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2021年9月30日 (木)

2021/9/29 西武新宿線に2000N系 4+2+4の珍編成

小名木川に沿って歩くシリーズの途中ですが、今回は9月29日水曜日朝に目撃した2000N系10連珍編成の話題です。

小平駅で本川越方面の電車を待っていると、7:21発2306レで西武新宿に向かう急行の編成がなんと4連2組の間に2連が挟まった4+2+4の珍編成でした。

これまでに2000系,2000N系の4+4+2は何度か目撃し、記事(例えばこれ)でも触れましたが、4連の間に2連が挟まった形態は初めて見たように思います。

運用を調べると


 ┌新 宿07530700拝 島─○
2306
 └新 宿07570843新所沢─△
4801                  

拝島発7:00の急行2306レで西武新宿到着7:53、折り返し7:57発準急4801レで新所沢着843で終了
とのことで、池袋線関係の用事を済ませた後、東村山で狙うことにしました。

Dsc06270 2021/9/29 東村山に到着する4801レ 本川越寄りから 2535F+2455F+2521F

Dsc06271 Dsc06278 電車に興味の無い人間が見たらダダの黄色い電車ですが、4連の間に2連が挟まった10連には驚きました。

Dsc06279
4801レとして新所沢に到着後は解結されてしまうかもしれませんが、4+2+4を撮影出来てラッキーでした。

Dsc06267
因みにこの日は2+4+4も走っており、所沢で8:15に撮影した2613レ新 宿07330834本川越  はこの写真では分かりにくいですが、本川越寄りから2417F+2543F+2529Fでした。

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2021年9月29日 (水)

小名木川に沿って歩く その12 高橋から隅田川接続部へ

小名木川に沿って歩くシリーズ、橋の袂にシーラカンスの像のある西深川橋の次は高橋です。

Dsc060412021/8/31 

Dsc06042_20210928152701

何か人の名前のような橋ですが、こちらはたかばしというそうで、最初の橋の架橋は約300年前だそうで、永代橋や新大橋よりも古い橋となります。1862年に出版された尾張屋板江戸切絵図-本所深川絵図にも記載されています。江戸から昭和にかけ4回架け替えられており、現在の橋は1973年に架けられた1径間鋼製桁の橋です。

小名木川北岸に高橋という地名がありますが、名前はこの橋に由来し、1934年の町名整理で深川区東森下町の一部、東元町・富川町・西町の全部をもって深川高橋一丁目-五丁目という町名になり、1971年の町名改正で深川高橋一丁目を高橋、深川高橋二丁目-五丁目を森下三丁目-五丁目としました。東京では珍しい、丁番の付かない町名となりました。

都道463号線、通称清澄通りが通っており、この道の地下には都営大江戸線が走っています。古くは月島~柳島福神橋間23番の都電が走っていました。隅田川の東側を川に沿って走る線でした。

Dsc06044_20210928153401
Dsc06050
高橋を過ぎて隅田川の手前に現れる大きな構造物は新小名木川水門です。

流域を高潮や津波から守るため1961年に設置された径間11mⅹ3連の防潮水門です。2010年2月28日、南米チリで発生した大地震で日本列島にに津波警報が発令された際にこの水門も閉鎖されたそうです。現在、耐震補強工事を施工中で完成すると水門は2連式になります。

Dsc06047

この橋は1680年の江戸地図に既に登場し、「元番所のはし」と記載されています。その理由は中川番所の記事で触れたように江戸時代初期に小名木川を航行する船荷をチェックする「川船番所」がすぐ北側に設置されていましたが、明暦大火後、江戸の市街地が整備拡大されたため、番所も1661年に番所が中川接続部に移されたため、付近が元番所と言われるようになったためです。

萬年橋と呼ばれるようになった時期は不明ですが、葛飾北斎は富嶽三十六景の中で「深川萬年橋下」として、歌川広重は名所江戸百景の中で「深川萬年橋」として取り上げています。関東大震災までは木製の橋が架かっており、震災後の復興で1930年11月19日に現在の1径間下路ブレースドリブタイドアーチ橋、鉄筋コンクリート床鈑の橋となりました。


Dsc06049 小名木川と隅田川の接続部

隅田川の下流方向には清州橋がちらっと見えます。因みにもう少し右手の萬年橋の北詰めから清州橋を見た眺めは同橋を最も美しく見ることが出来るそうでケルンのライン川の吊り橋を彷彿させ「ケルンの眺め」と呼ばれているそうです。

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2021年9月28日 (火)

小名木川に沿って歩く その11 旧深川区と旧城東区の違いを感じる側道風景

小名木川に沿って歩くシリーズも先が見えてきましたが、扇橋閘門を境に川の水位が1m程度高くなっているため、川沿いに歩いていると交差する橋を潜る際にその高さの違いを感じます。


Dsc06030 2021/8/31 この案内図、よく見ると高橋と隅田川接続点の間に萬年橋があるのが抜けています。

Dsc06031
大横川を越えて、架かる橋は新高橋です。北は森下五丁目、南は白川四丁目を結んでおり、単径間鋼製トラス橋で1979年5月に架けられました。

Dsc06033
そして大富(おおとみ)橋、都道319号(通称、三ツ目 通り)が通っています。三ツ目 通りの言われは堅川に架けられた三之橋の別名(三ツ目 橋)に由来するそうで、都道319号線は現時点でも完成はしていませんが、港区海岸二丁目から、新宿区、文京区、台東区、墨田区を経由し、江東区辰巳二丁目に至る環状3号線を形成しています。

Dsc06034
続いて東深川橋1931年に架けられた側径間:2径間鋼製ガーター・中央径間:1径間鋼製箱桁の橋です。

Dsc06036
次の西深川橋は面白い橋でひとつは当日は気づきませんでしたが、後でネットで調べてみると、橋の銘版はアンモナイトの形をしていたり、橋の袂(南詰)に大きなシーラカンスのモニュメントがあることです(情報はこちら)。

さらに橋を潜る側道は橋と水面の高低差が低いためフロート式になっていることです。

Dsc06037 Dsc06038 Dsc06039
自転車で側道を通過する際は橋に頭をぶつけないように降りて通過すべき場所です。

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2021年9月27日 (月)

