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2023年2月28日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 63 車両編 6500系の後継者、3500系 その2

名鉄の車両のうち、現在、3000番台の系列はすべてVVVF制御の3扉通勤車となっています。3500系1993年の登場、1997年には車体断面の形状を変更した3700系が登場し、同じ時期に2連の3100系が登場しました。さらに今世紀に入り、2004年には4連の3300系、さらに2連の3150系が登場し、これらはステンレス車体となりました。西武鉄道でいえば6000系から9000系、20000系とほぼ同時期に製造された車両群です。制御方式などは同じVVVF方式ですが、首都圏と中京圏の輸送需要の違いから編成の長さは大きく異なっています。

さて3500系は昨日の表にあるように1993年6~7月の第1次車から1996年4月の第5次車まで製造されました。1次車では制御装置は東芝製GTOインバータ、主電動機は東洋製三相かご形誘導電動機でしたが、3次車では制御装置が東芝製と三菱製にになり、主電動機も三菱製が加わりました。台車も3次車から台車枠横梁の断面拡大、横梁と溶接部品の一体化、軸ばね案内部を角形から円柱形への変更などがなされ強度が高められています。4次車では側扉間のロングシートの両脇に補助席を設置、扉開閉チャイムの設置、天井の高さをアップ、補助電源装置のSIV化、冷房装置の低騒音化などの改良がなされました。台車も当初からヨーダンパが付加されました。

3500-3504-220803

2022/8/4 富貴 3504F 1次車 内海発新鵜沼行 急行 
3500系は6500系6次車以降の「金魚鉢」スタイルを踏襲していますが、スカートが付いて顔が引き締まり、編成番号が前面に掲出されるようになりました。ECBは在来の車両とは連結できない電気指令式ブレーキ搭載を意味したワッペンです。

3500-3609-220803 2022/8/3 犬山 3509F 2次車 普通 東岡崎行

3500-3611-220803-2
2022/8/3 津島 3511F 準急国府行 
この編成は2021年3月、2度目の機器更新を受けた際に内装が変更され、ワンマン運転対応改造を受けています。

3500-3517-220803 2022/8/3 笠松 3517F 3次車 準急岐阜行

3500-3624-220803 2022/8/3 栄生 3524F 4次車 『ONE PIECE RED FILM RED』 急行豊川稲荷行
ワンピース映画とのコラボレーションで2002年7月25日から9月20日まで施されたラッピング

3500-3532-220803 2022/8/3 笠松 3532F 5次車 普通須ヶ口行

3500-3610-220803 2022/8/3 ク3610の運転台 
マスコン・ブレーキを一本のTハンドルにしたのは3500系が名鉄初です。

3500-3610-220803_20230227102001

3500-3610-220803_20230227102101 ク3610の運転室と客室の仕切り、室内の様子

3500系は名鉄のVVVF通勤車の礎となった車両での名古屋本線、犬山線から各支線に入る急行系の主力として活躍しています。

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2023年2月27日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 62 車両編 6500系の後継者、3500系 その1

1990年代に入ると、電車の制御方式はVVVF制御方式が主流となって行きました。6000系から続いた新性能通勤車両の流れで6500系の後継として1993年にデビューしたのが3500系でした。

主要諸元


最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s (70km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 552名(座席180〈実質152〉名、
補助席設置編成212〈実質184〉名)
編成重量 122.2 - 123.6 t
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,830 mm
全幅 2,740 mm
全高 冷房装置上面 3,880 mm パンタグラフ折畳 4,030 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機 TDK-6380-A・MB-5059-B
主電動機出力 170kW × 4
駆動方式 TD継手式中実軸並行カルダン
歯車比 5.65
編成出力 1,360 kW
制御方式 VVVFインバータ制御
制御装置


機器更新車:東洋電機製造製 RG6020-A-M(IGBT素子) その他:東洋電機製造元設計(GTOサイリスタ素子)


東洋電機製造製 RG645-A-M
東芝製 SVF022-A0
三菱電機製 MAP-178-15V56


制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動 (常用段数:7段)
保安装置 M式ATS


3500


3500系 製造次数と編成

豊橋方からク3500+モ3550+モ3650+ク3600の4形式からなる4連で1993年6・7月から1996年6月にかけ、5次に渡り、34編成、計136両が製造されました。普通鋼製、片側3扉、先頭車のデザインは6500系8次車とよく似ていますが、前面に排障器が付き、車体番号が窓ガラス右上に掲出されている点が6500系とは異なります。登場時は客用扉の上半分が濃いグレーに塗装されていました。

室内は全車両がロングシートで、運転台後部には車椅子スペースを設け、客用扉の両側に立ち席スペースがあるためロングシートは6500系より短く、着席定員の数が先頭車42名、中間車48名を少なくなっています。妻面の上部には名鉄通勤車では初となるLED式案内表示器が設置されました。

走行機器はGTO素子インバータ1C8M制御でブレーキ方式は電気指令式で従来の車両とは連結でいないことを示すECBエンブレムが車体前面につきました。マスコンは名鉄初のT形ワンハンドルタイプです。120km/h運転に対応するため、耐雪ブレーキ、増圧ブレーキ、滑走防止装置も設置されています。

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2023年2月24日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その4 JA8112・JA8115・JA8116

日本航空がかつて運航したクラッシックジャンボジェットのシリーズ、今回は-146Aの5~7号機目にあたるJA8112/JA8115/JA8116、3機の話題です。

Ja8112-jal-b747146a-cn20528-ln-191-92061 1992/6/14 cn20528/ln191 JA8112  国内線運用に入り羽田B滑走路に着陸するJA8112 (京浜島から)

JA8112 cn20528 ln1911972年6月14日に登録され、1993年6月22日までJALで活躍しました。この機体は1980年代のチートラインの入った塗装でリタイアしており、ホワイトベースの塗装にはならなかったのかと思います。1991年頃はJAAに貸し出され、垂直尾翼の鶴丸塗装をJAAと斜め書きした塗装で飛んでいました。

1974年5月31日、同機がJL61便としてハワイ・ホノルル国際空港から東京国際空港に向けて運航中の現地時間13時43分頃、乗客1名が心筋梗塞で死亡する事故がありました。

抹消後はN704CKとなり、アメリカン・インターナショナル・エアウエイズを経て、同じレジのままサウジアラビア航空に1994年1月から3月までリース、一旦、アメリカン・インターナショナル・エアウエイズに戻り、再びサウジアラビア航空で1996年3月まで活躍、1999年2月まではアメリカン・インターナショナル・エアウエイズに戻り、1999年2月からキティ・ホーク・インターナショナルで同じレジで2003年8月まで活躍、その後はN40489のレジで保管されているようです。

Ja8115-jal-b747146a-cn20531-ln-197-98112
Ja8115-jal-b747146a-cn20531-ln-980429-19 JA8115 cn20531/ln197 NRT

JA8115 cn20531 ln1971972年10月4日に登録され、1999年4月27日までJALで活躍しました。

1988年10月22日、新東京国際空港からハワイ・ホノルル国際空港に向けてJL72便として運航中、北緯32度・東経178度付近の公海上(高度39,000ft)、日本時間午前3時15分頃、就寝中の乗客男性69歳が冠動脈硬化症で死亡する事故がありました。

抹消後は1999年9月までN557SW、2003年1月まではTF-ATEでエアアトランタアイスランド、2003年1月から3月まではナイジェリアのアルパルカ・エアーにリース、その後、エアアトランタアイスランドに戻され、保管中です。

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Ja8116-b747146a-cn-20532-ln-199-980429-n JA8116 cn20532/ln199 NRT

JA8116 cn20532 ln1991972年12月8日に登録され、2002年2月1日まで活躍しました。1992年7月から1993年5月までは日本アジア航空に籍を置き、1993年5月にJALに復帰、2002年2月に抹消となっています。リタイア後はHS-UTHのレジでオリエント・タイ航空の機体として活躍しました。

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2023年2月23日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 61 車両編 パノラマカーシリーズ その4 5700・5300系の登場と7000系一族の終焉

