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2023年1月31日 (火)

2022年度に就役した40000系 40158F, 40159Fを撮影

1月27日に西武池袋線に110周年記念トレインを撮影した際に、今年度、就役した40000系(Long固定タイプ;40158F,40159F)とも遭遇しました。

40000-40158-230127
40000-40058-230127 2023/1/27 石神井公園

40158Fは2022年6月16日に川崎車輌で竣工、6月19日にかけ、甲種回送され、私も新秋津でその引き渡しの模様を目撃した編成ですが、7月4日から営業運転に就いています。7月11日に既にレポートはしていますが。

40000-40059-230127 40000-40159-230127 2023/1/27 練馬

40159Fは今年初めの1月5日、川崎車両を出発し、DD200-2, EF65 2074により新秋津まで甲種回送されました(情報)。1月19日には有楽町線内でATO調整試運転(情報)、翌1月20日には池袋線内での試運転などの情報がありました。

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2023年1月30日 (月)

西武鉄道創立110周年記念トレインを撮影しに池袋線へ

先日の記事にあるように、西武鉄道の前身である武蔵野鉄道1911年10月18日に鉄道免許を取得、1912年5月7日に設立、当初は巣鴨駅を起点にする予定でしたが、東京府の指示で池袋駅を起点に1913年、計画を変更し、1915年4月15日に池袋線池袋~飯能間を開業しました。
正確には昨年が創立110周年になりますが、「創立110周年記念トレイン」として2000N系8連、2069Fが1928年に導入されたデハ5560形の塗色に塗り替えられ、1月24日火曜日から運転を開始したので、1月27日、金曜日に撮影して来ました。

池袋線の8連運用といえば、各駅停車の豊島園往復運用が圧倒的に多いようですが、27日も朝から晩まで殆ど池袋~豊島園間往復の運用に就いていました。

令和5年01月27日
2069F西武鉄道創立110周年記念トレイン
 ┌池 袋0524←0501保 谷─○
5708
 └池 袋0528→0557清 瀬┐ 
5851
 ┌池 袋0642←0603清 瀬┘ 
5852
 └池 袋0646→0659豊島園┐ 
5415
 ┌池 袋0725←0709豊島園┘ 
5416
 └池 袋0728→0746豊島園┐ 
5421
 ┌池 袋0805←0750豊島園┘ 
5422
 └池 袋0809→0831石神井┐ 
5609
 ┌池 袋0912←0851石神井┘ 
5612
 └池 袋0918→0934豊島園┐ 
5441
 ┌池 袋1004←0946豊島園┘ 
5442
 └池 袋1011→1027豊島園┐ 
5449
 ┌池 袋1052←1038豊島園┘ 
5450
 └池 袋1057→1112豊島園┐ 
5455
 ┌池 袋1138←1122豊島園┘ 
5456
 └池 袋1144→1157豊島園┐ 
5461
 ┌池 袋1222←1207豊島園┘ 
5462
 └池 袋1227→1244豊島園┐ 
5467
 ┌池 袋1307←1252豊島園┘ 
5468
 └池 袋1314→1327豊島園┐ 
5473
 ┌池 袋1352←1338豊島園┘ 
5474
 └池 袋1357→1412豊島園┐ 
5479
 ┌池 袋1438←1422豊島園┘ 
5480
 └池 袋1444→1457豊島園┐ 
5485
 ┌池 袋1522←1507豊島園┘ 
5486
 └池 袋1527→1544豊島園┐ 
5491
 ┌池 袋1607←1552豊島園┘ 
5492
 └池 袋1614→1627豊島園┐ 
5497
 ┌池 袋1652←1638豊島園┘ 
5498
 └池 袋1655→1713豊島園┐ 
5505
 ┌池 袋1744←1729豊島園┘ 
5506
 └池 袋1751→1818保 谷┐ 
5729
 ┌池 袋1906←1841保 谷┘ 
5748

8時過ぎに石神井公園駅に到着するとちょうど2往復の豊島園運用から石神井公園折り返し運用に入るところでしたので、まずは石神井公園到着、電留線入線を狙うことにしました。

2000n-8-2069-2301272000n-8-2070-2301272023/1/27 石神井公園 2069F

その後、各停で一つ先の練馬高野台に移動、撮影後、乗車して練馬へ2000n-8-2070-230127-2 2000n-8-2069-230127_20230128091301 2023/1/27 練馬高野台

2000n-8-2070-230127-edit 2000n-8-2070-230127-212000n-8-2069-230127-332023/1/27 練馬

練馬で豊島園線への入線と本線合流を撮影しました。

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2023年1月27日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 49 車両編 1600~1700系から2230系へ

名鉄2200系のなかに下二桁が30番台の編成が4編成います。2231F~2234Fですが、これらは1999年にデビューし、2008年には3両編成のうち、ク1600形が廃車となり、2021年には全廃となった1600系・1700系の歴史を物語る編成です。

2200-2331-220803 2022/8/3 名鉄岐阜 2231F

Dsc01156_20230126083501 Dsc01158_20230126083501 Dsc01161_20230126083501 2022/8/4 神宮前~知立 2231Fには神宮前から知立まで乗車しました。

1982年、国鉄が東海道本線に「東海ライナー」として117系の快速列車を投入したのに対抗して名鉄は名古屋本線の特急を増発し、かつ特急専用車両を投入することにしました。7000系4両編成のうち5本が特急専用車両となり、
・座席モケットをオレンジとブラウンのツートーンに変更し、座席の枕カバーも1人分ずつ別々のものとした
・通路にカーペットを敷いた
・各座席にくずもの入れを設置
・妻面の戸袋窓を閉鎖し埋め込み
・車体に200 mm幅の白帯を配して識別
・前面方向板のデザインを変更

所謂、7000系「白帯車」と言われた車両で、1983年には7000系4両編成4本と7700系2両編成4本が「白帯車」となりました。

1600

それから16年が経過し、7000系白帯車の置き換えを目的に登場したのが1600系でした。1988年に登場した1000系同様、「パノラマSuper」の愛称が与えられましたが、展望席は設置されませんでした。近い将来、開港する中部国際空港への輸送力の適正化も考慮され、編成は3両とし、4編成が投入されました。3両とも特別車で、先頭部には自動解結装置を装備し、名鉄では初となるVVVFインバータ制御方式が導入され、IGBT素子を使用、1C1M個別制御で、電動車は3両中1両としました。逆に空転が多発する原因にもなりました。ブレーキも名鉄特急車両では初となる回生併用電気指令式が採用され、常用ブレーキについてはT車遅れ込め減算方式を採用、各軸制御のABSを装備し、雨天時のブレーキ距離の短縮およびフラットの発生を抑制しました。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 145 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s (70 km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.2 km/h/s
編成定員 152名(3両)
全長 先頭車20,265 mm 中間車19,600 mm
全幅 2,700 mm
全高 屋根高 3,590 mm 冷房装置上面 3,960 mm パンタグラフ折畳 4,060 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機
主電動機出力 200 kW×4
駆動方式 TD継手式平行カルダン
歯車比 6.07 (85:14)
編成出力 =800 kW
制御方式 VVVFインバータ制御 (IGBT素子)
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動
保安装置 M式ATS

1700

西尾線、津島線直通の全車特別車特急として運用されていましたが、2007年の特急政策の変更で全車特別車特急は2000系のみとなったため、2008年7月13日を以って1600系としての運行は終了、3両のうちのク1600は早くも廃車となり、モ1700とサ1650は枇杷島のデルタ線を使用して方向転換が行われ、1700系に改造、新製された2300系と編成を組み一部特別車の6両編成となりました。尚、廃車されたク1600の台車等の走行機器は一部が2300系に流用されました。このとき、2300系側のナンバーは煩雑にならないように+30で設定され2331,2381,2431,2481からとされました。

