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2023年6月30日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その21 ハワイ線他リゾート専用機として生涯活躍したJA8149

cn22478, ln4891980年11月28日に初飛行、JA8149として登録されたのは1981年3月16日でしたが、導入当初から「アロハエクスプレス」専用機と位置付けられ後述のJA8150とともに成田、伊丹から毎晩太平洋をフライトし、ホノルル空港で顔を合わせ、それぞれ成田・伊丹に帰り、さらにJL51/52便で国際線接続旅客便を担当していました。

コンフィグレーションはメインデッキ(1階席)最前部Aコンパートメントにビジネスクラス30席、それ以降は全てエコノミークラスで403席、アッパーデッキは-146BSRですら22席のところを3-3アブレストで33席とし、ショートアッパーデッキタイプの747では最多の座席数となりました。それ故、JT9D-7Qエンジン装備の747で二階部分の両サイドに非常口ドアが設置されたのはJA8149,JA8150の2機のみでした。

ハワイ線専用機材として導入されたため、燃料タンク容量も他のJT9D-7Qエンジン装備機より少なく、最大離陸重量も抑えられており、航続距離は短い機体でしたが1980年代、臨時便としてアンカレジ経由でパリ線をフライトした経験もあるそうです。

Ja8149-b747246b-cn22478-ln-489-960506-nr 1996/5/6 NRT 
旧鶴丸塗装時代、デビュー1年後からポートサイド機首部におおきなハイビスカスが描かれていましたが、JA8150では記録できましたがJA8149では記録できませんでした。1992年に新鶴丸塗装になった際、ハイビスカスを残して欲しいとのリクエストが殺到したそうですが、記されてしまいました。

Ja8149-b747246b-cn22478-ln-489-980429-nr

1998/4/29 NRT

Ja8149-b747246b-cn22478-ln-489-010902-nr

2001/9/2 2000年1月からJALウエイズ機となり、塗装はサーモンピンクのリゾッチャに

2003年12月に抹消となり、カリッタエアに売却、レジはN727CKとなりました。2008年7月、ストア状態に、2016年1月に解体されました。

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2023年6月29日 (木)

2023年 北九州旅行 その11 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区第Ⅱ期新製配置組 part5 71号機 

EH500-71号機2010年10に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。

Eh50071-120605

2012/6/5 門司

Eh50071-121221-edit 2012/12/21 西小倉

Eh50071-57-230531 2023/5/31 門司

コンテナから福山通運のブロックトレイン57レとわかりますが、通過したのは所定より1時間遅れでした。

Eh50071-1051-2306022023/6/2 下関

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2023年6月28日 (水)

2023年 北九州旅行 その10 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区第Ⅱ期新製配置組 part4 70号機 

EH500-70号機2010年9に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。

Eh50070-120605-2

2012/6/5 門司

Eh50070-120605 2012/6/5 香椎

Eh50070-121221-2 2012/12/21 門司

70号機は今回の旅では遭遇しませんでした。

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2023年6月27日 (火)

2023年6月21日、ANA Boeing767 デビューから40年

B747などに較べると派手さや話題性には欠けますが、航空機関士を廃止した2 Man Crew体制、液晶ディスプレイに操縦に必要な情報を表示する「グラスコックピット」、双発機が主流となった旅客機の流れの基となったのがBoeing767の登場ではないかと思います。日本の航空会社は導入しませんでしたが、767は単一通路タイプのBoeing757と共通の免許で操縦可能な姉妹機でもありました。

Ja8479-970208 1997/2/8 HND 旧国際線ターミナルから A滑走路に着陸したANA B767-281 1号機 JA8479

初飛行は1981年9月26日で、運用は1982年9月8日、キックオフカスタマーであるユナイテド航空により開始されました。ちなみにユナイテド航空はBoeing社の提案に対し、確定30機、オプション37機の発注でした。

 短胴タイプの-100型も計画ではありましたが、早々に廃案となり、-200型が標準になり、燃料容量を増やし、航続距離を伸ばした-200ER(767-200の5,852kmに対し12,352kmと2倍)、胴体を6.43m延長した-300型(JALがキックオフカスタマー)、-300型に新型エンジンを搭載し、燃料容量を増加、航続距離を-300型の7340kmから11306kmに伸ばした-300ER型(アメリカン航空がキックオフカスタマー)、-300型の胴体をさらに6.43m延長し、操縦席をB777スタイルとした-400ER型(デルタ航空がキックオフカスタマー)、-300ERの貨物専用型として-300F型(UPSがキックオフカスタマー)、-300ERの中古機を貨物用に改修したBoeing Converted Freighterプログラムによる貨物型(-300BCF)がサブタイプとして存在します。また軍用タイプとしてAWACS空中警戒管制機E-767, 空中給油機KC-767, 空中給油・輸送機KC-46などが存在します。総製造機数は2023年6月時点で1305機となっており、現在は貨物型の-300Fと軍用のKC-46Aの製造が続いている状態です。

日本の航空会社ではANA1983年から-200型を25機、-300型を34機、-300ER型を33機、貨物専用機-300Fを5機、のべ97機保有してきました。JALは-200型を3機、-300型を22機、-300ER型を32機、-300F型を4機、導入しています。AIR DOは運航開始当初に、JA98AD (27476/687), JA98HD(28159/689)とベルギーで活躍していた機体をリースで導入していました。Skymarkも運航開始当初、7機のアメリカレジの767-300をリース導入していました。