1960年代後半から1970年代にかけて、高度経済成長の波は名鉄線沿線の朝夕ラッシュ時の混雑ぶりにも現れ、1973年には7000系4連を2本併結で走らせる運用も登場しました。このため7000系4連7本については連結化改造が行われました。準備工事がなされて登場していた3次車以降の7015~7020、7025~7032に連結対応工事が施工され、柴田式から小型密着式に自連が交換され、前面にジャンパ栓、空気管が設置されました。

1975年に登場したモ7050形(7100番台車)はロングシートが増え、側扉も両開きとなりました。この9次車で7000系の製造は終了しましたが、名鉄の電車では最多両数の系列となり、7500系の72両を合わせると当時の名鉄、架線電圧1500V下を走る車両の三分の一を占めるまでになりました。

1983年4月、7000系登場から20年を経過したのを機に7000系の特別整備が実施されました。1984年には6両編成のうち4本が4両編成化され、捻出された8両のうち、モ7062・モ7064・モ7161・モ7163の4両は8800系パノラマDXに機器を流用するため廃車となりました。冷房装置は瀬戸線6600系の冷房化に流用となりました。これが7000系、初の廃車でした。残る4両のうち、モ7101・モ7104については6000系と同一仕様の運転台が設置され先頭車に改造されました。7100系モ7100形として中間にモ7102・モ7103を挟み4連化され、他のSR車(全金属車体・カルダン駆動・発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ装備車)と共通運用されるようになりました。

1986年、国鉄東海道本線の普通列車の増発などに対抗し、特急列車のグレードアップが行われることになり、7000系4連、11編成が「白帯車」として整備されました。このときに7100系4連に組み込まれていたモ7102、モ7103は7000系に組み込まれ、7100系は2連化、他のSR車と共通運用が組まれるようになりました。1987年、パノラマDXの増備のため、機器流用の種車としてモ7052・モ7054・モ7151・モ7153の4両が廃車となりました。1988年、新型特急車両として1000系「パノラマSuper」が誕生したことで7000系は7編成を残し、特急の座から格下げとなりました。

8800系への機器流用以外にも老朽化による廃車、特に特別整備を受けていない車両や検査期限切れとなった車両から廃車が進行し、2005年1月29日の空港線開業では、7500系の乗り入れが不可能となり、7000系は開業初日から普通列車や急行列車で運用されましたが、2006年9月、特急施策の見直しでパノラマカーの全廃が決まり、2008年9月14日の「さよならP6」で6両編成の営業運転は終わりました。2008年年末にかけ4連の定期運用も終わりましたが、トップナンバーの7001編成は舞木検査場において1961年登場当時の姿に復元されPhenixのエンブレムを装着され、イベント列車としての運転が行われ、モ7001+モ7002の2両が舞木検査場構内で保存となりました。同検査場にてイベントが開催される際には公開されています。また2002年に廃車された7027編成のうちの3両(モ7027・モ7092・モ7028)が豊明市の中央競馬場で静態保存されています。

晩年は三河北線ワンマン運用に就いていた7700系、さらに後から加わった7100系に関して、7100系は2009年11月29日のさよなら運転を最後に、7700系2010年2月26日限りで定期運用から外れ、廃車となりました。

時代は遡りますが、名鉄では名古屋本線の速達列車として特急・急行を運行していますが1977年以降は特急は7000系、7500系が中心となりましたが、高速や急行は5000系・5200系・5500系などの2扉クロスシート車が運用されていました。これらの車両のなかでも5000系・5200系は元々非冷房車であり、また冷房改造の計画もなく、かなり陳腐化が進んでいたことでした。そのころ、ライバルの国鉄は分割民営化を控え1986年には快速列車の大増発が行われ、サービスの差が歴然としていました。そこで対抗策として急行列車のサービス向上を狙って登場させたのが完全新製車である5700系と5000系・5200系の機器を流用した5300系でした。

主要諸元
最高速度 110 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長
18,900 mm(ク5700・ク5800・モ5300・モ5400)
18,830 mm(モ5750・モ5850・サ5600・モ5650・モ5350・モ5450)
全幅 2,730 mm
全高 3,880 mm(ク5700・ク5800・サ5600・モ5300・モ5450)
4,200 mm(モ5750・モ5850・モ5650・モ5350・モ5400)
車体 普通鋼
主電動機 東洋電機製造 TDK8225-A 東洋電機製造 TDK8051-A 東洋電機製造 TDK823-A
主電動機出力 150 kW × 4(TDK8225-A…複巻整流子電動機・TDK8051-A…直巻整流子電動機)
75 kW × 4(TDK823-A…直巻整流子電動機)
制御方式 5700系 : GTO界磁チョッパ制御 5300系 : 界磁添加励磁制御
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ (HSC-R)
保安装置 M式ATS

5700-5300
5700系、5300系 編成表と製造次数による変化、改造に関して

5700系は1989年6月から2009年9月まで1次車4連のなかに3次車2連を組み込み、
5701-5651-5601-5751-5851-5801
5702-5652-5602-5752-5852-5802 という6連で運用されたこともありました。

車内は転換クロスシート、連結面側車端部がロングシーtでした。

1986年6月24日、まず5700系の運転が始まり、その後、5300系も共通運用で営業運転に投入されてゆきました。同年7月20日のダイヤ改正から本格的な営業運転が始まりました。この2系列は新しいSR車という意味を込め、NSR車と呼ばれ、同系列の投入で名古屋本線の急行の冷房化率はほぼ100%となりました。増備が行われるにつれ名古屋本線の主力車両となってゆきました。1990年8月からは名古屋本線で120km/h運転が開始されるため、5700系については増圧ブレーキが設置されました。また5300系の台車交換もなされました。
時代が過ぎ、5500系・7000系・7500系・7700系・7100系が廃止されると2扉の一般車は5700系・5300系のみとなり少数派となりました。6連で運用されていた5701F,5702Fは4連化され、外された2両に運転だを取付け4連化されました。
5300系に関しては2009年から5700系に関しては2017年から廃車が始まり、9500系が運用を始めると2019年10月に全廃が発表され、2019年末に両系列は形式消滅となりました。これにより名鉄の2扉車は特別車両のみとなり、一般車の2扉車は全て淘汰されました。

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2023年2月22日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 60 車両編 パノラマカーシリーズ その3 高性能パノラマカーとしての7500系

名鉄パノラマカーの話題、今回は7000系の登場から2年半が過ぎた1963年12月に運用を開始した7500系の話題です。7000系の改良型として高速性能の向上を図り、定速度制御や回生ブレーキを装備し、重心を下げた結果、7000系では展望席と後方の席の側窓が上下にずれていましたが、7500系では一直線となり、これが外観上の識別ポイントになりました。

7500系も6両編成で登場、形式は
モ7500形 両端先頭車 制御電動車(Mc1,Mc2)
モ7550形 中間電動車 (M1,M2)
サ7570形 付随者(T1) 1964年2月に4両が製造、1967年4月に電装化、モ7570形に(奇数番号)
モ7570形 中間電動車(M1,M2) 初代モ7572は運転台装備(M2)
モ7560形 中間電動車(M1,M2) 工場内入換用に簡易運転台が設置されています。モ7665は常設運転台装備(Mc1)

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 180 km/h
全長 19,715 mm(モ7500形)18,830 mm(モ7500形以外の車両)
全幅 2,730 mm
全高
4,200 mm(集電装置付)
4,065mm(集電装置なし・モ7500形)
3,670mm(一部を除く集電装置なしの中間車・モ7665)
3,685mm(一部の集電装置なしモ7550形・モ7570形・モ7650形)
床面高さ 990 mm
台車 住友金属工業 FS335A 住友金属工業 FS335A1
主電動機 東洋電機製造 TDK848A
主電動機出力 75 kW(複巻整流子電動機)
端子電圧 340V
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 74:15=4.93
定格速度 75 km/h(全界磁定格速度・車輪径820mm時)
制御方式 抵抗制御
制御装置 東洋電機製造 ES758-A
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ (HSC-R)
保安装置 M式ATS

