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2023年3月31日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その9 SR-46と並行して発注された国際線用747、JA8125

国際線用B747-246BのJA8125,cn21030/ln251は2機のSR-46、JA8124(1974年11月22日)とJA8126(1975年4月2日)の登録時期の間の1974年12月17日に登録されています。

JA9D-7AWエンジン装備の機体で、当初は欧米線に投入されました。
 1980年9月19日、JL78便として大阪国際空港からホノルル国際空港に運航中(乗員17名、乗客415名)、西経174度北緯30度付近、高度35,000ftを飛行中、近くに存在した台風16号の影響によるタービュランスに遭遇し、客室後部にいた乗客7名(全て日本国籍)が肋骨骨折、打撲などの負傷を負いました。重傷の旅客1名は左第12肋骨の骨折、腸管麻痺で9月25日から4日間入院加療を要しました。負傷者の多くはシートベルトを着用しないまま就寝中で座席から放り出され負傷したもの、あるいはシートベルトを着用していたが、たまたま手にバックルを添えており、手を挫創したと推定されました。タービュランスに関しては機上レーダに顕著なエコーが見られない程度のものでした。
 1990年には国内線にコンバートされ、528席仕様で活躍しました。1995年、再び国際線仕様に戻され、香港、マニラ等近距離路線を中心に活躍し、1997年12月17日、登録抹消となり、ジャンボジェットリーシング者を経由し、エアアトランタ・アイスランドにリース、レジはTF-ABYとなり、さらにイベリア航空にリースされた際には成田に飛来し、里帰りしたジャンボ機として話題になりました。イベリア航空からサウジアラビア航空にもリースされ、現在は既に解体済みとのことです。

Ja8125-jal-b747246b-cn-21030-ln-251-96111996/11/16 NRT JA8125 cn21030/ln251

Ja8125-jal-b747246b-cn-21030-ln-251-96051996/5/6 NRT

Tfaby-ibe-b747246b-cn-21030-ln-251-98082 1998/8/26 イベリア航空の便として成田に飛来したTF-ABY (元JA8125)

イベリア航空は1927年6月28日に設立され、同年12月4日からマドリード~バルセロナ間を運航した世界でも最古の航空会社ですが、日本への乗り入れは1986年、マドリード~バレンシア~ムンバイ~東京と比較的新しく、1987年にはアンカレジ、もしくはモスクワ経由、1990年にはモスクワ経由となりましたが、上の写真の約3か月後の1998年12月には東京線から撤退してしましました。2010年、ブリティッシュ・エアウエイズと経営統合し、2011年1月にはIAG(インターナショナル・エアラインズ・グループ)が発足し、2015年IAG主導で経営改善が進み、新機材A330-200,A350-900XWBを発注し、2016年10月に成田便が週3便で再開となりました。その辺の様子はこちらの記事にあります。
2019年11月には機材もA350-900XWBに置き換えると発表したものの、その後の新型コロナウイルスの世界的蔓延で2020年3月から成田便は運休となり、3年後の現在も成田~マドリード直行便は運休中のようです。

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2023年3月30日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 81 車両編 3300系・3150系の後継として2020年登場の9100系

2019年12月に営業運転に入った9500系に対し、同一設計の2連版である9100系2020年5月から製造が開始され、2021年1月営業運転に投入されました。9500系から中間車のモ9550、サ9650を抜いた形となっており、形式は豊橋方からク9100+モ9200となっています。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 9100系:250人(座席88人)
車体長 先頭車:18,385 mm
車体幅 2,744mm
車体高 集電装置なし:4,016 mm 集電装置あり:4,055 mm
台車 ボルスタ付空気バネ台車
電動台車:日本製鉄 FS-571MC
付随台車:日本製鉄 FS-571TC
主電動機 全閉外扇誘導電動機 SEA-448
主電動機出力 170 kW
駆動方式 歯車形継手式平行カルダン軸駆動
歯車比 96:17=5.65
制御方式 ハイブリッドSiC適用IGBT-VVVFインバータ制御
制御装置 三菱電機製 MAP-174-15V342
制動装置 電気指令式空気ブレーキ(回生ブレーキ併用)オール電気ブレーキ付
保安装置 M式ATS

9500系の制御装置は東芝製のSVF106-C0でしたが、9100系は三菱製のMAP-174-15V342が搭載されています。

9100
9100系 編成と製造年次

9100-9101-220803 2022/8/3 犬山 9100系 9101F

9100-9204-220803 220/8/3 栄生 9100系 9104F

2022年8月の名古屋遠征で撮影した写真を中心に名鉄の車両を紹介してきたシリーズも今回で一応、終了となります。唯一心残りだったのが2015年に東芝が名鉄用に45年ぶりに製造したEL120形電機を撮影できなかったことです。また名古屋に行く機会があれば是非、撮影したく思います。

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2023年3月29日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 80 車両編 3300系・3150系の後継として2019年登場の9500系

5700系6000系の置き換えを目的に2017年より、仕様について検討が始まり、3300系をベースに、時代の変化に合わせ改良を施し、2019年にデビューしたのが9500系でした。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 9500系:524人(座席186人)
編成重量 131.9 t
車体長 先頭車:18,385 mm 中間車:18,230 mm
車体幅 2,744mm
車体高 集電装置なし:4,016 mm 集電装置あり:4,055 mm
台車 ボルスタ付空気バネ台車
電動台車:日本製鉄 FS-571MC
付随台車:日本製鉄 FS-571TC
主電動機 全閉外扇誘導電動機 SEA-448
主電動機出力 170 kW
駆動方式 歯車形継手式平行カルダン軸駆動
歯車比 96:17=5.65
制御方式 ハイブリッドSiC適用IGBT-VVVFインバータ制御
制御装置 9500系:東芝製 SVF106-C0
制動装置 電気指令式空気ブレーキ(回生ブレーキ併用)オール電気ブレーキ付
保安装置 M式ATS

18m、片側3扉のステンレス製車両で日車式ブロック工法で車体は組み立てられており、先頭部は衝突安全性と変形時の保守性向上のため普通鋼製となっています。前照灯は横8粒のLED照明を縦3段に斜め状に配し、減光時は上段のみが点灯します。標識灯は前照灯を縁取るように配置され、シャープな印象を与える外観デザインとなっています。
座席はオールロングシートで扉間が8人掛、連結部寄りが5人掛、運転室寄りおよびフリースペース部は2人掛で、8人掛および5人掛はスタンションポールにより3+2+3席および3+2席に区切られています。

9500
9500系の編成構成、製造年次

9500-9602-220803

9500-9502-2208032022/8/3 栄生 9500系 9502F

9500-9603-220803_20230328074501 2022/8/3 笠松 9503F

9500-9603-220803_20230328074502 2022/8/3 名鉄岐阜 9503F

9500-9505-220803
2022/8/3 名鉄一宮 9505F

9500-9512-220803 9500-9612-220803_20230328074701 2022/8/3 笠松 9512F

9500-9512-220804 2022/8/4 新安城 9512F  

2019年7月、10月、11月に9500系の第1から第4編成が投入されたことで、5700系、5300系は全廃されたとのことです。9500系は電気指令式ブレーキを搭載しているので3500系、3700系、3300系との併結運転も可能であり、2200系特急車両と併結した臨時列車も運転されたことがありました。

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2023年3月28日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 79 車両編 運輸省規格に基づいて製造された3800系

 名鉄の路線は太平洋戦争終戦後に時点で金山橋を境に、旧愛知鉄道が敷設した東部線(DC1500V区間)と旧名岐鉄道が敷設した西部線(DC600Vの区間)に分かれており、直通運転が阻まれていました。西部線の600Vを1500Vに昇圧するためには変電所などの地上設備の改修(1946年9月より着手)とともに、既存車両の昇圧対応改造が必要となりました。製造から経年の浅かったモ800形、モ850形などは昇圧改造が施され、昇圧改造対象外となり、このタイミングで除籍される車両の補充を目的に東部線に所属する制御車の一部を電動車に改造する改造工事も進められました。それでも不足する1500V対応車両に関しては新製によって充当することにしました。

38007501-edit

1975/1/2 名古屋手前 国鉄列車車内から

1975年1月1日深夜、東京駅から乗車した大垣行夜行普通列車が名古屋駅に到着する寸前、車窓から写した併走する名鉄電車、最近、名鉄の形式をいろいろ勉強してこの車両は戦後、当時の運輸省規格で製造された3800系の高運転台化・前照灯シールドビーム化改造された姿ではないかと思いました。ストロークリームに赤帯の姿は当時、セミクロスシート化されていた編成だと思います。

