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2022年12月28日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 33 三河線の歴史

名古屋本線で知立駅に到着後は当駅から南北に出ている三河線に乗車します。

三河線は現在、知立~猿投(さなげ)間の山線、知立~碧南間の海線に分かれています(接続の様子は常磐線柏駅における常磐線、東武野田線アーバンパークラインと似ています)。駅記号番号も山線がMY、海線はMUと別れており、直通で運転される列車もありませんが(碧南発知立行、そのまま猿投まで運行という運用はあります)、歴史的には大浜(現在の碧南市)から高浜を結び、刈谷で東海道本線に接続し、知立を通る碧海軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)が1910年10月に申請され、1911年7月18日に免許が下付されました。同年8月5日に免許が下付された知立~挙母間の知挙軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)と合同することとなり、1912年5月30日には社名を三河鉄道とし、軌間も1067mmに変更となりました。

1913年1月 刈谷から大浜港まで工事着手
1914年2月5日 刈谷新~大浜間開業
1915年10月28日 刈谷新~知立間開業
事業不振で経営陣の総辞職などもあり、株主達の要請で三河国幡豆郡松木島村出身の実業家 神谷傳兵衛1916年4月に社長に就任、
1916年11月 北の終点を猿投に延長することを決定
1920年7月5日 知立~土橋間開業 8月31日~上挙母、11月1日~挙母
1922年1月17日 ~越戸まで開業
1924年10月31日 ~猿投まで開業
1926年2月5日 大浜港~猿投間電化 9月1日 大浜港~神谷間開業
1927年8月26日 猿投~枝下間開業、9月17日 ~三河広瀬まで開業
1928年1月22日 ~西中金まで開業 8月25日 神谷~三河吉田間開業
1936年11月10日 三河吉田~蒲郡間開業 三河線として全通
1941年6月1日 名古屋鉄道が三河鉄道を合併 西中金~蒲郡間が三河線に
2004年4月1日 碧南~吉良吉田間、猿投~西中金間を廃止。


名古屋本線の知立駅と三河線の知立駅は今は一体化していますが、元は愛知電気鉄道と三河鉄道と別の鉄道会社であり、両線が立体交差する場所に知立(三河鉄道)、新知立(愛知電気鉄道)を設け、1941年6月の合併後、駅名は統一されました(二代目:知立駅)。1959年4月1日、三河線が名古屋本線に乗り入れられるよう、駅を現在の場所に移設、三代目:知立駅となりました。旧駅は初代三河線の知立駅は三河知立に、名古屋本線の新知立駅は東知立と改称されました。

知立駅付近は鉄道により市街地が分断され、慢性的な交通渋滞も発生していること、名古屋本線の知立駅には待避線がなく緩急接続ができないこと、三河線との乗り換えに階段を使用しなければならない問題点を解消するため、2000年から高架化、多層駅化事業が開始され、将来的には2階に2面4線の名古屋本線ホーム、3階に2面4線の三河線ホームといった構造になる予定だそうです。

Dsc06384 2020/2/4 牛句シャトー神谷傳兵衛記念館の展示から

Dsc06346 牛久シャトー 正門

Dsc06370 展示を見て、三河鉄道との関係を知りました。

200207-3 2020/2/7 浅草 神谷バー

ちなみに1916年4月、三河鉄道の社長に就任した神谷傳兵衛 氏(1856年3月17日-1922年4月24日)は浅草の洋酒バー(神谷バー)、茨城県牛久市のワイン醸造所、シャトーカミヤの創設者でもあり、三河国松木島村の名主の六男として生まれ、8歳で酒樽造りの弟子として奉公、酒類の販売から、我が国にける葡萄酒製造を目指し、1903年9月に牛久に醸造場シャトーカミヤを開き、1912年4月10日、浅草に神谷バーを開業した人物です。

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2022年12月27日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 32 蒲郡から知立へ

名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅、蒲郡駅に到着した後は来た道を新安城まで戻り、三河線の接続する知立駅に向かいました。

Dsc01210 2022/8/4 蒲郡駅南口の中心に設置されているアメリカズカップに参戦した「ニッポン・チャレンジ」のヨット(JPN-3) 同チームのキャンプ地が蒲郡にあった関係で設置されています。同市が観光交流立市宣言したことへの象徴的モニュメントにもなっています。

Dsc01211_20221226131401 南口広場

Dsc01213 駅開業は昨日の記事にあるように1936年7月24日、三河鹿島~当駅間の三河線延伸時ですが、当初は国鉄との共同使用駅で、1990年代に連続立体交差化工事が始まり、2005年12月5日、新駅舎使用開始で改札口が分離されました。

Dsc01201 駅名標

Dsc01215
Dsc01214_20221226133301
蒲郡線内では形原、西浦、東幡豆、西幡豆、三河鳥羽での列車交換が可能で、交換した列車は全て6000系ワンマンタイプでした。

Dsc01217_20221226133501 吉良吉田では西尾線の列車が待っていました。吉良吉田12:45発の急行弥富行です。

Dsc01224 西尾線 上横須賀で3100系他と交換

Dsc01225_20221226134201 西尾 6800系 折り返し河和行が到着

Dsc01226
南桜井 吉良吉田行 6000系との交換

Dsc01227
南安城 西尾行 6800系と交換

西尾線内では高頻度に列車交換がありました。

Dsc01229 乗車した列車は津島線・尾西線 弥富行のため新安城では3番線に入線となります。

Dsc01231 新安城を出発し、牛田は通過し、知立に13:23に到着しました。

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2022年12月26日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 31 蒲郡線、吉良吉田から蒲郡へ

西尾線の急行で吉良吉田に到着後は蒲郡線で蒲郡に向かいます。

Dsc01219 駅名標 西尾線

Dsc01185 吉良吉田駅 西尾線ホームから蒲郡線を見る。左が蒲郡方向、右に蒲郡線ホーム
かつて西尾線から蒲郡線へ直通する列車が使っていた連絡線、現在も車両交換の際に用いられている。

Dsc01186 蒲郡選ホームへの案内標識

Dsc01218 中間改札 蒲郡線ホームから西尾線ホームを見る。

Dsc01188 駅名標 蒲郡線

吉良吉田駅で蒲郡線に乗り換える際には広見線の新可児駅同様、中間改札があります。蒲郡線沿線には形原温泉、西浦温泉、吉良温泉などの温泉地や愛知こどもの国などのレジャー施設があり、さらに春は潮干狩り、夏の海水浴にと三河湾の魅力的なスポットが多くあり、かつては多数の本線直通特急が運行されていたようですが、レジャーの多様化、意識の変化で三河湾観光が衰退し、今日は通勤路線に変貌、西尾線との直通列車も2008年6月29日のダイヤ改正で消滅してしまったようです。

