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2022年2月28日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 25 2004年度の205系の動き part1 ヤテ9,45編成の転出

21世紀の時代にソビエト連邦時代の発想しか持たないプーチンの蛮行、暴挙、独立国ウクライナへの武力侵攻に対し、世界中から非難の声が上がっています。こういったときに本来、機能すべきなのが国際連合のはずですが、安全保障理事会におけるロシアに対する非難決議は「常任理事国ロシア」による拒否権の行使で否決されしまいました。インドと中国は棄権したとのことです。裁判において被告人が裁判員裁判の採決に加わっているようなもので、こういったときに全く機能不全な国際連合という機関、第二次世界大戦の戦勝国に特別な権限が付与されている現実に世界中が疑問を持つのも当然のことと思います。

プーチンが如何に独裁体制を強いても、現在のロシア共和国は民主国家のはずですから、ロシアの人々がプーチンを権力の座から引きずり下ろす努力をしない限り、彼は次々とかつてのソビエト連邦の構成国を狙って同じようなことを繰り返す可能性があります。既にバルト三国(エストニア、ラドビア、リトアニア)に対して脅迫がなされていると聞きます。さらにNATOに加盟していない隣国スウェーデン・フィンランドに対しても脅迫があると聞いています。西側諸国による経済制裁がロシアの人々の生活に打撃を与え、これがプーチン政権への不信、不満となりプーチンが権力の座に居られなくなる日が早く来ることを願うばかりです。武力衝突せずに如何にこういった「ならず者」指導者を引きずり下ろせるか、世界中が見守っています。

E231系500番台2004年3月に528,529編成、2004年4月以降2005年3月までに551編成まで、さらに2005年4月に最後の552編成が製造されました。2004年6月1日付で山手電車区は大井工場と統合され、東京総合車両センターに変更され、車体表記も東ヤテから東トウに改められました。
 205系は前回の記事で紹介した43編成から、9,45,54,57,12,58,59,60,13,32,33,34,14,51,52,53,16,55,56,1,2といった順序で運用離脱し、転出してゆきました。特徴的なのは量産先行編成4編成が最後に残されたことで、末期には6扉車が組み込まれてはいるものの、205系導入期のような姿が見られたことでした。

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ヤテ9,45の転出

6扉車サハ204は埼京線ハエ21、ハエ22編成にそれぞれ組み込まれました。ヤテ9編成の場合、MM'-25,T-17,18は八高・川越線用ハエ83編成に改造、MM'-26は鶴見線用MM'cに改造されました。鶴見線の場合、クモハ204改造は運転台取り付けがあるため、-1100番台となりましたが、モハ205は改番されませんでした。鶴見線用のMM'Cが改造されたことで2002年3月に最初にサハ205-161から改造された-1101は活躍する相方が誕生し、2年半ぶりに現場復帰が叶いました。

改造工事、竣工年月日は
クハ205/204-3003 秋田車両センター 2004/9/6
モハ205/204-3003 秋田車両センター 2004/9/6
クモハ204-1101 鎌倉総合車両所 2004/8/10
クモハ204-1102 郡山工場 2004/8/27
モハ205/204-5027 東京総合車両センター 2004/8/5
モハ205/204-5028 東京総合車両センター 2004/8/5

2053000-83-141108 2014/11/8 八王子 83編成

2051100-t12-070203 2007/2/3 浜川崎 T12編成

205-m13-180421 2018/4/21 府中本町 M13編成

205-m14-041223-2 2004/12/23 府中本町 M14編成

205-m23-200327-2 2020/3/27 西国分寺 M23編成

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2022年2月25日 (金)

通勤電車シリーズ 205系 24 E231系500番台(ヤテ517~527)の山手線への投入による動き part4 ヤテ10, 5, 43の転出

2月21日、プーチンロシア大統領は親ロシア派が実効支配するドネツク州、ルガンスク州の独立を一方的に承認、そして2月24日にはウクライナの圧政から人民を守るためとの理由でウクライナに侵攻、ウクライナ軍の防空権を剥奪しました。国際法的に考えても全く説明のつかない暴挙であり、すべての国を敵に回す行為かと思います。

2008年8月、北京夏季オリンピック終了直後にロシアはグルジア(現、ジョージア)と南オセチア紛争を起こしており(このときはメドヴェージェフ大統領、プーチン首相)、2014年3月、ソチ冬季オリンピックの直後には国際的にはウクライナの領土とみなされてきたクリミア自治共和国とセバストポリ特別市がロシアに併合されました。今回も北京冬季オリンピックの直後です。オリンピックでロシア国民の国家に対する意識が強まったタイミングを狙ってのことなのか、意図は不明ですが。

こういった度重なるロシア、プーチン政権の暴挙に対してEUとして、あるいはNATOとして憤然たる気持ちを持っていることは分かりますが、一方でエネルギー資源の多くをロシアに依存している現状から強い態度に出れないという弱みも抱えているようです。プーチン大統領もそういった状況が分かっていてこういった行為を繰り返しているのでしょう。

2003年度の山手電車区からの205系転出、最後はヤテ10,5,43の3本でした。

10-5-43s
表 2003年度、ヤテ10,5,43編成の転出

ヤテ10はいつものようにサハ204-10はハエ20編成に組み込まれますが、両端のクハは武蔵野線へ、TMM'Tは仙石線ミノM17編成に、それら以外のモハユニット2組はヤテ24編成のサハ205-47,48から改造されたクハ205/204-1204と組んで、ナハ49編成になりました。改造はミノM17編成関係は土崎工場が担当し、2004年3月31日に竣工しました。

2051200-49-070812 2007/8/12 府中本町 ナハ49編成

続くヤテ5編成はサハ204-5をハエ20編成に組み込み、両端クハは武蔵野線へ、MM'-13と-15は後にヤテ12編成のT-23,-24から改造されるクハ205/204-1205と組んでナハ50に、T-9,-10は八高・川越線用ハエ84編成のクハ205/204-3004に、MM'-14は仙石線ミノM18編成のモハ205/204-3118に改造されました。1編成が5編成に分裂しています。クハ205/204-3004への改造は郡山工場が担当し、2004年10月29日に竣工しています。モハ205/204-3118への改造は同じく郡山工場で2004年6月24日に竣工しました。

2051200-50-050429 2005/4/29 立川 ナハ50編成

2053000-84-101231 2010/12/31 川越 ハエ84編成

最後のヤテ43編成は昨日のヤテ47-50編成同様、サハ204以外はすべて武蔵野線へというパターンでした。モハユニットのVVVF化改造はー5023、-5024は大宮車両センター、-5025は東京総合車両センターが担当し、前者は2004年7月23日、後者は2004年7月27日に竣工しています。

205-m12-130622
2013/6/22 大宮 M12編成

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2022年2月24日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 23 E231系500番台(ヤテ517~527)の山手線への投入による動き part3 ヤテ47,48,49,50の転出

2003年度の山手電車区からの205系の転出、今回はヤテ47,48,49,50の4編成で、これらは6扉車のサハ204以外の10両は全て武蔵野線用に転出しました。

47484950s

表 2003年度 E231系500番台投入による205系ヤテ47,48,49,50編成の転出
それぞれモハユニットはVVVF化改造を受けていますが、施工工場と竣工日は
モハ205/204-5011,-5012 大井工場 2003/12/13
モハ205/204-5013,-5014 大宮工場 2004/2/14
モハ205/204-5015,-5016 大井工場 2004/2/6
モハ205/204-5017,-5018 大宮工場 2004/3/31
モハ205/204-5019,-5020 大井工場 2004/4/13
モハ205/204-5021,-5022 大宮工場 2004/4/29   となっています。

