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2023年11月30日 (木)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その2 車両編 part1 西武鉄道からの旧形国電の受け入れと1000系

伊豆箱根鉄道の車両、現在は自社製の車両が多く活躍していますが、1000系が投入される1963年以前は西武鉄道が放出した旧形国電が多く活躍していました。西武が使用した旧形国電のうち約半数以上を伊豆箱根鉄道が受け入れていたため、昭和30年代から40年代にかけては当鉄道は旧形国電の展示場と言われたほどでした。

40

表 昭和40年代以降の西武鉄道から伊豆箱根鉄道への譲渡車両
32,33は東芝製40t凸型電機です。IIは番号として二代目を意味します。  <鉄道ピクトリアル誌 No560 の記事から>

この表以外にクハ1311形 クハ1325、クハ1312 1968年廃車→伊豆箱根 車体のみ モハ51、クハ81に 1987年廃車
などもありました。

1963年から1971年にかけて17m級車体の国電や西武からの譲渡車を置き換え、ラッシュ対応の改善、観光客への乗客サービスの向上を図るべく、伊豆箱根鉄道初のオリジナル車両として導入されたのが1000系でした。

今から思えば、大学1年(1974年)の秋、クラブの合宿で西伊豆、戸田に行った際に三島から修善寺まで初めて駿豆線に乗車しましたが、三島に着いた時には日はどっぷり暮れており、修善寺でも慌ただしくバスに乗り換えたため、伊豆箱根鉄道の電車を観察する機会がありませんでしたが、その時に乗車したのが1000系だったように記憶しています。

編成は2M1Tの3両編成で、1001Fのみモハ1000+サハ2000+モハ1000、1003F以降はモハ1000+モハ1000+クハ2000、全金属製20m3扉車体、登場時は吊り掛け駆動方式でした。製造は西武所沢車輛工場が担当し、4本が製造されました。

主要諸元
最高運転速度 85 km/h
設計最高速度 100 km/h
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 488名[座席200〔188〕名] (〔〕の座席は1005Fでの人数)
車両定員 160名[座席64〔60〕名] ※Mc・Tc(クハ2002以降)168名[座席72〔68〕名] ※M・T(サハ2001)
車両重量 40t〔38t〕 (Mc・M) / 30t〔31t〕 (Tc)
編成重量 110t〔111t〕
全長 20,000 mm
全幅 2,900mm〔2,877mm〕 mm
全高 4,200mm mm
台車 DT-17・DT-10・TR-25A[2](Mc・M車)TR-11A(Tc・T車)【住友金属工業FS342】
主電動機 直巻電動機 MT-30・40
日立製作所【HS-836-Frb】
主電動機出力 128kW(第2編成のみ100kW)【120 kW】/個
駆動方式 吊り掛け駆動 【中空軸平行カルダン】
歯車比 2.87【86:15=1:5.73】
編成出力 1024kW【960kW】
制御装置 抵抗制御 三菱電機ABFM-168-15M
制動装置 電磁直通空気制動 (HSC)
保安装置 伊豆箱根式ATS
備考 〔〕は2次型車での数値 【】は2次型車の新性能化改造後の数値

外観的には当時の西武鉄道の標準形式であった551系、601系の軽量車体、両開き扉をベースにしており、前頭部の形態は701系に似ていました。電磁直通ブレーキ、MMユニット方式(1003F以降)の制御方式、補助電源の交流化など当時としては近代化された設備を採用していました。1989年に1005F,1007Fが台車、主電動機を交換してカルダン駆動方式に改造されました。
しかし非冷房であったことなどから1991年から廃車が進み、1997年3000系3011Fの導入で定期運用は消滅、1005Fが保留車として残されましたが、2005年に廃車となりました。

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伊豆箱根鉄道 1000系
1000系は自社オリジナルの4編成と西武鉄道から譲渡された元501系編成による3本を加えたトータル7本が在籍しました。

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2023年11月29日 (水)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その1 歴史と駅・施設

伊豆箱根鉄道といえば現在は西武鉄道の子会社であり、小田原と大雄山を結ぶ路線距離9.6km、駅数12の大雄山線と三島と修善寺を結ぶ路線距離19.8km、駅数13の駿豆線のふたつの鉄道路線に加え、レジャー・サービス業、不動産業、自動車道事業等を行っている企業、株式会社です。

拙blogにおいても2013年6月30日記事で大雄山線の乗車に関して、2022年8月17日記事で小田原駅での東海道線列車乗り継ぎの際の大雄山線車両撮影の様子を紹介しました。

一方の駿豆線に関してはこれまでに何回か訪問しているのですが、記事にしていなかったので今回から数回のシリーズで紹介しようと思います。
駿豆線の名前は駿河国の沼津市と伊豆国の三島市の間を運行していた駿豆電気鉄道(路面電車、1898年5月20日に豆相鉄道として開業、1963年に廃止)に由来するものです。

三島は三嶋大社の鳥居前町であり、律令時代には伊豆国の国府が置かれ、伊豆府中とも呼ばれ、江戸時代は三島宿の宿場町として賑わいましたが、明治期には鉄道に対する意識の薄さから丹那トンネルが開通する前の東海道本線の駅は設けられず衰退の一途を辿っていました。豆相鉄道が伊豆中部の大仁と東海道本線を結ぶ目的で路線を計画した際に三島の有力者達は土地寄贈などを行い、路線を誘致し、現在の御殿場線下土狩駅付近に(初代)三島駅を設けることとなり、1898年5月20日、三島町(現、三島田町)~南條(現、伊豆長岡)間が開業しました。蒸気機関車牽引の列車が運行されました。同年6月20日には三島(現、御殿場線下土狩)~三島町間が延伸されました。1899年7月17日には南條~大仁間が延伸されました。

120109

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2012/1/9 三島田町駅 駅名標と名所案内表示 現在は中間駅で無人駅となっていますが、駿豆線が開業したときの起点駅です。三嶋大社や市役所への最寄り駅でもあります。

120109_20231128094001 2012/1/9 路線案内 大仁から先が切れています。その先には牧之郷と修善寺があります。

1924年8月1日には大仁~修善寺間が開業していますが、その間に会社は1907年7月19日伊豆鉄道に譲渡、1912年4月1日駿豆電気鉄道に譲渡、1916年富士水電と合併、1917年11月5日駿豆鉄道に譲渡と激しく変化しています。

1933年5月6日には戦時中に廃止されるものの、東京方面からの週末、直通列車の乗り入れが開始されました。1934年12月1日、丹那トンネルの開通で東海道本線の経路が変更され、三島広小路~下土狩間が廃止され、現、三島駅~三島広小路間が開業となりました。

1938年4月6日、会社名は駿豆鉄道箱根遊船に改称され、1940年11月28日駿豆鉄道に再度改称、1957年6月1日、現在の伊豆箱根鉄道になりました。

120109_20231128094401 2012/1/9 三島から修善寺方面 路線は全線単線で三島田町、大場、伊豆仁田、原木、韮山、伊豆長岡、田京、大仁、牧之郷で列車交換が可能です。