Dsc01190 2004年に廃止となった三河線碧南方向

Dsc01194 蒲郡線は単線、左手前が西尾線方向

元来は三河線の蒲郡方面延伸路線として三河鉄道1920年12月2日、三河吉田駅(現、吉良吉田駅)~蒲郡駅間の免許を取得しました。1929年8月11日、三河吉田~三河鳥羽間が開業、1936年7月24日には三河鹿島まで延伸、同年11月10日、蒲郡まで延伸し、全通しました。ただ、三河鳥羽以東は非電化での開業で同駅での乗り換えが必要でした。1941年6月1日、三河鉄道は名古屋鉄道に吸収合併されてしまいます。この時は三河線と名乗りました、三河鉄道時代の電化は1500Vでしたが、西尾線との直通運転のため、1943年2月1日、600Vに降圧しました。戦後の1946年10月31日、三河鳥羽~東幡豆間、1947年4月23日、東幡豆~蒲郡間が600Vで電化されました。1948年5月16日、三河吉田~蒲郡間を蒲郡線と改称、1959年7月12日、架線電圧を1500Vとし、三河線との直通運転に。1960年3月27日のダイヤ改正で西尾線も1500Vに昇圧され、同線との直通運転も開始されました。同年11月1日には三河吉田駅が吉良吉田駅に改称されました。

Dsc01191

蒲郡線にも広見線新可児~御嵩間同様、ワンマン化改造された6000系2連が使用されています。写真は6010F

1958年、三河湾が国定公園に指定されたこともあいまって三河湾沿岸の開港開発が進み、蒲郡線は三河湾観光路線と位置付けられ、1965年9月15日のダイヤ改正から本線直通の特急が設定されるようになりました。一時は複線化も考え、認可も受けましたが、国内にテーマパークが多く造られ、三河湾の観光開発の衰退が目に見えだし、さらに国鉄民営化でJR東海が東海道線の特別快速、新快速などで蒲郡方面のアクセスの優位性を見せつけると蒲郡線の衰退が始まりました。

三河線の碧南~吉良吉田間は同線の猿投~西中金間同様に閑散区間であったため、1985年に猿投~西中金間、1990年に碧南~吉良吉田間が合理化のため電気運転から小型ディーゼルカー(レールバス)による運転に切換えられました。それでも両区間の乗客減少に歯止めがかからず、1998年11月24日、鉄道事業合理化策として赤字路線6線区(三河線の両端区間と揖斐線黒野駅 - 本揖斐駅間、谷汲線黒野駅 - 谷汲駅間、八百津線明智駅 - 八百津駅間、竹鼻線江吉良駅 - 大須駅間)の廃止の方針が決定、2004年4月1日、三河線の両端区間は廃止となりました。

西尾線の西尾~吉良吉田間、蒲郡線の吉良吉田~蒲郡間は駅の無人化やワンマン化などの合理化が進められていますが乗客の減少は続いている状態で赤字補填のため、沿線自治体からも支援金が出されている状態であるそうです。

Dsc01203 終着 蒲郡駅に到着
吉良吉田駅から約30分で蒲郡駅に到着です。隣にJR東海の蒲郡駅がみえますが、JRの快速で名古屋駅から40分、名鉄では100分と運賃も300円高く、勝負にならないようです。

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2022年12月23日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 30 西尾線、新安城から吉良吉田へ

名鉄の路線の中でも西尾線、蒲郡線は以前、豊橋から刈谷周辺の公園保存車輌を見て回った際に地図を見ながら計画を立て、実際に歩いているので他の路線に較べると馴染があります。

西尾線の成り立ちは複雑で、1911年10月30日西尾鉄道の前身の西三軌道が西尾~岡崎新間を開業しました。この路線は西尾口から北東に進み東海道本線の岡崎駅付近に至る路線でした。1912年1月25日には西尾鉄道と改称し、1915年8月5日には西尾から吉良吉田まで延伸しました。これで西尾鉄道による吉良吉田から名古屋に至るルートが完成しましたが、1926年7月1日愛知電気鉄道の子会社、碧海電気鉄道が今村(現、新安城)~米津間を開業させたことで西尾鉄道の旅客は碧海電気鉄道線に流れ、1926年12月1日、西尾鉄道は愛知電気鉄道に吸収合併され、米津~西尾間が繋がり、1928年10月1日、今日の今村(新安城)~吉良吉田間の路線となりました。

西尾鉄道は岡崎新~西尾、さらに西尾から吉田港までを軌間762mmの軽便鉄道規格で敷設しましたが、1926年の合併後、碧海電気鉄道(こちらは1067mm軌間)との直通を考慮して、西尾線は1067mmに改軌、さらに600Vで電化されました。1935年に愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併し、名古屋鉄道が誕生し、1944年名古屋鉄道が碧海電気鉄道を吸収合併すると同区間は碧西線と改称、さらに1948年に西尾線と再改称されました。西尾~岡崎新野区間は1943年に戦時不急不要路線に指定され、休止となり、1951年、岡崎駅前~福岡町間は復活しましたが、1962年に廃止となりました。

Dsc01169 2022/8/4 新安城駅 西尾・吉良吉田・蒲郡方面 列車案内

Dsc01170 新安城駅は3面6線で1,2番線が西尾線、3~6番線が名古屋本線となっています。写真は豊橋、吉良吉田方から名古屋、岐阜、新鵜沼方向を見ています。

Dsc01171 こちらは豊橋、吉良吉田方向 西尾線は単線で分岐しています。

Dsc01173 吉良吉田行急行が入線してきました。
須ヶ口を10:08に発車した9500系9512F、西尾線内も急行で南安城、桜井、南桜井、米津、桜町南、西尾、福地、上横須賀と停車し、吉良吉田に11:25に到着予定です。

Dsc01177 南安城 

Dsc01178

線内は殆ど単線ですが、堀内公園~桜井~南桜井~米津にかけては複線区間が存在します。

Dsc01181 線内の中心駅、西尾駅に接近 ここは折り返し列車があります。

また南安城、米津、西尾、福地、上横須賀では列車交換が可能です。交換駅のポイントはスプリングポイントです。

Dsc01183 新安城を出てから32分、11:25に終着、吉良吉田に到着です。
ここで蒲郡線に接続しています。

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2022年12月22日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 29 内海から神宮前、そして新安城へ

せっかく内海まで来たのですから国道247号線を走り、知多半島の先端や長谷崎を巡り、河和に抜けるルートも試してみたかったのですが、今回は初めて乗る名鉄路線の旅ですから、来た道を帰ることにしました。

