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2022年1月31日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 6 埼京線・川越線への進出

205系量産車が山手線に投入されたのはタイミング的には1985年9月30日の埼京線の開業に伴って必要となる103系の捻出のためでした。103系の運用が始まると沿線住民からはその走行音の大きさに苦情が多く寄せられたそうです。

個人的な話ですが1988年の10月から1年間、当時の西ベルリンに留学しており、日本のニュースまして埼京線に関しては全く知らなかったのですが、参考書(池口英二氏著、205系物語)によると1989年7月1日に10両編成1本が川越電車区に配置され運用が開始され、その後翌1990年にかけて23本が新製投入され同年11月末103系の運用が終了となったそうです。

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表 埼京線の205系化のために投入された編成、新製配置と山手電車区、三鷹電車区からの転入編成(1993年3月ダイヤ改正時点)

一方で表の新製配置データを照らし合わせてみると1989年6月から7月にかけ5本、8月から9月にかけ5本の計10本が新製され、後半の5本のうち1本(クハ205/204-97)先頭の編成は1988年12月5日の東中野事故補充のため、この表には出ていないクハ205/204-95先頭の編成と共に一時、三鷹電車区に配置されました。これらのグループは運転台に戸閉モニター装置が取り付けられました。さらに騒音対策として主電動機の冷却気取り入れ口が改良されました。続いて投入されたクハ205/204-120~128の編成は後日、記事にする予定の京葉線投入の108~119の後に再び、前面デザインがオリジナルスタイルに戻った編成で電動機点検蓋は京葉線投入編成同様に廃止されました。そして140~144の編成が1990年11月以降に製造され、投入されています。以上、3次に分けて新製配置された分と1990年5月に山手線から転入した1編成、三鷹電車区から転入した1編成で埼京線の205系化は完了しました。

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2008/8/2 赤羽 1編成

205-29-130310 2013/3/10 武蔵浦和 29編成(1993年当時の7編成←ヤテ41編成)JR東日本として最初に製造された205系編成

205-9-120921-2 2012/9/21 浮間船渡 9編成 ←ミツ23編成

開業以来、埼京線で活躍していた103系は南武線の101系置き換え用、京浜東北線、京葉線、中央・総武緩行線、青梅線、武蔵野線、南武線、常磐快速線、仙石線の103系老朽車置き換え用に充当されました。埼京線での運転終了は1990年12月10日でした。ちなみに川越線内区間運転の3000番台は引き続き継続されました。

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2022年1月28日 (金)

通勤電車シリーズ 205系 5 南武線への投入

多摩川の川原で採取した砂利を運搬する目的で川崎を起点に東京府南多摩郡稲城村までの路線として1919年5月5日付けで鉄道院に申請されたのが南武鉄道の始まりで、1920年1月29日の免許交付後、終点は立川まで延長されました。申請は上平間の村会議員秋元喜四郎が発起人代表で、免許交付後は株式会社になりますが、建設工事のための資金集めは難航しました。そんな折、浅野セメン(現在の太平洋セメント)が奥多摩から産出する石灰石の川崎の工場までの輸送ルートとして目を付け、1923年9月30日、南武鉄道株式会社の筆頭株主となりました。
1927年3月9日に川崎~登戸間、貨物線の矢向~川崎河岸間が開通、同年11月1日には登戸~大丸(現、南多摩)間、1928年12月11日には大丸 - 屋敷分(現・分倍河原)間、そして1929年12月11日に分倍河原 - 立川間を開業、全線が開通しました。1930年3月25日には支線の尻手 - 浜川崎間も開業しました。 目黒にあった競馬場の府中移転を誘致したり、稲田堤の桜や久地の梅園をPRしたのも南武鉄道の企業努力の結果だったそうです。
日中戦争から太平洋戦争に向かう時期、川崎の人口増加、軍事関連企業の集中で南武鉄道は軍需路線としての性格が強くなって行きました。さらに石灰石輸送関係から浅野財閥系の奥多摩電気鉄道、青梅電気鉄道、南武鉄道、鶴見臨港鉄道、4社間で合併も協議されますが、まず鶴見臨港鉄道が国有化され、1944年4月1日には戦時買収私鉄指定で南武鉄道が国有化されました。軍需工場が多い地域を走っている関係で南武線沿線は大戦末期連合軍機の空襲を受け、1945年11月には所属41両のうち、稼働19両という状態になりました。

79920 撮影年月日不詳 尻手 引退間近のクハ79920番台

101-830219 1983/2/19 尻手 冷房改造101系

1950年代からの高度成長期、沿線の人口は私鉄との乗換駅を中心に増加の一途をたどり、国鉄は1960年代後半に車両の6両化と全線の複線化を完了、軌道も800t貨物列車の通過に耐えられるよう強化されました。1972年から101系が投入され、1978年には旧型国電が引退しました。

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表 1989年3月からの南武線への新製投入

205系の次の新製投入先に選ばれたのは横浜線同様に輸送需要の急増著しい南武線でした。1989年3月11日のダイヤ改正を機にTcMM'MM'T'cの6両3編成が投入されました。クハは非ATC仕様でしたので、東海道・山陽緩行線用と同じ運転台背後のスペースが拡大し、仕切り部の窓も大型化されました。保安装置はATS-BとATS-Sが装備され、1990年にはATS-Pが実装されました。同年秋に4本、1990年夏から秋にかけて、7本、2本と計16編成が投入されました。

製造メーカーは川崎重工1社が担当しています。モハユニットでいうとなんと南武線に投入された車両だけでなく-231から-406まで、クハ-86から-149までは全て川崎重工で製造されています。

1991年、205系16編成の新製投入と103系編成の転入などで101系は一掃されました。1991年、205系第7編成が中央・総武緩行線用に三鷹電車区に転属となり、1993年2月には編成番号は1を開けて2~7に繰り下げられました。

205-2-091226 2009/12/26 尻手 上記のような事情から編成番号2となった南武線新製投入第1号編成

205-8-080329 2008/3/29 府中本町 第8編成

205-16-110508 2011/5/8 矢向 電留線で休息する第16編成

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2001/12/31 尻手 205系新製投入後、しばらくの間共存した103系

南武線の車両を受け持つ中原電車区には1987年4月1日時点で103系(6連14本)、101系(6連17本)が継承されました。同年度中に習志野区から101系9両が転入、103系6連1本が松戸区へ転出しました。1988年度に205系が新製配置され、3系列による運転体制となり、1989年度には全車冷房化が達成されました。1991年1月20日、川崎~立川間での101系運転が終了しましt。1992年度には量産が開始された209系6連1本が加わり、その後、しばらくは103系の微減が続き、2002年度、山手線のE231系500番台化の開始で205系が大量に転入し、2004年12月に103系は淘汰されました。

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2022年1月27日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 4 阪和線への投入、横浜線への進出

1988年春は発足から1年が過ぎようとするJR各社にとっては独自の方向性を打ち出し始めた時期であり、青函トンネル開業や瀬戸大橋の開通と日本列島が鉄道でひとつに結ばれる、当時のキャッチフレーズ「1本列島」の時期でした。

まだ早春の2月22日、JR西日本は近畿車輛が製造した205系1000番台、4両編成5本を阪和線に投入しました。国鉄時代に東海道・山陽緩行線に投入された0番台とは違いJR西日本独自で開発した車両でこの番台ならではのユニークな点がいくつかありました。この件に関しては2019年3月13日記事で触れいていますので、今回は触れません。

73-edited 1978年頃 八王子 発車を待つ東神奈川行

103-54-790923 1979/9/23 八王子 京浜東北線から転属してきたクハ103-500番台先頭の磯子行

103-54-810426 1981/4/26 橋本 ウグイス色の高運転台クハ103 54編成

東日本では山手線の205系化完了後、続いて投入されたのは横浜線でした。北関東で生産された生糸を横浜港に運搬するために建設された路線で1941年4月に全線電化されていましたが、1979年まで72系電車が走っており、京浜東北線や山手線から転属した103系が活躍する路線でした。

1988年9月29日から蒲田電車区に配置された7両編成7本が営業運転に就きました。
今回投入された車両の特徴は
(1) 前面に路線・種別表示幕の設置
(2) 側扉窓の上下寸法の拡大
(3) 保安装置はATC6(根岸線)、ATS-B(横浜線)を搭載
(4) 列車無線のアンテナが防護無線タイプに

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表 横浜線に新製投入された205系 1988年9月~1989年3月

これまでは1編成は単独メーカーの製造でしたが、車種により、あるいは2組のモハユニットが別々のメーカーによるケースも出てきました。
またMM'-230とT-145は国鉄時代からの伝統を持つ大船工場による製造です。205系ではこれら3両の他、500番台のモハユニット(2組:512、513、クハ(Tc/T'c513)の製造も担当しました。東急車輛製造から構体ブロックを購入し、工場内で艤装・内装組み立てを行うノックダウン生産方式でした。

さらに1989年2月までに18編成が投入されました。第8(H8)編成以降では側窓外側への取っ手が追加され、車外から窓の開閉が可能なように窓枠が変更されました。前面行き先表示幕に路線表示を追加した2段幕も登場しました。

205-h1-120512-2
2012/5/12 長津田 H1編成

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2011/9/25 東神奈川 H8編成

1988年9月から1989年2月の僅か半年の間に205系25編成が投入され、捻出された103系は京葉線、武蔵野線へ転用され、1989年2月26日に「さよなら」運転が行われました。

