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2021年9月29日 (水)

小名木川に沿って歩く その12 高橋から隅田川接続部へ

小名木川に沿って歩くシリーズ、橋の袂にシーラカンスの像のある西深川橋の次は高橋です。

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何か人の名前のような橋ですが、こちらはたかばしというそうで、最初の橋の架橋は約300年前だそうで、永代橋や新大橋よりも古い橋となります。1862年に出版された尾張屋板江戸切絵図-本所深川絵図にも記載されています。江戸から昭和にかけ4回架け替えられており、現在の橋は1973年に架けられた1径間鋼製桁の橋です。

小名木川北岸に高橋という地名がありますが、名前はこの橋に由来し、1934年の町名整理で深川区東森下町の一部、東元町・富川町・西町の全部をもって深川高橋一丁目-五丁目という町名になり、1971年の町名改正で深川高橋一丁目を高橋、深川高橋二丁目-五丁目を森下三丁目-五丁目としました。東京では珍しい、丁番の付かない町名となりました。

都道463号線、通称清澄通りが通っており、この道の地下には都営大江戸線が走っています。古くは月島~柳島福神橋間23番の都電が走っていました。隅田川の東側を川に沿って走る線でした。

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高橋を過ぎて隅田川の手前に現れる大きな構造物は新小名木川水門です。

流域を高潮や津波から守るため1961年に設置された径間11mⅹ3連の防潮水門です。2010年2月28日、南米チリで発生した大地震で日本列島にに津波警報が発令された際にこの水門も閉鎖されたそうです。現在、耐震補強工事を施工中で完成すると水門は2連式になります。

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この橋は1680年の江戸地図に既に登場し、「元番所のはし」と記載されています。その理由は中川番所の記事で触れたように江戸時代初期に小名木川を航行する船荷をチェックする「川船番所」がすぐ北側に設置されていましたが、明暦大火後、江戸の市街地が整備拡大されたため、番所も1661年に番所が中川接続部に移されたため、付近が元番所と言われるようになったためです。

萬年橋と呼ばれるようになった時期は不明ですが、葛飾北斎は富嶽三十六景の中で「深川萬年橋下」として、歌川広重は名所江戸百景の中で「深川萬年橋」として取り上げています。関東大震災までは木製の橋が架かっており、震災後の復興で1930年11月19日に現在の1径間下路ブレースドリブタイドアーチ橋、鉄筋コンクリート床鈑の橋となりました。


Dsc06049 小名木川と隅田川の接続部

隅田川の下流方向には清州橋がちらっと見えます。因みにもう少し右手の萬年橋の北詰めから清州橋を見た眺めは同橋を最も美しく見ることが出来るそうでケルンのライン川の吊り橋を彷彿させ「ケルンの眺め」と呼ばれているそうです。

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コメント

B767-281様、おはようございます
私も江戸時代からの運河を訪ねるツーリングをしています
小名木川のご説明、大変参考になりました

準急豊島園さま、おはようございます。

そうでしたか、バイクで回っていらっしゃってますか。
江戸時代からの運河を訪ねることで、その土地の歴史を理解し、また水運、経済の発展が勉強できるので非常に興味深いことが私も分かりました。

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