終戦間もない時期で世の中は資材不足が問題となっており、地方鉄道鉄軌道事業者の鉄道車両製造発注は運輸省の監督のもと認可制となっており、各事業者が自由に車両製造メーカーに発注できる体制ではありませんでした。運輸省の実務代行機関である日本鉄道協会は1947年度に地方鉄軌道事業者の新製車両に関する規格「私鉄郊外電車設計要項」を制定、原則的に同要項に沿って設計された車両、所謂「運輸省規格形車両」の新規発注のみが認可される状況でした。
名鉄は車体長17,000mm、車体幅2,700mmのA'形を選択し、1947年度、制御電動車モ3800形、制御車ク2800形、各10両の製造が認可されました。これらのうち3805編成までは西部線昇圧工事完成前日の1948年5月11日までに竣工、5月16日の東西線直通運転開始後は主力車両として運用されました。1948年度も引き続き10編成が、1949年度は15編成が増備されました。尚、1949年度は要項が改訂され、A'形はB2形になりました。1954年にク2836、1両のみが新製されました。71両という製造両数はパノラマカーが登場するまでは名鉄における単一系列最大の両数であり、1950年代名鉄の代表形式として戦後復興期の輸送力増強に大きく貢献しました。特急運用から普通列車運用まで幅広く充当されました。名鉄における吊り掛け駆動形式のうち、間接自動診断制御器を搭載する、所謂AL車グループの代表形式でもあります。

主要諸元
最高運転速度 100 km/h
車両定員 120人(座席42人)
自重 モ3800形:37.3 t ク2800形:28.7 t
全長 17,830 mm
全幅 2,740 mm
全高 4,135 mm
車体 半鋼製
台車 D18・TR14(ク2836のみ)
主電動機 直流直巻電動機 TDK-528/9-HM
主電動機出力 112.5 kW (端子電圧750 V時一時間定格)
搭載数 4基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 3.21 (61:19)
定格速度 64 km/h(全界磁時)
制御方式 電動カム軸式間接自動加速制御
制御装置 ES-516-C
制動装置 AMA / ACA自動空気ブレーキ

車体の構造主要部分は普通鋼製の半鋼製車体で、モ3800形、ク2800形の連結運転を前提に一方の妻面に運転台を設けた片運転台仕様で前後妻面中央には貫通扉を設け、その左右に前面窓が設けられました。側面は450mm幅の乗務員室扉、1100mmの片開き客用扉,700mm幅の側窓が配置され、側窓構造はそれまでの名鉄の標準仕様の一段上昇式一枚窓ではなく、上下段上昇式、二段窓となりました。屋根上にはガーランド形ベンチレーターが屋根部左右に二列配置(3801F~3820F)、あるいは押込形ベンチレーターを屋根部左右に二列配置(3821F~3835F)、ガーランド形ベンチレーターを屋根中央部に一列配置(ク2836)となりました。登場時は当時の名鉄の標準塗装のダークグリーン1色塗りでした。車内座席はロングシートで、客用扉間に9枚設けられた側窓のうち、客用扉に隣接する各一枚の側窓に相当する位置には座席を設けず立ち席スペースとしました。乗務員室は全室運転台構造とし、客室とは仕切り壁で仕切られました。

戦後間もない混乱期に製造されたため、1960年代に入ると外板の劣化などが目立つようになり、外板張替え、構体修繕、衝突事故対策として運転台嵩上げ、前面貫通扉・客用扉の鋼製扉化、窓サッシのアルミサッシ化、戸袋窓のHゴム固定支持化などの各種改造工事が施工されました。また2次車の一部ではロングシートから転換クロスシートへの改造がなされ、セミクロスシート化された車両は当時の名鉄におけるクロスシート仕様車の標準塗装、黄色がかったクリーム(ストロークリーム)地に赤帯に変更となりました。

1967年からは早くもセミクロスシート化から外れた車両の退役が開始となり、主に1次車が富山地方鉄道、大井川鉄道、豊橋鉄道などに譲渡されました。また支線直通特急用車両として7300系の新製が決まると台車・主電動機などは本系列から供出されることになりました。7300系4連3本は3800系2編成ずつ6本分の機器を流用、2連9本は18本分の機器を流用し、最大71両在籍した3800系も全24両となりました。1970年代の高度成長期には輸送量増加数は年々激しさを増し、車両更新よりも、新製車両増備が求められ、7300系の増備計画は打ち止めとなり、さらにオイルショックで従来、自家用車利用の通勤客が公共交通機関に移転し、朝夕のラッシュ時の混雑度は限界に達するようになりました。こういった状況を受け、3800系の淘汰は中止となり、輸送状況改善のため大手事業者としては異例の他社からの譲渡車両導入なども行われ、東急車輛から譲受した3880系などが活躍する時代となりました。

3800-750102-edit
1975/1/2 神宮前
大垣行き名古屋に到着後、国鉄駅での撮影後、名鉄に乗車、初詣客で混雑する神宮前で名鉄車両を撮影、あの当時ですら「かなり古色蒼然とした車両とだなぁ」と感じたのがこの3800系でした。まだ前照灯はオリジナルのままで、セミクロスシート車であることを示すストロークリームに赤帯の塗装を纏っていました。

3800系においては白熱灯の蛍光灯化、前面ワイパーの自動化、D18台車のコロ軸受け化、前照灯のシールドビーム2灯化といった近代化改造工事が進められ、セミクロスシート化された編成に対してはラッシュ時対策として客用扉寄りの座席を左右2脚・1両あたり4脚撤去し客用扉周辺の立席スペースを拡大する改造が施工され、従来車内座席の相違によって異なった車体塗装を全編成ともスカーレット1色塗りとしました。

1981年6000系の増備が進むと本系列の置き換えが再開され、またオイルショック後の混雑期に導入された3880系の廃車も進められた際にク2800形の台車が3880系の廃車発生品の台車に換装され、D18台車は昨日の記事に登場したHL更新車である3700系列へ転用されました。1987年、国鉄分割民営化でJR東海が東海道本線の利便性向上を図ると名鉄も対抗策として6500系、6800系を投入し、サービス向上を図り、その結果。AL車、HL車などの旧型車の淘汰が進み、3800系は3827編成が1989年9月12日付で除籍され、形式消滅となりました。

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2023年3月27日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 78 車両編 車体更新HL車 3700系(2代)・3730系・3770系・そして冷房付き3780系

名鉄では1950年当時、多数在籍した木造車体の旧型車の車体更新を進めており、その中でも間接非自動加速制御(HL)方式の車両に対しては1957年には3700系(2代)が登場し、1963年までに41両が製造されました。3700系(2代目)に関してはこちらのサイトの記述が大変参考になります。

3770-2776-861206

1986/12/6 尾張瀬戸 3770系 ク2776

1964年には運転台を高運転台とし、1400mm両開き扉とした3730系1966年からは全席転換クロスシートにした3770系が増備され、両系列で合計77両製造されました。これら3系列は名古屋本線・犬山線における普通列車運用に投入され、支線区に直通する優等列車運用にも充当されました。3770系2両は1978年の瀬戸線昇圧で移籍し、後に3770系全車と3730系の一部が移籍しましたが、1990年には瀬戸線移籍車が引退、1996年には本線残留車も引退となりました。

一方、1960年代半ばはモータリゼーションの進展で支線区における利用客の自家用車への移転が顕著となりつつあり、運用車両の質的向上が必要不可欠となり、冷房装置を搭載していないこれら3系列は旅客サービスの点から見劣りする存在となっていました。

1966年度下半期に投入する車体更新車に関しては旅客サービスの向上から冷房装置を搭載し、通勤通学輸送と行楽輸送の相反する用途の両面を満たす新型車両として設計され、3780系、形式は制御電動車モ3780形、制御車ク2780形の2両(18m2扉)からなる編成が10本計20両が1966年11月から12月にかけ製造されました。

主要諸元
車両定員 130人(座席38人)
自重 モ3780形:34.5 t ク2780形:28.9 t
全長 17,830 mm
全幅 2,740 mm
全高 モ3780形:4,200 mm ク2780形:3,835 mm
車体 全金属製
台車 FS35・D16ほか
主電動機 直流直巻電動機 WH-556-JR-6G
主電動機出力 74.6 kW (端子電圧750 V時一時間定格)
搭載数 4基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 3.045 (67:22)
制御方式 電磁空気単位スイッチ式間接非自動加速制御(HL制御)
制御装置 HL-272G-6
制動装置 AMM / ACM自動空気ブレーキ