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2022年1月26日 (水)

通勤電車シリーズ 205系 3 東海道緩行線への投入、民営化後の山手線向け製造

国鉄時代末期、首都圏では埼京線の1985年9月30日の開業に続き、1986年3月3日には京葉線西船橋~千葉みなと間が暫定ながら開業しました。これに合わせて103系70両が山手電車区から京葉運輸区に転属になっており、その分、205系7編成が新製配置されました。

国鉄時代には首都圏の山手線以外に、7両編成4本が関西の東海道・山陽緩行線向けに明石電車区に投入されました。1986年11月1日のダイヤ改正から営業運転に入っていますが、こちらはATC機器非搭載タイプであったため、運転室背後の仕切りの厚さが80mmから50mmとなり、客室スペースが拡大しました。ラインカラーは京浜東北線と同じ「青22号」(スカイブルー)でしたが、帯色は「青24号」となりました。これら4編成の関西での活躍は2019年3月9日10日11日12日の記事で触れいていますので、今回は触れません。

かくして国鉄時代には山手線用340両、東海道・山陽緩行線用28両が製造され、それぞれJR東日本、JR西日本に継承されました。

205-43-020427 2002/4/27 田町 JRになって製造されたロットのうち、41,42編成は1990年代に川越区に転出したため、最も若い43編成

民営化後、JR東日本では山手線の103系を完全に205系に置き換えるため増備が続けられましたが、民営化したといっても経営見通しは決して明るいものではなかったため、車両の新製は極力抑えられ、新製する車両においてもコストを下げるための設計変更が行われました。その内容は
(1) 従来、編成中に3基搭載されていたMGを2基とし、非搭載となった中央のモハ204に、電源誘導装置を搭載する。
(2) 励磁装置を全波整流から半波整流方式にする。
(3) 主抵抗器の箱数を減らす。
(4) 客室荷棚を網棚からパイプ式にする。
既成車に関してもMG搭載数を減らし、余ったMGは新製車に回しました。

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表 国鉄民営化後、山手線向け205系の製造、投入

20編成の新製で205系化は完了しました。車輛番号に関しては、1~34編成までは、クハは編成番号と同じ、モハユニットは(編成番号x3-2,-1,-0),サハは(編成番号x2-1,-0)という法則性がありましたが、関西に投入した4編成の分で法則性が崩れるのを嫌い、表のようにクハは41番から(39・40欠)、モハユニットは121番から(111~120欠、サハは81番から(73~80欠)となりました。

尚、41編成は新製配置後後、予備車見直しの関係で1990年に、42編成は1995年にそれぞれ山手電車区から川越電車区に転属となっています。

メーカ別にみるとこれら20編成は日立製作所、川崎重工、東急車両製造の3社だけで製造されています。

205-60-020427 2002/4/27 五反田 60編成 山手線向け最終編成

山手線の205系化により、103系の1963年から四半世紀に及んだ山手線での活躍は1988年6月25日で終了し、品川電車区ではこれを記念するイベントが開催されました。さらに103系はこの時点でも非冷房車が残っていたため、205系化によって冷房化率が100%になったのもこのタイミングでした。車輛が統一されたため列車の運転速度向上も達成され、ラッシュ時の列車運転本数1本削減も実現されました。その結果、上記のように41編成が1990年7月に転属となりました。

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2022年1月25日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 2 量産車の投入、国鉄民営化、103系の転出

4社で製造された205系量産先行編成4編成が運行を開始して約半年後の1985年9月30日、埼京線池袋~大宮間が開業しました。このための車輛転配として、山手線に205系量産車、18編成180両が山手線用に山手電車区に投入され、それまで山手線で活躍していた103系18編成180両と赤羽線用の5編成50両が川越電車区に転属となりました。量産車の製造では量産先行車の製造に関わった4社以外に近畿車輛が新たに加わりました。

205-08-030304 2003/3/4 恵比寿 第8編成

103-790707 1979/7/7 十条 池袋~赤羽間で運行されていた時代

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表1 1985年9月末までに山手線用に投入された205系量産編成(18編成)

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撮影年代不詳 東京 157系「あまぎ」

205系2次車は性能面は量産先行車と同じで、側窓が一段下降式となりました。国鉄車両の一段下降窓の採用は157系以来となりますが、157系の場合は鋼製車体であったため雨水による腐食の発生が問題となりましたが、205系はステンレス車体のためその問題はありませんでした。ただ、窓下にバランサを設ける必要が生じ、側扉開閉装置との干渉が懸念されましたが、問題はなかったようです。

 

205-33-020427 2002/4/27 五反田 第33編成

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表2 埼京線開業以降、国鉄時代に山手線に投入された205系(第34編成まで)

昭和60年度第一次債務で製造された第30編成以降は台車の軸受を密封式両つば円筒ころ受けに変更したDT50D、TR235Dに変更となりました。
 国鉄最後のダイヤ改正、1986年11月時点での編成表データによると山手線(山手電車区)には103系編成が21本配置されており、そのうち10両全車両が冷房車なのは4編成、サハ2両が非冷房なのが1編成、5,6号車モハユニット非冷房が9編成、サハ2両と5,6号車モハユニット非冷房が4編成、5,6号車モハユニットと偶数よりサハ非冷房が3編成といった構成でした。

103-15-3b-2 撮影時期不詳 御徒町 103系10両編成のうち両端3両が冷房車の編成

 一方、川越電車区には103系が24編成配置されており、11編成は5,6号車モハユニットが非冷房、5,6号車モハユニットと4号車サハが非冷房が1編成、サハ2両と5,6号車モハユニット非冷房が12編成といった構成でした。

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2022年1月24日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 1 205系開発の背景と量産先行車の登場

1979年2月、「省エネ」電車として201系900番台(先行試作編成)が登場しました。車体は101系103系同様に鋼製でしたが、それまでの抵抗制御方式に代わり、電機子チョッパ方式が採用されました。201系は1981年から1985年まで1018両が製造され、中央快速線、青梅線、五日市線、武蔵野線、中央・総武緩行線、京葉線、外房線、東金線、東海道緩行線、山陽本線、大阪環状線、関西本線、桜島線、奈良線、和田岬線などで運用されました。しかし、電機子チョッパ方式は大電流が流れる主回路で働く素子が高価であること、鋼製車であるため、車体が重く、塗装などにかかるメンテナンスコストが膨大なことなどから昭和59年度末の収支で1兆6504億円の純損失が計上され、財政状況が極めて悪い当時の国鉄にとってはこれ以上新たな線区に投入するべきではないと判断されました。

201_20220123101801 201-201901-7902 1979/2 三鷹電車区 201系試作編成

 当時、首都圏や関西圏の大手私鉄においては界磁チョッパ制御方式を採用した、アルミ、ステンレス車体の新形式が登場し始めており、それらに比べると首都圏で活躍していた103系は見劣りする存在となっていました。1985年3月のダイヤ改正で山手線に201系が当初、導入される予定でしたが、既に導入されていた中央快速線や中央・総武緩行線に較べ駅間が短いものの乗車率が高い山手線では車重の重い201系を導入した場合、主電動機の熱容量の不足が懸念されました。そこで 山手線の103系置き換えは201系ではなく、新形式で行うこととし、1984年6月に開発が決定、設計と量産先行車の製造が急ピッチで進められました。このような当時の状況から登場したのが205系でした。

基本設計案

1.制御装置は界磁添加励磁制御方式とする。
  国鉄電車の主電動機は電機子と界磁が直列に接続された直巻整流子電動機であり、このシステムを生かした上で弱め界磁と電力回生ブレーキを導入する方式として界磁巻線のみを制御する三相全波半制御サイリスタ整流回路を組み込み、MG等から得た三相交流電源で界磁巻線回路に電流を流し、力行時終段の弱め界磁機能と制動時の電力回生機能を付与する機構です。弱め界磁以前は抵抗制御方式と変わらず、回生ブレーキ使用時に回生失効が起きにくいのが特徴でそれまでの抵抗制御車から改造も容易であり、構造も単純・安価、保守も容易というメリットがありました。一方、直流電動機のため消耗品のブラシが残存する欠点が、VVVF方式の登場による交流誘導電動機(ブラシレス)により、消滅を早めることになりました。


2.軽量ステンレス車体の導入。
  コンピュータ技術の導入で車体強度を維持した状態で極限まで軽量化する技術を持っていたのは当時の東急車両製造で、国鉄は公共企業体としてこの技術を導入する際に東急車両製造に半ば強制的に技術を開示させ他社でも製造できるようにしました。後に東急車輛は優位性を失ったためJR東日本傘下の総合車両製作所になります。
3.ボルスタレス台車の導入
4.回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキの採用
5.手ブレーキ、戸袋窓・妻窓の廃止

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103-205-850323 1985/3/23 新宿 400番の編成番号札を下げているので日本車両製造製の後のヤテ4編成でしょうか。追記:鉄道ファン誌N529「山手線の205系20年の記録1」によると第2編成が1985/3/3、「山手線開業100周年記念号」として「400」の編成札をさげ、内回りを1周したとあります。ですから、第2編成(のちのヤテ2編成)と思われます。