7500_20230221095501
7500系 製造年次と編成の変化

7500系の基本的な車体寸法は7000系とほぼ同一で、車体長については展望席を除く車端部が50mmずつ延長されています。低重心化のため
レール上面から床面までの高さを客室全体で990mm、7000系より低く設定したため外観上は7000系では展望席とそれ以外の部分で車体裾部分や側面窓の下辺の高さに差が生じていましたが、7500系ではその部分が揃っています。2階の運転席部分の高さは変わっていないため7000系と比べると運転室の突出が大きくなっています。
従来通りの抵抗制御+直並列制御を基本としつつ、界磁制御を最大限に活用することで回生ブレーキを導入、これにより抵抗器の体積を減らす事で、低床化伴う床下空間の減少を補いました。回生ブレーキを応用し、ノッチ操作を行わずに指令速度を維持する定速度制御機能も併せて実現しました。よって、7500系は5000系以降の高性能車各系列との制御シーケンスの互換性が維持できず、それらとの総括制御ができなくなりました。

7500系は制御回路部にトランジスタを使用し、機器の小型化を図り、界磁電源は電動発電機から供給される電源により回生ブレーキ機能を持つなど当時としては最先端の電子制御システムでしたが故障が多発するという問題もありました。後年、トランジスタ回路はIC回路に変更され安定化しましたが、他系列との併結が出来ないシステムであったことと、高速化のための低重心設計が致命傷となりました。
1992年、7500系の機器を再利用した1030系・1230系24両、1850系6両の計30両が製造されたため、その種車となったのは特別整備未施工の4次車以降の5編成でした。またバリアフリー化で電車の床面はレール面から1100mm、ホームの高さは1070mmと決定したことで、990mmの7500系は廃車対象となってしまいました。2005年9月までに順次、廃車となり、7000系よりも先に姿を消すことになってしまいました。

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2023年2月21日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 59 車両編 パノラマカーシリーズ その2 7700系の登場とその不遇だった生涯

1963年12月に定速度制御、回生ブレーキなど装備した7500系が登場すると7000系は支線区直通特急としての役割を担うようになりました。当然、6両編成では長すぎるため、4連が登場しました。さらに全電動車方式のため、支線区間での変電所容量の不足時には対処可能なように2両の動力をカットするしくみが導入されました。また支線内での車両直前の安全確認のため「フロントアイ」と言われる前方下監視カメラが設置され、死角は12mから1mに減少しました。フロントアイは3次車(7015F~7024F)から設置され、それ以前に製造された1・2次車にも設置されました。

支線区への直通が多くなると次に発生した問題は2階に運転台があるモ7000形は当時、タブレット閉塞方式だった三河線、尾西線には入線できないことでした。これらの線区への乗り入れを考えて1971年秋に登場したのが7300系でした。

7300系は7000系7次車と同様の2扉クロスシートの車体で制御機構は吊り掛け駆動方式(名鉄内部の呼称でいうAL:Automatic acceleration-Line voltage (自動進段・架線電圧電源式))の車両です。当然のことながら、「似て非なるパノラマカー」「パノラマもどき」「変形」などと揶揄され、晩年には「吊り掛けパノラマ」と呼ばれていました。

7300
名鉄7300系 編成表

吊り掛け制御方式(AL車)の旧型車(3800系29両、800系1両)の機器を流用し7000系の車体と組み合わせました。

近鉄の18000系、南海の12001系、21202系などが同様の車両です。4連3本と2連9本の計30両が製造されました。当時、170両近くのAL車が存在し、その更新目的もあっての製造でしたが、完全新製車への要望が強かったこと、7700系に対する土川会長の「鶴の一声」などもあり、製造は初年度の30両に留まりました。三河線などの支線直通特急に使用されましたが、7000系、7700系の増備が進むにつれ、普通から特急(高速)まで1500V区間全域においてAL車と共通運用されるようになり、1997年4月13日のさよなら運転を最後に全廃されました。
除籍後は豊橋鉄道渥美線の架線電圧1500V昇圧のタイミングで、部品確保で廃車された2両を除き、同線に活躍の場を移し、2002年まで活躍が続きました。

7700_750102_2_3 1975/1/2 神宮前 7700系

7300系に続き、支線区直通特急用として7000系と同様の設備を持ち、2階式運転台と展望席のみを無くした系列として1973年4月に登場したのが7700系でした。こちらも4両編成と2両編成で登場し、形式は
モ7700形:両端先頭車で制御電動車(Mc1,Mc2)
モ7750形:中間電動車(M1, M2) 
と付随車は一切製造されず、全電動車方式でした。

7700
7700系 編成表

7700系は支線用、短編成のパノラマカーとして製造されましたが、明治村を視察した際に7700系に乗車したパノラマカーの生みの親である土川会長の「この車両はどこの電車か?」の一言で次の増備車は7000系タイプに戻り、展望室の無い7700系の増備は打ち切られたそうです。1982年2月、東海道本線に117系快速が登場すると名鉄でも特急車の客室設備を充実化するため7000系4連12本が座席のモケットの変更、各座席にくず物入の設置などを行い、白帯を巻いた「白帯車」を登場させましたが、7700系も1983年3月に2連4本に対し、同様の整備を行いました。そして1990年、本線特急を座席指定車・一般席併結編成とした際には中間車を7000系に組み入れ、4連を廃しました。1999年5月、白帯車による特急運用が廃止となり、一般車に格下げとなり、2001年10月、三河北線知立~猿投間、ワンマン化に際し、2両編成にワンマン対応機器を設置し、2010年まで活躍しました。

他の会社、例えば小田急電鉄のように展望室付きのロマンスカーを製造する一方で実用本位のEXEのような車両を製造した例もあり、7700系の増備も2次以降続き、一大勢力になっていたかもしれませんが名鉄は展望室付きパノラマカーへのこだわりが強い会社であったため、このような事態になったのではと推察されます。

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2023年2月20日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 58 車両編 パノラマカーシリーズ その1 7000系の登場と量産

日本で初めて運転台を2階に設置し、最前部に展望席を設け、「パノラマカー」という愛称が与えられたのが1961年にデビューした7000系でした。改良を加えつつ、1975年までに合計116両が製造されました。日本全国の鉄道ファンに知られた名鉄を代表する車両で、1962年には鉄道友の会より第5回ブルーリボン賞を授与されました。

7000_750102_2_2 1975/1/2 神宮前 登場から14年が経過、逆富士型行き先表示器やフロントアイが設置されているスタイル

7000系は6両編成で登場、形式は
モ7000形:両端の先頭車で制御電動車(Mc1, Mc2) 7001~7048
モ7050形:中間電動車(M1, M2) 7051~7092、7101~7112
モ7150形:中間電動車(M1,M2) 工場内入換用に簡易運転台が設置されています。7151~7164

の3形式でM1(奇数車)-M2(偶数車)ユニットの全電動車方式でした。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 150 km/h
起動加速度 2.3 km/h/s
減速度 4.5 km/h/s
全長 19,715 mm(モ7000形)   18,830 mm(モ7050形・モ7150形)
全幅 2,736 mm
全高
4,200 mm(集電装置付)
4,065 mm(集電装置なし・モ7000形)
3,830 mm(集電装置なし・モ7150形)
3,880 mm(集電装置なし・モ7050形の一部)
3,845 mm(集電装置なし・モ7050形の一部)
台車 住友金属工業 FS335 住友金属工業 FS335B 住友金属工業 FS384 住友金属工業 FS384A
主電動機 東洋電機製造 TDK825/1-A 東洋電機製造 TDK825/3-A2
主電動機出力 75 kW(直巻整流子電動機・端子電圧 340 V・定格回転数 2,000 rpm)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式 (東洋電機製造 DND-102HJ)
歯車比 78:16 = 4.875
制御方式 抵抗制御
制御装置 東京芝浦電気 MC-11C 東京芝浦電気 MC-11E1M
制動装置 発電制動併用電磁直通ブレーキ・可変荷重装置付 (HSC-D)
保安装置 M式ATS

車体は普通鋼製、側面窓は窓柱を車内に収納し、ガラスで柱部分を覆う「連続窓」の固定窓となりました。衝突事故対策として先頭部に最大吸収エネルギー77,000 kg/m・容量250 tのダンパーが2基設置されました。

走行に関する主要機器は5500系の抵抗制御方式を一部変更した(MC-11:1C8M)、直巻整流子電動機、出力 75 kW、中空軸平行カルダン駆動方式 を踏襲しています。

