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2021年8月31日 (火)

秩父鉄道の駅 その5 ひろせ野鳥の森駅と広瀬川原駅(貨物駅)

秩父鉄道の駅シリーズ、今回はひろせ野鳥の森駅です。

100425_202108301412012010/5/15 駅入口

100425-2_20210830141201
Woodyな感じの駅舎

この駅は2003年3月27日に開業した秩父鉄道の駅の中では新しい駅で、2017年4月1日に持田駅と熊谷駅間にソシオ流通センター駅2018年10月20日に永田駅と小前田駅の間にふかや花園駅が開業するまでは最も新しい駅でした。

単式ホーム1面1線の地上駅、管理は熊谷駅が行っています。ユニークな駅名は熊谷市に住むか、務める人々への公募で174名の応募の中から決まったそうです。

100425_20210830141301 駅の西側に車両基地が見えます。

Img_2228
Img_2063
秩父鉄道で活躍する全車両が当基地の所属となっています。

Img_2144 廃車となったデキ100形101号も保存されています。

秩父鉄道の車両基地である広瀬川原車両基地の最寄り駅で、2010年5月15日に同基地で開催された「秩父鉄道わくわく鉄道フェスタ」に参加した際は同駅を利用しました。

秩父鉄道の車両基地、整備工場はかつては熊谷駅の南側に設置されていましたが、手狭となったため、1969年3月に熊谷工場が、同年6月には熊谷検車区が同所に移転しました。

Img_2139 イベントの際にはこういった駅名標も準備されました。

秩父鉄道は石灰石輸送の他に荒川で採掘される砂利の輸送も行っていたことがあり、その積み出しのための貨物駅が広瀬川原駅です。1922年5月13日に開業し、1934年4月20日にいったん廃止され、1943年9月2日に再開業しました、しかし1945年5月28日に再び廃止、同年10月13日に再々開業、1968年11月12日に熊谷からの車両基地の移転で移設となりました。

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2021年8月30日 (月)

秩父鉄道の駅 その4 上熊谷駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は上熊谷駅です。

100515 2010/5/15 駅名標 ホームの幅の関係から駅名標の写し込みに十分な余裕が無かったのを憶えています。

1901年に上武鉄道が熊谷駅~寄居駅間を開業した際にはこの駅はなく、1933年4月1日、秩父鉄道の鎌倉町駅として開業しました。しかし、同年7月1日には駅名が現在の上熊谷に改称されました。熊谷市でも熊谷駅や上熊谷駅周辺は星川、弥生、宮前、筑波、銀座、桜木、末広と多くの町名が存在する特徴的な地名の地域です。

1205-100515 2010/5/15 上熊谷 1000系 1005F

1943年12月5日には東武熊谷線が開業し、当駅も共同使用駅であったため、現在は単式ホームですが、当時は島式ホームとして運用していた関係(共同使用駅)から、ホームと駅舎が構内踏切で繋がる構造となっています。前回の記事にあるように東武熊谷線は1983年6月1日を以って廃止され、熊谷線ホーム部分はフェンスで閉鎖されました。

100515_20210829074501 熊谷方面

100515_20210829074502高崎方面

駅横にはJR高崎線が併走しているため、秩父鉄道の列車のみならず、JR高崎線の列車、貨物列車なども撮影できるポイントです。2010年当時は手前の東武熊谷線の線路が残っていました。

185-om01-100515

2010/5/15 上熊谷 185系200番台 特急「あかぎ」OM01編成

211-c10-100515

2010/5/15 上熊谷 211系3000番台C10編成

E231-k41-100515 2010/5/15 上熊谷 E231系1000番台 K-41編成

Eh2008-100515
2092-100515 2010/5/15 秋田貨物ターミナルから羽越線、信越線、上越線、高崎線、山手貨物線、武蔵野線経由で東京ターミナルに向かう2092レ

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2021年8月27日 (金)

秩父鉄道の駅 その3 熊谷駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は熊谷駅です。

130928_20210826072301 2013/9/28 駅名標


現在のJR東日本高崎線の熊谷駅が開業したのは1883年7月28日のことで、日本鉄道第1期線が上野駅から当駅までを開業したときのことです。このとき、浦和駅、上尾駅、鴻巣駅が同時に開業しました。同年10月21日、日本鉄道第1期線は本庄まで延伸し、中間駅となりました。


1901年10月7日には1916年2月25日秩父鉄道となる当時の初代上武鉄道が熊谷駅~寄居駅間を開業しました。1922年8月1日北武鉄道が建設した羽生駅~行田駅間の路線が熊谷駅まで延伸、秩父鉄道に合併されました。この時点では熊谷駅を介して寄居方面、羽生方面の直通運転は不可能でしたが、1973年5月1日にホームが改良され、直通運転が可能となりました。1982年11月15日の上越新幹線開業の際に駅の構造も改良され、国鉄と秩父鉄道の改札が分離されました。

熊谷駅には妻沼までの東武熊谷線も乗り入れていました。この路線は大日本帝国陸海軍の命令により、太田市の中島飛行機への要因・資材輸送のために熊谷駅~西小泉(東武小泉線)間が計画され、第一期工事区間として熊谷駅~妻沼駅間が1943年12月5日に開業したものでした。その後、利根川の架橋工事を残して終戦を迎えました。戦後、東武鉄道としては計画通り西小泉までの全線開通も検討しましたが、赤字続きの路線、唯一の非電化路線、また熊谷駅のホームは秩父鉄道のホームを借りていたことなどから、1983年6月1日で廃止となりました。

島式ホーム1面2線の地上駅でJR駅から番線番号は続いて、5,6番線となっています。東武熊谷線があった頃は5番線のホーム中ほどで線路は分断され、上熊谷側が東武線、持田側が秩父線という使用状態でした。


1008-100425 2010/4/25 熊谷駅


1207-100515-1 2010/5/15


7500-750160001000-100425 2010/4/25


100425_20210826073501 2010/4/25

6番線の南側には留置線が4本あり、秩父本線で活躍する主力車両を眺めることが可能です。

200-201-130928-3 2013/9/28 上熊谷方の留置線

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2021年8月26日 (木)

秩父鉄道の駅 その2 行田市駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は行田市駅です。

130928 2013/9/28 駅名標

秩父鉄道の駅とその所属自治体の関係を見てゆくと、羽生駅から新郷(しんごう)駅までが羽生市、武州荒木駅から持田駅までが行田市、ソシオ流通センター駅から大麻生駅までが熊谷市、明戸駅から小前田駅までが深谷市、寄居駅から波久礼(はくれ)駅までが大里郡寄居町、樋口駅から上長瀞駅までが秩父郡長瀞町、親鼻駅と皆野駅は秩父郡皆野町、和同黒谷駅から終点の三峰口駅までは秩父市となります。

