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2022年1月24日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 1 205系開発の背景と量産先行車の登場

1979年2月、「省エネ」電車として201系900番台(先行試作編成)が登場しました。車体は101系103系同様に鋼製でしたが、それまでの抵抗制御方式に代わり、電機子チョッパ方式が採用されました。201系は1981年から1985年まで1018両が製造され、中央快速線、青梅線、五日市線、武蔵野線、中央・総武緩行線、京葉線、外房線、東金線、東海道緩行線、山陽本線、大阪環状線、関西本線、桜島線、奈良線、和田岬線などで運用されました。しかし、電機子チョッパ方式は大電流が流れる主回路で働く素子が高価であること、鋼製車であるため、車体が重く、塗装などにかかるメンテナンスコストが膨大なことなどから昭和59年度末の収支で1兆6504億円の純損失が計上され、財政状況が極めて悪い当時の国鉄にとってはこれ以上新たな線区に投入するべきではないと判断されました。

201_20220123101801 201-201901-7902 1979/2 三鷹電車区 201系試作編成

 当時、首都圏や関西圏の大手私鉄においては界磁チョッパ制御方式を採用した、アルミ、ステンレス車体の新形式が登場し始めており、それらに比べると首都圏で活躍していた103系は見劣りする存在となっていました。1985年3月のダイヤ改正で山手線に201系が当初、導入される予定でしたが、既に導入されていた中央快速線や中央・総武緩行線に較べ駅間が短いものの乗車率が高い山手線では車重の重い201系を導入した場合、主電動機の熱容量の不足が懸念されました。そこで 山手線の103系置き換えは201系ではなく、新形式で行うこととし、1984年6月に開発が決定、設計と量産先行車の製造が急ピッチで進められました。このような当時の状況から登場したのが205系でした。

基本設計案

1.制御装置は界磁添加励磁制御方式とする。
  国鉄電車の主電動機は電機子と界磁が直列に接続された直巻整流子電動機であり、このシステムを生かした上で弱め界磁と電力回生ブレーキを導入する方式として界磁巻線のみを制御する三相全波半制御サイリスタ整流回路を組み込み、MG等から得た三相交流電源で界磁巻線回路に電流を流し、力行時終段の弱め界磁機能と制動時の電力回生機能を付与する機構です。弱め界磁以前は抵抗制御方式と変わらず、回生ブレーキ使用時に回生失効が起きにくいのが特徴でそれまでの抵抗制御車から改造も容易であり、構造も単純・安価、保守も容易というメリットがありました。一方、直流電動機のため消耗品のブラシが残存する欠点が、VVVF方式の登場による交流誘導電動機(ブラシレス)により、消滅を早めることになりました。


2.軽量ステンレス車体の導入。
  コンピュータ技術の導入で車体強度を維持した状態で極限まで軽量化する技術を持っていたのは当時の東急車両製造で、国鉄は公共企業体としてこの技術を導入する際に東急車両製造に半ば強制的に技術を開示させ他社でも製造できるようにしました。後に東急車輛は優位性を失ったためJR東日本傘下の総合車両製作所になります。
3.ボルスタレス台車の導入
4.回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキの採用
5.手ブレーキ、戸袋窓・妻窓の廃止

205


103-205-850323 1985/3/23 新宿 400番の編成番号札を下げているので日本車両製造製の後のヤテ4編成でしょうか。追記:鉄道ファン誌N529「山手線の205系20年の記録1」によると第2編成が1985/3/3、「山手線開業100周年記念号」として「400」の編成札をさげ、内回りを1周したとあります。ですから、第2編成(のちのヤテ2編成)と思われます。

1985年1月から3月にかけ、 東急車両製造、日立製作所、川崎重工、日本車両製造の4社がそれぞれ製造した量産先行者が落成し、山手線で試運転が開始されました。

205-01-020427-2 2002/4/27 田町 ヤテ1編成

205-02-021104 2002/11/4 恵比寿 ヤテ2編成

205-03-020427-2 2002/4/27 恵比寿 ヤテ3編成

側窓が上段下降、下段上昇の2段サッシ窓であり、サイドからみると田の字に見えるところが特徴でした。運行番号表示器も1985年の写真のように当初は巻き取り式でした。

サイズは 最大長 19500mm 最大幅 2800mm 屋根高さ 3670mm パンタ折り畳み高さ 4140mm 心皿間距離 13800mm 床面高さ 11800mm

定員 クハ 136(48) モハ・サハ 144(54)

重量 クハ 26.5t モハ205 34.9t モハ204 36.2t サハ205 24.5t

台車 電動車 DT50 付随車 TR235

歯車比 14:35=1:6.07

パンタグラフ PS21
主制御器 CS57
励磁装置 HS52
主抵抗器 MR159
主電動機 MT61
電動発電機 DM106(190VA)
電動空気圧縮機 MH3075-C2000M
冷房装置 AU75G 

1985年3月のダイヤ改正は3月14日で205系の運転開始も当初はダイヤ改正初日からの予定でしたが、若干遅れて3月25日から営業運転が開始されました。投入された運用は外回り55運用でした。

 

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コメント

B767−281様 今晩は。201系試作車の写真を見てびっくりしました。私が撮影したものではと思いました。全く同じ構図で撮影しております。原宿宮廷ホームの展示会に行ったのも懐かしい思い出です。205系は1次車はともかく、2次以降増備車の下降窓は素晴らしいですね。私鉄では小田急5100系や8000系、もっと古くでは近鉄電車など普通鋼製の車両でも実現していましたが、157系とは違って保守の問題もあったのでしょうか。157系は最後の最後に写真に収めていますが、外板は悲惨な状況でした。中には固定窓にした車もあったようですが、詳細は分かりません。

細井忠邦さま、おはようございます。

三鷹電車悪の写真、当時練馬区、南大泉に住んでおり201系が登場したということで自転車で三鷹電車区まで行った憶えがあります。まもなく老朽化で廃止される跨線橋を渡り南側から撮影しました。さらに同じ日に跨線橋上から中央線の181系「あずさ」やEF64牽引の客れ、荷電付き115系なども撮影しました。あれ以来、三鷹の跨線橋には行っていません。
157系や修学旅行用電車155系・159系に関して先日、書泉に行った際に良き参考書となる本を見つけたのですが、次回買おうかなと思ったところでした。

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