Dsc011472022/8/4 太田川での常滑線との合流へ 

京浜急行空港線 糀谷~京急蒲田の光景とよく似ています。3階へ登り、カーブを曲がると太田川駅ホームです。

Dsc01148_20221221111101 太田川を発車後、3階から2階へ下り、

Dsc01149 このポイントで常滑線と合流となります。

Dsc01151

内海を9:22に出て、10:21ほぼ1時間で神宮前に到着、ここから名古屋本線で豊橋方面に向かいます。

現在の名古屋本線の一部である神宮前~東岡崎間は愛知電気鉄道が神宮前~常滑間を全通させた後、1917年3月19日に有松線として神宮前~笠寺間、同年5月8日、笠寺~有松裏間、1923年4月1日、岡崎線有松裏~新知立間、同年6月1日、新知立~西岡崎間、同年8月8日、西岡崎~東岡崎間と延伸を重ね全通させました。

Dsc01156
神宮前からは10:24発の快速特急豊橋行に乗車、豊橋までは知立、東岡崎にしか停まりません。次の目的地は新安城のため、

Dsc01161

Dsc01162_20221221123401

知立にて下車、

Dsc01163_20221221123501
3分後にやってくる急行に乗り換えです。

Dsc01168

Dsc01166

ここから西尾線で吉良吉田へ、さらに蒲郡線で蒲郡へと旅は続きます。

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2022年12月21日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 28 河和から富貴へ戻り、内海へ

名鉄河和線に乗車し、河和に到着した後は先を急ぐ関係で河和駅で下車することなく、知多新線訪問のため来た道を富貴まで戻ります。ちなみに河和線太田川~河和間の駅の構造は、ほぼ全ての駅が相対式ホームとなっています。そのうち、阿久比と知多半田が退避可能な構造となっています。但し、知多半田は下り方向(河和・内海方面)のみが退避可能です。

Dsc01105 2022/8/4 河和までお世話になった5000系5012F

Dsc01108 折り返し河和から富貴までは9100系9103Fと

Dsc01106_20221220084101 3500系3504Fの併結による6連 急行新鵜沼行でした。

Dsc01115
Dsc01117
河和を出発後、約7分で知多新線の分岐する富貴駅に到着します。

名鉄は南知多エリアを新興住宅地、海浜リゾートとして開発することを1960年代に計画、1970年には富貴から分岐する路線の建設が決定、1974年6月30日にまず上野間まで開通、1975年7月6日には知多奥田まで、1976年4月4日には野間、1980年6月9日、内海まで開業となり、全通しました。

Dsc01122 知多新線の車両運用は線内折り返しではなく、河和線、常滑線に入り、神宮前方面に行く運用となっています。平日昼間・夜間の11時から20時にかけては20分おきに内海発が出ており、毎時15(16)分が特急一部特別車佐用行、35分が金山行、54(55)分が新鵜沼行とパターン化されています。普通列車が金山止まりとなっているのは名鉄名古屋駅のキャパシティの関係からでしょうか。

Dsc01124 そうこうしているうちに8:56発、名鉄岐阜からの内海行急行がやってきました。
この列車が名鉄岐阜を出発したのは6:54、終点、内海到着は9:14、2時間20分の長旅です。

Dsc01125 知多新線は現在は単線ですが、いつでも複線化可能なように橋梁、トンネルなどは複線規格で整備されています。

Dsc01126
富貴~上野間間にある別曾池信号場

Dsc01133 上野間、美浜緑苑、知多奥田、野間と中間に駅がありますが、美浜緑苑以外はすべて交換可能な構造となっており、この線に特徴的なのは名鉄の他の支線区間は交換駅の両端のポイントがスプリングポイントなのに対してここは通常のポイントとなっていることです。

Dsc01135 富貴から18分で内海に到着。

Dsc01137 1980年6月5日開業、名鉄最南端の駅です。

Dsc01139
愛知県で一番の海水浴場内海千鳥ヶ浜の最寄り駅だそうですが、8月4日の朝でしたが、人影はありませんでした。

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2022年12月20日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 27 大江から太田川、そして河和へ

俗に”ミステリーライン”と呼ばれる名鉄築港線の旅を楽しんだ後は、大江から再び南へ向かいました。

Dsc01096

2022/8/4 大江駅 常滑線、空港線、河和線方面列車案内

知多半島の西岸に沿って常滑線が開通すると、西岸地域の利便性は一気に上昇しました。これを見た東岸の人達は名古屋への電化鉄道を望むようになりました。東岸には東海道本線建設の資材を運ぶために武豊線(当時は半田線、熱田~武豊間)が1886年3月1日に開業していましたが、列車本数が少なく常滑線とは比較できないローカル線でした。醸造業で栄えた半田の住民が中心となって東岸にも電化鉄道の建設を訴え、常滑線を建設した愛知電気鉄道に支援を頼み、1927年10月14日知多鉄道が設立されました。

折しも1929年のウオール街の株価大暴落による世界大恐慌の時期に建設が進められ、常滑線の太田川を起点に成岩までが1931年4月1日に開業、1932年7月1日には成岩~河和口間が延伸開業、1935年8月1日、河和口~河和間も開業し、全通しました。太田川~知多半田間は当初より複線電化で開業、良好な線形と道床の強化で高速運転が可能となり、愛知電気鉄道との相互直通運転が実施され、神宮前~知多半田間は最速35分で結ばれ、熱田~半田間を90分要した武豊線に大差をつけ、完全に主力交通の座を奪いました。河和まで全通した日には愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併し、名古屋鉄道が誕生しました。戦時統制下の1943年2月1日、知多鉄道は名古屋鉄道に吸収合併となり、知多線に、1948年5月16日、東西連絡線が開通し、名古屋本線が成立したタイミングで河和線と名称変更されました。

平日朝の7時台、この辺の路線はまさにラッシュ時間で、夏休み期間中と言えども通学の高校生などで電車はかなり混んでいました。

Dsc01097 駅名標

Dsc01098 太田川で常滑線から分岐し、知多半島の東岸に向かいます。12月13日の記事でも紹介しましたが、複線同士の干渉を避けるため、上り線は高架で常滑線をオーバークロスしています。

Dsc01099 富貴 知多新線が右に分岐します。

Dsc01100 河和口~河和間は単線になります。

Dsc01101 終点、河和に到着

太田川を出ると、南加木屋、巽が丘、阿久比(あぐい)、住吉町、知多半田、成岩、青山、知多武豊、富貴、河和口と停車し、河和に8:34、44分で到着します。

Dsc01107 駅名標

Dsc01104
地図で見ると河和は知多半島がくの字に折れ曲がった場所にあり、先端まではまだ相当距離があります。今回は見るだけでしたが、河和駅からバスで河和港へ、さらにそこから日間賀島(ひまかじま)などへの離島航路もあるようです。