小名木川に沿って歩く その10 再び運河同士の交差点へ

小名木川に沿って歩く旅、扇橋閘門の西側では水位が1m程度高くなっているので、交差する道路の風景も随分変わります。

Dsc05990 2021/8/31 先日、小名木川クローバー橋の記事でアップした写真ですが、参考にもう一回上げます。

第一点は横十間川を境に東側が旧城東区、西側が旧深川区ですが小名木川を渡る幹線道路の数は3本ずつで同じですが、それ以外に架かる橋の数に大きな違いがあります。その事も関係していると思いますが、運河との交差点がそれぞれ1か所ずつあり、横十間川との交差点には小名木川クローバー橋が架けられ我々のような小名木川に沿って歩く人間には便利になっているのに対して、横十間川との交差点にはそういった橋はなく、ちょっと遠回りをしなくてはなりません。

Dsc06015_20210926073201
Dsc06022
扇橋閘門のすぐすぐ西側に架かるのは新扇橋です。1929年、関東大震災復興橋梁として架けられた1径間鋼製ランガ―アーチのトラス橋です。1973年3月に改修工事が行われました。ランガ―アーチ橋とは、アーチ橋はアーチと柱の組み合わせで桁を吊り下げ、もしくは支えていますがアーチ部分の部材が太くアーチ部分で支えているのがローゼ桁橋というのに対し、ランガ―桁橋はアーチ部分の部材が細いものを言います。

Dsc06023 少し歩くと大横川の交差部分に着きます。左手が小名木川隅田川方向、右奥が大横川錦糸町方向。
大横川を超えるには大横川に沿って南下し、

Dsc06024 Dsc06025
小名木川に沿って南側を走っている清州橋通りが越えている扇橋を渡ります。

Dsc06027
横十間川のように正確な掘削年代は不明ですが、江戸時代に堅川と大川(隅田川)の間の十万坪と呼ばれる葦原を流れていた川を整備した運河で明治時代以降は東京湾に来航する貨物船の荷物を移し替えた艀が行き交い賑わいを見せていました。大戦中、戦後は東京湾や他の運河を掘った浚渫が放棄され川床が上昇、さらに1951年以降は地盤沈下のため橋桁が下がり、船の通航が難しい状態となりました。

Dsc06028 東大島のあたりではかなり西に見えた東京スカイツリーも大横川からは北北東方向に見えます。

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2021年9月24日 (金)

小名木川に沿って歩く その9 地図からも分かる扇橋閘門

小名木川に沿って歩くシリーズ、小松橋のすぐ西側に川幅が1/3程度に狭まる箇所が地図上でも分かりますが、これが扇橋閘門です。


Dsc06006


2021/8/31 小松橋の下の先から川幅が1/3程度に狭くなりその先に鉄の扉が見えます


Dsc06011


閘門の東側の水位は西側の水位に較べ最大で3m程度下げられているため、船舶の通航のために1976年に設置された施設です。


Dsc06007_20210923104901


鋼製単葉ローラーゲートで径間は11m、門扉の高さは前扉5.9m、後扉7.3mです。このため通航できる船舶の大きさは長さ90m、幅員8m、高さA.P.+4.5m以下となっています。

Dsc06016_20210923104901 閘門西側からの風景

Dsc06018 閘門の更新工事は終了し、通航が可能になりましたが、取付護岸の耐震工事が始まりました。

荒川ロックゲート同様にこちらを通過するクルーズ船もあるようです。詳細はこちら

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2021年9月23日 (木)

小名木川に沿って歩く その8 小名木川橋、小松橋、そして扇橋閘門へ

小名木川を旧中川側から隅田川に向かって歩くシリーズ、横十間川の交差部を超えると旧深川区に入ります。

深川の名前の由来は慶長年間の初期(1596年から1614年)に摂津国の深川八郎右衛門が小名木川北岸一帯の開拓を始め、1627年には富岡八幡宮永代寺が創建され、将軍家光の時代からは富岡八幡宮の鳥居前町として栄え、明暦の大火の後、木場が置かれ、商業開港地域となり、岡場所も設置され花街となりました。深川は江戸から見て辰巳の方角にあることから深川芸者は辰巳芸者と呼ばれ、粋で気風が良いとされました。

江戸時代、どこまでが江戸でどこを境に江戸でないのかを明確にするために江戸の領域を定義したのが1818年に幕府が発行した江戸朱引図でした。これによると今の荒川以西が江戸と定義され、さらに町奉行の支配地として墨引も定義され、横十間川以西が墨引の内側でした。

木場が設置されたために材木商人として財を成した紀伊國屋文左衛門や奈良屋茂左衛門も深川に邸宅を構えました。1878年、郡区町村編制法が施行され東京15区が成立し、深川区が誕生、1889年の市制町村制施行で横十間川より西側の地域が深川区になりました。

Dsc06003_20210922141601 2021/8/31

旧深川区に入って最初の橋は川の名前そのままの小名木川橋です。現在は都道465号、通称四ツ目通りが通っており、北は猿江2丁目、南は扇橋2丁目を結んでおり、1910年最初は木橋が架けられ、1929年、関東大震災の復興で3径間鋼製桁橋が架けられ、1988年に現在の3径間鋼製桁橋に架け替えられました。

ちなみにこの橋付近の地下を東京メトロ半蔵門線が通過してしています。水天宮駅~押上駅間が着工されたのが1993年12月6日、開業が2003年3月19日で営団地下鉄として最後の新規開業区間となりました。半蔵門線は首都高箱崎JCTそばの水天宮駅からしばらく福住ランプ方向に向かう線に沿って進み、隅田川の下を潜り、清澄公園の西をかすめ、清州橋通りを東に進み、四ツ目通り手前で北に進路を取り、小名木川橋を潜り、錦糸町駅を目指します。

Dsc06004

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扇橋閘門のすぐ東側に架かる橋が小松橋です。猿江2丁目と扇橋1丁目を結んでおり、1981年6月に架けられた単径間鋼製トラス橋です。

次回の記事では扇橋閘門について触れます。

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2021年9月22日 (水)

小名木川に沿って歩く その7 横十間川と小名木川クローバー橋

小名木川に沿って歩くシリーズ、越中島支線の橋梁を潜り、さらに西進すると横十間川と交差する地点にX字に架かる小名木川クローバー橋が見えてきます。

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2021/8/31 小名木川に沿って旧中川方向から隅田川方向を見る 交差しているのが横十間川 左が南、右が北、クローバー橋は交差点の上に4つの角を結ぶように架けられています。

