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2022年1月14日 (金)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その8 415系500番台の登場

1961年5月から続々と落成した401系第1次量産車も1970年代後半に入ると陳腐化・老朽化が激しくなり、主変圧器にPCBが使用されていることもあり、早期の置き換えが必要になってきました。この頃、常磐線中電のラッシュ時の混雑は乗車率が250%に達しており、国鉄内部では経営効率の面からも401系の置き換え車両はロングシート化し、少しでも乗車定員を増やすべきだという考えが大勢を占めてきました。

415系500番台はこういった背景の下、
(1) 従来車の車体構造を踏襲し、運転室、側出入り口、側窓などの割り付けは100番台と同一にし、経年劣化対策として屋根はポリウレタン系樹脂を塗装する、外板腰下部約400mmをステンレス化、側出入り口部の連続溶接化等、113系や115系で実施された改良を施しました。
(2) ロングシートの形状を奥行きを深くし、座面高さを下げ掛け心地の改善を図りました。室内の配色もクリーム色を基調に腰掛モケットはロームブラウンを基調とし、イメージチェンジを図りました。
(3) 押し込み式通風器もFRP製とし、省力化、腐食防止を図りました。
(4) 台車はロングシート化に伴う荷重増加を考慮し、まくらばね・軸ばねのばね定数を変更、重量軽減策としてブレーキユニットの箱を廃止しました。クハ411-500の定員136名/座席55名、クハ411-600の定員130名/座席53名、600番台の3位車端部にトイレ、4位車端部の座席は2人掛けクロスシートに。ちなみにクハ411-100番台の定員114名/座席65名、クハ411-200番台の定員112名/座席62名でした。
(5) 電動車の重量バランスをとるためにモハ414の蓄電池・付属装置をモハ415に移設しました。これにより約1tの重量が軽減されました。

塗屋根化はこの頃に登場した旅客車両ではよく目にしました。従来、直流・交直流電車の屋根には絶縁屋根布が使用されていましたが、はく離した部分から雨水が侵入し、腐食するといった欠点がありました。塗屋根方式はポリウレタン樹脂を重ね塗りした後、珪砂を付着させたもので、価格面・重量面ではやや不利なものの、腐食防止には優れた効果を発揮したため、185系で試験的に採用、後の新形式車、増備車、特別保全工事車に採用され広まってゆきました。 

415-k801-060108

2006/1/8 荒川沖 K801編成 手前から411-601+M'M501+T-705+M'M-705+411-501

415500

表 415系500番台 製造予算と車体番号

500番台は上記の表のように5次に分けて24編成、96両が製造されましたが、1次の9編成は401系1次量産車の置き換え用でした。
2次の3編成は1982年11月のダイヤ改正で上野口に残っていたローカル客車列車の置き換え用でした。このグループから冷房装置がAU75Gとなりました。

221レ 上野  555   仙台 1402
223レ 上野 1236 仙台 2132
425レ 上野 1513 平   1952

422レ  浪江  600   上野 1136
424レ    平  1110  上野 1600
426レ  平  1655  上野 2145        1981年10月の時刻表データから
             今では信じられませんが、この時代、北千住と柏は大半の普通客車列車が通過していました。

Ef80-2-000000 撮影時期不明 日暮里 EF80 2による推進回送

Ef80-11-000000 撮影時期不明 EF80 11による推進回送

Ef80-13-223 撮影時期不明 上野 EF80 13 223レ発車待ち 

当時の常磐線上野口にはEF80牽引の普通客車列車が上記のように3往復残っており、私も土曜日半ドンの午後などはよく上野駅に寄り道して撮影したものでした。

415-k806-060208

2006/2/8 水戸 K806編成 411-506+MM'-1522+T-706+MM'-506+411-606

第3次の4編成は常磐線中電輸送力増強用で、このグループからクリーム色10号に青20号の帯入りの外部塗色での出場となりました。第4次は1984年2月ダイヤ改正と401系置き換え用で、この予算で昨日の100番台最終グループが発注されています。
最後の第5次は主変圧器が自然冷却方式に、整流器が自走風冷式のRS40になり、プラットホームとの段差を小さくするため床厚を70㎜から45㎜に変更することで床面高さを1200mmとしました。天井も平天井となりました。循環式汚物処理装置が新製時から取り付けられたのもこのグループからでした。

415-k620-050905 2005/9/5   馬橋  K620編成 411-520+MM'-520+411-620

415-k817-050618

2005/6/18 K817編成 411-622+M'M-522+T-2+M'M-127+411-522

編成記号の推移と廃車

1986年       K501~K524 K513~K517は南福岡へ転属となり、50Hz/60Hz共用の効果が発揮されました。

415-fm513-041017 415-fm513-041017-2 2004/10/17 門司 勝田に新製配置後、2年で南福岡に転属となったFm513編成 現在はFK513~FK517とFK520編成として鹿児島車両センターに配置

1993年   7連グループ
                 K801~K812  700番台MM'Tを挟んで
        K816,  K817    100番台MM',0番台Tを奇数側に挟んで 
        K818,  K819    700番台MM',0番台Tを奇数側に挟んで 
                 4連グループ      K618(518), K620(520)  
1997年、2002年変化なし

2004年   519が K614 4連に K814は709MM'Tに

2007年   7連グループ
       K801,K802,K804-K809 MM'Tメンバーが一部変化
         510は K810 とK910に
        K811,K812, K813(518), K814(519), K816(521), K817(522), K818(523),K819(524)
                4連グループ K603(503), K620(520)

2008年   12/24 -507, -520 JR九州へ転籍
     
E531系の導入で勝田の415系500番台は2008年6月末までに全廃されています。

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