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2023年12月29日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その46 JT9D-7R4G2を搭載した国内線用 -346SR JA8184

今回の記事が今年最後の記事となりますが、12月22日JA8183に続き、cn23968/ln693として製造され、1987年12月22日N6065Xのテストレジにて初飛行、2機目の-346SRとして1988年1月28日にJALに引き渡されたJA8184です。

Ja8184-jal-b747346sr-cn23968-ln693-88082 1988/8/24 HND 旧国内線ターミナル

Ja8184-jal-b747346sr-cn23968-ln693-88091 1988/9/18 HND 旧国内線ターミナル

Ja8184-jal-b747346sr-cn23968-ln693-96081 1996/8/16 京浜島

Ja8184-jal-b747346sr-cn23968-ln693-99080 1999/8/2 HND 夏の繁忙期、インターモードに改修後も国内線運用に投入

Ja8184-jal-b747346sr-cn23968-ln693-00020 2000/2/2 NRT

Ja8184-jal-b747346sr-cn23968-ln693-00081
2000/8/12 NRT

国内線時代は563席仕様で-146B/SUDなどど共に国内幹線に投入され、1999年春にWichita工場にて国際線仕様に改造され、その後、リゾッチャ塗装になり、ホノルル、オーストラリア線に投入されました。

2008年10月、保管状態となり、同年11月12日にナイジェリアのMax Airに売却、レジは5N-DBMとなり、2011年11月には保管状態となっています。

今年1年、お付き合いいただきありがとうございました。皆様が良いお年を迎えられることを祈っています。
年明けは1月4日から始めようと思っています。

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2023年12月28日 (木)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その10 車両編 part1 開業から、2000年代初頭にかけ活躍したTH1形式他

1987年3月に国鉄二俣線が第三セクターに転換された際に準備されたのが富士重工業製のLE-Carシリーズのレールバスタイプの気動車、TH1でした。開業時に13両、翌年に2両が追加されました。

主要諸元
車両定員 100名 (座席46名)
自重 23.5 t
全長 15,500mm
車体長 15,000mm
全幅 3,040mm
車体幅 2,700mm
全高 3,550mm
床面高さ 1,300 mm
車体 普通鋼
台車 枕ばね:上枕空気ばね 軸箱支持:軸ばね式 FU34D/T
車輪径 762 mm
固定軸距 1,800 mm
台車中心間距離 10,000 mm
機関 日産ディーゼル製PE6HT03ディーゼルエンジン
機関出力 169 kW (230 PS) / 1,900 rpm
変速機 新潟コンバーター液体式(TACN-22-1103)
歯車比 3.22
制動装置 機関、排気ブレーキ併用SME

車体長15m、全幅2440mm、前面貫通式、両運転台、乗務員扉は乗務員室のある左側だけに設けられ、客用扉は折戸式で片側2か所、両車端に設けられました。扉間には中央部に下半分が引き違い式、上半分が平面窓固定式の幅1,600 mmの窓5組と運転台がない側の扉寄りに幅820 mmm反対側に幅1,320 mmの固定式窓各1組が設けられ、トイレはありませんでした。


暖房装置はエンジン排熱を利用した温風式、冷房装置はバス用のものを流用した能力25.6 kW(22,000 kcal/h)のICPU-023が設置されました。

外部塗装は一般公募により白をベースとし、ブルー、グリーン、オレンジの配色で構成され、白は天竜川の白波、ブルーは浜名湖の湖面、グリーンは茶、オレンジはみかんを表しており、現役のTH2100形にも受け継がれています。

1989年、車内形態の差異で形式が4つに分けられ、
TH1形:セミクロスシートで車体中央部に4人掛けボックスシート4組
TH2形:TH1形と同じ座席配置で、ボックスシートを着脱式としたもの
TH3形:ボックスシートを6組としたもの
TH4形:お座敷車としても使用できるロングシートタイプ となりました。

Th1th4

形式を分ける際にTH1~4を反映させる形で百の位を1~4に合わせました。TH101~106 は開業前の1986年11月に引き渡され、試運転に使用されました。1988年、原谷駅と遠江一宮駅に交換設備が完成したのを受け、2両(TH414, TH115)が追加されました。

2000年3月にはTH211が牽引するトロッコ列車が導入され、TH211の塗装変更、砂撒き装置の追加といった改造が施されました。2001年からTH2000形、TH2100形が導入され、2005年までに全車廃車となり、形式消滅しました。TH106,TH211はミャンマーに輸出され、ミャンマー国鉄RBE2525(TH106)、RBR2526(TH211)となりました。