1985年1月から3月にかけ、 東急車両製造、日立製作所、川崎重工、日本車両製造の4社がそれぞれ製造した量産先行者が落成し、山手線で試運転が開始されました。

205-01-020427-2 2002/4/27 田町 ヤテ1編成

205-02-021104 2002/11/4 恵比寿 ヤテ2編成

205-03-020427-2 2002/4/27 恵比寿 ヤテ3編成

側窓が上段下降、下段上昇の2段サッシ窓であり、サイドからみると田の字に見えるところが特徴でした。運行番号表示器も1985年の写真のように当初は巻き取り式でした。

サイズは 最大長 19500mm 最大幅 2800mm 屋根高さ 3670mm パンタ折り畳み高さ 4140mm 心皿間距離 13800mm 床面高さ 11800mm

定員 クハ 136(48) モハ・サハ 144(54)

重量 クハ 26.5t モハ205 34.9t モハ204 36.2t サハ205 24.5t

台車 電動車 DT50 付随車 TR235

歯車比 14:35=1:6.07

パンタグラフ PS21
主制御器 CS57
励磁装置 HS52
主抵抗器 MR159
主電動機 MT61
電動発電機 DM106(190VA)
電動空気圧縮機 MH3075-C2000M
冷房装置 AU75G 

1985年3月のダイヤ改正は3月14日で205系の運転開始も当初はダイヤ改正初日からの予定でしたが、若干遅れて3月25日から営業運転が開始されました。投入された運用は外回り55運用でした。

 

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2022年1月21日 (金)

通勤電車シリーズ 103系 32 武蔵野線 part3

1996年12月に武蔵野線の103系はすべて8連化されましたが、このタイミングで1986年から10年間武蔵野線で活躍していた201系6連3本は中央線に戻りました。思えばこの時期は鉄道よりも旅客機の時期で201系の活躍にも全く気付かず、後から撮り逃がしたことを後悔したものでした。同時に青梅・五日市線との共通運用も終わりました。その後も103系の転入は続き、103系8連33本、205系8連5本という体制が続きました。

103-23-021229

2002/12/29 新松戸 E23編成


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表 2002年4月1日現在の豊田電車区 武蔵野線用103系 オレンジ色に塗ったセルは1997年4月1日時点のデータに対して変化した車両
両側クハタイプの編成はE30以降が追加となる一方でクモハタイプの編成からE30編成が消えています。

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2005/5/28 舞浜 E16編成

205系に関しては後日の記事で触れますが、1991年10月から投入された武蔵野線オリジナルタイプ顔の5本体制でしばらく推移しました。その後、103系廃車計画の進行とともに2002年から中央・総武緩行線に投入された205系10連の制御方式をVVVF化し、8連化(4M4T)した2編成が投入されたのを嚆矢に置き換えが本格化しました。さらに2004年3月12日には武蔵野線担当車両は八王子支社豊田電車区(八トタ)から千葉支社京葉車両センター(千ケヨ)に移管されました。

103-15-050730

2005/7/30 新秋津 E15編成

記憶にありますが、武蔵野線の新秋津~新小平~西国分寺間には東村山トンネル、小平トンネルといった長大トンネルがあり、101系から103系になった頃はその騒音の大きさに驚かされたものでした。205系になることで、さらにVVVF化で電動車の両数が減ることでその騒音もだいぶ下がったように思えますが。

2005年12月に京葉車両センターの103系は完全に205系に置き換えられ、JR東日本に残された103系は常磐快速線だけになりました。2006年3月に成田~我孫子間での運用が終了した後、2007年に仙石線、多賀城駅付近の連続立体交差化工事の関係で郡山総合車両センターに留置されていた103系が復活しましたが、この運用も南武線の205系1200番台の転属で、2009年10月に終了となり、完全に消滅となりました。

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2022年1月20日 (木)

通勤電車シリーズ 103系 32 武蔵野線 part2

常磐線の415系に続く記事として何をターゲットにしようかと思案した結果、E131系の導入で終焉の時が迫っている205系が候補に挙がり、205系の話題なら、武蔵野線、相模線、東北本線・日光線の205系各番台で行こうということかと思い、過去ログを調べると武蔵野線に関しては2015年10月5日の記事で国鉄民営化直前の状況までをpart1にしていたので、少し間が空きますが2001年から2005年くらいまでの103系から205系に移行する時期に関して、纏めておこうと思い今回の記事にしました。

武蔵野線に最初に103系が投入されたのは1980年6月のことで、このとき6連が1本入りました。1984年からは本格的導入がはじまり、開業当初から活躍していた101系1000番台を置き換えてゆきました。1986年3月には輸送力増強用に中央線快速用の201系6連が3本投入されました。このとき、豊田電車区受け持ちの武蔵野線、青梅線、五日市線の6連運用が共通化されました。103系投入により、101系の置き換えが完了し、1986年10月26日、101系1000番台の「さよなら運転」が開催されました。103系の冷房改造も推進されている時期で、武蔵野線の冷房化も一気に進みました。

←東京・新習志野・南船橋                          府中本町→

1993103
1993年3月18日ダイヤ改正時の豊田電車区 103系 8連と6連 編成表
なお、1993年以降豊田電車区の編成番号は更新されており、写真の編成番号とは一致しません。

1988年12月1日、京葉線の新木場-南船橋間、市川塩浜-西船橋間が開通し、武蔵野線の西船橋-南船橋間、および西船橋-新木場間への直通運転が開始され、京葉線に合わせて武蔵野線車両へのATS-Pの搭載がなされました。1990年3月10日には京葉線が東京駅まで開業し、武蔵野線も東京駅まで延長運転されるようになりました。1991年10月からは103系初期車の代替、冷房化推進のため205系8連5本が投入されました。ただ、駅ホームの延長工事の関係などから当初は6連で使用され、同年12月から8連化されました。このとき103系の15本8連化されました。


150830新小平駅 新秋津方面  東村山トンネル

150830_20220119151201西国分寺方面 小平トンネル
1991年10月の冠水事故後、架線梁が両側の壁を抑え込むように設置されています。

ちょうどこの頃、1991年10月11日夜のことですが折から接近していた台風21号による豪雨で新小平駅の地下水圧が上昇、駅が水没する事態となりました。府中本町-西国分寺、新秋津以東での折り返し運転となりましたが、2か月後の12月12日から営業運転を再開することができました。103系がすべて8連化されたのは1996年12月1日のダイヤ改正からでした。

103-7-050227 2005/2/27 ケヨE7編成 クハ140+M'M-444/289+M'M-820/664+M'M-268/144+クハ141
明日以降の記事で触れますが、2004年3月13日付で武蔵野線用103系214両、205系102両が豊田区から京葉電車区に転属しました。

103-34-011231 103-34-030321 2003/3/21 府中本町 ケヨE34編成 クハ-637+M'M-352/197+M'M-360/205+T-247+クモハ-146

この頃のクモハ103はATS-P取り付けのため、-139以外は運行窓が埋められていました。

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2022年1月19日 (水)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その11 415系1500番台の増備

415系1500番台の登場で常磐線からは1960年から1965年にかけて投入された401系の廃車が急速に進みました。この時期、編成替えに伴い不足する先頭車としてクハ115-612(サハ115の先頭車化改造車)のクハ401への改造が行われ、1986年11月にクハ401-901として登場しましたが、1987年1月にはクハ401-101に改番されました。この車両も1991年6月5日付けで廃車となりました。

415-1500-2
表 JR東日本による415系1500番台の製造と車体番号

4151500-k532-060312 2006/3/12 小山 K532編成 411-1622+M'M-1522+411-1522

4151500-k534-050903 2005/9/3 いわき K534編成 411-1524+MM'-1524+411-1624    50Hz専用

4151500-k538-131120-2 2013/11/20 稲田 K538編成 411-1628+M'M-1528+411-1528  50Hz専用

民営化後、JR東日本は415系1500番台の増備を上の表のように4次に渡り続けられました。
昭和63年度予算による2編成は401系取り替え用で、荷物棚が従来のアルミ製網式からパイプ式に変更されました。平成元年度増備車では客室内の主電動機点検蓋が廃止され、静粛性の向上が図られました。さらに主変圧器に同時期に誕生した651系特急電車に装備された50Hz専用のTM24に変更しました。TM24はTM20と同じシリコン油を使用する送油風冷式ですが、3次巻線から補助電源を取る方式となっており、補助変圧器が廃止され、20%以上の軽量化か実現しました。本来なら415という系列名になじまない50Hz専用の系列に変更すべきですが、もはや国鉄ではなく九州への転属も考慮しなくて良いというJR東日本の経営方針からか、従来の番号の追番が付与されました。

4151500-4151901-030304 2003/3/4 土浦 K880編成 415-1901+MM'-1535+T-1601+411-1534+MM'-1534+411-1634

4151500-4151901-k880-030211
4151500-4151901-030211
4151500-4151901-030211-2 2003/2/11 土浦 

平成2年度下期予算では東海道線で使用されている2階建てグリーン車の普通車版の試作車が製造されました。形式は新形式のクハ415形1900番台とし、比較的混雑の少ない水戸より先頭車を2階建て方式にしたもので
(1) 211系2階建てグリーン車と同様のバスタブ構造の構体による2階建てとし、2階部は3+2人掛け、1階部は2+2人掛け、バケットタイプの固定クロスシートとし、出入り口は1300mmの両開き扉を2か所に配置。
(2) 空調装置は平屋の両車端部屋根上に設置、定員増を考慮し、サロ213に対して容量増大を図る。
編成は
クハ415-1901+MM'+サハ411-1601 を1500番台もしくは鋼鉄製415系4連に連結した8連とする。