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2019/1/4 三島 

220907 2022/9/7 三島
JR東海道線と伊豆箱根鉄道連絡線 同線路は伊豆箱根鉄道に乗り入れるJR特急「踊り子」号の他、大場工場で検査等が施工される大雄山線の車両も通過します。車両の接触防ぐため、ホームの一部が抉られているのが特徴的です。

電化は1918年8月10日、三島町~大場間で開業、電圧は600Vでした。1919年5月25日、三島~三島町間も電化され、軌道線(1906年開業、三島町~沼津停車場間)が直通運転を開始。同年6月5日には大場~大仁間が電化されました。架線電圧が600Vから1500Vに昇圧されたのは1959年9月7日のことで、それまでは東京方面からの乗り入れ電車は同線内は出力を落として運転していました。

190104 2019/1/4 大場駅駅名標

190104_20231128100201 2019/1/4 大場駅にある伊豆箱根鉄道本社

190104_20231128100301 2019/1/4 大場工場・車両基地への引き込み線

190104_20231128100401 2019/1/4 大場車両基地で休む伊豆箱根鉄道駿豆線の車両達

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2023年11月28日 (火)

西武鉄道 2000N系 4連 2529F 横瀬基地に廃車回送

2023年11月21日、長らく新宿線系統で活躍してきた2000N系4連,2529Fが廃車のため、横瀬基地に回送となったそうです。

同編成は2509Fから始まった2000系第7次車グループの最終編成として1988年11月24日、東急車輛にて竣工、1992年12月21日、減パン工事を受け、2004年6月2日、MGとCPの換装を行っていますが、更新修繕は受けていません。

2000系7次車グループは4連11本、2連1本(2453F)、6連2本(2045F,2053F)、8連1本(2057F)が製造されており、4連、2連が東急車輛製、6連と8連が西武所沢車輛工場製でした。尚、6連の2045Fは製造時は2055Fでしたが、8連の増加で2045Fに改番されました。そういった経緯もあり、2053Fが所沢車輛工場製の最初の2000N系6連でした。

2529Fの特徴として、10000系のFS542B台車の採用検討材料としてクモハ2529はFS542,モハ2530はFS542Aの軸箱積層ゴム支持台車を一時的に試用したことがありました。

2000n-4-2529f-160506-21

2000n-4-2529f-160506

2016/5/6 沼袋 4+6で新宿線の急行運用

2000n-4-26302622-170708

2017/7/8 所沢 4+4で新宿線各停運用

2000n-4-2529-160829-2 2016/8/29 東村山 単独で西武園線運用

2000n-4-2529-230721-21 2023/7/21 小平

2000N系4連の廃車に関して

2501F 2022/7廃車
2503F 2022/6廃車
2505F 2022/12廃車
2509F 2023/6廃車
2511F 2023/3廃車
2513F 2023/7廃車
2515F 2023/3廃車
2519F 2022/2廃車
2521F  2022/3廃車
2529F  2023/11 廃車

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2023年11月27日 (月)

イタリアのフラッグ・キャリア いつのまにかアリタリア航空からITAエアウェイズになっていた その3 羽田にやってくるA350XWB

イタリアの新国営航空会社としてITAエアウェイズ2021年10月15日に運航を開始しました。所有者はイタリア共和国経済財務省でアリタリア航空の資産の多くを引き継いでおり、ハブ空港はローマ・フィウミチーノ空港とミラノ・リナーデ空港となっています。航空連合は2021年10月29日からスカイチームに加盟しています。

機材は
Airbus  A220-100 1+6     (+以下は発注機数) 2023/11現在
Airbus  A220-300 7+8
Airbus A319-100 16
Airbus A320-200 25
Airbus A320 neo 14+12
Airbus A330-200 7
Airbus A330-900 5+12    2023/5/12 First delivery
Airbus A350-900 6               2022/5/27 First delivery
計 運用機数 82機 発注機数 46機

日本へは羽田に2022年11月5日(イタリア現地時間)からローマ~羽田便がA350XWB-900で週3便で就航しました。2023年3月27日からはデイリーに。

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2023/5/17 HND EI-IFE A350XWB-941
ローマFCOから11:45のフライトで羽田RWY34Lに着陸

Eiifc-230607-hnd3 2023/6/7 HND EI-IFC

Eiiff-230512-hnd6 2023/5/12 HND  EI-IFF

胴体はブルーメタリック、翼は白、ロゴはホワイトゴールドに一部赤、尾翼はイタリア国旗の3色という塗装になっています。胴体の青はイタリア代表サッカーチームのazure(紺碧)からきており、パオロ・ロッシの別名が与えられています。メタリック塗装のための重量増加、環境負荷の増大が指摘されています。ちなみにEI-IFDのカラーリングは胴体白色で中央部に”BORN TO BE SUSTAINABLE”、後部に”-25% FUEL&CO2”と書かれているそうです。

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2023年11月24日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その41 B747-346の6番機として欧州直行便、北米線で活躍したJA8177

cn23638/ln658として製造され、1986年9月22日に初飛行、10月2日にJALに引き渡されたのがJA8177でした。23638という契約番号は23637から23641まで続く5機の契約番号(cn)の中にあり、

Ja8176ja8180

と-400の登場を前にJALがクラッシック・ジャンボの大量導入を続けていた最後の時期に契約、導入された一群であることが推察されます。

1991年、前年10月のドイツ統一でベルリンに占領4か国以外の航空会社の乗り入れが可能となり、ベルリン線が開設された際に現地からの第一便としてフライトしたのがJA8177でした。

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1996/5/6 NRT

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2006/11/17 HND JJ塗装、且つ 国内線運用?

導入時は旧鶴丸塗装、その後、新鶴丸塗装となり、最後はJJ塗装で引退となりました。2007年1月に保管状態となり、2009年7月31日Max Air(ナイジェリアの航空会社)に売却、レジは5N-BMGとなり、2013年9月に保管状態となるまで活躍しました。

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2023年11月23日 (木)

イタリアのフラッグ・キャリア いつのまにかアリタリア航空からITAエアウェイズになっていた その2 BaciとBVLGARI

日本線に就航した数々のアリタリア機のなかでも最も注目を浴びた機体はB747-243Mに施された特別塗装の2機、チョコレートブランドのBaciと時計のBVLGARIではなかったかと思います。

Baciの特別塗装となったI-DEMFcn22508/ln499として製造され、1980年12月11日に初飛行しています。エンジンはGEのCF6-50E2でした。12月22日にアリタリア航空に引き渡されています。