車体は全金属製・準張殻構造の軽量車体で全長・全幅・心皿中心間隔は3700(2代)・3730・3770系と共通ですが、本系列では5500系と同様に車体裾部に丸みが設けられました。また冷房装置搭載のため、車体高が3700(2代)・3730・3770系に較べ150mm縮小されました。

車内は3770系同様、全席転換クロスシートですが各客用扉直近の1列計8脚の座席を1人掛け席として、ラッシュ時間帯において乗降客で最も混雑する客用扉付近の移動を容易とし、その他の座席については通路を挟んだ左右に1人掛け席と2人掛け席を配置し、車体中央部で座席配置を左右反転させた構造としました。車内通路幅を最小1,015 mmとして、従来の2人掛け席を通路左右に配した転換クロスシート仕様の車両の通路幅605 mmと比較して410 mmの拡幅を実現しました。座席横幅は1人掛け席が533 mm、2人掛け席が933 mmで、座席間中心間隔(シートピッチ)は900 mmと5500系および7000系「パノラマカー」とほぼ同等の居住性となりました。

3780-7501 1975/1/2 神宮前 ストロークリーム地に赤帯の塗装となった3780系

車体塗装は3730系の一部に採用されたライトパープル1色塗りでデビューしましたが、塗料が耐候性に乏しく退色が激しかったことや遠方からの視認性に著しく難があったため、早々と当時の標準塗装であったストロークリーム地に赤帯の塗装に変更されました。主電動機の出力が低く、さらに高速運転時に用いる弱め界磁制御機能を有さなかったため、3700系(2代)からの4系列は幹線から支線運用に回るようになりました。

3780-861206 1986/12/6 尾張瀬戸 3780系 3785F

3780系に関しては1978年3月の瀬戸線昇圧工事完成より、3783編成、3787編成、3788編成以外の編成が瀬戸線に転属となり、同年8月の栄町乗り入れからは全10編成が瀬戸線転属となりました。当時瀬戸線車両では唯一の冷房付き編成であったので、急行列車運用に充当されました。瀬戸線の利用客増加で1985年5月から1986年3月にかけ、全席ロングシートに改造され、ク2780形の台車もそれまでの雑多な台車形式から3880系本来の扶桑金属工業(のちの住友金属工業)製のKS33E鋳鋼組立形釣り合い梁式台車に統一されました。

1995年には瀬戸線輸送力増強で6000系2連が転入し、廃車が始まり、1996年6月1日に最後まで残っていた3781・3784編成が除籍となり形式消滅しました。本系列の全廃で名鉄の1500V架線電圧路線区のHL車は全廃となりました。

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2023年3月24日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その8 JAL最初の747-200F、JA8123

ボーイング社は朝鮮戦争さなかの1952年から超音速旅客機(SST)の設計に取り組み、1958年には常設の研究委員会が発足、1960年には開発規模が100万ドルに届くくらいになりました。この頃はモデル733と呼ばれており、可変翼で150席、大西洋横断が可能な機体を目指すものでした。

1962年前半にイギリスBAC:British Aircraft CorporationとフランスのSud-Aviation が進めていた超音速輸送機計画の統合が発表され、同年11月にはそれがコンコルドとして共同製造されると発表されるとアメリカでも当時のケネディ政権はコンコルドに勝る旅客機開発計画に対して資金を投入、ナショナル・スーパーソニック・トランスポート計画(国産超音速輸送機計画)がスタートしました。同じ頃、ソ連でも超音速旅客機Tu-144の計画が発表されており、将来、民間航空機のほとんどが超音速機になるだろうと思われていました。アメリカの超音速機計画では250人の乗客をマッハ2.7から3.0程度の速度で大西洋を越えて運ぶというもので、コンコルドの(100人、マッハ2.2)の上を目指したもので、そのためにはコンコルドのような耐熱アルミニウム合金ではなく、より高温に耐えられ、十分な強度を持つステンレス鋼、あるいはチタニウム合金とする必要がありました。

連邦航空局(FAA)から機体メーカ3社(ボーイング、ロッキード、ノースアメリカン)とエンジンメーカー3社(カーチス・ライト、GE,P&W)に要求仕様書が送られ、ボーイングはモデル733案を発展させ、「開発が直ちに承認されれば1967年に原型試作機の製作を開始し、1970年初頭に初飛行を達成できる」「1969年初頭から量産を開始し、1972年の後期には量産機の初飛行、1974年の半ばまでには型式証明を取得できる」との見込みを示していました。この頃にはボーイング707に代わる超音速旅客機であり、マッハ2.7にちなみモデル名はモデル2707-300となっていました。翼に関しては可変翼から固定翼に変更されていました。こういった計画案に対して、1969年10月時点でパンアメリカン航空から15機、日本航空、ルフトハンザ航空、ブラニフ航空、トランス・ワールド航空など世界26の航空会社から122機の発注がなされていました。一方、コンコルドは16社から74機でした。

しかし、環境問題、とくにオゾン層の破壊の懸念、騒音問題、ソニックブーム(衝撃波)の問題、さらに経済性の問題などから計画は1971年5月20日、中止となりました。一方、ボーイング社はアメリカ空軍の長距離戦略輸送機CX-HLS計画でロッキードに敗れた大型亜音速超大型機の案を民間機に転用し、2707-300が実用化された際にはすぐに貨物機転用可能な旅客機として747の開発を進め、1969年2月9日には747-100型の初飛行に漕ぎつけていました。

SST計画の頓挫で長距離輸送機は747の天下となり、1970年10月11日に初飛行した-200B型に続いて開発されたのが-200F型で1号機は1971年11月30日に初飛行しました。1972年4月19日、ルフトハンザ・ドイツ航空により運航が開始されました。最大の特徴は機首を持ち上げる大きな貨物扉が設置されたことで、後にはオプションで後部胴体左側面に高さ3.05m、幅3.40mの貨物扉(SCD)が設置できるようになりました。キャビン幅一杯に搭載する場合、前部の貨物扉からは搭載が不可能なため新設されたものでした。キャビンの床面にはモーターによって駆動されるタイヤが埋め込まれており、2名の作業員により荷役作業が行えるようになっています。2階キャビンへの昇降用階段は折り畳み式となっており、不使用時は2階キャビンの床の中に収納されています。-200F型は73機製造され、-200Bが-300、-400、-8と発展していったと同様に-400F,-400ERF,-8Fと発展して行き、最終製造機は-8Fでした。

Ja8123-cn21034-ln-243-950807-nrt 1995/8/7 NRT

Ja8123-cn21034-ln-243-960429-nrt 1996/4/29 NRT

Ja8123-cn21034-ln-243-961204-nrt 1996/12/4 NRT
JA塗装はJALとJAAの共通使用機であるためで、1996年頃からは後部胴体にSUPER LOGISTICSのロゴが入れられました。

cn21034/ln243JA8123はJALが最初に受領した貨物型-246F/SCDでした。エンジンは水噴射オプション付きのJT9D-7AWで1974年9月17日に登録されました。貨物機としては異例のアッパーデッキに窓がある機体でもありました。1974年10月1日には東京~サンフランシスコ~ニューヨークの貨物便に就航しました。1982年10月にはこのJA8123を初号機としてJALカーゴ会社が設立されました。ピーク時には世界26都市、週70便以上を運航していましたが、2007年からの世界同時不況を発端とする経営破綻により、2010年3月25日、貨物専用機による運航の終了を発表、同年11月1日のフライトを最後に運航に終止符が打たれました。

1987年から始まった通信衛星ETS-Vの通信実験では実験装置が搭載され、実験機材となりました。実験に関する解説文はこちら
1996年3月に住商リースに売却、JALへのリース機となり、2002年4月17日、登録抹消、N705CK カリッタエアー機となり、2008年12月からストア、既に解体されています。

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2023年3月23日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 77 車両編 地下鉄線乗り入れ用 300系 その2

名鉄小牧線・名古屋市営地下鉄上飯田線直通運転用に製造された300系、4両編成が8本製造されていますが、8本の製造時期は2002年4月1日までに製造された第1次車は主電動機が三菱製(170kW三相かご形、押込みファン方式自己通風形)、制御装置も三菱製IGBTインバータ、2レベル方式なのに対し、同年4月18日、25日に落成した第2次車は基本仕様は同じですが、主電動機は東洋電機製、制御装置は東芝製となっています。

300系は2002年4月1日から営業運転に投入され、通常は犬山~平安通間の運用に就いていますが車両検査時の回送・試運転では犬山線・名古屋本線も走行します。また性能確認等の試運転で広見線(新可児まで)走行することもあります。