2230

さらに2019年、2020年には2200系6・7次車として1700系特別車を置き換えるモ2200+サ2250が落成し、1700系はこの時点で全車廃車となりました。名鉄特急車両としては短命な22年の生涯でした。現在、こうして誕生した編成が2230系と言われています。

Dsc00878 Dsc00879 2022/8/3 栄生 2233F

Dsc00917 2022/8/3 栄生 2232F

2200-2233-220803 2022/8/3 犬山遊園 2233F

2230系、形態的には2200系との違いは無いようです。

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2023年1月26日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 48 車両編 2200系 一部特別車の空港特急用車

名鉄では1961年登場の7000系「パノラマカー」、その改良型の7500系(1963年登場)、1984年登場の8800系「パノラマDX」、1988年登場の1000系「パノラマSuper」と特急車両には前面展望を売りにしたパノラマカーが投入されてきましたが、21世紀の特急型標準車両として実用本位な設計で纏め、空港アクセス特急として全車特別車の2000系の運用が決まっていましたが、それを補完する特別車・一般車併結特急として開発され、空港開港と共にデビューしたのが2200系でした。2004年から2019年にかけ、日本車輛製造にて6両編成17本(うち4本は2230系、後日紹介)が製造されました。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.3 km/h/s (65 km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.2 km/h/s
編成定員 特89名+般481名*2(席192*3)
編成重量 206.1 t
編成長 114,135 mm
全長 19,600 (19,415) mm(特別車)18,830 (18,630) mm*4(一般車)
全幅 2,700 mm
全高 屋根高 3638.5 mm
冷房装置上面 4,038.5 mm(特別車) 4,054.5 mm(一般車)
パンタグラフ折畳 4,095 mm
台車 ボルスタレス台車
主電動機 かご形三相誘導電動機 TDK6382B
主電動機出力 170 kW× 4
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.65 (96:17)
編成出力 2,040 kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 三菱電機製 MAP-174-15V130A/B/C または 東芝製 SVF072-C0/G0
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動
保安装置 M式ATS

軽量鋼製19m級車体で基本設計は2000系に準じ、塗装は2000系の青と白から白をベースに「名鉄スカーレット」を採り入れ、特別車には号車表記をデザイン化した「1」「2」の文字が描かれました。前面は2000系が貫通構造で増解結時に貫通扉を開き幌を出せるのに対して、2200系は非貫通となっています。側面は豊橋・中部国際空港方向の特別車2両は2000系と同じ片側2扉なのに対し、岐阜・新鵜沼方向一般車4両は3300系に準じた片側3扉となっており、両開き扉です。冷房装置は特別車と一般車で異なり、特別車は15,000 kcal/hの集約分散式を1両につき2基、一般車では40,000 kcal/hの集中式を1基搭載しています。

2200_20230125073601

1次車:2004年度製造 登場時は特別車は座席が2次車に較べ1列分多くありました。座席背面のチケットホルダーもありませんでした。
2次車:犬山線~河和線系統の特急の約半数を一部特別車とするために導入されたもので、特別車の車いす対応席以外が荷物置き場となり、窓配置も変わりました。一般車はクロスシートの配置が横2+1列となり、通路幅が広がりました。
3-5次車:正面下部のスカート形状が変更され、塗装もスカーレットになり、窓下にスカーレット色のラインが追加されました。側面の号車表示装飾は廃止となりました。
6,7次車は後日紹介します。

Dsc00882 2022/8/3 栄生

Dsc00895

Dsc00963

2022/8/3 栄生

2200-220803 2022/8/3 名鉄一宮 朝のラッシュ時 通勤車と併結した運用

22003150-220803 2022/8/3 須ヶ口 同様に3150系との併結

2200-2203-220803 2022/8/3 犬山橋

2011年3月26日ダイヤ改正以降の運用
名古屋本線 : 全線
豊川線 : 全線(平日朝間帯の2往復)
常滑線・空港線 : 全線
河和線・知多新線 : 全線
犬山線 : 全線
広見線 : 犬山駅 - 新可児駅間(休日朝間帯のみ)
津島線・尾西線 : 須ヶ口駅 - 津島駅 - 佐屋駅間(平日夜間帯のみ)

ごく一部の例外を除いて快速急行以下の運用に就く場合は特別車は締め切りとなります。

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2023年1月25日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 47 車両編 2000系 空港アクセス特急「ミュースカイ」専用車

中部国際空港「セントレア」アクセス特急専用車両として2005年1月29日の空港開業向けに開発・製造された車両で、2004年から2006年にかけ日本車輛製造が製造し、4両編成12本、計48両が登場しました。10編成目までの2次車は3両編成で登場しましたが、好評であったため、2006年4月からの3次車以降は4連となり、1・2次車増結用のモ2150形が製造され、全編成4連となり、

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.3 km/h/s (65km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.2 km/h/s*1
編成定員 特181名
編成重量 152.8 t
全長 19,600 (19,415) mm*2
全幅 2,700 mm
全高 屋根高3638.5 mm
冷房装置上面4,038.5 mm
パンタグラフ折畳4,095 mm
台車 ボルスタレス台車 (車体傾斜装置付き)
主電動機出力 170 kW × 4
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 5.65 (96:17)
編成出力 1,360 kW
制御方式 VVVFインバータ制御 (IGBT素子)
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動

車体長19.5m軽量構造の鋼製車体で空気ばねを用いた車体傾斜装置を搭載しているのが特徴です。後日、紹介予定の2000系のモデルとされた1600系では3両編成のうち、1両を動力車とし200kWモータを搭載しましたが、空転の多発が問題となりました。そこで2000系ではモーター出力は170kWとし、登場当初の3連では2両が動力車、しかもモーターは4軸のうち3軸に搭載されました。したがって3連におけるMT比は1:1でした。当初、増結の際には付随者を1両加え、3/4M車を4軸共に動軸にする計画でしたが、増結車は4軸のうち2軸にモーターを装荷した2/4Mとなったため、4両におけるMT比も1:1になりました。

2000_20230124073901

電気指令式ブレーキを採用しており、同じシステムを搭載している3000番台、9000番台の通勤形電車と総括制御運転が可能です。保安装置は名鉄独自のM式ATSに加え、JRが開発したATS-Pが搭載され、車体傾斜装置による曲線通過速度の向上を制御しています。常滑線、空港線にはそのための地上設備が設置されています。

名鉄の特急車両では唯一の全車特別車となっており、
常滑線・空港線:全線(神宮前駅 - 中部国際空港駅)
名古屋本線:神宮前駅 - 名鉄名古屋駅 - 名鉄岐阜駅
犬山線:全線(枇杷島分岐点 - 新鵜沼駅)
広見線:新可児駅 → 犬山駅  間で専用種別「ミュースカイ」として運行されています。

コロナ禍による航空需要の落ち込み等で2020年5月2日以降、ミュースカイの一部運休が続いていましたが、2022年11月19日以降は全てのミュースカイが運行を再開しました。