アリタリア航空では1970年5月と7月に2機のB747-143A (cn19729/ln36, cn19730/ln56)を受領し、I-DEMA, I-DEMEのレジで運航していますが、これらは1年半程度でフリートから離れています。1971年3月と5月に2機のB747-243B(cn19731/ln120,  cn19732/ln134)を受領し、I-DEMO, I-DEMUのレジで運航しています。この2機はGE CF6-50E2エンジンを装備していました。これらは1981年11月、12月まで在籍していました。1972年5月には5機目のB747として-243B(cn20520/ln190)を受領しています。エンジンはP&W JT9D-7Aが択ばれています。この機体は1980年12月に売却されています。

これら5機のB747が在籍していた時期は1960年代から活躍していたダグラスDC-8(最初は15機の-40、後半は11機の-60/70)が終焉を迎える時期で1980年代からの長距離国際線主力機となるB747のエンジンの選択の時期だったように見えます。1980年12月12日I-DEMDを皮切りにI-DEMFと続き、1981年8月にはI-DEMG, 9月にはI-DEML11月にはI-DEMN,12月にはI-DEMP, I-DEMRと引き渡されてゆきました。

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1998/3/21 NRT

さて、1980年12月22日に引き渡されたI-DEMFですが、1988年11月18日、ミラノ・マルペンサ空港からベネズエラのシモン・ボリバル空港への飛行中m自動操縦装置が故障し、機体が大きく揺れ、多数の乗客が負傷し、7名が救急搬送されるという事故に遭っています。

1997年4月、「イタリアからの(Baci:)キス、アリタリアからのキス」Perugina社のプロモーションの特別塗装になり、4月8日にはJFKまでの初フライトを行いました。当初はJFK便専用に予定でしたが、日本線を含めて世界中、B747-200Bの就航路線をフライトすることに。

1999年9月にはノーマル塗装に戻され、2000年11月にはアリタリア便としては最終フライトとなり、12月28日Atlas Airに売却、貨物機にコンバートされ、レジはN540MCとなりました。2011年7月20日、カリフォルニア、モハベに駐機、その後解体。

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BVLGARI塗装のI-DEMScn22969/ln575として製造され1983年2月11日に初飛行、2月28日にアリタリア航空に引き渡されています。Baciに続く、プロモーション第二段として1998年4月Bulgari Aluminium特別塗装機になりました。1998年4月25日、特別塗装機としての初飛行を行っています。2000年1月、ノーマル塗装に戻され、2001年10月31日、アリタリア便として最終フライト。2002年7月、アリゾナ州マラナに停泊。2002年11月8日、Boeing Aircraft Companyが購入、N73717に。2007年3月、アリゾナ州フェニックスにて解体。

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2023年11月22日 (水)

イタリアのフラッグ・キャリア いつのまにかアリタリア航空からITAエアウェイズになっていた その1 アリタリア航空編

イタリアの航空会社といえば長らくアリタリア航空(Alitalia-Societa Aerea Italiana S.p.A.)でした。

日本線には古くはダグラスDC-8, DC-10, MD-11, B747 そしてA330-200, B767-300ER, B777-200などが就航していました。



同社は1947年9月16日イタリア産業復興公社Istituto per la Ricostruzione Industriale; 1933年イタリア政府の出資で設立、世界恐慌で破産しそうになった銀行、自動車製造会社を傘下に収め救済、第二次世界大戦後は鉄鋼・自動車・航空・放送などに長期出資し、国内の経済成長を支え、産業の民営化をはかり、2000年に解散)と 英国欧州航空(British European Airways)の共同出資で設立、長距離路線はダグラスDC-6B、ヨーロッパ域内路線はヴィッカースバイカウントで運航を開始し、1957年にはイタリアのLAI航空と合併、1960年代以降はシュッド・カラベル、ダグラスDC-8などを導入し、日本へも就航しました。
2001年には航空連合「スカイチーム」のメンバーとなりましたが、同時多発テロ以降は経営が著しく悪化、政府が株式の49%を保有し、事実上国有化されました。その後も経営状態は芳しくなく、エールフランス‐KLM連合による買収、ルフトハンザドイツ航空との提携案が出されるものの労働組合の反対などで実現に至らず、2008年から2009年にかけ、分割民営化による経営再建の道が採られました(会社名はイタリア航空からアリタリア-イタリア航空会社)。

しかし経営悪化はさらに進み、2014年2月にはアブダビのエティハド航空傘下になりました。それでも経営悪化は収まらず、そうこうしているうちに2019年末から新型コロナウイルス感染症の世界的大流行で航空需要は大幅に落ち込み、2020年4月23日、完全国有化が発表となりました。



 

 

2020年10月、アリタリア-イタリア航空の後継として国営フラッグキャリアとして設立したのがITA(Italia Transporto Aero S.p.A.)でした。正式には2020年11月11日に設立、2021年10月15日、ローマ・フィウミチーノ空港をハブに68機の保有機材で運航を開始しました。IATAコードはアリタリア時代と同じAZで2022年5月13日エアバスA350XWB-900を初受領、11月5日、羽田~ローマ便を週3便で開設しました。

Idemg-az-b747243b-cn22510-ln553-981114-n1998/11/14 NRT I-DEMG B747-243B cn22510/ln553
1981年7月1日に初飛行、8月5日にアリタリア航空に引き渡された機体でエンジンはCF6-50E2を装備、コンフィグはC36Y368、2000年4月に退役、2003年に解体されています。
アリタリアのB747スペシャルカラーとして有名なBaci c/s(I-DEMF), BVLGARI c/s(I-DEMS)に関しては明日の記事で紹介します。同社は22機のB747シリーズを運航しており、2機が-100型、19機が-200B型、1機が-400型(-400F)でした。

Idupo-md11-cn48630-ln567-020922-kix
2002/9/22 KIX I-DUPD MD-11 cn48630/ln567
この機体は1994年6月から2004年6月までアリタリアに在籍、その後、2005年1月までN630LTとしてウェルズ・ファーゴ・バンク・ノースウェスト社(リース会社)に在籍、2005年1月から12月までD-ALCSとしてルフトハンザ・カーゴに、そして2015年12月以降はN630SNとしてウエスタン・グローバル・エアラインズ
Eidip-airbus-a330202-339-190519-nrt6 2019/5/19 NRT EI-DIP A330-202 cn339
同機は2000年5月から2002年4月まではC-GGWDとしてカナダ3000に、2002年4月から2004年10月まではI-VLEFとしてヴォラーレ航空2005年5月から2008年3月まではA6-EYWとしてエティハド航空に、2008年3月から2009年1月まではEI-DIPエア・ワンに、その後2009年1月から2022年3月まではアリタリア航空に所属し、現在はITAエアウエイズ機として運用されています。

Ideic-boeing-76733aer-27377-561-020519-n 2002/5/19 NRT I-DEIC B767-33AER C25Y189 cn27377/ln561
アリタリアは14機のB767-300ERを運航しており、その多くは2002年8月に引き渡され、2012年10月までに全機退役しています。

