209系500番台 JR東日本の通勤車両において各線を転々とした少数派 part1
209系500番台は1993年4月に同系列の基本番台が901系の試用結果を踏まえ本格投入された5年後の1998年11月、中央・総武緩行線の103系置き換えのため製造され、同年12月29日から営業運転を開始しました。JR東日本新津車両製作所が初めて独自の車両設計から製造までを担当した車両でもあります。
中央・総武緩行線では当時、次世代通勤車両(後のE231系)の投入が計画されその試作車209系950番台が1998年10月に落成しており、量産化に向けて運用されることになっていましたが、同線で運用中の103系に車両故障が頻発したため、E231系0番台量産車登場までのつなぎとして、209系950番台 の拡幅車体に基本番台の制御・機器システムを搭載した車両として10両編成17本が製造されました。
製造は2回に分けて行われ、第一次は1998年度製で501~509編成、主電動機はMT68A形、パンタグラフは菱形のPS28B形、第二次は1999年度製で510~517編成、主電動機はMT73形でE231系と同じものに、パンタグラフのシングルアーム方式のPS33A形に変更となりました。ただし、取付け方は肘が車体中央部を向いており、E231系とは逆向きです。新製配置は習志野電車区で51~67の編成番号が付与されました。
車体は従来車より150mm拡大した2950mmの核幅車体で基本番台では先頭車が中間車より車体長で420mm長かったのを500番台では全車19500mmに揃えたため、第一ドアと第二ドアの間の寸法が短くなり、座席が7人掛けから6人掛けとなりました。台車中心間隔も曲線通過時のはみ出しを抑えるために13300mmから13800mmに拡大しています。 2002/4/29 秋葉原 58編成
2003/5/5 西荻窪 59編成
2003/5/5 吉祥寺 62編成
17編成が習志野電車区で活躍した期間は短く、新製から1年も経たない516,517の2編成は2000年10月には習志野区を離れ、京浜東北線用新ATCの搭載工事(516は11月13日大井、517は11月28日大宮)が施工され、2001年1月4日からは浦和電車区での営業を開始しています。少数グループゆえの編成穴埋め的人生の始まりでした。
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