小名木川に沿って歩く その13 お寺と相撲部屋が集まる清澄公園周辺
小名木川に沿って歩くシリーズ、川沿い歩きは隅田川接続部の萬年橋まで歩きましたが、清澄1丁目から3丁目付近の地図を眺めると寺院と相撲部屋が多いことに気づきます。
2021/8/31 北が左側の地図ですが、この地図の中には 今は亡き「北の湖部屋」、大嶽部屋、高田川部屋、尾車部屋、錣山部屋が清澄二丁目に、そして上方(東部)には卍のマークから寺院が多く建っていることがわかります。
今日の大相撲の起源となった勧進相撲が興行された両国回向院はもう少し北の墨田区両国二丁目にありますが、清澄の地には横綱通りもあり、相撲とは縁が深い土地であることが容易に想像できます。
二所ノ関部屋所属だった横綱・大鵬が1969年5月場所で史上初の30回目の優勝を達成、この功績から一代年寄「大鵬」が授与され、1971年5月場所での引退後、一代年寄・大鵬を襲名し、同年12月に大鵬部屋を創設しました。1977年には大鵬親方は脳梗塞を患います、2005年の大鵬親方の定年前に1993年大鵬の3女と結婚していた二子山部屋所属の貴闘力が2002年の引退後年寄・第16代大嶽を襲名、2004年に大鵬部屋を継承し、大嶽部屋となりました。その後、16代は大相撲野球賭博問題で解雇となり、二子山部屋所属の元十両大竜が第17代大嶽を襲名し、部屋を継承しています。
同じく二所ノ関一門の尾車親方(1985年11月場所で引退した元大関・琴風)が佐渡ヶ嶽部屋から分家独立した部屋。
高田川部屋は1974年3月場所で引退した元大関・前の山が創設した部屋で、当時は高砂一門でした。第8代高田川は理事選挙で高砂一門から破門され、無所属となり、2010年3月定年後は部屋付き親方だった元関脇安芸乃島(元二子山部屋)が第9代を襲名し、部屋を経営しています。この建物は2012年9月に第9代が建てたものです。
錣山部屋は2002年9月場所で引退した元関脇寺尾の部屋で現役当時は井筒部屋(当時は時津風一門)でしたが、2017年12月18日付で一門を離脱、無所属となっていましたが、2018年7月、相撲協会による「必ず一門に所属しなければいけないとの決定」で現在は二所ノ関一門に属しています。
北の湖部屋は2015年11月20日の北の湖親方の急逝で部屋付き親方だった山響(元幕内・巌雄)に継承となり、名称も山響部屋に変更となり、2017年4月29日に江東区東砂に移転しました。北の湖は現役時代、三保ケ関部屋(出羽の海一門)で、山響部屋も出羽の海一門ですが、現在、清澄にある4部屋はいずれも二所ノ関一門の部屋となっています。
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