Dsc00883_20230124105301

2022/8/3 栄生電留線 名鉄名古屋折り返しのミュースカイは栄生の電留線で休憩します。

Dsc00987_20230124105501 Dsc00988 2022/8/3 栄生を通過する回送列車

Dsc01039
Dsc01040
Dsc01041 2022/8/4 中部国際空港駅に進入するミュースカイ

Dsc01027  22022/8/4 中部国際空港のミュースカイ車両券販売機

Dsc01028_20230124110101 のりば案内

Dsc01033_20230124110101 列車案内

ミュースカイを利用する場合は乗車券に360円のミューチケットを購入しなければなりません。これは中部国際空港~名鉄名古屋、新鵜沼、名鉄岐阜、名鉄一宮、豊橋(神宮前乗り換え)皆一律です。

中部国際空港方面行き(平日)

名鉄岐阜始発 5:57 9:22 19:22 20:22
新鵜沼始発 6:13 6:40 7:14 7:46  8:16 8:45 9:47 17:45 18:45 19:45 20:48
新可児始発 6:27 7:00
名鉄名古屋始発 6:00 10:50 11:20 11:50 12:20 12:50 13:20 13:50 14:20 14:50 15:20 15:50 16:20 16:50 17:19 17:49 18:49

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2023年1月24日 (火)

西武国分寺線の2+4連の話題

これまでにも何回かありましたが、2000系、もしくは2000N系、貫通6両編成がデフォルトの西武国分寺線運用に2000系、もしくは2000N系2連と2000N系4連の併結編成が入ることがあります。そして、2連が奇数方に連結される場合もあれば、偶数方に連結される場合もあります。

Dsc02647

Dsc02648

2023/1/17 国分寺 2000N系2457+2541

今回の2+4併結運用がいつからなのかネットの目撃情報から追ってみると

24572541
この表のように、昨年12月23日までは2457Fは2081Fと10連を組み、2541Fは2533Fと8連を組んでいましたが、12月25日から26日まで、2457F+2541F+2533Fの2+4+4で本線運用(と言っても朝のラッシュ時のみ)に入り、27日から2457F+2541Fの2+4併結運用となっていることが分かりました。
さらに12月31日、1月7日、1月14日の土曜日には昨年3月のダイヤ改正で復活した土日の拝島線の6連運用に就いていたことも分かりました。ちなみに12月31日は5474レからの運用、1月7,14日は5476レからの運用でした。21日、22日もこちらに入るかと期待しましたが、両日とも国分寺線運用でした。

Dsc02666_20230122082001

Dsc026712023/1/21 国分寺 偶数向きから 2541F+2457F
週明けの23日月曜日も引き続き、国分寺線運用に入っていました。
いつもよりは異例に長い国分寺線の併結編成運用ですが、果たしていつまで続くのでしょうか?

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2023年1月23日 (月)

西武鉄道 2000系 2405F+2505Fの廃車

最近、名鉄の話題にかかりきりで地元、西武鉄道の話題から遠ざかっていますが、まずは昨年12月20日2000系2連の2405Fと2000N系4連の2505Fが横瀬基地に廃車回送された話題です(ニュースソース)。

2000-2-2405-160506 2016/5/6 小平

2000-2-2405f-160530 2016/5/30 井荻

2000-2-2406-210720 2021/7/20 小平~久米川

2000-2-2406-211111 2021/11/11 萩山~小平

2405Fは新宿線の各停8連化の際に増結用2連が必要となり、2000系の第4次車として2401F~2415Fが新造されました。1983年4月7日に所沢車輛工場で竣工、2000年11月6日にはCPがAK-3からHS10に換装、2004年6月22日に更新修繕を受け、パンタグラフのシングルアーム化改造や車椅子スペースの設置等のバリアフリー化工事を受けています。同期の2連8編成のうち、クハ2410,2412,2414,2416は第3次車として製造された2031F, 2033F初代6連の編成解体で浮いた4両のクハの半数を方向転換、改番して対応しました。1986年3月23日の田無追突事故で2415Fは早々と廃車になりました。

2000n-4-2505-011231

2001/12/31 萩山 多摩湖線運用投入時

2000n-4-2505-170121-2 2017/1/21 本川越 国分寺線運用投入時

2000n-4-2505-160606-21

2016/5/5 井荻 4連併結で新宿線本線各停運用

2000n-4-2505-210719

2021/7/19 萩山~小平

1987年度末1988年3月、2000N系の第一陣として4両編成4本、2両編成1本、6両編成1本が2000系第6次車として登場しましたが,2505Fはその一員で1988年3月31日に東急車輛で竣工しました。1993年1月18日には減パン工事、2003年4月18日にはMG,CPの換装工事を受けています。

さらにその1週間前の2022年12月13日に武蔵丘車両検修場に入場した2000N系8連の2069F(ニュースソース)ですが、情報によると「西武鉄道110周年記念トレイン」に塗装されているようで、1月24日から西武池袋線にデビューするようです。西武鉄道の前身、武蔵野鉄道が1928年6月に川崎造船所に発注した2扉クロスシート車、全鋼製車体の制御電動車デハ5560形、制御車サハ5660形をモチーフにしたものとなるようです。デハ5560形5561・5562、サハ5660形5661・5662は後年モハ241・242、クハ1241・1242に改番され、モハは1959年4月、クハは1958年7月まで活躍しました。廃車後は近江鉄道に譲渡されました。

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2023年1月20日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 46 車両編 1000系+1200系、1800系の車体更新

1988年から1997年にかけて21編成登場した1000系でしたが、1011Fから1016Fは編成分割、1200系との併結編成構築を経て、増結編成の1800系ともども、2015年から車体更新が行われることになりました。

1200-1800-renewal

1000系ー1200系 A/B編成、および増結用1800系編成の車体更新

更新工事の内容は客室内の改装、トイレの洋式化などで、外装のカラーリングもこの機に変更され、2200系に近いものになることになりました。リニューアルの機会に、系列の呼称も1200系とすることが発表されました。年間3編成のペースで2018年までに更新工事は完了し、更新車両は向こう15年程度の使用年数を考慮しているとのことです。

一方、1000系21編成のうち、4連のまま残された1001F~1010F, 1017F~1021Fは全車特別車と呼ばれ、広見線・犬山線・知多新線系統の特急として新可児駅 - 犬山駅 - 名鉄名古屋駅 - 太田川駅 - 富貴駅 - 内海駅間の運用や、犬山線・豊川線系統の特急として新鵜沼駅 - 名鉄名古屋駅 - 国府駅 - 豊川稲荷駅間の運用に就き、前者では編成2本を併結した8連での運用でした。4連単独編成は幹線区間以外に西尾線・尾西線・津島線・河和線などにも定期列車として運用されていました。しかし、2007年の名鉄の特急政策の見直しにより、同年6月から廃車が開始され、台車などの足回り機器の一部が新製された二代目5000系に流用となりました。2008年12月26日を以って、全車が運用を離脱、同グループの廃車で岐阜方の展望席は消滅となりました。

1000-4r
4連で残された「全車特別車」編成の廃車

Dsc01233_20230118212301 2022/8/4 知立 1014F(A編成)

Dsc00871 2022/8/3 犬山

Dsc00898 2022/8/3 栄生

Dsc00940 2022/8/3 栄生

Dsc00985_20230118212801 2022/8/3 栄生

以上の5枚の写真の先頭車はスカートの通風孔が連結器の向かって右側にあります。

Dsc00948 2022/8/3 栄生
Dsc00962 2022/8/3 栄生

一方、こちらの2枚は連結器の向かって左側にあります。こちらは元々、岐阜側のク1100を方向転換したB編成のようです。
リニューアル後も通風孔の位置はそのままなんですね。