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2022年12月19日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 26 短いながらも話題が豊富な名鉄築港線

大江駅からは築港線に乗車します。
1924年1月15日に開業、かつては名鉄屈指の貨物路線でしたが、7号地・8号地・9号地の構外側線を名古屋臨海鉄道へ移管し、名古屋臨海鉄道東港線が1965年8月に開業してからは貨物輸送量が激減し、貨物営業は1984年に廃止され、1990年11月15日、東名古屋港駅を0.4km遡った地点に設定し、現在の形態となりました。ワンマン化されたのは2011年3月26日のダイヤ改正でした。


Dsc01060 2022/8/4 大江駅 築港線乗り換え改札口 ここも西新井方式で中間改札を通って築港線のホームへ移動となります。

Dsc01062 営業距離1.5knの路線、一駅区間のため1編成が充当されており、この日は5000系5001Fでした。前面に運行区間札が下がっています。

通勤輸送に特化した運行で 現行ダイヤでは 大江発
平日 7時台 5本 8時台 3本 16時台 1本 17時台 4本 18時台 4本 19時台 3本
土曜 7時台 3本 8時台 2本 16時台 1本 17時台 3本 18時台 3本
休日 7時台 3本 8時台 2本 16時台 1本 17時台 2本           となっています。

普段は通勤路線として朝夕しか営業列車が走らない路線ですが、日本車輛豊川工場で製造された車両はJR東海道本線から名古屋臨海鉄道東築線、東港線経由で搬入され、廃車車両もこの路線を通って搬出されます。また営業区間から先、名古屋港大江ふ頭に繋がっているため車両を輸出する際にも利用されています。

Dsc01092 また閉塞方式は票券閉塞式が用いられています。

Dsc01068_20221218101301 Dsc01069_20221218101501

わずか3分の乗車で終点の東名古屋港に到着します。

さらにこの線の名物は途中にあった名古屋臨海鉄道東築線との平面交差(ダイヤモンドクロッシング)です。

Dsc01076_20221218102201 Dsc01075_20221218102301 東名古屋港駅から線路沿いの道路を300m程、戻った地点にあります。盛夏だったので周辺の線路は夏草に覆われていました。

Dsc01090 東築線とは神田・御茶ノ水・秋葉原のような関係で線路が連絡しています。

Dsc01091 帰りの車窓からも確認しました。

Dsc01095 大江駅で再び、場内改札を通り、次は河和線方面です。

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2022年12月16日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 25 中部国際空港から大江へ

空港ターミナルに入り、展望デッキに上がることもありませんでしたが、中部国際空港駅を一通り見学した後は、来た道を大江まで引き返しました。

Dsc01046 大江までは6500系 6520F セミクロスシート編成

Dsc01050_20221215101801 2022/8/4 中部国際空港駅

常滑線愛知電気鉄道1912年2月18日に伝馬(後に伝馬町、1946年に休止、神宮前から約1km)~大野(後に大野町)間を開業したのを嚆矢とします。同年8月1日には秋葉前(神宮前から0.5km地点、1919年に休止)~伝馬町間開業、1913年3月29日、大野町~常滑間が開業、同年8月31日には神宮前~秋葉前間が開通し、全通しました。1942年には東海道本線を挟んだ西側に神宮前西駅が開業、同駅がターミナルとなりました。1963年3月25日のダイヤ改正で神宮前西駅に発着する列車は廃止され、全列車、名古屋本線に直通化となりました。

開業時は全線単線でしたが、1920年10月24日に古見~大野町間を始まりに、複線化が進み、1972年3月12日の多屋~常滑間の複線化で全線複線化が完成しました。1959年9月26日の伊勢湾台風では甚大な被害を受け、全線復旧まで2か月弱かかっています。架線電圧は1929年1月18日に全線600Vから1500Vに昇圧されました。ちなみに会社は1935年8月1日名岐鉄道との合併で名古屋鉄道となりました。1932年10月15日には山崎川駅(貨物駅)から分岐する山崎川貨物支線が開業、同線は1946年に廃止されました。1924年1月15日、大江駅が移転し、築港線が開業しました。

Dsc01051 常滑

空港線は中部国際空港アクセス線として中部国際空港連絡鉄道が第三種鉄道事業者として施設の建設・保有を行い、名鉄が施設を借り受け第二種鉄道事業者として旅客輸送を行っています。前述の通り、2004年10月16日に、空港関係者限定で暫定開業、2005年1月19日、一般旅客向け営業開始、同年2月17日、空港開業となりました。

空港線開業に際して常滑線は曲線改良、高架化などの整備が行われました。1990年には金山駅~神宮前駅間の複々線化も行われ、常滑線の起点は実質的に金山駅となっています。ミュースカイの高速運転に対応し、一部の曲線区間ではATS-Pが設置され、ミュースカイはその制御下にありますが、他の列車は従来通り、M式ATS制御となっています。

Dsc01054 大江に到着

中部国際空港を6:43に出発した準急新可児行はりんくう常滑、常滑、大野町、新舞子、古見、朝倉、寺本、尾張横須賀、太田川、寿楽園、大同町と停車し、7:18に大江に到着しました。

Dsc01059 Dsc01056 Dsc01057 大江 築港線東名古屋港方面のホームは跨線橋を渡った先にあり、既に多くの通勤客が電車の到着を待っています。

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2022年12月15日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 24 中部国際空港駅 に到着する各種列車

名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅、中部国際空港の後は、大江まで戻り、名鉄築港線に乗車予定ですが、築港線の初電の時間は大江発7:00なので、それに合わせて中部国際空港を出発すればと考え、少しの時間空港駅で到着列車の写真を撮影することにしました。といっても早朝の時間帯に空港に到着する列車は
6:13 快速急行 名鉄一宮発
6:29 普通 岩倉発
6:30 ミュースカイ 名鉄名古屋発
6:51 急行 新鵜沼発
7:06 普通 津島発   といった感じでした。

Dsc01034 2022/8/4 中部国際空港駅

撮影した場所は1番線 ミュースカイ専用ホームの先端です。こういった風景は羽田、関空、成田など既視感があります。

Dsc01035_20221214093801 左側の2線が2,3番線に繋がり、右の線路は1番線に繋がる線路です。

Dsc01036 線路越しに管制塔ビルが見えます。円形の建物で高さは86.75m、鉄筋コンクリート造5階建です。ここは中部国際空港に発着する航空機のみならず愛知、岐阜、三重を中心に約6県にまたがる空域をカバーしており、名古屋飛行場・航空自衛隊小牧基地・航空自衛隊岐阜基地などに発着する航空機のターミナルレーダー管制、すなわち航空機の上昇・降下の指示、飛行経路等の指示、管制間隔制御などを行っています。

