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2021年8月 9日 (月)

秩父鉄道の車両たち その13 電機 ED38形

秩父鉄道の電機シリーズ、今回はED38形です。

Ed38-1-100425 2010/4/25 三峰口 秩父鉄道車両公園

拙blogでも過去に紹介していますが、このタイプは阪和電気鉄道1930年に新製したロコ1000形がオリジンです。昭和初期の私鉄電機としては大型の50t級・B-B軸配置,13m級箱型車体で電機で、1930年の阪和天王寺~東和歌山間の全通に備え、2両、次いで1931年に1両が東洋電機製造・日本車輛製造で造られました。南海鉄道との合併などで追加製造の新製が出されたものの、却下となり、国鉄買収後の1944年に1両の増備が認められました。1952年の形式称号改正でED38形となりました。

主要諸元
全長 13,400 mm
全幅 2,740 mm
全高 4,150 mm
機関車重量 50.00 t
台車 棒台枠釣り合い梁式台車
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 直流直巻電動機 TDK-556-A × 4基
主電動機出力 164kW(電圧750V・1時間定格)
歯車比 3.88 (17:66)
制御方式 抵抗制御、直並列2段組合せ制御 重連総括制御
制御装置 電空単位スイッチ式手動加速制御
制動装置 EL-14A自動空気ブレーキ
発電制動・回生制動併用、手用制動
最高運転速度 100 km/h
定格速度 41.0 km/h
出力 656 kW
定格引張力 5,175 kgf

動輪直径が1220mmと大きいためやや腰高な印象を与えますが、前面、屋根、側板をRで連続接合させ、要所に補強桟を配したデザインは2基の大型パンタグラフと相まって戦前の日本の電機の中でも最も美しい車両と称賛されました。また発電・電力回生ブレーキを標準搭載し、総括制御を可能としている点でも高い評価が与えられました。
戦後、老朽化で阪和線電機の置き換えが問題になりましたが、東鉄局より貸し出されたEF51形,ED17形は故障の頻発に苦しみ、EF52形は速度面では十分なものの車長が長すぎ、旧富士身延鉄道からのED20形は高速運転性能に問題があり、上越線より転配されたED16形も同様で、1959年から1960年にかけにかけ新製投入されたED60形で漸くED38の代替機となりうる状況でした。

Ed38-1-100425-3

Ed38-1-100425-2
最初にED38 4号機が1959年9月に黒部ダム建設向けセメント輸送に三岐鉄道に貸し出されるも12月には返却となり、12月21日に除籍となるも引き取り手は現れず、1964年に解体されました。
ED381~3もED60形の増備で1960年中に除籍となり、ED38 2号機は大井川鉄道に払い下げられ、ED105として客貨牽引に活躍、1,3号機は秩父鉄道に払い下げられ、旧番号のままデキ1形t共通運用にて武甲線からの貨物列車牽引に使用されました。大井川鉄道のED105は大井川水系のダム建設工事が一段落した1967年に秩父鉄道に再譲渡され、ED38 2に再改番され、3両が揃うことになりました。

1974年、ED38 2が休車となり、1980年1月31日付けで他の2機の部品取り機として廃車になりました。残る2両も新製電機の増備で余剰となり3号機が1981年3月14日に除籍・解体され、1号機は1988年に廃車されました。1号機は再整備の上、三峰口駅横の秩父鉄道車両公園に保存されていましたが、2019年公園のリニューアルで解体されてしまいました。

先従輪なしで高速運転していたB-B軸配置の機関車として国鉄がEH10形を開発する際に、本形式が詳細に調査され、EH10形のDT101 ウイングばね式ボギー台車の設計にあたっては本形式の台車構成が参考にされたそうです。


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コメント

B767−281様 こんにちは。ED38どこかの写真で阪和線で活躍中の姿を見たことがあります。台車の作りがなるほどなかなかユニークですね。EH10の台車の参考となったとは知りませんでした。EH10、当時としては近代的な姿で力感たっぷりで好きな機関車です。なるほど技術というのは突然出てくるものではなく、積み重ねなのですね。改めて勉強させていただきました。解体されたとは残念です。さて、私に言わせれば悪魔の祭典であるオリンピックが終わりましたが、次はお盆休み。祭典の影響でもうステイホームをしない人が多いのでは、と思います。検査も病床もあれだけ時間があったのに増やしていない政権や東京都には呆れます。

細井忠邦さま、おはようございます。

イカロス出版から季刊で出版されている「電気機関車EX]という雑誌がありますが、あの雑誌の第2号2017年冬版にED38の記事があります。特に秩父鉄道時代の写真が多く乗せられています。またEH10開発のストーリーは最新刊の第20号、2021年夏に特集されており、EH10という機関車の開発にとってEF15から大きく変化した点は先台車のないB-Bタイプの台車になった点でそれ以外の制御系、主電動機等は殆どEF15のものを一部改良して流用しているとあります。
オリンピックは終わりましたが、新型コロナ感染の流れはまだまだ続くでしょう。さらに医療崩壊で自宅で亡くなる方が増える様な気がします。いつも思うのですが、なんで日本政府はこれだけ時間があって、他のアジアの国の終息例があるのに、それを取り入れずダラダラと同じ過ちを繰り返しているのかということです。

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