Idiso-boeing-777243er-32857-424-030607-n 2003/6/7 NRT I-DISO B777-243ER cn32857/ln424
アリタリアは12機のB777シリーズを運用しており、-200ERが11機、-300ERが1機でした。-200ERは2003年10月から引き渡され、現時点で5機がストア状態、6機が他社に売却されています。

Ibusl-az-a300b4203-cn173-890606-frt

1989/6/6 FRA I-BUSL A300B4-203 cn173
アリタリアはA300B2を2機、B4を12機運用しており、この機体は1982年2月から1998年3月まで在籍していました。
恐らくローマ、ミラノ~フランクフルト、ロンドン、パリなどのヨーロッパ域内メジャー路線に投入されていたのではないかと思います。

Ibixe-az-a321112-cn488-980921-lhr 1998/9/21 LHR I-BDXE A321-112 cn488
アリタリアではA321-100を23機運用しており、A300が活躍していた路線を引き継いでいたのではと思います。

Iribc-az-dc932-cn47233-ln429-890617-cgn 1989/6/17 CGN DC-9-32 cn47233/ln429
アリタリアはDC-6Bからの伝統でボーイング機よりもダグラス機をチョイスしていて、B737が2機に対してDC-9を46機運用していました。

Idatb-az-md82-cn53221-ln2079-990321-frt

1998/3/21 FRA MD-82 cn5322/ln2079

さらにMD-80は90機運用していました。

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2023年11月21日 (火)

「体験王国いばらき」HMは武蔵野線E231系、MU15編成、山手線E235系、トウ34編成に

茨城デスティネーションキャンペーンの一環としてJR東日本はE657系にフレッシュひたちリバイバルカラーを登場させたり、首都圏を走る車両に「茨城デスティネーションキャンペーンロゴ」の入ったHMを掲出して走らせているようです。情報によると
常磐線 E531系
山手線 E235系
京浜東北・根岸線 E233系
中央快速線 E233系
中央・総武緩行線 E231系  に掲示された編成が10月1日から年末まで走行しているようです(情報:プレスリリース)。
これらの中でE531系に関しては10月23日記事で紹介しました。

E235-34-231112

2023/11/12 巣鴨 E235系トウ34編成に装着された「茨城デスティネーションキャンペーンロゴ」の入ったHM

運用情報のサイトを調べてみると
山手線 E235系 K34編成
京浜東北線・根岸線 E233系 111編成
中央快速線 E233系 T25編成
中央・総武緩行線 E231系 A550編成  に装着されているようです。

E231-mu15-231030 2023/10/30 西浦和

E231-mu15-231102-3 2023/11/2 府中本町

E231-mu15-231102-2 22023/11/2 西国分寺

プレスリリースにはありませんでしたが武蔵野線を走るE231系MU15編成にもHMが装着されており、撮影出来ました。

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2023年11月20日 (月)

山手線 E235系 トウ08編成に 「ハチ公生誕100周年」HM

100年に一度と言われる渋谷再開発事業の一環としてJR渋谷駅の山手線線路・ホーム嵩上げ工事を行っている関係で、11月18日は外回りの大崎~池袋間、19日は内回りの池袋~大崎間が終日運休となりました。

山手線の部分運休を伴うJR渋谷駅の大規模工事はこれで5回目で2018年5月には埼京線(山手貨物線)の線路を東側に移設し、ホームの設置場所の確保、2020年5月には同線のホームを山手線と同じ位置に移設、2021年10月には山手線内回りの線路を移設して、ホームを広げ、2023年1月には外回りの線路を移設し、内回り・外周りのホームを1つに統合しました。

E235-08-100-231028 2023/10/28 御徒町

E235-08-231112-2 2023/11/12 巣鴨

E235-08-231112 2023/11/12 大塚

そんな山手線には9月20日から忠犬ハチ公生誕100周年を記念したHMを付けた編成が走っています。ハチ公にちなんでトウ08編成にHMが装着されており、前後で違うものとなっています。

なお、東急東横線5050系にも同様のHMが付けられており、こちらは5158編成が、さらに京王井の頭線でも1779Fに装着されています。


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2023年11月17日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その40 2機目にして最後の-146B/SUDとなったJA8176

-300と同じボディながらエンジンはJT9D-7Aという組み合わせの-146B/SUDはJA8170cn23637 ln655で製造され、1986年8月29日に初飛行し、9月9日にJALが受領したJA8176しかありません。JALは国内線用のB747としてこれら以降もSR仕様の機体を受領していますが、-7Aエンジンの製造が終了したため、-346SRとなりました。



国内幹線用、さらに伊丹からグアム線などの運用に就き、2006年4月6日Orient Thai Airwaysに売却(レジはHS-UTM)されるまで活躍しましたが、JA8170のようなスペシャルマーキングにはなりませんでした。2012年8月に解体されました。

Ja8176-jal-b747146bsud-cn23637-ln655-970

1997/7/3 HND

Ja8176-jal-b747146bsud-cn23637-ln655-980

1998/3/15 HND

Ja8176-jal-b747146bsud-cn23637-ln655-010

2001/5/6 HND

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2023年11月16日 (木)

6月7日、羽田国際線ターミナル N411DX TeamUSAを無事撮影

5月17日の京浜島つばさ公園での撮影ではお目当てのデルタ航空N411DX TeamUSAの撮影に失敗しましたので、その後もInternetで同機のフライトを追いかけたところ、

5/17 HND~SEA DL166
5/17 SEA~ICN DL197 5/18 ICN~SEA DL196
5/19 SEA~HND DL167 5/20 HND~LAX DL008
5/20 LAX~CDG DL290 5/21 CDG~LAX DL291
5/21 LAX~LHR DL186 5/22 LHR~JFK DL004
5/22 JFK~TLV DL234 5/23 TLV~JFK DL235
5/24 JFK~AMS DL046 5/25 AMS~SLC DL046
5/25 SLC~CDG DL220 5/26 CDG~BOS DL225
5/26 BOS~ATH DL240 5/27 ATH~BOS DL241
5/27 BOS~CDG DL224 5/28 CDG~SLC DL221
5/28 SLC~AMS DL056 5/29 AMS~JFK DL049
5/29 JFK~LHR DL003 5/30 LHR~SLC DL051
5/30 SLC~LHR DL050 5/31 LHR~SLC DL050 キャンセル
6/1 SLC~LHR DL050 6/2 LHR~LAX DL187
6/3 LAX~HND DL007 6/4 HND~MSP DL120
6/4 MSP~CDG DL232 6/5 CDG~MSP DL233
6/6 MSP~HND DL121

とアジアは羽田とインチョンだけですが、アメリカ国内はシアトル、ロサンゼルス、ニューヨーク、ボストン、ソルトレイクシティ、ミネアポリス、そしてヨーロッパから中東までフライトしているのが確認されました。
6月6日にミネアポリスを出発したDL121便で羽田に飛来することが分かったので、空港に向かいました。

