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2023年3月28日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 79 車両編 運輸省規格に基づいて製造された3800系

 名鉄の路線は太平洋戦争終戦後に時点で金山橋を境に、旧愛知鉄道が敷設した東部線(DC1500V区間)と旧名岐鉄道が敷設した西部線(DC600Vの区間)に分かれており、直通運転が阻まれていました。西部線の600Vを1500Vに昇圧するためには変電所などの地上設備の改修(1946年9月より着手)とともに、既存車両の昇圧対応改造が必要となりました。製造から経年の浅かったモ800形、モ850形などは昇圧改造が施され、昇圧改造対象外となり、このタイミングで除籍される車両の補充を目的に東部線に所属する制御車の一部を電動車に改造する改造工事も進められました。それでも不足する1500V対応車両に関しては新製によって充当することにしました。

38007501-edit

1975/1/2 名古屋手前 国鉄列車車内から

1975年1月1日深夜、東京駅から乗車した大垣行夜行普通列車が名古屋駅に到着する寸前、車窓から写した併走する名鉄電車、最近、名鉄の形式をいろいろ勉強してこの車両は戦後、当時の運輸省規格で製造された3800系の高運転台化・前照灯シールドビーム化改造された姿ではないかと思いました。ストロークリームに赤帯の姿は当時、セミクロスシート化されていた編成だと思います。

終戦間もない時期で世の中は資材不足が問題となっており、地方鉄道鉄軌道事業者の鉄道車両製造発注は運輸省の監督のもと認可制となっており、各事業者が自由に車両製造メーカーに発注できる体制ではありませんでした。運輸省の実務代行機関である日本鉄道協会は1947年度に地方鉄軌道事業者の新製車両に関する規格「私鉄郊外電車設計要項」を制定、原則的に同要項に沿って設計された車両、所謂「運輸省規格形車両」の新規発注のみが認可される状況でした。
名鉄は車体長17,000mm、車体幅2,700mmのA'形を選択し、1947年度、制御電動車モ3800形、制御車ク2800形、各10両の製造が認可されました。これらのうち3805編成までは西部線昇圧工事完成前日の1948年5月11日までに竣工、5月16日の東西線直通運転開始後は主力車両として運用されました。1948年度も引き続き10編成が、1949年度は15編成が増備されました。尚、1949年度は要項が改訂され、A'形はB2形になりました。1954年にク2836、1両のみが新製されました。71両という製造両数はパノラマカーが登場するまでは名鉄における単一系列最大の両数であり、1950年代名鉄の代表形式として戦後復興期の輸送力増強に大きく貢献しました。特急運用から普通列車運用まで幅広く充当されました。名鉄における吊り掛け駆動形式のうち、間接自動診断制御器を搭載する、所謂AL車グループの代表形式でもあります。

主要諸元
最高運転速度 100 km/h
車両定員 120人(座席42人)
自重 モ3800形:37.3 t ク2800形:28.7 t
全長 17,830 mm
全幅 2,740 mm
全高 4,135 mm
車体 半鋼製
台車 D18・TR14(ク2836のみ)
主電動機 直流直巻電動機 TDK-528/9-HM
主電動機出力 112.5 kW (端子電圧750 V時一時間定格)
搭載数 4基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 3.21 (61:19)
定格速度 64 km/h(全界磁時)
制御方式 電動カム軸式間接自動加速制御
制御装置 ES-516-C
制動装置 AMA / ACA自動空気ブレーキ

車体の構造主要部分は普通鋼製の半鋼製車体で、モ3800形、ク2800形の連結運転を前提に一方の妻面に運転台を設けた片運転台仕様で前後妻面中央には貫通扉を設け、その左右に前面窓が設けられました。側面は450mm幅の乗務員室扉、1100mmの片開き客用扉,700mm幅の側窓が配置され、側窓構造はそれまでの名鉄の標準仕様の一段上昇式一枚窓ではなく、上下段上昇式、二段窓となりました。屋根上にはガーランド形ベンチレーターが屋根部左右に二列配置(3801F~3820F)、あるいは押込形ベンチレーターを屋根部左右に二列配置(3821F~3835F)、ガーランド形ベンチレーターを屋根中央部に一列配置(ク2836)となりました。登場時は当時の名鉄の標準塗装のダークグリーン1色塗りでした。車内座席はロングシートで、客用扉間に9枚設けられた側窓のうち、客用扉に隣接する各一枚の側窓に相当する位置には座席を設けず立ち席スペースとしました。乗務員室は全室運転台構造とし、客室とは仕切り壁で仕切られました。

戦後間もない混乱期に製造されたため、1960年代に入ると外板の劣化などが目立つようになり、外板張替え、構体修繕、衝突事故対策として運転台嵩上げ、前面貫通扉・客用扉の鋼製扉化、窓サッシのアルミサッシ化、戸袋窓のHゴム固定支持化などの各種改造工事が施工されました。また2次車の一部ではロングシートから転換クロスシートへの改造がなされ、セミクロスシート化された車両は当時の名鉄におけるクロスシート仕様車の標準塗装、黄色がかったクリーム(ストロークリーム)地に赤帯に変更となりました。

1967年からは早くもセミクロスシート化から外れた車両の退役が開始となり、主に1次車が富山地方鉄道、大井川鉄道、豊橋鉄道などに譲渡されました。また支線直通特急用車両として7300系の新製が決まると台車・主電動機などは本系列から供出されることになりました。7300系4連3本は3800系2編成ずつ6本分の機器を流用、2連9本は18本分の機器を流用し、最大71両在籍した3800系も全24両となりました。1970年代の高度成長期には輸送量増加数は年々激しさを増し、車両更新よりも、新製車両増備が求められ、7300系の増備計画は打ち止めとなり、さらにオイルショックで従来、自家用車利用の通勤客が公共交通機関に移転し、朝夕のラッシュ時の混雑度は限界に達するようになりました。こういった状況を受け、3800系の淘汰は中止となり、輸送状況改善のため大手事業者としては異例の他社からの譲渡車両導入なども行われ、東急車輛から譲受した3880系などが活躍する時代となりました。

3800-750102-edit
1975/1/2 神宮前
大垣行き名古屋に到着後、国鉄駅での撮影後、名鉄に乗車、初詣客で混雑する神宮前で名鉄車両を撮影、あの当時ですら「かなり古色蒼然とした車両とだなぁ」と感じたのがこの3800系でした。まだ前照灯はオリジナルのままで、セミクロスシート車であることを示すストロークリームに赤帯の塗装を纏っていました。

3800系においては白熱灯の蛍光灯化、前面ワイパーの自動化、D18台車のコロ軸受け化、前照灯のシールドビーム2灯化といった近代化改造工事が進められ、セミクロスシート化された編成に対してはラッシュ時対策として客用扉寄りの座席を左右2脚・1両あたり4脚撤去し客用扉周辺の立席スペースを拡大する改造が施工され、従来車内座席の相違によって異なった車体塗装を全編成ともスカーレット1色塗りとしました。

1981年6000系の増備が進むと本系列の置き換えが再開され、またオイルショック後の混雑期に導入された3880系の廃車も進められた際にク2800形の台車が3880系の廃車発生品の台車に換装され、D18台車は昨日の記事に登場したHL更新車である3700系列へ転用されました。1987年、国鉄分割民営化でJR東海が東海道本線の利便性向上を図ると名鉄も対抗策として6500系、6800系を投入し、サービス向上を図り、その結果。AL車、HL車などの旧型車の淘汰が進み、3800系は3827編成が1989年9月12日付で除籍され、形式消滅となりました。

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