大川端・佃島周辺を散策する part1 勝鬨橋
拙blogでは以前、「日本橋川に沿って歩く」や「小名木川に沿って歩く」といった記事がありましたが、その一環として今回は隅田川河口付近の大川端、佃島付近散策の模様を記事にしようと思います。
2021/11/17 隅田川上流から見た勝鬨橋
最初は晴海通り(東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線)が隅田川を超える際に架かっている勝鬨橋です。
1905年1月18日、日露戦争旅順陥落祝勝記念として築地と月島を結ぶ交通手段として「勝鬨の渡し」が設置され、月島の埋め立て完了とともに石川島造船所などが完成し、交通量が増えました。
1923年9月1日の関東大震災後の東京港修築計画(1929年)で架橋が実現、当時の隅田川には大型船舶が多く通航しており、3000トン級の船舶の通航を妨げないように、また高架橋にするには建設費が掛かりすぎるため、跳開橋として設計されました。1933年6月に着工、1940年6月14日に完成、同年は「皇紀2600年」であり、月島地区で日本万国博覧会の開催が予定され、日本の技術力を世界に誇示する機会として、イギリスやドイツの技術者を導入せずにすべて日本人の手で設計施工がなされました。しかし、日中戦争の激化で、万国博覧会は中止となりましたが、勝鬨橋は無事完成、「東洋一の可動橋」と呼ばれるような評判になりました。可動部は51.6m、固定部は86.0mで固定部は 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋となっています。開く開度は70度で約70秒で全開になるそうです。
この橋が可動橋であることを知らない世代が圧倒的多数になったときに、このレリーフは「かつてこの橋が開くことがあったのだ」とメッセージを出しているように見えました。
歩道上部に4つの小屋があり、運転室、見張り室、宿直室となっており、運転室で開閉に関する操作が行われ、橋が開く際は警報サイレンが吹鳴し、灯火信号機が赤となりました。
可動橋としてはシカゴに同様の橋が存在し、シカゴ型跳開橋と呼ばれたそうです。架橋当初は日に5回、20分間開橋していたそうですが、その後は9時、12時、午後3時に3回に、そのうちに月20回程度になり、1967年に通航のための最後の跳開が行われ、その後は試験的な跳開が行われ、1970年11月29日を最後に開閉は停止され、1980年に電力供給もストップとなりました。
橋の中央部 電動式ロックピン機構により、車両が通過しても振動によるズレは生じないようになっています。ただ、強度的には特殊車両の通行は40tまでに限定されています。
当時は隅田川の最下流部架けられた橋で川幅は上流の千住大橋の二倍を超す246mあり、東京都電も通る予定でレールも敷かれていましたが戦争の激化で運転開始は見送られ、1947年12月24日に漸く開通しました。11番、新宿~月島系統が走り、1967年12月10日からは渋谷駅~築地~月島~新佃島の9系統も加わりましたが、11系統は1968年2月25日、9系統は1968年9月29日に廃止となりました。
かちどき橋資料館
1998年からは夜間ライトアップが行われており、東京の夜景を彩っています。橋のたもとの築地側にはかつての変電所(橋の開閉には当時の大電力清流方式から3300Vの交流で直流発電機を回転させ、任意の電圧の直流に変換するワード・レオナード方式(電車のMGの方式)が採用されていました)を改装した「かちどき橋資料館」が2005年4月に開館し、勝鬨橋に関する展示が行われています(火曜日・木曜日・金曜日が開館日で私が訪れた日は閉まっていました)。
2006年4月24日、東京都の依託で調査を行っていた土木学会の調査小委員会が勝鬨橋の開閉に技術的問題点はないとの報告を出しました。ただ、いざ跳開させようとした場合、機械部品の復旧には約10億円の費用が見込まれ、現在の晴海通りの交通量などを勘案しても跳開は現実的ではないと考えられています。
現在、隅田川の最下流部に架かるのは築地大橋で2018年11月4日に開通しました。勝鬨橋と築地大橋の間には都営大江戸線が隅田川の下を渡っています。
2007年6月18日、都道府県の道路橋としては初めて清洲橋、永代橋と共に国の重要文化遺産に指定されました。さらに跳開部の機械設備は、2017年度、日本機械学会から機械遺産に認定されました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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