« 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 37 最後は瀬戸線 まずは栄町へ | トップページ | 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 39 尾張瀬戸から栄町へ »

2023年1月10日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 38 瀬戸線の歴史と1986年12月の瀬戸線

瀬戸焼の産地である瀬戸と名古屋を結ぶ鉄道、特に貨物輸送の開設機運は明治20年代に高まり、当時、国は中央本線の整備を進めていましたが、その誘致には失敗してしまいました。瀬戸から鉄道を敷設すれば中央本線に大曾根駅を開設するという意向を取付けた地元は加藤杢左エ門らの出資で1905年4月2日瀬戸自動鉄道として瀬戸から矢田川を渡る手前の瀬戸~矢田川間14.6kmの開業に漕ぎつけました。矢田川の架橋工事は困難を極めましたが、1906年には大曾根駅まで開業しました。中央本線に大曾根駅が開業したのは1911年でした。

開業当初は非電化で我が国では唯一となったフランスの技師レオン・セルポーレが1887年に開発したコークスを燃料に、半月形断面の水管を使用したセルポレー式蒸気動車3両が導入されたましたが、燃料切れなどの問題が多発し、1906年には瀬戸自動鉄道は瀬戸電気鉄道に改称、1907年には同線は直流600Vで電化されました。ただ、当時の電気の供給は不安定で1910年頃までは蒸気自動車も併用され、停電日、時間帯が解消された1911年までは活躍していました。

中央本線の大曾根駅は一向に開業にいたらなかっらため、名古屋都心部への路線が計画され、名古屋城の外堀を経由する「外濠線」や車道沿いに新堀川に至り、瀬戸物を堀川を運航する貨物船に積み替えるため、外濠線が建設されることとなりました。用地買収的には問題はありませんでしたが、名古屋城の外堀を経由するため、ガントレット(狭窄線・搾線 :単線分より広めの用地に複線の線路を重なるようにはめ込んだもので複線区間ではあるがすれ違いはできない)やサンチャインカーブ(曲線半径60mの急カーブで1チェーンが20mのため)といった特殊な線形が使用されました。

輸送力増強で1929年には全線複線化され、好況により貨物収入による増収の時期もありましたが、日中戦争の長期化による鉄道輸送統制強化などで1939年には名古屋鉄道と合併、同社の瀬戸線となりました。

戦後、空襲の被害はそれほど大きくなかったので運行の再開は早かったのですが1948年1月5日には大森駅(現、大森・金城学院前駅)東側で多数の初詣客を乗せた車両が横転する事故が起こり、多数の死傷者を出す瀬戸線史上最悪の惨事が起きてしまいます。

この事故を受け、線路改良、路線強化などの近代化が進められ、輸送上のネックとなっていたお濠区間の整備と名古屋都心への乗り入れを如何に実現するかが大きな問題となり、市営地下鉄との相互乗り入れも検討されましたが全て頓挫し、名古屋市との間で栄~大曾根間の競合を避けるため八事~赤池間の免許の譲渡と栄乗り入れの協定が結ばれ、1978年8月20日、名鉄長年の悲願であった栄乗り入れが実現となりました。これに先立ち、1978年2月15日には貨物営業の廃止、同年3月19日には架線電圧の1500V昇圧も行われました。このときに瀬戸線に投入されたのが6600系、3730系、3770系、3780系といった車両達でした。最高速度はそれまでの70km/hから80km/hに上げられました。

6600-861206

1986/12/6 尾張瀬戸駅 逆光のため潰れていますが、瀬戸線専用車両として1500V昇圧後、導入された6600系 
6000系の瀬戸線バージョンとして昇圧後、2両編成(ク6600形+モ6700形)が6本投入されました。現在活躍中の4000系の投入により、2013年3月5日に全車両廃車となり、形式消滅しました。

3780-861206 1986/12/6 尾張瀬戸 3780系 3785F

名鉄の車両では吊り掛け駆動車のうち、間接主導診断制御器を搭載したHL車「Hand-operated Load control」(非自動加速〔手動負荷〕制御)に属し、HL制御車3700系、3730系、3770系の流れを汲んだ車両で1966年11月から12月にかけ、制御電動車モ3780形、制御車ク2780形の2連10本が日本車輛製造本店で製造されました。3780系はこれらの中で冷房を初めて搭載した車体更新系列です。当初は本線に投入され三河線直通特急「かえで号」などで運用されましたが、1978年の瀬戸線架線電圧昇圧後は車体カラーをクリーム地に赤帯(導入当初はライトパープル一色塗)から写真のようなスカーレット一色に変更、地下線対策として車体の不燃構造化改造が施されました。1995年に6000系2連に置き換えられ形式消滅、HL車も全廃となりました。

3770-2776-861206 1986/12/6 尾張瀬戸 3770系 ク2776

1950年代当時に多数在籍した木造車体の車体更新を目的に1957年から登場したのが3700系で1964年には高運転台、1400mm両開き扉とした3730系が登場、1966年には転換クロスシート装備となったのが3770系でした。瀬戸線昇圧の際に2両が転属、その後全車転属しました。1990年に瀬戸線から引退しました。

861206 尾張瀬戸駅のそばに掲示されていた瀬戸市内案内図

ちなみに開業時の瀬戸駅が尾張瀬戸駅に改称されたのは1921年2月19日のことでした。

今回、1986年12月の名古屋出張の際に寄り道した瀬戸線訪問のことを思い出し、スライドをスキャンしましたが、訪れたときにはこんな写真役立つだろうかと思いつつ撮影した写真でしたが、時間の経過は意外なところで面白い結果を生むと感じだ次第です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 37 最後は瀬戸線 まずは栄町へ | トップページ | 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 39 尾張瀬戸から栄町へ »

旅行・地域」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

路線について」カテゴリの記事

民鉄:名古屋鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 37 最後は瀬戸線 まずは栄町へ | トップページ | 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 39 尾張瀬戸から栄町へ »

カテゴリー

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村