1991年3月のダイヤ改正で運転を開始、ラッシュ直後の上野行や夕刻の通勤快速で運用を開始しました。

415-k880-0412232004/12/23  荒川沖 オールステンレスだったK880編成がMM'-1535ユニットの不調でMM'-523ユニットと交換される事態に

私の記憶ではK880編成にMM'-1535ユニットが復活することなくK880編成は終焉を迎えたと思います。

やがて2005年7月9日からはE531系が常磐線にデビューし、1995年から常磐線に登場したE501系と共に運用される予定でした。しかし、2007年3月のダイヤ改正では上野口中距離電車にグリーン車連結との方針変更があり、E501系が上野口から撤退することで415系1500番台は2017年11月16日までに全車廃車となってしまいました。ちなみに415系鋼製車500番台4連2本(507,520)1500番台(1501)がJ2009年にJR九州に譲渡されました。

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2022年1月18日 (火)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その10 415系1500番台の登場

1986年3月のダイヤ改正での常磐線中電の輸送力増強として415系が増備されることになりました。1985年1月には軽量ステンレス車体・ボルスタレス台車・界磁添加励磁式改正ブレーキ・電気指令式空気ブレーキの205系・211系が誕生しており、415系増備車でもこれらの新系列で採用された新技術が取り入れられました。
制御方式は相変わらずの抵抗制御方式でしたが
(1) 継承ステンレス車体を採用し、軽量化・保守費の低減と寿命延伸を図る。
(2) アコモデーションを改善し、客室のスペースを可能な限り拡大する。
(3) ボルスタアンカー(揺れ枕)を省略した空気ばね台車(DT50C,TR235C)を履き、乗り心地の向上とばね下重量の軽量化を図る。
(4) 補助電源装置のブラシレスMG化、CPの三相駆動化で信頼性の向上、省力化を図る。  を基本的な考え方とし、従来車との併結可能を優先したため、空気ブレーキ方式は従来車のままとされました。ロングシート車を1500番台、セミクロスシート車を1700番台としました。

構体は軽量ステンレス、前頭部はFRP製化粧キセとし、車体幅は2950mm、床面高さは211系と同じ1180mmとし、飾り帯は青23号としました。CPは従来車では1000lタイプをTc・T車に搭載していましたが1500番台では2000lタイプとT'c・T'に搭載しました。車体の軽量ステンレス化で7t車重が軽量化したため、限流値を下げて対応しています。

415-1500-1
415系1500番台 国鉄時代の製造予算と車体番号

国鉄時代には415系1500番台は1986年3月改正に向け常磐線中電増強用に8編成(1500番台のみで組成されたK525~K532編成)とK802編成7連化用にサハ411-1701が、九州地区には勝田電車区から南福岡区に転属となった500番台5編成(K513~K517)と1509~1527の13編成が投入されました。思えばこれ以降、九州地区には交直流電車の新製投入はありません。

4151500_k525_041223
2004/12/23 北小金 K525編成  411-1601+M'M-1501+411-1501

4151500-k820-0106032001/6/3 牛久~佐貫(現、龍ケ崎市)K820編成 411-1603+M'M-1503+T-1701+M'M-723+411-1503
1500番台だけで構成された7連というのは終生、見なかったように思います。

4151500-1509-121222 2012/12/22 西小倉 1509編成

民営化を控えた1986年、九州総局では415系等の塗色を一新する機運が高まり、外部色は1986年3月に勝田区から転入した500番台と同じクリーム10号とし、帯色の検討が行われました。小倉工場で現車に塗装し、鋼製車は青23号に、ステンレス車は青26号に決まったとのことです。

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2022年1月17日 (月)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その9 415系700番台の登場

1982年11月のダイヤ改正といえば、上野口では東北新幹線の本格開業・上越新幹線の開業により、在来線特急がほぼ消滅した改正でした。一方で昨日の記事にあるように常磐線では最後まで残っていた機関車牽引の客車列車が消滅した改正でもありました。
同じ改正において広島地区では列車を短編成化し、発着頻度を増やす試みがなされ、10%以上の利用客誘発に成功していました。1984年2月にダイヤ改正ではこの流れが全国の中核都市に広げられ、鹿児島本線なども15分ヘッド化された「マイタウン電車」が走るようになりました。
 常磐線の中電の混雑率は沿線の宅地開発の進捗により、1982年度には259%に達しており、1985年には筑波万博の開催も控え、編成を15両化することによる輸送力の増強、取手~土浦間のホーム延伸、土浦電留線の新設などが急ピッチで行われました。

常磐線利用者にアンケートを取ったところ、東京北局と水戸局ではロングシート、クロスシートに対する志向に大きな違いがあり、前者はロング志向が59%、セミクロス志向が33%なのに対し、後者ではロング志向47%、セミクロス志向45%でした。この結果を考慮し、基本編成7両はセミクロスシート、付属編成4両にはロングシートとする方針が決まり、100番台車と今回の記事で紹介する700番台車が7連の基本編成に組み込まれることになりました。

415-700
表 415系700番台の製造予算と車体番号

700番台の特徴は昭和58年度本予算で発注された100番台増備車を基本とするものの、基本編成の定員を増加させるため車端部をロングシートに変更しました。床面の高さは500番台の最終増備車と同様に1200mmとし、天井は平天井としました。500番台では蓄電池をモハ415に移設しましたが、700番台では100番台同様にモハ414に搭載しました。T1車(サハ411-700)にはMG・CPを搭載しました。1984年12月から1985年2月にかけ、日本車両、日立製作所、東急車両にてモハ23ユニット、サハ16両が落成し、すべて勝田電車区に配置されました。

いろいろな時期の編成表を見ると700番台は、7連に組み込まれるだけではなく、K500番台のように100番台のクハと4連を組んだり、403系編成のクハとして誕生した51~90のクハ401と編成を組んだり、方向転換されたクハ401-51とサハ411-707改造のクハ411-701と4連を組んだりしました。

415-k903-020817 2002/8/17 北小金 K903編成 7連奥から クハ411-73+MM'-701+T-701+MM'(403)-12+411-74

415-k502-050618 2005/6/18 南柏 K502編成 4連 411-102+MM'-704+411-202

415-k518-070218 2007/2/18 荒川沖~ひたち野うしく間 K518編成 手前から 411-53+MM'-718+411-54
403系編成のクハはAU712、モハユニットはAU75E

415-k522-050409 2005/4/9 松戸 K522編成 411-701+MM'-707+411-51
最後尾のクハ411-701は1989年に郡山工場でサハ411-707を改造したもので、415系では唯一の先頭車化改造車でした。奇数向きクハのためMGは撤去されましたが、風道跡は残されていました。反対側のクハは403系トップナンバー編成のクハ401-51で1979年3月の踏切事故で相棒の-52を失い、自身、方向転換され偶数向きとなり、MG搭載、冷房改造され、4両の中で唯一AU712を積み、常磐線から415系鋼製車が撤退するときまで活躍し続けました。

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2022年1月14日 (金)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その8 415系500番台の登場

1961年5月から続々と落成した401系第1次量産車も1970年代後半に入ると陳腐化・老朽化が激しくなり、主変圧器にPCBが使用されていることもあり、早期の置き換えが必要になってきました。この頃、常磐線中電のラッシュ時の混雑は乗車率が250%に達しており、国鉄内部では経営効率の面からも401系の置き換え車両はロングシート化し、少しでも乗車定員を増やすべきだという考えが大勢を占めてきました。

415系500番台はこういった背景の下、
(1) 従来車の車体構造を踏襲し、運転室、側出入り口、側窓などの割り付けは100番台と同一にし、経年劣化対策として屋根はポリウレタン系樹脂を塗装する、外板腰下部約400mmをステンレス化、側出入り口部の連続溶接化等、113系や115系で実施された改良を施しました。
(2) ロングシートの形状を奥行きを深くし、座面高さを下げ掛け心地の改善を図りました。室内の配色もクリーム色を基調に腰掛モケットはロームブラウンを基調とし、イメージチェンジを図りました。
(3) 押し込み式通風器もFRP製とし、省力化、腐食防止を図りました。
(4) 台車はロングシート化に伴う荷重増加を考慮し、まくらばね・軸ばねのばね定数を変更、重量軽減策としてブレーキユニットの箱を廃止しました。クハ411-500の定員136名/座席55名、クハ411-600の定員130名/座席53名、600番台の3位車端部にトイレ、4位車端部の座席は2人掛けクロスシートに。ちなみにクハ411-100番台の定員114名/座席65名、クハ411-200番台の定員112名/座席62名でした。
(5) 電動車の重量バランスをとるためにモハ414の蓄電池・付属装置をモハ415に移設しました。これにより約1tの重量が軽減されました。

塗屋根化はこの頃に登場した旅客車両ではよく目にしました。従来、直流・交直流電車の屋根には絶縁屋根布が使用されていましたが、はく離した部分から雨水が侵入し、腐食するといった欠点がありました。塗屋根方式はポリウレタン樹脂を重ね塗りした後、珪砂を付着させたもので、価格面・重量面ではやや不利なものの、腐食防止には優れた効果を発揮したため、185系で試験的に採用、後の新形式車、増備車、特別保全工事車に採用され広まってゆきました。 

415-k801-060108

2006/1/8 荒川沖 K801編成 手前から411-601+M'M501+T-705+M'M-705+411-501

415500

表 415系500番台 製造予算と車体番号

500番台は上記の表のように5次に分けて24編成、96両が製造されましたが、1次の9編成は401系1次量産車の置き換え用でした。
2次の3編成は1982年11月のダイヤ改正で上野口に残っていたローカル客車列車の置き換え用でした。このグループから冷房装置がAU75Gとなりました。