Dsc00886 2022/8/3 栄生 1200系一般席側

Dsc00930 2022/8/3 栄生 1200系一般席側

Dsc00939 2022/8/3 栄生 1200系一般席側

Dsc01235_20230118214201 2022/8/4 知立  1014F(A編成)

1800-220803 2022/8/3 名鉄一宮 1800系増結編成

Dsc00921 2022/8/4 栄生 1800系増結編成

1800-220803-21 2022/8/3 名鉄一宮 1800系の単独運用

以上、1000系としての誕生、全車特別車から一部特別車への政策の変更に対応しての1200系の併結、増結編成としての1800系の登場、7500系などの機器流用での編成増備、事故による一般車格下げといった1000系一族の波乱の歴史について見てきました。1000番台の特急車両には1600系、1700系という短命の生涯を辿った系列もありますが、それらについては2200系の中で触れることにします。

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2023年1月19日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 45 車両編 1000系+1200系編成に増結車として1800系・1850系が登場

かつて東海道本線に20系電車特急「こだま」が登場した際に1958年登場の第一陣ではクハ26+モハ20+モハシ21+サロ25の4両を背中合わせに連結した8連で登場、第2陣ではモロユニットとサハ2両が追加され、1960年6月のダイヤ改正で「つばめ」「はと」を置き換えた際に第1陣のクハの半数は方向転換され東京寄りに集められ、大阪寄りの先頭車にパーラーカーのクロやモロユニット、サロ2両、食堂車、ビュッフェが集結する編成となりましたが、名鉄の1000系パノラマSuperの歴史もそのミニチュア版のような気がしました。

1000系に関しては一部が1200系との併結編成となった後、ラッシュ時における一般席増結用車両として1800系2連が1991年に5本、1992年には7500系などの機器を流用した同じく増結用の1850系2連が3本、さらに1996年には1800系2次車として4本が製造され、12本体制となりました。

1800-1850

形態は1200系の2連版のようなスタイルですが前面の愛称表示装置やミュージックホーンは省略されており、制御方式は1800系は一般車の6800系2連と同じ界磁添加励磁制御方式、台車はボルスタレス方式、Tcは1200系と同じSS026、Mcは主電動機の仕様が異なるためSS126Aとなっています。1995年から1次車の台車にヨーダンパが設置され、Mc車の台車は2000年12月から台車枠の補強工事が行われました。2004年4月からはSS165への交換工事が開始されました。1850系は7500系の機器を流用し、1800系と同様の車体に搭載しており、他励界磁制御方式となっています。

1853Fが2015年6月3日、岐南駅で電源喪失によるオーバーラン事故を起こし、3編成とも運用離脱、休車となり、事故原因の特定後、1851F, 1852Fは復帰しましたが、1853Fと1852Fが2016年,1851Fも2019年に廃車となり、1850系は全廃されました。

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2023年1月18日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 44 車両編 1000系パノラマSuper 21編成の運命が分かれた編成換え

1988年に登場した1000系ですが、登場当初は単独で運用を組んでいましたが、名古屋本線はJR東海と競合するため1990年以降は5000系、7000系等を一般座席車として連結し、営業運転を行っていましたが、座席指定車が4両連結され、しかも車両間通り抜けが出来ない構造であることから、誤乗が絶えない問題がありました。また他系列を併結した編成は最高速度が110km/hに抑えられるため、所要時間が長くなる問題点もありました。

そこで3次車の製造が一段落した1990年10月、1000系の一部の編成を2分割し、半数を方向転換し、豊橋向きに揃え、一般座席車として1200系4連を新たに製造し、6連の固定貫通編成とすることにしました。

1000系を分割した際、元々、豊橋方だったク1000-モ1050に1200系4連を併結した編成をA編成、方向転換されたク1100-モ1150に1200系を併結した編成をB編成と呼ぶことにしました。1200系側もトイレのある編成と車掌室のある編成が用意されました。
1991年に1013F~1016Fの4本、1992年に1011,1012Fが編成換えを施行されました。

10001200_20230117194301

1000系+1200系 A/B編成 A編成はM1M2ユニットの向きが逆となっています。

1200系主要諸元

最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.3 km/h/s (60km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.2 km/h/s*1
編成定員 471(座席216または218)名
編成重量 216.9 - 217.4 t (6両)
編成長 116,600 mm (6両編成)
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,830 mm 3号車のみ 19,930 mm
全幅 2,740 mm
全高 屋根高 3,560 mm 冷房装置上面 3,880 mm パンタグラフ折畳 4,065 mm
主電動機 複巻整流子電動機 TDK8225A
主電動機出力 150 kW × 4
歯車比 4.82
編成出力 1,800kW
制御方式 界磁チョッパ制御
制動装置 回生併用電磁直通空気ブレーキ
保安装置 M式ATS

1200系4連は基本設計1000系に準じていますが通勤事情を考慮し、展望車の省略、デッキの廃止、両開き3扉構造となりました。側窓は1000系と共通構造としました。2号車に車掌室、3号車にトイレがある編成がA編成で1200、1400番台、2号車にトイレ、3号車に車掌室の編成がB編成で1300、1500番台、下二桁は1000系と番号を合わせました。
1M方式の電動車を含まないため編成全体で4M2Tとなり編成出力は高く、起動加速度も2.3km/h/sと1000系4連に較べ若干高くなっています。
台車はボルスタレス台車で当初は電動台車がSS126系・付随台車がSS026系、1995年頃からヨーダンパが追加設置され、2004年から電動台車に限り強度を増したSS165系(SS165B・SS165C)へと交換されました。

10001200a-090323

2009/3/23 金山付近を行く1000系-1200系 A編成

10301230-1380

1030-1230系 そして1134F事故復旧で登場した1380系

本線特急の車種統一のため、1992年10月に廃車となった7500系の機器を流用し、1000系-1200系スタイルの6連がまず3本製造されました。1030系-1230系と命名され、1000系-1200系B編成と同じ2号車にトイレ、3号車に車掌室のスタイルとなりました。MT比、制御方式は機器流用の関係から7500系と同じ他励界磁制御方式で全電動車方式となっています。1993年8月には2次車として1本増備され、1131Fから1134Fの4本が在籍していましたが、1134Fは2002年9月26日の奥田~大里駅間での衝突脱線事故で特別車2両が廃車となり、残る4両はモ1384に運転台を新設し、一般車に格下げされ、1380系となりました。この編成は名鉄としてしては最後の「赤い電車」となりました。
これらの編成は2200系3次車の登場で2015年より廃車が開始され、まず1380系が2015年9月14日に廃車となり、2019年3月までに残る1030系-1230系も廃車となりました。

Super-090320

2009/3/20 豊橋 スカートの通風孔の位置からA編成

Super-130323 2013/3/23 豊橋 こちらはB編成

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2023年1月17日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 43 車両編 7000系の伝統を継ぐ1000系パノラマSuper 登場の頃

昨日の記事にもありましたが、名古屋本線東西直通40周年を記念して1988年7月8日7000系パノラマカーの後継として運転を開始したのが1000系でした。当初は4連、全車両座席指定車で1997年までに5次に渡り、21編成が登場しました。


主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s (特別車4両60 km/hまで)2.3 km/h/s (特別車2両60 km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.2 km/h/s
編成定員 216名(特別車4両)108名(特別車2両)
編成重量 149.0 - 156.0 t (特別車4両)77.0 - 79.0 t (特別車2両)
全長 先頭車 20,380 mm
中間車 19,730 mm
全幅 2,740 mm
全高 一般客室屋根高 3,520 mm
冷房装置上面 3,884 mm
パンタグラフ折畳 4,025 mm
主電動機 複巻整流子電動機 TDK8225A
主電動機出力 150kW × 4
歯車比 4.82
編成出力 150 kW×8=1,200 kW(特別車4両)150 kW×4=600 kW(特別車2両)
定格速度 全界磁 55 km/h 8 %弱界磁 102 km/h
制御方式 界磁チョッパ制御
制動装置 回生併用電磁直通空気ブレーキ
保安装置 M式ATS