ANAが最初に導入したのは-200型でJAレジとcnの関係は
JA8479~JA8484: 22785-22790    6機
JA8485~JA8491: 23016-23022   7機
JA8238~JA8245: 23140-23147    8機
JA8251~JA8255: 23431-23434    4機        の25機でした。
製造はワシントン州スノホミック郡のペイン・フィールド(PAE)にあるエヴァレット工場でした。ANA機は767の導入を契機にそれまでのモヒカン塗装から現在も続く、トリトンブルー塗装になりました。

今でこそ、航空会社の希望でその機種に相応しいレジをリクエストすることが可能ですが、当時はJA8000番台の空き番を割り当てられる体制でしたから、記念すべき767の1号機と言えども末尾が9から始まる番号になりました。

導入にあたり、初号機のJA8479はアメリカで乗員訓練等に使用されたためか、日本に最初に到着したのは2号機のJA8480だった様で、1983年5月21日のことでした。そのため、ポスターなどにはJA8480の機体が写っていたのが思い出されます。同年6月7日から慣熟飛行が開始され、6月21日、東京~松山、松山~大阪線に初就航となりました。

個人的な話で恐縮ですが、私の飛行機初搭乗は1983年夏、北海道札幌の学会に参加した際の羽田~千歳往復でレジは憶えていませんがJALのB747SRでした。もしかしたら往復どちらかでJA8119に搭乗していたかもしれません。国際線初搭乗は1986年6月のNRT~CDGでAIR FRANCEのB747-200BCombiタイプでした。当時はアンカレジ経由でした。そしてANAの767-200に初めて搭乗したのが1987年10月に学会で四国に出張した際の帰路の便、高知~羽田でJA8252でした。このときの思い出にANA B6 1号機のレジをその後、パソコン通信NiftyServeのPatioに参加した際のハンドルネーム(JA8479)とし、2012年10月に拙Blogを開設した際のBlog名をJA8479からB767-281としたわけです。

N783ax-010117-san 2001/1/17 SAN AIRBORNE EXPRESSのB767-281F レジはN783Xと読めます 元JA8485でしょうか?

N789ax-010117-san 2001/1/13 SAN ANAのトリトンブルーの塗装にタイトルだけAIRBORENE EXPRESSとした機体 N789Xに見えます 元JA8491でしょうか?

Ja8254-b767281-cn23433-ln167-971218-itm 1997/12/18 ITM 
B767-281 25機中、唯一、下地島空港での訓練中の事故で中破し、ABX。AIRBORE EXPRESSに売却されなかったJA8254

ANAの-200型の退役は1997年8月から開始され、多くが貨物機に改修の上、アメリカにAirborne Expressなどに売却されました。私もAirborne ExpressやABX Airで第二の人生を送るB767-281をSan Diego空港の貨物ターミナルなどで何回か目撃しました。25機中、JA8254は2002年6月26日に下地島空港での訓練中に滑走路を逸脱し中破しました。JA8255は2003年4月、Skymark Airlinesに売却され、2004年9月まで活躍後、ABX Airに売却されました。初号機のJA8479が機齢40.8年、末妹のJA8255ですら36.2年になりますが、一部Store状態の機体はあるものの現在も活躍中の機体が多いのは嬉しいことです。

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2023年6月26日 (月)

E657系にE653系リバイバルカラーが登場 第4弾は「塩屋埼灯台 太平洋」のブルーオーシャン

E657系E653系リバイバルカラー、第4弾「ブルーオーシャン」は5月9日から郡山総合車両センターに入場していたK1編成が纏い6月8日に出場、6月10日に勝田車両センターで撮影会が開催され、同日の「ときわ74号」から営業運転に入りました。

Ef510510-e657-110523-2 E657-110523-edit 2011/5/23 ひたち野うしく~荒川沖間 
EF510-510に牽引され勝田車両センターに甲種回送されるE657系K1編成

E657-k1-230506-2 2023/5/6 田町 9M A164運用 にていわきに向かう姿 現時点ではこの日の運用が通常塗装としては最後の運用に

勝田で撮影会が開催されると4編成を勝田に集めるため運用の流れが乱れます。運用の流れが落ち着いた6月17日以降、午後品川に到着する運用を狙って撮影することにしました。

E657-k1-blue-ocean-70m-230621-edit E657-k1-blue-ocean-70m-230621-2 2023/6/21 馬橋 70M

E657-k1-blue-ocean-19m-230621-2 E657-k1-blue-ocean-19m-230621-4 2023/6/21 金町 19M

ということでこの日はA156運用(いわき発4M ~57M~70M~19M仙台着)という1日でした。


E653-k302-100307 2010/3/7 佐貫~牛久 K302編成
 
E653-k308-070407 2007/4/7 南柏 K308編成

E531-k302k308-130302 2013/3/2 荒川沖~ひたち野うしく間 K308+K302編成


E653系ではK302編成とK308編成がブルーオーシャンを纏っていました。

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2023年6月23日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その20 アッパーデッキの窓も塞がれたフルスペック貨物機 JA8144

JALのB747貨物機として3番目に登録されたのがcn22063/ln432のB747-246FのJA8144でした。

1980年3月18日に登録され、1995年4月20日に除籍されるまでの15年1か月在籍期間でした。これはJALの貨物専用機の中では最短であり、旅客型を合わせてもJA8118,JA8117に次いで3位の短さとなります。JT9D-7Qエンジン搭載機の中でも最も早く除籍されています。

2番目に登録された貨物型のJA8132がSide Cargo Doorを装備しないタイプであったのに対してJA8144はフルスペック装備であり、それまでの貨物型は2階部分にも窓がありましたが、当機は2階窓が塞がれました。