このデータによれば元は同じ編成のメンバーであったモハユニットがVVVF化改造では別の工場に割り当てられているケースがあることが分かります。

205-m6-190323 2019/3/23 新木場 M6編成

205-m7-071211 2007/12/11 東所沢 M7編成

205-m9-110205-2 2011/2/5 東川口 M9編成

205-m10-071211 2007/12/11 東所沢 M10編成

こういった形で元ヤテ編成が武蔵野線に改造転用されて行く一方でこれまで活躍していた103系が徐々に廃車に追い込まれて行くのでした。

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2022年2月23日 (水)

通勤電車シリーズ 205系 22 E231系500番台(ヤテ517~527)の山手線への投入による動き part2 ヤテ31,6,7の転出

2003年度E231系500番台新製配置に伴う205系の転出、第二弾はヤテ31,6,7の3編成です。

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表 2003年度 205系の転出 第二弾

これらは3本とも同じパターンで両先頭車は武蔵野線用に京葉電車区へ、VVVF化改造されるモハユニットと埼京線から捻出されるサハ2両を連結して4M4Tの8連になりました。真ん中のモハユニットは仙石線用3100番台に改造、サハ204は埼京線編成に組み込み、それ以外の6両はサハ205を運転台取り付け改造し、クハ205/204-1200番台となりました。改造工事はそれぞれ、
モハ205/204-3114 郡山工場 2003/11/6 竣工
モハ205/204-3115 土崎工場 2003/12/11 竣工
モハ205/204-3116 郡山工場 2004/3/29 竣工
クハ205/204-1201 大宮工場 2004/1/7 竣工
クハ205/204-1202 大宮工場 2004/3/24 竣工
クハ205/204-1203 郡山工場 2004/1/26 竣工   となっています。

2051200-46-070811 2007/8/11 府中本町 ナハ46編成

2051200-47-060520 2006/5/20 尻手 ナハ47編成

2051200-48-060211_20220222091201 2006/2/11 尻手 ナハ48編成

この編成は何度も出てきてますが、2009年仙石線、103系RT-235編成置き換えのため、郡山総合車両センターで3100台化改造工事を受け、M19編成として仙台車両センター宮城野派出所に転出しました。4連化で捻出されたMM'-21は修理中の事故のため、長期に渡り走行不能だったMM'-236を差し替えでナハ4編成に充当されました。

205-4-060422 2006/4/22 府中本町 MM'-236が健全な頃のナハ4編成

205-4-100911-2_20220222161201 2010/9/11 尻手 MM'-21に差し替えて復活したナハ4編成 残念ながら小窓のMM'-21は判別不能ですが。

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2022年2月22日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 21 E231系500番台(ヤテ517~527)の山手線への投入による動き part1 ヤテ8,44,46の転出

2003年度2003年11月末までにE231系500番台がヤテ527編成までの14本が製造されました。以降、年度末までには常磐線快速用にE231系0番台が集中的に製造されています。編成表データでは2004年3月にE231系500番台が2編成追加されていますが、これは2004年度にカウントされているようです。

これらの製造に伴う205系の転出ですが、ヤテ28,29,30の3本に続いて、8,46,44,31,6,7,47,48,49,50,10,5,43といった順序で運用離脱し、これまで同様にサハ204はヤテ7までと48,50、10,5,43は編成番号と同じ車番、47は-901、49は-42が川越電車区の205系埼京線編成に組み込まれました。それにより捻出されたサハ205に関しては後日まとめて触れます。

今回の記事では4種類5編成の編成に関わったヤテ8と今後の武蔵野線転用の嚆矢となったヤテ44,46編成の転用についてみてゆこうと思います。

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 2003年度 ヤテ8,44,46編成の転出 

ヤテ8の残り10両のうち、中央のMM'-23ユニットは運転台を取り付け、南武支線用1000番台、第3編成に改造されました。ただ、編成番号はワ3ではなくワ4となりました。

2051000-4-090228

2009/2/28 八丁畷 ワ4編成
これまでの2編成とは違い、側扉の窓のサイズは小型となりました。

奇数寄りMM'-22,T-15,,16の4両は八高・川越線用3000番台、81編成に改造されました。大宮工場で改造は行われ、竣工は2003年10月29日でした。そしてもう一つのMM'-24ユニットは-3002ユニット(2003年8月23日竣工)として昨日の記事のT-55,56から改造されたクハ205/204と編成を組み82編成となりました。今回の3000番台はそれまで同線で活躍していた103系3000番台にあやかったものかと思います。

1033000-53-030505-2 2009/2/28 八王子 103系3000番台 53編成

1033000-55-020102 2002/1/2 拝島 55編成

2053000-81-180601 2018/6/1 川越 81編成

ヤテ8編成の両端先頭車は翌年度の転出編成と合わせて最終的に武蔵野線M13編成になります。具体的にはヤテ43編成由来のMM'-129 からのVVVF化改造-5025、ヤテ9編成由来のMM'-27のVVVF化改造-5026と埼京線から捻出されたサハ216,217による8連でまさに寄せ集め編成でした。

続いて44,46編成は以降の転出するヤテ編成のパターンによく見られた武蔵野線用改造で10両のうち、偶数側MM'ユニット以外の8両がそっくり武蔵野線用TcMM'TTMM'T'cの8連となり、偶数側MM'ユニットは翌年度以降の転出編成と組む形となりました。VVVF化改造はヤテ44編成が大宮工場、ヤテ46編成は郡山工場が担当し、前者が2003年10月29日、後者が2003年10月18日に竣工しています。

205-m3-090607 2009/6/7 越谷レイクタウン M3編成
山手線から6扉車とモハ1ユニットを抜き、残りのモハユニットをVVVF化改造した1号編成

205-m4-180430-2 2018/4/30 新座 M4編成

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2022年2月21日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 20 E231系500番台(ヤテ514~516)の山手線への投入による動き

前回の記事では2002年度(平成14年度)の山手電車区へのE231系500番台投入による205系の転出を見てきましたが、2003年度に入ってもE231系500番台は順調に投入されてゆきました。まず、3編成投入による動きを見てみると、

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表 2003年度 E231系500番台514~516編成投入に伴う205系編成の転出

順番通りにヤテ28編成が運用を離脱し、これまでと同様にサハ204-28は川越電車区に転出し、ハエ14編成に組み込まれました。Tc-28+MM'-82、MM'-84+T'c-28は鎌倉総合車両所へ送られ、ナハ44編成になりました。中間のT-55とT-56は大宮工場に入場、八高・川越線用、クハ205/204-3002に改造されました(2003/8/23竣工)。そしてMM'-83は土崎工場に入場、仙石線用モハ205/204-3111に改造されました(2003/8/6竣工)。大宮工場に入場した車両は毎年5月末の週末に開催されていたJR東日本大宮工場「鉄道ふれあいフェア」で先頭車化改造工事の様子が公開されました。