車体は普通鋼製、車体幅は車両限界ほぼ一杯となっています。先頭部分に展望席が設置され、先頭部分の台枠を下げ、運転台床を台枠下と面一とし、天井を下げた1階部分と展望席を階段状の中2階とする8800系パララマDXの流れをくむハイデッカー構造としました。

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1次車は1001F~1009Fの9本でM2のM1寄りに車掌室、M1のM2寄りにトイレが設置されました。車体塗装はクリームホワイト色を基調に、スカーレットの帯をを側窓の上下に入れ、裾部分をライトブラウンにしました。制御方式は6500系とほぼ同じGTO界磁チョッパ制御で主電動機は150kW腹巻直流モータ(TDK8225A・340 V, 490 A, 1,700 rpm)、パンタグラフはM1,M2のTc寄りに搭載、台車はSU形ミンデン式FS539およびFS039、軸ばねを特急車仕様としました。補助電源装置は名鉄で初めてDC-DCコンバータが使用されました。
2次車1010F~1012Fの3編成で中間車の山側1人掛け座席を2列に変更、当初から耐雪ブレーキを設置しました。
3次車は1013F~1016Fの4編成で本線120㎞/h運転に備え、増圧ブレーキを当初から設置しました。
4次車は1017F~1019Fの3編成で運転室の塗装をクリーム色に、台車はボルスタレス式SS126FとSS026Fで高速運転時の乗り心地改善のため1995年秋からヨーダンパが設置されました。
5次車は1020F,1021Fの2編成で台車は当初からヨーダンパ付きとし、M車の台車は3500系2次車のSS126E2と同様の変更を施したSS126F2としました。

冷房装置は東芝製RPU-4414(15,000 kcal/h)を各車2基搭載しました。さらに熱交換型換気装置(ロスナイ)を併用しました。

電磁直通ブレーキシステムを搭載した5700系、5300系、5500系、6000系、6500系、6800系、7000系、7700系、7100系、8800系との総括制御運転が可能です。

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2023年1月16日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 42 名鉄の車両形式 附番の方式について

名古屋鉄道には2022年3月時点で約1,100両弱の車両が在籍し、その内訳は以下のようになっています。

202203
2022年3月時点の名古屋鉄道 形式別在籍車両数 総計で1086両

現在の形式附番ルールでは
地下鉄直通車両が3桁
1000番台 特急用車両(パノラマSuper系)
2000番台 特急車両(空港アクセス用)
3000番台 通勤用車両(VVVFインバータ制御)
4000番台 同上
5000番台 3扉高性能車(車体更新車)
6000番台 3扉高性能車
9000番台 通勤用車両(VVVFインバータ制御)  

1955年にカルダン駆動方式の高性能車(SR車)が登場したとき、5000系が登場、さらにその発展型として1961年にパノラマカー7000系が登場し、一挙に7000番台となりましたが、この流れは高性能車登場以前、2000番台が旧型制御車・付随者、3000番台が旧型電動車に附番されていた流れを反映してのことだそうです。5000系や7000系は全電動車方式だったため4000番台、6000番台は欠番となりました。

1000番台はかつては木造旧型電動車が附番されていましたが70007500系の後継として名古屋本線東西直通40周年を記念し、1988年7月8日にパノラマSuperが営業運転を開始したときにはこの新車両が二代目1000系となっていました。2000番台もかつては旧型制御車・付随車に附番されていましたが、2005年1月29日、空港線開業に合わせ空港アクセス特急として営業開始したミュースカイに2000系が附番されました。1000番台、2000番台の系列は新たに登場した系列に附番される際には以前の系列は消滅済みでしたので混乱なく附番されました。
3000番台に関してはVVVF制御の通勤車が登場した際、初代3000番台の旧性能車3300系(2代目)、3400系が残存していたため3500系からの附番となりました。その後、3700系、3100系、3300系、3150系といった順序での附番となりました。

8000番台は1965年、1969年に製造された国鉄高山本線直通の準急、急行、特急車両「たかやま」「北アルプス」用キハ8000系、その後継車両キハ8500系に使用されましたが、両系列の消滅後は空番となっています。    

名鉄といえばかつては路面電車、ディーゼルカー、指定席・自由席兼用車両、他社ではとっくに引退した旧型車両の残存などバラエティー豊かな構成が特徴でしたが、経済情勢の変化やJR東海との競争で合理化・効率化を余儀なくされた結果、利用率の高い路線は異端車両の整理が進み、利用率の低い路線は縮小・廃止が行われ、非電化、600Vの路線が全廃となり、今日の形になったと言えます。

バラエティーに富んだ車両が多かった1970年代に較べ、保有車両数は400両ほど増加していますが、車両形式体系は明確で分かりやすいものになっています。    

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2023年1月13日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 41 名鉄の20路線ネットワークはどのようにして作られていったか

今回の記事では今日の名鉄20路線のネットワークがどのようにして形作られたかを年代を追いながら見て行こうと思います。

S_20230112101201

名古屋鉄道は現時点で鉄道企業20、バス企業1、不動産企業2の合計23企業を合併、多数の交通運輸事業を譲り受け、郊外電気鉄道網を形成し、営業範囲は愛知県から岐阜県の大半に及び、営業路線網は近畿日本鉄道、東武鉄道に次ぎ民鉄第3位に鉄道会社に成長しています。

そもそもの始まりは1894年6月25日に免許が下付された愛知馬車鉄道で、最初は資金調達が難航しましたが1895年京都電気鉄道の建設に尽力した実業家大澤善助が経営に参加し、馬車鉄道から電気鉄道に変更したことで電気鉄道敷設の免許を得ることが出来、1896年6月19日、社名を名古屋電気鉄道と改めました。1898年5月6日、我が国で2番目となる電気鉄道が笹島~柳橋~御園町~七間町~県庁前間に開業となりました。

1897年 1896年に設立した豊川鉄道が吉田(現、豊橋)~豊川間を開通、1900年9月23日、大海まで全通、
     鳳来寺鉄道伊那電気鉄道三信鉄道と合わせて1937年8月20日、辰野まで全通(後の飯田線に)。

1900年 1896年に設立された尾西鉄道弥富~新一宮間全通

1901年 押切線 柳橋~押切町開通 

1903年 千種線 久屋町~千種間開通

1905年 1902年設立の瀬戸自動鉄道瀬戸~矢田間開通 

1911年 1909年設立の美濃電気軌道が岐阜駅前~本町、神田町~上有知間開通、御黒門線・江川線・覚王山線開通 

1912年 1910年設立の愛知電気鉄道が伝馬町~大野町間開通、最初の郡部線枇杷島~西印田間、岩倉~犬山間開通

1913年 一宮線 西印田~東一宮間開通、一宮線全通

1914年 津島線 枇杷島橋~新津島間開通、1912年設立の三河鉄道刈谷新~大浜港間開通 
     1910年設立の西尾鉄道(設立時が西三軌道西尾~港前間開通

1921年 名古屋鉄道設立、名古屋電気鉄道の地方鉄道部の事業譲受

1922年 愛知電気鉄道が東海道電気鉄道合併、名古屋市に市内線を譲渡

1923年 蘇東電気軌道合併、愛知電気鉄道 神宮前~東岡崎間全通

1924年 谷汲鉄道各務原鉄道設立 

1925年 尾西鉄道の鉄道事業譲受、碧海電気鉄道設立 

1926年 愛知電気鉄道が西尾鉄道合併、尾北鉄道設立、東美鉄道設立 

1927年 愛知電気鉄道、神宮前~吉田(現、豊橋)間開通、知多鉄道設立、城北電気鉄道設立 

1928年 押切町~新一宮間全通

1929年 城北電気鉄道と尾北鉄道の事業継承 

1930年 美濃電気軌道と合併し、社名を名岐鉄道と改称 

1931年 知多鉄道 太田川~成岩間開通 

1935年 各務原鉄道合併、押切町~新岐阜間開通、名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併し、社名を名古屋鉄道と改称 

