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2022年12月23日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 30 西尾線、新安城から吉良吉田へ

名鉄の路線の中でも西尾線、蒲郡線は以前、豊橋から刈谷周辺の公園保存車輌を見て回った際に地図を見ながら計画を立て、実際に歩いているので他の路線に較べると馴染があります。

西尾線の成り立ちは複雑で、1911年10月30日西尾鉄道の前身の西三軌道が西尾~岡崎新間を開業しました。この路線は西尾口から北東に進み東海道本線の岡崎駅付近に至る路線でした。1912年1月25日には西尾鉄道と改称し、1915年8月5日には西尾から吉良吉田まで延伸しました。これで西尾鉄道による吉良吉田から名古屋に至るルートが完成しましたが、1926年7月1日愛知電気鉄道の子会社、碧海電気鉄道が今村(現、新安城)~米津間を開業させたことで西尾鉄道の旅客は碧海電気鉄道線に流れ、1926年12月1日、西尾鉄道は愛知電気鉄道に吸収合併され、米津~西尾間が繋がり、1928年10月1日、今日の今村(新安城)~吉良吉田間の路線となりました。

西尾鉄道は岡崎新~西尾、さらに西尾から吉田港までを軌間762mmの軽便鉄道規格で敷設しましたが、1926年の合併後、碧海電気鉄道(こちらは1067mm軌間)との直通を考慮して、西尾線は1067mmに改軌、さらに600Vで電化されました。1935年に愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併し、名古屋鉄道が誕生し、1944年名古屋鉄道が碧海電気鉄道を吸収合併すると同区間は碧西線と改称、さらに1948年に西尾線と再改称されました。西尾~岡崎新野区間は1943年に戦時不急不要路線に指定され、休止となり、1951年、岡崎駅前~福岡町間は復活しましたが、1962年に廃止となりました。

Dsc01169 2022/8/4 新安城駅 西尾・吉良吉田・蒲郡方面 列車案内

Dsc01170 新安城駅は3面6線で1,2番線が西尾線、3~6番線が名古屋本線となっています。写真は豊橋、吉良吉田方から名古屋、岐阜、新鵜沼方向を見ています。

Dsc01171 こちらは豊橋、吉良吉田方向 西尾線は単線で分岐しています。

Dsc01173 吉良吉田行急行が入線してきました。
須ヶ口を10:08に発車した9500系9512F、西尾線内も急行で南安城、桜井、南桜井、米津、桜町南、西尾、福地、上横須賀と停車し、吉良吉田に11:25に到着予定です。

Dsc01177 南安城 

Dsc01178

線内は殆ど単線ですが、堀内公園~桜井~南桜井~米津にかけては複線区間が存在します。

Dsc01181 線内の中心駅、西尾駅に接近 ここは折り返し列車があります。

また南安城、米津、西尾、福地、上横須賀では列車交換が可能です。交換駅のポイントはスプリングポイントです。

Dsc01183 新安城を出てから32分、11:25に終着、吉良吉田に到着です。
ここで蒲郡線に接続しています。

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コメント

西尾線沿線に住んでいるので、当たり前の風景ですけど何だか新鮮に感じますねえ。ちなみに蒲郡まで特急が来ていた時は福地駅で行き違いの運転停車していたことがありました。

かわうそくんさま、はじめまして。

コメントありがとうございます。
自分が普段乗りなれている路線が違って目線で見られることで意外な発見があることはyくありますね。
私も普段使っている、西武多摩湖線、新宿線、そして中央線に関する記事を読むとしばしばそんな思いをします。
名鉄の旅はまだまだ続きますが、これからもコメントがあれば是非よろしくお願いいたします。

愛知県三河の通勤圏の各自治体の“主任駅”はかなりの割合で名鉄が握ってます。例えば岡崎市の場合、JRの岡崎駅は愛環ジャンクションである他は大して開けてません。私が初めて岡崎駅に降りた1988年当時は駅前にコンビニしかないような印象で、主役は名鉄東岡崎駅です。なぜ名鉄岐阜などに改まるタイミングで“名鉄岡崎”とか“本岡崎”、“岡崎中央”なる駅名にならなかったのか不思議なくらいです。
西尾線が分岐する新安城についても、やはり安城市の“主任駅”だと思います。確かにJR化以降はJR安城駅のシェアも高まりましたが、新幹線の三河安城駅は新幹線利用客への定時運転アピールプレイの駅としてちょっと有名になったものの、東海道新幹線系統では他新幹線によく見られるような“新幹線は直営有人駅だが交差する在来線は夜間の女性の1人列車待ちが危険な無人駅”の悪名高き唯一の例です。
悲惨なブラック鉄道企業による大量殺人事件ともいえる福知山線脱線事故があったこともあり、やはり非東京大都市では新幹線拠点駅からは地元の私鉄に…という方も多いと思います。安城へは名古屋で“のぞみ”を降りたら名鉄ミューチケットで新安城へ…と今でも考えます。
但し、注意すべきは西尾線最初の駅である北安城駅は新安城駅よりも南なのに北という接頭方角詞がつくことですね。東京に居れば北品川駅が品川駅よりも南という矛盾があるのでとりわけ驚くネタでも無いかもしれませんが…

ねこたろうさま、おはようございます。

名鉄名古屋線とJR東海とはあの付近でし烈な競争を演じていると思われますが、どちらがそれぞれの自治体で代表的な駅を持っているかも重要なポイントなのでしょうね。正にそのことは地元の方々が一番よく知っていることなのでしょう。両社がそのことをよく理解して良い意味で切磋琢磨してサービスに反映してくれれば良いのですが。

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