1992年には塗装は変化がありませんでしたが、後述のJA8160同様に日本ユニバーサル航空(JUST)との共通事業機となっています。

Southern-air-transport-fleetlist

1995年4月Southern Air Transportに売却となり、レジはN741SJに、さらに1999年8月にはガーナのMK Airlinesに売却され、レジは9K-MKIとなりました。2001年11月27日ナイジェリアのポートハーコート空港に進入中、滑走路700m手前に墜落し、搭乗者13名のうち1名が死亡し、機体は廃棄されました。

成田でもよく見かけたSouthern Air Transportは1947年、マイアミを拠点とし、ハバマへの貨物輸送のため設立された貨物航空会社でしたが、CIAが買収し、CIAのフロント企業として、イランやニカラグアのサンディニスタ政府と戦っていたコントラ(米国支援の無国籍傭兵軍 )に武器を輸送していました。1994年、拠点をマイアミからコロンバスに移しましたが、1998年頃の航空不況で倒産、1999年3月、同社の資産はSouthern Airに引き継がれ、Southern Airは1999年11月から運航を開始しました。ケンタッキー州のフローレンスを拠点にし、B777FB737-800BCFを運航していましたが、2012年9月に破産申請、2013年には脱却しましたが、2016年4月、Atlas Air Worldwide Holdingsに買収され、2021年11月17日Atlas Airに統合という形で第二次世界大戦終戦後からの長い航空会社運営の歴史に終止符が打たれました。

JA8144としては余りに早く除籍され、その後、Southern Air Transportの貨物機として成田への飛来機会もあったかと思いますが、成田で撮影していたのは一番違いのN740SJ(JA8151からN740SJ、そしてJA8937としてJALに復帰した機体)でした。残念ながら、JA8144に関する写真はありません。

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2023年6月22日 (木)

2023年 北九州旅行 その9 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区第Ⅱ期新製配置組 part3 69号機 

EH500-69号機2010年7に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。

Eh50069-120604

2012/6/4 名島橋

Eh50069-120605 2012/6/5 門司

Eh50069-161015-4 2016/10/15 門司

Eh50069-5051-230601 2023/6/1 遠賀川

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2023年6月21日 (水)

2023年 北九州旅行 その8 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区第Ⅱ期新製配置組 part2 68号機 

EH500-68号機2010年6に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。


Eh50068-120604 2012/6/4 名島橋

Eh50068-120605 2012/6/5 門司

Eh50068-121221 2012/12/21 香椎

Eh50068-121222 2012/12/22 西小倉

Eh50068-1087-230603-2 2023/6/3 小倉

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2023年6月20日 (火)

2023年 北九州旅行 その7 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区第Ⅱ期新製配置組 part1 67号機 

門司機関区にEH500形が6両配置され、関門間の橋渡し役として活躍し始めてから、3年後の2010年5月、67号機から72号機までの6両が追加配置となりました。

Eh50067-100805-2 2010/8/5 下関

67号機からは運転室側面窓上部の黒塗り塗装が省略されたことです。これは門司機関区配置の72号機に留まらず、仙台配置の73号機以降にも波及して行きました。

Eh50067-100807-2 2010/8/7 門司

Eh50067-120605-2 2012/6/5 門司

Eh50067-2075-230531-6 2023/5/31 門司 
パンタグラフのホーンが黄色に塗られているのも門司区の特徴です。

Eh50067-69-230602 2023/6/2 下関

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2023年6月19日 (月)

2023年 北九州旅行 その6 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区新製配置組 part6 50号機 etc

EH500-50号機2006年12に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。2006年度竣工組のラストとして門司機関区に配属された機関車です。今回の北九州旅行では遭遇しませんでした。

Eh50050-081207

2008/12/7 下関

Eh50050-081208 2008/12/8 門司

Eh50050-100807-3 2010/8/7 門司

Eh50050-171014 2017/10/14 黒崎

2006年度中にEH500形が門司機関区に6両新製配置された時点で同機関区の交直両用機は
EF81 76
EF81 301 302 303 304
EF81 401 402 403 404 405 406 407 408
EF81 451 452 453 454 455          といった体制で

2007年度は
EH500が22仕業 走行範囲は幡生操~北九タ
EF81が15仕業 うち関門間を走行するのは6仕業でした。 

2008年度は
EF81 404 406 453 454 455が冨山区に転属
EH500の仕業数は変わらず
EF81の仕業数は14仕業に

2009年度は
EF81 76、富山区に転属、同機は昭和48年度民有予算で製造、酒田機関区に配置されたもので民営化でJR東日本に承継されましたが、2005年JR貨物に売却され門司区に配置されました。重連総括制御装置は搭載していないためED76などと同じ運用に入ることが多くありましたが、2007年3月に運用離脱、2008年4月に富山区に転属となりました。

Ef81-76-051209 2005/12/9 香椎 門司区時代の76号機

Ef81-76-080906 2008/9/6 敦賀 富山区に転属し、北陸本線で活躍中の76号機


EH500の仕業数は変わらず
EF81の仕業数は16仕業に 

2010年度は
配置は前年度と変わらず
EH500の仕業数は変わらず
EF81の仕業数は19仕業に うち関門間を走行するのは5仕業でした。 

この間、交流専用のED76形の配置は24両(基本番台8両、1000番台16両)で変化がありませんでした。

2010年度中にEH500-67~72の6両が門司区に新製配置されました。

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2023年6月16日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その19 JA8142と同時期に導入されたものの地味な生涯を送った JA8143