2053000-82-141108-2 2014/11/8 東飯能 82編成

2053000-tc2053002-170304 2017/3/4 拝島 西武線ホームから 側扉窓の小ささから山手線編成からの改造であることが分かる。

続いてヤテ29編成が運用離脱、サハ204-29はハエ14編成に組み込みこまれ、T-57,58,MM'-86は郡山工場に入場、仙石線用クハ205/204-3114(2003/11/6竣工)、モハ205/204-3112(2003/9/12竣工)に改造されました。残りの編成はナハ45編成として中原区に配置されました。原形クハ先頭の205系6連の南武線投入はこれが最後となりました。

後に埼京線とりんかい線の直通運転開始に伴い、10両編成が1本必要となり、ハエ32編成として元来、武蔵野線・八高線用に用意していた編成が転用されたため、武蔵野線に原形先頭車の編成を回すことにして、ナハ45編成が2005年3月17日に運用離脱、MM'-85,87ユニットは秋田車両センターでVVVF化改造を受け(-5029,-5030)、武蔵野線に転用となりM15編成となりました。

205-m15-120107 2012/1/7 西浦和 M15編成 サハを除く6両はヤテ29→ナハ45から武蔵野線へ、サハは元埼京線、そのため側扉の窓のサイズが異なっていました。

3編成目はヤテ30編成で、サハ204-30はなんと帯色が埼京線の緑ではなく、横浜線の黄緑となり、MM'-89以外は鎌倉総合車両所に転出、横浜線用H27編成となりました。横浜線の205系としては初の側扉小窓タイプで、かつ100番台以外の6扉車組込編成となりました。転入にあたり、ドア鴨居部にあった文字放送装置やベンチレータに取り付けられていたアンテナは撤去されました。MM'-89は土崎工場でMM'-3113に改造されました(2003/8/29竣工)。そしてサハ205-60は引き取り先がなく廃車となりました。

205-h27-120708-4 2012/7/8 東神奈川 H27編成 横浜線205系の中で唯一、サハ204-0番台組込の編成

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2022年2月18日 (金)

通勤電車シリーズ 205系 19 E231系500番台(ヤテ504~513)の山手線への投入による動き

2002年(平成14年)度、山手電車区にE231系500番台が新たに10編成投入されます。これにより205系ヤテ18~ヤテ27編成が番号順に運用離脱しました。

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表 2002年度 E231系500番台10編成投入に伴う、205系の転出

これら10編成の10号車サハ204は川越区に転出、ハエ10編成~ハエ13編成とヤテ17編成の転出で生まれたハエ31編成に2両ずつ組み込まれました。

205-10-130310
2013/3/10 武蔵浦和 ハエ10編成 

205-31-111029-2
2011/10/29 新大久保 ハエ31編成 元ヤテ17編成のクハ、埼京線では最若番のクハとなり、前面窓下ウィンドウォッシャー上の手すりがありません。

11,9,8,3,2,1号車(TcMM'MM'T'c)の6両は中原区に転出し、南武線ナハ34~ナハ43編成となりました。

205-34-030503
2003/5/3 矢向 ナハ34編成 側扉窓が小さい

205-35-070330-2
2007/3/30 府中本町 ナハ35編成 南武線80周年記念HM

残る7,6,5,4号車の4両に関してはヤテ18~ヤテ22とヤテ25~27編成は4両とも仙石線用3100番台改造、ヤテ23編成はサハ205-45以外は仙石線用改造、ヤテ24編成はモハ205/204-71は仙石線、サハ205-47,48は南武線用改造先頭車クハ205/204-1204に改造と極めてパターン化された転出の仕方となりました。

2051200-49-070811 2007/8/11 府中本町 ナハ49編成 クハ204-1204先頭

2051200-49-100919-2 2010/9/9 尻手 ナハ49編成
クハ205/204-1204への改造は土崎工場が担当、竣工は2004年2月20日でした。

サハ205-45と2003年度に横浜線向けに鎌倉総合車両所(横浜線の205系は1996年12月に大船電車区に移管、20007月に改称)に転出したヤテ30編成に組み込まれていたサハ205-60共々、引き取り先がなく廃車となりました。E235系置き換えによるE231系の移動の際には大量のサハが廃車となりましたが、205系の時には先頭車化改造が行われた結果、サハの廃車はこの2両のみでした。

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2022年2月17日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 18 E231系500番台(ヤテ501~503)の山手線への投入による動き part2 仙石線向け3100番台への改造

山手線にE231系500番台が投入されることによる205系の転配、いわゆる「大転配」、11両編成52本+1両の大所帯がどのように改造されながら他線区に移っていったか、纏め的書籍では書かれていないリアルタイムの時系列的な記録はないかと探してみたら、鉄道ファン誌の2002年8月号(通巻496号)から開始された連載記事「こちら首都圏205系情報局」がまさに求めていた情報源であることが分かり、本棚から引っ張り出して読んでいるところです。2002年から2005年頃の雑誌を見返しながら、20年前にはこんな車両がデビューし、またこんな列車が走っていたんだったと思い返しています。

205系の動きを年度で区切ってみてみると、

2001年(平成13年)度:6月にサハ204-902が川越区に転出、ハエ8編成に組み込み、捻出されたサハ205-161が鎌倉でクハ205-1101に改造、三鷹区のミツ14編成が京葉区へ(ケヨ21)、ミツ15,16編成は5,6号車が南武支線用クモハ205/204-1001,1002(ワ1、ワ2)に改造、残る8両は豊田区へ転出(E39,E40)、モハ・ユニットはVVVF化改造、5000番台に、山手区にE231系500番台3編成投入

2002年度(平成14年)度:205系3編成(ヤテ11、ヤテ15、ヤテ17)が運用離脱、6扉車は川越区へ、ヤテ11、ヤテ15の残り10両ずつは京葉区へ(ケヨ22、ケヨ23)、ヤテ17のサハを除いた8両は川越区へ(将来のハエ31)、サハ205-33,34は郡山工場、土崎工場へ、クハ205-3102、クハ204-3101化改造といった流れでした。 
 以上が昨日までの記事の復習になりますが、今回は仙石線に投入された3100番台4連の話題です。

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表 仙石線 205系 3100番台 
M1~M19まで緑で示した車両以外は、元山手電車区所属、山手線用に投入された側扉窓の小さい車両からの改造

仙石線の3100番台4連は2004年3月までに秋田(土崎)工場と郡山工場で改造されたM1~M18までの18本と南武線用に改造された6連(元クハ205/204-1203先頭のナハ48編成)を2009年10月に郡山工場で再改造したM19編成が活躍していましたが、東日本大震災でM-7,M-9編成が被災し、17編成体制となっています。

拙Blogの2019年8月20日から8月26日までの記事2016年に仙石線を訪問した際の様子を纏めており、今回はそれらの記事では触れられていない点をピックアップしようと思います。