1936年 谷汲鉄道の経営を受託

1937年 勝川線、味鋺 - 新勝川間を廃止(1931年2月11日、名岐鉄道が城北線の一部として開業)

1939年 瀬戸電気鉄道合併 

1940年 渥美電鉄及び豊橋自動車合併

1941年 新名古屋駅開業、新名古屋~枇杷島橋間開通、三河鉄道合併 

1943年 知多鉄道、東美鉄道、竹鼻鉄道合併

1944年 東西連絡線完成(新名古屋~神宮前間開通)、豊川鉄道、鳳来寺鉄道、碧海電気鉄道、谷汲鉄道合併

1946年 三河線の貨物支線(碧南~玉津浦間)大浜口支線廃止

1948年 清洲線 丸の内~清洲間線路供出による廃止

1954年 渥美線新豊橋~三河田原間を豊橋鉄道へ譲渡 、起(おこし)線 新一宮~起間廃止、渥美線 碧南駅 - 玉津浦駅間廃止、
     小坂井支線 伊奈~小坂井間廃止

1955年 新川口支線 新川町~新川港館貨物支線廃止

1959年 旧西尾線 福岡町~西尾間廃止、尾西線 玉ノ井~木曽川港間廃止 両線とも戦時中の休止から復活することなく廃止

1960年 平坂支線 西尾~港前間 閑散路線として廃止、高富線 長良北町~高畠間廃止

1961年 安城支線 南安城~安城間廃止

1962年 モノレール線犬山遊園~動物園間開通(日本初の跨座式モノレール) 、岡崎市内線、福岡線 岡崎駅前~岡崎井田間廃止
     挙母線 岡崎井田~大樹寺間廃止

1964年 岩倉支線 岩倉~小牧間廃止、鏡島線 千手堂~西鏡島間廃止

1965年 一宮線 岩倉~東一宮間廃止

1973年 挙母線 大樹寺~上挙母間廃止

1976年 瀬戸線 堀川~東大手間廃止

1978年 瀬戸線栄町乗入れ開業 

1979年 豊田線開業、地下鉄鶴舞線と相互直通運転開始 

1980年 知多新線全線開通

1982年 羽島線開業 

1984年 知立連絡線 廃止

1988年 岐阜市内線 徹明町 - 長良北町間廃止

1990年 神宮前~金山駅間複々線が完成

1993年 犬山線と地下鉄鶴舞線との相互直結運転開始

1999年 美濃町線 関 - 美濃(実態は新関 - 美濃)間廃止

2001年 八百津線 明智~八百津間廃止 竹鼻線 江吉良 - 大須間廃止 谷汲線 黒野~谷汲間廃止 揖斐線 黒野 - 本揖斐間廃止

2003年 上飯田連絡線開業、小牧線と地下鉄上飯田線との相互直通運転開始  

2004年 三河線 西中金 - 猿投間、碧南 - 吉良吉田間廃止

2005年 空港線開業 岐阜市内線 岐阜駅前 - 忠節間廃止 美濃町線 徹明町 - 関間廃止 揖斐線 黒野 - 本揖斐間廃止
     田神線 競輪場前~田神間 廃止 
2008年 モンキーパークモノレール線 犬山遊園~動物園間廃止

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2023年1月12日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 40 2日間の旅のまとめ 運賃編

2022年8月3日から4日にかけての2日間、「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を利用した今回の旅のまとめをしようと思います。

Photo_20230111105101
現行の名鉄の距離と運賃の関係です。

Photo_20230111111001
名鉄の運賃は線区によって運賃計算キロと実際の距離の関係が変わります。
営業キロがそのまま運賃計算キロになるAタイプは名古屋本線だけで、
営業キロに1.15を掛けた距離で運賃計算をするBタイプが
西尾線・蒲郡線・豊田線・常滑線・空港線・築港線・河和線・瀬戸線・津島線・犬山線・各務原線・小牧線、
営業キロに1.25を掛けた距離で運賃計算をするCタイプが
豊川線・三河線・知多新線・尾西線・広見線・竹鼻線・羽島線となっており、
知多新線、空港線、豊田線、羽島線は建設費回収のための加算運賃があるからです。

20220803 1日目 8月3日に乗車した線区 実際に乗車した距離の合計は232.1kmで乗車した通りに乗車券を購入すると4970円になります。

20220804 2日目 8月4日に乗車した線区 実際に乗車した距離の合計は393.4kmで乗車した通りに乗車券を購入すると8420円になります。
kmあたりの運賃を計算すると2日目の方が若干高いのは初乗り回数が1日目:7回に対し、2日目:10回と多いのと、空港線、知多新線、豊田線の加算運賃の効果かも知れません。2日間の合計が普通に切符を購入した場合、13390円に対し、2DAYフリーきっぷは4000円ですから、かなりお得な切符であることが分かります。

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2023年1月11日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 39 尾張瀬戸から栄町へ

尾張瀬戸駅は貨物取扱廃止までは構内に貨物側線が残っていましたが、1978年2月15日の貨物取扱廃止以降、旧貨物側線は電留線として整備されました。これは栄町乗り入れにより、運用車輌が増加するのに対する措置でした。さらに駅舎に関しても大正時代以来の2代目駅舎が長らく使用されて来ましたが、2000年に国土交通省の鉄道駅総合改善事業として事業主体となる尾張瀬戸駅整備株式会社(第三セクター)を設立し、2002年には電留線の配線変更、2005年には駅前公共施設パルティせとの開設、駅前バスターミナルの整備などの再開発が行われました。

Dsc01322 2022/8/4 この写真では分かりませんが、現在の3代目駅舎は陶都瀬戸をイメージした登り窯の形をしています。
1面2線のホーム、頭端式構造です。

Dsc01325 瀬戸線は他の名鉄路線とは接続の無い孤立路線のため、瀬戸線内各駅と名鉄他線の間を地下鉄等で移動し乗り継ぐ際、瀬戸線内の距離数と名鉄名古屋、金山から先の名鉄線の距離数を通算する特例運賃が設けられていましたが2006年に廃止されました。


Dsc01319 昨日の記事にある電留線は2002年の配線変更で2本になりました。運用車輌の半数が滞泊し、日中は1編成が留置されています。

瀬戸線では普通以外に急行・準急が運行され
急行は途中、東大手、大曾根、小幡、喜多山、大森・金城学院前、三郷、新瀬戸に停車
準急は途中、東大手、大曾根、小幡、喜多山以降各駅に停車  という停車駅設定になっていますが、途中での追い抜きが無いため(喜多山駅にしか退避設備がない)、追い抜きはなく先発列車が先着するダイヤとなっています。

