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2022年3月 7日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 30 量産先行編成トウ1~4の転出

東京総合車両センターへのE231系500番台の新製配置に伴う205系の運用離脱と転出、最後は量産先行編成4編成となりました。量産編成の最後、第56編成が運用を終了したのが2005年2月7日で、それに続いて3月10日、第1編成、3月20日には第2編成が運用を終えました。第2編成は運用終了後の3月26日品川線(山手線)開業120周年記念イベント電車として内回り線を1周し、東京総合車両センターでE531系500番台、103系3500番台と共に展示されました。開けて2005年度、4月4日には第3編成が運用離脱、E231系500番台の第51,52編成が運用に就き、E231系500番台化が完了、最後まで残ったのは第4編成で4月1日から17日までの間、「さよならHM」が両先頭車に掲示され、17日の11運用を以って営業運用を終えました。ちなみに第4編成は1985年3月25日に営業運用のトップを飾った編成でした。

1234
トウ1,2,3,4編成の転出

量産先行4編成はサハ204に関しては川越車両センターに転属、埼京線に組み込まれることになりましたが、組み込む編成がなかなか決まらず一旦はハエ32、ハエ26編成に組み込まれ、最終的にハエ1、ハエ2編成に組み込まれました。ハエ1、ハエ2編成から捻出されたサハ205に関してはハエ32,、ハエ26編成に組み込まれ、これらから捻出されたサハ205は2008年6月に廃車になっています。サハ204,52両の組み込みについては別記事で纏めます。残り10両に関しては京葉車両センターに転属し、ケヨ24~ケヨ27編成となりました。改造はATC関連機器を取り外し、ATS-P,ATS-Snを搭載、運転台右側に停車駅通過防止装置が設置されました。最高速度に関しては生え抜き車とは異なり110km/h対応とはなっていないため、内房線・外房線直通運用には充当されないこととなりました。

205-03-020427-2_20220306084501 2002/4/27 恵比寿 トウ3編成

205-24-090215-2_20220306084501 2009/2/15 蘇我 ケヨ24編成

205-25-070329 2007/3/29 舞浜 ケヨ25編成

205-27091025-3 2009/10/25 蘇我 ケヨ27編成

山手線用における205系の活躍は1985年3月から2005年4月までの20年間、国鉄時代に34編成、民営化されから20編成が投入され、第41編成が1990年5月、第42編成が1996年2月に川越区に転属、その後、サハ204を組み込み、11連化され、2002年4月からE231系500番台の投入による置き換え開始で「大転配」が始まり、11両編成52本+サハ204-902 1両の大移動が始まりました。

205_20220306092901Photo_20220306094501

その結果、573両のうち、2両(サハ205-45,60)が引き取り手がなく廃車となった以外は先頭車化改造などもあり、他線区での第二”車”生を歩み始めました。サハ204に関してはー30が横浜線に転属した以外はすべて埼京線へ、編成ほぼ丸ごと転属が京葉線へ6本、埼京線へ2本、横浜線へ1本、前半の転出編成は南武線と仙石線へ、後半の編成は武蔵野線に転出となりました。埼京線、京葉線以外は10両未満の編成のため、余ったモハユニットが同じ線区の他の編成、もしくは鶴見線などに回りました。

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コメント

B767−281様 今晩は。205系の転配をこうして一覧表にしていただくと全貌がいちど見られて良いです。205系1次車の一部がさらにお富士急行に譲渡されるとはびっくりでした。インドネシアに渡った車たちも日本の技術的な協力で今までとは違ってきちんと保守されていると聞きます。末永い活躍を祈ります。全く別の話ですが、ロシアのウクライナ侵攻で改めて、もしウクライナが非武装中立だったらどうだろうかと考えました。日本もアメリカの基地があり、日米安保がある限りどこかの国の標的になってもおかしくない訳で。ある勢力は核の共有などと言っていますが、今回の状況から全くナンセンスな話だと思います。

細井忠邦さま、おはようございます。
205系の歴史、この後、各車両センター間での移動、E233系導入に伴う。富士急行への譲渡、東北本線・日光線への進出などいろいろありますね。そしてインドネシアへと。

ウクライナの場合、独立後の政権の立場にもよりますが、プーチンの頭にはソ連邦の崩壊、東欧諸国のワルシャワ条約機構からの離脱しかないようですから、歴史的にみてもオーデル・ナイセ線まで東西の壁が戻るとは言いませんが、あの時代のソ連に戻りたいとしか考えていないのではと感じます。

日本にとっては中国がどういう動きをするかが脅威ですが、今回、プーチンがどういった末路をたどるか世界が見ており、それを見極めて中国の行動が決まるのではと感じています。、

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