国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その2 高運転台クハの登場
タイトルには九州の421,423系も入っていますが、421系、423系については2012年12月17日からの記事で触れているので、今回は常磐線の401系、403系、415系について触れてゆくつもりです。
昭和36年度第1次債務で製造されたクハ401-23以降は前頭部デザインがクハ153形500番台と同様に踏切事故対策として高窓スタイルに変更となりました。この予算で増備された7編成は、1962年4月のダイヤ改正で客車列車を置き換え、電車列車の増発用となりました。架線電圧検知器が設置されたのもこのときからでしたが、当初は準備工事の状態で後に設置され、かつ台座の形も直方体状から円錐状に変化しました。
撮影時期不明 尾久 クハ401-43 1962/9/11 昭和37年度民有予算で日立製作所にて落成 1987/2/5 廃車
雨樋は乗務員室扉までは伸びておらず、ベンチレーターは全てグローブタイプ
1986年頃 石岡~高浜間 非冷房編成、雨樋が乗務員室ドアまでかかっておらず、ベンチレーターもグローブタイプ
昭和37年度民有で製造された5編成は1962年10月の高萩電化用の増備でした。このときに登場した編成(クハでは37以降)からは401系、421系ともに前頭部窓下のクリーム色がクリーム色4号となり、クハ401形のおでこの帯も省略されるようになりました。このときに451系を使用した電車準急「ときわ」が1往復登場しました。
1983年頃 上野駅高架ホーム 47番以降のクハは113系や115系で見られたように雨樋が延長され、最前部のベンチレーターが押し込み式に、台車もディスクブレーキ方式のTR62に変更となりました。
1986年頃 石岡~高浜間
1991/11/3 水戸
高萩電化のダイヤ改正で、上野口の通勤列車も増発され、中距離電車の北千住停車が開始されました。1963年5月には高萩~平(現、いわき)までの電化が開業しました。1963年9月には電化は草野まで延伸、1963年10月のダイヤ改正では451系が増備され、ディーゼル準急「ときわ」の大半が電車化されました。
昭和40年度民有は401系の最終増備となり、このときに組み込まれた主電動機は新品ではなく151系の181系化改造で発生したMT46を流用したものでした。
中間に401系電動車を挟んだ編成は全部で25編成となり、今では当たり前ですが当時としては珍しい編成番号がK1からK25まで付番され、1978年11月のK1,K2編成の廃車、さらに1979年3月29日に発生した踏切事故によるK26編成の一部廃車までは編成の内容が変化することなく推移しました。
401系編成、特にモハ401/400ユニットに関しては冷房改造はなされず、1962年9月落成の-22,-23までのユニットはJR東日本には継承されず、1985年度までに全廃となり、1966年2月落成の-23,-24の2ユニットのみJR東日本に継承されましたが、1990年度に廃車となりました。1979年3月の事故廃車でモハ403-1から改造された-26ユニットも1985年度中に廃車となり、JR東日本には継承されませんでした。
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コメント
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B767−281様 お早うございます。この記事を見せていただき101系に151系の主電動機を流用したグループがあるのは有名ですが、401系にもある初めて知りました。155系にもあるようで数の整合性を調べてみたくなりました。因みに以前から疑問に思っていることが103系3000番台は72系からの新性能化改造ですが、巷では検査体制の変更で余剰となった台車や主電動機を流用したと書かれていますが、私は同時期の103系1000番代の105系化で余ったものを使ってのではないかと思っています。話が飛びましたが401系は交直流電車のパイオニアとして貴重な存在だと思います。これも保存車がないのが残念です。
投稿: 細井忠邦 | 2022年1月 6日 (木) 10時50分
細井忠邦さま、こちらにもコメントありがとうございます。
151/161系の出力増強の際、どれだけの電動車からMT46が出されたのか、それがどのように流用されたのか、数えてみるのも楽しいですね。
モロ151 13両
モロ150 13両
モロ161 2両
モロ160 2両
モハ151 26両
モハ150 13両
モハシ150 13両
モハ161 3両
モハ160 3両 計88両ですか。
モハシから改造のクモヤ190もMT54になっているので数は同じですね。
これらから外されたMT46が如何に、他の系列に利用されたか、文献から調べるのは大変面白そうです。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2022年1月 6日 (木) 21時03分