-100BをベースにしたニュータイプのSRとして1980年2月15日、JA8142に遅れること2週間で登録されたのがcn22067/ln427JA8143でした。

Dream Expressといったスペシャルマーキングは経験せず、ひたすらノーマル(旧鶴丸と新鶴丸)塗装を纏った機体でしたが、1988年からエンジンブレードに鳥衝突防止の彩色が施されたのはこの機体でした。

Ja8143-b747146b-cn22067-ln427-960504-hnd 1996/5/4 HND T1

Ja8143-b747146b-cn22067-ln427-960816-hnd 1996/8/16 京浜島

Ja8143-b747146b-cn22067-ln427-980102-hnd 1998/1/2 HND 整備場前

1994年10月には菱信リースに売却され、JALにリースされ、1998年12月4日にはUTファイナンスに売却され抹消となりました。2002年10月までジャンボジェットが保有、N553SWとして登録され、2002年10月から2003年1月までは同じレジでロジスティックエアが保有、2003年1月から2004年2月まではPK-IAUでインドネシアン・エアラインズが保有、2004年2月から2007年11月にはロジスティックエアに戻され(レジはPK-IAU)、2007年11月からは5U-ACGでロジスティックエアの保有下に戻り、同年12月29日、アエロエクスプレスに売却されましたが、2017年に解体されたようです。

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2023年6月15日 (木)

2023年 北九州旅行 その6 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区新製配置組 part5 49号機

EH500-49号機2006年12に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。

Eh50049-071216-edit 2007/12/16 門司

Eh50049-071216-5 2007/12/16 門司

Eh50049-071217 2007/12/17 下関

Eh50049-230603 2023/6/3 小倉

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2023年6月14日 (水)

2023年 北九州旅行 その5 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区新製配置組 part4 48号機

EH500-48号機2006年11月に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。

ネットで48号機に関する話題をサーチしてみると2018年11月24日には牽引機関車の性能測定のための事業用コンテナ「リサーチキャビン」を搭載したコキ106を牽引して北九州貨物ターミナルから新南陽まで、翌25日にはEF81 303号機に次位無動で連結されリサーチキャビン付きで熊本(操)まで運転されたことがありました。

Eh50048-071216

2007/12/16 門司

Eh50048-071217-5 2007/12/17 下関

Eh50048-121221

2012/12/21 香椎

Eh50048-171014 2017/10/14 折尾

Eh50048-4095-230601-6 2023/6/1 博多
千早操車場から福岡ターミナルには向かわず、鳥栖ターミナルを目指す4095レです。

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2023年6月13日 (火)

2023年 北九州旅行 その4 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区新製配置組 part3 47号機

EH500-47号機は2006年11月に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。

Eh50047-071218-2 2007/12/18 門司

Eh50047-081207 2008/12/7 下関

Eh50047-110127 2011/1/27 香椎

Eh50047-120605 2012/6/5 小倉

Eh50047-121221 2012/12/21 門司

Eh50047-3051-230601-5 2023/6/1 門司

Eh50047-3051-230601 2023/6/1 西小倉

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2023年6月12日 (月)

西武鉄道 2000N系 4連 2509Fが横瀬基地に廃車回送

今年3月2511Fに続き、2509Fもお役目御免となり、6月9日金曜日、横瀬基地に廃車回送されたそうです(情報はこちら)。

2509Fは2000系第7次車として2509F~2529F4連グループ11本、2453F,2455Fの2連グループ2本、2045F、2053Fの6連グループ2本、2057Fの8連1本と同時期に竣工し、4連と2連は東急車輛製、6連と8連が西武所沢工場製でした。2509Fは1988年5月26日に竣工しています。1993年1月25日に減パン工事を受けていますが、それ以外の更新修繕等は受けませんでした。パンタのシングルアーム化もなされませんでした。

7次車の4連11本のうち、前半6編成は貫通窓が小さいタイプ、後半5編成は大きいタイプになっています。

2000n-4-2509f-160423

2016/4/23 小平

2000n-4-2509f-160530 2016/5/30 井荻

 2000n-4-2509-210818

2021/8/18 萩山~小平

バブルの時代に生まれ、西武新宿線一筋に活躍した35年の車生でした。

2000N系4連の廃車に関して

2501F 2022/7廃車
2503F 2022/6廃車
2505F 2022/12廃車
2509F 2023/6廃車
2511F 2023/3廃車
2515F 2023/3廃車
2519F 2022/2廃車
2521F  2022/3廃車

 

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2023年6月 9日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その18 -100Bをベースに新たなSRとして登場した JA8142

Boeing社は747-200Bを登場させた後、それほど長い航続距離を必要としないエアライン向けに燃料の搭載量の増加はせず、機体構造や降着装置の構造強化を図り、最大離陸重量だけを少々引き上げたタイプを提案しました。これが-100B型です。1978年にイラン航空から発注を受け、さらにサうアジアラビア航空にも納入されましたが、世界の多くのエアラインは-200Bを選んだため、製造機数はわずか9機(JAL分を合わせても14機)に留まりました。

B747100b

-100Bとして製造されたBoeing747

 国内線の旺盛な旅客需要に対応するため、1979年、JALが従来の-SR46型に代わって選択したのがこの-100Bをベースにした新たな近距離タイプでエンジンは従来の-SR46同様、P&W JT9D-7Aを選択しました。とりあえず3機(JA8142,JA8143, JA8164)は2階部分の短い仕様としましたが、1986年に納入された2機は当時製造されていた-300型同様の2階部分を延長したタイプ(SUD:Streched Upper Deck)となりました。外見からはその後に納入された-346SR型と同様ですが、エンジンがJT9D-7Aなので-146B/SUD型となりました。