N411dx-230607-hnd

N411dx-230607-hnd2edit

N411dx-230607-hnd5edit

N411dx-230607-hnd192023/6/7 HND DL121便 N411DX Airbus A330-941 cn1991 TeamUSA cs 2021/5~ 2021/12/18 このカラースキームに

今回は北風対応の34降りで機長はRWY34Lをリクエストしたため、国際線ターミナルの前を通過しました。

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2023年11月15日 (水)

久々の京浜島で撮影したRWY22 着陸機 中国東方航空 チャイナテレコム特別塗装機

ここ数年、4月から6月にかけて空港詣をしていますが、今年は久しぶりに京浜島でRWY22に着陸する機体を撮影しました。

5月17日、水曜日この日はデルタ航空167便でオリンピックUSAチームカラーのN411DXがやってくることが分かっていたので、羽田空港に向かったのですが、国際線ターミナルについて見ると滑走路使用パターンがB滑走路22、D滑走路23降り、A,C滑走路16側からの離陸に変更になりました。

デルタ便は北米シアトル発なので着陸はRWY23(D)と思えば良かったのですが、もしかしたらパイロットがタクシング距離の短いRWY22降りをリクエストするかもかもしれないと思い、京浜島で撮影することにしました。これまで京浜島は何回か訪れたことがありましたが、いつもクルマでの訪問でしたので、バスで行くにはどうすればよいかをまず検索。

羽田空港からは京浜急行で平和島駅に、環状7号線沿いの停留所から出ている京浜島循環のバス(森24系統、森36系統)(検索はこのサイトが便利)で行けることがわかりました。

京浜島つばさ公園の様子、あるいは周辺の様子も以前と殆ど変わらずでした。

Ja873a-230517 2023/5/17 B滑走路脇に駐機していたJA873A B787-9 cn34530/ln345

只、以前と違っていたのはRWY22脇が駐機スペースとなっており、コロナ禍の頃にはかなりの数の機体が駐機していたのではと思われます。

RWY22とRWY23着陸が行われており、22に降りてきた機体の写真を紹介します。

B18359-230517B-18359 Airbus A330-302 cn1367 2012/12~

Ja834j-230517-2 JA834J B787-8 Dreamliner cn34841/ln98

B5969-china-telecom-cs-230517-3 B5969-china-telecom-cs-230517-6 B-5969 Airbus A330-343X cn1595 China Telecom cs 2015/1~

N407dx-dl007-230517-7 N407DX DL007 Airbus A330-941 cn1957 2020/9~

この時間帯に到着するロサンゼルスからのDL007便がRWY23ではなくRWY22に降りてきたのでDL167便もBに降りてくるかと期待したのですが、

N411dx-dl167-230517-2edit N411DX DL167  Airbus A330-941 cn1991 
こちらはDに降りてしまいました(残念!)。

230517 230517_20231114095301

2023/5/17 京浜島海上公演バス停時刻表

大森駅方面のバスは2系統あり、どちらも日中は本数が少ないので発車時刻を撮影しておきました。

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2023年11月14日 (火)

2023年 北九州旅行 その68  最後は新山口から山陽・東海道新幹線で

今回の九州北部旅行、最終日6月3日、土曜日は小倉駅で早朝の列車を撮影した後、鹿児島本線、山陽本線の各停で幡生まで移動、同駅で山陽本線最西端で活躍する115系、キハ47形等を撮影した後、さらに新山口まで移動、そこから山陽新幹線で東京方面に帰ることにしました。

折しも5月20日にグアムの南東で発生した台風2号が中心気圧を905hPaまで下げ、最大風速60m/sの猛烈な勢力となって、フィリピンの東に至り、北寄りに進路を変更し、宮古島のすぐ東を通過、6月1日から2日にかけ、黒潮の流れに沿うように日本列島の南側を通過し、6月3日15時に伊豆諸島付近で温帯低気圧に変わりました。この台風の接近の影響で6月2日午前中には中国・四国地方で、6月2日午後から3日午前中には東海地方で線状降水帯が発生し、大雨となり河川の増水、低い土地の浸水、土砂災害が起こりました。東海道新幹線も6月3日午前中は名古屋以東が運休となりました。

新山口から新幹線に乗車することにしたのは幡生駅での写真撮影を考慮したのと、山陽本線西部の風景を楽しみたかったのと、さらに自由席にしたのは時間によって列車を変更できる自由度を確保したかったからでした。

Dsc04074
2023/6/3 新山口駅 列車案内版
午前11時ごろ、この時点では名古屋以東が大雨の影響で不通になっていたため、本来東京駅まで行くはずの「のぞみ22号」は新大阪止まりとなっています。

後から思えば、あの時何で早く家に帰りたかったのだろうか、当初の予定通り、1時間後に出る「のぞみ26号」に乗車していれば東京まで座って行けたのにと感じましたが、11:11発の”新大阪止まり”の「のぞみ22号」に乗車してしまいました。乗ったときはもしかしたら途中で、行き先が東京に変更になるのではという淡い期待もありました。

500-w4-230603-2 500-w4-230603-4 2023/6/3 新山口 500系 W4編成

新山口駅では久しぶりに山陽区間で活躍する500系新幹線W4編成の姿を見ることができました。

淡い期待も空しく「のぞみ22号」は新大阪で運転打ち切りとなり、車内アナウンスでは「同じ名前の列車が別のホームから出発するので新大阪以東に向かわれる方はそちらに乗り換えてほしい」とのこと、混雑する中をかき分けて別のホームから出発する「のぞみ22号」に乗ろうとしましたが自由席車両はデッキまで人が立っている状態。その後は1時間あとに新大阪に到着した「のぞみ26号」に何とか乗車しましたが、こちらもどの車両も溢れんばかりで、新横浜まで立ちんぼ状態、名古屋駅、東京駅での列車渋滞による遅延で特急料金は払い戻しとなりましたが、最後はトンだ結末となりました。

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2023年11月13日 (月)

2023年 北九州旅行 その67  博多まで延伸された福岡市地下鉄七隈線

2005年2月3日に福岡市西区の橋本駅~天神南駅間が開業した七隈線が2023年3月27日、博多駅まで延伸開業しました。

230601_20231112075702

2023/6/1 JR博多駅構内の地下鉄七隈線博多駅の方向を示す案内


230601_20231112075701

七隈線延伸開業を表示する電照式ポスター

同地下鉄は2018年1月4日記事でレポートしているように鉄輪式リニアモーターモーターミニ地下鉄です。軌間は1435mmの標準軌となっています。全線複線電化(DC1500V)で営業キロは13.6kmとなり、駅数は18となりました。車両は2005年の開業時から導入された3000系(4両編成17本)と博多開業に向け製造された3000A系(4両編成4本)が活躍中です。3000A系は3000系をベースに両先頭車の座席を7人掛けから5人掛けとし、出入口付近のスペースを広げ、乗降をスムーズにし、シートの座面を60mm上げ、吊り手の増設、形状変更などをした系列です。

