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2022年1月 5日 (水)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その1 交直両用電車の誕生

国鉄は動力近代化の一環として主要幹線の電化を進めましたが、従来の直流1500Vによる電化方式に較べ、商用周波数50/60Hzによる交流電化方式の方が地上設備にかかる費用が安価であることを1957年の仙山線での交流電化試験の結果から確認しました。これを受け、1957年10月、北陸本線の田村~敦賀間が交流20kV60Hzで、1959年7月には東北本線黒磯~白河間が交流20kV50Hzで電化され、常磐線と鹿児島本線も交流方式での電化が計画されました。
 北陸本線や東北本線の場合は蒸気機関車による客車・貨物列車の牽引が交流電気機関車に置き換えられましたが、常磐線や鹿児島本線の場合は都市間輸送となり、電車によるフリークエント・サービスが求められ、かつ首都圏や下関以東の既設直流電化区間との直通運転を行うため交直両用車両であることが必須となりました。
 わが国における交直両用電車の開発はクモハ73形買収国電クハ5900形を改造した491系試作電車2編成(当初はモハ73050+クハ5900、モハ73034+クハ5901、1959年の称号改正でクモヤ490-2+クヤ490-1、クモヤ490-12+クヤ490-11)により1958年から開始されました。クヤに設置されたパンタグラフから交流20kVを取り込み、主変圧器にて1500Vに降圧、整流装置を経て、直流に変換し、クモヤに供給する方式でクモヤは通常の直流電車でした。クヤが変電所の役割を担っており、システムは1955年に登場したED45の方式でした。クヤ490-1には三菱製変圧器とイグナイトロン整流器、クヤ490-11には日立製変圧器とエキサイトロン整流器が搭載され、比較試験が行われました。どちらも水銀整流器で巨大な真空管(二極管)のような構造で予熱が必要だったり、水銀が振動で飛散し、整流がうまくゆかなかったり、バックファイヤーと称するアークが発生するなど取り扱いが難しく1959年にシリコン整流器が登場するとその方式に改造されました。もっとも、半導体方式の整流器においてもシリコンが定着するまでの間、ゲルマニウムやセレンによる方式が試験され、耐電圧性、熱容量の大きさ、スペースの問題などから最終的にシリコンになりました、シリコン整流器も初期の素子は1日の試験終了時にパンクしているケースがしばしばありました。
 491系試作交直流電車の成果とシリコン整流器の実用化により、1961年の常磐線、鹿児島本線の交流電化に備え、1960年401系、421系電車4両編成各2本が製造されました(量産先行車)。401系は同年 8月に落成、同年12月には421系が落成し、主変圧器の形式名が401系ではTM2,421系ではTM3、主整流器が401系ではRS1(日立),RS2(東芝),421系ではRS3(富士),RS4(三菱)と命名され搭載されました。車体は70系を近代化させた3扉セミクロスシートの座席配置とし、TcMM'Tcの4両ユニットを組み合わせ,4/8/12両編成での運転が考慮されたため、前頭部は東海形スタイルの貫通形が採用されました。
 1959年の車両称号規程改正では百位が電気方式、十位が0~4近距離形,5~8中距離形とされ、交直流電車は周波数の違いで十位の数字が分けられたため、50Hz常磐線用が401系,60Hz鹿児島本線用は421系となりました。急行用の451系、471系等では付随車は451系のみとなりましたが、401系、421系では4両を基本ユニットとしたため、クハは401と421に敢えて分け、当時の新性能国電では今のJRの電車とは違い検査・修繕は1両ごとに行っていたのに対し、401系・421系は編成替えを行わない固定編成方式が採られました。
 車体塗色は交直両用電機ED46で採用された赤13号の外部色が採用され、前頭部にクリーム色1号、421系では側裾部にクリーム色2号の帯が入れられました。
 台車・駆動装置、主電動機は101系で採用されたDT21に若干の改良を加えたDT21B、付随台車にはTR64が採用され、中空軸並行カルダン式の駆動装置も同じ、歯車比は常磐線での平均駅間6.2kmから101系の5.60と153系の4.21の中間をとって4.82(17:62)とすると消費電力量や力行率などから適当であると判断し、決定されました。主電動機は脈流対策を施したMT46B、MGは大容量のMH97-DM61を搭載、4両に給電する方式とし、CPは101系、153系と同じMH80-C1000がTc車に搭載されました。ブレーキ装置は153系に準じたSED(発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ)となりました。
 主制御装置は101系、153系に採用されたCS12Aの脈流対策版CS12B、主幹制御器は401系ではMC22,421系ではMC32としました。401系の量産先行車2編成はK1,K2編成と付番され、当初は宇都宮機関区に配置され、宇都宮~白河間で運転試験が実施されました。1960年10月からは取手~神立間で地磁気観測データに与える影響の試験や性能試験が実施され、取手~藤代間に完成した交直電化接続のデッドセクションでの切換え動作失念に対応する冒進保護装置の動作試験も念入りに行われました。

