました。

Dsc03267
Dsc03265 3137M R01編成と交換

183 撮影年月日は不明ですが、浜金谷駅で撮影した183系「さざなみ」の写真が出てきました。今もかわらない特徴的な跨線橋の階段から浜金谷とわかります。

Dsc03274 跨線橋を降りると、東京湾フェリーの運航状況と鋸山ロープウェイの情報が眼に入ります。


Dsc03275 浜金谷の駅は千葉県では最西端に位置する駅だそうです。1916年10月11日、上総湊から当駅まで当時の木更津線が延伸した際に開業しました。

Dsc03276 鋸山、日本寺を訪れたのがいつだったか記憶が定かではありませんが、この辺に来た時には数回、訪れているのは事実です。

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コメント

B767−281様おはようございます。浜金谷の駅舎、確かNゲージの建物シリーズで「房総の駅舎」というような名前の製品があり、まさにそれという感じです。何か開放的で好きです。因みに岩井は大学時代にサークルでよく民宿を使っていました。懐かしいです。さて11日から四回目の緊急事態宣言、オリパラは特別扱いして宣言するなんて信じ難いことです。都議選の結果からもこの政権、与党は支持されていないのは明白、早く交代させないと日本は終わってしまいます。

細井忠邦さま、おはようございます。

そうですか、浜金谷の駅舎がモデルになったNゲージの駅舎があるのですね。わたしも15年前くらいにNゲージに凝ってかなり車両、線路を揃え、建物もいくつか持っていますが、これから再開しようとは思いません。いずれオークションにでも出そうかなんて思っていますが。
それにしても今の政府は緊急事態宣言下でオリパラを強行しようとしているのですね。川野大臣はモデルナのワクチンの供給量が減ることを知りながら、都議選が終わるまでそれをアナウンスしなかったという犯罪的なことをやっていたこともバレていますね。まさに国民から見放される日も近い感がありますね。

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