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2023年9月19日 (火)

広島~下関間の山陽本線直流区間で活躍した近郊形電車 その1 80系の時代

山陽本線は1964年7月25日に横川駅~小郡駅間が電化され、全線電化が完成しました。

それ以前の1960年6月1日に西宇部(1964年10月1日に宇部駅に改称)駅 - 厚狭駅間、1961年6月1日に小郡駅 - 西宇部間、厚狭駅 - 幡生駅間の電化が開業しており、1942年7月1日の関門トンネル開業時の幡生駅~門司駅間の電化と合わせて、小郡駅~幡生駅間と同じ日に電化開業した門司港駅~久留米駅間の交流電化開業で、小郡駅~久留米駅間には山陽本線広島駅~下関駅間よりも早く421系交直流電車が投入されました。

1964年の山陽本線全線電化開業で岡山運転区、広島運転所に80系電車が配置され、1972年には下関運転所にも80系が配置されました。

80
1975年3月31日時点での80系電車配置データ 岡山運転区、広島運転所、下関運転所

モハ80001~032は1950年1~3月製造の1次車でクハ86001~020、サロ85001~005、サハ87001~016がが同じ時期に製造されました。1950年度増備車(I)はモハ80033~036、クハ86021.022、サロ85006、サハ87017~019が製造され、クハ86は1次車と同様の半流線形状であり、かつ正面2枚窓のスタイルになりました。
1950年度増備車(II)はモハ80037~086、クハ86023~056、サロ85007~014、サハ87020~040が該当し、クハ86は前面中央部に60mmの角を付けたスタイルとなりました。
1951年度増備車はモハ80087~090、クハ86057~060、サロ85015~027、サハ87041~043
1952年度増備車はモハ80091~098、クハ86061~066、サロ85028・029、サハ87044~047
1954年度増備車はモハ800~101、クハ86067・068
1955年度増備車はモハ80102~117、クハ86069~080・082・084

1956年11月19日の東海道線全線電化完成、高崎線、上越線の客車列車の電車化用にシートピッチ拡大、側窓枠の軽合金化で新番台となり、モハ80は200番台、クハ86・サハ87は100番台となり、
1956年度 モハ80200~244、クハ86100~134(偶数)、101~131(奇数)、サロ85030~033、サハ87100~114
1957年度増備車 モハ80245~256、クハ86133~141(奇数)、136~142(偶数)、サロ85034・035、サハ87115~119

72系920番台の全金属不燃構造を80系にも適用し製造されたのが300番台で
1957年度 モハ80300~317、クハ86300~315、サハ87300~306
1957年度第2次増備車 モハ80318~393、409~425、クハ86316~351・353・364~373・375、サハ87307~327
1958年度債務車 モハ80394~408、クハ86352・354~359・361・363 サハ87328~331

80系の地方転出の際にサロ85の2等車へ格下げ改造が行われ、
サロ85001~005・007~010・013・014・021・025~029・031~033が1965年9月から1968年10月に改造されました。
さらに編成の短編成化で不足する先頭車をサハ85、サロ85を種車に改造し、1967年度から1970年度
クハ85005・007~009・013・015~019・022・023・028・032~035が誕生しました。
1968年7~9月にはサロ85300・302・308・310・311、サハ85301・303~307・309を改造してクハ85300~311が誕生しました。
1973年5~6月にはサハ87100・101・103・107を改造し、クハ85100~103、1973年7月1975年1~12月にはサハ87303・323・304・302・316・317・306・307を改造して、クハ85104~111が誕生しました。

80-86000-750305 1975/3/5 下関に到着するクハ86 1次車を先頭にした80系 

80-86300-750305-2 1975/3/5 クハ86 300番台先頭の80系


80-85-750305-2 1975/3/5 下関 クハ85  側窓の数からサロ85由来のクハ85

80-85300-750305-2 1975/3/5 下関 421系と並んだクハ85 先頭の80系

クハ86001とモハ80001は1977年11月、1985年9月にそれぞれ下関を最後廃車となった後、可能な限り、登場時の姿に復元され交通科学館に保存され、京都鉄道博物館開設に伴い同館に移動、保存されました。

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コメント

B767−281様 こんばんは。今頃ですみません。こちらへコメントします。80系はその晩年まで1両も欠けずに働いていたのはまさに末広がりの形式名と思っています。柳井に留置中のトップナンバー、実は見に行ったことがあります。クハの方は確かアコモデーション改良工事が施工されていて窓枠がアルミニウムになっていたと記憶しています。前照灯がちょっとおかしいですがうまく復元されていると思います。しかし所謂湘南スタイルのクハは76も含めて一両も保存されていないのは犯罪ですね。モハ52の2両保存を考えても納得できません。

細井忠邦さま、おはようございます。

80系電車がそれまでの電車=短距離の乗り物のイメージを大きく変えた存在であることは勿論のこと、クハ86の021,022、正確にはそれ以降のスタイルがどれだけ我が国の乗り物のスタイルに影響を与えたか、80系や70系が終焉を迎える頃には十分に認識されていた筈なのに、保存することなく全て解体してしまったことは正に残念ですね。
産業遺産として鉄道車両の保存をきちんと考え、事業者にアドバイスする機関の必要性があるのではと思う次第ですね。

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