形式別にみると、
クハ205-3100番台:石巻方の先頭車で元はサハ205の先頭車化改造車で、先日のクハ205-1100、クモハ205-1000番台同様に妻面に強化フレーム、FRPを取り付け、前面ガラスは曲面ガラスを取り付けました。乗務員設備は209系E231系同様の左手操作のワンハンドルマスコン方式となり、降雪地帯走行のため耐雪ブレーキが装備されました。車内には車いすスペース、E231系近郊型などに準じたトイレが設置され、手すり、非常警報、壁付式暖房装置が新設されました。
モハ205-3100番台:もともと中間電動車であるため、改造点は少なく、3112,3114,3116,3118に霜取り用パンタグラフが設置された点が大きく、2005年にはシングルアーム式のPS33Cに交換されました。
モハ204-3100:種車には補助電源がありませんでしたが、改造の際に103系から流用したSIVが床下に設置されました。CPの除湿装置にはヒータが付設されました。
クハ204-3100:トイレはありません。2008年から2009年にかけ、ATACSAdvanced Train Administration and Communications System)が搭載されました。
 ATACSはJR東日本が開発した列車保安装置で従来、列車位置の検知は軌道回路を用いてきましたが、コンピュータネットワークの発展で無線通信を利用した列車位置の検知システムで、運転士の信号機の視認による運転操作から車両が無線信号を受信し、自らの位置を確認、制御するシステムの構築を目指したものです。軌道回路の維持、信号機のメンテナンスといった維持費がかかる部分が減り、業務にかかるコストを減らすことができます。余談ですが、先日、「自動運転の導入」や「駅の時計がこれからだんだん無くなってゆく」というニュースを目にしましたが、鉄道会社もコロナ時代に以下にコストダウンを進めるか考えているようです。仙石線では2011年10月10日から、あおば通~東塩釜間、埼京線では2017年11月4日から池袋~大宮間で導入されています。2036年までに首都圏全域での導入が目標とされています。

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2019/10/22 小鶴新田 M1編成

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2016/10/22 小鶴新田 M5編成 2wayシート編成

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2016/10/22 西塩釜 M2編成 マンガッタンライナー2

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2022年2月16日 (水)

通勤電車シリーズ 205系 17 E231系500番台(ヤテ501~503)の山手線への投入による動き part1 埼京線の6扉車連結、京葉線への転入

2000年3月の中央・総武緩行線へのE231系0番台の投入(習志野電車区)、同年6月の東北本線(小山電車区)へのE231系近郊型の投入に続き、2002年4月にはE231系500番台が山手線に投入されることになり、それまで同線で活躍していた205系11両編成52本とサハ204,1両が転出することになりました。

2002年4月1日時点では山手電車区にE231系500番台、3本が投入されており、それに伴い205系3編成が玉突き式に転出となりました。

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表1 E231系500番台、3編成投入に伴う山手電車区から205系ヤテ11、15、17編成の転出

 最初に動きが見られたのはヤテ11編成で、2002年6月、6扉車のサハ204-11は川越電車区に転出、既にサハ204-902を組み込んでいたハエ8編成サハ205-160を置き換え、3号車に連結されました。抜き出されたサハ205-160は土崎工場へ入場し、仙石線用のクハ205-3101に改造されました(2002年10月10日、竣工)。残り10両は京葉電車区へ、ケヨ22編成となりました。同様にヤテ15編成サハ204-15は川越電車区へ、残り10両は京葉電車区へ転出し、ケヨ23編成となりました。

200441-205
表2 2004年4月1日時点での京葉車両センター 京葉線用205系編成表

205-22-081230

2008/12/30 蘇我 ケヨ22編成 この編成は山手線から転入した編成のため側扉の窓が小さく、三鷹区から転入したケヨ21編成とも形態が異なる第3のタイプの編成となりました。

205-23-051105 2005/11/5 舞浜 ケヨ23編成

3編成目はヤテ17編成で、サハ205-33は郡山工場へ、サハ205-34はハエ8編成から抜かれたサハ205-160とともに土崎工場に入場、残りの9両は川越電車区に転属となり、サハ204-17を除く8両は後に山手電車区から転属したサハ204-22,23を組み込みハエ31編成となりました。この編成のクハ205/204は乗務員室仕切りの窓ガラスが二層化されていないこと、前面窓下ウィンドウォッシャー上の手すりがないことが特徴でした。郡山工場に入場したサハ205-33は仙石線用クハ205-3102に改造されました(2002年10月31日、竣工)。土崎工場に入場したサハ205-34は仙石線用クハ204-3101に改造されました(2002年10月10日、竣工)。

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表3 川越電車区 埼京線用205系ハエ8、ハエ9編成のサハ204組込と抜かれたサハ205の改造

205-8-t204902-090102-3 2009/1/2 大宮 ハエ8編成に組み込まれたサハ204-902

205-8-120921 2012/9/21 浮間舟渡 ハエ8編成 1999年に先行的に休車状態だったサハ204-902が組み込まれ、その後、サハ204-11が組み込まれることで埼京線の6扉車2両組込体制に先鞭をつけた編成

205-9-111029 2011/10/29 新大久保 ハエ8編成に続いて6扉車2両組込となったハエ9編成
この写真にはE231系500番台、西武20000系と2002年デビュー車輛に挟まれて2002年に新スタイルとなった205系が写っています。

山手電車区から転入したサハ204-15、-17はハエ9編成に組み込まれ、抜かれたサハ205-162、-163は郡山工場に入場、運転台取り付け改造を受け、仙石線用クハ205/204-3112になりました(2003年9月12日竣工)。

仙石線の改造車両に関しては明日以降の記事で触れる予定です。

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2022年2月15日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 16 E231系の登場と中央・総武緩行線からの撤退 part2 南武支線101系の置き換え

南武支線、尻手~浜川崎間4.1kmは1930年3月25日、南武鉄道の浜川崎支線として開業しました。当時の駅は八丁畷、川崎新町、新浜川崎でした。旅客営業が開始されたのは同年4月10日でした。1944年4月1日、1941年に公布された改正陸運統制令により、南武鉄道は買収され国有化されます。同じタイミングで青梅電気鉄道も国有化されました。1954年3月21日、尻手駅付近の高架化、1976年3月1日の東海道貨物線浜川崎~鶴見間開業で風景が変化しました。2016年3月26日、川崎新町~浜川崎間に新駅として小田栄駅が開業しました。一方、1971年には浜川崎と川崎を結んでいた貨物線が廃止されており、市域の開発、人口増加の著しい川崎市はこの廃止された線路を川崎アプローチ線として復活させ、臨海部の活性化につなげたいとの構想を打ち出しているようです。

160072 撮影年代不詳(1978年頃) 尻手 クハ16007

11edit クモハ11(番号不詳) 
1977年の配置データによると 西ナハにクモハ11は222、244、248、270、クハ16は003、007、211、215がいました。

これら南武支線の旧形国電は1980年101系2連に置き換えられており、

101-830219-2
101-830219-edit1983/2/19 尻手 当初は南武線と同じカナリア・イエローの2連でした。

101-011231 2001/12/31 独自色の101系2連 

2002年4月1日時点で南武支線用101系は
ワ1 クモハ101-130+クモハ100-172
ワ2 クモハ101-180+クモハ100-145
ワ3 クモハ101-188+クモハ100-186 の3編成が配置されていました。

205系1000番台投入後も101系2連は活躍していましたが、2003年11月28日を以って定期運用を終了、2005年8月1日にクモハ100-172、クモハ101-130が廃車されたことで形式消滅となりました。

三鷹区に配置されていた205系、ミツ15、ミツ16編成の8連化で抜かれたモハユニット、モハ205/204-279、-282は運転台を設置、クモハ205/204-1001、-1002の2連(ワ1、ワ2)となり、南武支線に2003年4月に投入されました。改造工事は2002年3月29日、鎌倉総合車両所で竣工しました。