230601_20231112075901 福岡市の地下鉄路線、時刻表

230601_20231112080001 駅事務室

230601_20231112080002 改札口

天神南から博多までの延伸は2014年2月に起工されましたが、なんといっても記憶に残っているのが同年10月27日に博多警察署入口交差点付近で発生した道路陥没事故でした。原因は岩盤層を掘り進めていたトンネル上部の地盤が割れ、地面と岩盤層の間にあった地下水や土砂が坑内に流れ込み、上部地盤が崩壊したことによると結論付けられました。

同日午前4時25分頃、トンネル工事に携わっていた作業員が「肌落ち」と言われる地盤崩落の兆候を察知、坑内で異常出水も起こり、全作業員の待避、警察への通報、周囲の道路の封鎖等を迅速に行ったため、崩落に通行人や車が巻き込まれることなく、死傷者が出ることはありませんでした。封鎖完了後の午前5時15分頃には地上道路に亀裂が発生し、5時20分頃、道路北側、30分頃には南側に大きな穴が開きました。その後両方の穴が拡大し、縦横約30m、深さ15mの巨大な穴となり、道路直下に埋設されていた水道・ガス・上下水・電気・通信の各管が大きく損傷し、現場を中心にライフラインの遮断が相次ぎました。

将来的には博多駅から福岡空港国際線ターミナルまでの延伸なども考慮されているそうです。

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2023年11月10日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その39 5機目の-346として北米、欧州線に投入された JA8173

cn23482 ln640として製造、1986年4月6日にN6009Fのレジで初飛行、同月15日にJAL5機目の-346として引き渡されたのがJA8173でした。同じ-346でもNレジで導入されたN212JL, N213JLは機材としての路線就航制限、さらにFAAの資格を持った乗員しか乗務できないといった制約がありましたが、JAナンバー機であるJA8163, JA8166, JA8173は-446就航まではJALの殆どの長距離路線での運航が可能でした。

Ja8173-jal-b747346-cn23482-ln-640-9511231995/11/23 NRT

Ja8173-jal-b747346-cn23482-ln-640-980214 1998/2/14 NRT

Ja8173-b747346-020205-bkk2002/2/5 BKK

私自身、2001年以降、デジカメでの撮影になってからは専ら鉄道写真を撮っており、空港通いの回数も激減したため、JJ塗装の機体はあまり撮影していませんが、JA8173はJJ塗装になることなく2007年2月5日には保管状態となり、同年8月17日ロシアのTransaero Airlinesに売却となり、最初はN740UNのレジ、同年8月26日にはVP-BGUにリレジされ、2013年6月に保管状態となるまで活躍しました。

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2023年11月 9日 (木)

2023年 北九州旅行 その66  門司から博多へ 鹿児島本線駅巡り その4 千早駅

鹿児島本線の駅巡り、今回は千早駅です。

230601_20231108075301
2023/6/1 駅名標

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2023/6/1 同一レベルの高架を行く西鉄貝塚線

西日本鉄道西鉄貝塚線の西鉄千早駅とJR九州の千早駅と駅舎がほぼ一体となっているのが特徴で、前者は1951年6月15日に名香野(なかの)駅として開業、2004年8月2日に高架化で移転し、現在の駅名に、後者は2003年7月7日に国鉄香椎操車場跡地の再開発の一環として開業しました。駅周辺は福岡市の東の副都心と位置付けられており、大型マンションの建設ラッシュの最中にあります。

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2005/12/9 811系 P9編成

230601_202311080758012023/6/1 操車場分岐信号機

Eh50065-1065-230601 2023/6/1 1085レ

100319Ef81-451-100319-2-2 2010/3/19 福岡ターミナルからのコンテナ貨物列車の到着・入換

昨日の記事にあるように千早駅は鹿児島本線と博多臨港線の分岐駅で4081レ、4083レ、4091レ、4095レ、4097レなどの福岡ターミナルから鹿児島本線博多駅方面、あるいは4094レのように博多駅方面から福岡ターミナルに向かう貨物列車のスイッチバックの際の機関車の付け替えの風景が間近で見ることのできる駅でもあります。

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2023年11月 8日 (水)

2023年 北九州旅行 その65  門司から博多へ 鹿児島本線駅巡り その3 香椎駅

鹿児島本線の駅巡りシリーズ、今回は香椎駅です。

230601_20231107073201 2023/6/1 駅名標

230601-2 1,2番のりばの間にある上り線専用の通過線の信号機

遠賀川駅同様に上下線ホームの間に通過線、待避線があるために列車の編成全体を写しこむことができるため、福岡県に旅行する際はほぼ毎回立ち寄っている駅です。

230601_20231107083801 2023/6/1 鹿児島本線門司港、香椎線西戸崎方面 両線は並行して行き、鹿児島本線九産大∼福工大前間で香椎線は鹿児島本線をオーバークロスして海の中道、西戸崎方面に向かいます

鹿児島本線のみならず、香椎線が乗り入れていることは有名ですが、もうひとつ、JR貨物の第一種鉄道事業区間となっている鹿児島本線貨物支線(博多臨港線)の起点駅ともなっています(あくまでも登記上の話で実際に分岐するのは千早操車場ですが)。駅番号では鹿児島本線がJA04,香椎線がJD06となっています

相対式ホーム1面1千、島式ホーム2面4線の計3面5線ホームの地上駅です。

九州鉄道(初代)が博多駅~赤間駅間を開通させた1890年9月28日に開業しました。香椎線は1904年1月1日に博多湾鉄道として開業、1920年に博多湾鉄道汽船に改称、1942年9月22日に博多湾鉄道汽船が5社合併して西日本鉄道を設立、1944年5月1日、西日本鉄道の西戸崎駅~宇美駅間が戦時買収により国有化、運輸通信省が継承しました。

100830051210

駅名は開業時の地名、糟屋郡香椎村に由来しますが、神功皇后の伝承と縁の深い香椎宮が存在するように、かしい(かしひ)の地名は古事記、日本書紀、筑前国風土記に出てきます。

811-p2003-230601_20231107084401 2023/6/1 811系P2003 リニューアル編成

813-r001-230601 2023/6/1 813系 R001編成

47-79-100830-3 2010/8/30 キハ47 79 AQUA LINER他

819-z5311-230601-2_20231107084601 2023/6/1 BEC819系 Z5311編成

Ef81-303-100319_20231107084701 2010/3/19 EF81 303

Ef81-451-051210 2005/12/10 EF81 451他

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2023/6/1 ホームにあるICカード SUGOCAのチャージ機

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2023年11月 7日 (火)

2023年 北九州旅行 その64  門司から博多へ 鹿児島本線駅巡り その2 遠賀川駅

鹿児島本線の駅シリーズ、今回は遠賀川駅です。西小倉駅から西へスペースワールド、八幡、黒崎、折尾など、これまでに降りた駅は数駅あるのですが、今回の旅では降りてませんので、遠賀川に飛びます。

