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2022年2月 3日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 9 山手線に6扉車 サハ204の投入

1990年代初頭,2年半弱つくばからドア・トゥー・ドア、2時間かけ毎日、霞が関に通った時期がありましたが、当時の山手線・京浜東北線の上野~秋葉原間の混雑は凄まじいものでした。その約20年前の高校時代(1971年4月~1974年3月)にも高田馬場から渋谷まで山手線を毎日利用していましたので、混雑には慣れていましたが、上野駅で既に戸口まで人の壁ができている車内に入るのは抵抗感を感じたものでした。JR東日本ではこう言ったラッシュ時の混雑緩和と乗降時間の短縮を目的に、山手線205系編成に6扉車両を導入することにしました。

5000-5555-191020-2_20220202082701 2019/10/20 寝屋川車庫で休む5555編成 

5000-191020_20220202083001 5000系の可動式座席 3扉時 5扉として運用する際はこの座席は上昇し、上部に格納されました。

混雑緩和の目的で通勤車両の扉数を増やした車両としては京阪電鉄が1970年に導入した5000系が最初かと思います。5扉車ではありますが、ラッシュ時以外は扉2か所の部分が座席になる点が極めてユニークでした。デビュー当時から存在は知っていましたが、なかなか写真に収めることができず、引退直前に乗車し、記録することができました。

03-109-170217-3 2017/2/17 西新井 東京メトロ03系 09編成

首都圏では営団地下鉄日比谷線を走る営団03系1990年9月に5扉試作車編成(09編成、8両編成のうち、両端の2両 1・2・7・8号車を5扉車としました)が登場、効果が確認されたため、第28編成まで5扉車として量産されました。

20050-28851-151206 2015/12/6 越谷 東武20050系

日比谷線に乗り入れる東武鉄道も1992年から20000系の部分5扉車20050系を投入しました。

204s
1993年3月18日時点での山手電車区 205系編成表

山手線への投入にあたり、6扉車のモックアップが作製され、座席の折りたたみ構造、扉間の座席定員、手すりやつり手の位置、暖房方法が検討され、この結果に基づき、まずサハ204-901,-902の2両が1990年3月に近畿車輛で製造されました。扉は両開き、扉間の側窓は1か所で出入り扉の高さを1800mmから1850mmに拡大、側窓と扉窓の天地寸法も拡大し、室内への採光を増やしました。そのため幕部のビートの位置も従来車とは異なっています。

 扉と扉の間にはプロテクターを巻いたスタンションポールが設置され、つり手の数を増やし荷棚にも手すり状の部分を設け、掴まる場所を増やしました。座席は跳ね上げ式で乗務員室からロックの指令を出せる方式とし、所定時刻にロックを解除、乗客が手動で座席を引き出す方式としました。定員は154名、座席30名、座席跳ね上げ時は定員157名でした。暖房は座席下に設置できないため、床暖房方式としました。冷房はAU717(50,000kcal/h)を一台搭載、室内冷気流出防止のためサーキュレーターを設置しました。出入り扉の第2,5扉を締め切り扱いとし、4か所開閉扱いにすることも可能でした(量産車では省略)。戸閉機械は直動式とし、かもい部に設置しました。台車はTR241Bを履きました。

 試作車は10両編成(ヤテ42編成)のいろいろな位置に組み込まれテストした後、1990年3月10日から2,9号車に組み込まれ営業運転を開始しました。1990年6月からは車内情報サービスを行うため、各扉上部にモニター画面を設置、屋根上通風機に受信アンテナ、床下にチューナー、制御用コントローラー、ゴーストキャンセラーを搭載し、-901では5インチ液晶、-902では6インチCRTを設置しました。

 1991年秋からサハ204形量産車の製造が始まり、12月1日から9日にかけてすべての編成の10号車に6扉車が組み込まれ、53編成の11両編成化が完了しました。11両編成化で冷房用電源の不足が懸念されたため、量産車からDC-DCコンバータが床下に搭載され、試作車でも同様の改造が施されました。

205-24-020427 2002/4/27 恵比寿 ヤテ24編成 前から2両目が6扉車

205-25-020427 2002/4/27 五反田 ヤテ25編成 

 登場時は「詰込み電車」、「戦後の酷電を思い出す」などと酷評されましたが、徐々に浸透し、JRでは横浜線の205系(後日、記事にします)、209系E231系などでも登場、私鉄では京王帝都電鉄も1991年6000系で5扉車、東急電鉄も田園都市線の5000系に6扉車を2005年から組み込みました。これら多扉車もその後の新線の開通による混雑の緩和と駅ホームドアの整備による開口部の問題等で歴史から消え去ることになりました。

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初めましてDF610です。さて、本題はB767-281のブログ様が掲載されている1975/10 真鶴~湯河原へ 2 EF60についてのEF60の500番台の写真を動画で使用したいのですが、よろしいでしょうか?返信待ってます。

DF610さま、はじめまして。

ご連絡ありがとうございます。了解しました。
写真の出典に関して、拙Blog由来であることを動画の最後にでもクレジットいただければ結構です。
また動画が完成したら、リンク先等をお知らせいただければ幸甚です。

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