7000系は豊橋~新岐阜間の名古屋本線特急用としてデビューしましたが、1963年12月、7000系の高速性能を向上させ、定速度制御や回生ブレーキなどの新技術を盛り込んだ7500系がデビューしました。これに伴い、7000系は支線区直通特急に運用されるようになりました。

7000

7000系の製造次数とその製造目途

支線区に直通するようになった7000系は6両編成では長すぎるため、4両編成が登場、さらに閉塞方式にタブレット閉塞を用いていた三河線、尾西線に入線可能なように先頭車の展望席を無くし貫通式としたのが7700系でした。7700系の登場前には7000系7次車の車体にAL車(間接自動制御方式の旧型車)の機器を搭載した7300系が登場しています。これらパノラマカー一族、さらに1963年に登場した7500系に関しては別記事で紹介します。

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2023年2月17日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その3 JA8107~JA8111

日本航空のクラッシック・ジャンボシリーズ、今回は1971年秋に登録されたJA8107から1972年3月に登録されたJA8111までです。

JA8107:cn20332/ln161のB747-146は1971年10月28日に登録で、登録当時は2階部分は3個窓の-146、旅客用でした。当時の塗装は赤と黒のチートライン(側面に並ぶ窓に沿って引かれる直線)、尾翼に鶴丸のJALの標準塗装でした。コンフィグはC16, Y444 計460でJA8101~JA8103と同様でした。

1976年7月17日、羽田空港離陸後に被雷し、キャノピー、主翼前縁部を損傷する事故に遭遇しました。
1977年11月23日に貨物機にコンバートされ、-146SFとなりました。B747の貨物機1番機は1974年9月17日に登録され、10月1日から太平洋線に投入されたJA8123(B747-246F,cn21034/ln243)でしたが、増加する貨物需要に対処するため、JA8107の旅客タイプからのコンバートが決定されました。貨物機としての塗装は日の丸の横にJALCARGO JAPAN AIR LINESと斜体、赤と黒のチートライン、機体後部、主翼の後ろ部分に小さめのサイドカーゴドア、尾翼に鶴丸の塗装でした(例えばFlyTeamサイトのこの写真)でした。1977年9月には塗装変更され、主翼前部分の胴体、キャノピーから6分5程度にグレーの太帯、帯と同じ一辺の赤の四角、その上にJAと大書、その後ろにCARGO、尾翼の鶴丸は消え、斜めにレジ(JA8107)が書かれた塗装になりました(写真はFlyTeamのこの写真)。1977年11月30日からニューヨーク線に就航しました。

私も何度がこの手の貨物機は見ましたが、写真がすぐ出てきません。出てきたら追記します。貨物機の時代はJAAとの共有機で、1992年8月に登録抹消、売却後はKaritta Air N702CKとして登録、2010年9月に抹消、解体されています。

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Ja8108-b747246b-cn20333-ln166-970920-nrt JA8108 cn 20333/ ln 166 NRT

Ja8108-b747246b-cn20333-ln166-98-941223- JA8108 cn 20333/ ln 166 HND ドメス運用

JA8108:cn20333/ln1661971年11月30日登録、1989年頃までは導入当時の標準塗装、1990年代初頭にホワイトボディにJAL,グレーの太帯、赤四角の塗装になりました。コンフィグはC57,Y342計399でした。1999年12月15日に登録抹消となり、Air Gulf Falcon(スワジランド)へ売却, 3D-GFB, ST-AQN, 3D-PAH等と登録され、2003年1月からはスピリット・オブ・アフリカ ST-AQNに、現在も解体はされず保管されているようです。

JA8109:cn20503/ln180、 JA8110:cn20504/ln181、 JA8111:cn20505/ln182の3機はいずれも-246Bで1972年3月2日、13日、21日にそれぞれ登録されています。コンフィグは3機ともC57,Y342計399でした。JA8109はJAL Jumbo機として1年4か月たった1973年7月20日、パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由羽田行のJL404便としてアムステルダムを離陸直後、日本赤軍とPFLP(パレスティナ解放人民戦線)により、ハイジャックされ、7月23日にリビア・ベンガジで爆破されました。乗客は解放され全員無事でしたが、機体はBoeing747としては2機目の全機損失機となりました。ちなみにBoeing747の最初の全機損失機はパンナムのN752PA(-121: cn19656/ln34)1970年9月6日、アムステルダム発ブリュッセル経由ニューヨーク行、PA93便として運航中にハイジャックされ、カイロで爆破されたものでした。3機とも導入当時は2階部分は3個窓、JA8110以降は導入以降に窓が6~10個に増設されています。

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Ja8110-jal-b747246b-cn20504-ln-181-98021 JA8110 cn 20504/ ln 181 NRT

JA8110は1995年11月からは、ジャパンエアーチャーター(JAZ)の機体となり、Super Resort Express(黄色)塗装になっています。退役は1999年12月で、エア・ガルフ・ファルコンに売却(P4-GFE,3C-GFE,5YGFEと登録)、2001年2月にはスピリット・オブ・アフリカに(ST-AQL),エア・ガルフ・ファルコン(3D-PAj,3D-PAF)となり、2003年1月からはスピリット・オブ・アフリカ(ST-AQL)となり、現在も保管中です。

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Ja8111-jaz-b747246b-cn-20505-ln-182-nrt JA8111 cn 20505 /ln 182 上 JAL塗装 下 JAL WAYS塗装 のReso'cha purple

JA8111は1999年10月からジャパンエアーチャーター(JAZ)の後継のJALウエイズの機体となり、Super Resort Express(紫色)塗装になりました。

1980年1月27日、JL404便としてアムステルダム・スキポール空港からアンカレッジ国際空港に向け飛行中の午前2時27分頃(高度35,000ft)、日本人男性旅客1名(49歳)が肝硬変による食道静脈瘤破裂により、死亡する事故がありました。

退役は2001年6月でボーイング エアクラフト ホールディング カンパニーに売却、N791BAと登録、現在も保管中のようです。

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2023年2月16日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 57 車両編 6600系 6000系の瀬戸線用バージョンとして登場

既に鬼籍に入っている車両ですが、瀬戸線専用車両として6000系とほぼ同じ仕様で導入された6600系について今回は触れようと思います。

名鉄瀬戸線は1月10日の記事にあるように1905年に瀬戸自動鉄道として開業、1939年に名鉄と合併、名鉄内ではローカル線扱いで架線電圧は長らく600Vで名鉄各線区で架線電圧を昇圧した際に捻出された小型車が集められ、大都市圏の通勤鉄道としては能力が不十分でした。
名古屋の地下鉄建設計画では瀬戸線は大曾根から地下鉄に乗り入れることになっていましたが、名古屋市は建設が具体化した後、瀬戸線との相互直通運転は実施しないと表明、1971年に名鉄が単独で栄町に乗り入れることが名古屋市との間で合意され、都心部は地下線となることも決定、これに合わせ1500V昇圧化も決定、1978年から栄町乗り入れが開始されました。

昇圧後の車両としては名古屋本線系統で急行や準急に使用されている3780系冷房車が転用されましたが、普通列車は急行や準急の間を待避することなく走行するための高加速性能が要求され、6000系をベースにした新車として6600系、2両編成6本、計12両が投入されました。

主要諸元
全長 18,950 mm
全幅 2,730 mm
全高 3,750 mm(集電装置なし)4,200 mm(集電装置あり)
車体 普通鋼
台車 FS398(電動台車)・FS098(付随台車)
主電動機 東洋電機製造 TDK-8050A
主電動機出力 150kW × 4基 / 両
直巻整流子電動機・端子電圧750V・定格回転数2,000rpm
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
制御方式 電動カム軸式弱め界磁付直並列抵抗制御
制御装置 CB-27C-55
保安装置 M式ATS

