大川端・佃島周辺を散策する part6 佃大橋
以前にも話題になりましたが、佃大橋は隅田川の渡しとして320余年続いた「佃の渡し」の位置に架けられた橋で、永代橋や勝鬨橋の交通量の増加に対応し、1964年の東京オリンピック開催に備え、関連道路の一部として戦後初めて隅田川に架けられた橋でした。この橋ができる前は佃島と月島は佃川で分かれていましたが、佃大橋取り付け道路建設のため埋め立てられ、地続きとなり、佃川に架かっていた佃橋は廃止されました。
佃の渡しは江戸時代は不定期に渡船が運行されていましたが、明治になると佃島や石川島に造船所ができたためその従業員のための交通機関として発展、明治9年(1876年)の記録では運賃は5厘/人でした。1883年には定期船の運行が始まり、1926年に運営が東京市に移管となり、1927年には無料の曳舟渡船となり、1日に70往復という体制になりました。
なぜか地下鉄有楽町線は佃大橋の真下を通らず、若干川下側を通過しています。
着工は1961年12月、竣工は1964年8月27日でした。3径間連続鋼床鈑箱桁橋で長さ40m、重量150トンのブロック別に当時日本最大の海上クレーン船にて一括で組み上げる、大ブロック工法が採用されました。橋長:476.3m、幅員 : 25.2mで橋桁は 石川島播磨重工業(現IHI)佃島工場で製造されました。東京都道473号新富晴海線が通っており、右岸は中央区湊3丁目と明石町、左岸は佃1丁目と月島1丁目となっています。道路は隅田川手前100mほどの位置から高架となり、佃・月島全域で高架のまま、朝潮運河に架かる朝潮大橋に繋がっています。橋の若干下流側の地下に地下鉄有楽町線が走っています。 佃の渡しがあった隅田川の佃島側の岸
佃の渡しに関する説明文
古典落語の「佃祭り」にはこの佃の渡しが登場します。昔、隅田川で身投げをしようとしていた若い女性を思いとどまらさせた商家の旦那が佃住吉神社の祭りに出かけ、終い船で帰ろうとした際に偶然、過去に身投げを助けた女性に呼び止められ、家によって帰ることにすると、なんと終い船が定員オーバーで沈没してしまい、乗客の多くが犠牲に、留守の商家では主人が終い船で遭難したのと早合点し、葬式の手配を・・・そこに翌日、帰ってきて大騒ぎに、古今亭志ん生、古今亭志ん朝などでよく聴きましたが、江戸情緒にあふれる非常に印象的な噺でした。 佃の渡し跡のそばには劇作家の北条秀司の「雪降れば佃は古き江戸の島」の句碑もあります。句碑の下の説明にもありますが、北条秀司は1957年にこの渡しを舞台に芝居「佃の渡し」を新派俳優、花柳章太郎のために書き下ろし、初演以来高い評価を得、1964年には花柳十種のひとつに選ばれました。
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