Dsc01037 6500・6800系による岩倉発の普通列車の到着

Dsc01039 Dsc01040 Dsc01041 名鉄名古屋発のミュースカイ2000系の到着

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2022年12月14日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 23 中部国際空港駅

名古屋の中心から北へ約15km、濃尾平野の北東部、名古屋市北区、小牧市、西春日井郡豊山町にまたがり、自衛隊小牧基地に隣接した名古屋空港(民間空港としての1952年、開設当初は小牧飛行場、1960年4月1日に第二種空港に指定され名古屋空港と改称)がありましたが、航空自由化などで国内・国際線の便数の増加、機材の大型化による空港容量の増大に対して市街地に立地することから空港の拡張が難しく、かつアジアの他国の空港との競争力を考えても国際拠点空港としての機能を維持することは困難と考えられたため、第7次空港整備五箇年計画において成田空港、関西空港に続く国際拠点空港として、常滑市の沖合1.5kmの伊勢湾の海上に人工島を造成し、関西国際空港に次ぐ国内第二の海上国際空港として2005年2月17日に開港したのが中部国際空港でした。セントレアの愛称が与えられ、IATAコードは名古屋空港が使用していたNGO(ICAOコードはRJGG)、一方、名古屋空港は県営名古屋空港となり、IATAコードはNKM(ICAO:RJNA,ちなみに名古屋空港時代はRJNN)となりました。

空港アクセスのための鉄道駅は2004年10月16日、空港関係者限定で暫定開業、2005年1月29日、一般旅客向け営業を開始、この時点では2面2線の構成でしたが、2006年4月29日のダイヤ改正で新1番線ホーム、ミュースカイ専用ホームの供用が開始となり、2面3線に拡張されました。

Dsc01029

2022/8/4 駅名標

Dsc01042一般車は2,3番線に到着します。ホームは頭端式となっています。

Dsc01028
Dsc01033_20221213100801 空港専用特急ミュースカイは専用ホーム1番線から発着します。ちなみにこのホームへの中間改札はありません。

Dsc01016_20221213101201
駅が人工島に立地し、かつ鈴鹿おろしという強風が吹くため、ホームはガラスの壁で囲われています。

Dsc01017 Terminal1は改札を出たすぐ先にあり、

Dsc01019_20221213101401 Terminal2は連絡通路を約10分歩く距離です。

Dsc01018 開港時はターミナル1のみで、2019年9月20日にLCC向けのターミナル2の供用が開始されました。

Dsc01023

2022年8月時点でコロナウイルスの影響からはかなり回復し、国内線のフライトはほぼコロナ以前の状態でした。

Dsc01024 一方、国際線のフライトに関してはまだまだ回復には至っていませんでした。

本来ならば折角、セントレアまで来たので飛行機の写真も写したかったのですが、今回は名鉄線巡りの予定が詰まっている関係で空港ターミナルには入らず、鉄道に集中することにしました。

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2022年12月13日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 22 名鉄名古屋から中部国際空港まで

名鉄名古屋を定刻に出発した中部国際空港行急行は名鉄では数少ない島式ホームの山王駅を通過後、名鉄唯一の複々線区間に入ります。

Dsc01001

2022/8/4 山王駅を通過後、常滑線方面に向かう列車は複々線区間の内側線に進入します。

ちなみに通過した山王駅は1944年9月1日(神宮前~新名古屋間の東西連絡線開通時)に開業した際は同じ駅名でしたが、中日ドラゴンズのホームグラウンドがあったことから、1956年9月12日には中日球場前と改称、1976年1月1日には球場の名称変更でナゴヤ球場前となり、1996年ナゴヤドームが出来、本拠地が移転、それまではプロ野球開催日は特急も臨時停車していましたが、それも終了、2004年9月15日には無人駅となり、2005年1月29日、開業時の駅名に戻されるというユニークな駅名変遷の歴史を持っています。

中日球場で憶えているのは、1973年10月20日、中日球場で開催されたデーゲーム、中日-阪神戦で阪神が勝てば、巨人のV9は無かったのですが、同じころ、10月22日土曜にに甲子園球場で開催予定の阪神-巨人最終戦に向けて移動中の巨人軍が中日球場の横を新幹線で通過、正に中日勝ってくれと祈りながらの移動となり、結局、中日が4-2で勝ち、10月22日の阪神-巨人戦も巨人の大勝(10-0?)となり、リーグ優勝、さらに日本シリーズでも南海に対して4勝1敗で勝ち、V9達成となりました。当時、高校3年生でしたが、野球は専らラジオで聞いていて、中日球場のすぐ裏を新幹線が通過していることを知り、後年、新幹線の車窓から球場が見えたのも懐かしい思い出です。

金山駅は山王駅と同じ時に開業しましたが、初代の駅は駅を境に架線電圧が異なる駅としてユニークでした。そのため、電車は直通運転ができず、乗客は当駅で乗り換えていました。1945年7月1日、駅名を金山橋に改称、1948年に架線電圧が1500Vに昇圧され、直通運転が可能となり、中間駅となりました。国鉄側は中央西線が当駅から分岐するのに駅は設置されていませんでした。名古屋市は金山駅付近を戦後の復興計画における副都心として位置づけ、国鉄、地下鉄の新駅を設置する計画を打ち出し、1962年1月25日に付近の高架工事完成に合わせ、新駅を開業、名古屋市営地下鉄も2号線(現、名城線)が延伸、1967年3月30日に開業、名鉄は1989年に開催される世界デザイン博覧会に合わせ、金山橋駅を移転する形でJR,名古屋市営地下鉄の駅に合わせ、金山総合駅が開業となりました。

Dsc01003

神宮前を出発すると内側線は名古屋本線、JR東海道線をオーバ-クロスし、常滑線となります。

金山総合駅の開業後の1989年10月12日に複々線化工事が着工となり、1990年4月1日に供用が開始されました。

神宮前を出発した急行は5:33大江に到着、ここからは後で乗車予定の築港線が分岐しています。次は河和線の分岐する太田川で5:40に到着です。

Dsc01004_20221212110801

ここは複線同士の干渉を避けるため河和線の上りが立体交差する構成となっており、首都圏の京急蒲田を彷彿させます。

Dsc01005_20221212111101 河和線のオーバークロスを潜った先には電留線があり、早朝のためか夜間滞泊の編成がいました。

この先、終点まで複線区間ですがホームは全て相対式となっており、西ノ口と常滑では上下線ともに退避できる配線となっています。

Dsc01007_20221212111901 りんくう常滑を過ぎるとまさに海上鵜空港近しという感じがしてきます。

Dsc01008edit 連絡橋の急勾配を登り、

Dsc01009 空港島、管制塔などが見えてきます。

Dsc01011_20221212112401 名鉄名古屋を出発して43分で中部国際空港駅に到着します。

左側のホームは空港連絡特急ミュースカイ専用のホームです。

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2022年12月12日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 21 2日目は名鉄名古屋から南、東方向へ