221レ 上野  555   仙台 1402
223レ 上野 1236 仙台 2132
425レ 上野 1513 平   1952

422レ  浪江  600   上野 1136
424レ    平  1110  上野 1600
426レ  平  1655  上野 2145        1981年10月の時刻表データから
             今では信じられませんが、この時代、北千住と柏は大半の普通客車列車が通過していました。

Ef80-2-000000 撮影時期不明 日暮里 EF80 2による推進回送

Ef80-11-000000 撮影時期不明 EF80 11による推進回送

Ef80-13-223 撮影時期不明 上野 EF80 13 223レ発車待ち 

当時の常磐線上野口にはEF80牽引の普通客車列車が上記のように3往復残っており、私も土曜日半ドンの午後などはよく上野駅に寄り道して撮影したものでした。

415-k806-060208

2006/2/8 水戸 K806編成 411-506+MM'-1522+T-706+MM'-506+411-606

第3次の4編成は常磐線中電輸送力増強用で、このグループからクリーム色10号に青20号の帯入りの外部塗色での出場となりました。第4次は1984年2月ダイヤ改正と401系置き換え用で、この予算で昨日の100番台最終グループが発注されています。
最後の第5次は主変圧器が自然冷却方式に、整流器が自走風冷式のRS40になり、プラットホームとの段差を小さくするため床厚を70㎜から45㎜に変更することで床面高さを1200mmとしました。天井も平天井となりました。循環式汚物処理装置が新製時から取り付けられたのもこのグループからでした。

415-k620-050905 2005/9/5   馬橋  K620編成 411-520+MM'-520+411-620

415-k817-050618

2005/6/18 K817編成 411-622+M'M-522+T-2+M'M-127+411-522

編成記号の推移と廃車

1986年       K501~K524 K513~K517は南福岡へ転属となり、50Hz/60Hz共用の効果が発揮されました。

415-fm513-041017 415-fm513-041017-2 2004/10/17 門司 勝田に新製配置後、2年で南福岡に転属となったFm513編成 現在はFK513~FK517とFK520編成として鹿児島車両センターに配置

1993年   7連グループ
                 K801~K812  700番台MM'Tを挟んで
        K816,  K817    100番台MM',0番台Tを奇数側に挟んで 
        K818,  K819    700番台MM',0番台Tを奇数側に挟んで 
                 4連グループ      K618(518), K620(520)  
1997年、2002年変化なし

2004年   519が K614 4連に K814は709MM'Tに

2007年   7連グループ
       K801,K802,K804-K809 MM'Tメンバーが一部変化
         510は K810 とK910に
        K811,K812, K813(518), K814(519), K816(521), K817(522), K818(523),K819(524)
                4連グループ K603(503), K620(520)

2008年   12/24 -507, -520 JR九州へ転籍
     
E531系の導入で勝田の415系500番台は2008年6月末までに全廃されています。

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2022年1月13日 (木)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その7 415系100番台の登場

1977年115系1000番台で導入されたシートピッチ拡大は好評を持って受け入れられ、401系や421系量産先行車の取り替え時期も迫ってきていたことから、1978年10月のダイヤ改正では415系にもシートピッチを急行電車と同じ1490mmに拡大する設計変更が行われました。さらにこれまでは奇数・偶数向きクハにトイレが設置されていましたが、0’番台からクハの向きが固定されたのに合わせて、奇数向きをクハ411-100番台、偶数向きをクハ411-200番台とし、MG,CPそしてトイレは偶数向きクハに装備としました。トイレはFRPユニット式になり、窓も113系同様の横長タイプとなりました。

415100_20220112081001

415系100番台の製造予算と車体番号

シートピッチ拡大版の100番台車は1978年9月から1980年9月までの間に日立製作所、東急車両で26編成、計104両が落成しました。勝田電車区には101,102、113~116、121までの編成が配置され、九州では今回初めて大分電車区にも配置されました(103、117~120)。尚、121編成は1979年3月の常磐線事故で廃車となった403系の補充用です。

415-k513-030308 2003/3/8 滑川 K513編成 411-113+MM'-113+411-213

415-k514-050503 2005/5/3 荒川沖 K514編成 411-114+MM'-114+411-214

約4年のブランクを置いて、1983年、昭和58年度本予算により、モハ2ユニット(127・128)、サハ411が4両発注されました。この頃はすでに明日以降の記事で登場する500番台車の製造に移行していましたが、この8両は常磐線中電15両化に向けたセミクロスシート車で、500番台同様の設計変更がなされ、室内かクリーム色、腰掛モケットはロームブラウン基調、屋根は塗屋根、通風機はFRP製となりました。サハは将来15両化時に7両編成への組み込みを前提に製造され、MG/CP装備でしたが、製造時点(1984/3)では4両ユニットからなる8両に組み込まれ、MGが過剰となるので411-1と3の奇数番号車は取り付け準備工事車として落成しました。

415-t4111-050903-2 2005/9/3 いわき サハ411-1
ベンチレーターの形態が403系最終編成~415系0・0’番台と維持されてきた形態から変化しています。

編成記号の推移と廃車

1979年 K1 101 K2 102 4連 それまで量産先行2編成が付けていた編成番号
     K56~K59 113~116 4連
1986年 7連グループ
   K801   401-69+MM'-128+T-4+MM'403-10+401-70
        K804   401-73+MM'-127+T-2+MM'403-15+401-74
        K805   401-81+MM'-717+T-1+MM'403-16+401-82
        K812   411-307+MM'-719+T-3+MM'-4+411-308
        K819  411-101+MM'-703+T-703+MM'-101+411-201
        K820   411-102+MM'-704+T-704+MM'-102+411-202
        K823   411-115+MM'-714+T-714+MM'-115+411-215
        K824   411-116+MM'-715+T-715+MM'-116+411-216
        K821   411-113+MM'-113+411-213+MM'-720+401-58
        K822   411-114+MM'-114+411-214+MM'-722+401-76
        K825   411-121+MM'-121+411-221+MM'-721+401-66

1993年 7連グループ 
        K816 411-521+MM'-128+T-4+MM'-521+411-621
        K817  411-522+MM'-127+T-2+MM'-522+411-622
        K818  411-523+MM'-717+T-1+MM'-523+411-623
        K819  411-524+MM'-719+T-3+MM'-524+411-624
        K919  411-303+MM'-2+T-704+MM'-102+411-304
        4連グループ 
        K511 101 K513 113 K514 114 K515 115 K516 116 K517 121

1997,2002,2004 変化なし   

2005年   -101 2005/8/25 廃車
2006年 -102  2006/6/23 廃車

2007年 K816  7連 411-521+MM'-128+T-4+MM'-113+411-621
            K817 7連  411-522+MM'-127+T-2+MM'-522+411-622
            K818 7連   411-523+MM'403-16+T-1+MM'-523+411-623
            K819 7連  411-524+MM'-719+T-3+MM'-524+411-624
           4連グループ K514 114 K515 115 K516 116 K517 121
           
           -127、T-2  2007/12/17 廃車
           -114,-121  2007/12/24 廃車
2008    -113, -128  T-4 2008/1/7 廃車
     T-3 2008/2/4 廃車   
          -116、T-1  2008/3/10 廃車
          -115  2008/4/28 廃車

E531系の導入・置き換えの時期に勝田の100番台車は廃車されました。

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2022年1月12日 (水)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その6 415系の登場

403系のときもそうでしたが、415系は常磐線の401・403系や九州に導入された421・423系にとってやむに已まれぬ必要性からの導入ではなく、1968年当時、それまで周波数別に対応していた主変圧器が50Hz/60Hz共用となり、まず特急電車において485系、583系が登場、1969年には急行用457系が登場、近郊形もこの流れで行こうというものでした。1971年4月の常磐線綾瀬~我孫子間複々線化によるダイヤ改正で常磐線中電が増発されることになり、415系はこのタイミングで登場しました。

4150
表 415系0番台の製造予算と車体番号

主変圧器は50Hz/60Hz共用のTM14となりましたが、主回路システムはCS12・MT54の主制御器・主電動機が踏襲され、定格速度・最高速度などの性能は同じでした。クハは411形となり、300番台が与えられました。これはクハ401-1~90、クハ421-1~106をそれぞれ将来、クハ411-0番台(411-1~90)、クハ411-100番台(411-101-206)に改番するつもりだったとのことです。しかし、現実にはこの改番は実行されず、後年登場する増備車に使用されることになりました。

415-401301-850418-2

415-850418-2
1985/4/18 上野 K809編成 411-301+MM'-713+T-713+MM'-1+411-302 トップナンバーを含む編成 
415系0、0'番台が7連に組み込まれていた時代 すでに冷房改造はされていますが、まだ前照灯はデカ目でした。 