Ja8142-jal-b747146b-cn22066-ln426-881004 1988/10/4 HND 西ドイツ留学直前に福岡に出張した際の羽田からの搭乗機がJA8142でした。羽田の旧国内線ターミナル

JA8142と登録されたcn22066/ln426の機体は1980年2月1日、納入されました。この機体から二階部分への階段は直線化され、アッパーデッキの定員が増えたため、ポートサイド側、コックピットのすぐ後ろ側にも非常口が設けられました。就航時の座席数は550席となり、当時、世界最大でした。アッパーデッキの座席はメインデッキのそれと較べ幅広でシートピッチが大きかったため、後にアッパーデッキの座席はスーパーシートとして使用されるようになりました。

Ja8142-jal-b747146b-cn22066-ln426-900114 1990/1/14 HND

ネットでJA8142に関して調べると1992年1月8日、羽田空港において、71番スポットに駐機中のB767型機(出発機)から搭乗客の男性がL2ドアを開け、機外に飛び降り、約200m疾走後、JL514便として着陸、18番スポットに向かって時速4㎞程度でタキシング中だったJA8142機のエンジンの下を潜り抜け、同機の左主脚車輪の前に倒れこみ轢かれて死亡するという事故がありました。

Ja8142-jal-b747146b-cn22066-ln426-941212 1994/12/12 HND 

Ja8142-jal-b747146b-cn22066-ln426-941224

1994/12/24 HND   JA8142とJA8170の2機が”Dream Express”としてデビューしました。

SR-46タイプが退役した後は大阪~グアム線にも就航し、1994年には当時、JALとしては初めての本格的スペシャルマーキングである「ドリームエクスプレス」塗装になりました。

Ja8142-jal-b747146b-cn22066-ln426-980102 1998/1/2 HND

Ja8142-jal-b747146b-cn22066-ln426-980211 1998/2/11 NRT 最晩年には成田発の近距離国際線でも使用されました。

1998年4月2日、ジャンボジェット社に売却されN552SWにリレジされました。既に解体済みです。

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2023年6月 8日 (木)

2023年 北九州旅行 その3 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区新製配置組 part2 46号機

EH500-46号機は昨日の45号機同様、2006年10月に東芝府中工場で竣工し、門司機関区に新製配置されました。46号機は45号機に続き、5月中旬に大宮車両所に入場し、二度目の全般検査を受けているため、今回の旅行中は不在でした。出場する際には45号機同様に側面のJRFマークは消されて出場することと思われます。

Eh5004647-0712182007/12/18 門司 

Eh50046-081207 2008/12/7 下関

Eh50046-100805-2 2010/8/5 下関

Eh50046-171014 2017/10/14 遠賀川

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2023年6月 7日 (水)

2023年 北九州旅行 その2 現在の関門のヌシ EH500 門司機関区新製配置組 part1 45号機

門司機関区には15両のEH500形電機が配置されており、2023年3月改正ダイヤでは23仕業を受け持っています。東は幡生操車場までですが、西は田代鳥栖貨物まで2往復、福岡ターミナルまで1300t貨物牽引で16往復、黒崎までレール輸送で1往復乗り入れています。

2007年に45~50号機の6両が新製配置されましたが、それに先立ち2004年4月には25号機、6月には27号機が試験的に配置され1300t貨物列車の牽引試験が行われました。2010年までは幡生操車場と北九州ターミナル間のシャトル運用(22仕業)のみでしたが、同年67~72号機の6両が新製配置され、2011年3月のダイヤ改正からは福岡ターミナルまでの通し運用が14往復追加されました。2016年3月のダイヤ改正では北海道新幹線の部分開業で津軽海峡線~五稜郭(函館貨物ターミナル)の担当がEH500からEH800になったことで、仙台のEH500が余剰となり、2019年4月には65号機、その後、66、73号機が仙台総合鉄道部から門司機関区に転属となり、福岡ターミナル、あるいはそれ以西へのEH500の進出が始まりました。

門司新製配置1号機である45号機を紹介します。

Eh50045-071216-edit 2007/12/16 門司 北九州貨物ターミナルを出発し、門司駅の中線を通り、関門トンネルに入るところです。

Eh50045-071217 2007/12/17 下関 上下の貨物列車の接続本数の調整の関係で単機回送列車が存在します。

Eh50045-071217-3 2007/12/17 下関 上り貨物列車

Eh50045-071217-5 2007/12/17 下関 下り貨物列車

Eh50045-071218-2 2007/12/18 門司

Eh50045-120604 2012/6/4 名島橋 福岡ターミナル発列車が鹿児島本線と千早操車場で合流する手前

Eh50045-171015-2 2017/10/15 香椎 下り列車は旅客列車と同じ線を通過

Eh50045-2082-230601-3 2023/6/1 香椎 上り列車は中線を通過
45号機はこの3月に第2全検を受けていますが、その際に側面のJRFマークが消されました。

Eh50045-1091230602 2023/6/2 下関 
上の写真の反対側の側面ですが、こちらもJRFマークはありません。

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2023年6月 6日 (火)

2023年 北九州旅行 その1 関門鉄道トンネル(山陽本線)

本州西端の山口県下関市と九州北端の福岡県北九州市の間には日本海・響灘と瀬戸内海・周防灘を結ぶ関門海峡があり、海峡の幅は最狭部の早鞆の瀬戸で約600mとなっています。