130928_20210825092101 稲荷山古墳より出土した金文字入りの金錯銘鉄剣のレプリカ

行田といえば足袋で有名ですが、利根川を境に群馬県と接する埼玉県北部の市ですが、利根川と荒川によって形成された沖積平野が全域を占め、同市大字埼玉(さきたま)は万葉集に「さきたまの津」として登場し、風土記にも「武蔵国崎玉郡(さきたまごおり)」と記述されており、埼玉県の地名発祥地とされています。古墳時代には稲荷山古墳などが造成され、1968年には金文字入りの金錯銘鉄剣が出土しています。室町時代には忍城(おしじょう)が築かれ,成田氏の本拠地として勢力を拡大しました。江戸時代、忍藩領となり、阿部氏、松平氏の城下町として栄え、下級武士の内職として足袋の生産が始まり、明治時代に入り機械化されたことで一大産地となり、最盛期の1938年には8500万足の足袋を生産、全国シェアの約8割を占めました。

羽生~熊谷間を開業した北武鉄道の歴史にも忍町の人々の関与が登場します。羽生~熊谷間の鉄道建設費が増加した際に忍町としての増資には否定的でした。主要産物である足袋は軽量な商品であり、各地への出荷は従来からの吹上駅経由の荷車輸送、あるいは直接東京への荷馬車輸送で事足り、新規に鉄道建設する意義を感じなかったためでした。このため、北武鉄道は最初に得た免許を失効させる事態となりました。1919年の二度目の免許申請時には鉄道に対する認識も変わり、忍町から10万円が出資され、資本金80万円で熊谷までの鉄道建設に至りました。

1921年4月1日、北武鉄道が羽生~行田間を開業した際に、行田駅として開業、1922年8月、熊谷までの延伸、さらに秩父鉄道との合併で秩父鉄道の駅となりました。1966年6月1日、国鉄高崎線に新駅として行田駅が開業した際に、新駅に名前を譲り、行田市駅となりました。2013年9月28日に行田市駅から市の中心部まで歩きましたが、確か1kmくらいありました(当時の記事)。

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2021年8月25日 (水)

秩父鉄道の駅 その1 羽生駅

秩父鉄道シリーズ、今回からは駅について触れて行こうと思います。

160409 2016/4/9 駅名標

最初は東武伊勢崎線との接続駅でもある羽生駅です。当駅は1903年4月23日東武鉄道が加須駅から川俣駅(当時の駅は利根川の埼玉県側右岸にありました)に延伸した際に開業しました。東武鉄道(現在の伊勢崎線)は1899年8月27日に北千住駅~久喜駅間を開業、1902年4月1日に吾妻橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅) - 北千住駅間を開業、同年9月6日、久喜駅 - 加須駅間を開業していました。
現在の秩父鉄道の羽生駅~熊谷駅間を建設したのは羽生町と周辺町村の有志により計画された北武鉄道で同区間の免許取得後、東武鉄道社長の根津嘉一郎が筆頭株主となり、路線建設に乗り出しましたが、沿線住民からの反対や経費が嵩んだことで免許が失効してしまいます。1919年8月に軽便蒸気鉄道から電気鉄道にかえ、再交付を受け、秩父鉄道にも資本参加して貰い、1921年4月21日、羽生駅~行田駅間の開業で羽生駅に乗り入れました。1922年4月には秩父鉄道との合併に調印、同年8月1日、行田駅~熊谷駅間の営業運転が開始され、同年9月18日には正式に合併が決まりました。

100425-2 2010/4/25 スペイン風?の外観の橋上駅舎

100425_20210824090501 2010/4/25 秩父鉄道改札口

2004年10月22日に橋上駅舎の供用が開始され、東武鉄道と秩父鉄道の改札が分離されました。両社の線路は南羽生駅方で繋がっており、東武鉄道では本線と東上線の列車編成の移動などを秩父鉄道本線、寄居駅を介して行っています。

100425 2010/4/25 左手が秩父鉄道本線、熊谷方面、右手が東武伊勢崎線、伊勢崎方面

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2021年8月24日 (火)

秩父鉄道の貨物輸送 その4 鉱石輸送用貨車ヲキ・ヲキフ100形

秩父鉄道の貨物輸送、最後は鉱石輸送用に使用される貨車です。


151212-2 2015/12/12 寄居 列車交換待ちをする20両編成貨物列車


175-151212


2015/12/12 ヲキ100形175

100-210731 2021/7/31 武川 ヲキフ100形 126


現在は同目的に35t積みボギー式バラ積みホッパ車のヲキ・ヲキフ100形が使用されています。1956年から汽車製造・川崎重工業製で全車太平洋セメント所有の私有貨車です。

主要諸元 ヲキ100形
全長 7,500 mm
荷重 35 t
実容積 22.5 m3
自重 14.9 t
換算両数 積車 5.0
換算両数 空車 1.5
台車 TR41C
軸距 4,140 mm

以前は車掌が乗務し、ヲキ8両の両端にヲキフを連結し、それを2組連ねた20両編成でしたが、1988年に車掌常務はなくなり、近年は影森方にヲキフを1両、ヲキを9両連結した10両編成2組で20両という編成が一般的です。列車全体の編成長は機関車約13m+7.5mⅹ20=163m程度となり、貨物列車がすれ違い等で待避する駅はどの駅も長~~い待避線が特徴的です。

ヲキ・ヲキフのヲの由来は鉱石(コヲセキ)からとの説と英語のore由来とする2つの説があるそうです。

100-7304-210806 2021/8/6 三輪鉱業所~影森 鉱石を満載して急坂を下る7304レ

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2021年8月23日 (月)

秩父鉄道の貨物輸送 その3 武川駅と機関車検修設備

今回は鉄道ファンとして秩父鉄道を訪問する際に絶対に見逃してはいけない駅のひとつ、武川駅とその横に広がる機関車検修設備、実質的な機関区です。

210731_20210822073101 2021/7/31 駅名標

この駅は 上武鉄道が1901年10月7日、熊谷駅~寄居駅間を開業した際に、田中駅として開業しました。駅は武川村に所在したため、1903年6月24日に現在の武川に改称されました。駅は島式ホーム1面2線の地上駅で当駅から貨物専用の三ヶ尻線が分岐する関係で側線が多数引かれています。

500-505-210731-4 2021/7/31 駅北側から

210731_20210822073301 2021/7/31 駅東側の踏切から 

210731_20210822073501

2021/7/31 駅西側の踏切から

早朝には数多くのデキが休息、あるいは貨物列車の牽引に備える様子がみえます。


210731_20210822073801 2021/7/31 駅東側の踏切から東方向に3本の線路が伸びており、左は三ヶ尻線、真ん中は引き込み線、右が秩父本線熊谷方面です。