Dsc00854_20230322071801 2022/8/3 犬山 300系 311F 

300-318-220803 2022/8/3 犬山 300系 318F

300-348-220803 2022/8/3 犬山 300系 ク348

Dsc00855 300系の側扉上に掲出されている路線と駅名
300系の通常運用範囲は小牧線と地下鉄上飯田線(地下鉄区間は1駅)

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2023年3月22日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 76 車両編 地下鉄線乗り入れ用 300系 その1

昨日までの100系・200系と同様に名鉄小牧線・名古屋市営地下鉄上飯田直通運転用に2002年にデビューしたのが300系でした。地下鉄乗り入れ規格に従った20m4扉車で車体は日車式ブロック工法による軽量ステンレス製となりました。ステンレス製車体は名鉄では初でした。但し、前頭部は損傷時の修復を容易にするため普通鋼製にシルバーメタリック塗装となりました。車体窓下にはピンクとスカーレットの帯が入り、ピンクは地下鉄上飯田線、スカーレットは名鉄のシンボルカラーとなっています。前面デザインは1800系に類似していますが地下鉄直通を考慮し、非常用貫通扉を助手席側に設け、非対称・傾斜形の前面形状となりました。

主要諸元
最高運転速度 小牧線 100(95) km/h 上飯田連絡線ATC区間 75 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 530名(座席200名)
編成重量 132.4 t
全長 20,000 mm
全幅 2,746 mm (外板間 2,730 mm)
全高 屋根高 3,600 mm
冷房装置上面 4,000 mm
パンタグラフ折畳 4,040 mm
駆動方式 WN継手式平行カルダン駆動
歯車比 96:17 (5.65)
編成出力 170kW×8=1,360kW
制御方式 VVVFインバータ制御 (IGBT素子)
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
純電気ブレーキ

300系の座席は混雑時の乗降促進と快適な近郊・行楽乗車の両立を目指し、扉間ごとに転換式クロスシートとロングシートを交互に配置しました。クロスシートは1200系のものと類似し、座面はやや高くなり、材質は軽量化され、転換が容易となりました。ロングシートはカンチレバー支持の本格的バケット形となり、1人当たりの幅が470mmとなり、袖仕切り板も大型化され居住性が向上しました。

制御装置はIGBT素子によるVVVFインバータで2レベル方式・ベクトル制御となりました。1C2Mの2群構成で、中間電動車2両が隣り合わせになっていますがMM'ではなく1M方式となっています。

300_20230321081201


編成表と製造年次


各車両の形式は上飯田方からク310+モ320+モ330+ク340形となっています。


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2023年3月21日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 75 車両編 地下鉄線乗り入れ用 100・200系 その2

 1978年12月に登場した100系第1次車6000系、1~3次車をベースにした仕様で20m級4扉車であること、オール電動車構成にしたこと、地下鉄鶴舞線内でのATC,誘導無線方式の列車無線の装備などが相違点でした。登場当時は三河線知立駅~豊田市駅間に投入され、100系の投入で猿投駅に検車区が新設されました。
 相互直通運転目前の1979年6月に登場した第2次車では車掌室背面の仕切り固定窓の位置と寸法、支持方法が変更となりました。1989年4月に製造された第3次車からは抵抗制御から回生ブレーキが付加された界磁添加励磁制御方式となり、台車はブレーキシリンダ径が変更され、耐雪ブレーキが付加されました。補助電源装置はGTOインバータタイプとなり、車体床面は40mm下げられました。これは6000系4次車以降と同じです。
 1990年頃になると犬山線の朝のラッシュ時の混雑は大変激しいものとなり、地下鉄直通工事も行われていましたが工事の進捗は芳しくありませんでした。早急な混雑緩和対策として、また旧型車の置き換えとして考えられたのが収容能力の高い20m4扉車の犬山線・常滑線暫定投入で、地下鉄相互乗り入れ開始前に100系を先行増備し、同線に投入することでした。
 鶴舞線と犬山線相互直通運転用に増備された第4次車1991年4月製造では直通運転開始まで犬山線・名古屋本線・常滑線での暫定使用のため、併結運行のため元空気ダメ管・直通管・ジャンパ栓の新設、乗務員室に「自車締切」「他車締切」のスイッチの追加がなされるなどの仕様変更がありました。このときの編成から番号は200番台となりました(系列はあくまで100系)。
 輸送力強化、豊田線・犬山線と地下鉄鶴舞線の相互直通運転開始に際して、4連を6連にするための中間車が第5次車1993年4~7月製造として100番台6編成分、200番台4編成分製造されました。制御方式はGTO素子によるVVVFインバータ制御となり、抵抗制御や界磁添加励磁制御の他の車両と特性を合わせる制御が可能なようになりました。
 1994年7月、運用増強に合わせ、6両編成1本(第6次車)が増備され、この編成からは全ての車両がGTO素子によるVVVFインバータ制御となりました。系列は200系となりましたが、100系200番台の続き番号となり、車内では「100系6次車」として扱われているそうです。

Dsc01291_20230320080001 2022/8/4 梅坪 100系 114F

Dsc01292
Dsc01293 ク144 車内の様子

Dsc01294_20230320080301 2022/8/4 赤池 114F ここから鶴舞線に

100-244-220803 100-244-220803-3 2022/8/3 犬山 電留線で休む214F (第4次車)

1977年から鶴舞線で活躍している名古屋市交通局の3000形は車齢が30年を超え、N3000形の導入に伴い、廃車が進行し、2023年3月で運用が終了しようとしていますが、名鉄の100系。200系については引き続き活躍が続くそうです。

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2023年3月20日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 74 車両編 地下鉄線乗り入れ用 100・200系 その1

2022年夏の名古屋遠征、名鉄線ほぼ全線乗りつくしの旅で撮影した車両も最終盤にかかり、あと残すは地上線用はAL(Automatic Load Control)車の一部と2019年登場の9500系・9100系シリーズのみとなりましたが、これらを後に回し、その前に地下鉄線相互乗り入れ用の車両を紹介しようと思います。

名鉄の現行の車両形式附番規則によると
3桁     地下鉄直通車
1000番台  特急用車両(パノラマSuper系)
2000番台  特急用車両(空港アクセス用)
3000番台  通勤型車両(VVVFインバータ制御車)
4000番台  同上
5000番台  3扉高性能車(車体更新車)
6000番台  3扉高性能車
9000番台  通勤型車両(VVVFインバータ制御車)      となっており、地下鉄直通車は100,200,300の系列番号が与えられています。

1950年代以降の高度経済成長期、豊田市は自動車産業の隆盛で人口が急増しましたが、名古屋市から豊田市に至る地域に鉄道はなく道路交通が主体となっていました。運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会名古屋圏部会は1972年に名古屋市と豊田市を結ぶ総延長139kmの路線網を答申しました。名鉄は合併で取得した三河鉄道が有していた挙母と大曾根を結ぶ鉄道敷設権利のうち、地下鉄3号線と競合する八事と赤池の権利を名古屋市に譲渡し、赤池と豊田市間を名鉄が建設し、車両や設備の規格を合わせ、相互直通運転を行うこととしました。

相互乗り入れに関する共通規格として全長20m・4扉ロングシートという条件があり、1976年に登場した6000系をベースに地下鉄乗り入れ用に設計・製造されたのが100・200系でした。

主要諸元
最高運転速度 100 km/h(名鉄線内)75 km/h(地下鉄線内)
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長 20,000 mm
全幅 2,730 mm
全高 4,140 mm (集電装置付き)3,880 mm (集電装置なし)
車体 普通鋼
台車 住友金属工業 FS398A 住友金属工業 FS398B 住友金属工業 SS126D 住友金属工業 SS026D
主電動機 東洋電機製造 TDK-8200A 東洋電機製造 TDK-8201A 東洋電機製造 TDK-6380A
主電動機出力 100kW ×4基 / 両(TDK-8200A・TDK-8201A)170kW × 4基 / 両(TDK-6380A)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式 中実軸平行カルダン駆動方式(TDタイプ)
歯車比 85:14=6.07
制御方式 抵抗制御(1・2次車)界磁添加励磁制御(3・4次車)VVVFインバータ制御(5次車以降)
制御装置
三菱電機 ABFM-138-15MDHA(電動カム軸式弱め界磁付直並列抵抗制御)
三菱電機 ABFM-138-15MRH(回生ブレーキ付界磁添加励磁制御)
三菱電機 MAP-174-15V38(GTO素子VVVFインバータ制御)
三菱電機 MAP-174-15V236(IGBT素子VVVFインバータ制御)
制動装置 発電ブレーキ(回生ブレーキ)併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)
保安装置 M式ATS・車内信号式ATC

