大川端・佃島周辺を散策する part4 永代橋
大川端・佃島付近、散策シリーズ、今回からは石川島、佃島、月島がつながった埋め立て地周辺に架かる橋について見て行こうと思います。
最初は永代橋です。
2021/11/17 中央大橋から見た永代橋
東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)が隅田川を越えるときに架かっている橋で、最初に架けられたのは元禄11(1698)年8月1日のことでした。徳川家康の江戸入府から江戸時代にかけ、隅田川に架けられた5つの橋のうち4番目に架けられたもので、徳川5代将軍綱吉の50歳を祝う記念事業として関東郡代伊奈忠順の指導により工事が進められました。上野寛永寺根本中堂造営の際の余材を使用、もともと深川の渡しがあった現在の橋が架かる場所より100mほど上流に架けられたそうですが、当時の隅田川の最河口に位置し、江戸湊の外港に位置したため、多数の船が通過するため、当時の技術でも最大規模の橋として架橋され、橋脚は満潮時でも水面から3m以上あったそうです。長さ200m、幅6mで橋上からは西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総が見渡せる見晴らしの良い場所となったそうです。永代橋の名前の由来は架橋された江戸対岸にあった中洲の永代島にちなむそうです。
架橋から20年ほど経ち、幕府は財政が窮乏し、享保4(1719)年、橋の維持管理を諦め、廃橋を決定しますが、町民衆の嘆願で橋の維持管理に伴う経費は町方が負担するということで存続が決定し、町方は通行料を徴収、橋詰では市が開かれ収益が上がり、費用が工面され維持管理がなされました。しかし文化4(1807)年8月19日、深川富岡八幡宮での祭礼で江戸市中から多くの群衆が橋を渡り、深川に押し寄せた際に、詰めかけた群衆の重みに橋が耐え切れず、中央部より東側の部分が数間崩落、あとからあとから押し寄せる群衆が橋と共に隅田川へ転落し、死傷者、行方不明者合わせ1400名を超える大惨事となりました。古典落語の「永代橋」という噺はこの事故を扱っています。よく演じられる古典落語の「佃祭り」も佃の渡しの転覆にまつわる噺ではありますが。
明治30(1897)年、老朽化した橋を架け替えるため道路橋としてわが国初の鋼鉄製トラス橋が日本橋川を挟んだ下流側に架橋され、1904年には東京市街鉄道による路面電車も敷設されました。東京都電は1972年11月まで走り続けました。大正時代まで隅田川には5つの橋が架けられていましたが、橋底の基部や橋板に木材を使用していたため1923年9月1日の関東大震災では永代橋、厩橋、吾妻橋が炎上、多くの避難民が焼死、あるいは溺死する惨事となりました。1926年、震災復興事業として隅田川9橋の再架橋が決まり、現在の永代橋が架橋されました。アーチの形はドイツライン川に架かるルーデンドルフ橋(レマゲン橋)をモデルにしており、現存最古のタイドアーチ橋で日本で最初に径間長100mを越えた橋で「帝都東京の門」と言われました。
ちなみに永代橋のアーチにカーブを逆さまにすると清洲橋の吊り橋のカーブと一致するという話をNHK-BSの新日本風土記で聴きました。また鋼鉄製のアーチ部分には第二次世界大戦の空襲の際に焼夷弾が当たり凹んだ跡が残されています。
現在の橋は関東大震災からの復興の際にワシントン軍縮条約で廃艦となった建造中の軍艦用の高級鋼材を使用しているため、頑丈さは折り紙付きで東日本大震災の揺れでも影響はありませんでした。
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