世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その8 JAL最初の747-200F、JA8123
ボーイング社は朝鮮戦争さなかの1952年から超音速旅客機(SST)の設計に取り組み、1958年には常設の研究委員会が発足、1960年には開発規模が100万ドルに届くくらいになりました。この頃はモデル733と呼ばれており、可変翼で150席、大西洋横断が可能な機体を目指すものでした。
1962年前半にイギリスBAC:British Aircraft CorporationとフランスのSud-Aviation が進めていた超音速輸送機計画の統合が発表され、同年11月にはそれがコンコルドとして共同製造されると発表されるとアメリカでも当時のケネディ政権はコンコルドに勝る旅客機開発計画に対して資金を投入、ナショナル・スーパーソニック・トランスポート計画(国産超音速輸送機計画)がスタートしました。同じ頃、ソ連でも超音速旅客機Tu-144の計画が発表されており、将来、民間航空機のほとんどが超音速機になるだろうと思われていました。アメリカの超音速機計画では250人の乗客をマッハ2.7から3.0程度の速度で大西洋を越えて運ぶというもので、コンコルドの(100人、マッハ2.2)の上を目指したもので、そのためにはコンコルドのような耐熱アルミニウム合金ではなく、より高温に耐えられ、十分な強度を持つステンレス鋼、あるいはチタニウム合金とする必要がありました。
連邦航空局(FAA)から機体メーカ3社(ボーイング、ロッキード、ノースアメリカン)とエンジンメーカー3社(カーチス・ライト、GE,P&W)に要求仕様書が送られ、ボーイングはモデル733案を発展させ、「開発が直ちに承認されれば1967年に原型試作機の製作を開始し、1970年初頭に初飛行を達成できる」「1969年初頭から量産を開始し、1972年の後期には量産機の初飛行、1974年の半ばまでには型式証明を取得できる」との見込みを示していました。この頃にはボーイング707に代わる超音速旅客機であり、マッハ2.7にちなみモデル名はモデル2707-300となっていました。翼に関しては可変翼から固定翼に変更されていました。こういった計画案に対して、1969年10月時点でパンアメリカン航空から15機、日本航空、ルフトハンザ航空、ブラニフ航空、トランス・ワールド航空など世界26の航空会社から122機の発注がなされていました。一方、コンコルドは16社から74機でした。
しかし、環境問題、とくにオゾン層の破壊の懸念、騒音問題、ソニックブーム(衝撃波)の問題、さらに経済性の問題などから計画は1971年5月20日、中止となりました。一方、ボーイング社はアメリカ空軍の長距離戦略輸送機CX-HLS計画でロッキードに敗れた大型亜音速超大型機の案を民間機に転用し、2707-300が実用化された際にはすぐに貨物機転用可能な旅客機として747の開発を進め、1969年2月9日には747-100型の初飛行に漕ぎつけていました。
SST計画の頓挫で長距離輸送機は747の天下となり、1970年10月11日に初飛行した-200B型に続いて開発されたのが-200F型で1号機は1971年11月30日に初飛行しました。1972年4月19日、ルフトハンザ・ドイツ航空により運航が開始されました。最大の特徴は機首を持ち上げる大きな貨物扉が設置されたことで、後にはオプションで後部胴体左側面に高さ3.05m、幅3.40mの貨物扉(SCD)が設置できるようになりました。キャビン幅一杯に搭載する場合、前部の貨物扉からは搭載が不可能なため新設されたものでした。キャビンの床面にはモーターによって駆動されるタイヤが埋め込まれており、2名の作業員により荷役作業が行えるようになっています。2階キャビンへの昇降用階段は折り畳み式となっており、不使用時は2階キャビンの床の中に収納されています。-200F型は73機製造され、-200Bが-300、-400、-8と発展していったと同様に-400F,-400ERF,-8Fと発展して行き、最終製造機は-8Fでした。
1995/8/7 NRT
1996/4/29 NRT
1996/12/4 NRT
JA塗装はJALとJAAの共通使用機であるためで、1996年頃からは後部胴体にSUPER LOGISTICSのロゴが入れられました。
cn21034/ln243のJA8123はJALが最初に受領した貨物型-246F/SCDでした。エンジンは水噴射オプション付きのJT9D-7AWで1974年9月17日に登録されました。貨物機としては異例のアッパーデッキに窓がある機体でもありました。1974年10月1日には東京~サンフランシスコ~ニューヨークの貨物便に就航しました。1982年10月にはこのJA8123を初号機としてJALカーゴ会社が設立されました。ピーク時には世界26都市、週70便以上を運航していましたが、2007年からの世界同時不況を発端とする経営破綻により、2010年3月25日、貨物専用機による運航の終了を発表、同年11月1日のフライトを最後に運航に終止符が打たれました。
1987年から始まった通信衛星ETS-Vの通信実験では実験装置が搭載され、実験機材となりました。実験に関する解説文はこちら。
1996年3月に住商リースに売却、JALへのリース機となり、2002年4月17日、登録抹消、N705CK カリッタエアー機となり、2008年12月からストア、既に解体されています。
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