主要機器は6000系で実績のある機器を使用することで安定した性能と保守の便を図りました。1台の制御装置で8基の主電動機を制御する1C8M方式の多段制御で力行は起動1段・直列16段・並列8段・弱め界磁4段 、制動は17段とし、地下鉄線内では最高速度75km/hのため弱め界磁は3段までとしています。

100200
名鉄100系・200系の編成と製造年次

当初はモ110+モ120+モ130+モ140のオール電動車4連で登場しましたが、1993年4月から登場した5次車2両を加えて6連化されました。また4次車登場の際に番号不足となり、100番台から200番台となっています。3次車から回生ブレーキが添加された界磁添加励磁制御方式となり、1994年7月に製造された編成からはGTO素子によるVVVF制御となり、形式も200系となりました。
3桁の形式のためこうした一見複雑な形式・系列名称となっています。

製造時による変化については次回の記事で触れます。

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2023年3月17日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その7 SR-46と並行して発注された国際線用747、JA8122

前回の日本の特殊事情からJALがBoeingと共同開発したSR-46(7機のうちの後ろ3機)とほぼ同時期に発注されたのがJA8122,JA8123,JA8125,JA8127,JA8128の5機でした。これからの記事ではこれら5機について順番に触れようと思います。

Boeing社は航空機を受注した時点でcn: constructor's numberを割り当てます。しかし、発注が確定発注ではなく、オプショナルのものであり、経営方針の変更などで発注が取り消され、cnが振られた航空機が製造されないことがあります。一方、747の製造ラインでは建造中の747一機ごとに番号を振っており、こちらはln: line numerとなっています。この視点でJALの747のうち、JA8121からJA8128のcn/lnを見てみると

JA8121 SR-46 20923/234
JA8122 -246B  20924/235
JA8123  -246F  21034/243
JA8124  SR-46  21032/249
JA8125  -246B  21030/251
JA8126  SR-46  21033/254
JA8127  -246B  21031/255
JA8128  -146A  21029/259      

と発注順序的にも製造ラインの順番的にも、最初の貨物機(JA8123)を含めた、国際線用のJA8122,JA8125,JA8127,JA8128の5機は7機のSR-46の後ろ3機と同時期に発注契約がなされ、ほぼ同時期に製造されたことが分かります。

cn20924 ln235のJA81221974年3月29日に登録されました。JALの747がアンカレジ経由の欧州線に就航したのは1972年4月のことで3日には東京~アムステルダム~パリに、5日には東京~ハンブルグ~パリに就航しています。1973年3月31日には東京~フランクフルト線に、4月2日には東京~ロンドン線にも747が就航、そしてJA8122が本格的に営業運航に投入された1974年4月1日からはアンカレッジ経由の北回り欧州線は全便747による運航となりました。

1975年12月16日、JL422便として運航中、アンカレジ空港の誘導路を走行中、凍結と強風で誘導路を逸脱、平均傾斜度13度の積雪の土手を滑落し、停止する事故を起こしました。乗客乗員2名が重賞、9名が軽傷を負う事故となりました。空港管理者の凍結への対策の不十分、羽田空港の着陸制限時間を気にするあまり機長が不適切な判断をしたことが原因の事故でした。

1979年7月22日、サンフランシスコから東京に向かうJL001便が午前8時10分(JST)離陸後、9時25分頃、高度31000ftを飛行中の機内でインドネシア国籍の49歳の男性(ストレッチャ輸送旅客)が死亡する事故がありました。癌の手術のためサンフランシスコに行きましたが、滞在のみで手術は行わず、帰国の途上の死でした。機内における遺体保存措置の限界から、目的地をホノルル国際空港に変更、燃料50,000lbを放出し、13時12分に着陸、同空港で遺体と付添人3名は降機しました。

1987年4月26日午前7時27分(JST)バンクーバー国際空港をJL015便として離陸後、高度31000ftを新東京国際空港に向け飛行中、カナダ国籍のフィリピン人の女性72歳が肺癌のため死亡する事故がありました。付添人の希望により同機は飛行を継続し、17時22分、新東京国際空港に着陸しました。

Ja8122-jal-b747246b-cn-20924-ln-235-9305

1993/5/8 羽田京浜島 JA8122 cn20924/ln235 国際線から国内線用にコンバートされていた時代

Ja8122-jal-b747246b-cn-20924-ln-235-9508

1995/8/7 成田RWY16Rエンド 再び国際線に

1990年から1994年にかけては国内線用にコンバートされ、その後は近距離国際線に使用されました。1996年1月31日、UTファイナンスに売却、N550SWとなり、3月にはCLG747社を経てエアアトランタ・アイスランドにリース(TF-ABI)、サウジアラビア航空、イベリア航空にリースされ、現在は解体済みです。

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2023年3月16日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 73 車両編 瀬戸線刷新のため登場した4000系 

5000系が登場した2008年、瀬戸線栄町乗り入れ40周年を記念して登場したのが瀬戸線初のオールステンレス車両、4000系4両編成でした。2014年までに18本が製造されました。

主要諸元

最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s (非常)4.0 km/h/s
編成定員 522名
編成重量 130.1 t
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,830 mm
車体長 先頭車 18,385 mm 中間車 18,230 mm
全幅 2,744 mm(外板間 2,730 mm)
全高 冷房装置上面最大 4,046 mm パンタグラフ折畳 4,055 mm
主電動機 MB-5123-B 全閉外扇形三相誘導電動機
主電動機出力 170 kW
駆動方式 歯車型継手式平行カルダン軸駆動
歯車比 96:17(5.65)
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 三菱電機製 MAP-178-15V192
制動装置 MBSA
電空演算回生ブレーキ併用MBSA電気指令式ブレーキ (純電気ブレーキ付)
保安装置 M式ATS

4000系の場合、車体の前頭部もステンレス製となっています。また日車式ブロック工法で組み立てられていますがドア周りの溶接はスポット溶接からレーザー溶接になりました。前頭部に3300系などで採用されたパノラミックウインドウが採用されず角張った構造となっているのは鋼鉄ではなくステンレス構体を採用したためです。

台車は曲線が多い瀬戸線の特性を考慮し、名鉄の新造者としては1992年落成の6500系・6800系以来となるボルスタ付き台車が採用されました。

IGBT素子のVVVF制御装置で1台の制御装置で8基のモータを制御する1C4M2群分割方式となっています。主電動機は名鉄初の全閉外扇形が採用されました。

4000

編成はク4000+モ4050+モ4150+ク4100です。

Dsc01316_202303150817012022/8/4 栄町 4000系 4011F

Dsc01320_20230315082201 2022/8/4 尾張瀬戸 4000系 4010F

Dsc01321 2022/8/4 尾張瀬戸 4000系 4008F

Dsc01317
Dsc01318_20230315082401 4000系 4011 運転室仕切りと車内

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2023年3月15日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 72 車両編 1000系の機器を流用して誕生した5000系(2代)その2

VVVF制御車全盛の時代に特急政策変更のため、用途半ばで廃車となった1000系14編成の機器を流用して誕生した5000系(2代)ですが、1000系の運転台機器が大型であったため正面は非貫通にせざるを得なかったそうです。また3300系3150系などの電気指令式ブレーキ搭載編成との併結は不可能なため、正面にスカーレットの太い帯を巻き、誤連結防止を喚起しているとのことです。

台車も種車の違いにより、5001F~5009Fはボルスタ付き、5010F~5014Fはボルスタレスとなっており、ボルスタ付きFS-039には滑走防止装置が付加されています。

5000-5001-220804
2022/8/4 東名古屋港 5000系 5101F 築港線運用
わずか1.5kmの営業運転、しかも列車が走るのは朝夕のみの築港線に投入されている5000系 ワンマン運転用の改造はされていません。


5000-5102-220804
2022/8/4 内海 5000系 5102F 急行 新鵜沼行

5000-5103-220803

2022/8/3 栄生 5103F 準急 佐屋行

5000-5106-220803
2022/8/3 栄生 5000系 5106F 普通 東岡崎行

5000-5007-220803-21
2022/8/3 犬山遊園 5000系 5107F 急行 内海行

5000-5111-220803 2022/8/3 栄生 5000系 5111F 普通 豊明行

5000-5113-220803 2022/8/3 栄生 5000系 5113F 普通 佐屋行

他編成との併結という意味では電気指令式ブレーキの問題で3000系列との併結ができないため、4連単独、もしくは2編成併結の8連の運用が多いようです。

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2023年3月14日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 71 車両編 1000系の機器を流用して誕生した5000系(2代)その1