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Dsc05990

この橋は東京の観光名所にもなっており、小名木川の歴史を紹介するプレートも用意されています。

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小名木川、旧中川方向

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小名木川、隅田川方向 先に扇橋閘門が見えます。

横十間川は1659年に徳山重政・山崎重政両名によって開削され、都道453号線、通称、浅草通りに沿って隅田川から旧中川に通じる北十間川から分岐し、江戸城に対して横方向(地図では南北)に流れ、堅川(首都高7号小松川線の下)と交差、小名木川と交差し、仙台堀川と交差した後、西方に進路を変え、大横川に合流します。川幅が10間(18m)であることからこう命名されました。

Dsc05995_20210921112601 横十間川、北方向 東京スカイツリーも見えます。

Dsc05997 横十間川、南方向 こちらは北砂水上公園となっており、暗渠部の出口にはマイクロ水力発電装置が設置されています。

横十間川はかつての深川区と城東区の境界であり、以前の記事でも触れましたが小名木川に架かる橋の数も深川区がほぼ200mおきに架かっているのに対し、城東区側は1kmおきと大きく違っており、南北の交通の不便さの解消と交差点における川沿いを進む通行の便利さのために架けられたのが小名木川クローバー橋で、1994年12月に供用が開始されました。歩行者、自転車専用の橋です。

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2021年9月21日 (火)

小名木川に沿って歩く その6 進開橋、嵩上げ護岸の碑と越中島支線橋梁

砂島橋を潜ると進開橋の手前でかつてこの辺が江東ゼロメートル地帯だった頃の水害対策のための護岸の碑が残されています。

Dsc05979 2021/8/31 明治期以降の工業の発展と工場による地下水の汲み上げで地盤が沈下し、天井川状態となり護岸が嵩上げされていった記録です。

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水門、閘門で荒川、隅田川と隔絶し、小名木川、横十間川などの水位を約1mほど下げ、護岸に使用したコンクリートなどが不要となり、それを再利用し、遊歩道の整備に充てたとのことです。


次に見えて来るのは進開橋です。北側は大島一丁目と四丁目、南側は北砂一丁目と三丁目の境界となっている都道306号線王子千住夢の島線 、通称、明治通りが走っています。かつて明治通りには都電が走っていました。雪廼舎閑人氏の「続都電百景百話」の「100境川の分車庫」の話題では

京葉道路を水神森で右に曲がり、都電専用橋で堅川を、進開橋で小名木川を南に渡って進むと、境川の停留所に来る。38番の電車は、これから小名木川貨物駅に行く引き込み線のガード下をくぐり、汽車製造会社のわきをかすめ洲崎に向かって行く。29番は境川で左折して、一路葛西橋へ。停留所の右手に見えるのが、まるで飛行場の格納庫のようなばか高い屋根の境川分車庫である。

ちなみに錦糸町から水神森を経て、荒川放水路手前の西荒川、さらに東荒川から今井までの区間、そして水神森から洲崎までの区間は城東電軌の路線として開通後、1942年2月に東京市電に編入された区間でした。旧城東電軌の路線の発展に関してはこちらのサイトの情報が大変参考になります。実際に水神森から永代通りまで現在は緑道となっているかつての都電軌道跡を歩いてのレポートは大変興味深いものがあります。

Dsc05982
進開橋の西側に架かる橋は総武本線越中島支線の小名木川橋梁です。1929年3月20日、小名木川の水運を利用した物流の連絡拠点として小名木川駅が北砂二丁目15に開業し、小岩駅との間が開通しました。貨物専用の駅でしたが、5面のコンテナホーム、6本の貨物荷役線、4面の有蓋車用貨物ホーム、6本の貨物荷役線を持つ東京東部の鉄道貨物輸送拠点でした。

Dsc05984_20210920085201
Dsc05986線路は全線単線ですが、鉄橋や用地は複線分確保されていました。

上の記述にも出てきましたが近くには汽車製造東京製作所があり、同所に続く専用線もあり、同所で製造された151系、181系、153系、157系、165系、101系、103系、113系、115系、455系の他、0系新幹線、私鉄・地下鉄公共電車・海外向け車両などの甲種輸送の出発駅でもありました。一方、都営大江戸線の12-000形の木場車庫への搬入の際には甲種輸送の到着駅ともなりました。

1958年11月10日には線路が越中島駅まで延伸しました。同駅は1990年3月10日、京葉線に越中島駅が開業したことで越中島貨物駅と改称されました。かつては東京都港湾局所有の専用線が豊洲、晴海方面に伸びていましたが、1989年2月10日に廃止されました。

貨物輸送形態の変化により、2000年3月11日に小名木川駅での貨物列車の設定は廃止され、駅も同年12月2日に廃止となりました。機能は隅田川貨物駅に移転となりました。跡地の一部は複合商業施設「アリオ北砂」になりました。因みにそばを通る明治通りの交差点名は依然として「小名木川駅前」となっています。

越中島貨物駅は近くにJR東日本レールセンターがあり、ここからロングレールが各地に配送されています。レールは船から陸揚げされ、センター内でロングレール化され、日曜を除く毎日3往復設定されています。2021年3月のダイヤ改正からJR東日本のレール輸送はキヤ195系となり、JR東日本以外の事業者が購入したレール輸送のみがDE10牽引のチキのスタイルとなりました。

上り列車
工7230D
越中島レールセンター→(入換)→小名木川10:40発→新小岩操10:50着

配9246レ/9294レ DE10牽引
越中島レールセンター→(入換)→小名木川13:42発→新小岩操13:55着
※レール検測時は運休

工7232D
越中島レールセンター→(入換)→小名木川16:10発→新小岩操16:20着

下り列車
工7231D
新小岩操9:23発→小名木川9:33着→(入換)→越中島レールセンター

配9247レ/9295レ DE10牽引
新小岩操12:10発→小名木川12:22着→(入換)→越中島レールセンター

工7273D
新小岩操14:35発→小名木川14:45着→(入換)→越中島レールセンター

※レール検測時は配9295レ/9295レ運休

情報はこちらのサイトを参考にしました。小名木川駅はJR貨物時刻表に記載されている越中島貨物駅のことで、旧小名木川駅より先は入換運転となるため、このように標記しているとのことです。

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2021年9月20日 (月)