名鉄名古屋を起点に須ヶ口から津島線、尾西線で弥富、津島まで戻り、尾西線で名鉄一宮、玉ノ井、名古屋本線で笠松、竹鼻線、羽島線で新羽島、笠松に戻り、名鉄岐阜、各務原線で新鵜沼、犬山線で犬山、犬山で国宝犬山城を観光した後、広見線で御嵩、小牧線で上飯田、最後は犬山線で栄生まで乗車、栄生で名鉄の車両、JRの車両を撮影した1日目でしたが、今日の名古屋鉄道の路線がどういった経緯で形成されたかを理解しつつ、沿線各地域を大急ぎで観る旅になりました。


2日目、8月4日水曜日は名鉄名古屋駅から南、東方向の路線を廻る旅となりますが、中でも湾岸工業地帯への通勤客を輸送する築港線は営業時間が限られているため、それに合わせ、最初に常滑線、空港線で中部国際空港まで行き、帰りに大江で築港線に乗車、また太田川方面に向かい、河和、内海、そして神宮前に戻り、東へ進むことにしました。

Dsc00990 2022/8/4 名鉄名古屋駅 地上

現在の名鉄名古屋駅は通過型ターミナルで3面2線の構成です。名鉄は2017年3月29日に、名古屋駅地区再開発事業を発表し、駅敷地を太閤通を跨ぎ南側に拡張、ホームの数を増やし、中部国際空港行列車の専用ホームの整備も行う方向で検討が開始されたようです。それに伴い、名鉄百貨店本店本館、名古屋近鉄ビル、日本生命笹島ビルなどは同事業に伴い取り壊されるようです。リニア中央新幹線の乗り入れが2027年頃までに予定されており、それに合わせる予定でしたがコロナウイルス病蔓延などもあり、本来は2022年着工予定でしたが、現時点では2年遅れになるとのことです。

Dsc00991_20221211104101 名鉄名古屋駅 中央改札口
改札口は北、中央、西、南、東(入口専用)、新南(入口専用)、近鉄連絡の7つあります。

Dsc00993 名鉄路線図 まだ駅名は十分に把握していませんが、列車の行き先表示からどの線に向かうかは分かるようになりました。

Dsc00994 現行ダイヤでは平日の東、南方面の初電は5:23発急行中部国際空港行で栄生駅を5:20に出発した電車です。終点まで13分後に発車する快速急行には抜かれずに先着します。

Dsc00995_20221211105001
南、東方面に関しても、列車種別、方向別に色分けがされており、青色:岡崎・豊橋(快速特急、特急、急行、準急)、黄色:鳴海・豊明(普通)、緑色:河和・内海・中部国際空港(快速特急、特急、急行、準急)、水色:大江・太田川(普通)となっており、通過駅のある列車は停車駅が表示されます。

Dsc01000 3番線ホーム下の0キロポスト

1941年8月12日、名岐線の終点として、名古屋から西方向(西部線)が開通、1944年9月1日、神宮前~新名古屋間が開業し、東西連絡が完成、1948年5月16日、西部線を600Vから1500Vに昇圧し、東西直通運転が開始されました。

名古屋本線のゼロキロポストは神宮前駅の脇にあるようですが、これは旧愛知電気鉄道豊橋線の起点を意味するもののようで、3つのゼロキロポストはそれぞれ、西部線、神宮前~新名古屋間連絡線、豊橋線の3線に対応しているのかもしれません。

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2022年12月 9日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 20 犬山線で枇杷島分岐点、栄生へ

名鉄電車2DAYフリーきっぷを利用した2日間の名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅、1日目の最後は犬山から犬山線で名鉄名古屋に戻るルートです。

Dsc00868 2022/8/3 犬山駅 犬山線 名鉄名古屋方面 列車案内

犬山駅からの犬山線名鉄名古屋方面の列車、平日の昼間(10時から16時台)はパターン化されており、毎時07分:特急豊橋行、09分:準急中部国際空港行、24分:急行河和行、25分:普通東岡崎行、30分以降はそれぞれに30分の加えた時刻に同じ方面行(急行のみ内海行)が出発するダイヤとなっています。8・9時と17~20時台は毎時50分頃にミュースカイ中部国際空港行が加わります。

Dsc00869

新鵜沼行 快速特急 1000系

Dsc00874 9500系の2連バージョン 9100系

15:24の河和行急行は31分で名古屋、1時間24分で河和に着きます。

犬山線は名古屋市電の創業社である名古屋電気鉄道が初の郊外路線(Interurban)として建設を計画し、1912年8月6日に一宮線として枇杷島~岩倉~西印伝間、岩倉~犬山間を開業、1913年11月20日には郊外線のターミナルとして柳橋駅が開業し、押切町~柳橋間の乗り入れが始まりました。1921年7月1日、名古屋電気鉄道は鉄道事業を名古屋鉄道(初代)に譲渡、市内線を名古屋市に譲渡してしまいます。その後、名古屋鉄道(初代)が犬山~犬山橋間(1926年5月2日)、犬山橋~新鵜沼間(同年10月1日)に延伸、当初は関までの延伸を目論見、関線としていましたが、新鵜沼までが犬山線となりました。

東京の人間から見ると名鉄と言えば名古屋本線がメインルートのように思えますが、実際は他社と競合しない路線であり、犬山などの観光地を抱える犬山線が最大のドル箱路線のようです。1993年8月、名古屋市営地下鉄鶴舞線が上小田井まで延伸し、犬山線との相互直通運転が開始されたことで名古屋本線よりも混雑度が高かった犬山線の混雑緩和が図られたそうです。

Dsc00974 6500系 栄生

すでにJR東海、JR貨物編で何枚か写真を挙げましたが、栄生駅は名鉄車両、JR車両を撮影できる好スポットであるので、ここで1時間ほど撮影を行いました。

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2022年12月 8日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 19 小牧線で上飯田へ

犬山から御嵩まで広見線、往復をした後は小牧線で上飯田往復です。

Dsc00853 2022/8/3 犬山駅の列車案内 小牧線の列車は地下鉄上飯田線に直通し、平安通行となっています。

Dsc00854_20221207102601 車両は地下鉄乗り入れ用としてステンレス車体の300系4連が使用されています。こちらは8編成あります。
小牧線は2003年に名古屋市営地下鉄上飯田線の開通で名城線平安通までの直通運転が開始され名古屋中心部へのアクセスが飛躍的に向上した路線です。

