世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その3 JA8107~JA8111
日本航空のクラッシック・ジャンボシリーズ、今回は1971年秋に登録されたJA8107から1972年3月に登録されたJA8111までです。
JA8107:cn20332/ln161のB747-146は1971年10月28日に登録で、登録当時は2階部分は3個窓の-146、旅客用でした。当時の塗装は赤と黒のチートライン(側面に並ぶ窓に沿って引かれる直線)、尾翼に鶴丸のJALの標準塗装でした。コンフィグはC16, Y444 計460でJA8101~JA8103と同様でした。
1976年7月17日、羽田空港離陸後に被雷し、キャノピー、主翼前縁部を損傷する事故に遭遇しました。
1977年11月23日に貨物機にコンバートされ、-146SFとなりました。B747の貨物機1番機は1974年9月17日に登録され、10月1日から太平洋線に投入されたJA8123(B747-246F,cn21034/ln243)でしたが、増加する貨物需要に対処するため、JA8107の旅客タイプからのコンバートが決定されました。貨物機としての塗装は日の丸の横にJALCARGO JAPAN AIR LINESと斜体、赤と黒のチートライン、機体後部、主翼の後ろ部分に小さめのサイドカーゴドア、尾翼に鶴丸の塗装でした(例えばFlyTeamサイトのこの写真)でした。1977年9月には塗装変更され、主翼前部分の胴体、キャノピーから6分5程度にグレーの太帯、帯と同じ一辺の赤の四角、その上にJAと大書、その後ろにCARGO、尾翼の鶴丸は消え、斜めにレジ(JA8107)が書かれた塗装になりました(写真はFlyTeamのこの写真)。1977年11月30日からニューヨーク線に就航しました。
私も何度がこの手の貨物機は見ましたが、写真がすぐ出てきません。出てきたら追記します。貨物機の時代はJAAとの共有機で、1992年8月に登録抹消、売却後はKaritta Air N702CKとして登録、2010年9月に抹消、解体されています。
JA8108 cn 20333/ ln 166 HND ドメス運用
JA8108:cn20333/ln166は1971年11月30日登録、1989年頃までは導入当時の標準塗装、1990年代初頭にホワイトボディにJAL,グレーの太帯、赤四角の塗装になりました。コンフィグはC57,Y342計399でした。1999年12月15日に登録抹消となり、Air Gulf Falcon(スワジランド)へ売却, 3D-GFB, ST-AQN, 3D-PAH等と登録され、2003年1月からはスピリット・オブ・アフリカ ST-AQNに、現在も解体はされず保管されているようです。
JA8109:cn20503/ln180、 JA8110:cn20504/ln181、 JA8111:cn20505/ln182の3機はいずれも-246Bで1972年3月2日、13日、21日にそれぞれ登録されています。コンフィグは3機ともC57,Y342計399でした。JA8109はJAL Jumbo機として1年4か月たった1973年7月20日、パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由羽田行のJL404便としてアムステルダムを離陸直後、日本赤軍とPFLP(パレスティナ解放人民戦線)により、ハイジャックされ、7月23日にリビア・ベンガジで爆破されました。乗客は解放され全員無事でしたが、機体はBoeing747としては2機目の全機損失機となりました。ちなみにBoeing747の最初の全機損失機はパンナムのN752PA(-121: cn19656/ln34)で1970年9月6日、アムステルダム発ブリュッセル経由ニューヨーク行、PA93便として運航中にハイジャックされ、カイロで爆破されたものでした。3機とも導入当時は2階部分は3個窓、JA8110以降は導入以降に窓が6~10個に増設されています。
JA8110 cn 20504/ ln 181 NRT
JA8110は1995年11月からは、ジャパンエアーチャーター(JAZ)の機体となり、Super Resort Express(黄色)塗装になっています。退役は1999年12月で、エア・ガルフ・ファルコンに売却(P4-GFE,3C-GFE,5YGFEと登録)、2001年2月にはスピリット・オブ・アフリカに(ST-AQL),エア・ガルフ・ファルコン(3D-PAj,3D-PAF)となり、2003年1月からはスピリット・オブ・アフリカ(ST-AQL)となり、現在も保管中です。
JA8111 cn 20505 /ln 182 上 JAL塗装 下 JAL WAYS塗装 のReso'cha purple
JA8111は1999年10月からジャパンエアーチャーター(JAZ)の後継のJALウエイズの機体となり、Super Resort Express(紫色)塗装になりました。
1980年1月27日、JL404便としてアムステルダム・スキポール空港からアンカレッジ国際空港に向け飛行中の午前2時27分頃(高度35,000ft)、日本人男性旅客1名(49歳)が肝硬変による食道静脈瘤破裂により、死亡する事故がありました。
退役は2001年6月でボーイング エアクラフト ホールディング カンパニーに売却、N791BAと登録、現在も保管中のようです。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。
« 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 57 車両編 6600系 6000系の瀬戸線用バージョンとして登場 | トップページ | 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 58 車両編 パノラマカーシリーズ その1 7000系の登場と量産 »
「旅客機 Boeing 747」カテゴリの記事
- 国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 3 JA8136(2025.01.10)
- 国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 2 JA8135(2024.12.20)
- 国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 1 初号機、2号機 JA8133、JA8134(2024.12.13)
- 世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その94 34機目の-446 最後の747となったJA8922(2024.11.29)
- 世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その93 33機目の-446 JA8921(2024.11.22)
« 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 57 車両編 6600系 6000系の瀬戸線用バージョンとして登場 | トップページ | 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 58 車両編 パノラマカーシリーズ その1 7000系の登場と量産 »
コメント