世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その27 エクゼクティブ・エキスプレスとしてニューヨーク線専用機として活躍したJA8161
JA8149、JA8150の「アロハ・エキスプレス」がリゾート線専用機であったのに対して、東京~ニューヨーク間のビジネス旅客専用機として導入されたのが「エクゼクティブ・エクスプレス」でした。
cn22990/ln579として製造、1983年6月16日に納入され、JA8161として登録されたB747-246BはそれまでパンナムがB747-SPで運航していた東京~ニューヨーク線をフルサイズのB747で運航可能にした機体でした。
1980年代初頭、東京~ニューヨーク間はJALはDC-10-40を使用し、アンカレジ経由で運航し、パンナムはそのために開発されたといっても過言ではない短胴タイプのB747-SP(Special Performance)を使用し、直行便を飛ばせていました。
B747-SPの計画が発表されたのは1973年9月で747型がデビューして3年程経った頃でした。当時、それまでの主力機だったB707やDC-8とB747の中間に位置する機体として3発ワイドボディのDC-10の長距離タイプが開発され人気を集めだしていました。Boeing社はこれに対抗すべく胴体を縮め、座席数をDC-10と同クラスにし、さらに航続距離を増やした-100SPを送り出しました。
具体的には-100型をベースに胴体を主翼前後で14.20m短縮し、尾翼の位置が前来た分モーメントを修正するため、垂直尾翼、水平尾翼の先端を1.52m延長、方向舵はダブルヒンジ方式に、主翼は三段スロッテド・フラップからシンプルなシングル・スロッテド方式に変更、これらにより自重が軽くなった分を燃料の搭載にあて、リザーブタンク19万0625リットル追加としました。空気抵抗の減少、巡航高度の増加などで航続距離は1万1千280kmと-200Bの8330~9260kmを上回ることに成功しました。1号機は19757月4日に初飛行、1976年2月4日には型式証明の取得、キックオフカスタマーであったパンナムのロサンゼルス~東京線に4月25日、ニューヨーク~東京線に、翌26日就航しました。
このSP時代を早く終わらせたのがJA8161 JA8162 JA8169の3機からなる-246B、JT9D-7R4G2エンジン装備機でした。JT9D-7R4G2エンジンはプラット&ホイットニー社のJT9Dエンジンシリーズの最終型と言われるエンジンでB747-300型向けに開発されタイプでJALがこれまでB747に搭載してきたシリーズと較べると
JALがB747に採用したJT9Dエンジン タイプ間の比較
-7R4G2ではエンジンの重量はさほど変化していないにも関わらず、推力は大幅に上昇しています。これは高圧タービンの動翼にPWA1480と言われる第一世代単結晶が使用されガス温度が上昇、耐久性が向上したためと言われています。
このエンジンのみならず燃料タンクの増設で成田~ニューヨーク間のフライトを安定的にこなせるようになったようですが、それでも国際線機長の書かれた記述によると成田からニューヨークに向けてフライトする場合、フライトプラン上はシカゴまでのフライトとして申請し、北米上空に達してからシカゴ行きをニューヨークまでに延長するやり方でフライトしていたとのことでした。
こういった機材の進歩で-SPのセールスポイントは失われ、製造は45機に留まりました。-7R4G2エンジンを装備した-200Bはノースウエスト航空(2機、N637US,N638US)とユナイテド航空(2機、N151UA, N152UA)でも導入しており、これらはいずれもJALのやり方に倣ってニューヨーク~東京直行便対応での導入でした。特にUAの場合、自社導入の-222Bはこのタイプだけでした。ちなみにN151UAは後にノースウエストに売却され貨物機になり、N645NWとなり、成田でもよく撮影しました。
1990/6/24 NRT 離陸のためRWY16エンドに向かうコンチネンタル航空のB747を移したときに偶然、映り込んでいたJA8161
当時、飛行機写真を撮り始めの頃でJA8161が「エクゼクティブ・エクスプレス」とは知らなかったため、同機の機首部に入れられたEXECUTIVE EXPRESSのロゴは写していませんでした。
1994/11/19 NRT
同機のキャビンはファースト、ビジネスクラスのスペースを大きく確保し、エコノミークラスは主翼の後ろ半分程度といったコンフィグでした。3クラス258席といったコンフィグはB747では異常に少ないものでした。
1998/4/29 NRT
1999/8/5 NRT
2001/9/6 バンコク ドムアン空港
B747-400が登場するとニューヨーク線特別機の座は-446に譲り、東南アジア、オセアニア線などに活躍の場を移しました。
2002/5/26 2002年 貨物機にコンバートされました。ただ、高性能な-7R4G2エンジン搭載のため、貨物機としても長距離路線に活躍した様です。
2007年4月18日、Kalitta Airに売却となり、レジはN700CKとなりました。2012年7月にはStore状態となり、既に解体されているとのことです。
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B767−281様 お早うございます。こうして見せていただくとB747シリーズは多岐にわたっていることがわかりありがたいです。このごSUDとなった−300ではコブを延長した際に思いがけず空気抵抗が減り航続距離が伸びた、と言う話がありますね。もうコンピュータが設計に当然取り入れられていた時代にも飛ばしてみて分かる、と言うのも面白いと思います。そう言えば MD11の航続距離や空力特性が飛ばしてみたから大いに問題となったのも同じようなことでしょうか。私も改めて撮り貯めた写真を整理してみたくなりました。さて今回の研修&旅行の最後は名古屋近辺で新美南吉の足跡を辿ることでした。鉄道では311系の元気な姿が見られて良かったです。また名鉄にはかなり乗車しましたが、来る電車毎に形式が違いひっくりでした。特別車と一般車が連結されている特急が面白いと思いました。名鉄、少し研究してみたいなりました。
投稿: 細井忠邦 | 2023年8月11日 (金) 10時05分
細井忠邦さま、おはようございます。
わたしも1980年代から2000年代にかけての成田通いで副産物的に撮影していたJALの747の写真に対し、彼女らが退役した際に購入した「メモリアルフォトブック」の内容やAIRKINEの別冊シリーズの記載を参考に色々データを集めると面白い話ができるものだなと自分でも感じています。
関西の後は名古屋に寄られたのですね、そう私も先月末の名古屋では311系編成を結構頻繁に見かけました。名鉄は昨年の夏の旅行で堪能しましたが、古参の6000系から様々な形式が混在し、名古屋駅を中心に東西で4本の本線が入り組んでいるスタイルは面白かったです。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2023年8月12日 (土) 04時45分