2051000-1-hm-100919-6 2010/9/19 八丁畷 南武支線開業80周年HM ワ1編成

2051000-2-140622-2 2014/6/22 小田踏切 ワ2編成

205系モハユニットからクハ205/204-1000番台への改造では、種車の妻構体を撤去し、強化フレームを溶接、そこにフェノール発泡体を織り込んで強化したFRP製の前面ユニットを取り付ける先頭車化工事の他、車外スピーカー、車外ブザーの取り付け、クモハ204にSIV(SC72、160kVA)の設置、助手席側へのワイパー設置、ワンマン運転対応のため、運転台にドア開閉SW、クモハ204の助手側に自動放送装置、ルームミラー、自動放送装置と連動したワンマン誤開扉防止装置の設置等が行われました。

2051000-1-181224 2018/12/24 ワ1編成 クモハ205-1001の運転台

乗務員設備の配置等は209系E231系のスタイルを基本とし、運転台、前部上部、仕切り等がそれぞれユニット化されています。主幹制御器、ブレーキ設定器は左手操作型ワンハンドル・マスコンとなっています。順番は前後しますが、こういったクモハ205/204-1000番台の運転台取り付け改造は同じ2002年3月29日に鎌倉総合車両所で竣工した鶴見線用クハ205-1101(サハ205-161を種車とする)先行改造車での実施例を踏襲して施工されました。鶴見線用205系3連の本格的改造は2004年から郡山、秋田各車両センターで施工されました。相方となるクモハ+モハユニットの改造工事が終了するまでの2年半弱、クハ205-1101は鎌倉総合車両所で保留車状態でした。

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表 1999年 サハ204 6扉車のハエ8編成への連結

クハ205-1101先行改造の種車となったサハ205-161はどこから来たかというと、1999年8月6日から川越区のハエ8編成に、1996年3月の改正に向けて山手電車区からはヤテ42編成が転出した際に休車となった試作車サハ204-902が組み込まれ営業運転が開始されました。このときにハエ8編成から抜かれたのがサハ205-161でした。

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2022年2月14日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 15 E231系の登場と中央・総武緩行線からの撤退 part1

VVVF制御方式の901系209系として量産化され、京浜東北線の主力となり、1994年8月からは横須賀線・総武快速線に113系置き換え用としてE217系の量産先行車が登場、1995年11月からは量産型も登場、1995年には常磐線、交直両用通勤形4扉車としてE501系も登場し、電車の制御方式の主流はVVVF方式となりました。さらに209系950番台から発展したE231系2000年3月から中央・総武緩行線で、同年6月からは東北本線(宇都宮線)で運転されることとなり、205系はトップの座を追われる立場になりました。

三鷹電車区の205系は2000年度にはクハ205/204-103、-104、-105先頭10両編成3本が配置されており、それらはミツ20,21,22からミツ14,15,16編成となっていました。

141516s

2001年度、E231系の中央・総武緩行線投入により、205系は転属の時を迎えました。ミツ14編成は10両のまま京葉電車区に転出となり、ケヨ21編成となりました。京葉線は通称メルヘン顔の205系が配置されていましたが、初めてオリジナル顔の205系が投入されることになりました。この編成は最初、南武線中原区に配置された6連と、京浜東北線浦和電車区に配置された編成の一部からなるハイブリッド編成です。

205-21-050528 2005/5/28 舞浜 ケヨ21編成 2002年3月15日に大宮工場で帯色が変更されました。

ミツ15、ミツ16編成はモハユニット1組を抜き、8両は武蔵野線用に豊田区へ、抜かれたモハユニットは運転台取り付け改造をして、南武支線(尻手~浜川崎間)に投入されることになりました。武蔵野線には6M2T8連の205系5編成が投入されていましたが、同じように6M2Tで投入すると山手線からの転配を行った際に電動車ユニットが不足することが分かっていたため、205系の電動車ユニットを界磁添加励磁制御からVVVF化改造し、4M4Tで転用することになり、こういった形になりました。武蔵野線向けVVVF改造の第一号例となり、以降、同線向けに転用される205系はこの方式となりました。E39編成のVVVF化改造は東京総合車両センターにて、E40編成は大宮工場にて施工され、2003年から実施された山手線からの転用の際のノウハウがこの改造の際に蓄積されました。尚、この際、外された界磁添加励磁装置一式は2002年FIFA、WC日韓大会で253系が増備された際に転用されました。武蔵野線用の編成が豊田区から京葉車両センターに移管されたのは2004年3月12日のダイヤ改正時で、当初は豊田区の編成番号が附番されていましたが、後にE39がM1、E40がM2となりました。

205m1-160527 2016/5/27 府中本町 M1 元E39編成

205-m1-m2055001-060422 2006/4/22 新座

205-m2-070924 2007/9/24 西浦和 M2編成

南武支線に関しては明日の記事で触れます。

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2022年2月11日 (金)

2000N系 2519F、2000系 2401F 横瀬車両基地へ廃車回送される

ほぼ毎日、午後、玉川上水沿いを散歩し、鷹の台駅そばで国分寺線の2000系、2000N系6連を観ながら,中でも最古参の2027Fは「まだまだ頑張っているな。」と思っている今日この頃ですが、2月9日には2連の2401Fと4連の2519Fが横瀬基地に廃車回送となったそうです。2519Fは2000N系4連の廃車第一号となりました。

2000-2-2401-210818 2021/8/18 小平 

2000-2-2402-160801 2016/8/1 井荻

2000-2-2401-180916 黄色の電車の廃車でこの西武のマークがやがては見られなくなる日が来ます。

増結用として西武新宿方にも本川越方にもどちらにも連結されるのが新宿線の編成の特徴です。

2401Fは2000系の4次車として新宿線の各停8連化に伴い、増結用に新造されました。1983年2月7日に西武所沢車輛工場で竣工しています。2005年3月28日に更新修繕を受けており、その際にパンタグラフはシングルアーム化され、車椅子スペース等も設置されました。コンプレッサーは落成時はAK-3でしたが1999年1月11日にHS10に交換されました。

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2016/7/30 田無 

2000n-4-2620-160606-21 2016/6/6 井荻

2000n-4-2620-130101-3 2013/1/1 小平 拝島線の4連

2000n-4-2519-161218-21 2016/12/18 西武園線

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2519Fは2000系7次車として2509F~2529Fまでの4連11本と同時期に東急車輛で竣工しました。いわゆる4連の中でも貫通扉の窓が小さい前期タイプで落成は1988年6月9日でした。竣工日の記録を見ると2501F~2507Fが1988年3月中に、2509Fから2519Fが5月下旬から6月初旬に落成しており,2521F~2529Fが1988年10月から11月にかけ落成していますので、同年夏の間に貫通扉窓に関する設計変更があったのかと思います。コンプレッサーも前期タイプはHS-20K、後期タイプはRW20と変化しています。1992年12月16日にパンタグラフの数を減らす減パン工事が施工されています。

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2022年2月10日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 14 埼京線恵比寿延伸と京浜東北・根岸線からの撤退

1996年3月16日のダイヤ改正で埼京線は恵比寿まで延伸されました。

1985年9月30日に赤羽~大宮間が開業し、赤羽線に乗り入れ、池袋~大宮~川越間で運転を開始、新宿駅の貨物発着線にホームと引き上げ線1線を新設、1986年3月3日には新宿まで運転区間が伸びていました。ただ、恵比寿駅には折り返し対応の設備がなかったため、編成は大崎まで回送後、折り返していました。そのためこの延伸により、205系10両編成4本が必要となりました。

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表1 1996年3月改正、12月改正に向けた205系編成の川越電車区への転属

