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2023年3月10日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その6 SR-46 7機: 日本の特殊事情に合わせ開発されたB747 

利用客数が多いにもかかわらず、空港は狭く、滑走路の本数も少ないため、発着回数が増やせない日本の空港事情を考慮し、B747-100をベースに自重の0.9%に相当する3050lb(1384kg)の補強を主脚や主翼に施し、4万2千飛行時間、5万2千回の離着陸回数に耐える構造としたのがB747-SR (short range) でした。エンジンはJT9D-7Aでした。
長距離型の耐用限度が当時、6万2千飛行時間、2万4千600回の離発着回数でしたから、総飛行時間は短いものの、2倍以上の離発着に耐えられるよう設計されました。最大離陸重量(Maximum permissible takeoff weight:MTOW)は57万lbと-100の71万lbに較べて少ないのは短距離型のため、搭載燃料が少ないからです。そのためにMTOWを基本に計算される着陸料や駐機料も節約されました。

1973年9月4日にJAL向けの1号機(cn20781/ln 221: N1795B)が初飛行し、同月26日JA8117として引き渡されました。SRデモンストレイターの写真では747SUPER AIRBUSとチトーラインの上に描かれているのが印象的でした。JA8117は9月28日に羽田に到着、このときには垂直尾翼にSRとペイントされていました。10月7日には営業運航で東京~沖縄便に就航、座席数は490席でした。1974年4月1日からは東京~札幌、東京~福岡便にも就航しました。
1976年7月30日、JL903便で羽田から那覇に向けてフライト中に66歳男性が機内で容体急変死亡する事故がありました。サンパウロから沖縄への帰国途上、胃癌の診断を受けての帰国でしたが、機内で全身衰弱のため病死とのことでした。

Ja8118-jal-b747-sr46-cn20782-ln-229-8707

1987/7/26 HND旧国内線ターミナル JA8118 cn20782/ln229

同年12月21日にはSRの2号機、cn20782/ln229JA8118を受領、沖縄線で運航開始、さらに翌年4月1日からは国内幹線や伊丹からのサイパン、グアム線にも就航しました。

1974年2月19日にはSRの3号機、cn20783/ln230JA8119を受領、同機は1978年6月2日、伊丹空港着陸時に胴体後部を地面に接触させる「尻もち事故」を起こし、圧力隔壁の下半分を修復しましたが、その際の修理に仕方が不十分で1985年8月12日夕刻、JL123便として大阪伊丹空港に向かうフライトで伊豆半島手前で圧力隔壁の金属疲労から破断が起こり、尾部が破壊、垂直尾翼を2/3失い、油圧系統も破断、ラダー等の制御が不能となり、約30分の迷走飛行の末、群馬県御巣鷹山の尾根に墜落、乗客乗員524名のうち、520名が犠牲となる事故を引き起こしました。1機の航空機が起こした事故としては史上最大の犠牲者数となった事故でした。ちなみにパンアメリカン航空のB747-121(N736PA)とKLMオランダ航空のB747-206B(PH-BUF)がスペイン領カナリア諸島テネリフェ空港で地上衝突する事故が1977年3月27日夕刻に起き、両機の乗員乗客644人のうち583人が犠牲となっており、これが史上最大の航空機事故となっています。
日航123便の事故に関しては圧力隔壁の修理ミス~頻繁な離着陸による金属疲労~破断による急減圧~機体後部の損傷による操縦不能が原因と事故調査委員会は結論付けていますが、ボイスレコーダの解析や生存者の証言から果たして尾部を破壊に至らしめるような急減圧があったのかどうかは疑問とされています。事務的にはA8119の抹消は事故の1週間後の1985年8月19日となっています。

1974年2月20日にはSRの4号機、cn20784/ln231JA8120を受領、1974年3月28日にはSRの5号機、cn20923/ln234JA8121を受領、