Dsc045262016/10/15 早鞆の瀬戸に架かる関門橋(九州側から)

Dsc04524 2016/10/15 早鞆の瀬戸に設置されている門司埼灯台の説明板

 本州と九州を結ぶルートとして国道2号の関門トンネル、山陽新幹線の新関門トンネル、関門自動車道の関門橋はこの早鞆の瀬戸付近で海峡を越えているのに対し、山陽本線の関門トンネルだけが、彦島と大里間の大瀬戸にあります。その理由は大瀬戸の方が水深が浅く、高架の下関駅からアプローチする際の勾配を緩く設計することが可能だったこと、また既存の鉄道路線(山陽鉄道が敷設・開業した馬関(→下関)駅、初代九州鉄道が敷設した大里駅)との接続の関係を考慮したためです。

041017

2004/10/17 門司港側の船着き場
今でも下関の唐戸と北九州の門司港を結ぶ航路は関門汽船によって営業されており、航行時間は5分、料金は大人片道400円です。

 トンネルが掘られる前は旅客は航路、貨物は埠頭に引きこんだ貨物線に貨車を入れ、貨物を引き出して艀に載せ替え、対岸で逆の作業をする方式から始まり、1911年3月1日から貨車ごと船に乗せる貨車航送が始まりました。旅客は門司(今の門司港付近に接岸する関門航路に対して貨物は小森江付近に発着するため関森航路と呼ばれていました。
 旅客にとっても貨物にとっても船に乗り換えるのは不便であるため、海峡に橋を架ける案、トンネルを掘る案が検討され、それぞれ調査が行われました。予算的にはトンネルの方が少額であったこと、そして他国から攻撃を受けにくいことでトンネルを掘る方向で行くことになりましたが、1919年当時は第一次世界大戦後の物価高騰で予算が膨れ上がったこと、1923年には関東大震災が発生し、その復興で予算が削減されたことで計画は延び延びになりました。当時の鉄道省は1925年に検討を再開しましたが、1929年には昭和大恐慌が起こり、再び予算が削減されました。1931年には関門間の貨車航送は激増し、1935年になって漸く着工予算が承認されました。

工事の施工は両端の取り付けトンネルに関しては開削工法が採られ、下関側が間組、門司側が大林組に請負され、海底部分は鉄道省直轄で担当となりました。複線トンネルにした場合、断面積が大きくなり海底のより深い場所を通ることから、トンネル総延長が長くなり、既存路線への取り付けに影響が出ること、施工自体、単線トンネルの方が容易であること、万が一列車脱線事故が発生した場合、上下線ともに通過不可能になる事態が予測されること、当面の輸送力は単線トンネルで十分であることなどから、まず下り線トンネルの工事が1936年9月19日に着工されました。地質調査の結果、下関側からは普通工法、門司側はシールド工法、圧気工法、潜函工法が採用され、1942年3月27日に下り線トンネルが貫通しました。同年7月1日には貨物列車の運転開始でトンネル開業、11月15日には旅客列車の運転も開始となりました。

ミッドウエイ海戦の惨敗など戦局の悪化(といっても国民には知らされてなかった)などから軍部は九州の石炭を早く本州に輸送すべきと主張し、上り線の工事着工、開通が急がれ、1944年8月8日には上り線も開業となりました。

230531 230531-2 2023/5/31 門司駅 5,6番線ホームに設置されている関門トンネルに関する説明板

本州と九州を関門トンネルを通過する旅客列車が415系1500番台だけとなってしまった現在、関門トンネルの重要性が忘れられるのを憂慮してのことなのか、門司駅の5,6番線ホームには素晴らしい関門トンネルに関する説明板が設置されていました。あまりの詳しさに時間を忘れて読みふけってしまい、列車に乗り損ねることがないか心配です(笑)。

関門トンネルは上り下り単線トンネル2本から構成されており、下り線トンネルは全長3,614.04メートル、上り線トンネルは全長3,604.63メートルとなっています。開通は下り線が1942年7月1日、上り線が1944年8月8日で最深部は-36.39 m(下り線)、-38.4 m(上り線)、勾配は当時の機関車の牽引能力から20‰(下り線)、25‰(上り線)とされました。

Eh50067-2075-230531 2023/5/31 関門トンネル門司側抗口から顔を出したEH500牽引貨物列車(67号機牽引、2075レ)
小森江方向の側線に停まっているのはこの3月のダイヤ改正で運用を外れた415系鋼製車

Eh5006665-762-230531-19 2023/5/31 単機重連762レ 単線運用のため、下り線を通り、下関・幡生操車場に向かうEH500-66/65機重連

811-p2014-230531

230531-2_20230605073401

2023/5/31 門司駅上り線出発信号機

関門トンネルの単線運用は日常的に行われている関係で、門司駅構内の出発信号機をよく見ると、鹿上:鹿児島本線上り(門司港方面)の他、山上、山下は関門トンネルの上り線、下り線通過を意味していることが分かります。

415-fo1514-230531-41 2023/5/31 門司

旅客線の交直切換えのためのデッドセクションはトンネルを抜けて、ホームとの間にあり、その間に415系の前照灯が片目になるのが特徴的です。

Eh50073-1091-230531-42023/5/31 EH500-73号機牽引 1091レ

Ds-0410182004/10/18 門司駅 小倉方

貨物線のデッドセクションは ホームを過ぎて北九州貨物ターミナルに向かって下る途中にあります。これは万が一、デッドセクションでトラブルが発生した際に長大編成の貨物列車がトンネル内に逆走するのを防ぐためと思われます。

230531_20230605075101門司駅構内のキロポスト

山陽本線の神戸からの公式距離は534.4km、鹿児島本線門司港起点から5.5kmですから、山陽本線の距離表示がちょっと違いますが?