3本は京浜東北・根岸線に残存していた浦和電車区の80,81,82編成を転用、あとの一本は山手線山手電車区のヤテ42編成を予備車見直しにより捻出しました。かくして浦和電車区の205系配置は無くなり、1989年10月から6年半弱の京浜東北・根岸線での205系の活躍は幕を閉じました。さらに同年12月の改正で埼京線にもう一本の205系10両編成が必要となったため三鷹区のミツ20編成(本来、埼京線向けに製造されていた編成)が転属しました。この際の転属には浦和電車区から103系1編成を武蔵野線に転属、武蔵野線から201系6連2本を三鷹区に転属させるという玉突き方式が採られました。

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表2 1997年4月1日時点の山手電車区の編成表 

サハ204の連結組み合わせが2月3日の記事の状態とは変わっており、42編成の転出で-902が休車状態になりました。この11両編成52本とサハ1両の573両が2002年からのE231系500番台、山手線投入によるいわゆる「大転配」の原資となります。

三鷹区にはクハ205/204-103先頭のミツ21(元ナハ7+元ウラ5の一部)、-104先頭のミツ22、-105先頭のミツ23編成が残り、2000年度にはミツ14,15,16編成に改番されます。

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表3 1997年4月1日時点の川越電車区の編成表

本来、川越電車区に新製配置されるはずだったクハ205/204-95,-97先頭編成を取り込んだ1~25編成と浦和電車区、山手電車区からの転属組の順番で1~30に編成番号が整理されました。

205-28-141025 2014/10/25 五反田 浦和電車区より転入したハエ28編成

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2011/10/29 新大久保 山手電車区より転入したハエ30編成

205-7-120921-2 2012/9/21 浮間舟渡 三鷹電車区より転入したハエ7編成

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2022年2月 9日 (水)

通勤電車シリーズ 205系 13 横浜線にも6扉車(サハ204-100番台)投入

昨日の記事にあるように横浜線に京浜東北線から転属したTcMM'-MM'T'cに新造のサハ205-232を加えた第26編成が加わったのが1993年、翌1994年には全編成に大型の排障器が設置され205系の顔つきが変わりました。さらに12月には輸送力増強のため、6扉車サハ204が連結されることになりました。

205-h2-090628 2009/6/28 大船 H2編成 2両目に6扉車

205-h3-120901

2012/9/1 長津田 H3編成

 この6扉車の製造は205系の製造が終了した後であったため、209系をベースに設計されており、山手線に投入された6扉車の続番ではなくサハ204-100番台となりました。0番台との違いは以下の点でした。

・冷房装置はAU717(50,000kcal/h)からAU722(50,000kcal/h)に変更となりました。
・電源に関しては8両でも余裕があったので補助電源装置は搭載しませんでした。電源回路は三相交流440Vとしました。
・台車はTR241Bから901系から採用された軸梁式ボルスタレス台車TR246Eに変更しました。
・押込み式通風機はステンレス製無塗装のものに変更されました。
・出入り扉の窓の室内側は引きこまれ防止のため、段差のない構造に変更されました。
・荷棚の形状が変更されました。
・車端部に車イススペースが設けられました。
・側扉上のモニターの設置は省略されました。

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表 横浜線にも6扉車連結

205-h8-120512-2 2012/5/12 相原 H8編成

205-h12-120512 2012/5/12 相模原 H12編成

連結位置に関しては主要駅である新横浜駅や菊名駅の階段の位置から大船よりの2両目に連結されることになりました。製造は以前同様に近畿車輛が全車担当しました。0番台のときは番号順に1日当たり3両でしたが、今回は1日3両は同じですが、番号順ではありませんでした。

1994年11月28日にサハ204-103と120が近畿車輛で落成したのを最後に

モハ205 1~110、121~406、501~513、1001~100        5141両
モハ204 1~110、121~406、501~513、1001~1005   141両
クハ205 1~38、41~149、501~513、1001~1005    165両
クハ204 1~38、41~149、501~513、1001~1005    165両
サハ205 1~72、81~232                  224両
サハ204 901,902 1~51、101~126                          79両
                                              以上、全1461両の製造は終了しました。

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2022年2月 8日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 12 901系試作、209系の京浜東北線と南武線に投入、205系の転配

国鉄の分割民営化から5年の月日が過ぎようとしていた1992年3月、JR東日本は浦和電車区に後に209系として量産化される901系10両編成を3本配置しました。これらはA編成(川崎重工業製)、B編成(東急車両製造製)、C編成(T901-11,12は大船工場製、それ以外は川崎重工業製)でした。A編成は富士電機製のパワートランジスタ素子(1200V-300A)によるVVVF装置を直列接続した1C1M方式の制御装置を搭載、B編成は東芝製GTO素子(4500V-500A)によるVVVF装置を4個並列接続した1C1M方式、C編成は三菱製GTO素子(2500V-2000A)を使用した3レベル制御1C4M方式で走行試験が行われた結果、C編成の方式が量産車209系に採用されました。制御方式以外にも車体の工法、側窓の構造、ドアエンジンの方式、空気圧縮機、マスターコントローラーの方式などもそれぞれ異なりました。後にこれら3編成の試作編成は209系900、910、920番台と改番され、2006年~2007年頃まで活躍しました。

209-90-070414

2007/4/14 西日暮里 209系90編成 元901系A編成

209-91-020910 2002/9/10 209系91編成 元901系B編成

209-92-070203 2007/2/3 川口 209系92編成 元901系C編成
いずれも引退直前の姿

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表1 901系の製造、浦和電車区への新製配置

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表2 209系の製造、浦和電車区への新製配置

これらの試験結果から1993年、209系が誕生し、2月15日から京浜東北線での営業運転が開始されました。私もこの頃は連日の東京通勤で上野~有楽町・新橋間などで山手・京浜東北線を利用していましたが、「重量半分、価格半分、寿命半分」をキャッチフレーズにしたデビューが印象に残っています。

209-01-030321 2003/3/21 府中本町 ナハ1編成

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表3 209系13編成目は南武線 中原電車区へ

浦和電車区には12編成まで新製配置され、クハ209/208-13からの編成は6連となり、南武線中原電車区に配置されました。JR東日本としては輸送力がひっ迫していた横浜線に205系を投入したかったのですが、南武線から205系を横浜線に転属させ、103系を送り込むことはサービスの低下に繋がるため、中原区に209系6連を新製投入、ナハ7編成(クハ205/204-103先頭)編成を三鷹区に転属、一方、浦和区は209系の新製配置で同区の205系6編成からウラ1(クハ205/204-104先頭)編成、ウラ2(同-105先頭)を編成を三鷹区に転属(ミツ22、ミツ23に)、ウラ5(同-136先頭)編成は中間車TMM'Tを中原区から転出させたナハ7編成に組み込み10連化(ミツ21に)、ATC対応の両先頭車(-136)と2xMM'(367,369)は急遽、川崎重工で1993年2月18日付で落成したサハ205-232と合わせ、カマ26編成(1993/2/11転属)としました。また中央・総武緩行線の205系増備で201系が中央快速線に回りました。

19933

表4 1993年1~3月頃の横浜線 蒲田電車区編成表 1993年1月22日から2月27日まで山手電車区の量産先行第2編成から7連化した編成が借り入れられていました。

205-h26-120512-22012/5/12 片倉 H26編成

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2022年2月 7日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 11 編成単位としては最後の新製投入となった武蔵野線