230601_20231106072201 2023/6/1 駅名標

遠賀はかつては「おか」と読んだそうで、日本書紀や万葉集にも記述がみられるそうです。1890年11月15日、九州鉄道が博多駅方面から延伸してきた路線の赤間駅~当駅間が開業した際に開設されました。開業時は遠賀郡島門村と浅木村の境目に駅が設けられたそうですが、1908年7月1日の遠賀川河川改修で現在地に移転しました。このときに鞍手郡鞍手町の室木駅までの11.2kmを結んだ室木線が開業しました。敷設の目的は沿線の炭鉱から算出する石炭の運炭でした。1978年7月25日には古月~室木間の貨物営業が廃止され、1981年9月18日には第1次特定地方交通線として廃止が承認され、1984年2月1日、遠賀川~古月間の貨物営業も廃止となり、1985年4月1日、全線廃止となり、西日本鉄道のバスによる輸送に転換となりました。

室木線は山陽新幹線の建設現場に近かったことから、以前石炭の積み込みに使われていた室木駅構内の空き地等が軌道工事区として利用されることとなり、室木駅から室木トンネルの工事現場まで専用線が敷設され、新日本製鉄八幡製鐵所で製造された25mレールが軌道工事区で溶接され100m-150mのレールとなり、枕木を取付け、専用線を使って現場に輸送され、さらに溶接し,1km以上のロングレールとなって敷設されてゆきました。

1915年4月13日にはやはり石炭輸送を目的に当駅から西芦屋駅までの6.0kmを結んだ芦屋鉄道が開業しました。同鉄道は軌間762mmの軽便鉄道でした。しかし経営が苦しく1932年4月25日には廃止となりました。第二次世界大戦終了後、芦屋町に建設されていた日本陸軍芦屋飛行場を進駐軍が接収し、米軍芦屋基地とし、資材・物資輸送のため、旧芦屋鉄道の路盤等を利用して建設されたのが芦屋線で当初は進駐軍専用側線として1947年3月2日に開業、1950年から大蔵省所有路線(建設費用が大蔵省の終戦処理費から捻出されたため)となり、同年2月10日から一般旅客営業も開始されました。しかし朝鮮戦争の勃発等もあり、芦屋基地が輸送基地となり、物資の輸送量が増加し、貨物主体の路線であり、正式な国鉄路線ともなかなか認知されず、全国版の時刻表にも掲載されなかったようです。1961年6月1日、米軍芦屋基地の返還と共に廃止されました。

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100829

2010/8/29 レールセンターのチキ5500形と牽引用機械

山陽新幹線建設工事の際の経験からか、遠賀川駅の5番のりばの南側にはJR九州の子会社である「九鉄工業」が運営する「遠賀川レール技術センター」がありました。同センターでは黒崎駅から送られてくるレールをロングレールに加工する工事などが行われていました。2010年頃、同センターは廃止となり、跡地にはJR九州と九鉄工業による合同の研修施設「遠賀川施設実習センター」が設置され、中堅社員やグループ企業の土木・施設関係職員の検査・作業技術の向上を目的に、各種の実習が行われ、施設関係の事故の展示なども行われています。

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2018/1/18 火事で焼失した駅舎に代わって設置された仮駅舎

2017年8月30日、午前8時ごろ、駅構内のたい焼き店付近から出火し、駅舎が全焼したのも記憶に新しいことでした。

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2023/6/1 885系 SM-2編成

883-ao18-100829 2010/8/29 883系 AO-18編成

787-bm10-171014 2017/10/14 787系 BM-10編成

Ed76-83-1091-230601-2_20231106092201

2023/6/1 ED76 83 1091レ

Ef81-301-1008292010/8/29 EF81 301

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2017/10/14 EH500-46

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2023年11月 6日 (月)

2023年 北九州旅行 その63  門司から博多へ 鹿児島本線駅巡り その1 西小倉駅

5月末から6月頭にかけての九州北部旅行では鹿児島本線の各停に乗車し、門司から博多まで往復しましたが、いくつかの駅では列車から降りて、撮影をしました。まず最初は西小倉駅です。

230601_20231105082801 2023/6/1 駅名標

10月4日の小倉駅に関する記事にもありますが、1891年4月1日に九州鉄道(初代)が黒崎駅から門司駅間を延伸開業した際、開業した小倉駅は現在の西小倉駅付近に開業しました。その後、1915年4月4日に小倉駅は東に移転しました。さらに1958年3月1日、さらに700m東に移転し、現在の地に小倉民衆駅が開業となりました。1974年12月14日、当時の国鉄がこの地に西小倉駅を開設しました。但し、日豊本線所属の駅としての開業であったため、鹿児島本線のホームはありませんでした。1987年4月1日、国鉄が分割民営化され、JR九州が発足、同じ年の10月1日、鹿児島本線にもホームが設置されました。1988年7月1日にはみどりの窓口が設置され、2003年3月29日には橋上駅舎が新築され、7月7日には日豊本線、鹿児島本線の快速が停車するようになりました。

構造は単式ホーム1面1千、島式ホーム2面4線の計3面5線ホームを有する地上駅です。
1番のりば   日豊本線、日田彦山線 下り
2・3番のりば  日豊本線、日田彦山線 上り (3番線:小倉総合車両センター出入場線が接続)
4番のりば        鹿児島本線 下り
5番のりば   鹿児島本線 上り

051209-edit

2005/12/9 西小倉駅5番のりばホーム端から小倉駅方向

0812082edit

2008/12/8 西小倉駅 4番のりばホーム端から小倉駅方向

小倉駅~西小倉駅間の配線で興味深いのは2000年代初頭、貨物線が部分的に一時的に単線になっていた ことです(こちらのサイトの配線図も大変参考になります)。

Eh50047-3051-230601_20231105092301 2023/6/1 西小倉駅 4番のりばホームから小倉駅方向

現在は貨物線も複線化されています。

230601_20231105092401 2023/6/1 日豊本線側 こちらは基本的に変わりません。

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2023年11月 3日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その38 -246Fとしては初のJT9D-7R4G2 装備となった JA8171

現役のときには全く気がつかなかったのですが、cn23391/ln654として製造、1986年8月19日に初飛行、8月25日JA8171としてJALに納入された-246F 貨物機は同社としては8機目の貨物型になりましたが、エンジンはJA8161, JA8162, JA8169などの-246B、そして-346と同じP&W JT9D-7R4G2となりました。燃費性能の向上で航続距離が伸びたことだけではなく、貨物型として最大離陸重量が増えたため、JT9D-7Q搭載機に較べ6tの貨物積載量が増えました。