415系0番台は表のように6次に分かれて製造されていますが、1次~3次が常磐線の増発用(上記の1971年4月の常磐線綾瀬~我孫子間複々線化によるダイヤ改正と1975年3月のダイヤ改正に向けた増発用)、4次~6次が九州地区の輸送力増強用で、前者は勝田電車区、後者は南福岡電車区に新製配置されました。1次車は403系最終増備編成同様に白熱灯(デカ目)、非冷房、押し込み式通風機でしたが、3年ぶりに増備された2次車は冷房装置付き、側窓のユニット窓化、防火対策済み(1972年11月の北陸トンネルの事故の教訓から)、運転室のスペース拡大・仕切り窓の小型化、前照灯のシールドビーム化、MGはM車からT'c車に移動し、20kVAから160kVAに、当時カネミ油症事件でPCBが社会問題化しており、PCBを使用した主変圧器TM14に代わりPCBを使用しないTM20としました。数多くの設計変更があったため、モハユニット-4以降、クハ-307以降の編成を0’番台とする文献もあります。わたしもこの点はこれに倣いたく思います。

415-801115 1980/11/15 鶯谷 ローズピンク時代の415系0'番台

 さらに1974年5月4日15次23分頃、鹿児島本線古賀~筑前新宮(現、福工大前)間の無番額踏切で発生した踏切事故:大型トラックがエンストによる立ち往生したところに南福岡発門司港行き特別快速電車が衝突、先頭車が脱線大破、したためクハ421-43同年6月8日付で廃車となり、その代替としてクハ411-335が製造されました。-43が組み込まれていたA22編成は当時、非冷房編成であったため、-335も0’番台では唯一、冷房工事準備車として落成し、A22編成に組み込まれました。

1975年3月新幹線博多開業のダイヤ改正では常磐線中電増発用と異常時特発用という名目で415系0'番台が増備されていますが、異常時特発用とは1973年3月13日朝のラッシュ時間帯に発生した「上尾事件」の教訓から列車遅延時に特発用可能な編成を確保したもので、尾久に1編成が留置されるようになりました。

非冷房で落成した415系0番台3編成の冷房改造は1977年3月から8月にかけ郡山工場で施工されました。また九州のクハ411-335に関しては1983年3月、他のA22編成メンバーとともに小倉工場で施工されました。

415-k919-020427-2 2002/4/27 北小金 919編成 411-304+M'M-102+T-704+M'M-2+411-303

415-k505-030308 2003/3/8 日立 K505編成 411-309+MM'-5+411-310

415系0番台、0’番台の編成番号の推移をみると
1979年 K46~K55 10編成とも4連グループ
1986年 K809~K818 10編成とも700番台 サハ411との7連グループ
1993年 MM'-2のみ K919 100番台 サハ704 との7連、他はK501、K503~K510 4連グループ

415-k510-020429 2002/4/29 土浦 常磐線電化40周年記念で旧塗色になったK510編成 411-320+M'M-10+411-319

この後、2005年から廃車が始まり、
-2 2005/7/11 
-3 2005/10/15 
-10 2006/7/20 
-7 2007/2/3 
-5 2007/10/15 と403系の一部より先に廃車され

2007年 K918 Tc-309+MM'-723+T-1701+MM'-5+T'c-310
            K910 Tc-313+MM'-7+T'c-314+MM'-510+T'c-610
            K601(Tc-301+MM'-1+T'c-320の4連) K504, K506, K508, K509 4連グループ
           (2007年の編成表データには一部重複があります)

-4 2007/10/15
-8 2007/11/26
-1 2008/3/17
-9 2008/2/18
-6 2008/4/28  と残った編成も廃車となりました。

この時点では403系由来の編成も大多数廃車されましたが、なんと1979年3月の事故で相棒を失い、自身方向転換されたクハ401-51はまだ生き残っており、同車が廃車になったのは2008年7月14日のことでした。

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2022年1月11日 (火)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その5 403系を含む編成の組み換えと冷房化

常磐線における401系、403系の増備の過程をみていると401系が1960年8月から1966年2月までに落成、403系は1966年7月から1968年12月までに落成していますが、1987年3月末の国鉄民営化という大きな区切りで見た場合、前者は最後の2ユニット残して(MM'-26/7も含め)、冷房改造されることなく廃車されたのに対し、後者は国鉄時代から冷房改造が開始され、国鉄時代にTc85/86+MM'18のK43編成から始まり、電動車ユニット11組、クハ31両が冷房改造されています。

電動車ユニットを個別にみると
-1は前述のように1979年3月の事故でモハ402が廃車、モハ403-1は1980年4月26日付でモハ401-26に改造、改番され、モハ400-7とユニットを組みました。
-2は1990年8月24日に、-3は1991年7月8日に、-4は1992年2月1日、-5は1991年2月25日に、-6は1992年4月2日に、-8は1992年5月1日、-13は1990年10月1日、-14は1992年7月1日にそれぞれ廃車となっており、これらは冷房改造されることなく廃車になりました。これらは1986年11月の時点で4連を組んでいたグループでこれらの中から-7だけが残されました。

415-860816-2 1986/8/16 荒川沖 ベンチレーターの形態から7連に組み込まれた403系編成で、上野より先頭車運転席後部窓は機器の設置で塞がれています。また先頭の大型箱型通風機はグローブタイプに変更されています。

415-870331-2 1987/3/31 荒川沖 国鉄最後の日の写真ですが、上野よりクハが非冷房でペアとなるクハが抜かれた3連が別の4連と併結された7連は当時、K808, K821, K822, K825 編成の4本でした。

国鉄時代の冷房改造工事は非冷房で落成した415系0番台から開始され、屋根上にAU75系列集中式冷房装置が取り付けられ、冷房電源と制御・補助電源兼用の160kVAMGと付属装置が偶数向きTc車に取り付けられ、M車の20kVAMGを廃止し、補助変圧器が新設されました。冷房電源用三相引き通し線が追設され、Tc車は片ワタリとなり、偶数向きTc車運転士席後部の客室に冷房配電盤などの機器箱が張り出して設置されました。運転室後部側窓も埋め込まれました。
この工事と並行して急行用電車と振替工事が行われていた主整流器がRS22Aにも振り返られました。
冷房の容量は42000kcal/h1台で扇風機の設置はありませんでした。

415-40154-050903 2005/9/3 いわき K518編成 クハ401-54 国鉄時代はK808編成で非冷房のクハでしたが、JR東日本により冷房化されました。箱型押し込み通風機は残されています。

415-40176-k521-030308-2 2003/3/8 滑川 K521編成 クハ401-76でJR東日本により冷房化されました。

民営化後、JR東日本は1987年度サハ103で試行したAU712分散式冷房装置による冷房化を1988年下期からの改造に適用しました。冷房電源は従来通り偶数向きTc車に160kVAMGが搭載されました。AU712で冷房改造されたクハは51, 53, 54, 55, 57, 58, 66, 67, 68, 76, 77でした。51は方向転換もされています。

415-k562-0302112003/2/11 荒川沖 K562編成 クハ401-67+モハ403-9ともにAU712の編成 モハ403-9は唯一、AU712により冷房化されたモハ403形となりました。

これらによって1992年夏期には常磐線中電の冷房化率100%が達成されました。

403系を含む編成の変遷を見ると1979年の編成表ではK26からK45まで403系として落成した通り、4連でした。1979年3月の事故で-1ユニットが壊れ、1986年11月の編成表では-10,-12, -15,-16, -17, -18が7連の偶数よりに、-11,-19が7連の奇数よりに組み込まれました。7連の両端クハは403ユニットを含む編成はすべてクハ401でした。残りは4連でした。ただ、クハとモハの番号の組み合わせは製造当時の関係とは大きく崩れていました。1993年の編成表では冒頭で既述したようにすでにいくつかのユニットが廃車され-12ユニットのみがK903の7連に残り、あとは4連になっています。このときの4連におけるクハとモハの番号関係は製造時の関係に戻っていました。
常磐線15連化にむけて7連に組み替えた際にクハが1両不足するため、クハ115-612(旧サハ115-2)を交直両用化改造しクハ401形に編入しました。1986年に大宮工場で改造、当初は401-901でしたが、1987年1月-101に改番されました。常磐線ではTc401-47MM'-24の上野方に連結されK568編成となっていました。冷房改造されることなく1991年に廃車となりました。

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2022年1月10日 (月)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その4 出力増強タイプ403系の登場

国鉄の電化の進展に伴い、中距離電車も25‰の連続勾配線区へ進出するようになりました。そうなると均衡速度を維持するために電動車比率を上げなくてはゆかなくなり、電動車比率をあくまで半々に抑えたうえでこういった線区を運転するために開発されたモーターがMT46に替わるMT54でした。このモーターを搭載し、ノッチ戻しと抑速発電ブレーキを付加した系列として115系1962年度に登場、さらに111系の出力増強版として1963年度に登場したのが113系でした。
交直両用車においても標準化の見地から出力増強版が登場する流れとなりましたが、1964年11月の関門連絡線の廃止に伴う関門ローカル増発の機会に1965年1月423系が先に登場しました(昭和39年度早期債務で1編成)。

403
403系を含む編成 予算と車体番号の関係
415-m40317-821-050903 2005/9/3 荒川沖 このユニットは昭和41年度本予算で発注され、東急車両で落成、1967/2/20落成、編成組み換え後は7連K806編成に入っており、両端クハは廃車までデカ目だったクハ401-83,84でした。2か月弱後の11/1付けで廃車となっています。