車両の検査は尾張旭駅に隣接した尾張旭検車支区で行われ、かつては大曾根駅での中央本線との貨物連絡線を使用しての車両の搬入、搬出が行われていたこともありましたが、現在は重要部検査や全般検査の際は台車・主要機器を車体から取り外し、トレーラーで道路上を名古屋本線の名電山中~藤川間にある舞木検査場まで陸送する方式となっています。

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2023年1月10日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 38 瀬戸線の歴史と1986年12月の瀬戸線

瀬戸焼の産地である瀬戸と名古屋を結ぶ鉄道、特に貨物輸送の開設機運は明治20年代に高まり、当時、国は中央本線の整備を進めていましたが、その誘致には失敗してしまいました。瀬戸から鉄道を敷設すれば中央本線に大曾根駅を開設するという意向を取付けた地元は加藤杢左エ門らの出資で1905年4月2日瀬戸自動鉄道として瀬戸から矢田川を渡る手前の瀬戸~矢田川間14.6kmの開業に漕ぎつけました。矢田川の架橋工事は困難を極めましたが、1906年には大曾根駅まで開業しました。中央本線に大曾根駅が開業したのは1911年でした。

開業当初は非電化で我が国では唯一となったフランスの技師レオン・セルポーレが1887年に開発したコークスを燃料に、半月形断面の水管を使用したセルポレー式蒸気動車3両が導入されたましたが、燃料切れなどの問題が多発し、1906年には瀬戸自動鉄道は瀬戸電気鉄道に改称、1907年には同線は直流600Vで電化されました。ただ、当時の電気の供給は不安定で1910年頃までは蒸気自動車も併用され、停電日、時間帯が解消された1911年までは活躍していました。

中央本線の大曾根駅は一向に開業にいたらなかっらため、名古屋都心部への路線が計画され、名古屋城の外堀を経由する「外濠線」や車道沿いに新堀川に至り、瀬戸物を堀川を運航する貨物船に積み替えるため、外濠線が建設されることとなりました。用地買収的には問題はありませんでしたが、名古屋城の外堀を経由するため、ガントレット(狭窄線・搾線 :単線分より広めの用地に複線の線路を重なるようにはめ込んだもので複線区間ではあるがすれ違いはできない)やサンチャインカーブ(曲線半径60mの急カーブで1チェーンが20mのため)といった特殊な線形が使用されました。

輸送力増強で1929年には全線複線化され、好況により貨物収入による増収の時期もありましたが、日中戦争の長期化による鉄道輸送統制強化などで1939年には名古屋鉄道と合併、同社の瀬戸線となりました。

戦後、空襲の被害はそれほど大きくなかったので運行の再開は早かったのですが1948年1月5日には大森駅(現、大森・金城学院前駅)東側で多数の初詣客を乗せた車両が横転する事故が起こり、多数の死傷者を出す瀬戸線史上最悪の惨事が起きてしまいます。

この事故を受け、線路改良、路線強化などの近代化が進められ、輸送上のネックとなっていたお濠区間の整備と名古屋都心への乗り入れを如何に実現するかが大きな問題となり、市営地下鉄との相互乗り入れも検討されましたが全て頓挫し、名古屋市との間で栄~大曾根間の競合を避けるため八事~赤池間の免許の譲渡と栄乗り入れの協定が結ばれ、1978年8月20日、名鉄長年の悲願であった栄乗り入れが実現となりました。これに先立ち、1978年2月15日には貨物営業の廃止、同年3月19日には架線電圧の1500V昇圧も行われました。このときに瀬戸線に投入されたのが6600系、3730系、3770系、3780系といった車両達でした。最高速度はそれまでの70km/hから80km/hに上げられました。

6600-861206

1986/12/6 尾張瀬戸駅 逆光のため潰れていますが、瀬戸線専用車両として1500V昇圧後、導入された6600系 
6000系の瀬戸線バージョンとして昇圧後、2両編成(ク6600形+モ6700形)が6本投入されました。現在活躍中の4000系の投入により、2013年3月5日に全車両廃車となり、形式消滅しました。

3780-861206 1986/12/6 尾張瀬戸 3780系 3785F

名鉄の車両では吊り掛け駆動車のうち、間接主導診断制御器を搭載したHL車「Hand-operated Load control」(非自動加速〔手動負荷〕制御)に属し、HL制御車3700系、3730系、3770系の流れを汲んだ車両で1966年11月から12月にかけ、制御電動車モ3780形、制御車ク2780形の2連10本が日本車輛製造本店で製造されました。3780系はこれらの中で冷房を初めて搭載した車体更新系列です。当初は本線に投入され三河線直通特急「かえで号」などで運用されましたが、1978年の瀬戸線架線電圧昇圧後は車体カラーをクリーム地に赤帯(導入当初はライトパープル一色塗)から写真のようなスカーレット一色に変更、地下線対策として車体の不燃構造化改造が施されました。1995年に6000系2連に置き換えられ形式消滅、HL車も全廃となりました。

3770-2776-861206 1986/12/6 尾張瀬戸 3770系 ク2776

1950年代当時に多数在籍した木造車体の車体更新を目的に1957年から登場したのが3700系で1964年には高運転台、1400mm両開き扉とした3730系が登場、1966年には転換クロスシート装備となったのが3770系でした。瀬戸線昇圧の際に2両が転属、その後全車転属しました。1990年に瀬戸線から引退しました。

861206 尾張瀬戸駅のそばに掲示されていた瀬戸市内案内図

ちなみに開業時の瀬戸駅が尾張瀬戸駅に改称されたのは1921年2月19日のことでした。

今回、1986年12月の名古屋出張の際に寄り道した瀬戸線訪問のことを思い出し、スライドをスキャンしましたが、訪れたときにはこんな写真役立つだろうかと思いつつ撮影した写真でしたが、時間の経過は意外なところで面白い結果を生むと感じだ次第です。

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2023年1月 9日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 37 最後は瀬戸線 まずは栄町へ

名鉄名古屋からスタートして、常滑線、空港線、築港線、西尾線、蒲郡線、三河線(海線・山線)、豊田線と以前、乗車した豊川線を除き、名古屋から東側の路線を乗り継いできた名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅、2日目も残すところは他線と連絡のない瀬戸線となりました。

Dsc01300edit

2022/8/4 名古屋市営地下鉄路線図 
赤池から栄に向かうルートは何通りかありますが、今回は上前津で乗り換えるルートを選択しました。

Dsc01299 鶴舞線 駅名標

Dsc01304edit

名城線 駅名標
Dsc01305 栄 名鉄瀬戸線方面 東改札口

Dsc01307名鉄瀬戸線の乗り場は地下に この光景を見て、1980年代、瀬戸線の地下新線が開業(1978年8月20日)して間もないころ、名古屋出張の機会に乗りに来たのを思い出しました。

Dsc01309

名鉄瀬戸線 栄町駅改札口 時刻は16:45頃でしたが、この日はきちんと昼食の時間を確保していなかったため、この時間まで朝から何も食べなかったのを思い出し、慌てて食料を調達したのを覚えています。

Dsc01315 駅名標

Dsc01311 他線との連絡のない瀬戸線では2008年に登場した4000系が運用に就いています。

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2023年1月 6日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 36 猿投から梅坪、豊田線で赤池へ

12月28日の記事にあるように三河(山)線は1924年10月31日、猿投まで開業、その後、1928年1月22日には西中金まで延伸しましたが、2004年4月1日、猿投~西中金間は廃止となりました。Dsc01279 2022/8/4 駅名標