6600

地下線区間を走行するため、当時運輸省が定めていた鉄道車両の出火対策基準である「A-A基準」に対応させた車両となっています。
導入当初は平均駅間が短いこと、短距離路線で平均乗車距離が短く、冷房搭載による新造・保守コストの上昇を考慮し、非冷房での導入でしたが、地下鉄も車両冷房の時代となり、廃車となったパノラマカー7000系の中間車から捻出された4,500 kcal/hの能力を有するTAC-15T2形が流用され、電源は補助電源装置を出力50 kVAのBS577C形 GTOインバータ装置に交換して対応しました。1985年に6602F、6603F、6604F、1988年に残りの編成も冷房化改造されました。 1988年には座席のロングシート化改造も行われました。

6600-861206 1986/12/6 尾張瀬戸

瀬戸線の列車が4連で運用されるようになってからは全車2編成併結で運用となり、瀬戸線近代化施策で2008年、4000系の登場で引退しました。

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2023年2月15日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 56 車両編 6800系 6500系同様に増備の途中でモデルチェンジ

6500系が界磁チョッパ方式で1台の制御器が8基の主電動機を制御する1C8M方式だったのに対して、6800系は2両編成で主電動機は4基のため、1C4M方式となりました。

1989年、6500系の6次車、6800系の3次車から車体構造が変更され、所謂、「金魚鉢」スタイルとなりました。このときの増備は15本という大量増備でもありました。

1990年の増備から6800系のシートはオールロングシートになりました。1992年の増備は6500系、6800系にとって最後の増備、6500系第8次車、6800系第6次車となり、6500系もオールロングシートでの登場となりました。1995年6月、クロスシートだった6804Fがロングシート化改造を受けました。以来、クロスシートのロングシート化改造は他の6800系編成では行われていないようです。現時点で痕跡は残っていませんが2001年ごろまでに6500系、6800系では側扉の上半分と1・2次車の前面窓上部をダークグレイに塗装変更したことがありました。これは1993年に登場した3500系に倣ったものでしたが、2005年頃までにスカーレット1色に塗り替えられ、消滅しました。

Dsc00956_20230214074801

Dsc00973_20230214075001

2022/8/3 栄生 6800系 編成番号不詳 1・2次車 「鉄仮面」スタイル

6800-090323 2009/3/23 金山 編成番号不詳 3次車以降 側窓は連続窓風になりました。

2011年3月26日のダイヤ改正で尾西線(津島~名鉄一宮間、名鉄一宮~玉ノ井間)と豊川線投入用に6800系、6828F~6839Fがワンマン対応改造を受けました。改造内容は扉開閉回路の間接制御化、自動放送装置の新設、足踏みデッドマンの設置等でした。

6800-6837-220803 2022/8/3 須ヶ口 6837F ワンマン仕様2連が名古屋本線を行く

6800-6931-170804 2017/8/4 豊川稲荷 6831F 豊川線で活躍するワンマン仕様車

6800-220803_20230214075901 2022/8/3 津島~町方 尾西線から津島線、名古屋本線へ

6800-6834-170804 2017/8/4 6834 運転台 ワンマン対応仕様

6800系のワンマン対応車は各駅に精算システムが準備されているため、車内では運賃清算を行わないため、6000系のワンマン対応車に較べると普通の車両との違いが目立ちません。

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2023年2月14日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 55 車両編 6800系 6500系の2連版として1987年に登場

6000系は4連と2連が製造され4連は1983年2月製造の8次車で終了、以降1984年2月からは6500系となりましたが、2連は1985年6月製造の第10次車まで製造が続きました。2連が保守の軽減、省エネルギー化で6800系となって登場したのは1987年12月からでした。系列名は瀬戸線用に1978年6600系(ク6600+モ6700)が登場していたので、それに続く6800系(ク6800+モ6900)となりました。

主要諸元

最高速度 100 km/h,110 km/h :1996年以降
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長 18,900 mm
全幅 2,730 mm
全高 3,880 mm(集電装置なし)4,200 mm(集電装置あり)
車体 普通鋼
台車
住友金属工業 FS521B(電動台車) FS098B(付随台車)
主電動機 東洋電機製造 TDK-8050A
主電動機出力 150 kW× 4基 / 両
(TDK-8050A…直巻整流子電動機・端子電圧750 V・定格回転数2,000 rpm)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 84:15=5.6
制御方式 界磁添加励磁制御
制御装置 回生ブレーキ付界磁添加励磁制御 CB-16C-40A
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-R)
保安装置 M式ATS

6800

6800系の特徴は6500系のように界磁チョッパ制御による回生ブレーキ搭載ではなく、界磁添加励磁制御(国鉄205系と同様の)による回生ブレーキ方式としたことでした。車体等は6500系と同じで1次車は6500系5次車と同じ鉄仮面フェースで、3次車からは6500系6次車以降と同じ「金魚鉢」フェースで登場しました。4次車まではクロスシートでしたが、5次車からはオールロングシートになりました。

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2023年2月13日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 54 車両編 6500系 2つの顔をもつ4連系列

前回の記事にあるように6000系の後継車の4連バージョン、6500系1989年登場の6次車から大きくモデルチェンジしました。1次車から5次車までのスタイルは「鉄仮面」、6次車から8次車までのスタイルは「金魚鉢」とそれぞれ呼ばれているそうです。

6500-6501-220803 2022/8/3 犬山遊園 6501F

6500-6513f-220804-5

6500-6513f-220804-2 2022/8/3 三柿野 6513F

6500-6413-220804 6500-6413-220804_20230212080201 2022/8/3 6513F 車内

同編成はクロスシートで竣工しましたが、1995年2月13日にロングシート化改造を受けました。

1961年12月から1971年11月まで名鉄の社長を務めた土川元夫氏は副社長時代に「パノラマカー」構想を具体化し、鉄道事業のみならず、京都大学霊長類研究、所を開設したり、博物館明治村を開設など沿線観光資源の創出、文化事業の発展に貢献し、名鉄中興の祖と言われた人物でしたが、通勤ラッシュ対策で東京急行電鉄から3700系を購入し、3扉ロングシート車が3880系として威力を発揮してからも、クロスシート車へのこだわりは相当なものがあったようです。6000系が当初、クロスシートでデビューし、座席幅が狭く、通路側にひじ掛けも無かったため評判が芳しくなかったのも土川イズムの浸透のためと言われていました。6000系の後継系列である6500系も7次車まではクロスシートでデビューしているのはその名残と言われています。ただ、ラッシュ時の対策上、6504F, 6510F, 6513F, 6516F, 6517Fの5編成は1995年から1996年にかけロングシート化改造を受け、1992年に竣工した8次車、6523F,6524Fは当初からロングシートでのデビューとなりました。

Dsc01037_20230212082501 2022/8/4 中部国際空港 6500系 6523F 後期タイプ

前面は大型曲面ガラス2枚を用いてガラス窓が拡大、運転室と客室の仕切り窓も拡大、前面展望が向上しました。側窓は連続窓風に変更、一部をバランサー付き下降窓とし、窓回りをレモンゴールドの金具抑えとしました。車体幅も10mm増の2740mmとしました。このスタイルは3500系に引き継がれました。

Dsc01044 2022/8/4 クロスシート車内

固定クロスシートの形状も一新し、ヘッドレスト、ひじ掛けを設置、座り心地を改善し、シートピッチも拡大しました。

6500系は加速性能に優れているため、名古屋本線系列及び支線直通の急行・普通列車に幅広く投入されています。

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2023年2月10日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その2 JA8104~JA8106

JALのBoeing747シリーズ今回はタイプ-200Bとして導入されたJA8104~JA8106の話題です。

その前に今週は日本の航空産業にとって極めて残念なニュースがありました。それは三菱重工業の子会社、三菱航空機がかつてはMRJ: Mitsubishi Regional Jet、2019年6月からはSupace Jetとして開発していたYS-11以来となる国産旅客機の開発から正式に撤退を表明したことです。

同プロジェクトはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の提案した環境適応型高性能小型航空機計画に対応し、三菱航空機が1940年に開発したMC-20(帝国陸軍一00式輸送機)の民間機版以来、75年ぶりとなる独自の旅客機開発でしたが、2014年10月18日にロールアウト、2015年11月11日に県営名古屋空港にて初飛行に成功したものの、胴体と主翼の設計変更、開発並びに製造作業の進捗の遅れ、機体を制御する電子機器の配置を見直しなどで納入の延期を繰り返し、2019年からは
コロナ禍などによる航空機需要の落ち込みなどもあり、開発は凍結され、今後、それぞれの国で型式証明を取得するためには膨大な経費が掛かり、到底採算見込みが立たないとのことで撤退に至りました。国からもトータルで500奥円に及ぶ開発費が投入されていましたが、誠に残念な結果に終わりました。