1973年4月1日に府中本町~新松戸間が開業し、西国分寺~新小平間、新小平~新秋津間には長大トンネルが存在することから難燃化対策のA基準に準拠した改造を比較的初期の101系に施し、新松戸開業時に11本、西船橋延伸時に4本を投入し、さらに103系6連も投入されてきましたが、沿線人口の増加から、1991年12月1日のダイヤ改正では8両編成での運転が開始されました。ダイヤ改正に先立つ同年10月8日から205系8連の運転が開始されました。武蔵野線にとってみれば、初の新製配置であり、豊田電車区に5本が配置されました。

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表 豊田電車区への武蔵野線用205系新製配置

今回、新製配置された編成は1990年3月のダイヤ改正で京葉線に投入された12編成同様のデザインとなり、FRPの部分はステンレス車体に合わせ銀色に塗装され、ラインカラーはオレンジ、ブドウ色2号、白の3色となりました。6M2Tの高MT比としたのは駅間距離の長いことと、乗り入れ先の京葉線越中島~潮見間に勾配区間が存在することからでした。保安装置はATS-P,ATS-B,ATS-SNが搭載されました。運行番号表示器はマグサイン式となりました。相模線に投入された500番台でなされた設計変更が踏襲され、客用側扉の戸閉装置は座席下から扉上かもい部に移され、屋根上通風機カバーはFRP製からステンレス製になりました。
クハ205/204-145を先頭とする編成はダイヤ改正前に運転を開始したため、4,5号車を外した6連で運転を開始し、そのためかこの編成の4,5号車と他の車両の落成時期はズレが起きています。
 1993年の編成表では編成番号は付いていませんが、1997年の編成表では番号順にE1~E5の編成番号が与えられています。2004年3月のダイヤ改正で八王子支社豊田電車区(八トタ)から千葉支社京葉車両センター(千ケヨ)に移管となると、当初はE1~E5でしたが、改番が行われM61~M65になり、さらに下記のようにM61編成はVVVF化でM35編成となりました。

205-m35-070330 2007/3/30 新秋津 M35編成 

後日、山手線からの転配で触れますが豊田区E1編成が京葉区に転属し、M61編成となりますが、転配を進めるにあたりMM'車が不足するため、電動車のVVVF改造を進め、6M2Tから4M4T化を進めます、オリジナルの205系編成1編成、M61となったE1編成もVVVF化の対象となり、2005年夏に大宮車両センターで改造を受け、M35編成となりました。内容はTc/T'c-145、M-5069(←392)M'(←393)、TT-31,32、MM'-5070(←394)でした。モハ205-393を改造した-5064、モハ204-392を改造した-5064はヤテ14編成由来のTc/T'c,MM'さらに埼京線から転属したTT-156、-157で8連となりM32編成となりました。

205-m62-050505 2005/5/5 南流山 M62編成

205-m63-110212-3 2011/2/12 西浦和 M63編成

205-m64-050730 2005/7/30 新座 M64編成

205-m65-080518 2008/5/18 府中本町 M65編成

武蔵野線は踏切がない路線であるため、生え抜きのこれら205系編成には引退までスカートが装着されることはありませんでした。

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2022年2月 4日 (金)

通勤電車シリーズ 205系 10 相模線に500番台

昨年11月E131系500番台の登場で1991年3月16日の相模線電化完成後30年の長きにわたり活躍してきた205系500番台も終焉を迎えようとしています。同線の歴史は2021年10月13日記事で触れていますので今回は省略しますが、電化完成にあたって投入する電車として当初は他線区からの103系の転用なども考えられたそうですが、電化のメリットとイメージアップを考慮し、相模線バージョンといえる205系4連13本を新製投入することにしました。

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2017/11/6 相武台下 R2編成

 乗車してみると分かりますが、相模線は全線単線であり、列車交換のための停車時間が4分、5分と長いこと、そのため長時間停車中に車内の暖気が逃げること、夏場の冷房効果が下がることを避けるため、客用側扉は半自動式にしたこと、踏切が多く、踏切事故の際の巻き込み、車体の損傷を防ぐため、205系としては初めてスカートが正面下部につけられたこと、前面スタイルを従来のものから大幅に変えたこと等により、500番台という枝番にしました。

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2016/3/27 厚木 R7編成 踏切番号48が見えますが、確か橋本を発車した直後の踏切が65だったかと思います。踏切事故での巻き込み防止のため、205系初のスカートが設置されました。

車体のカラーリングはリフレッシュブルーとアクアブルーの帯が巻かれていますがこれらは相模川と津久井湖をイメージしたものになっています。

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2021/8/17 Ri編成 運転支援システム

乗務員室内には列車の現在位置やドアの開閉状況、運行図表、行路情報などを知らせる運転支援システムが設置され点も500番台の特徴となっていました。

相模線の電化工事完成後、営業開始前の1991年1月7日から14日にかけて、中原電車区のナハ8編成からモハユニットを除いた4連が乗務員訓練で走行したこともあったそうです。

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表 相模線に投入された205系500番台

511編成までは全車東急車輛製造が担当しましたが、512編成のモハユニット、513編成はJR東日本大船工場が東急車両製造から構体ブロックを購入し、組み立てるノックダウン方式で完成させました。
新製配置は豊田電車区(茅ヶ崎常駐)でしたが、1996年12月に国府津電車区に転籍となりました。パンタグラフは新製当時はPS21菱形でしたが、2009年にPS33シングルアームタイプに換装されました。

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2016/3/27 厚木 電留線を出発し茅ケ崎行き運用に入るR7編成

相模線に関しては205系500番台の引退、E131系500番台への置き換えというニュースがありましたが、3月のダイヤ改正では横浜線の増発のため相模線の八王子乗り入れの廃止が決まっているそうです。E131系500番台に交代しても橋本~八王子間の運用は短期間で消滅ということになるようです。この点に関しては後日記事にします。

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2022年2月 3日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 9 山手線に6扉車 サハ204の投入

1990年代初頭,2年半弱つくばからドア・トゥー・ドア、2時間かけ毎日、霞が関に通った時期がありましたが、当時の山手線・京浜東北線の上野~秋葉原間の混雑は凄まじいものでした。その約20年前の高校時代(1971年4月~1974年3月)にも高田馬場から渋谷まで山手線を毎日利用していましたので、混雑には慣れていましたが、上野駅で既に戸口まで人の壁ができている車内に入るのは抵抗感を感じたものでした。JR東日本ではこう言ったラッシュ時の混雑緩和と乗降時間の短縮を目的に、山手線205系編成に6扉車両を導入することにしました。

5000-5555-191020-2_20220202082701 2019/10/20 寝屋川車庫で休む5555編成 

5000-191020_20220202083001 5000系の可動式座席 3扉時 5扉として運用する際はこの座席は上昇し、上部に格納されました。

混雑緩和の目的で通勤車両の扉数を増やした車両としては京阪電鉄が1970年に導入した5000系が最初かと思います。5扉車ではありますが、ラッシュ時以外は扉2か所の部分が座席になる点が極めてユニークでした。デビュー当時から存在は知っていましたが、なかなか写真に収めることができず、引退直前に乗車し、記録することができました。

03-109-170217-3 2017/2/17 西新井 東京メトロ03系 09編成

首都圏では営団地下鉄日比谷線を走る営団03系1990年9月に5扉試作車編成(09編成、8両編成のうち、両端の2両 1・2・7・8号車を5扉車としました)が登場、効果が確認されたため、第28編成まで5扉車として量産されました。