AC区間からDC区間への冒進:主変圧器1次側の主回路ヒューズの溶断
DC区間からAC区間への冒進:直流避雷器が放電→交流冒進保護継電器の動作→ABB(Air Blast Circuit Breaker)開放

特に直流から交流区間に入る際の直流電圧継電器によるABBの開放には0.6秒かかることから、当初設定された直流→交流デッドセクションの長さが20mから45mに(1963年)、さらに65mに(1973年)と延長されました。

冒進試験後は電化工事の完成した神立以北の区間での試運転に使用され、営業運転開始に先立ち、第1次量産車との併結運転ができるように冒進保護装置の改良や磁気保持継電器追設などの第1次量産化改造が施工されました。

401

表 401系の製造予算と車体番号の関係

401_20220104142701

撮影年代不詳 上野高架ホーム おそらく1983年頃の写真だと思います。

登場当時のクハ401ではおでこにクリーム色の帯が巻かれていました。貫通扉の形態も153系クハ153と同様で幌の付け根の張り出しは無く、連結器の突き出しは180mmでした。165系、471・451系以降の急行形は幌の付け根が張り出し、連結器の突き出しは250mmとなっています。車体長はクハ401・421が19,570mmなのに対してクハ111は19500mmと70mm短く、運転室後部のサイズでこの分を締めています。台車中心距離は401~415系が13,800mm、111/113.115系は14,000mmとなっています。クハ111などにあるパノラミックウィンドウ後方の小窓はありません。

401-b 撮影年代不詳 鶯谷 前照灯がシールドビーム化改造された姿

401系がいわゆる低運転台スタイルで製造されたのは昭和35年度債務による第1次量産車まででクハの番号は22まででした。第1次量産車は量産先行車の試験実績に基づき交流冒進保護に直流電圧継電器の無電圧を検知しABBを開放するシステムが追加され、M車に逆流阻止用シリコン整流器の追設と、磁気保持用継電器が追加されたこと、中間連結器格納箱がTc車床下に追設されたこと等が変更点でした。これらは1960年4~5月に落成し、6月1日の取手~水戸間電化開業を迎えました。
 それまでC57形C60形蒸機が牽引していた客車列車を置き換える形で401系が常磐線電化区間(上野~水戸)間に登場したのですが、それまでの蒸機列車は水戸以北と上野を結んでおり、7往復が電車に置き換えらえたため、水戸を跨いで乗車する乗客は乗り換えを余儀なくされたこと、また蒸機列車では二等客車が10両以上連結されていたのに、3扉クロスシート8両編成となったため着席機会が減ったこと等で乗客の評判は当初、すこぶる悪かったそうです。

415-850429-2

1985/4/29 亀有 つくば万博の開催に合わせ、401/403/415系は小豆色からクリーム色10号に青20号の帯を入れた外部塗色に変更がはじまり、低運転台クハも新色となりました。

側面のサボの差し込み口の位置が401系と421系では異なり、401系では3か所の扉のうち、左側扉の脇に設置されているのに対し、421系では中央の扉の脇に設置されていました。

量産先行試作2編成は1978年11月30日付で廃車、MM'ユニット3~11までTc5~22までの編成は1986年度までに廃車されており、民営化による継承はありませんでした。

一方、試作車の491系は旅客車に改造されクモハ491・クハ490に改番され、仙山線で1965年度まで使用されました。

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コメント

B767−281様 こんばんは。401系低運転台のオリジナル塗装は残念ながら写真がありません。筑波万博でかろうじて生き延びたクハ401−14を撮影していますが、白に青帯でした。巷では小田急もどきなどとも言われていました。153系にしてもクロ157にしても低運転台はスタイル的に落ち着いて見えて好みです。クロ157は今どうなっているのでしょうか。唯一の低運転台ですので是非一般にも見られる形で保存してほしいです。続編も楽しみです。

細井忠邦さま、こんばんは。

早速、コメントありがとうございます。
私も常磐線に401系なる交直両用型が走っていることは小学生の頃から聞いてはいましたが、常磐線沿線とは縁が無かったもので見る機会もありませんでした。小豆色塗装の低運転台タイプに関してはつくばの研究所に就職が決まって、上野駅で偶然見かけて撮影したものかと思います。
つくば博の開催に合わせてクリーム色にブルーの帯が入った塗装になった際、小田急みたいと揶揄された話は鉄道ピクトリアル誌の茨城大学の先生の話にも登場しますね。クロ157の件は私も気になります。最近、コロナのせいもあり従来のような鉄道イベントがなくなり、有料の撮影会のような形で鉄道車両、現場に触れる機会が減っているのは大変残念に思えます。

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