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2022年1月28日 (金)

通勤電車シリーズ 205系 5 南武線への投入

多摩川の川原で採取した砂利を運搬する目的で川崎を起点に東京府南多摩郡稲城村までの路線として1919年5月5日付けで鉄道院に申請されたのが南武鉄道の始まりで、1920年1月29日の免許交付後、終点は立川まで延長されました。申請は上平間の村会議員秋元喜四郎が発起人代表で、免許交付後は株式会社になりますが、建設工事のための資金集めは難航しました。そんな折、浅野セメン(現在の太平洋セメント)が奥多摩から産出する石灰石の川崎の工場までの輸送ルートとして目を付け、1923年9月30日、南武鉄道株式会社の筆頭株主となりました。
1927年3月9日に川崎~登戸間、貨物線の矢向~川崎河岸間が開通、同年11月1日には登戸~大丸(現、南多摩)間、1928年12月11日には大丸 - 屋敷分(現・分倍河原)間、そして1929年12月11日に分倍河原 - 立川間を開業、全線が開通しました。1930年3月25日には支線の尻手 - 浜川崎間も開業しました。 目黒にあった競馬場の府中移転を誘致したり、稲田堤の桜や久地の梅園をPRしたのも南武鉄道の企業努力の結果だったそうです。
日中戦争から太平洋戦争に向かう時期、川崎の人口増加、軍事関連企業の集中で南武鉄道は軍需路線としての性格が強くなって行きました。さらに石灰石輸送関係から浅野財閥系の奥多摩電気鉄道、青梅電気鉄道、南武鉄道、鶴見臨港鉄道、4社間で合併も協議されますが、まず鶴見臨港鉄道が国有化され、1944年4月1日には戦時買収私鉄指定で南武鉄道が国有化されました。軍需工場が多い地域を走っている関係で南武線沿線は大戦末期連合軍機の空襲を受け、1945年11月には所属41両のうち、稼働19両という状態になりました。

79920 撮影年月日不詳 尻手 引退間近のクハ79920番台

101-830219 1983/2/19 尻手 冷房改造101系

1950年代からの高度成長期、沿線の人口は私鉄との乗換駅を中心に増加の一途をたどり、国鉄は1960年代後半に車両の6両化と全線の複線化を完了、軌道も800t貨物列車の通過に耐えられるよう強化されました。1972年から101系が投入され、1978年には旧型国電が引退しました。

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表 1989年3月からの南武線への新製投入

205系の次の新製投入先に選ばれたのは横浜線同様に輸送需要の急増著しい南武線でした。1989年3月11日のダイヤ改正を機にTcMM'MM'T'cの6両3編成が投入されました。クハは非ATC仕様でしたので、東海道・山陽緩行線用と同じ運転台背後のスペースが拡大し、仕切り部の窓も大型化されました。保安装置はATS-BとATS-Sが装備され、1990年にはATS-Pが実装されました。同年秋に4本、1990年夏から秋にかけて、7本、2本と計16編成が投入されました。

製造メーカーは川崎重工1社が担当しています。モハユニットでいうとなんと南武線に投入された車両だけでなく-231から-406まで、クハ-86から-149までは全て川崎重工で製造されています。

1991年、205系16編成の新製投入と103系編成の転入などで101系は一掃されました。1991年、205系第7編成が中央・総武緩行線用に三鷹電車区に転属となり、1993年2月には編成番号は1を開けて2~7に繰り下げられました。

205-2-091226 2009/12/26 尻手 上記のような事情から編成番号2となった南武線新製投入第1号編成

205-8-080329 2008/3/29 府中本町 第8編成

205-16-110508 2011/5/8 矢向 電留線で休息する第16編成

103-29-011231

2001/12/31 尻手 205系新製投入後、しばらくの間共存した103系

南武線の車両を受け持つ中原電車区には1987年4月1日時点で103系(6連14本)、101系(6連17本)が継承されました。同年度中に習志野区から101系9両が転入、103系6連1本が松戸区へ転出しました。1988年度に205系が新製配置され、3系列による運転体制となり、1989年度には全車冷房化が達成されました。1991年1月20日、川崎~立川間での101系運転が終了しましt。1992年度には量産が開始された209系6連1本が加わり、その後、しばらくは103系の微減が続き、2002年度、山手線のE231系500番台化の開始で205系が大量に転入し、2004年12月に103系は淘汰されました。

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コメント

B767−281様 お早うございます。南武線は沿線に親戚が住んでいたので子供の頃からよく利用した線区です。電車の移り変わりも具に観察してきました。72、73系はバラエティーに富んでとても好きでした。クハ79のお顔の観察から電車に発達を知ったのもこの線区のお陰です。205系の新車が入って時には、このような線区(失礼)に新車が入るんだ、と驚いた覚えがあります。その後の山手線を中心とした転入車も懐かしいです。あっという間にE233系が入ってことにも驚きました。噂では7連化しないと混雑緩和は難しいと。単純にサハを入れれば良いのでしょうが、今後の乗客数の推移も勘案するとどうなっていくのか注目しています。

弊社地元の鶴見線でも、かつては103系カナリア色が使用されていた事が記憶にあります。
国鉄-JR発足時代は当たり前でしたが、今、この様な画像を見ると懐かしさを感じます。
横須賀線の113系も、同様に懐かしいです。

細井忠邦さま、おはようございます。
私も以前に同じようなことを言っているかと思いますが、首都圏の国電線区には明確なヒエラルヒーがあり、山手線や中央快速線には新車が投入されても南武線や横浜線にはそういうことはないと思っていました。それが205系、E233系の投入時には代わったようですね。
最近の混雑ぶりからすると編成を伸ばすことも必要な気もします。

(株)上村工業さま、おはようございます。

普段何気なく見ている光景でも時間が経過するとどんどん変化してゆきますので、日常を記録するということが重要なことに気が付きます。かといって全てを記録するのは不可能なので、何か特定の物、事柄にテーマを絞り記録するのが後で役に立つと人生長く続けていると感じます。

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