小名木川に沿って歩く その5 旧中川接続部から西へ 砂島橋まで

小名木川に沿って歩くシリーズ、いよいよ全長約4.6kmの小名木川に沿って東の旧中川接続部から、川沿いの遊歩道を西の隅田川接続部に向かって歩きます。

現在、この地域は東京都江東区ですが、1932年10月1日、南葛飾郡全域が東京市に編入された際に、亀戸町・大島町・砂町の区域が城東区(江戸城、皇居の東側にあることから)と命名されました。この名前になるまで亀戸区、小名木区などの案もありましたが、東京府会において城東区と決定されました。ちなみにこの頃、東京府東京市は35区の時代で周辺には深川区、本所区、向島区、江戸川区が隣接していました。
1943年7月1日、東京は東京都になり、東京府と東京市は廃止されました。35区の時代は現在のような行政区ではなく一定の自治が認められた存在でした。1947年3月15日、特別区に移行となり、深川区・城東区が合わさって江東区となりました。この時点では東京22区でした(練馬区は同年8月に板橋区から分区されて成立しました)。

Dsc05969_20210919102401 2021/8/31 平成橋から見た小名木川(左手)と旧中川接続部
右手に都営地下鉄東大島駅、茶色の建物が中川番所資料館

Dsc05971_20210919102801 最初の橋は「番所橋」 名前の由来は中川番所に近い場所に架かるからでしょう。
都道477号亀戸葛西橋線(通称、番所橋通り)が通過しています。北側は大島八丁目と九丁目の境界、南は東砂二丁目です。開通は1960年です。橋が出来る前は「草屋の渡し」があり、1946年に最初の橋が架けられ、1960年に現在の鋼製の橋に架け替えられました。

Dsc05972 川沿いの風景 両岸に遊歩道が整備され、ところどころに休憩用のベンチもあります。ちょうど百日紅(サルスベリ)が赤い花をつけていました。

Dsc05976 2番目の橋は「塩の道橋」 1径間鋼製箱桁の歩行者・自転車専用橋で2008年3月に供用を始めました。北側の大島八丁目、南側の北砂六丁目を結んでいます。橋の名称は大島南央小学校と第六砂町小学校の5,6年生から募集し決定したそうです。

Dsc05977 3番目の橋は「丸八橋」 5径間鋼製桁の橋で都道476号南砂町吾嬬町線(通称、丸八通り)が通っています。大島五丁目と北砂五丁目、六丁目の境界を結んでいます。1949年に最初の橋が架けられ、その後1960年、1972年に改築されました。

Dsc05978_20210919105601
4番目の橋は「砂島橋」 1径間鋼製箱桁の歩行者・自転車専用の橋で1979年に供用開始。大島五丁目と北砂五丁目を結んでいます。

この時点ではまだ気づいていませんでしたが、橋と橋の間隔、それと遊歩道の路面と架かる橋の位置関係、高さが旧城東区側と旧深川区側では大きく異なります。前者は橋の間隔が長く(架かる橋の数が少なく)、水面に対して高い位置に架かっており、後者は橋の間隔が短く、水面からの距離も少なくなっています。

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2021年9月17日 (金)

小名木川に沿って歩く その4 荒川ロックゲート

小名木川に沿って歩くシリーズ、今回は1995年に設置された荒川ロックゲートの話題です。

Dsc05938_20210916115801 2021/8/31

Dsc05942

1930年の荒川放水路の完成で荒川と旧中川・小名木川の水位差が生じたため、当時盛んだった水上交通ルートを確保するために小松川閘門、小名木川閘門が設置され、対岸の新川にも船堀閘門が設置されました。

Dsc05937_20210916115901 荒川側の水門 奥が下流、東京湾方向

Dsc05945 水門から荒川を見る 右手が下流

Dsc05953
巨大な水門の扉

Dsc05952_20210916120301 東京湾の干満の差で最大水位差は3.1mにもなるそうです。A.P.はArakawa Peil 荒川工事基準面


Dsc05943_20210916120401 奥が旧中川川、この閘門の水位がエレベーターのように変化し、違う水位の川の間を移動可能にしている。
この閘室に入るサイズの船しか通行はできません。
厳密には 長さ 55m以下、幅員 12m以下、高さ 前扉において A.P. ( Arakawa Peil 荒川工事基準面 ) +6.6m以下 後扉において A.P.+4.0m 以下、船底高 前扉において A.P. -2.5m 以上 後扉において A.P.-3.5m 以上

Dsc05956_20210916120601 旧中川川の水門

明治期以降、小名木川沿いの城東地区は工業地帯として発展しましたが、地下水の過剰な吸い上げにより、地盤が最大で4.5mも沈下し、東京湾の平均海面よりも低い江東ゼロメートル地帯となりました。そのために小名木川をはじめ関係する河川の堤防は嵩上げされましたが、大地震等で堤防が破壊されると大水害に見舞われる危険性がありました。

Dsc05933 旧中川側の閘門入り口に掲示されている通行制限と標識

水害対策の一環として小名木川に扇橋閘門、旧中川に荒川ロックゲートを設け、小名木川、旧中川、横十間川、北十間川(北十間川樋門以東)の水位が約1m下げられました。と同時に荒川ロックゲートにより、船の通行が可能となり、震災との災害時の救援物資の輸送路の確保にも貢献しました。

次の機会には船でこの閘門を通過できればと思います。
東京水辺ライン 江戸・東京 ぶらり旅(土曜日の特定日運航)

両国 - 越中島 - 明石町・聖路加ガーデン前 - 浜離宮 - お台場海浜公園 - (有明西運河経由) - 東京ビッグサイト - 葛西臨海公園 - (荒川ロックゲート経由) - 平井 - (隅田水門通過) - 千住 - 桜橋 - 両国  が通過しているようです。

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2021年9月16日 (木)

小名木川に沿って歩く その3 旧中川と大島小松川公園

昨日の記事で紹介した中川船番所資料館は旧中川の西岸、小名木川の北岸に建っています。

Photo_20210915102701  旧中川、小名木川、荒川ロックゲートの位置関係 Yahooの地図を利用させていただき作成しました

旧中川は現在は江戸川区平井7丁目で荒川から分岐し、江戸川区と墨田区、そして江戸川区と江東区の境界を蛇行しつつ南下し、江戸川区小松川1丁目で荒川に合流しています。地図で見てもかなり惰行・屈曲の多い川であることが分かります。