20050-28851-151206 2015/12/6 越谷 東武20050系

日比谷線に乗り入れる東武鉄道も1992年から20000系の部分5扉車20050系を投入しました。

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1993年3月18日時点での山手電車区 205系編成表

山手線への投入にあたり、6扉車のモックアップが作製され、座席の折りたたみ構造、扉間の座席定員、手すりやつり手の位置、暖房方法が検討され、この結果に基づき、まずサハ204-901,-902の2両が1990年3月に近畿車輛で製造されました。扉は両開き、扉間の側窓は1か所で出入り扉の高さを1800mmから1850mmに拡大、側窓と扉窓の天地寸法も拡大し、室内への採光を増やしました。そのため幕部のビートの位置も従来車とは異なっています。

 扉と扉の間にはプロテクターを巻いたスタンションポールが設置され、つり手の数を増やし荷棚にも手すり状の部分を設け、掴まる場所を増やしました。座席は跳ね上げ式で乗務員室からロックの指令を出せる方式とし、所定時刻にロックを解除、乗客が手動で座席を引き出す方式としました。定員は154名、座席30名、座席跳ね上げ時は定員157名でした。暖房は座席下に設置できないため、床暖房方式としました。冷房はAU717(50,000kcal/h)を一台搭載、室内冷気流出防止のためサーキュレーターを設置しました。出入り扉の第2,5扉を締め切り扱いとし、4か所開閉扱いにすることも可能でした(量産車では省略)。戸閉機械は直動式とし、かもい部に設置しました。台車はTR241Bを履きました。

 試作車は10両編成(ヤテ42編成)のいろいろな位置に組み込まれテストした後、1990年3月10日から2,9号車に組み込まれ営業運転を開始しました。1990年6月からは車内情報サービスを行うため、各扉上部にモニター画面を設置、屋根上通風機に受信アンテナ、床下にチューナー、制御用コントローラー、ゴーストキャンセラーを搭載し、-901では5インチ液晶、-902では6インチCRTを設置しました。

 1991年秋からサハ204形量産車の製造が始まり、12月1日から9日にかけてすべての編成の10号車に6扉車が組み込まれ、53編成の11両編成化が完了しました。11両編成化で冷房用電源の不足が懸念されたため、量産車からDC-DCコンバータが床下に搭載され、試作車でも同様の改造が施されました。

205-24-020427 2002/4/27 恵比寿 ヤテ24編成 前から2両目が6扉車

205-25-020427 2002/4/27 五反田 ヤテ25編成 

 登場時は「詰込み電車」、「戦後の酷電を思い出す」などと酷評されましたが、徐々に浸透し、JRでは横浜線の205系(後日、記事にします)、209系E231系などでも登場、私鉄では京王帝都電鉄も1991年6000系で5扉車、東急電鉄も田園都市線の5000系に6扉車を2005年から組み込みました。これら多扉車もその後の新線の開通による混雑の緩和と駅ホームドアの整備による開口部の問題等で歴史から消え去ることになりました。

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2022年2月 2日 (水)

通勤電車シリーズ 205系 8 京葉線の全通と通称「メルヘン顔」編成の投入

1990年3月10日のダイヤ改正で三期に渡り建設工事が進められてきた京葉線、東京~蘇我間が全通となりました。1986年3月の部分開業以来、スカイブルー(青22号)の103系が投入されてきましたが、路線の延伸で輸送力を増強するためと「東京ディズニーランド」「幕張メッセ」などと相まってイメージアップのため、このタイミングで投入された205系10両編成12本はフロントマスクのスタイルもディズニーキャラクターを意識したFRP(Fiber Reinforced Plastics :繊維 強化プラスチック )成形品で覆う構造なって登場しました。 前面のライト周りと側面の帯色は赤14号(ワインレッド)なりました。

103-307-050528_20220201100401 2005/5/28 舞浜 103系 307編成

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表 京葉線本格開業に合わせて投入された205系の編成と車両番号

後部標識灯がLEDとなり、機器面では簡易モニター装置が計器盤に配置されました。ATCは設置されていないため乗務員室仕切り壁は薄く、仕切り窓も拡大されています。床面の主電動機点検蓋は廃止されました。

205-1-091025-2 2009/10/25 ケヨ1編成

103系は新製配置された205系とともに活躍を続け、2002年の205系転入でも生き残り、2005年山手線から量産先行車4本が転入した際に運用を終了しました。

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2022年2月 1日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 7 中央・総武緩行線・京浜東北線へも投入

昨日の記事でも少し触れましたが、1988年12月5日、午前9時30分頃発生した東中野駅(下り線、大久保駅方面からのカーブ)での列車追突事故で乗客1名、追突した側の運転士1名が亡くなり、103系201系各10両編成の衝突側から最も離れた両先頭車両(ラシ336編成のクハ103-278、ミツ6編成のクハ201-3)以外の18両が衝突のショックによるテレスコーピック現象で台枠が損傷し、廃車となりました。

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表1 三鷹区への暫定新製配置

これらの車両の補充用に当時、埼京線用に製造中だった205系2編成が三鷹電車区に予定を変更し暫定配置となり、ミツ6・ミツ23編成となりました。ミツ23編成は1990年5月に三鷹区から、当初の予定通り、川越区に転属しました。

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表2 浦和区への新製配置

1989年10月には京浜東北線用にも205系が投入されることとなり、クハ205/204-104~107先頭の10両編成4本が浦和電車区に新製配置されました(ウラ1~4編成)。保安装置はATC対応でした。103系時代の塗色は東海道・山陽緩行線と同じでしたが、205系の帯色は青25号となりました。ジャンパ栓受けは車体に取り付けられました。ATC装置は転出した103系から流用され、205系用に改造され搭載されました。
1990年にさらに2編成、老朽車取り換えの名目で新製配置されました(ウラ5・6編成)。尾灯は電球からLEDに変更となり、モータの点検蓋が廃止され、ATCは新品が搭載されました。
1991年、山手線の6扉車組み込み11両編成化に伴う編成不足に対処するためウラ4編成が帯色をウグイス色に替え、ヤテ35編成として山手電車区に貸し出され、同年4月から11月までの7か月間運用されました。

205_1993

表3 浦和区からの転属、編成の解体、サハの新製

1993年2月、205系を脅かす209系の登場、京浜東北線等への新製配置でウラ1・2編成ミツ22・23編成として三鷹電車区へ転属、ウラ5編成のTMM'Tと南武線中原区のナハ7編成を合体させた編成がミツ21編成となる変化がありました。一方、ウラ5編成のTcMM'とMM'T'cは中間に最後の新製サハ205-232を挟み、カマ26編成となり、活躍の場を横浜線に移しました。ウラ5編成の先頭車を含む6両が横浜線に行ったのはATCの関係からでした。

205-21-940801-edit_202201311439011994/8/1 西荻窪 205系 21編成

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1982/1/30 中野 301系

1031200-820130
1982/1/30 西船橋 103系1200番台

カナリア・イエロー帯の205系の登場で同じ線を走っていた地下鉄東西線直通車両の301系103系1200番台は誤乗トラブルが相次いだため、帯色を青色に変更する事態となりました。

205-910526 1991/5/25 田町 ビデオからのキャプチャー


205-27-120107 2012/1/7 武蔵浦和 ハエ27編成←元ウラ3(80)編成 埼京線新製配置車には無いジャンパ栓受けがあるのが特徴でした。

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