 403系編成は423系に遅れること1年半の1966年7月に4編成(昭和40年度第2次債務)が登場しました。クハは401の続き番号(51から58)でしたが、前より通風機が箱型に変更され、運転室の通風効果改善を狙ったこと、台車がディスクブレーキ方式のTR62になったことが変化でした。モハは主電動機の出力増大に伴い、主制御器・主抵抗器などの主回路機器の容量がアップされ、主変圧器・主整流器などの交流機器も当時の交直流電車用標準形式のTM10、RS22が使用されました。台枠機器配置も他系列(455系、475系)と共通化され、直流避雷器も移設されました。
 423系に較べると403系の増備機会は少なく、昭和41年度本予算にて15編成が発注され、上野口の客車列車置き換え用に投入、1967年1月から2月にかけ落成しました。これらは同年3月の水戸線電化開業関係でした。403系最後の1編成は昭和43年度本予算で発注され、1968年12月に落成しました。このときの編成は415系編成への過渡期の特徴が見られ、ベンチレーターはグローブタイプから押し込み式となり、車内ではボックスシートの掴み手の形態が半丸状から角形状に変更され、出入り扉の車内側がステンレス製になりました。車体側面のサボ差しの位置も421系、423系と同じ中央扉脇とし、号車札差しと急行札差しが追加されました。

415-k561-030211-2 2003/2/11 小山 403系ユニットラストナンバーを含むクハ401-89/90編成 ベンチレーターがすべて押し込みタイプに 冷房改造は国鉄時代に行われました。

403系編成で忘れてはいけないのが、1979年3月29日15時05分頃、鹿島街道踏切で警報機を無視して進入したダンプカーに平発上野行き普通482M(403系K26編成など12両)が衝突、ダンプカーが大破、電車は1両目が前部を大破し,70m暴走した後、脱線、進行方向左側約2m下に転覆、2両目以下も約200m暴走し、2両目が脱線。ダンプカーの運転手が死亡、乗客57人と電車運転手が負傷しました。

 この事故で架線が切断されたため、取手~友部間が翌日10時30分ごろまで運休となりました。K26編成の上野方先頭車クハ401-52と2両目モハ402-1が廃車となりました。K26編成は1966年7月2日、東急車両で落成した編成で車齢は13年弱でした。廃車補充用として昭和54年度本予算で1編成4両が発注されましたが、損傷が軽微だったモハ403-1とクハ401-51はK7編成のクハ401-13とモハ401-7を老朽廃車として残ったモハ400-7、クハ401-14と編成を組むことにしました。その際にモハ403-1は主電動機をMT46Bに交換する改造が行われ、モハ401形の追番でモハ401-26となりました。

401系を電動車とする編成とは異なり、403系を電動車とする編成は冷房改造の対象となり、415系0番台編成に続き、昭和54年度から冷房改造工事が始まりました。国鉄時代の冷房改造工事は403系編成に関しては九州の423系編成とは異なり、AU75集中式のみが搭載されました。これらの詳細に関しては、明日以降の記事で触れます。

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2022年1月 7日 (金)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その3 サヤ420について

昨日の記事の冒頭で今回は九州の421系・423系については触れないとしましたが、一点だけ、サヤ420について触れておこうと思います。

1964年10月1日、東京オリンピックの開催を前に東海道新幹線が開業、1962年末頃から東海道本線等で活躍する特急「こだま」形151系の転用が問題となりました。京阪神と博多を結ぶ特急列車として当初は交直両用化改造が検討されましたが、改造工事に半年以上かかることから断念し、本格的な交直両用特急車両481系登場までのつなぎとして機関車+電源車+151系といった形態で下関~博多間を運転することに決定しました。151系は山陽本線に転用予定の10編成から6編成を改造し、電源車は481系登場時にモハ420に転用するということでサヤ420形式職用交直流付随車1964年7月に登場しました。151系の改造は松任工場が担当し、改造を終えた編成はステンレス製のナンバープレートを赤く塗って区別しました。

モハ420からの変更点は
1) 保安上乗務員が添乗するための操作室のために仕切りと開戸を追設、前位寄り側引き戸に手動用取っ手を追設
2) 台車はDT21Bから付随用輪軸に変更したDT21Zに、パンタグラフは下関駅停車時の集電容量を考慮し、スリ板3枚のPS16Fに変更
3) 台枠機器配置では主平滑リアクトル、MGを撤去し、CPを取り付け、補助電源用MGと関係機器を客室内に設置、MG用平滑リアクトル冷却風取り入れのため、後位よりに整風版、後位貫通扉に排風口を設け、機関車・151系との連結に自動連結器を取り付け

特急「つばめ」「はと」の2往復の博多乗り入れとなり、当時の時刻では
1M つばめ 新大阪1220~下関2006/2011~門司2019/2024~博多2130
3M はと  新大阪1330~下関2121/2126~門司2134/2139~博多2245
2M はと  博多710~門司817/822~下関831/836~新大阪1630
4M つばめ 博多845~門司952/957~下関1005/1010~新大阪1812    でした。

サヤ420は予備車も含め3両が川崎重工で新製されました。下関ではEF30+サヤ420の連結・開放、門司ではEF30からED73への機関車交換が行われました。1965年10月、熊本電化で481系が登場、山陽・九州特急に投入され、151系は181系に改造、山陽特急となり、電源車サヤ420は1年間の使命を終えました。
1) 客室の操作室の撤去・連結器の密着連結器化
2) 主電動機・主平滑リアクトル・MGの取り付け、補機MG、CPの撤去といった改造がなされ、モハ420-21~23となり、昭和40年度民有予算で製造された、日立製作所製のモハ421-21~23とユニットを組み営業運転に就きました。

421-750305-b 1975/3/5 下関 大分電車区 F33編成 1979年の編成表データでは大分のF14~F20、F31~F33が421系ユニットを電動車とする編成で写真のF33編成はMM'-23を電動車とする編成と思われます。
F31~F33編成のクハは61~66で、昭和40年度民有で製造された車両で、既にクハ421-41から423系が電動車となっていましたが、サヤ420のモハ420化改造のため、この6両はモハ421/420ユニットが電動車として組み込まれました。

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2022年1月 6日 (木)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その2 高運転台クハの登場

タイトルには九州の421,423系も入っていますが、421系、423系については2012年12月17日からの記事で触れているので、今回は常磐線の401系、403系、415系について触れてゆくつもりです。

昭和36年度第1次債務で製造されたクハ401-23以降は前頭部デザインがクハ153形500番台と同様に踏切事故対策として高窓スタイルに変更となりました。この予算で増備された7編成は、1962年4月のダイヤ改正で客車列車を置き換え、電車列車の増発用となりました。架線電圧検知器が設置されたのもこのときからでしたが、当初は準備工事の状態で後に設置され、かつ台座の形も直方体状から円錐状に変化しました。

40143-edit 撮影時期不明 尾久 クハ401-43 1962/9/11 昭和37年度民有予算で日立製作所にて落成 1987/2/5 廃車
雨樋は乗務員室扉までは伸びておらず、ベンチレーターは全てグローブタイプ

415-4 1986年頃 石岡~高浜間 非冷房編成、雨樋が乗務員室ドアまでかかっておらず、ベンチレーターもグローブタイプ

昭和37年度民有で製造された5編成は1962年10月の高萩電化用の増備でした。このときに登場した編成(クハでは37以降)からは401系、421系ともに前頭部窓下のクリーム色がクリーム色4号となり、クハ401形のおでこの帯も省略されるようになりました。このときに451系を使用した電車準急「ときわ」が1往復登場しました。

415-401-edit 1983年頃 上野駅高架ホーム 47番以降のクハは113系や115系で見られたように雨樋が延長され、最前部のベンチレーターが押し込み式に、台車もディスクブレーキ方式のTR62に変更となりました。 

415-3 1986年頃 石岡~高浜間 

415-401-911103 1991/11/3 水戸

高萩電化のダイヤ改正で、上野口の通勤列車も増発され、中距離電車の北千住停車が開始されました。1963年5月には高萩~平(現、いわき)までの電化が開業しました。1963年9月には電化は草野まで延伸、1963年10月のダイヤ改正では451系が増備され、ディーゼル準急「ときわ」の大半が電車化されました。

401

昭和40年度民有は401系の最終増備となり、このときに組み込まれた主電動機は新品ではなく151系181系化改造で発生したMT46を流用したものでした。
中間に401系電動車を挟んだ編成は全部で25編成となり、今では当たり前ですが当時としては珍しい編成番号がK1からK25まで付番され、1978年11月のK1,K2編成の廃車、さらに1979年3月29日に発生した踏切事故によるK26編成の一部廃車までは編成の内容が変化することなく推移しました。
401系編成、特にモハ401/400ユニットに関しては冷房改造はなされず、1962年9月落成の-22,-23までのユニットはJR東日本には継承されず、1985年度までに全廃となり、1966年2月落成の-23,-24の2ユニットのみJR東日本に継承されましたが、1990年度に廃車となりました。1979年3月の事故廃車でモハ403-1から改造された-26ユニットも1985年度中に廃車となり、JR東日本には継承されませんでした。

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2022年1月 5日 (水)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その1 交直両用電車の誕生