Ja8124-jal-b747-sr46-cn21032-ln-249-8707

1987/7/26 HND旧国内線ターミナル JA8124 cn21032/ln249

Ja8124-jal-b747-sr46-cn21032-ln-249-9208

1992/8/23 HND RWY 04 (B)に着陸するSR-46の中では唯一当時の新塗装になったJA8124 cn21032/ln249

1974年11月22日にはSRの6号機、cn21032/ln249JA8124を受領、7機のSP-46の中では最後まで活躍し、唯一白を基調とした当時の新塗装になった機体でした。1975年4月2日、SR-46としては最終のcn21030/ln254JA8126を受領しました。1号機から7号機まで1年半かかりました。ちなみにJA8124とJA8126はcn番号が逆転しています。

当時、国際線用747のエコノミー座席は登場当時の横8列から横9列になりつつありましたが、SRでは横10列とし、SR1番機では460席が2~3番機では478席、4番機は490席と増え、1974年7月22日には498席で統一され、世界最多となりました。

1973年10月からJALの国内幹線の主力として活躍してきたSR-46 7機ですがJA8119の事故、1981年8月22日に台湾で起きた遠東航空103便の空中分解事故(B737-222:B-2603)、1988年4月28日にハワイでおきたアロハ航空243便事故(B737-297:N73711)で金属疲労によるマルチサイトクラックの問題が指摘され、リタイアが早まり、

JA8117: 1988年4月15日、ボーイングエクイップメントホールデングス社からNASAへ、N911NA スペースシャトル運搬機に2012年2月まで活躍しました。

JA8118: 1988年4月1日、ボーイング社に売却され、機体疲労試験・構造試験機となりました。

JA8120: 1990年4月10日、エヴァグリーンインターナショナルに売却、貨物機に改修 N477EV 1994年4月、UPSにリース N688UP 1997年3月 サウジアラビア航空へリース 1997年5月、ファーストセキュリティバンクに売却

JA8121: 1990年5月19日、UPSに売却、貨物機に改修 N680UP 

JA8124: 1994年3月17日、ユナイテドテクノロジー社からアメリカンインターナショナル航空へ N705CK

JA8126: 1990年12月19日、日商岩井からエバーグリーンベンチャー社へ、1991年4月、貨物機に改修、エヴァグリーンインターナショナル航空へリース N478EV 1994年4月から1996年12月までUPSへサブリース

といった形でJALのフリートから離脱して行きました。

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旅客機 Boeing 747」カテゴリの記事

コメント

B767−281様 お早うございます。私は日航123便事件についてはかなり拘っていて、関係する書籍はほとんど読んでおります。どう考えても隔壁破壊、急減圧のシナリオはおかしいと思います。外部からの垂直尾翼破壊が濃厚だと思っております。真相を隠蔽しようとする力も働いている様ですし、自衛隊や米軍の関わりがありそうだと思います。747には罪はないのですが、SRそのものが無理に作られて構造的に脆かったのでは、とも思います。

細井忠邦さま、おはようございます。

123便が離陸後、安定飛行に移った直後、相模湾から伊豆半島に差し掛かるあたりで何が起こったのか、事故調が結論付けたように圧力隔壁の破裂であれば高度2万3900ft(7170m)ですから、急減圧が起こり、コックピットでの酸素マスク装着、急降下という操作が行われたはずですし(尤も、その時点で急降下という操作が可能であったかどうかは分かりませんが)、生存者の証言からもそういったことはなかったようです。
一方で、自衛隊の演習用巡航ミサイルSSM-1が衝突したと仮定すると、SSM-1は約6分間当該機を追尾し、後方から衝突したと考えれば緊急事態発生時(18時24分31秒~51秒)のデジタルフライトデータレコーダー (DFDR)のデータも説明ができるかもしれません。また墜落直後の米軍や自衛隊の行動も疑問ですね。
日本政府と米国、特に米軍との関係を見ていると個人的にはこの問題は日本政府の公式記録はこれからも永遠に闇に葬られたままで、何か出てくるとしたらアメリカ側から出てくるかもしれないと思っています。

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