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2022年1月17日 (月)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その9 415系700番台の登場

1982年11月のダイヤ改正といえば、上野口では東北新幹線の本格開業・上越新幹線の開業により、在来線特急がほぼ消滅した改正でした。一方で昨日の記事にあるように常磐線では最後まで残っていた機関車牽引の客車列車が消滅した改正でもありました。
同じ改正において広島地区では列車を短編成化し、発着頻度を増やす試みがなされ、10%以上の利用客誘発に成功していました。1984年2月にダイヤ改正ではこの流れが全国の中核都市に広げられ、鹿児島本線なども15分ヘッド化された「マイタウン電車」が走るようになりました。
 常磐線の中電の混雑率は沿線の宅地開発の進捗により、1982年度には259%に達しており、1985年には筑波万博の開催も控え、編成を15両化することによる輸送力の増強、取手~土浦間のホーム延伸、土浦電留線の新設などが急ピッチで行われました。

常磐線利用者にアンケートを取ったところ、東京北局と水戸局ではロングシート、クロスシートに対する志向に大きな違いがあり、前者はロング志向が59%、セミクロス志向が33%なのに対し、後者ではロング志向47%、セミクロス志向45%でした。この結果を考慮し、基本編成7両はセミクロスシート、付属編成4両にはロングシートとする方針が決まり、100番台車と今回の記事で紹介する700番台車が7連の基本編成に組み込まれることになりました。

415-700
表 415系700番台の製造予算と車体番号

700番台の特徴は昭和58年度本予算で発注された100番台増備車を基本とするものの、基本編成の定員を増加させるため車端部をロングシートに変更しました。床面の高さは500番台の最終増備車と同様に1200mmとし、天井は平天井としました。500番台では蓄電池をモハ415に移設しましたが、700番台では100番台同様にモハ414に搭載しました。T1車(サハ411-700)にはMG・CPを搭載しました。1984年12月から1985年2月にかけ、日本車両、日立製作所、東急車両にてモハ23ユニット、サハ16両が落成し、すべて勝田電車区に配置されました。

いろいろな時期の編成表を見ると700番台は、7連に組み込まれるだけではなく、K500番台のように100番台のクハと4連を組んだり、403系編成のクハとして誕生した51~90のクハ401と編成を組んだり、方向転換されたクハ401-51とサハ411-707改造のクハ411-701と4連を組んだりしました。

415-k903-020817 2002/8/17 北小金 K903編成 7連奥から クハ411-73+MM'-701+T-701+MM'(403)-12+411-74

415-k502-050618 2005/6/18 南柏 K502編成 4連 411-102+MM'-704+411-202

415-k518-070218 2007/2/18 荒川沖~ひたち野うしく間 K518編成 手前から 411-53+MM'-718+411-54
403系編成のクハはAU712、モハユニットはAU75E

415-k522-050409 2005/4/9 松戸 K522編成 411-701+MM'-707+411-51
最後尾のクハ411-701は1989年に郡山工場でサハ411-707を改造したもので、415系では唯一の先頭車化改造車でした。奇数向きクハのためMGは撤去されましたが、風道跡は残されていました。反対側のクハは403系トップナンバー編成のクハ401-51で1979年3月の踏切事故で相棒の-52を失い、自身、方向転換され偶数向きとなり、MG搭載、冷房改造され、4両の中で唯一AU712を積み、常磐線から415系鋼製車が撤退するときまで活躍し続けました。

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電車401/403/421/423/415系」カテゴリの記事

コメント

B767−281様 こんにちは。だいぶ陽がのびたようでまだ明るいです。さてこの時期の401系列ロング、セミクロス、そして今回ご紹介いただいたその中間の700番台と編成は大変バラエティーに富んで面白かったです。ただよくよく考えてみると現場の方々は苦労が多かったのではないかと推察します。これだけ様々な車種が組まれると当然検査周期もバラバラ、103系以降の電車は編成管理がほとんどだったのですがそうもいかなかったのでは、と思います。豊田電車区の極々近くにいる私は、電車区のそばを通りかかるとよくバラで留置されている電車を見ることができました。今はそういう光景はほぼ皆無、牽引車が必要なくなるのも理解できます。当時の青梅線用の旧国や101系では何が先頭に出るかな、どんな組み合わせになるかななど興味は尽きなかったです。

細井忠邦さま、こんばんは。
コメントありがとうございます。仰る通り、現在のように電車の検査・修理が一両単位、しかも電動車と付随車で周期が異なっていたころはしょっちゅう編成の組み換えが行われていましたね。わたしも小学校時代中央線の快速運用101系の編成内容をみていてそう感じました。
ただ401,403系の場合はそういった例の中で例外的に4両固定編成を守っていたので編成番号も決まっており、管理がしやすかったのでは共います。それが7連の時代になり、老朽化した401系、403系を廃車にしつつ、新しい車両を挟み込んでいった頃はさぞ大変だったと思います。
常磐線の場合、今でも踏切事故などで長期休車になる車両があり、E531系の編成の組み換えもあるようですね。

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