Ja8171-b747246f-cn23391-ln-654-950807-nr 1995/8/7 NRT   尾翼にレジが描かれていた頃のJA Cargo塗装

Ja8171-b747246f-cn23391-ln-654-980214-nr 1998/2/14 NRT Super Logistics 塗装のJA Cargo

Ja8171-b747246f-cn23391-ln-654-980913-nr 1998/9/13 NRT

Ja8171-b747246f-cn23391-ln-654-020414-nr  2002/4/14 NRT JA Cargo から JAL Cargoに

2008年にJAL機としての運用を終え、2009年12月31日Kalitta Airに売却、レジはN704CKとなり、2015年11月に保管状態になるまで活躍しました。

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2023年11月 2日 (木)

2023年 北九州旅行 その62  小倉城見学の後は来た道を戻り、魚町銀天街や旦過市場をブラブラ

小倉城を見学した後は北九州市役所の横を通り抜け、紫川の縁に出ました。ちょうどお昼時でここら辺一帯は紫川テラスと呼ばれ市役所に務る方々や周辺のオフィスなどで働く人々がランチタイムを楽しんでおられました。

230602_20231101063101 2023/6/2 紫川 左手奥の方が小倉駅方向、右端に神嶽川の合流点が辛うじて写っています

230602_20231101063201
しばらく東方向に歩くと、紫川に合流する神嶽川が流れており、この川を渡ると、小倉駅方向の北側が魚町銀天が南側が旦過市場になります。

230602_20231101063501
魚町銀天街は1951年、我が国で初めて公道上にかかるアーケード商店街として整備された場所で「銀天街」という名称は6000通の公募から「銀の天井に輝く街」という意味で命名されており、全国各地に「銀天街」の名称は広まったそうです。

地方都市などでは大型スーパーの進出やネット通販の発達で商店街の「シャッター商店街化」が叫ばれて久しいですが、この商店街は数々の活性化計画などで活気を保っているようです。

魚町銀天街の南の端は旦過市場に接続しています。そもそも「旦過」とは修行僧の雲水が宿泊する場所のことで、小倉城の城主を務めた小笠原家ゆかりの宋玄寺や開善寺があり、城下町の南玄関の香春口との間に橋がかけられていたこと由来するそうです。

230602_20231101063701 神嶽川と旦過市場の裏側

ここに市場が出来たのは神嶽川から海産物を荷揚げする場所として開け、さらに後年、田川、中津方面からの野菜の集積地となったことがきっかけとのことです。

230602_20231101064001
230602-2_20231101064101 旦過市場内部

これまで旦過市場は2009年7月の中国・九州北部豪雨による浸水被害、さらに2010年7月にも同様の浸水被害を受けたほか、1999年9月、2022年4月、8月に大規模な火災による焼失被害が発生しており、建物もかなり老朽化しているため、訪問時はまさに再整備のさなかといった感じでした。
230602-3edit 230602-4edit 230602-6edit 旦過市場リボーンプロジェクト紹介のポスターから

短い時間でしたが、小倉の街、松本清張記念館、小倉城、魚町銀天街、旦過市場と回りましたが、非常に魅力的な場所ばかりでした。

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2023年11月 1日 (水)

2023年 北九州旅行 その61  松本清張記念館のあとは小倉城に

これまで何度か小倉には来ていましたが、街をブラブラ歩くことはあっても小倉城や松本清張記念館は訪れたことがありませんでした。いつ頃から始まったのかはっきり記憶はありませんが、最近は訪れた先で城巡りをするのもプログラムに組み込まれており、小倉では小倉城を見学することにしました。

230602-edit

230602_20231031094001

2023/6/2 紫川と小倉城、奇妙な形の建物はリバーウォーク北九州

昨日の記事の地図にあるように小倉城は小倉駅の南西にあります。城の歴史は1264年から1274年の文永年間、緒方大膳が居城したことに始まるようです。その後、1569年(永禄12年)、毛利氏が築城し、高橋鑑種や毛利勝信が居城、1602年、関ヶ原の合戦の論功で細川忠興が豊前国1国と、豊後国速見郡、国東郡合せて39万9千石で入封となり、7年かけ唐造の天守閣を築城、城下町が整備されました。1632年、細川家が肥後国に移封となり、小笠原忠真が領主となり、幕末まで居城しました。1837年、本丸御殿、天守が火事で焼失、以後天守は再建されず、第二次長州征伐では長州藩の攻勢の前に、小倉藩は火を放って小倉城を焼却、熊本に退避し、1867年の和平後も領地は長州藩預かりとなりました。

230602-12 12-230602 2023/6/2 旧陸軍第12師団司令部 鉄門の跡

230602-12_20231031090801 大砲

明治以降は1875年に陸軍の歩兵第14連隊と同隊を管轄する歩兵第12旅団本部が松の丸跡に置かれ、1898年には陸軍第12旅団司令部庁舎が本丸跡に建てられました。1925年に、同庁舎は久留米に移転しましたが、太平洋戦争終戦まで小倉城跡は原爆投下のターゲットとなった軍都小倉の中枢でした。また陸軍の中央機関であった陸軍造兵廠が直轄する6機関のひとつであった小倉兵器製造所が1916年に開設され、1923年の関東大震災で被災した東京砲兵工廠の集約移転先として小倉工廠が1933年に完成、後に小倉造兵廠として小型戦車、小銃、機関銃、後者機関砲、砲弾、風船爆弾、化学兵器などが製造されました。このため、1945年8月9日のアメリカ軍の原爆投下では、小倉陸軍造兵廠が第一投下目標とされましたが、悪天候で爆撃航程に失敗したため、第二投下目標であった長崎市に投下されました。

230602_20231031090901
1959年、鉄筋コンクリート構造の天守閣が復元され、内部は郷土資料館として利用されることになりました。

城郭は本丸を中心に、南に松丸、来たに北の丸、それらを囲むように二の丸、三の丸、外郭が配された梯郭式平城で城の東側を流れる紫川を天然の堀として利用していました。創建時の天守は4重5階の大天守と1重の小天守からなる連結式層塔型天守でした。規模的にも熊本城(143坪)、姫路城(140坪)、豊臣大坂城(132坪)を凌ぐ209.25坪と壮大なものでした。

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焼失する前の天守の模型 他の城の天守に見られる破風と呼ばれる飾り屋根が無いのが特徴でした。1959年の再建時、破風が無いとサマにならないという意見が地元商工会から出され、大入母屋破風や千鳥破風・唐破風などの破風が追加され、史実とは異なる外観となりました。

230602_20231031094501 小倉城天守再建50周年を記念して誕生した公式マスコットキャラクター「とらっちゃ」(情報

230602-4_20231031094801 天守 東側から

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古くから小倉ぎおんさんと呼ばれる八坂神社

870年(貞観12年)4月に疫病が蔓延した際に企救郡の総鎮守として創建され、細川忠興が京都出身であったため京都の祇園祭を取り入れ小倉祇園社として小倉藩の総鎮守に

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