国が本気で日本の旅客機開発を後押しするのであれば、もっと先を行くアメリカのBoeing社などと共同開発を進めるとか、我が国における型式証明を取得するプロセスを積極的にサポートするとかやり方があるのではないかという意見もあるようですが、この開発で得られた数多くの知見、ノウハウ、技術が決して無駄にならず次に生かせるようしてもらいたいものです。

JA8101~JA8103が登録され国際線にデビューした翌年の1971年2月から5月にかけて、JA8104からJA8106の3機が登録されました。
747-200Bは開発当初、747B型と呼ばれ、初期型が747-100型となった時点で-200Bとなりました。この辺の呼称の流れは新幹線の0系と似てますね。-100との違いは機体の構造が強化されたこと、エンジンがP&W製一社からからP&W,RR,GEの3社から選択できるようになったことが最大の違いです。JALの3機はP&W JT-9D7AW 水噴射オプション 推力46,150lb を搭載していました。

Ja8104-b747246b-cn19823-ln-116-971228-nr 1997/12/28 JA8104 NRT

Ja8104-b747246b-cn19823-ln-116-980926-nr 1998/9/26 NRT

Ja8104-b747246b-cn19823-ln-116-950116-hn 1995/1/16 HND
思えば阪神淡路大震災の前日ですが、長崎に出張のため羽田で搭乗する前にデッキから写した写真です。本来、インター運用の機体がドメス運用に入っており撮影しました。

JA8104 cn19823 ln1161971年2月11日に登録、2000年8月31日にリタイア、カリッタエアN570SWに2002年6月に抹消
1990年代、インターネットの初期のパソコン通信の時代、NiftyServeの航空フォーラムなどでJA8104の話題が出ると、「ボロヨン」などと陰口を叩かれていたのを思い出します。

Ja8105-b747246b-cn19824-ln-122-941223-nr 1994/12/25 NRT 当時の通常塗装

Ja8105-b747246b-cn19824-ln-122-990320-nr 1999/3/20 NRT JA8105 スーパーリゾートエクスプレス黄色

JA8105 cn19824 ln 122 1971年3月1日に登録、1999年6月28日に抹消 N558SW、TF-ATB, N741LA ウェルズ・ファーゴ・バンク・ノースウエスト ロジステッィクエアーに売却 N741LA 保管中

Ja8106-b747246b-cn-19825-ln-137-961116-n

1996/11/16 JA8106 NRT スーパーリゾートエクスプレス紫色

Ja8106-b747246b-cn-19825-ln-137-970824-n 1997/8/24 NRT

JA8106 cn19825 ln 137 1971年5月14日に登録、1999年3月31日に抹消 N556SW、TF-ATF 2003/3-エアアトランタアイスランド 保管中

JALは1994年6月3日にリゾート路線のキャンペーンとしてリゾッチャ(Reso`cha)を発表し、「乗った時からリゾート気分」をコンセプトとしたスーパーリゾートエクスプレス特別塗装機(SRE)を用意しました。機体の塗装だけでなく機内装飾も施され、客室乗務員もアロハ調のブラウスを着用し、機内サービスにあたりました。翌6月4日からホノルル線にSREが就航しました。リゾッチャ塗装に関しても、JA8105やJA8106の塗装変更に関しては「老朽機材の化粧直し」「ボロッチャ」とも言われていました。

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2023年2月 9日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 53 車両編 6500系 6000系4連の界磁チョッパ制御版として登場

1976年12月に登場し、1983年2月まで8次(3次は欠)に渡り製造された6000系4連でしたが、他の鉄道事業者の主力車両は抵抗制御車から界磁チョッパ制御車に移行しつつあり、同時に回生ブレーキによる省エネ運転がアピールされる時代となっていました。名鉄でもモデルチェンジと回生ブレーキの導入が検討され、3880系等の置き換えと、7500系以来となる回生ブレーキ搭載の車両として1984年2月に登場したのが6500系でした。

主要諸元
最高速度 100 km/h 110 km/h (1996年以降)
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長 18,830 mm (モ6450・モ6550)18,900 mm (ク6400・ク6500)
全幅 2,730 mm
全高 3,880 mm(集電装置なし)4,200 mm(集電装置あり)
車体 普通鋼
台車 住友金属工業 FS521A(電動台車)住友金属工業 FS098A(付随台車)
主電動機 東洋電機製造 東洋電機製造 TDK-8225A
主電動機出力 150 kW[5]× 4基 / 両
(TDK-8225A…複巻整流子電動機・端子電圧340 V・定格回転数1,700 rpm)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 84:15=5.6
制御方式 界磁チョッパ制御
制御装置 回生ブレーキ付GTO界磁チョッパ制御 EP-39-A
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-R)
保安装置 M式ATS

6500_20230208075101

各車両の形式番号から言えば豊橋側の先頭車はク6400なので、6400系というべきですが、名鉄では6500系と呼んでいます。
車体は6000系8次車を基本としていますが、前面は非貫通の4面折妻とし、窓下にステンレス製の飾り帯をを付け、窓上に種別・行き先表示装置を収納しました。側面は整列乗車を考慮して、先頭車と中間車の側扉間隔を統一しました。
制御装置は名鉄初のGTO界磁チョッパ制御を採用,1C8M制御、主電動機は騒音を防ぐため内扇式、補助電源装置も名鉄初のGTOインバータを採用しました。
1984年に1次車4本、1985年に2次車4本、1986年に3次車5本、1987年4月に4次車2本、同年11月に後述の6800系と同時に2本が製造された後、1989年に登場した6次車からは大幅にデザインが変更されました。これに関しては後日、写真にて紹介します。1990年に7次車2本、1992年に8次車2本が竣工し、製造を終了しました。

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2023年2月 8日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 52 車両編 6000系 その3 2連の活躍

6000系の2連は2月6日記事にあるように3次車として1978年11月から登場し、5~10次車において製造され6800系へ発展して行きました。こちらは6023F~6027F、6031F~6033Fが1995年に瀬戸線へ転属、元々4連で製造された6019F~6021F、6037F~6041Fの中間車の瀬戸線転属で2連の仲間入り、6019F、6045F~6051Fの廃車を経て、現在18編成のうち、最後の6052F以外の17編成がワンマン対応改造を受け、3次車の6009F~6013Fが蒲郡線・広見線用、6014F、6020F、6021F、6034F、6037F~6044Fが三河線用となっています。

6000-6211-220803
2022/8/3 犬山 6011F

白帯車「にしがま号」 2010年に引退した6000系のスタイルの元となった7700系を再現したもので、2022年3月19日に登場しました。この日は他系列と併結で各務原線の運用に入っていました。
ちなみに6000系のラッピングとしては6035Fの「ランニングピカチュウ号」(2008/7/12-2009/1/16)、6027Fの「招き猫」(2013/10/30-2014/1/16)がありました。

6000-6012-220803-2
2022/8/3 御嵩 6012F
広見線の新可児~御嵩間、ここには1編成の6000系2連が頑張っています。

6000-6012-220803 2022/8/3 6012F ワンマン対応車 運賃表

6000-6012-220803_20230207080201
2022/8/3 6012F 車内

6000-6012-220803-2_20230207080201

2022/8/3 6012F ワンマン対応機器類

Dsc01191_20230207080501

2022/8/4 吉良吉田 6010F こちらは蒲郡線の2連 ワンマン対応車

Dsc01202 2022/8/4 西浦 編成番号不詳
両端駅を含め10駅の蒲郡線、日中は3編成の6000系2連が活躍していました。

Dsc01237_20230207081401 2022/8/4 知立 6040F 三河南線の列車が到着 

Dsc01245_20230207081601 2022/8/4 三河高浜 6014F 側窓の形態から三河線用唯一の3次車

Dsc01246_20230207081801 2022/8/4 新川町 編成番号不詳 

Dsc01263_20230207081601 2022/8/4 知立 6040F 三河南線運用から北線に入り、猿投行に

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2023年2月 7日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 51 車両編 6000系 その2 4連の活躍