210731_20210822074001
三ヶ尻線は2つ先の大麻生21踏切の先で左方にカーブして三ヶ尻貨物駅に向かいます。

210731_20210822074501
128-210731 駅舎 駅前ロータリーは駅舎の50mほど東のエレベータ付き歩道橋がある場所にあります。

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2021年8月20日 (金)

秩父鉄道の貨物輸送 その2 武州原谷駅

秩父本線に乗車していると和同黒谷駅と大野原駅の間に見えて来る広大な貨物駅が武州原谷駅です。

210806_20210819091401 2021/8/6 武州原谷駅 和同黒谷から大野谷へ向かう際の車窓(前方展望)

秩父セメント第二工場として現在の秩父太平洋セメント秩父工場が開業したのと同じ頃の1956年2月5日に開業しました。
神流町にある叶山鉱山で産出された石灰石が総延長23kmのベルトコンベアで運ばれ当駅で貨車に積み込まれます。

かつては当駅から隅田川駅などにセメント輸送が行われていましたが、2006年3月18日のダイヤ改正で廃止されてしましました。

現行ダイヤでの貨物列車の運行状況を見ると、
下り   平日       休日                    
7303レ 1005/1010  1014/1019          
7403レ 1124       1138       (通過)
7005レ 1229/1236    1242       (通過)
7105レ 1334       1346       (通過)
7205レ 1521/1527  1519/1541    当駅より先は不定期
7305レ 1624/1626  1633/1650    当駅より先は不定期
301レ   1749/1810  1734/1757      不定期
7405レ 1656/1657    1734/1814           当駅より先は不定期
7007レ 1853/1911      1912/1913
7107レ 2010/2020      2019/2020
7207レ 2054/2055    2121/2138           武川より先は不定期
7307レ 2155/2156        2159(通過)  武川より先は不定期

上り   平日      休日
302レ   810/830          803/830                  不定期
7104レ 935/939      930       (通過)
7204レ 1035       1035       (通過)
7304レ 1142/1155   1144/1145
7404レ 1254/1255   1304/1305
7006レ 1359/1400   1414/1415 
7106レ 1507/1511   1515/1529
7206レ    1625      1624     当駅発
7306レ 1650/1730   1730/1751   当駅以前は不定期
7406レ 1825/1844   1849/1901   当駅以前は不定期
7008レ    1958      2010   当駅発不定期
7108レ    2122      2121   当駅発不定期

といった具合に一部の列車が長時間停車するようです。

210731
 
210731-4

210731-5 何度か見ている光景ですが、貨車が入換を行っている姿は目にしていません。

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2021年8月19日 (木)

西武40000系ロングシート固定バージョン40155Fが新宿線に

今年度新造される40000系3編成の一番手として、6月に川崎重工兵庫工場で竣工、6月11日から13日にかけて兵庫~新秋津間、甲種回送され、6月14日月曜日に小手指車両基地に到着し、

40000-40055-210713-2 2021/7/13 西所沢 快速池袋行

40000-40055-210714-2 2021/7/14 所沢 準急池袋行

7月2日から池袋線で活躍していた40155Fですが、

Dsc05676_20210818104301

Dsc05677

2021/8/18 井荻 急行西武新宿行

Dsc05700 Dsc05701 2021/8/18 小平 準急本川越行

8月10日に新宿線で運用に入っているのが目撃され、8月15日日曜日には快速急行の運用に入りました。新宿線での活躍が今後、どれだけ続くか不明ですが、早速、梅雨末期のような空から久しぶりに天気も回復した18日朝、井荻、小平で撮影しました。

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2021年8月18日 (水)

秩父鉄道の貨物輸送 その1 三輪線

今回からは、秩父鉄道の貨物輸送、特に武甲山から算出する石灰石輸送について触れようと思います。

まずは武甲山がなぜ石灰岩産出する山となったかですが、ジュラ紀末期に南洋で噴出した海底火山や火山島がマントル対流上の海洋プレートに乗って移動するうちに火山活動が収まり、サンゴ礁が形成されました。サンゴ礁を形成した生物の堆積物が石灰岩化し、大陸のプレートと接触、大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの堆積物が大陸側に押し付けられ、付加体を形成、大陸側に付加体が追加されていった際に雨や川によって浸食がすすみ、地表の浸食がすすむと石灰岩や緑色岩が地上に露出、産地の隆起で、突出した山となったのが武甲山と考えられています。武甲山の石灰岩の中からはコノドントと言われる原始的な魚類の歯の化石、山頂付近の石灰岩の下からは二枚貝の化石が見つかっており、約2.5億から2億年前の中生代三畳紀のものと考えられています。

210806-no3 2021/8/6 影森第3踏切

210806 同踏切から影森駅方向 左手の線路が秩父本線、右手の線路が三輪線

27-210806 同踏切の先には秩父第27番札所 龍河山大淵寺があります。

500-502-7403-210806-2 大淵寺の前の道を右に進むと秩父本線をオーバクロスする跨線橋に出ます。三輪線の方は警報機の無い踏切です。

210806_20210817153901 三輪線は左にカーブして行きます。

210806_20210817154001 暹楼に沿った道の先には秩父太平洋セメント三輪鉱業所があります。

100-105-210806 ヲキ、ヲキフを牽引してきたデキ105号機が休息する姿がありました。また貨車の入換等にかつて根岸駅の新日本石油精製専用線で使用されていたスイッチャーD502が活躍しているそうです。

100-105-7304-210806-4 やがてセメント原料の石灰石を満載したヲキ、ヲキフを牽引するデキ105が出てきました。

500-503-7404-210731-2 2021/7/31 三輪線を下ってきたデキ503牽引貨物列車が影森駅に到着し、しばし休息した後、本線を上ってゆきます。

影森駅から浦山口駅方面に線路に沿って進むと、線路は二手に分かれます。跨線橋を潜って、右手に進む秩父本線に対して、急坂を登りながら、左手にカーブして行く線路があります。この線路が三輪線でカーブの先に秩父太平洋セメント三輪鉱業所があります。かつては三輪線と秩父本線の間に1918年9月16日に開業した武甲線がありましたが、1984年2月1日に廃止されました。

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2021年8月17日 (火)

秩父鉄道の車両たち その19 パレオエクスプレスの12系客車

SLパレオエクスプレスには4両の12系客車が連結されています。

号車番号は三峰口方から1号車となっており、
1号車 - スハフ12 102(元スハフ12 152)
2号車 - オハ12 112(元オハ12 32)
3号車 - オハ12 111(元オハ12 34)
4号車 - スハフ12 101(元スハフ12 149)