江戸時代以前の中川は埼玉県羽生市を上流とし、大落古利根川、元荒川、大場川を集め、水元・新宿・奥戸・平井を通り、江戸川に注いでいました。8代将軍吉宗の時代、水害から流域を守るため、1725年から14年間かけ、散在していた池や沼を利用し、ひとつの流れにしました。当時、屈曲が激しいことで「九十九曲り」と呼ばれ、やがて隅田川と江戸川の間を流れることから中川と呼ばれるようになったそうです。流路延長84km、流域面積100㎢の一級河川でした。

Dsc05935 2021/8/31 荒川放水路 西岸からの眺め 橋梁は都営地下鉄新宿線のもの 荒川放水路と中川放水路の間の堤防に首都高速中央環状線が建設されています。

1907年に発生した大水害では下谷、浅草、本所、深川の4区で約6万戸に浸水被害を出し、1911年に荒川放水路の改修工事と、中川の開削工事が開始されました。1930年に荒川放水路、1931年中川放水路(現中川)が完成し、川は分断され、1966年、分断された下流部が旧中川に改称となりました。

Dsc05927_20210915110901 番所橋からみた小名木川と旧中川の合流点 この先に小松川閘門があり、荒川との水位の調整を行っていました。

Dsc05923

Dsc05879 江戸川区の大島小松川公園の風の広場には旧小松川閘門の遺構が残されています。

荒川放水路、中川放水路の完成で荒川と旧中川の水位差は最大3.1mになること、当時は水運ネットワークが盛んで船の通過のために小松川閘門、小名木川閘門(両門は1925年設置)、そして東岸に接続する新川のための船堀閘門(1930年設置)がありました。やがてこれらの水上交通は陸上交通にとって代わられ、閘門も廃止されました(小松川、小名木川は1976年、船堀は1979年)。

上の写真の案内図にあるように都立の防災公園である大島小松川公園の風の広場には旧小松川閘門のゲートの片方が残されています(情報はこちら)。3つの閘門の位置関係もサイトの地図で分かります。

Dsc05941

Dsc05939_20210915113201
閘門の廃止後、船の通行は不可でしたが、1995年の荒川ロックゲートの完成で再び可能となりました。
明日の記事では荒川ロックゲートについて触れます。

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2021年9月15日 (水)

小名木川に沿って歩く その2 江東区 中川船番所資料館

小名木川に沿って歩くシリーズ、2回目は小名木川の東端にある中川船番所資料館です。

Dsc05885 2021/8/31 旧中川に架かる橋から

Dsc05888
1590年、豊臣秀吉の天下統一により、徳川家康、当時49歳は関東移封となり、江戸城に入りました。兵糧としての塩を行徳塩田から江戸湊(日比谷入り江付近)に運ぶためには江戸湾の北部を経由するルートが一般的でしたが、当時の江戸湾北部には砂州や浅瀬が広がり、船がしばしば座礁する事故が起こっていました。それを避けるため沖合を経由すると強い風波を受け、転覆沈没することもしばしばありました。

Dsc05905 行徳の塩田で採れた塩を最短経路で日本橋へ運ぶルート

そこで江戸入城後、最初に行ったインフラ整備が小名木四郎兵衛に命じての小名木川(運河)の開削でした。これにより従来からのルートが大幅に短縮され、かつ安全性が向上しました。1596年には深川八郎右衛門が深川を開拓しました。小名木川は塩の輸送路のみならず、塩以外の物資の運搬路、成田山への参詣客なども運ぶようになり、江戸物流の重要河川となりました。

1654年には利根川東遷事業 の一環として利根川本流を銚子口に結ぶ工事が完了し、銚子から関宿、江戸川、新川(船堀川)、小名木川、隅田川、江戸日本橋への川船の航路が開かれました。

Dsc05890 館内に再現されている当時の輸送船の様子

Dsc05889 積荷等をチェックした番所の様子

物流の盛んな場所には江戸に危険な物資が運び込まれないか(よく言われた入り鉄砲、出女)をチェックする番所が置かれ、最初は1647年に小名木川西端の隅田川河口に深川番所が設置されました。当時、利根川東遷事業も行われており、小名木川、旧中川、新川の合流地点は江戸水運ネットワークの重要ポイントと認識され、1661年に隅田川河口に設置されていた深川番所が小名木川東端の旧中川と合流する場所に移転しました。これが中川船番所です。

1701年には木場が完成し、江戸中の材木の集積場が出来上がり、埋め立ての進行とともに土地が拡大、現在の江東区に相当する領域内に運河ネットワークが完成しました。

260年以上続いた江戸幕府も1867年の大政奉還とともに滅亡し、全国の関所の廃止され、1869年に中川番所も廃止されました。

20210831a

20210831b 資料館のパンフレットから

中川番所の位置は廃止後、歴史の中に埋もれており、「江戸名所図会」の江戸図から江東区大島9丁目1番地に相当する場所にあったのではと推定されていました。1995年、同地で土壌処理作業が行われた際に多数の瓦片が出土し、土地所有者の日本化学工業(株)が主体となり江東区中川船番所遺跡発掘調査団が組織され、番所の礎石の一部や柱材・硯・下駄等が発掘されました。

Dsc05887 資料館では常設展示のほか、訪れた日にはこういった企画展示も行われていました。

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2021年9月14日 (火)

小名木川に沿って歩く その1 都営地下鉄新宿線 東大島駅

7月から8月にかけては荒川上流の秩父鉄道の話題でしたが、今回からは荒川放水路の河口付近の話題となります。

Dsc05867 2021/8/31 駅名標

小名木川の東の端に最も近い駅はと言えば都営地下鉄新宿線の東大島(ひがしおおじま)駅となります。

Dsc05864 一橋学園を7:51に出発、高田馬場、九段下乗り換えで1時間22分で東大島に到着しました。

日本の地下鉄は東京メトロ東西線のようにJRなどと相互乗り入れを行っている軌間1067mmの狭軌、もしくは銀座線、丸ノ内線のような新幹線とおなじ1435mmの標準軌が圧倒的に多い中でこの都営新宿線は唯一、古くは東京馬車鉄道、そして東京市電に遡る1372mmの軌間の地下鉄となっています。