Dsc01280_20230105110301 猿投検車支区で休む6000系4連

駅の横には猿投検車支区があり、三河線の主力である6000系編成が入換、洗車などをしているのを見ることができます。三河線の車庫はかつて刈谷に検査場がありましたが、1979年6月10日にこちらに移設されたそうです。配置されているのは豊田線用の100系、200系と三河線の6000系です。

Dsc01283_20230105111001 こうやってみていると6000系には側面窓のみならず側扉の窓にもバリエーションがあるのが分かります。

Dsc01286_20230105111201 梅坪

Dsc01288 駅名標

名鉄の駅ナンバリングの特徴は2線以上が使用する駅のナンバーは(恐らく)先に開業した線のナンバーのみをつけ、後から開業した線のナンバーは隣駅から順に振っていることです。豊田線の路線記号はTTで梅坪駅にTTナンバーは無く、隣の上豊田駅がTT01となっています。

Dsc00873_20230105113001 2022/8/3 犬山線から広見線、小牧線が分岐する犬山駅も駅ナンバーはIY15で広見線のHM01は富岡前、小牧線のKM01は羽黒に振られています。

160605 2016/6/5 東村山駅 駅名標
西武線の東村山駅のように国分寺線のSK05と新宿線のSS21の両方が振られている方式とは異なります。

Dsc01291 梅坪からは6000系を押し潰したような100系で赤池へ

愛知県の中枢中核都市、豊田市と県庁所在地名古屋市を結ぶ鉄道ルートはかつては三河線~知立~名古屋本線の大廻ルートしかありませんでしたが、1979年7月29日に名古屋市地下鉄鶴舞線との相互直通運転路線として開業したのが豊田線でした。

豊田市、かつては挙母(ころも)藩→村から名古屋中心部へルートは1926年に挙母~八事間・天白~大曾根間の鉄道敷設免許が西三鉄道に下付され、1927年には三河鉄道も参画、社名を新三河鉄道とし、1929年には尾張電気軌道の千早~東八事・大久手~今池間の軌道事業を譲り受けましたが、事業は頓挫し、1937年には会社は解散となりました。1941年に三河鉄道は名古屋鉄道に合併となり、鉄道敷設事業は名古屋鉄道が引継ぎ、1978年10月1日に赤池まで開通していた鶴舞線に接続する形で豊田市までの鉄道路線の開業にいたりました。

Dsc01294 梅坪を15:43に出発し、上豊田、浄水、三好ケ丘、黒笹、米野木、日進と停車し、16:01に赤池に到着

Dsc01295 ここからは名古屋市営地下鉄鶴舞線に乗り入れ、車両は犬山線の上小田井まで行きますが、私は切符を買うために一旦下車。
この後は鶴舞線で上前津、名城線で栄に向かい、瀬戸線に乗車となりました。

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2023年1月 5日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 35 碧南~知立~猿投 三河線 海線から山線へ

三河線、海線で碧南に到着後は折り返します。

Dsc01252

2022/8/4 駅名標

碧南市は東側は矢作川の河口、西側は細く深く内陸部まで入った衣浦湾に挟まれており、同湾には衣浦トンネル(全長1.7km)が横切っており、県道265号線で半田市と結ばれています。このトンネルは海底に溝を掘り、トンネルエレメント(沈埋函)を沈める沈埋式工法で開通した国内では3例目(1例目は1944年開通の大阪市の安治川トンネル、2例目は1964年開通の首都高速1号線の羽田トンネル)で前2例がいずれも河底に設置されたのに対し、衣浦トンネルは初の海底トンネルとなりました。1973年8月1日に開通しましたが、交通量の増大で北側に新衣浦トンネルが設置され2003年3月19日に開通しました。
午前中に河和線知多半田駅を通りましたが、碧南駅は意外とそのそばであったことが後で分かりました。

Dsc01261

Dsc01264知立駅を出発する碧南行 6000系4連

碧南駅にも1編成4連の6000系がいましたが、三河線では2連以外に4連の6000系も活躍しています。

Dsc01263知立駅に戻った6000系は海線碧南方面へは行かず、山線猿投行となる運用でした。

Dsc01265_20230104092501
山線には知立~猿投間は両端駅を含め12駅あり、平戸橋以外の駅で列車交換が可能で土橋駅と豊田駅以外は島式ホーム1面2線方式となっています。三河知立駅は現在の知立駅が誕生する前の知立駅で愛知電気鉄道との接続駅でもありました。ここには電留線があり、土橋駅と終点猿投駅にも電留線があり、猿投駅には検車支区が併設されています。

Dsc01269_20230104094801
三河知立駅を出ると複線区間となりますが、

Dsc01270_20230104095401連続立体交差化の高架線は複線で用意されていますが軌道は単線になります。知立駅付近の連続立体化と合わせ、三河知立駅は移転する予定だそうです。

前述の通り、海線と山線では路線記号も別々になっており、前者がMUなのに対し、後者はMYとなっています。若林駅や竹村駅で列車交換する場合は島式ホームを挟んで右側通行方式で列車は入線します。これは構内踏切の位置関係やかつてのタブレット閉塞方式時代の名残と言われています。
豊田市~梅坪間は豊田線の列車も走行する関係から複線となっており、

Dsc01272 雨模様になってきましたが、梅坪で三河線は右に分岐します。

Dsc01275_20230104100401 14:50に知立を出発して34分後の15:24に終点、猿投に到着します。

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2023年1月 4日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 34 知立~碧南 三河線 海線の旅

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。2012年10月に開始した拙Blogですが、早いもので10年が過ぎ、11年目に突入しました。これからも鉄道を中心とした話題にいろいろ味付けをしながらやってゆきたいと思います。

昨年8月の名古屋遠征で乗車した名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅、今回は三河線海線です。

Dsc01233 2022/8/4 知立駅に進入する豊橋行 1000系 特急 

Dsc01235

岐阜方の4両は1200系で写真の編成はモ1414を最後尾にしたA4編成

Dsc01236

知立駅は周辺の交通渋滞解消、線路による市街地分断の解消のため高架化工事が進行中

Dsc01237

知立駅に到着する三河線の車両 ここでは6000系が主力として活躍中

Dsc01239 知立駅を出発するとすぐに左方向に猿投方面の山線、右方向に碧南方面の海線の分岐になります。

Dsc01240_20230103093101 海線は知立を出発し、次の重原の先まで複線区間が続きます。

Dsc01241_20230103093301

重原を出発するとすぐに単線になります。

Dsc01242_20230103093901 重原の次の駅がJRとの接続駅でもある刈谷駅です。

Dsc01244 南線には両端駅を含め12駅あり、吉浜と高浜港、碧南中央以外は交換可能駅ですが、これまで相対式ホームが圧倒的に多かった名鉄の中では三河線海線、山線のみが島式ホームが大多数を占めています。南線では重原と新川町のみが相対式ホームとなっています。

Dsc01245 三河高浜 何度か列車交換がありましたが、すべて6000系でした。

6000系も1976年から1985年まで10次に渡り製造され、1980年製造の5次車からは側窓が開閉式になる変化が見られます。後日、車両編でその辺りはじっくり見て行きたく思います。

Dsc01246_20230103100001 フォーカスが合ってませんが三河線では数少ない、相対式ホームの新川町駅

Dsc01248

13:31に知立を出発後、36分後の14:07に終点、碧南に到着です。

Dsc01249

現在は終点となっていますが、かつては記述の通りここから吉良吉田、さらには蒲郡まで線路が繋がっていました。

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