国鉄は動力近代化の一環として主要幹線の電化を進めましたが、従来の直流1500Vによる電化方式に較べ、商用周波数50/60Hzによる交流電化方式の方が地上設備にかかる費用が安価であることを1957年の仙山線での交流電化試験の結果から確認しました。これを受け、1957年10月、北陸本線の田村~敦賀間が交流20kV60Hzで、1959年7月には東北本線黒磯~白河間が交流20kV50Hzで電化され、常磐線と鹿児島本線も交流方式での電化が計画されました。
 北陸本線や東北本線の場合は蒸気機関車による客車・貨物列車の牽引が交流電気機関車に置き換えられましたが、常磐線や鹿児島本線の場合は都市間輸送となり、電車によるフリークエント・サービスが求められ、かつ首都圏や下関以東の既設直流電化区間との直通運転を行うため交直両用車両であることが必須となりました。
 わが国における交直両用電車の開発はクモハ73形買収国電クハ5900形を改造した491系試作電車2編成(当初はモハ73050+クハ5900、モハ73034+クハ5901、1959年の称号改正でクモヤ490-2+クヤ490-1、クモヤ490-12+クヤ490-11)により1958年から開始されました。クヤに設置されたパンタグラフから交流20kVを取り込み、主変圧器にて1500Vに降圧、整流装置を経て、直流に変換し、クモヤに供給する方式でクモヤは通常の直流電車でした。クヤが変電所の役割を担っており、システムは1955年に登場したED45の方式でした。クヤ490-1には三菱製変圧器とイグナイトロン整流器、クヤ490-11には日立製変圧器とエキサイトロン整流器が搭載され、比較試験が行われました。どちらも水銀整流器で巨大な真空管(二極管)のような構造で予熱が必要だったり、水銀が振動で飛散し、整流がうまくゆかなかったり、バックファイヤーと称するアークが発生するなど取り扱いが難しく1959年にシリコン整流器が登場するとその方式に改造されました。もっとも、半導体方式の整流器においてもシリコンが定着するまでの間、ゲルマニウムやセレンによる方式が試験され、耐電圧性、熱容量の大きさ、スペースの問題などから最終的にシリコンになりました、シリコン整流器も初期の素子は1日の試験終了時にパンクしているケースがしばしばありました。
 491系試作交直流電車の成果とシリコン整流器の実用化により、1961年の常磐線、鹿児島本線の交流電化に備え、1960年401系、421系電車4両編成各2本が製造されました(量産先行車)。401系は同年 8月に落成、同年12月には421系が落成し、主変圧器の形式名が401系ではTM2,421系ではTM3、主整流器が401系ではRS1(日立),RS2(東芝),421系ではRS3(富士),RS4(三菱)と命名され搭載されました。車体は70系を近代化させた3扉セミクロスシートの座席配置とし、TcMM'Tcの4両ユニットを組み合わせ,4/8/12両編成での運転が考慮されたため、前頭部は東海形スタイルの貫通形が採用されました。
 1959年の車両称号規程改正では百位が電気方式、十位が0~4近距離形,5~8中距離形とされ、交直流電車は周波数の違いで十位の数字が分けられたため、50Hz常磐線用が401系,60Hz鹿児島本線用は421系となりました。急行用の451系、471系等では付随車は451系のみとなりましたが、401系、421系では4両を基本ユニットとしたため、クハは401と421に敢えて分け、当時の新性能国電では今のJRの電車とは違い検査・修繕は1両ごとに行っていたのに対し、401系・421系は編成替えを行わない固定編成方式が採られました。
 車体塗色は交直両用電機ED46で採用された赤13号の外部色が採用され、前頭部にクリーム色1号、421系では側裾部にクリーム色2号の帯が入れられました。
 台車・駆動装置、主電動機は101系で採用されたDT21に若干の改良を加えたDT21B、付随台車にはTR64が採用され、中空軸並行カルダン式の駆動装置も同じ、歯車比は常磐線での平均駅間6.2kmから101系の5.60と153系の4.21の中間をとって4.82(17:62)とすると消費電力量や力行率などから適当であると判断し、決定されました。主電動機は脈流対策を施したMT46B、MGは大容量のMH97-DM61を搭載、4両に給電する方式とし、CPは101系、153系と同じMH80-C1000がTc車に搭載されました。ブレーキ装置は153系に準じたSED(発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ)となりました。
 主制御装置は101系、153系に採用されたCS12Aの脈流対策版CS12B、主幹制御器は401系ではMC22,421系ではMC32としました。401系の量産先行車2編成はK1,K2編成と付番され、当初は宇都宮機関区に配置され、宇都宮~白河間で運転試験が実施されました。1960年10月からは取手~神立間で地磁気観測データに与える影響の試験や性能試験が実施され、取手~藤代間に完成した交直電化接続のデッドセクションでの切換え動作失念に対応する冒進保護装置の動作試験も念入りに行われました。

AC区間からDC区間への冒進:主変圧器1次側の主回路ヒューズの溶断
DC区間からAC区間への冒進:直流避雷器が放電→交流冒進保護継電器の動作→ABB(Air Blast Circuit Breaker)開放

特に直流から交流区間に入る際の直流電圧継電器によるABBの開放には0.6秒かかることから、当初設定された直流→交流デッドセクションの長さが20mから45mに(1963年)、さらに65mに(1973年)と延長されました。

冒進試験後は電化工事の完成した神立以北の区間での試運転に使用され、営業運転開始に先立ち、第1次量産車との併結運転ができるように冒進保護装置の改良や磁気保持継電器追設などの第1次量産化改造が施工されました。

401

表 401系の製造予算と車体番号の関係

401_20220104142701

撮影年代不詳 上野高架ホーム おそらく1983年頃の写真だと思います。

登場当時のクハ401ではおでこにクリーム色の帯が巻かれていました。貫通扉の形態も153系クハ153と同様で幌の付け根の張り出しは無く、連結器の突き出しは180mmでした。165系、471・451系以降の急行形は幌の付け根が張り出し、連結器の突き出しは250mmとなっています。車体長はクハ401・421が19,570mmなのに対してクハ111は19500mmと70mm短く、運転室後部のサイズでこの分を締めています。台車中心距離は401~415系が13,800mm、111/113.115系は14,000mmとなっています。クハ111などにあるパノラミックウィンドウ後方の小窓はありません。

401-b 撮影年代不詳 鶯谷 前照灯がシールドビーム化改造された姿

401系がいわゆる低運転台スタイルで製造されたのは昭和35年度債務による第1次量産車まででクハの番号は22まででした。第1次量産車は量産先行車の試験実績に基づき交流冒進保護に直流電圧継電器の無電圧を検知しABBを開放するシステムが追加され、M車に逆流阻止用シリコン整流器の追設と、磁気保持用継電器が追加されたこと、中間連結器格納箱がTc車床下に追設されたこと等が変更点でした。これらは1960年4~5月に落成し、6月1日の取手~水戸間電化開業を迎えました。
 それまでC57形C60形蒸機が牽引していた客車列車を置き換える形で401系が常磐線電化区間(上野~水戸)間に登場したのですが、それまでの蒸機列車は水戸以北と上野を結んでおり、7往復が電車に置き換えらえたため、水戸を跨いで乗車する乗客は乗り換えを余儀なくされたこと、また蒸機列車では二等客車が10両以上連結されていたのに、3扉クロスシート8両編成となったため着席機会が減ったこと等で乗客の評判は当初、すこぶる悪かったそうです。

415-850429-2

1985/4/29 亀有 つくば万博の開催に合わせ、401/403/415系は小豆色からクリーム色10号に青20号の帯を入れた外部塗色に変更がはじまり、低運転台クハも新色となりました。

側面のサボの差し込み口の位置が401系と421系では異なり、401系では3か所の扉のうち、左側扉の脇に設置されているのに対し、421系では中央の扉の脇に設置されていました。

量産先行試作2編成は1978年11月30日付で廃車、MM'ユニット3~11までTc5~22までの編成は1986年度までに廃車されており、民営化による継承はありませんでした。

一方、試作車の491系は旅客車に改造されクモハ491・クハ490に改番され、仙山線で1965年度まで使用されました。

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2022年1月 4日 (火)

E531系 K451編成 「赤電」ラッピングを撮影に勝田まで

明けましておめでとうございます。
2012年10月に開始した拙Blogも今年で10年目に突入となりました。相変わらずのコロナ禍で再び新規感染者数が増加傾向にある今日この頃ですが、この冬もコロナに負けず頑張って行きたく思います。

さて、昨年11月にデビューした勝田車両センター操業60周年記念のE531系赤電ラッピング編成(K451)、今年1月からが品川まで顔を出すとのことですが、水戸線・常磐線限定運用のうちに是非撮影しておこうと思い、12月29日、18切符を利用して水戸方面に向かいました。当初は何の情報も無しでしたが、そういえばTwitterに情報があるかもということで、サーチすると、当日はワンマン対応車限定のA1051運用に入っていることが分かりました(運用パターンはこちらに)。

小山        水戸 勝田     高萩            いわき             原ノ町
6:14   722M     4:53
6:27   725M     8:04
          8:38   539M  9:36
         10:39    542M     9:43
                       11:10                         551M       12:38
                                                                      15:58     681M    16:28
                       18:32                                680M                        16:26
                       18:40                                691M                        21:36


新小平から武蔵野線、新松戸で常磐緩行線、柏で常磐線土浦行き、土浦で勝田行と乗り継ぐと水戸には10:28に到着できるので水戸に10:39に到着する542Mを撮影可能なことが分かりました。

Dsc07451
Dsc07453
Dsc07454
Dsc07459_20220103075301 2021/12/29 水戸
542Mとして到着、折り返しいわきまでの551MとなるK451編成

水戸駅に長時間停車する土浦からの549Mに再び乗車し、勝田までゆき、勝田駅南側の「市毛街道踏切」先から551Mを狙いました。

Dsc07471
Dsc07472 2021/12/29 水戸~勝田間 市毛街道踏切付近にて

明日以降の記事では常磐線の401系、403系、415系について振り返ってみようと思います。

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