6000系1976年から製造が始まり、4連は1983年まで、2連は1985年まで製造が続き、それぞれ26本ずつの計156両が製造されました。瀬戸線への転属、老朽化廃車の開始などで昨年8月時点では4連11本、2連18本の計80両の所帯となっています。2連は全てワンマン対応改造が施工され、4連は6007F、6008F以外、ワンマン対応改造されました。また更新修繕にあたる、重整備は6013F以前の若番の2連以外の2連に対して行われました。

2022年夏の旅で撮影した6000系4連の写真を紹介します。

1)本線系運用

6000-6228-5-220803 2022/8/3 6028F 須ヶ口 

名鉄岐阜5:19、準急 知多半田行 三河線や蒲郡線、広見線ではまだまだ運用されると思いますが、本線系での優等列車の運用はどんどん少なくなっているようです。この列車は名鉄岐阜から知多半田まで名古屋本線~常滑線~河和線を2時間走ります。
6028Fは6次車ですが、5次車から側面窓は連続窓から開閉可能な一段上昇窓に変更されました。これは冷房の使用期間を短縮するための省エネ対策でした。5次車から冷房装置も冷房能力10,500 kcal/hのRPU-3004A形を2台搭載に変更され、新たに熱交換型換気装置(ロスナイ)を設置することによって熱損失の防止が図られました。

6000-220803 2022/8/3 日比野~佐屋 編成番号不詳

こちらは豊明5:40発、普通弥富行で名古屋本線~津島線~尾西線を1時間20分かけて走り、弥富に到着します。

Dsc01226_20230206090601 2022/8/4 米津 編成番号不詳

こちらは11:36 弥富発 急行吉良吉田行で尾西線~津島線~名古屋本線~西尾線を1時間50分走ります。

2022年8月の時点ではこういった本線系の運用をしばしば見かけることがありました。ただ9500系の新造車両の運用開始で今後は6000系の本線系運用はどんどん減ってゆくと思われます。

2)支線系(三河線)の運用

Dsc01250 2022/8/4 碧南 6003F 

三河線用にワンマン対応改造を施行された編成 碧南駅で休んでいました。
本線で活躍する後期の編成に較べ、3次車までの編成は前面行き先表示器が小さいのも形態的特徴です。

Dsc01264_20230206091901 22022/8/4 知立 6004F

知立駅14:47発、碧南行 碧南着15:22 三河線の運用は2連が主のようですが、中には4連の運用もありました。
側面の客用扉の窓は3次車までは小さく、4次車から大型化されました。


Dsc01280_20230206092401 2022/8/4 猿投 検車支区で休む6005F

昨日の記事にあるように6000系4連のうち6001F~6005F,6015F~6017Fの8編成が三河線用ワンマン改造を受けています。

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2023年2月 6日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 50 車両編 6000系 その1 30年ぶりの3扉通勤車として登場、今では最後の抵抗制御車

再び、名鉄の車両の話題です。今回からは通勤型車両です。

名鉄では全金属製車体・カルダン駆動・発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ装備の車両郡をSR車と呼んでいます。SRはスーパーロマンスカーの略で、1955年登場の5000系(初代)(~1986)、貫通スタイルとなった5200系(1957~1987)、側面窓を2段式とし一般車として初めて冷房装置を搭載した5500系(1959~2005)、おなじみパノラマカーの7000系(1961~2009)、その改良型7500系(1963~2005)、展望部分を無くし平屋根車体とした7700系(1973~2010)、7000系の編成組換えで誕生した7100系(1984~2009)、本線急行サービスの向上を目指し、前面展望に配慮した5700・5300系(1986~2019)の2扉転換クロスシート車を狭義のSR車、それに加え、6000系、地下鉄線乗り入れ用100系、パノラマSuper1000系、その機器を流用した5000系(2代)を含め、広義のSR車としています。

世界一の自動車メーカーがあり、マイカー普及率が高い愛知・岐阜県下を走る名鉄としてはマイカー対策として冷房付きクロスシート車の導入が必要と考え、1961年に7000系を導入してから1972年までは7500系、7700系を含むパノラマカーのみを増備してきました。1973年のオイルショック以降、鉄道を利用する通勤客が急増し、朝のラッシュ時に7000系をはじめとする2扉SR車を運用するのは限界であると悟り、1975年、東急電鉄から3扉ロングシート車の3700系を購入し、3880系として運用、通勤輸送における3扉ロングシート車の収容力の高さが実証されました。1975年に本格的通勤車両の製造が決定、シートは相変わらずクロスシートとなりましたが、本格的3扉通勤車として1976年に登場したのが6000系でした。新造3扉車の登場は3550系以来、30年ぶりのことでした。

主要諸元
最高速度 100 km/h
110 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長 18,950 mm(ク6000・モ6200)18,830 mm (サ6100・モ6300・モ6450・モ6550)18,900 mm (ク6400)
全幅 2,730 mm
全高 3,880 mm(集電装置なし)4,200 mm(集電装置あり)
車体 普通鋼
台車 住友金属工業 FS398(6000系電動台車)
住友金属工業 FS098(6000系付随台車)
主電動機 東洋電機製造 TDK-8050A
主電動機出力 150 kW 4基 / 両
(TDK-8050A…直巻整流子電動機・端子電圧750 V・定格回転数2,000 rpm)
(TDK-8225A…複巻整流子電動機・端子電圧340 V・定格回転数1,700 rpm)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 85:14=6.07[5](6000系)
制御方式 抵抗制御
制御装置 電動カム軸式弱め界磁付直並列抵抗制御 CB-27C-55
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)
保安装置 M式ATS

製造は日本車輛製造が担当、1976年から1985年までに4連と2連が登場、6000系として156両が製造されました。1977年には鉄道友の会より第20回ブルーリボン賞が授与されました。

6000-4r_20230208081001

4連で製造された6000系 1976年12月落成の1次車6編成から、3次を除き、1983年2月落成の8次車4編成まで26本が製造されました。青で示したように中間車が瀬戸線に転属した編成や既に廃車となった編成があります。

6000-2r_20230208080601  

2連で製造された6000系編成 こちらは1978年11月落成の3次車から1985年10月落成の10次車まで、3,5,6,7,8,9,10次と26本が製造され、1995年の瀬戸線強化で6023F~6033Fが地下線乗り入れ対策を強化の上、転属しました。2011年3月26日のダイヤ改正で運用数が減少し、瀬戸線の6032編成が6000系、初の廃車となり、その後の4000系置き換えで2014年、瀬戸線の6000系は全廃となりました。2017年以降、更新修繕が行われなかった編成が廃車となっています。
6000系では4連と2連を系列名を分けずに通し番号とした結果、形式によっては欠番が生じ、編成替えでは改番するなど、ややこしい事態となりました。それに懲りてか、6500系以降では4連と2連は別系列名となりました。

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2023年2月 3日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その1 JA8101~JA8103

1967年に製造が開始され、1968年9月に初号機 (N7470)がロールアウト、1969年2月9日に初飛行、形式証明を取得後、1970年1月21日にパン・アメリカン航空ニューヨーク(JFK)~ロンドン(LHR)間に初就航したBoeing 747、通称「ジャンボジェット」の最終号機、1574号機が2023年1月31日、アメリカ・ワシントン州のエバレット工場でロールアウトし、アトラス航空に引き渡されました。登録記号はN863GT、タイプは-8F、cn 67150/ln 1574 です。

シリーズ累計の飛行時間は1億1800万時間、フライト回数は2300万回近くになるとのことです。

そこで今回から、週1回位のペースで、かつて成田や羽田他国内の主要空港、そして海外の空港で撮影したBoeing 747の写真を紹介してゆこうと思います。最初は世界最大の747カスタマー(トータルで113機の747を運航)だった日本航空(JAPAN AIR LINES: JAL)とその子会社、日本アジア航空(JAPAN ASIA AIRWAYS: JAA)のB747です。

