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2021年11月30日 (火)

武蔵小杉~羽沢横浜国大間 その2 武蔵小杉~鶴見間

2019年11月30日に開業したJR・相鉄直通線、武蔵小杉駅から羽沢横浜国大間は距離にして16.6km、所要時間は約18分かかります。

2000年1月27日の運輸政策審議会答申18号において神奈川東部方面線として二俣川~新横浜~大倉山間が位置付けられ、2004年9月に相鉄が西谷~羽沢間に新線を建設し、羽沢駅でのJR相互直通構想が発表されました。2006年には国・鉄道事業者・神奈川県・横浜市間で調整が行われ、整備構想を国が認定、2010年3月25日、起工式が行われました。

線路名称的には武蔵小杉~鶴見間は品鶴線、鶴見~羽沢横浜国大間は東海道貨物線です。品鶴線の開通は昨日の記事に既述したように
>東海道線の客貨分離のため、東海道貨物線として品川~新鶴見操車場~鶴見間17.7kmが1929年8月21日に複線で新設されました。

Dsc06825
2021/11/4 武蔵小杉駅から新川崎方向を見る

ちょうどE257系2000番台NA-04編成の特急「湘南」が接近してきていますが、新鶴見信号場までの複々線(旅客線(横須賀線・湘南新宿ライン)と貨物線)の合流地点です。後方の高架から来る線が新川崎からの旅客線です。

Dsc06834_20211129151501 2021/11/4 
旅客線、貨物線分岐
武蔵小杉を発車した列車は踏切を越えた直後、このポイントで貨物線に入ります。旅客線と貨物線の分岐点であり、直進する旅客線(横須賀線・湘南新宿ライン)は新川崎駅を通り、鶴見駅の西側を通過し、横浜駅に至ります。一方、貨物線は新川崎駅を通過、鶴見駅の東側を通過します。

Dsc06836 2021/11/4
右から合流する線路は武蔵野南線です。

Dsc06569 2021/10/23
新鶴見信号場に停車中のコンテナ貨物列車が見えますが、武蔵小杉発8:29の227Mから見えた貨物列車は宇都宮タ~東京タ行きの4072レで牽引機はEF65 2117号機でした。

Dsc06553 2021/10/23 新小平駅を通過する4072レ

Dsc06841 2021/11/4 新川崎駅横を通過

Dsc06843
2021/11/4 かつての新鶴見操車場の南のはずれを通過、

Dsc06844_20211129154601

並行する旅客線(横須賀線・湘南新宿ライン)は高架となり、南武線尻手駅方面の尻手短絡線が左に分かれて行きます。尻手短絡線は1973年10月1日に開業しました。

Dsc06847_20211129160001 2021/11/4 東海道貨物線との合流

やがて旅客線(横須賀線・湘南新宿ライン)をアンダーパスし、東海道本線をオーバークロスして、海側に抜けると鶴見川橋梁を渡り、東京貨物ターミナル、川崎貨物からの東海道貨物線と合流します。

この先は次回以降になりますが、ここまででも駅間はかなり長く、新川崎駅横、南武線尻手駅に通じる道路との交差付近、鶴見駅付近と新駅が3つくらい造れるのではと感じます。

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コメント

B 767-281様お早うございます。このような連絡線ができるとは夢にも思っていませんでした。品鶴線と言えば、臨時列車や大井工場(今でもこの名称がピッタリきます)の試運転車が通る、そんなイメージでした。亡き母は戦争中は東海道線から迂回する為「秘密線」と言われていたんだ、と言っていました。今考えたら空からは丸見えだからどうなのか?と思いますが。一枚出てくる新小平、あの水没よく覚えています。両サイドを繋ぐ鉄骨が物々しいですね。

細井忠邦さま、おはようございます。

私も尻手連絡線の存在は知ってましたが、歴史的にはそういった時期だったことは今回初めて知りました。単線であるがため、キャパシティ的に一杯で、連絡線を通りたくても通れず、鶴見駅でスイッチバックする列車もあるようですね。
新小平駅の水没事故、まさにあの辺の水がすべて流れ込んでしまった事故でした。今でも大雨が降ると心配です。

B767−281様 こんばんは。品鶴線についてYahoo!で検索してみましたら、品鶴線は軍需路線として始まった、という記事が見つかりました。やはり東海道を迂回する貨物線として計画されたようです。その記事の中にも「空から見れば丸見えなのに」と書かれていました。やはり精神主義的な当時の世相のせいでしょうか。まあ東海道線がやられてもこちらがあるから、という発想はわからないでもありませんが。その線がその後の線増に寄与するとはまさか思ってもいなかったでしょう。

細井忠邦さま、おはようございます。

艦砲射撃から鉄道幹線を守る、あるいはバイパス線で対応するという発想で造られた線には二俣線、岩徳線などが思い浮かびますが、品鶴線もその発想があったのですね。

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