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2022年1月10日 (月)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その4 出力増強タイプ403系の登場

国鉄の電化の進展に伴い、中距離電車も25‰の連続勾配線区へ進出するようになりました。そうなると均衡速度を維持するために電動車比率を上げなくてはゆかなくなり、電動車比率をあくまで半々に抑えたうえでこういった線区を運転するために開発されたモーターがMT46に替わるMT54でした。このモーターを搭載し、ノッチ戻しと抑速発電ブレーキを付加した系列として115系1962年度に登場、さらに111系の出力増強版として1963年度に登場したのが113系でした。
交直両用車においても標準化の見地から出力増強版が登場する流れとなりましたが、1964年11月の関門連絡線の廃止に伴う関門ローカル増発の機会に1965年1月423系が先に登場しました(昭和39年度早期債務で1編成)。

403
403系を含む編成 予算と車体番号の関係
415-m40317-821-050903 2005/9/3 荒川沖 このユニットは昭和41年度本予算で発注され、東急車両で落成、1967/2/20落成、編成組み換え後は7連K806編成に入っており、両端クハは廃車までデカ目だったクハ401-83,84でした。2か月弱後の11/1付けで廃車となっています。

 403系編成は423系に遅れること1年半の1966年7月に4編成(昭和40年度第2次債務)が登場しました。クハは401の続き番号(51から58)でしたが、前より通風機が箱型に変更され、運転室の通風効果改善を狙ったこと、台車がディスクブレーキ方式のTR62になったことが変化でした。モハは主電動機の出力増大に伴い、主制御器・主抵抗器などの主回路機器の容量がアップされ、主変圧器・主整流器などの交流機器も当時の交直流電車用標準形式のTM10、RS22が使用されました。台枠機器配置も他系列(455系、475系)と共通化され、直流避雷器も移設されました。
 423系に較べると403系の増備機会は少なく、昭和41年度本予算にて15編成が発注され、上野口の客車列車置き換え用に投入、1967年1月から2月にかけ落成しました。これらは同年3月の水戸線電化開業関係でした。403系最後の1編成は昭和43年度本予算で発注され、1968年12月に落成しました。このときの編成は415系編成への過渡期の特徴が見られ、ベンチレーターはグローブタイプから押し込み式となり、車内ではボックスシートの掴み手の形態が半丸状から角形状に変更され、出入り扉の車内側がステンレス製になりました。車体側面のサボ差しの位置も421系、423系と同じ中央扉脇とし、号車札差しと急行札差しが追加されました。

415-k561-030211-2 2003/2/11 小山 403系ユニットラストナンバーを含むクハ401-89/90編成 ベンチレーターがすべて押し込みタイプに 冷房改造は国鉄時代に行われました。

403系編成で忘れてはいけないのが、1979年3月29日15時05分頃、鹿島街道踏切で警報機を無視して進入したダンプカーに平発上野行き普通482M(403系K26編成など12両)が衝突、ダンプカーが大破、電車は1両目が前部を大破し,70m暴走した後、脱線、進行方向左側約2m下に転覆、2両目以下も約200m暴走し、2両目が脱線。ダンプカーの運転手が死亡、乗客57人と電車運転手が負傷しました。

 この事故で架線が切断されたため、取手~友部間が翌日10時30分ごろまで運休となりました。K26編成の上野方先頭車クハ401-52と2両目モハ402-1が廃車となりました。K26編成は1966年7月2日、東急車両で落成した編成で車齢は13年弱でした。廃車補充用として昭和54年度本予算で1編成4両が発注されましたが、損傷が軽微だったモハ403-1とクハ401-51はK7編成のクハ401-13とモハ401-7を老朽廃車として残ったモハ400-7、クハ401-14と編成を組むことにしました。その際にモハ403-1は主電動機をMT46Bに交換する改造が行われ、モハ401形の追番でモハ401-26となりました。

401系を電動車とする編成とは異なり、403系を電動車とする編成は冷房改造の対象となり、415系0番台編成に続き、昭和54年度から冷房改造工事が始まりました。国鉄時代の冷房改造工事は403系編成に関しては九州の423系編成とは異なり、AU75集中式のみが搭載されました。これらの詳細に関しては、明日以降の記事で触れます。

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電車401/403/421/423/415系」カテゴリの記事

コメント

B767−281様 お早うございます。クハ401−14は確か85年の筑波万博のために残った唯一の低運転台かつ前照灯が白熱灯のままと言う貴重な存在でした。当時馬橋駅によく行って401系列や九州から転用された485系赤スカートの編成を狙っていました。さてμですが、米軍基地の影響が酷いです。沖縄はつくづく気の毒、このことをもってしても基地はいらない、ましてや敵基地攻撃能力など言語道断だと思います。いつまでも自公に騙されていないで政権を変えたいところです。

細井忠邦さま、おはようございます。
連日のコメントありがとうございます。
1985年当時の常磐線といえばまさに1075年3月の改正で向日町から鹿児島に転勤した481系一族のクハが勝田に再転勤した時でしたね。わたしも前にどこかで書きましたが、佐貫駅で通過する特急「ひたち」を見て驚いたのを憶えています。あれから早いもので37年ですか。
自民党の中でも安部・高市連合が勢いを持つことだけは断固阻止したいですね。

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