名鉄車両編の最初に1000系を紹介した際に、1000系は元々、4連の両側に展望席を設けた編成が21本製造されましたが、3次車の製造が一段落した1990年10月に1011Fから1016Fを2分割、展望席を含む側を豊橋側に揃え、新製した1200系4連と併結し、一部特別車特急とすることにしました。残された15編成は全車特別車編成として引き続き活躍しましたが、2008年の特急政策の変更:「ミュースカイ」を除く全ての特急の一部特別車化により、2007年6月から廃車が始まり、2008年12月26日を以って全車が運用離脱しました。

このときに主要機器、台車等を流用し、新規に3300系3150系と同様の日車式ブロック工法で作製した19m級片側3扉オールステンレス車体と組み合わせて製造されたのが5000系(2代)でした。名鉄5000系といえばカルダン駆動方式を本格採用した1955年に登場した正面2枚窓スタイルの車両が1986年まで活躍していましたが、早くも2代目の登場となりました。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 522(座席192)人
車両定員 先頭車125(座席44)人 中間車136(座席52)人
自重 ク5000形33.6(31.2)t モ5050形37.0(36.4)t モ5150形37.0(36.0)t ク5100形30.5(28.3)t
括弧内は5010 - 5014編成の数値
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,830 mm
全幅 2,744 mm 外板間 2,730 mm
全高 先頭車 3,979 mm (冷房装置上面)中間車 4,110 mm (パンタグラフ折畳)屋根高 3,600 mm
主電動機 直流複巻電動機 TDK8225-A
主電動機出力 150 kW × 4 / 両
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式(TD継手)
歯車比 82:17(4.82)
編成出力 1,200 kW
制御方式 界磁チョッパ制御
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 保安ブレーキ 耐雪ブレーキ 増圧ブレーキ
保安装置 M式ATS

先頭車前面は普通鋼製です。

5000_20230313094601


名鉄5000系(2代) 編成と型式、製造次数

1000系15編成のうち、1001Fは種車とはなっていません。5009Fまでに1010Fの機器類が使用され、1017Fから1021Fまでが5010F以降の番号となっています。ただ5000系の製造次数としては2次3次が混じっています。これは種車の製造次数によって台車や一部の機器が異なるためです。

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2023年3月13日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 70 車両編 3300系の2連版 3150系 その2

3150系の1次車は3300系の1次車(3301編成のみ)と同じタイミングで落成しました。3150系の方は3154編成まで4編成が一挙に落成しました。2次車に関しては3300系の2次車が2005年7月3302から3305まで4編成落成しているのに対し、同時期には製造されず、2007年4月に3155から3159まで5編成が製造されています。3300系はそれ以降、2015年になるまで製造されませんでしたが、3150系の方は3次車として2008年6月に4編成(3160~3063)、2008年12月に4次車3編成(3164~3166)が製造されています。

3150-3252-220803 2022/8/3 須ヶ口 3150系 3152F 1次車 準急 豊橋行

3150-3258-220803

2022/8/3 名鉄岐阜 3150系 3158F 2次車 回送車両

3150-3170-220803 2022/8/3 須ヶ口 3150系 3170F 7次車 須ヶ口始発 弥富行

3150-3271-220803 2022/8/3 栄生 3150系 3171F 7次車 急行 名鉄岐阜行

3150-3255-220803 2022/8/3 3255 車内 運転室仕切り

3150-3255-220803_20230312085301 2022/8/3 3255 車内 ロングシート座席

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2023年3月10日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その6 SR-46 7機: 日本の特殊事情に合わせ開発されたB747 

利用客数が多いにもかかわらず、空港は狭く、滑走路の本数も少ないため、発着回数が増やせない日本の空港事情を考慮し、B747-100をベースに自重の0.9%に相当する3050lb(1384kg)の補強を主脚や主翼に施し、4万2千飛行時間、5万2千回の離着陸回数に耐える構造としたのがB747-SR (short range) でした。エンジンはJT9D-7Aでした。
長距離型の耐用限度が当時、6万2千飛行時間、2万4千600回の離発着回数でしたから、総飛行時間は短いものの、2倍以上の離発着に耐えられるよう設計されました。最大離陸重量(Maximum permissible takeoff weight:MTOW)は57万lbと-100の71万lbに較べて少ないのは短距離型のため、搭載燃料が少ないからです。そのためにMTOWを基本に計算される着陸料や駐機料も節約されました。

1973年9月4日にJAL向けの1号機(cn20781/ln 221: N1795B)が初飛行し、同月26日JA8117として引き渡されました。SRデモンストレイターの写真では747SUPER AIRBUSとチトーラインの上に描かれているのが印象的でした。JA8117は9月28日に羽田に到着、このときには垂直尾翼にSRとペイントされていました。10月7日には営業運航で東京~沖縄便に就航、座席数は490席でした。1974年4月1日からは東京~札幌、東京~福岡便にも就航しました。
1976年7月30日、JL903便で羽田から那覇に向けてフライト中に66歳男性が機内で容体急変死亡する事故がありました。サンパウロから沖縄への帰国途上、胃癌の診断を受けての帰国でしたが、機内で全身衰弱のため病死とのことでした。

Ja8118-jal-b747-sr46-cn20782-ln-229-8707

1987/7/26 HND旧国内線ターミナル JA8118 cn20782/ln229

同年12月21日にはSRの2号機、cn20782/ln229JA8118を受領、沖縄線で運航開始、さらに翌年4月1日からは国内幹線や伊丹からのサイパン、グアム線にも就航しました。

1974年2月19日にはSRの3号機、cn20783/ln230JA8119を受領、同機は1978年6月2日、伊丹空港着陸時に胴体後部を地面に接触させる「尻もち事故」を起こし、圧力隔壁の下半分を修復しましたが、その際の修理に仕方が不十分で1985年8月12日夕刻、JL123便として大阪伊丹空港に向かうフライトで伊豆半島手前で圧力隔壁の金属疲労から破断が起こり、尾部が破壊、垂直尾翼を2/3失い、油圧系統も破断、ラダー等の制御が不能となり、約30分の迷走飛行の末、群馬県御巣鷹山の尾根に墜落、乗客乗員524名のうち、520名が犠牲となる事故を引き起こしました。1機の航空機が起こした事故としては史上最大の犠牲者数となった事故でした。ちなみにパンアメリカン航空のB747-121(N736PA)とKLMオランダ航空のB747-206B(PH-BUF)がスペイン領カナリア諸島テネリフェ空港で地上衝突する事故が1977年3月27日夕刻に起き、両機の乗員乗客644人のうち583人が犠牲となっており、これが史上最大の航空機事故となっています。
日航123便の事故に関しては圧力隔壁の修理ミス~頻繁な離着陸による金属疲労~破断による急減圧~機体後部の損傷による操縦不能が原因と事故調査委員会は結論付けていますが、ボイスレコーダの解析や生存者の証言から果たして尾部を破壊に至らしめるような急減圧があったのかどうかは疑問とされています。事務的にはA8119の抹消は事故の1週間後の1985年8月19日となっています。

1974年2月20日にはSRの4号機、cn20784/ln231JA8120を受領、1974年3月28日にはSRの5号機、cn20923/ln234JA8121を受領、

Ja8124-jal-b747-sr46-cn21032-ln-249-8707

1987/7/26 HND旧国内線ターミナル JA8124 cn21032/ln249

Ja8124-jal-b747-sr46-cn21032-ln-249-9208

1992/8/23 HND RWY 04 (B)に着陸するSR-46の中では唯一当時の新塗装になったJA8124 cn21032/ln249

1974年11月22日にはSRの6号機、cn21032/ln249JA8124を受領、7機のSP-46の中では最後まで活躍し、唯一白を基調とした当時の新塗装になった機体でした。1975年4月2日、SR-46としては最終のcn21030/ln254JA8126を受領しました。1号機から7号機まで1年半かかりました。ちなみにJA8124とJA8126はcn番号が逆転しています。

当時、国際線用747のエコノミー座席は登場当時の横8列から横9列になりつつありましたが、SRでは横10列とし、SR1番機では460席が2~3番機では478席、4番機は490席と増え、1974年7月22日には498席で統一され、世界最多となりました。

