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2022年2月 8日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 12 901系試作、209系の京浜東北線と南武線に投入、205系の転配

国鉄の分割民営化から5年の月日が過ぎようとしていた1992年3月、JR東日本は浦和電車区に後に209系として量産化される901系10両編成を3本配置しました。これらはA編成(川崎重工業製)、B編成(東急車両製造製)、C編成(T901-11,12は大船工場製、それ以外は川崎重工業製)でした。A編成は富士電機製のパワートランジスタ素子(1200V-300A)によるVVVF装置を直列接続した1C1M方式の制御装置を搭載、B編成は東芝製GTO素子(4500V-500A)によるVVVF装置を4個並列接続した1C1M方式、C編成は三菱製GTO素子(2500V-2000A)を使用した3レベル制御1C4M方式で走行試験が行われた結果、C編成の方式が量産車209系に採用されました。制御方式以外にも車体の工法、側窓の構造、ドアエンジンの方式、空気圧縮機、マスターコントローラーの方式などもそれぞれ異なりました。後にこれら3編成の試作編成は209系900、910、920番台と改番され、2006年~2007年頃まで活躍しました。

209-90-070414

2007/4/14 西日暮里 209系90編成 元901系A編成

209-91-020910 2002/9/10 209系91編成 元901系B編成

209-92-070203 2007/2/3 川口 209系92編成 元901系C編成
いずれも引退直前の姿

901s
表1 901系の製造、浦和電車区への新製配置

209_112s
表2 209系の製造、浦和電車区への新製配置

これらの試験結果から1993年、209系が誕生し、2月15日から京浜東北線での営業運転が開始されました。私もこの頃は連日の東京通勤で上野~有楽町・新橋間などで山手・京浜東北線を利用していましたが、「重量半分、価格半分、寿命半分」をキャッチフレーズにしたデビューが印象に残っています。

209-01-030321 2003/3/21 府中本町 ナハ1編成

20913
表3 209系13編成目は南武線 中原電車区へ

浦和電車区には12編成まで新製配置され、クハ209/208-13からの編成は6連となり、南武線中原電車区に配置されました。JR東日本としては輸送力がひっ迫していた横浜線に205系を投入したかったのですが、南武線から205系を横浜線に転属させ、103系を送り込むことはサービスの低下に繋がるため、中原区に209系6連を新製投入、ナハ7編成(クハ205/204-103先頭)編成を三鷹区に転属、一方、浦和区は209系の新製配置で同区の205系6編成からウラ1(クハ205/204-104先頭)編成、ウラ2(同-105先頭)を編成を三鷹区に転属(ミツ22、ミツ23に)、ウラ5(同-136先頭)編成は中間車TMM'Tを中原区から転出させたナハ7編成に組み込み10連化(ミツ21に)、ATC対応の両先頭車(-136)と2xMM'(367,369)は急遽、川崎重工で1993年2月18日付で落成したサハ205-232と合わせ、カマ26編成(1993/2/11転属)としました。また中央・総武緩行線の205系増備で201系が中央快速線に回りました。

19933

表4 1993年1~3月頃の横浜線 蒲田電車区編成表 1993年1月22日から2月27日まで山手電車区の量産先行第2編成から7連化した編成が借り入れられていました。

205-h26-120512-22012/5/12 片倉 H26編成

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コメント

B767−281様 今晩は。サハ205−232は突然登場したという感じです。内装などが微妙に在来車と異なっていたのが重い出されます。相模線の205系500番台は最初に豊田電車区で見た時は別形式かと思ったぐらいです。乗務員室の中に当時のパソコン本体のような機器が設置されていて驚きました。いよいよ置き換えとは時代の流れを感じます。さて、最近中央線の乗務員があタブレットを携帯しているのに気づきました。安全のためとは分かりますが、次々いろいろな機器が導入されて「過保護」かなと思います。(失礼ですが)国鉄時代はそのような機器がなくても乗務員個々の力量が高かった気がします。特に南武線の72、72系の運転士はすごかったです。空気ブレークだけなのに衝動なくピタリと止める技術は素晴らしかったです。

細井忠邦さま、おはようございます。

我々の子供時代とは違い、今では保育園児がタブレットを使って動画を見ている時代ですから世の中の進歩はあっという間にいろいろな世界に波及しますね。
学会などでのプレゼン用に最初はカラス口、それからロットリング製図をして、原図を作り、スライド作製を依頼、やがてスライド作製機が導入され、続いてOHPの時代に、今ではパワーポイントが当たり前に、そういった変化を経験していると、鉄道運転の世界もそういった変化があって当然のように思えます。

今思えば209系のコンセプトの一つの「寿命半分」は高い乗車率の中早朝から深夜まで酷使されるという首都圏の環境から寿命を長くしても寿命に達する前に相当ガタが来てしまうという点から導き出されれたもののような気がします。

kaipan さま、こちらにもありがとうございます。

209系は通勤車としてVVVF制御方式を初めて導入した車両でしたが、当時、電車の制御方式は抵抗制御からチョッパ制御、VVVFとまさに進化している時代で、103系を長く造りすぎたため、技術革新の流れに後れを取っていた国鉄からの技術陣が寿命に拘らず、技術的に陳腐化しない車両を造っていこうというスタンスから打ち出したコンセプトかと感じています。

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