12系客車は1969年から1978年にかけ、603両製造されましたが、1959年にナハ11形が少数製造されて以来、10年ぶりに大量の座席客車が製造されるに至った理由について振り返ってみようと思います。

12-100425
12-100425-2 2010/4/25 三峰口

1957年度より開始された国鉄第一次5か年計画では動力車の無煙化と動力分散化による列車の速度向上が目標として掲げられたため、在来車の近代化改造はなされたものの、車両の平均年齢は上がる一方でした。そんな中、客車列車の特徴を生かすことも継続的に必要と当時は考えられていました。その理由として
1)蒸気機関車の減少で客車列車の無煙化割合が高くなってきたこと
2)貨物用機関車の速度性能が向上し、客車列車に間合い使用が可能となってきたこと
3)機関車経費、保守経費が技術の向上で下がり、動力集中が有利となる限界両数が低下してきたこと
4)波動用には製作単価の低い客車を充当するのが得策であり、電化・非電化区間を直通できる長距離列車には客車の特徴が生かせること
5)波動輸送用であっても、サービス上、車内設備や走行性能は電車・気動車に匹敵する客車が必要ではと考えられた。

さらに1970年3月から9月まで大阪で日本万国博覧会が開催されることとなり、その輸送のため臨時列車・団体列車等の大量の波動輸送の需要が差し迫っていたことが製造の理由となりました。

12-210515-4 2021/5/15 御花畑~影森

車体は在来客車の設計概念を脱却し、急行型電車の設計を踏襲し、車体幅は従来の2803mmから2903mmに拡大、車長は19.5mから20.8mとしました。これにより座席間隔も1470mmから1580mmに広げられました。
台車は20系で実績のあるTR55の改良タイプで新開発のTR217空気バネ台車としました。
制動装置はCL形応荷重機構付き自動ブレーキ装置を採用、ブレーキシューはレジンシューになりました。自動ブレーキ機構は三圧式制御弁に変更され、最高速度は110km/hとなりました。
客用扉は国鉄客車として初めて自動扉が採用され、電車・気動車並みの安全性が確保されました。
側窓は二段式ユニット窓となりました。
普通車のみの製造とし、従来客車との混結も想定し、蒸気暖房の引き通し管と電気暖房の引き通し線を装備しました。

1968年度第4次債務負担でオハ12形1~20、スハフ12形1~8が試作的に製造されました。スハフからの給電は自車も含め5両の給電が可能でした。製造は新潟鐵工所と富士重工業が担当しました。1969年度民有車両予算で量産車の製造が開始され、スハフの給電方式は6両までとなり、電源エンジンは過給機付きで出力が20%アップされました。さらにスハフ12形から電源セットを外し、床下準備工事対応としたオハフ13形が加わり、オハ12形21~86、スハフ12形9~25、オハフ13形1~17が製造されました。1969年度本予算からは日本車輛製造も製造に加わりました。1969度第2次債務負担、1970年度第1次債務負担、1976年度本予算 、1977年度本予算、1977年度第1次債務負担 、1977年度第2次債務負担で最終的にオハ12形374両(1~374)、スハフ12形153両(1~90,101~163、101番への変更は1976年度本予算で製造された車両からディーゼル発電機の容量増大が行われたため)、オハフ13形76両(1~76)が製造されました。

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2021年8月16日 (月)

秩父鉄道の車両たち その18 パレオエクスプレスを牽引するC58 363号機

新型コロナウイルス・パンテミック第5波は一向に終息の気配を見せず、東京の新規感染者は5000人を超え、日本全国でも2万を超える日が連日続いています。特にワクチン未接種の若者に感染者が多く、全国の重症者は1500人を超え、病院に入院することさえままならず、自宅で療養を強いられる患者が激増し、まさに医療崩壊の状態となっています。さらにペルーを中心に南米で猛威をふるっているラムダ変異株が東京五輪の開会式の頃、五輪関係者によって持ち込まれており、2週間もその事実が隠蔽されていたことも最近、明らかになりました。
さらに、8月11日からは、西日本から中部・東海にかけて前線が停滞し、梅雨末期のような天候となり、九州・中国地方では豪雨による水害も起こっています。

C58-363-100425-2 2010/4/25 三峰口 形式入りナンバープレート 高崎機関区区名札・運行行路も表記されています。

C58-363-100425-15 芝桜のHM付 

さて、秩父鉄道の車両シリーズ、今回は秩父本線の看板列車でもある「SLパレオエクスプレス」の牽引機C58 363号機について触れようと思います。同機は1944年2月19日、川崎車輛で製造(製番2941)、同年4月2日に釜石機関区に配置されました。その後、
1944/9/5 仙台機関区
1950/11/1 長町機関区
1965/10/22 陸羽東・石巻線管理所
1966/2/12 郡山機関区
1966/8/24 新庄機関区 と東北地方で活躍、1972/12/1に廃車となり、累計走行キロ数は1,054,826kmでした。
1973/5/31から埼玉県北足立郡吹上町立吹上小学校に保存展示されました。

C58-363-210515-10 2021/5/15 御花畑~影森

1987年3月6日に’88さいたま博覧会の目玉として復活が決定、国鉄での車籍が復活、JR東日本に継承後、1987年12月26日に復元工事が完了、秩父鉄道に移籍、1988年3月15日から秩父本線熊谷~三峰口間で「SLパレオエクスプレス」としての運転が開始されました。

C58-363-210731 2021/7/31 長瀞~上長瀞 

列車名は1300万年前(新生代新第三紀)日本海が拡大し、日本列島の原型が形成されたとされる時期に今の秩父盆地は古秩父湾と呼ばれる海でしたが、その頃、繁殖していた哺乳類パレオパラドキシア(太古の奇妙な生き物という意味を持ち、骨格標本などを見るとカバに似てますが、アフリカ大陸で発生した束柱目(長鼻類、ジュゴン、マナティー)に近い動物)に因んで命名されました。
同機は復活当初は埼玉県北部観光振興財団の所有でしたが、2000年に同財団が解散した後は、秩父市が所有者となり、2003年からは秩父鉄道の所有となりました。定期検査等は高崎車両センター、重要部検査・全般検査は大宮総合車両センターで実施されることから、試運転は上越線高崎~渋川・水上間で実施されます。

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2021年8月13日 (金)

秩父鉄道の車両たち その17 秩父鉄道の急行電車「秩父路」とレトロ塗色の6003F

秩父鉄道では、速達列車として、平日、休日ダイヤ共に朝夕の時間帯に急行列車「秩父路」が走っています。使用車両はクロスシートの6000系で、急行料金大人210円が徴収されます。但し、野上~長瀞、秩父~御花畑~影森間のみで利用する場合は急行料金は不要となっています。