JALの747として最初に登場したのはJA8101, JA8102, JA8103として登録された3機でした。型式は-146Aで所謂、タイプ-100です。
このタイプは747シリーズとして167機がオーダーされており、主なイニシャル・カスタマーと導入機数はパンナム:33機、ユナイテド:22機、TWA:15機、BA:18機、エールフランス:16機、ノースウエスト:10機でした。最大離陸重量は735,000lb:333,400kg、航続距離9130km、巡航速度905km/h、搭載エンジンはP&W JT9D-3A, 水メタノール噴射を搭載した-3W, コア側のコンプレッサーを改良し、推力と耐久性を改善した-7Aが標準装備でした。JALの3機はJT9D-7A(推力46,500lb: 20,930kg)を搭載していました。尤も、JT9D-7Aは-100の改良型である-200B用に開発されたエンジンでした。コンフィグはC16Y444で460名でした。

かつてジェット機第一世代のDC-8を導入した際に太平洋横断路線で競い合っていたパンナムがBoeing707を手早く購入し、JALはそれに後れを取り、DC-7Cで同路線の競争で痛い目にあった経験から、今回は早めに747の発注をかけたのですが、如何せん、エンジンの開発が当初、謳われた性能を発揮するまでに至っておらず、まずは3機で様子を見たという感じの発注だったのではないかと思います。

cn19725/ln31のJA81011970年4月22日に納入、1989年8月から1991年4月にかけ、台湾路線に就航する日本アジア航空(JAA)の機体となり、1991年4月にJALに戻りましたが、1992年6月9日に抹消となりました。

JALのBoeing747の初号機ではありますが、受領後はモーゼスレイクでの乗員の訓練に使用された関係で路線初就航は2号機であるJA8102に取られているようです。

ネットに残る同機の痕跡を調べてみると、1976年4月15日、JL464便として南回り欧州路線(パリ~ローマ~アテネ~テヘラン~デリー~バンコック~東京)を飛ぶ運航で、デリーからバンコックに向かう機内(12時20分、日本時間)高度35,000ftにおいて日本人旅客62歳の容体が急変、高度を25,000ftに下げ、酸素吸入等の手当てをするものの、12時29分、ビルマ、アキヤブ南方60哩の公海上空で搭乗していた医師により、死亡が確認される事故がありました。東京国際空港に到着後、東京都監察医務院監察医による検死で求心性心臓肥大症による病死と診断されました。

旅客機としての役割を終えた後は1992年8月4日、貨物機(B747-146SF)に改修され、キティホークインターナショナルN40467として活躍後、整備保存されています。

Ja8102-jal-b747146a-cn-19726-ln-51-87071 1987/7/12 NRT JAAからJALに戻った頃のJA8102

Ja8102-jaa-b747146a-cn-19726-ln-51-nrted 1991年頃 NRT JA8102 
アッパーデッキの窓は3つなのが特徴です。

cn19726/ln51のJA81021970年5月28日に納入、1982年12月から1986年11月までと1990年1月から1992年6月までJAAの機体でした。

前述のようにJALのBoeing747として路線就航のおいしいところはJA8102がとっており、1970年6月1日、羽田に到着すると、7月1日からは東京~ホノルル線初就航、7月2日には東京~ホノルル~サンフランシスコの初便を担当しています。さらに国内線用のショートレンジのSR-46がデリバリーされる前に、返還直後の1972年6月14日、国内線初の定期便として沖縄線に就航したのもJA8102でした。このときにはファーストクラスを外し、モノクラス384席のコンフィグでのフライトでした。以降、1973年10月7日にSR-46が沖縄線に就航するまでは-146Aが同線に就航していました。

1992年6月3日に抹消され、ガボエアに売却、5N-BBBで登録されましたが、既に解体されています。

cn19727/ln54のJA81031970年6月26日に納入、1982年11月から1992年12月まではJAAの機体でした。1992年12月22日に抹消、貨物機B747-146SFに改修され、カリッタエアに売却、N40483として登録されました。既に解体されています。

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<日本アジア航空について>

1972年の日中共同声明で中華人民共和国との間に国交が築かれたのと同時に中華民国(台湾)との間は断交となりました。日中間の航空協定を締結する際にそれまでの台湾へのJALの乗り入れは中国政府の申し入れで出来なくなりました。そこでJALとは別会社の日本アジア航空JAAが1975年8月8日に設立され、東京国際空港と中華民国を結ぶ路線を受け持つこととなりました。
JAAはJALの全額出資で設立され、同年9月15日からJALからリースされたダグラスDC-8-53型機により、東京国際空港~台北松山・高雄の運航が開始され、新東京国際空港が1978年5月に開港すると本拠地を成田に移し、JALからのリース機材で貨物便の運航も開始しました。

両国間の輸送量の増大を受け、マクドネル・ダグラスDC-10-40、ボーイング747-200/300型が導入され、台湾以外にグアム、香港、デンパサール、ジャカルタなどにも就航、日本国内でも名古屋、関西空港発着便が登場しました。

2007年に日本側の対台湾の窓口である交流協会と台湾側の亜東関係協会が日本 - 台湾路線の直接運航を認めることを確認したことにより、2008年4月に日本航空インターナショナルと統合され、同年3月31日を以って運航は終了となりました。

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JALの型式-146Aの747には他にJA8112, JA8115, JA8116, JA8128が存在しました。これらについては後日、順番に紹介しますが、-246Bの登場後もこれら航続距離が短いタイプが導入されたのは東南アジア等の近距離国際線に向けた投入のためだった様です。また-100Aをベースとして、-200Bのランディングギアを組み合わせ、高頻度の離着陸に対応するため胴体各部を補強した747SRが1973年9月に型式証明を取得、同年10月に初就航しましたが、これらは当時の日本の国内線事情を反映したタイプ、世界でもJALとANAしか導入しなかったタイプとなりました。

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2023年2月 2日 (木)

西武鉄道100周年に登場した 黄色の6000系ラッピング車両

今回、西武鉄道110周年で登場した茶色の2000N系2069F1月31日付、東京新聞、多摩武蔵野版でも紹介されていました(記事)。コメントのレスで100周年の際の6000系、6157Fの黄色ラッピングについて触れましたが、あれからもう10年経過したのかと思いましたら、100周年記念ラッピングは2015年4月の登場で、2016年4月まで1年間走り続けたことが分かりました。拙Blogではそういった車両の写真を紹介してきましたが、同編成に関しては、2015年6月7日の武蔵丘検修場公開「西武・電車フェスタ 検修場まつり」の帰りの飯能駅で撮影した写真しか載せていなかったので、今回、改めて記事にすることにします。

6000-6057-150425-2
6000-6157-150425-4
6000-6157-150425-6 2015/4/25 練馬 

このラッピングは「西武の黄色い電車」をイメージしたもので、側面は2000系、前面は当時まだ健在だった3000系をイメージしたものでした。前面のステンレス製飾り板に関しては左右非対称の正面形状には合わないため省略されたそうです。

6000-6157-150607-7
このラッピングと小手指~池袋送り込み回送の様子がテレビ朝日「タモリ倶楽部」で2015年5月29日に放映され、ロケ時に書かれた出演者のサインが車内に掲示されました。

また2016年2月に同編成はスマイルビジョン設置のため玉川上水基地に入場しており、2月24日に出場しましたが、約1か月間のブランクがあったため、当初、2016年3月末までの運行期間を1か月間延長しました。

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2023年2月 1日 (水)

西武鉄道 2000N系 2057Fの廃車

西武鉄道、3つ目の話題はまた2000N系廃車の話題です。

今回は8連の2057Fが1月27日、金曜日に横瀬基地に廃車回送されました。

2057Fは2000系7次車グループとして、そして2000N系最初の8連として登場しました。所沢車輛工場の製造能力から両端クハを含む4連が1989年3月31日に中間モハ4連が1989年5月25日に竣工しました。2001年11月26日に減パン工事、2003年2月20日にCPの換装工事が施工されました。

2000n-8-2057f-120506-1 2012/5/6 田無 菱形パンタ 屋根にはベンチレーターがあった頃

2000n-8-2057-160815 2016/8/15 井荻 ベンチレーター撤去

2000n-2057-190210-3223 2019/2/10 小平電留線

2000n-8-2058-210720 2021/7/20 小平~久米川 パンタもシングルアームタイプに交換




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