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2023年6月 5日 (月)

北九州旅行 2023/5/30~6/3 全体を振り返って(概論編)

5月30日火曜日から6月3日土曜日までの4泊5日間、門司を拠点に小倉、博多、下関、幡生での駅撮りを中心とした鉄道撮影旅行をして参りました。
今回はの旅行は直前の九州地方梅雨入り、そして台風2号の接近による大雨、さらには山陽・東海道新幹線の運行見合わせ、大幅遅延という不測の事態もありましたが、なんとか6月3日夕刻、家まで戻ることが出来ました。

230530 2023/5/30 新宿バスターミナル D11ゲート

230531-tenryo2 深夜高速バス 運行スケジュール

230531-pa 2023/5/31 壇ノ浦PA 新宿を出発して13時間、いよいよ本州の端てまで到着しました。

5月30日、新宿バスターミナルから21:00発、新山口・小倉・博多方面の高速バスに乗車、出発後、新東名高速・静岡SAを皮切りにほぼ2時間ごとの休憩を繰り返しながら、5月31日所定時刻11:00より、30分早く小倉駅北口に到着しました。4人掛けシートのバスでしたが、乗客は定員の半分程度で隣の座席は空席、ノビノビと体を伸ばせる状態で九州入りできました。

到着後は小倉駅で早速、撮影、さらに門司駅でも幡生操車場~北九州貨物~福岡ターミナル等を結ぶ、門司機関区配置のEH500を撮影しました。中でも門司機関区に新製配置された機関車ではなく、仙台総合鉄道部から転属した65,66,73号機を撮影出来たことは収穫でした。またED76EF81の牽引する九州内貨物列車も撮影できました。関門トンネルは通過する列車本数も少ないせいか昼間は下り線のみの片側通行が実施されており、門司から下関に向かうEH500単機重連が門司駅構内で長時間待たされる光景にも接しました。

小倉駅では博多駅~大分駅を結ぶ特急ソニックの883系885系をはじめ、リニューアルの進む811系、ワンマン化で新区分登場の813系、817系、新顔の821系等を撮影しました。

6月1日はまず西小倉で今年2月から本線貨物列車牽引に投入されたEF510-301号機牽引の4075レを撮影、そのまま快速電車で博多に向かいました。途中、香椎では香椎線にも投入されたDENCHA819系を撮影、さらに千早では福岡ターミナルに向かう貨物列車を撮影することが出来ました。そして箱崎駅では博多駅木曜日10:00発の787系36ぷらす3」編成の博多駅入線待ちに遭遇、編成の全貌をじっくりと観察することができました。

昨年9月の西九州新幹線部分開業で誕生した「リレーかもめ」「かささぎ」(787系、885系)、そして古豪783系が頑張る「ハウステンボス・みどり」、885系による「みどり」、キハ185系「ゆふ」などを博多駅で撮影、さらには今年3月27日に博多駅まで延伸開業した福岡市営地下鉄七隈線の博多駅改札まで見学しました。午前中は快晴でしたが、午後からは梅雨空に戻り、北九州に戻る際にはかなり激しい振り方になりましたが、古賀、遠賀川では福岡タを目指す貨物列車を撮影しました。

6月2日は早朝から小倉駅でスポッティング、ラッシュ時間前に福岡ターミナルに向かう貨物列車、日豊本線の4075レ(この日は唯一生き残った銀ガマEF81 303号機牽引)の他、定期列車としては唯一小倉までやってくる大分車両センター配置の787系4連(BM-100台編成)の「にちりん3号」、門司港発の787系「きらめき1号」、783系「きらめき3号」、787系「リレーかもめ」「かささぎ」等を撮影したましたが、一番のサプライズは5:48発の団体専用と表示された列車が「ななつぼし」だったことでした。同列車は前日に博多駅でも見かけていましたが、早朝、おそらく門司港から日豊本線方面に向かうとは思ってもみませんでした。

小倉には駅南口から出ている北九州モノレールがあり、前から一度乗ってみたいと思っていましたが、今回初めて企救丘まで乗車しました。人往復した後、旦過まで再度乗車し、小倉城の一角にある「松本清張記念館」を訪問、テレビ等で紹介されていたので前から機会があれば訪れてみたいとは思っていましたが今回それを実現することが出来ました。内部に高井戸の井の頭線線路沿いにある清張邸が再現されており、書斎の様子、膨大な書庫などに圧倒されました。小倉城、さらに2022年4月、8月の火事から復興途上の旦過市場も見る機会がありました。多くの店舗が火事で焼失し、仮店舗での営業が続いていますが、一刻も早く復興し、もとの活気が戻ってきてほしいと思いました。
 昼食後は下関に向かい、何年かぶりに同駅でスポッティングしました。かつて午前中、関西や東京からの寝台特急、急行が発着し、活気があった同駅ですが、今は山陽本線の終端駅として岩国・新山口方面から黄土色の115系等が発着、九州への連絡駅としてJR九州の415系1500番台(鋼製車はこの3月のダイヤ改正でリタイア済み)が発着し、時折EH500牽引の貨物列車がブロアーの爆音とともに通過するだけの駅となっており、閑散とした長大なホームが唯一過ぎ去りし、過去を語っているような感がありました。下り線側の3,4番ホームは到着専用ホームとなっている点が今回の変化でした。