6000-6201-210731 2021/7/31 武川 土日曜ダイヤで三峰口まで行く急行列車 「ひこぼし」

6000-6001-210731-3 2021/7/31 影森 三峰口到着後、影森に引き上げ休息に

停車駅は熊谷駅 - 武川駅 - 寄居駅 - 野上駅 - 長瀞駅 - 皆野駅 - 秩父駅 - 御花畑駅 - 影森駅 → 三峰口駅 となっており、影森から三峰口まで運転されるのは土休日の下り2本のみ、羽生~熊谷間は設定されていませんが、運転される場合の停車駅は行田市となっています。

「秩父路」の愛称も観光シーズンやイベント開催時には変更され、
1月1日 - 3日:「開運」号
1月中旬 - 2月中旬:「ロウバイ」号
3月下旬 - 4月上旬:「さくら」号
4月下旬 - 5月上旬:「芝桜」号
7月20日:「秩父川瀬祭」号
11月「ちちぶ荒川新そばまつり」開催日:「そばまつり」号
12月3日:「秩父夜祭」号   といった愛称で走った実績があります。

急行列車に使用される6000系は昼間は運用が無く、影森駅の電留線などで休む光景がよく見かけられます。

6000-6203-210731 2021/7/31 武川 熊谷に向かう上り急行 こちらは「おりひめ」

6000-6203-210731-2 2021/7/31 影森


6000-6003-210731-3 同編成は一旦、浦山口方向に引き上げ、電留線へ
6003編成は、2014年10月26日から旧300系登場時のリバイバルカラーに

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2021年8月12日 (木)

秩父鉄道の車両たち その16 電車 7800系 近影

7500系同様、東急ステンレスカー8090系から、改造された2両編成版として7800系4編成が在籍することは7月23日記事で触れました。今回はその近影です。

撮影していて気付いたことですが、7500系は三峰口方からデハ7500~デハ7600~クハ7700といっ形式番号構成になっていますが、7800系の場合はクハ7900~デハ7800と数字的には少なくなっている点が異なります。

7800-7801-210731-2 2021/7/31 武川 7801編成

7800-7901-210731-2 2021/7/31 秩父 7801編成
同編成には「俳句展示列車」のHMが掲げられておりました。8月6日には撤去されていましたが。
秩父駅は三峰口方面の下り列車が島式ホームの右側の線に入線します。右側通行方式を採っています。

7800-7802-210731 2021/7/31 寄居 7802編成

7800-7902-210806 2021/8/6 親鼻 7802編成 親鼻駅は上下ホームがこのように互い違いになっています。

7800-7803-210731-2
7800-7903-210731 2021/7/31 寄居 7803編成

7804-160409-21 2016/4/9 羽生 7804編成

7800-7904-181203 2018/12/3 寄居~桜沢 7804編成
7804編成に関しては、入場中なのか7/31、8/6両日とも遭遇しませんでした。

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2021年8月11日 (水)

秩父鉄道の車両たち その15 電車 7500系 のカラーバリエーション

この夏の秩父鉄道、再訪で撮影した現在活躍中の車両、7500系の写真を今回は紹介いたします。東急ステンレスカーの8090系を譲受し、3両編成7本が活躍中の7500系です。

7500-7501-210806 2021/8/6 影森~浦山口 7501編成
漫画のキャラクターに関しては不案内ですが。今年4月3日より、「超平和バスターズトレイン」となっています。

7500-7702-210731 2021/7/31 上長瀞~親鼻 7502編成
2014年9月23日よりラッピング車両「秩父ジオパークトレイン」として運転されています。

7500-7504-210731 2021/7/31 明戸~武川 7504編成

7500-7505-210806-2 2021/8/6 寄居 7505編成 
2015年12月20よりラッピング車両「秩父三社トレイン」として運転されています。

7500-7706-210806 2021/8/6 長瀞~上長瀞 7506編成

7500-7507-210731 2021/7/21 上長瀞 7507編成
2019年11月2日よりラッピング車両「彩色兼備」として運転されています。

7編成のうち、7504と7506が標準色、それ以外がラッピングとなっています。7503編成は入場中だったのか、7月31日、8月6日ともに遭遇しませんでした。
三峰口方先頭車は電動車化され、中間車はパンタグラフがシングルアーム式から菱形になり、増設されました。そのために冷房装置が1基撤去されています。車内は車椅子スペース、ドアチャイムと開閉表示灯、客用扉用の開閉ボタン、LED式車内案内表示装置の設置、貫通路開き扉の追加(デハ7600形)などの改造が施工されました。

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2021年8月10日 (火)

秩父鉄道の車両たち その14 電車 7000系

今回の秩父鉄道の車両シリーズを始めるにあたり、東急8500系を譲受した7000系に関しては以前の長野電鉄記事で紹介したので割愛しましたが、その後の訪問で新たな写真も撮影したので、再度紹介致します。

以前の記事で紹介したように
8500系8両
デハ8509、8609
デハ8709、8809、8745、8830
サハ8950、8926       が譲渡され、
デハ8509-サハ8950-デハ8609 の3連が デハ7001-サハ7101-デハ7201 (M1c-T-M2c)
デハ8709-サハ8926-デハ8809 の3連は両端を先頭車に改造し、デハ7002-サハ7102-デハ7202 としました。

と8両の種車から3両編成が2編成、デハ8745・8830の2両は部品供給車となりました。7001編成はオリジナルの先頭車、7002編成は改造先頭車であり、遠目に見れば違いはありませんが、貫通扉のあるなし、渡し板のあるなしなど、細かい点の差異は見出せます。

主要諸元
最高運転速度 80(85) km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
車両定員 先頭車136人(座席48人)
中間車151人(座席51人)
全長 20,000 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,115 mm
台車 ペデスタル+軸ばね方式空気ばね台車 TS-807形・ TS-815形
主電動機 直流複巻電動機 TKM-69形 130kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 85:16 (5.31)
制御装置 界磁チョッパ制御
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
保安装置 秩父鉄道形ATS装置

7000-7001-210731
7000-7201-210731-2 2021/7/31 野上 7001編成は貫通扉が残されています。

7000-7202-210731

7000-7002-210731

2021/7/31 武川 
7002編成は改造先頭車で7001や7201と似たスタイルですがどこかノぺっとした感があります。運転席側の表示窓もありません。
デハ7200形にパンタグラフを搭載したため、冷房装置は1基撤去され、冷房能力はサハ7100形(元・サハ8900形)およびデハ7000形(元・デハ8500形、デハ8700形)の36,000kcal/hに対して27,000kcal/hに減少しました。