1973年10月からJALの国内幹線の主力として活躍してきたSR-46 7機ですがJA8119の事故、1981年8月22日に台湾で起きた遠東航空103便の空中分解事故(B737-222:B-2603)、1988年4月28日にハワイでおきたアロハ航空243便事故(B737-297:N73711)で金属疲労によるマルチサイトクラックの問題が指摘され、リタイアが早まり、

JA8117: 1988年4月15日、ボーイングエクイップメントホールデングス社からNASAへ、N911NA スペースシャトル運搬機に2012年2月まで活躍しました。

JA8118: 1988年4月1日、ボーイング社に売却され、機体疲労試験・構造試験機となりました。

JA8120: 1990年4月10日、エヴァグリーンインターナショナルに売却、貨物機に改修 N477EV 1994年4月、UPSにリース N688UP 1997年3月 サウジアラビア航空へリース 1997年5月、ファーストセキュリティバンクに売却

JA8121: 1990年5月19日、UPSに売却、貨物機に改修 N680UP 

JA8124: 1994年3月17日、ユナイテドテクノロジー社からアメリカンインターナショナル航空へ N705CK

JA8126: 1990年12月19日、日商岩井からエバーグリーンベンチャー社へ、1991年4月、貨物機に改修、エヴァグリーンインターナショナル航空へリース N478EV 1994年4月から1996年12月までUPSへサブリース

といった形でJALのフリートから離脱して行きました。

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2023年3月 9日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 69 車両編 3300系の2連版 3150系 その1

3300系の2連版として2004年10月に第1次車が落成したのが、3150系でした。その後、2007年4月に第2次、2008年6月、12月に第3次、第4次と登場しましたが、約7年間のブランクの後、2015年4月に第5次、さらに2016年4月に第6次、2017年4月に第7次車が落成、製造が終わりました。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s (70km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h
減速度(非常) 4.0 km/h
編成定員 3150系:234名(座席88名)
先頭車補助席4名を含む
編成重量 68.0t(3150系)
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,830 mm
全幅 2,744 mm (外板間 2,730 mm)
全高 屋根高 3,600 mm
冷房装置上面 4,016 mm
パンタグラフ折畳 4,055 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.65 (96:17)
編成出力 170kW×4=680kW(3150系)
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 三菱電機製 MAP-174-15V130 または東芝製 SVF072-B0/D0、SVF106-A0/B0
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動 (常用段数:7段)
保安装置 M式ATS

3150
3150系 編成構成と製造次数

3150系は豊橋方からク3150+モ3250形の2両で構成されており、モ3250形は2代目の形式となります。設計負担の軽減のため3300系の両先頭車と同一設計となっています。3150系の第1次車の投入により7000系や7500系がお役御免となり、置き換えられました。

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2023年3月 8日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 68 車両編 ステンレス車体で登場した3300系 その2

3300系の投入でそれまで名古屋本線、犬山線及び各支線で活躍していた5500系、7000系、7500系、5700系、5300系といったSR車が続々、淘汰され、さらに通勤車の6000系も置き換えが進みました。

尚、3300系の特徴として挙げられるのは、2002年に小牧線に就役した300系に倣い、転換クロスシートとロングシートを扉間毎に交互に配置する構成にしたことでした。地上線用の3扉通勤車にクロスシートが配置されたのは1990年6500系7次車,6800系4次車以来のことでした。

VVVF制御装置は三菱電機、もしくは東芝製でIGBT素子による1C4M分割方式となっています。3100系で採用された、補助電源が故障した際にVVVFの一群を開放しCVCFに切換えるデュアルモード方式が踏襲されました、

3300-3407-220803 2022/8/3 西笠松 3300系 3307F 4次車

3300-3308-220803-edit 2022/8/3 青塚~勝幡間 3300系 3308F 5次車

3300-3408-220803 2022/8/3 栄生 3300系 3308F 5次車

3300-3415-220803 2022/8/3 栄生 3300系 3315F 7次車

3300系の1,2次車、3301~3305編成はデビュー当初は前頭部はサイドとの一体感を出すためにシルバーメタリックの塗装が施されていました。またスカートもグレーに塗装されていました。2015年度に第4次車がデビューすると現行の塗装となっての登場であったため、1,2次車も同様に変更されました。尚、3次車である3306編成は瀬戸線嘉多山駅高架工事に伴う車両不足対応で2015年1月に製造されたため、現在も瀬戸線で運用されています。

 

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2023年3月 7日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 67 車両編 ステンレス車体で登場した3300系 その1

我が国で最初に登場したステンレス製通勤車両は1958年12月1日に営業運転を開始した東京急行電鉄5200系(東急車輛製造製)で既に65年が経過しようとしています。2018年時点で通勤電車(3万9450両)に占めるステンレス車両の比率は60%でそのうちJR車両が35%、公民鉄車両が25%です。アルミ車両は24%、鋼鉄車両は16%となっています。

名鉄では2005年の空港線開業に向け、鋼鉄製の3500系、3700系、3100系に代わる標準型通勤電車として2002年に登場した地下鉄線乗り入れ用の300系をベースに19m級3ドア・ステンレス製通勤車の開発を始め、2004年に登場したのが3300系4連と3150系2連でした。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s (70km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h
減速度(非常) 4.0 km/h
編成定員 3300系:490名(座席188名)3150系:234名(座席88名)それぞれ先頭車補助席4名を含む
編成重量 132.4t(3300系)
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,830 mm
全幅 2,744 mm (外板間 2,730 mm)
全高 屋根高 3,600 mm
冷房装置上面 4,016 mm
パンタグラフ折畳 4,055 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.65 (96:17)
編成出力 170kW×8=1,360kW(3300系)
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 三菱電機製 MAP-174-15V130 または 東芝製 SVF072-B0/D0、SVF106-A0/B0
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動 (常用段数:7段)
保安装置 M式ATS

3300
3300系の形式、編成、製造年次

車体は従来のスペースを必要とする工法から、車端窓、中間窓、側入口を個別ブロックとし別々に組み立て、組みあがった後で各ブロックを溶接接合するブロック工法で組み立てる方式(2021年からN-QUALIS)とし、前頭部は事故等で損傷した際に修理がしやすいように普通鋼製としました。

形式は豊橋方からク3300+モ3350+サ3450+モ3400で2004年10月、2005年7月に1次、2次と5編成まで製造された後、約10年のブランクを置いて2015年1月に3次車、以降2019年7月までに7次車、計15編成が製造されました。

編成構成を見てわかるように3500系等のMMユニット方式ではなく電動車は1M方式でMTで1ユニットを構成しています。ブレーキシステムは純電気式ブレーキで3500系などとの併結に対応して読替装置が搭載されています。

空調装置は名鉄初の集中式(容量40,000kcal/h、東芝 RPU-11020)となり、排気扇は従来のものよりも大型のもので形状も変更され、各車両とも空調装置の前後に1台ずつ設置されています。

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2023年3月 6日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 66 車両編 3700系の2連版であり、名鉄初のIGBT-VVVFとなった3100系 その2

3500系の車体サイズ変更版の3700系4連の2連版として1997年から2000年にかけ、3次に渡り製造された3100系ですが、特急用2200系なとど併結運用に入ることも多い関係から1次車を中心に車体を白く塗り替える車両も出現しました。

3100-3104-220804 2022/8/3 三柿野 3100系 3104F 1次車 塗色変更車

3100-3206-220803 2022/8/3 栄生 3100系 3106F 塗色変更車
3100-3107-220803 2022/8/3 笠松 3100系 3107F 1次車 塗色変更車

3100-3211-220803 2022/8/3 栄生 3100系 3111F 2次車 塗色変更車
2次車から前面窓の取り付け位置が80mm上がっているため顔つきが変わりました。ワイパーの軸と手摺の位置関係がズレています。

3100-3213-220803 2022/8/3 栄生 3100系 3113F 2次車 オリジナル塗色車

3100-3215-220803 2022/8/3 栄生 3100系 3115F 2次車 オリジナル塗色車

3100-3217-220803 2022/8/3 名鉄一宮 3100系 3117F 2次車 オリジナル塗色車

3100-3218-220803 2022/8/3 須ヶ口 3100系 3118F 2次車 オリジナル塗色車

3100-3220-220803 2022/8/3 栄生 3100系 3120F 3次車 オリジナル塗色車

3100系2連は、2連単独、2連併結の4連、3700系との併結で6連、ラッシュ時の2200系への増結運用と多彩な使用のされ方をしています。
2000年代に入り、3700系、3100系の後継グループは鋼鉄製車体からステンレス車体の3300系・3150系へと進化してゆきます。