Dsc05865_20210913150501  
2021/8/31 荒川橋梁を渡り、東大島駅に到着する10-300形 10-630F

1971年5月1日、地下鉄10号線として建設に着手され、1972年3月1日に都市交通審議会第15号において「橋本 - 調布 - 新宿 - 住吉町 - 本八幡 - 千葉ニュータウン印旛地区間の路線」として答申されました。乗り入れ先は京王線ですが、東京都としては1372mmの軌間はできるだけ避けたかったため、京王電鉄(当時は京王帝都電鉄)に改軌を打診し、運輸省も同じ考えでしたが、京王側が改軌工事の規模の大きさや輸送力に対する不安から拒否し、結局,1372mmで建設されました。尤も、旧京王軌道が1372mmで建設されたのは東京市電への乗り入れ構想があったからでした。

1978年7月1日、路線名が都営1号線が浅草線、6号線が三田線に改称されたのと同時に都営新宿線となりました。最初の区間、岩本町~東大島間(6.8km)は同年12月21日に開業しました。その後、
1980年3月16日:新宿~岩本町間
1983年12月23日:東大島~船堀間
1986年9月14日:船堀~篠崎間
1989年3月19日:篠崎~本八幡間が開業し、全線開業となりました。

Dsc05882
東大島駅は旧中川に架かる河川橋上駅でしかも旧中川が江戸川区と江東区の区境でもあり、大変珍しい駅となっています。そんなこともあってか2000年には関東の駅百選に選出されています。

Dsc05870 江東区大島方面に出る西側の大島口と江戸川区小松川方面に出る東側の小松川口があり、今回は小松川口から出ました。

Dsc05874
バス路線は大島口、小松川口とも都営バスによる運行で総武線の平井、亀戸、錦糸町駅、地下鉄東西線の門前仲町、東陽町、葛西駅、そして浅草寿町を結ぶ路線でした。

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2021年9月13日 (月)

小名木川に沿って歩く 概要編

ヨーロッパでは地域間の移動にライン川やドナウ川、そしてそれらを結ぶ数多くの運河を経由した水上交通網が発達しています。かつてNHK-BSプレミアムの番組でアムステルダムから黒海までの大型クルーズ船の旅の様子をレポートした紀行番組がありました(番組リスト)。その中でも興味深かったのは水位の違う水面間を移動する際のロックといわれるゲートの存在でした。アムステルダムからブタペスト、そして黒海までのライン川、マイン川、マイン・ドナウ運河、ドナウ川を経由するクルーズ船の旅でも65か所のロックを通過しなければならないと言っていました。

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そんな中、8月29日の東京新聞12版の24面で東京にもロックが存在することを知りました。この記事ではコロナ禍で海外旅行はできないけれど、首都圏にも世界の名所になぞらえられるスポットがあるということで、パナマ運河に似た小名木川の閘門とドーバー海峡に似た銚子の屏風ヶ浦を紹介しています。

以前から徳川家康が行徳からの塩の輸送のために小名木四郎兵衛に命じて開削させた小名木川(江東区北部を東西に結ぶ運河)については是非、見ておきたいと思っており、この機会に訪問しようと思った次第です。8月31日、水曜日に都営地下鉄新宿線の東大島駅から、旧中川沿いにある江東区の「中川番所資料館」を訪問、旧中川に沿って下り、荒川放水路との間に設けられた「荒川ロックゲート」を見学、小名木川の東側の端から、川に沿って旧城東区を歩き、総武本線越中島支線の橋梁の下を潜り、横十間川と川同士(正確には運河同士)が交差する場所にかかるX字の小名木川クローバー橋を渡り、旧深川区に入り、扇橋閘門を通過、もう一か所川が交差する大横川の交差点を過ぎ、相撲部屋の立ち並ぶ清澄界隈を歩き、小名木水門を越え、隅田川へ、最後は江東区芭蕉記念館を訪問し、東京メトロ半蔵門線清澄白河駅から帰途につきました。

小名木川の開削による、周辺の発展、工業化による地盤沈下で江東ゼロメートル地帯に、川の水位を下げることでの克服等いろいろな歴史を学ぶ小旅行となりました。

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2021年9月10日 (金)

秩父鉄道の駅 その13 三峰口駅

秩父鉄道の駅シリーズ、最後は三峰口駅です。

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2010/4/25 駅名標

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羽生駅から71.7km、秩父本線の終着駅であり、埼玉県最西端の鉄道駅でもあります。

駅名の由来は三峯神社の玄関口に由来します。三峯神社は秩父神社、宝登山神社とともに秩父三社のひとつとなっており、社伝によると景行天皇(12代天皇、日本武尊の父)の時代に日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中で現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したのが始まりだそうです。

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2010/4/25 駅西端からの眺め キロポストの57kmは合併前の秩父鉄道として熊谷駅を起点に表示

100425_20210909080201 2010/4/25 秩父鉱山で採掘された鉄鉱石、硫化鉱を積み込むための日窒鉱業のポッパー設備まで続いていた引き込み線

駅は関東の駅百選の第3回選定駅になりました。開業は昨日の記事にあるように1930年3月15日で、当初から路線は電化されていました。路線はこの先、旧大滝村への延長を計画していましたが、着手には至らず1927年に取得した免許は1936年に失効しました。
・1927/12/5 鉄道免許状下付(秩父郡白川村-同郡大滝村間、大滝村大字大滝地内(鋼索))
・1930/12/26 鉄道免許失効(1927年12月5日鉄道免許、秩父郡大滝村大字大滝地内 指定ノ期限マテニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)
・1936/2/19 鉄道免許失効(1927年12月5日鉄道免許、秩父郡白川村 - 同郡大滝村間 指定ノ期限マテニ工事施工ノ認可申請ヲセサルタメ)

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単式ホーム・島式ホーム各1面の2面3線、地上駅で、駅北側には「SL転車台公園」が併設されています。先日の秩父駅の記事で登場した秩父セメント第一工場に続いていたデルタ線がSLの方向転換に使用されていたことが紹介されています。

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何度か登場しましたが秩父鉄道で使用された車両を展示した「秩父鉄道車両公園」がありましたが、2019年5月から7月にかけてすべて解体撤去されました。

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2021年9月 9日 (木)