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2021年8月 9日 (月)

秩父鉄道の車両たち その13 電機 ED38形

秩父鉄道の電機シリーズ、今回はED38形です。

Ed38-1-100425 2010/4/25 三峰口 秩父鉄道車両公園

拙blogでも過去に紹介していますが、このタイプは阪和電気鉄道1930年に新製したロコ1000形がオリジンです。昭和初期の私鉄電機としては大型の50t級・B-B軸配置,13m級箱型車体で電機で、1930年の阪和天王寺~東和歌山間の全通に備え、2両、次いで1931年に1両が東洋電機製造・日本車輛製造で造られました。南海鉄道との合併などで追加製造の新製が出されたものの、却下となり、国鉄買収後の1944年に1両の増備が認められました。1952年の形式称号改正でED38形となりました。

主要諸元
全長 13,400 mm
全幅 2,740 mm
全高 4,150 mm
機関車重量 50.00 t
台車 棒台枠釣り合い梁式台車
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 直流直巻電動機 TDK-556-A × 4基
主電動機出力 164kW(電圧750V・1時間定格)
歯車比 3.88 (17:66)
制御方式 抵抗制御、直並列2段組合せ制御 重連総括制御
制御装置 電空単位スイッチ式手動加速制御
制動装置 EL-14A自動空気ブレーキ
発電制動・回生制動併用、手用制動
最高運転速度 100 km/h
定格速度 41.0 km/h
出力 656 kW
定格引張力 5,175 kgf

動輪直径が1220mmと大きいためやや腰高な印象を与えますが、前面、屋根、側板をRで連続接合させ、要所に補強桟を配したデザインは2基の大型パンタグラフと相まって戦前の日本の電機の中でも最も美しい車両と称賛されました。また発電・電力回生ブレーキを標準搭載し、総括制御を可能としている点でも高い評価が与えられました。
戦後、老朽化で阪和線電機の置き換えが問題になりましたが、東鉄局より貸し出されたEF51形,ED17形は故障の頻発に苦しみ、EF52形は速度面では十分なものの車長が長すぎ、旧富士身延鉄道からのED20形は高速運転性能に問題があり、上越線より転配されたED16形も同様で、1959年から1960年にかけにかけ新製投入されたED60形で漸くED38の代替機となりうる状況でした。

Ed38-1-100425-3

Ed38-1-100425-2
最初にED38 4号機が1959年9月に黒部ダム建設向けセメント輸送に三岐鉄道に貸し出されるも12月には返却となり、12月21日に除籍となるも引き取り手は現れず、1964年に解体されました。
ED381~3もED60形の増備で1960年中に除籍となり、ED38 2号機は大井川鉄道に払い下げられ、ED105として客貨牽引に活躍、1,3号機は秩父鉄道に払い下げられ、旧番号のままデキ1形t共通運用にて武甲線からの貨物列車牽引に使用されました。大井川鉄道のED105は大井川水系のダム建設工事が一段落した1967年に秩父鉄道に再譲渡され、ED38 2に再改番され、3両が揃うことになりました。

1974年、ED38 2が休車となり、1980年1月31日付けで他の2機の部品取り機として廃車になりました。残る2両も新製電機の増備で余剰となり3号機が1981年3月14日に除籍・解体され、1号機は1988年に廃車されました。1号機は再整備の上、三峰口駅横の秩父鉄道車両公園に保存されていましたが、2019年公園のリニューアルで解体されてしまいました。

先従輪なしで高速運転していたB-B軸配置の機関車として国鉄がEH10形を開発する際に、本形式が詳細に調査され、EH10形のDT101 ウイングばね式ボギー台車の設計にあたっては本形式の台車構成が参考にされたそうです。


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2021年8月 6日 (金)

秩父鉄道の車両たち その12 電機 デキ1形6,7号機と同型(デッカー形電機)の東武鉄道ED10形

秩父鉄道では1925年、秩父セメント秩父工場の操業開始に合わせてイギリス・イングリッシュ・エレクトリック(車体・台車はノース・ロコモティブ社)社製のデッキ付き箱型B-B機を2機導入しました。これが同社ではデキ1形デキ6,7号機となりました。

車体は正面も側面も左右非対称の形態で制御装置は電動カム軸式、主電動機はデッカー製149.2kW(600V)×4、ブレーキはEL-14A空気ブレーキと手ブレーキを併用、台車はデッキと一体の板台枠台車を履きました。当初はパンタグラフも2基搭載していました。塗装は登場以来廃車まで茶色一色でした。戦時中にパンタグラフは1基に減らされ、1952年の昇圧で主抵抗器の結線変更がなされ、主電動機出力は186kW(750V)x4に増強されました。

昨日のデキ1-5とは異なり、登場以来、配線や補機変更などの機器更新が行われなかったため、老朽化が進み、1976年にさよなら運転、1977年1月10日付けで廃車となりました。

Ed10101-140716-2 2014/7/16 東武博物館 ED10 1号機

Ed10101-140716-3

東武博物館に保存展示されているED10形101号は伊勢崎線の電化、日光線の全線電化開業で導入された東武鉄道初の電気機関車でした。デッキは台車側に設置され、板台枠台車と一体構造になっています。車体が左右非対称なのは車体中央機械室が中央通路を挟み、主抵抗器と主制御器・空気圧縮機・電動発電機を配置したことに依るものです。

主要諸元
全長 10,900 mm
全幅 2,610 mm
全高 3,945 mm
運転整備重量 50.8t
台車 板台枠式
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け駆動
主電動機 DK-98B
主電動機出力 149 kW
歯車比 5.33 (80:15)
制御方式 非重連、2段組合せ、弱界磁制御)
制御装置 電動カム軸式CS-10
制動装置 EL14A空気ブレーキ、手ブレーキ
定格出力 596 kW
定格引張力 7,120 kg

Ed10101-140716-4
Ed10101-140716-7
元々は別の鉄道事業者が購入予定だったものを注文が流れ、東武鉄道が購入したもので1930年5月に入籍しています。1944年3月1日の総武鉄道との合併以前は東武鉄道にとって唯一の電気機関車でした。1955年7月の改番でED4000形ED4001となり、1970年代には貨物輸送量の減少などで運用から遠のき、1972年6月22日、除籍となり、近江鉄道に譲渡されました。

近江鉄道へは1972年7月に譲渡、1973年1月に入籍、塗装は近江鉄道電機の標準色青灰色になり、主要機器の大半が国産品に換装されました。最初は多賀町のビール工場からの貨物輸送を担当、1984年10月30日、ビール輸送が廃止になると彦根駅や住友セメント彦根工場構内の入換を担当、1986年3月末、彦根工場の鉄道輸送の全廃で用途を失い、休車、2004年7月1日付で廃車となりました。2007年に「近江鉄道ミュージアム」が開設され、再塗装、展示され、2009年東武博物館の改装で本形式を展示することになり、東武へ返還され、ED10に戻され、塗装も茶色一色となりました。

