秩父鉄道の駅 その2 行田市駅
秩父鉄道の駅シリーズ、今回は行田市駅です。 2013/9/28 駅名標
秩父鉄道の駅とその所属自治体の関係を見てゆくと、羽生駅から新郷(しんごう)駅までが羽生市、武州荒木駅から持田駅までが行田市、ソシオ流通センター駅から大麻生駅までが熊谷市、明戸駅から小前田駅までが深谷市、寄居駅から波久礼(はくれ)駅までが大里郡寄居町、樋口駅から上長瀞駅までが秩父郡長瀞町、親鼻駅と皆野駅は秩父郡皆野町、和同黒谷駅から終点の三峰口駅までは秩父市となります。
稲荷山古墳より出土した金文字入りの金錯銘鉄剣のレプリカ
行田といえば足袋で有名ですが、利根川を境に群馬県と接する埼玉県北部の市ですが、利根川と荒川によって形成された沖積平野が全域を占め、同市大字埼玉(さきたま)は万葉集に「さきたまの津」として登場し、風土記にも「武蔵国崎玉郡(さきたまごおり)」と記述されており、埼玉県の地名発祥地とされています。古墳時代には稲荷山古墳などが造成され、1968年には金文字入りの金錯銘鉄剣が出土しています。室町時代には忍城(おしじょう)が築かれ,成田氏の本拠地として勢力を拡大しました。江戸時代、忍藩領となり、阿部氏、松平氏の城下町として栄え、下級武士の内職として足袋の生産が始まり、明治時代に入り機械化されたことで一大産地となり、最盛期の1938年には8500万足の足袋を生産、全国シェアの約8割を占めました。
羽生~熊谷間を開業した北武鉄道の歴史にも忍町の人々の関与が登場します。羽生~熊谷間の鉄道建設費が増加した際に忍町としての増資には否定的でした。主要産物である足袋は軽量な商品であり、各地への出荷は従来からの吹上駅経由の荷車輸送、あるいは直接東京への荷馬車輸送で事足り、新規に鉄道建設する意義を感じなかったためでした。このため、北武鉄道は最初に得た免許を失効させる事態となりました。1919年の二度目の免許申請時には鉄道に対する認識も変わり、忍町から10万円が出資され、資本金80万円で熊谷までの鉄道建設に至りました。
1921年4月1日、北武鉄道が羽生~行田間を開業した際に、行田駅として開業、1922年8月、熊谷までの延伸、さらに秩父鉄道との合併で秩父鉄道の駅となりました。1966年6月1日、国鉄高崎線に新駅として行田駅が開業した際に、新駅に名前を譲り、行田市駅となりました。2013年9月28日に行田市駅から市の中心部まで歩きましたが、確か1kmくらいありました(当時の記事)。
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