Dsc00858

ただ、小牧以南は複線ですが、小牧以北は単線区間となっており、ローカルムードが漂う路線でもあります。

Dsc00860 犬山を出発し、次の駅羽黒との間に五郎丸信号所があり、犬山に向かう編成との交換が行われます。この信号所は小牧~犬山間、15分間隔運行のため、2002年3月に開設されました。ちなみに対向編成は名古屋市交通局の7000形です。0.8㎞の上飯田線~小牧線乗り入れ用に名古屋市交通局が2編成製造しました。

1931年2月11日、名岐鉄道が城北線として上飯田~新小牧(現在の小牧)間を開業しました。同年4月29日には犬山まで延伸し、大曾根線と改称しました。電化に関しては上飯田~新小牧間が1942年7月1日、新小牧~犬山間が1947年11月24日となっています。

Dsc00862 小牧を過ぎると複線となり、路線の雰囲気が大きく変わります。

小牧線は元々、名古屋電気鉄道が犬山線の培養線として岩倉~小牧間を結んだ路線(1920年9月23日に開業)に付けられた名称でした。大曾根線が開業すると上飯田から名古屋市電(御成通線)への連絡で客足を奪われ、終点の小牧駅を大曾根線の新小牧駅とし、新小牧駅は小牧駅に改称されました。1948年5月16日、小牧線(岩倉~小牧間)は岩倉支線と改称されました。1955年1月22日、架線電圧を600Vから1500Vに昇圧しましたが、営業成績は伸びず、1964年4月26日、廃止となりました。

Dsc00864 味鋺(あじま)を過ぎると地下線に入ります。地下化のため、それまでの地上区間,2.0kmは廃止されました。

一方、大曾根線も岩倉支線の廃止の7年後の1971年2月1日、名古屋市電が廃止されたことで名古屋中心部への鉄道連絡を失ってしまいました。それが地下鉄上飯田線との相互直通運転で復活したのは2003年3月27日のことでした。

Dsc00865 駅名標

Dsc00866 上飯田~平安通間は名古屋市交通局上飯田線となっていますが、0.8kmの我が国最短の路線です。施設は上飯田連絡線株式会社(第三セクター)の所有(第三種鉄道事業者)となっており、味鋺~上飯田間も同社が第二種鉄道事業者として所有しています。

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2022年12月 7日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 18 広見線で新可児から御嵩へ

新可児では線路がスイッチバックする形態となり、単線で御嵩駅に向かいます。新可児駅から先の駅は無人駅となるためか、御嵩方面のホームへは構内改札を通過する必要があります。東京でいえば東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の西新井駅で大師線に乗り換えるときのようにです。

Dsc00832 2022/8/3 新可児 新可児~御嵩間で運用されているのは6000系ワンマン対応編成(6012F)でした。平日の昼間の時間帯は新可児発毎時14分と44分の2本ですので1本の編成で用が足せます。

Dsc00835

この編成は全てワンマン対応改造済みの6000系2連17本のうちの一本ですが、広見線、蒲郡線で共通に運用されているようで運賃表は両線の運賃が表示されていました。

新可児~御嵩間で列車交換が可能なのは明智駅のみです。

Dsc00838

Dsc00839新可児を出て11分で御嵩駅に到着です。

Dsc00842

駅名標

Dsc00840

御嵩到着後、約4分で折り返しが出発します。

この路線の成り立ちは極めて複雑で1920年8月21日東濃鉄道が広見~御嵩(現、御嵩口)間を軽便鉄道として開業、一方名古屋鉄道1925年4月24日、犬山口~今渡(現、日本ライン今度)を開業しました。1926年9月23日に東濃鉄道は広見~御嵩間を東美鉄道に譲渡してしまいました。東美鉄道は1928年10月1日、同区間を1067mmに改軌し、電化もしました。国鉄広見駅(現、可児駅)が移転したのに伴い、広見~伏見口(現、明智駅)間の線路を移設し、いくつかの新駅を設置しました。1929年1月22日、名古屋鉄道が今渡~広見間を開業し、広見線と改称しました。

1943年3月1日、名古屋鉄道が東美鉄道を合併しました。新広見駅(1930年2月16日に広見駅から改称、現、新可児駅)~御嵩駅間、伏見口駅~八百津駅間(1930年に伏見口から延伸開業、2001年に廃止された八百津線)を東美線と改称しました。1946年3月1日、犬山口~富岡前間を廃止し、犬山~富岡前間を開業し、広見線の起点を犬山駅に変更しました。1984年9月23日、八百津線は電気運転からレールバス化されました。こういった営業努力にもかかわらず、営業成績が芳しくなかったため、2001年10月1日、八百津線、明智~八百津間は廃止となりました。

新可児~御嵩間に関しても沿線人口の高齢化、過疎化の進行で名鉄は廃止の可能性を沿線自治体に打診しており、可児市、御嵩町、八百津町の3自治体が赤字を補填する状態で同区間は存続している状況だそうです。

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2022年12月 6日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 17 犬山から広見線で新可児へ

国宝犬山城を見学、天守閣からの眺めを楽しんだ後は昼食を摂り、再び犬山駅に戻りました。午後の部は犬山駅から伸びる3本の線、すなわち小牧線、広見線、そして犬山線です。まずは広見線に乗車、御嵩に向かうことにしました。

Dsc00817 2022/8/3 犬山 中部国際空港を11:22に出発した新可児行 普通電車(3500系3513F) 12:46に犬山駅に到着、5分間停車し、スイッチバックして新可児に向かう。

Dsc00821 犬山を出発し、3方向に分岐する線路、左は広見線、中央は小牧線、右は犬山線

Dsc00823 犬山検車場への分岐

犬山駅を出発すると右手に犬山検車場が見えてきます。ここは前述のように名鉄最大の検車場で出入りする車両も結構あるようです。

Dsc00824新可児までは複線区間で5つ中間駅が設置されていますがいずれも相対式ホームです。

Dsc00827

Dsc00828

まもなく新可児駅に到着(13:10)、この列車は右手3番線に到着、ほぼ同時に左手方向から御嵩発新可児止まりの電車が到着 右奥はJR太多線可児駅、手前が美濃太田、奥が多治見 北からの進入となり、方向感覚が狂います。

Dsc00830

駅名標

およそ4分の接続で御嵩方面の電車が出ます。その様子は明日の記事で。

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2022年12月 5日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 16 犬山城観光 その2