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2021年8月 5日 (木)

秩父鉄道の車両たち その11 電機 デキ1形

秩父鉄道の電気機関車は現在、デキ100形3両、デキ200形1両、デキ300形3両、デキ500形6両(507号機は太平洋セメント私有機)が在籍しますが、1922年の電化時から活躍したのが今回、紹介するデキ1形です。

1-100425-3 2010/4/25 三峰口駅横 秩父鉄道車両公園 現在は撤去解体

主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1200V(1922 - 1952)
直流1500V(1952年 - 廃車)
全長 10,430 mm
全幅 2,540 mm
全高 3,734 mm
定格出力 373kW 後に466kW

電気部分はアメリカ、ウェスティングハウス・エレクトリック社、車体・台車等の機械部分はボールドウィン社製で5両が1922年に輸入され、4月から使用開始されました。わが国に輸入された最初の幹線用大型電機で東海道本線の電化を計画していた鉄道省の目にとまり、大井工場で組み立てられました。600V・93.3kWの電動機を4基搭載し、電磁空気単位スイッチ制御器を車体中央部に格納する全長10.43mの凸形機で、運転台は片側に寄っています。前面の窓は2枚で、乗務員扉は運転席横に取り付けられています。補機類をボンネットに配置し、アメリカの機関車らしく、登場当時はボンネット上に鐘が取り付けられていました。

1-100425


1-100425-2
1952年の架線電圧昇圧(1200Vから1500V)時に端子電圧750V,出力116.6kWに増強され、1957年には三菱製の高速度遮断器を追設、1961年、機械室配線の更新、1969年、国産のMGを搭載しましたが、制御器や主電動機といった基礎的な電気機器については最後までウェスティングハウスのオリジナルを使用しました。塗装は登場当時から1970年代後半までが茶色一色で、1980年代から廃車までが青色一色でした。

老朽化や貨物輸送量の減少が影響し、休車の車両が出始め、1984年日本セメント(現太平洋セメント)埼玉工場(現日高工場)向け石灰石輸送が廃止になるとデキ3・デキ4・デキ5の3両が同年10月31日付けで廃車となり、1988年12月1日付けでデキ1が、1994年11月30日付けでデキ2が廃車となり、形式消滅しました。

1-ed38-100425
デキ1形には1925年、秩父セメント秩父工場の操業開始に合わせてイギリスのイングリッシュ・エレクトリック(車体・台車などの機械部はノース・ロコモティブ)で製造されたデッキ付き箱形B-B機のデキ6・デキ7もいました。こちらは後日、東武鉄道ED10形として紹介いたします。

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2021年8月 4日 (水)

秩父鉄道の車両たち その10 電機 カラフルなデキ500形

秩父鉄道の電機シリーズ、これまでは松尾鉱業鉄道のED50形が同鉄道の最晩年に纏っていた現在の秩父鉄道電機の標準塗装機を紹介して来ました。

デキ500形は501号機から507号機が活躍中ですが、イベントなどに対応して塗装が変更されたものがいます。

500-502-210731-4 2021/7/31 野上 7104レを牽引するデキ502 

500-502-210731-2 2021/7/31 親鼻 7105レ 上り電車の車内から

502号機は2016年5月に黄色+茶帯の旧秩鉄色への変更を経て2019年12月黄色一色に変更となりました。

500-505-210731-2 500-505-210731-5 2021/7/31 武川

505号機は2010年5月、茶色塗装への変更後、2019年5月から緑色(裾白帯)に変更となりました。

500-506-210731-3 500-506-210731-2

506号機は2020年3月赤(ピンク)色一色に変更、同年7月の東京オリンピック聖火リレー列車としての運行が予定されていましたが、開催延期で運行は中止となりました。

504号機は未撮影ですが、2018年5月に開催された「わくわく鉄道フェスタ2018」のメインイベントとしてピンク+白帯のカラーリングとなりました。

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2021年8月 3日 (火)

秩父鉄道の車両たち その9 電機 デキ100形

秩父鉄道の電機シリーズ、今回はデキ100形です。

デキ100形は101から108まで、存在しました。

101はデキ1形デキ8として1951年の1500V昇圧時に導入された日立製電機のプロトタイプで増備機が導入される際にデキ100形101と改番されました。

主要諸元
全長 12,000 mm
全幅 2,700 mm
全高 3,970 mm
機関車重量 48.0 t
台車 棒台枠台車
主電動機 HS-257Ar形×4基
主電動機出力 160 kW
歯車比 16:73=1:4.56
定格速度 34.4 km/h
定格出力 640 kW
定格引張力 6,600 kg

側窓の構造、側面腰部のルーバー、天井モニター屋根など、設計面で当時、国鉄向けに量産されていたEF15形の影響が各所に見られました。登場当初は秩父セメントの私有機として影森と秩父地区工場への原石輸送に用いられており、1980年9月にデキ507が竣工したことで車籍が秩父鉄道に移管されました。ただ、自重がデキ102以降に較べ2t軽いこと、定格引張力も6600kgと低いことから定数1000tの貨物列車牽引が出来ず、デキ1形ED38形と共通運用とされました。1988年SLパレオエクスプレスの運行が開始されるとC58形の後補機に起用されました。しかし、役目をデキ201形に譲り、2006年3月31日付で廃車となりました。

デキ102

100-102-210731-3 2021/7/31 武川電気機関車検修所

100-102-210731-3_20210802145301 2021/7/31 秩父

デキ102-106
デキ100形の増備として、102,103が1954年に、104-106が1956年に製造されました。

主要諸元
全長 12,600 mm
全幅 2,700 mm
全高 3,955 mm
機関車重量 50.0 t
台車 形鋼組み立て枠
主電動機 HS-277Ar形×4基
主電動機出力 200 kW
歯車比 18:73=1:4.05
定格速度 37.2 km/h
定格出力 800 kW
定格引張力 7,700 kg

車体長はデキ101より、0.6m延長され、側窓も6枚になりました。自重は50tとなり、定格引張力も7700kgとなり、1000t貨物列車の単機牽引が可能となりました。デキ1062008年2月8日に影森駅構内で鉱石貨物列車牽引中に脱線転覆する事故を起こし、後に廃車となりました。デキ104は2013年3月に故障・運用離脱し、運用復帰することなく2015年3月に除籍となりました。