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2023年3月 3日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その5 JA8113・JA8114

JALのクラッシック・ジャンボシリーズ、今回は8,9機目の-246BとなるJA8113JA8114です。両機ともエンジンはPW JT9D-7AW 水噴射オプション付きでした。

Ja8113-jal-b747246b-cn20529-ln-192-96111

Ja8113-jal-b747246b-cn20529-ln-192-98021JA8113 cn20529/ln192 NRT

Ja8113-jal-b747246b-cn20529-ln-192-96010 JA8113 cn20529/ln192 HND ドメス運用

cn20529/ln 192のJA8113は1972年6月30日に登録されました。

同機の事故記録として以下のようなものがネットに残っています。
1974年5月2日、ホノルル国際空港から羽田、東京国際空港に乗客を乗せないフェリーフライト(回送)が行われ、機長、副操縦士、航空機関士の3名のみが搭乗し、羽田に到着、駐機場に停止した際に地上職員(24歳男性)(AGS:Airport Ground Service)が機体の外側から左前方のドアハンドルを操作した際に、ドアが自動的に開くとともに緊急脱出用のシュートが膨張し、職員がドアに押される形で4.8m下の地上に転落、重傷を負ったという事故でした。
同機はフェリーフライトで乗客や客室乗務員が搭乗していないため、客室前方のL-1およびR-1ドアのみを自動モード(機内ハンドルの操作で自動的にドアが開き、シュートが膨張する)にセットされ、13時20分に着陸、駐機場S3に入り、エンジンを停止、25分頃、地上職員がパッセンジャーステップを機体に寄せ、外側からL-1ドアを開けるため、ハンドル操作を行いました。

本来、外部からドアを開ける際はこういったシュートの膨張を防ぐため、外部からのハンドル操作を機内のエマジェンシー機構に伝え、ドアモードを自動から手動に切り替えるリンク、ディスアーミング機構があるのですが、事故調が調べた結果、ケーブルが弛んでいたため、正しく情報が伝わらなかったために手動モードにならず脱出用シュートの膨張を招いたと結論付けられました。

1999年1月29日に退役し、N554SWのレジが与えられ、
1999年2月から2000年4月まで エアアトランタアイスランド TF-ABQ
2000年4月から2000年5月まで エール・アフリック 同
2000年5月から2001年6月まで エアアトランタアイスランド 同
2001年6月から2001年9月まで アルジェリア航空 同
2001年9月から2002年1月まで エアアトランタアイスランド 同
2002年1月から2002年3月まで サウジアラビア航空 同
2002年3月から2002年10月まで エアアトランタアイスランド 同
2002年10月から2002年11月まで クーダレイ・インベストメンツ N910BW
2002年11月から2016年1月まで オリエント・タイ航空 HS-UTB        といった履歴となっています。

Ja8114-jal-b747246b-cn20530-ln-196-98112
Ja8114-jal-b747246b-cn20530-ln-196-98-12 JA8114 cn20530/ln196 NRT リゾッチャ(紫)

cn20530/ln196のJA8114は1972年11月3日に登録されました。
1981年3月31日、JL413便としてアンカレッジからコペンハーゲンにフライト中(JST:5時57分に離陸)、高度37,000フィートで日本人男性59歳がJST:11時40分頃、洗面所から自席に戻る際に通路で突然、昏倒、うつ伏せ状態で失神し、同乗の医師3名らによる緊急処置が施されましたが12時05分頃、心停止となりました。コペンハーゲンに予定通り到着後、デンマーク医師による検死の結果、急性心不全による死亡と診断されました。

1990年代の白をベースとした塗装に最初に変更されたのがJA8114でした。1999年10月、JALからJALウエイズに所属変更となり、2001年11月2日に退役しました。
その後は 
2001年11月から2006年1月まで オリエント・タイ航空 HS-UTPとして活躍しました。

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2023年3月 2日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 65 車両編 3700系の2連版であり、名鉄初のIGBT-VVVFとなった3100系 その1

名鉄では6500系以降、4連と2連で系列番号を別にするようになりましたが、VVVF通勤3扉の3700系の2連版も3100系として登場しました。

VVVF制御を司る素子はこれまでGTOでしたが、この系列からIGBTが使用され、1基の主電動機を1台のVVVF装置が制御する1C1M4群方式となりました。(GTOサイリスタとIGBTの電流制御に関してはこちらの説明が分かりやすいかと思います)。

従来のVVVF車では動力系の制御装置と補助電源系は編成内の別の車両に搭載されていましたが、この系列からはどちらも制御電動車に搭載されるようになり、万が一補助電源装置が故障した際にはVVVFの1群を開放し、補助電源装置として使用可能となりました。このことにより、VVVFインバータ装置の表記は「車両制御装置」となりました。ちなみにこういった方式が採用されたのは大手私鉄では初めてで、JR東日本のE233系1000番台に次いで2例目とのことです。

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s (70km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s (非常) 4.0 km/h/s
編成定員 258名(座席96名)
編成重量 63.5 - 64.4 t
全長 18,900 mm
全幅 2,740 mm
全高 冷房装置上面 4,010 mm パンタグラフ折畳 4,055 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機 TDK-6380-B・MB-5059-B
主電動機出力 170 kW × 4
駆動方式 TDドライブ
歯車比 5.65
編成出力 680 kW
制御方式 VVVFインバータ制御 (IGBT素子)(2000A/600A 1700V/360A)
制御装置
3101F~3106F・3116F~3120F:東芝製 SVF032-A0
3107F~3115F:三菱電機製 MAP-174-15V66
3121F~3123F:三菱電機製 MAP-174-15V66A
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動 (常用段数:7段)
保安装置 M式ATS

3100
3100系 製造次数と編成

形式は豊橋方からク3100+モ3200で1997年4月、1998年4月、2000年4月の3次に渡り、23編成が製造されました。2次車では3700系の2次車同様に前面窓が80mm、種別・行先表示装置が40mm高く取り付けられイメージが変わりました。3次車ではワンハンドルマスコンを右手操作型に変更し、運転台モニターが設置されました。後日、写真でその辺を示したく思います。

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2023年3月 1日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 64 車両編 3500系の車体設計変更版として登場した3700系

名鉄初のVVVF制御方式の3扉通勤車両として3500系が登場しましたが車体は1989年に登場した6500系6次車由来のものでした。この頃、JR東日本などでは209系からE231系に向け、車体の拡幅化などの流れがあり、名鉄でも1997年に登場した3700系では居住性を高めるため客室を広げ、車体内外の仕様変更が行われました。

主要諸元

最高運転速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s (70km/hまで)
減速度(常用) 3.5 km/h/s (非常) 4.0 km/h/s
編成定員 536名(座席208名)
編成重量 123.0 t (1次車) 121.4 t (2次車)
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,830 mm
全幅 2,740 mm
全高 冷房装置上面 4,010 mm パンタグラフ折畳 4,055 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機 TDK-6380-B
主電動機出力 170 kW × 4
駆動方式 TD継手式中実軸並行カルダン
歯車比 5.65
編成出力 1,360 kW
制御方式 VVVFインバータ制御 (GTOサイリスタ素子)
制御装置 東洋電機製造製 RG645-A-M
制動装置 回生制動併用全電気指令式電磁直通空気制動 (常用段数:7段)
保安装置 M式ATS

3500系の車体断面は上方に狭まり、裾を絞った形状でしたが、3700系では車体側構を直線状とし、車体下部を内側に傾斜させ、車体高さを上げ、屋根のRを増やし、肩のRを減らし、客室の天井を90mm高くし、床面高さを10mm下げ、側窓高さを60mm、側扉高さを42mm、拡大しました。連結面間隔も730mmから600mmとし、その分車体を延長、ロングシートも同時に延長し、座席数を増やしました。パンタグラフは軽量化、保守軽減からシングルアーム式となりました。耐雪ブレーキ、2段増圧ブレーキ、滑走防止装置を設置し,130km/h運転対応としました。

3700

3700系 製造次数と編成

3700-3701-220803

3700-3801-220803

2022/8/3 新可児 3701F 普通 中部国際空港行

3700系は4連で1次車として1997年に2編成、2次車として1998年に3編成が製造されました。形式は豊橋方からク3700+モ3750+モ3850+ク3800です。

Dsc00979

2022/8/3 栄生 3704F 二次車 普通 佐屋行

2次車では前面形状が若干変更され、前面窓が80mm、前面の種別・行き先表示装置は40mm、取り付け位置が高くなりました。写真を見較べると前面窓ガラス下枠と手摺の間の幅が違うのがわかります。

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