秩父鉄道の駅 その12 影森駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は影森駅です。

210731_20210908083101 2021/7/31 駅名標

貨物輸送の話題でも登場しましたが、鉄道ファン的に非常に興味深い駅です。

210806_20210908083301 2021/8/6 秩父よりから駅全体を見る 1面2線の島式ホームを挟んで両側に留置線があり、6000系、7500系、7800系などが休んでいます。ホームは曲線状に沿って設置されているため、羽生方面の2番線に到着した4扉車は4か所のドアのうち中間の2,3番目の扉のみが開くことになっています。

210806_202109080836012021/8/6 影森No3踏切から駅方向を眺める 手前の線路が三輪線、奥の線路が秩父本線、両者の間に武甲線の線路がありました。

1917年9月27日、秩父駅から当駅まで延伸開業した際に開業しました。1918年9月16日には貨物専用の武甲線が武甲駅まで開業しました。当初は非電化でしたが、1922年1月20日に熊谷駅~宝登山(現、長瀞)駅、1月21日に秩父駅~影森駅間、5月20日に宝登山駅~秩父駅間が電化されました。1930年3月15日には影森駅~三峰口駅間が当初から電化されて開業しました。ただこの時点の架線電圧は1200Vでした。架線電圧が1500Vに昇圧されたのは1952年2月1日でした。

210731_20210908084101 2021/7/31 ホーム待合室に展示されている秩父鉄道、影森駅の歴史

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2021/7/31 地下通路入り口と公衆トイレ

2016年4月23日に旧駅舎と宿舎は取り壊され、地下通路のみが残されたため、現在はこのような光景になっています。

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2021年9月 8日 (水)

秩父鉄道の駅 その11 御花畑(芝桜)駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は御花畑駅、副駅名、芝桜駅です。

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2016/8/5 駅名標

副駅名が設定されたのは2009年4月1日からです。

7500-7505-210515-2 2021/5/15 休日、多くの人が見られるのもこの駅の特徴

開業は秩父本線の秩父駅~影森駅間が延伸された1917年9月27日でした。

210806_20210907150201 2016/8/5 御花畑~秩父間の車内からの後方展望 左手の線路が西武秩父駅に繋がる西武線連絡線、御花畑駅2番線に

約100m南に西武鉄道の西武秩父駅がありますが、西武秩父駅の開業は1969年10月14日で、この地には埼玉県立秩父農工高等学校があり、それを移転させての開業でした。秩父駅に隣接して西武秩父駅を設置する構想もあったようですが、対都心輸送上、競合することから秩父鉄道が反対し、現在地に設置されたそうです。

160805_20210907150401 2016/8/5 2番線への跨線橋階段 通常は閉鎖されています。

西武鉄道との直通運転が開始されたのは1989年4月1日でこれに伴って開業以来の1面1線の駅構造が2面2線になりました。駅舎寄りの1番線は秩父鉄道の線内列車、2番線は西武鉄道直通列車用となっています。秩父鉄道の列車同士が当駅で交換することも配線上は可能ですが、定期ダイヤではそういった設定はなく、直通列車発着時以外、2番線は閉鎖されています。

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出札口、改札口ともレトロ感が漂っています。

西武秩父駅とは運賃計算上は同一駅として扱われています。

1701282017/1/28  秩父本線連絡線への出発信号機

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2017/1/28 西武秩父駅側から見た秩父本線連絡線 左手前は横瀬方面、奥が三峰口方面

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2021年9月 7日 (火)

秩父鉄道の駅 その10 秩父駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は秩父駅です。

210731_20210906141501 2021/7/31 駅名標

昨日の記事にあるようにこの駅は1914年10月27日に路線変更した秩父本線の宝登山駅から当駅まで延伸された際に開業しました。

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2021/8/6 ヤードの待避線で休憩する貨物列車

4000-4017-210731-3 2021/7/31 西武鉄道から乗り入れてくる4000系2編成(4017Fと4003F)も秩父駅も待避線で休憩中

駅の東側には広大なヤードのような敷地が広がっていますが、これは1925年6月に新設され、1996年6月に閉鎖された秩父セメント第一工場の跡地です。駅からの引き込み線はデルタ線を形成しており、今でも道路にその様子が残っています。

三峰口駅に転車台が設置されるまではこのデルタ線を利用してSLパレオエクスプレスC58363号機の方向転換や2000系東武5000系の方向転換もこのデルタ線で行われたそうです。

500-503-7404-210731-2_20210906141801 2021/7/31 三ノ輪線からやってきた貨物列車

7800-7901-210731-2_20210906141901 2021/7/31 下り列車は1番線に

他の地方私鉄ではよく見ることが出来ますが、秩父鉄道でも当駅は下り列車と上り列車の入線方式が右側通行方式となっているのが特徴です。

818-210731 2021/7/31 ワキ800形818号

国鉄ワキ5000形と同型の秩父鉄道ワキ800形が1両 留置線に残されています。 かつては倉庫として使われていたようですが、現在は車籍も無いようです。
国鉄ワキ5000形有蓋車は小口貨物や混載貨物を主とする特急貨物列車に使用されてきたワキ1形、ワキ1000形の後継として1965年から1969年にかけ1515両(ワキ5000~6514)が製造された30t積載貨車です。秩父鉄道にも袋詰めセメント専用貨車として1968年に日本車輛製造でワキ800形が55両製造されました。

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2021年9月 6日 (月)

秩父鉄道の駅 その9 上長瀞駅と荒川貨物支線

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は上長瀞駅です。

210731_20210905093801 2021/7/31 駅名標

9月3日の記事で触れましたが、上武鉄道は1911年9月14日、波久礼駅から、宝登山(現、長瀞)駅を経て、秩父駅(初代秩父駅、後に初代国神駅、最終的に荒川駅)までを開業しました。

このときの路線は宝登山(現、長瀞)駅から荒川の流れに沿って、右へカーブし、現在の秩父本線を潜り、親鼻橋の北側で国道140号とクロスし、現在、ウオーターパーク長瀞がある付近に至るものでした。その先は尾坂を越え、赤平川、尾田蒔、秩父の中心部を目指す計画でしたが、尾坂の地盤は蛇紋岩からなる軟弱地盤地帯となり、路線変更することになりました。