デキ103

100-103-210731
デキ105

100-105-210731

100-105-210731-32021/7/31 武川電気機関車検修所

デキ107・デキ108

これらは元々、松尾鉱業鉄道ED501・ED502として1951年に製造されたデキ8の兄弟機で、同鉄道が1972年10月11日に全廃されたことで秩父鉄道に譲渡され、デキ100形の続き番号が付与されました。

主要諸元
全長 12,000 mm
全幅 2,725 mm
全高 3,920 mm
機関車重量 50.0 t
台車 棒台枠台車
主電動機 HS-277Ar形×4基
主電動機出力 200 kW
歯車比 16:75=1:4.68
定格速度 32.2 km/h
定格出力 800 kW
定格引張力 8,880 kg

車長はデキ101同様の12mですが、主電動機は200kW4基を装備し、豪雪地帯での使用を考慮したため、全密閉型で、主抵抗器と電動機は電動送風機で強制冷却されるタイプとなっていました。転属後、デキ102~106と共通運用が組まれ,1000t貨物列車牽引に活躍しましたが、デキ107は2015年2月に運用離脱、デキ108も2020年12月、団体臨時列車「快速秩父路デキ108号」の牽引を最後に運用を離脱[ しました。

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2021年8月 2日 (月)

秩父鉄道の車両たち その8 電機 デキ200形

東京オリンピックの開幕と歩調を合わせるように7月26日の週からは、東京、首都圏の埼玉・千葉・神奈川各県などで新型コロナウイルスの新規感染者の数が急上昇を続け、7月31日土曜日には東京で4000名を突破、日本全国でも12000名を突破する事態となりました。政府・東京都・組織委員会幹部はいずれも五輪の開催と感染増加は関係ないと言っていますが、私はこれまで数多くのイベントが中止に追い込まれる中、五輪を開催したことで国民の多くがその矛盾に納得せず、政府や首長の言うことなんか守らなくても良いのではないかと考え始めたのが増加の要因にあると思います。それでなくても安倍政権時代から権力の私物化、文書改竄などの不祥事が続き、トップが責任を取らない状況を見せつけられ、範を示すべき人間たちが会食・酒宴を開き、感染クラスターを起こしている状況を見せつけられている国民としては政治に対する信頼感を無くし、誰があの連中の言うことを聞くかという気分になっているのが事実かと思います。

PCR検査における陽性率も同週からは10%を超えており、検査を受けていない感染者数はもっと多いのではないかと推察されています。因みにコロナの収束に近いオーストラリアは0.08%、台湾は0.12%、NZは0.13%の 陽性率であることから、東京をはじめとする我が国のPCR検査数は当初から批判されているように一向に増える傾向がありません。

そんな中でしたが、7月31日土曜日は早朝から、新小平~西国分寺~立川~拝島~高麗川~寄居のルートで秩父鉄道へ、今回は貨物列車の撮影を中心に武川駅の機関車研修設備、駅から熊谷方面に向かっての三ヶ尻線分岐点、武州原谷貨物駅、影森駅などを訪問して来ました。今回の訪問で撮影した写真は形式別にこれまでの記事に追記しようと思います。

順番からすると今回は電機シリーズ、デキ200形です。1964年の東京オリンピックの前年、建設ラッシュでセメント需要が増加したため、1000t重量鉱石貨物列車牽引用に増備されたタイプで1963年9月に日立製作所で3両が製造されました。

主要諸元
全長 12.600 mm
全幅 2.727.8 mm
全高 3.955 mm
機関車重量 50.00 t
台車 鋼板溶接枠L型軸梁式
動力伝達方式 1段歯車減速、吊り掛け式
主電動機 日立製作所HS-277Dr×4基
主電動機出力 230 kW
歯車比 18:73=1:4.05
制御装置 電磁空気単位スイッチ式
制動装置 EL14A空気ブレーキ 手ブレーキ
定格速度 34.9 km/h
定格出力 920 kW
定格引張力 9,440 kg

200-201-100425 2010/4/25 パレオエクスプレス12系客車とC58 363号機を従え、熊谷駅に向かう深緑に金色帯の塗装のデキ201

前照灯は照度強化のため2灯式となり、当初は白熱灯でしたが、後にシールドビームとなりました。最急勾配45‰での1000t貨物牽き出しのため、制御ノッチの段数を従来の16段から31段に多段化し、電気的軸重移動補償回路を装備しました。

200-201-130928 2013/9/28 熊谷 紅褐色基調の塗色に塗り替えられた姿

200-201-181203 2018/12/3 桜沢~寄居 特徴的な台車

台車は棒台枠構造の揺れ枕付きウィングばね台車で各軸箱をL字型の軸梁の一端で支持し、軸梁の中央を線路ぎりぎりまで高さを低くした側梁とピンで結合して関節とし、軸箱とは反対側の軸梁端部を前後の軸箱で向かい合わせに置いてその間にコイルばねを挟む、という特徴的かつ簡素な機構を備えています。車体と台車の間の牽引力伝達が側梁間の線路面ぎりぎりの位置に置かれた心皿で行われ、さらに列車牽き出し時の重心移動による1台車内での軸重の偏りも前後の軸梁間に横置きで挟まれたコイルばねを通じて補償・均等化されます。こういった機構により、レール乾燥状態における最大粘着係数32.8パーセント、十分な撒砂状態では最大粘着係数39.2パーセントを達成しました。非常に優秀な台車ではあるものの心皿以下の枕梁・側梁・軸梁・軸箱の各部品の重量がほぼ全てばね下重量となるため走行時に軌道に与える負担が多大で、しかも軸梁間に横置きのコイルばねが挟まっているため、その奥に位置する枕ばねや心皿などの保守が困難、さらに構造上両抱き式踏面ブレーキの実装が難しい、という問題があり、デキ200以降の形式では踏襲されることはありませんでした。

新造以来、重量鉱石列車牽引の主力として活躍しましたが、1990年代後半以降、秩父鉄道の貨物輸送に余裕が生じると、淘汰形式に選定され、デキ202、デキ203の2両が2000年6月30日付で除籍、三岐鉄道に譲渡されました。デキ2011996年デキ101廃車後、SLパレオエクスプレス用補助機関車としての役割が与えられ、深緑に金色帯の塗装に変更、さらに2012年12月にはEL長瀞宝登山初詣号の運転に合わせて紅褐色基調の塗色に塗り替えられ、さらに2020年1月の検査時には蒸気機関車に揃えて黒単色に塗り換えられました。通常は旅客用として活躍していますが、SLパレオエクスプレスなどの運休時期には貨物機としての仕業にも参加するようです。

三岐鉄道に行ったデキ202、デキ203は愛知国際空港建設に伴う貨物輸送に貢献しましたが、終了後の2011年には廃車となり、2年後には解体されました。

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