台風2号の接近で日本列島、特に紀伊半島から東海地方にかけて大雨の線状降水帯が発生し、東海道新幹線の運転が終日見合わせとなったのもこの頃でした。同日午後、北九州では雨は止んでおり、帰路は門司から小倉に向かいスポッティング、4075レを撮影した後は下関へ、さらに幡生で幡生操車場に向かう貨物列車を撮影後、10時30分頃、同駅から新山口へ、そこから新幹線「のぞみ26号」で東京に向かう予定にしていました。時間は前後する可能性もあったので指定券はとらず、自由席特急券を購入しておきました。

3日朝、北九州地方は快晴、日の出とともに真夏の日差しが照り付けて来ました。まず小倉駅で「きらめき1号」「にちりん3号」「かささぎ101号」等を撮影し、4075レの牽引機はと待ちました。これまでのパターンではEF510-301号機かと思われましたが、なんと今回はED76 1020号機でした。3日連続で4075レを撮影し、EF510-301、EF81 303そしてED76 1020と3種類の機関車が牽引する姿を記録できたのは収穫でした。
7:20発の5126Mで下関へ、さらに下関から3402Mで幡生に向かいました。前日からに大雨で東海道・山陽本線の貨物列車の運行もかなり遅延が生じていることはある程度予測していましたが、本来なら2088レ、2071レ、8091レ、2054レ、5053レと上下方向、数本の貨物列車の通過があるはずですが来るのは山陽本線と山陰本線の旅客列車ばかり、これはダメだと思い予定を1時間早めて9:35発の3324Mで新山口に向かうことにしました。(実はここからこの日の運が離れて行きました)。この時点では大雨で運転を取りやめていた東京~新大阪間の運転再開は午後からとのことでした。9:35、3324M乗車直前にEF210-6牽引の貨物列車が通過して行き、EH500-72号機が機溜に駐機しているのが見えました。さらに3324Mで東に向かっていると堰を切ったように続々と幡生操車場に向かう貨物列車とすれ違いました。

Dsc04074 2023/6/3 新山口 本来は東京行の「のぞみ22号」ですが、東海地方大雨で東海道新幹線区間が運転見合わせのため、新大阪止まりで運行

新山口に到着すると、案の定、本来東京行の「のぞみ」は新大阪止まりとして運転中とのこと。11:11新山口に停車する「のぞみ22号」に乗車しました。8割方席は埋まっていましたが、着席することができました。この列車の新大阪到着(終着)予定は13:04でしたが、もしかしたら東海道区間の運転再開でこの列車も所定通り東京まで運転に変更かという淡い期待も空しく、新大阪で運転は打ち切りとなりました。ただ指定席客のため「新大阪駅の到着ホーム(21番線)とは別の27番線から同名のぞみ22号が出発するので到着後そちらに移動されたし」とのアナウンスがありました。しかし、この時点で新大阪駅は東海道新幹線の運転再開で超混雑、まさにカオス状態に。さらにホームの混雑と乗客の乗降時間で列車の出発が遅れ、山陽方面からの列車が数珠繋ぎ状態に。乗車していた「山陽・のぞみ22号」が新大阪に到着したのが所定より15分位遅れ、一方「東海道・のぞみ22号」は新大阪駅からの乗車客で自由席は既に満席状態、指定席客も無事、列車に乗車、席にたどり着けたかどうか分からずに発車したのではないかと思われます。
 私は自由席だったので新大阪からどの列車に乗車することも可能でしたが、そもそも、どのホームも超満員でどの列車がどのホームから出発するのかも分からず、とりあえず本来、乗車予定だった「のぞみ26号」、新大阪発14:06に乗車することにしました。ネットでは全車自由席の「のぞみ」号も運転するらしいといった記事も目にしましたが、果たしてその列車がいつ出発するのかも不明のまま。
 14:10頃、26番線に「のぞみ26号」が入線、なんとこの列車、博多からそのまま東京までの運転のようで乗客が乗っているではありませんか。乗車はしてみたものの、既にデッキまで立ち客がいっぱい。途中、岐阜羽島あたりで名古屋駅での乗降客混雑で列車が渋滞、さらに非常停止ボタンが押されたとのことで1時間30分の遅れに、静岡辺りで遅れは2時間に、新横浜で漸く着席し、品川で下車となりましたが、新大阪~新横浜立ち通しの新幹線乗車は初めての経験となりました。最終的に品川到着時点で2時間5分の遅れとなり、特急券(新山口~品川・東京¥7600)は払い戻しとなりましたが、幡生でもう少し粘り、当初の予定通り、10:38発の3326Mに乗車、新山口着11:41、同駅発12:11の「のぞみ26号」に乗車すれば恐らく平穏無事に座って帰れたのではないかと思いました。

 旅行出発前から例年より早い梅雨入りと台風の接近等で天候が心配されましたが、いざ行ってみると雨に降られたのはわずかの時間で、最後の新幹線乗車で大変な目に遭いましたが、JR貨物、JR九州、北九州モノレールと収穫の多い旅行でした。特に、事前の予習効果もあって783系、885系の注目編成に関しては番号を抑えることが出来たこと、また西九州新幹線部分開業から本開業までの期間、活躍する「リレーかもめ」を撮影出来たこと、貨物列車ではEF510-300番台の量産機登場前の国鉄型電機ED76,EF81の最後の活躍を撮影出来たことが大きかったです。

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