犬山城の天守は外観3重、内部4階、南面と西面に平屋の付櫓が付く複合式で入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守となっています。

Dsc00789 2022/8/3 犬山城、天守閣の構造案内

それぞれの階は、1階は納戸の間、城主の居間、武者隠し、警護の武士の詰所、納戸といった4室の構成、2階は武具の間、3階は唐破風の間、4階は物見の段となっています。

Dsc00768 天守閣物見の段から南東方向の眺め

天守閣に至る道には中門、矢来門、黒門、鉄門と4つの門がありました。

Dsc00771 天守閣物見の段から南西方の眺め

木曽川に架かるライン大橋が見えています。この橋は正式名を犬山頭首工ライン大橋と言い犬山市と各務原市を結ぶ交通路のみならず濃尾用水の取水用可動堰としての機能も持っています。江戸時代幕府は御囲堤の建設で木曽川の支流をことごとく廃川にしたため支流から水を取り込んでいた住民は困り、農業用水を建設し、江戸時代初期には尾張の国側で宮田用水、木津用水が、昭和時代初期には岐阜県側で羽島用水が建設されましたが、洪水や木曽川本流の流れの変化から安定した供給が出来ず、水をめぐるトラブルが頻発していました。1957年、農林省は10年の歳月をかけ羽島用水、宮田用水、木津用水の取水口を統一するための犬山頭首工を建設し、この堰堤に橋を架け、犬山橋の渋滞緩和のためのう回路としました。それがこのライン橋でこの辺りでは木曽川が日本ラインと呼ばれていることからライン大橋と呼ばれるようになりました。2007年6月18日、1月に完成していた管理用の橋が歩行者専用道路として開放されました。

Dsc00778 天守閣物見の段から南西方の眺め

木曽川縁に建つ3つビルのうち最も高い左のビルの裏手に航空自衛隊岐阜基地、さらにその先に金華山が見えます。


Dsc00775 天守閣物見の段から北西方の眺め

木曽川上流方向に犬山橋が見えます。

Dsc00788 天守閣4階のスペースは高欄の間と呼ばれ

Dsc00786 初代城主、成瀬正成の肖像画など飾られています。

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2022年12月 2日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 15 犬山城観光 その1

名古屋から須ヶ口、津島、弥富、一宮、笠松、羽島、岐阜を経由し、犬山でほぼお昼となったので、犬山では駅から歩いて15分程のところにある国宝犬山城を見学することにしました。

Dsc00745

2022/8/3 犬山駅西口

犬山駅西口を出て、駅から真直ぐ西に向かう通りを約600m進み、本町の交差点を右折し真北に約600m向かうと犬山城の天守閣の下に出ます。

Dsc00747 本町の交差点から天守閣の下までの道は城下町として両側に土産物屋などが並んでいます。

Dsc00749 日本中の観光地がコロナ禍で大変な目にあいましたが、この頃は感染者数も大分少なくなり、観光客や修学旅行生の姿も大分見えるようになりました。

Dsc00751

Dsc00764

犬山城は木曽川を背にする尾張の国と美濃の国の境、高さ88m程のの丘に築かれた平山城で、李白の詩「早發白帝城」(長江流域の丘の上に建っています)にちなんで荻生徂徠が白帝城と名付けました。岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城で、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権時代に石川貞清が改修して現在の形になりました。小牧・長久手の戦いや関ケ原の合戦では西軍の重要拠点となりました。

Dsc00767 江戸時代、尾張藩の付家老、平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、9代に渡り明治まで城主として居城しました。建物として残っているのは天守閣だけですが、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつで国宝に指定(1935年旧国宝指定、1952年新国宝指定)された5城(姫路城、松本城、彦根城、松江城)のひとつでもあります。1959年9月27日の伊勢湾台風では大きな被害を受けましたが、1961年から解体修理され、1965年に完了しました。2004年までは成瀬家による個人所有でしたが、維持管理が大変であることから、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、法人所有となりました。

次回の記事では城内部の様子、天守閣からの眺めに関してレポートします。

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2022年12月 1日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 14 犬山線に小牧線、広見線が接続する犬山駅

犬山駅は犬山線の中間駅ですが、真南に伸びる名鉄小牧線、東に伸びる名鉄広見線が接続する拠点駅であり、各務原線の電車も多くが当駅、発着となっています。

Dsc00873

2022/8/3  駅名標

Dsc00744 犬山駅の通路にある列車案内
1番線:新鵜沼・岐阜方面、2・6番線:名鉄名古屋、豊橋、中部国際空港方面、3番線:小牧線平安通方面、4番線:広見線新可児方面と4方向に発車する列車が表示されています。

Dsc00734

 3面6線のホームに5編成が並ぶ姿も壮観です。

Dsc00741 犬山を発車する小牧線、名古屋本線方面の列車

1912年8月6日犬山線、岩倉~犬山間が開通した際に開業しました。犬山線は名古屋電気鉄道が押切町~枇杷島間を1910年5月6日枇杷島線として開業後、1912年8月6日に枇杷島~岩倉~西印田間を一宮線、岩倉~犬山間を犬山線として開業しました。その後、1913年1月25日に西印田 - 東一宮間の開業と同時に西印田駅が廃止され、1941年8月12日、新名古屋駅が開業した際に押切町 - 枇杷島橋間が廃止され、枇杷島橋 - 新鵜沼間が犬山線、岩倉 - 東一宮間が 一宮線となりました。1965年4月25日に一宮線は廃止されました。

Dsc00735 各務原線岐阜方面の列車も当駅まで運転されています。

1921年7月1日、名古屋電気鉄道は一宮線、犬山線を名古屋鉄道に譲渡しました。1926年5月2日、犬山~犬山橋(現、犬山遊園)間が関線として開業、同年10月1日には新鵜沼まで延伸しました。当時の名古屋鉄道は刃物で有名な関まで開通させるつもりだったようですが、それは実現できず、新鵜沼までが犬山線となりました。

Dsc00738 地下鉄線相互乗り入れ車輌、100系(200番台車214F)も電留線にいました。

小牧線が犬山に繋がったのは1931年4月29日のことで上飯田方面から延伸して犬山に到達しました。開通時は大曾根線でした。広見線も複雑な歴史を持っており、東濃鉄道1920年8月21日に広見~御嵩(現在の御嵩口)間を開業、名古屋鉄道が1925年4月24日今渡線として犬山口駅 - 今渡駅(現在の日本ライン今渡駅)間を開業したのを嚆矢としますが、東濃鉄道から東美鉄道への譲渡、今渡線から広見線へ改称を経て、犬山口~富岡前間の廃止、犬山への付け替えで犬山に繋がったのは1946年3月1日のことでした。

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