路線変更後は宝登山(現、長瀞)駅を出発後、右手に進路を取り、荒川を渡り、荒川の南側を親鼻、皆野から大宮(現、秩父)駅に至るルートで1914年10月27日に開業しました。これに伴い、従来の秩父駅は国神駅に改称、宝登山駅~国神駅間の旅客営業は廃止されました。現在の上長瀞駅が国神駅(2代)として開業したのは1915年12月29日のことで旅客営業廃止となった従来の路線は貨物支線となり、初代国神駅は荒川駅に再度、改称されました。貨物支線は秩父めいせんの輸送なっどに使用され、荒川駅では船から貨車への貨物の積み替えが行われたようです。しかしその貨物路線も1926年6月19日に廃止となりました。2代目国神駅が上長瀞駅に改称されたのは1928年5月15日のことでした。

7500-7506-210731 2021/7/31 上長瀞駅に停車中の7506F

210731_20210905094301 2021/7/31 ホームは大きくカーブしています

210731_20210905094001 2021/7/31 上長瀞駅を出発すると現在の本線はすぐに荒川を渡ります。

Dsc01624 2016/8/5 荒川橋梁 ライン下りの船から

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新線は延長167mのプレートガーター橋で荒川を渡ります。高さは川面から20mあり、橋脚は下部3段が煉瓦積み、最上段はコンクリート製となっています。建設当初は4段とも煉瓦積みだったようです。

5000-5203-210731-2 2021/7/31 荒川の対岸から 5003F

100-210731-2 ヲキフ100形をラストに秩父本線を上る貨物列車

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2021年9月 3日 (金)

秩父鉄道の駅 その8 長瀞駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は長瀞駅です。

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100425_20210902070702 2010/4/25 駅名標と「天下の勝地」という表示

昨日の記事にあるように長瀞町の中心ではありませんが、長瀞観光の拠点である宝登山、宝登山神社、そして長瀞渓谷(岩畳)の最寄り駅となっており、1997年から始まった関東の駅百選の第一回選定駅(26駅)になっています。

開業は1911年9月14日で宝登山駅として開業しました。長瀞駅に改称されたのは1923年7月7日でした。単式ホーム+島式2面3線の地上駅です。

1002-100425-copy 2010/4/25 往年の塗装を纏った1000系1002F

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210806_202109020711012021/8/6 現在の線路に並行する旧線路跡

長瀞駅から上長瀞方面の線路は延伸の過程で軟弱地盤の蛇紋岩帯に入るため、付け替えられています。

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2021年9月 2日 (木)

秩父鉄道の駅 その7 野上駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は野上駅です。

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2021/7/31 駅名標

8月26日記事で、秩父鉄道の駅と所属自治体の関係について触れました。その記述の通り「樋口駅から上長瀞駅までが秩父郡長瀞町」ですが、長瀞町は15世紀後半から16世紀に渡る戦国時代に書物に登場する野上郷で江戸時代には幕府領となった本野上村、中野上村、野上下郷村からなる野上三郷といわれた地域でした。明治以降、1871年には入間県に、1873年には熊谷県、1876年には埼玉県に属し、1879年の郡区町村編制法で秩父郡に、1889年4月1日の町村制施行で本野上村・中野上村・藤谷淵村の区域を以って野上村となり、1940年2月15日に野上町になりました。
その後、長瀞が国の名勝、天然記念物として有名になったことから町名は1972年11月1日、長瀞町になりました。

210731_202109010832022021/7/31 長大なホーム 奥が熊谷方面

7000-7001-210731_20210901084101 2021/7/31 上り列車は通常、1番線に

500-502-210731-2_20210901083601 2021/7/31 下り電車と交換のため3番線に入線する上り7104レ 貨物列車は待避線の有効長の関係から3番線に



寄居駅から先の秩父本線は1903年4月2日に波久礼駅まで開業、1911年9月14日に波久礼駅~宝登山駅(現・長瀞駅)間が開業、その際に本野上駅として開業しました。1929年12月16日、本野上駅は野上駅と改称されました。

野上駅周辺が町の中心である関係から、長瀞町役場、長瀞郵便局などが駅周辺にあります。

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2021年9月 1日 (水)

秩父鉄道の駅 その6 寄居駅

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は寄居駅です。

210731_20210831171501 2021/7/31 秩父鉄道本線ホームの駅名標

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2016/3/18 跨線橋から三峰口方面 左手のホームは東武東上線、東武線ホームと秩父鉄道線ホーム間には4本の線路が見えます。東武2番線の線路は秩父鉄道線に繋がっており、ここを介してかつては直通特急が運転されていましたが、1992年春に廃止されました。

8000-4r-81107-210731-22021/7/31 1番線奥の引き上げ線で休む81107F

160805 2016/8/5 JR線との間にも3本線路が見えます。面白いのは東武東上線は秩父鉄道本線に対して熊谷方向から寄居駅に入るのに対し、JR八高線は三峰口方面から寄居駅に入ることです。どちらも小川町駅を出てやってくるのに。

現在この駅はJR八高線、東武東上線、秩父鉄能の共同使用駅となっており、改札も共通ですが、最初にこの駅を開業したのは上武鉄道で、1901年10月7日に熊谷駅~当駅間が開業して終着駅として開業しました。1925年7月10日東武東上線の小川町駅~当駅間が開業しました。1920年7月27日に東上鉄道と東武鉄道は合併し、寄居までの延伸時には東武東上線となっていました。1933年1月25日、鉄道省八高北線の児玉駅~当駅間が開業し、1934年10月6日には小川町まで延伸、全通となりました。

210806_20210831172801 2021/8/6 今でも東上線ホームの横に大きなビルが沿って建っていますがこれは2013年8月に閉店したライフ寄居店のビルでした。

各社とも島式ホームで3面6線使用の地上駅で橋上駅舎となっており、秩父鉄道に出改札業務が委託されています。橋上駅舎化された際に北口が整備され、以前から南口が駅前でした。

3-2107313社の券売機が並ぶ出札口 秩父鉄道のフリー切符は左手の有人出札口で購入できます。

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2015/12/12 橋上駅舎

210806-2 2021/8/6 改札口 東武鉄道は右手から、JRは左手からやってきてここから駅改札外へ

210731_20210831195201 2021/7/31 秩父鉄道秩父本線ホーム

210731_20210831195501 2021/7/31 急行「秩父路」足元乗車案内 有料の急行というのも最近ではあまり聞かないものです。

秩父鉄道の寄居駅ホーム待合室には秩父鉄道120周年(2019年11月8日)の記念で懐かしい写真が展示されています。

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