小名木川に沿って歩く その14 江東区芭蕉記念館を訪問
小名木川に沿って歩くシリーズ、最後は萬年橋の数ブロック北側にある芭蕉記念館です。
2021/8/31 江東区芭蕉記念館
松尾芭蕉(幼名金作、成長後は宋房)は寛永21年(1644年)伊賀の国の農民の家に生まれ、寛文2年(1662年)伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠(俳号は蝉吟)に仕え、厨房役か料理人を務めました。2歳年上の良忠とともに京都にいた北村季吟に師事して俳諧の道に入りました。延宝2年(1674年)に江戸に出て、日本橋に居住、上水道工事などに携わり、延宝6年(1678年)に宗匠、プロの俳諧師桃青としてデビューしています。延宝8年(1680年)、深川に転居し、草庵での暮らし、隠逸を始めます。この草庵には門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったことから「芭蕉庵」と呼ばれました。元禄2年3月27日(1689年5月16日)、弟子の河合曾良を伴い、江戸を発ち、東北から北陸を経て、美濃の国大垣まで約5カ月、600里(2400km)の旅を敢行し、有名な紀行文「奥の細道」を完成させました。
深川の芭蕉庵は芭蕉没後、武家屋敷に取り込まれ保存されましたが、幕末の混乱で消失、1917年9月の台風の高潮の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。江東区は1981年に芭蕉の業績を顕彰するために1981年4月19日に芭蕉記念館を、1995年4月6日に芭蕉記念館分館を開館しました。
深川芭蕉庵における有名な「古池や 蛙飛び込む 水の音」の成立事情の解説
「蛙飛び込む」に対してそれまでの和歌の伝統からは「山吹や」が良いのではという高弟の宝井其角の提案に対し、芭蕉はそれまでの伝統を打ち破り、「古池や」を持ってきたと言う話題
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