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2023年12月27日 (水)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その9 新所原駅

天竜浜名湖線で掛川駅から39駅目、距離にして67.7㎞のところにあるのが同線の終点駅であり、JR東海にとってみると静岡県最東端、熱海駅から177.8kmになる、同県最西端の駅です。県境はホーム西端の豊橋側を通っています。


JR東海にとってみれば、東方は静岡支社、西方は東海鉄道事業本部直轄の管轄になっています。国鉄時代は二俣線の列車が同駅を越えて豊橋まで直通運転を行っていました。

1985年4月の時刻表では
Photo_20231226193701


豊橋から二俣線方面 5本、二俣線から豊橋方面 4本の列車が設定されていました。

18888年9月1日、官設鉄道の浜松駅~大府駅間が開業したときは浜松駅・馬郡駅(現在の舞阪駅)・鷲津駅・豊橋駅・御油駅(現在の愛知御津駅)・蒲郡駅・岡崎駅・刈谷駅が開業しましたが、新所原駅は跡形もなく、1936年2月13日、鷲津駅~二川駅(1896年4月7日に開業)間に新所原信号所が開設され、同年12月1日、二俣西線の新所原駅~三ケ日駅間の開業で駅に昇格、一般駅として開業となりました。ですからこの駅は二俣線の開通がきっかけで造られた駅であることが分かります。

Th2112-220827
2022/8/27 天竜浜名湖鉄道 新所原駅に停車中のTH2112
同線の駅は1面1線です。

Th2110-220827 手前の線路の奥は引き上げ線となっており、TH2110が休んでいました。分岐した線路はJR東海の線路に繋がっています。

Dsc01533_20231226200201
以前は3面5線でしたが、天浜線の経営移植で天浜線駅舎は分離新設され、JR東海のホームは単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の2面3線となり、2016年11月27日、橋上駅舎と南北自由通路が供用開始されました。

Dsc01535 改札口


東海交通事業者社員が業務を担当する業務委託駅で管理は鷲津駅が行っています。

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2023年12月26日 (火)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その8 天竜二俣駅から新所原駅まで

天竜二俣駅での休憩時間に昼食として「まいたけ弁当」を購入しました、ちなみに静岡県は新潟県に次いで全国2位のシェアを誇る舞茸の産地です。

天竜二俣駅を12:48に発車する327レで新所原方面に向かいました。

Th2112-etc-220829 Th2112-220829 Th2112-220829-4 Th2112-220829-6
同列車はTH2112の単行で機関区から出区し、2度スイッチバックしてホームに入線しました。

220827_20231212102801
天浜線、後半の旅はまず、二俣本町を出ると線路は真南に進路を変え、天竜川を越えます。そして次の駅が西鹿島で遠州鉄道の接続駅となります。1958年11月1日から1966年10月1日までは遠州鉄道の気動車が二俣線、遠江森駅まで乗り入れていたこともありました。

Dsc01515
西鹿島 車窓から見える遠州鉄道の車両

列車交換ができる駅として、天竜二俣を発車して、宮口駅に次いで2番目の金指駅で掛川方面行きの列車との交換がありました。

Th2109-220829-2 Dsc01519 2022/8/29 金指駅での列車交換 この駅の駅名標も以前見たスタイルです。

Dsc01520

Dsc01522

上の路線図でも分かりますが、浜名湖佐久米駅付近からは浜名湖が接近してきます。

Dsc01525

三ケ日駅は西気賀駅に次いで列車交換が可能な駅ですが、古くは1958年、三ヶ日町の石灰石採石場で見つかった化石人骨の「三ケ日原人、三ヶ日人」で有名で発見当初は約2万年前の更新世新人(旧石器時代)と確認され、「三ケ日原人」かと言われましたが、2000年の人骨放射性炭素年代測定などから9500~7500年前の縄文時代のものと判明し、「三ケ日人」になりました。

また三ケ日の地名はみかんなどでも有名でみかんの里として日本一の柑橘選果場の町として有名です。

Dsc01526 同駅では列車交換もありました。

Dsc01528 天竜二俣駅から約1時間20分で終点の新所原駅に到着しました。

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2023年12月25日 (月)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その7 天竜二俣駅で 一休み part4 駅横に静置されているキハ20

天浜線の線路に沿う形でナハネ20と並んで停まっているのがキハ20 443です。

20-443-220829-4 2022/8/29 天竜二俣

キハ20系気動車は両運転台暖地向けキハ20形(キハ49000形の予定で)、片運転台暖地向けキハ25形(キハ49500形、同)、両運転台寒地向けキハ21形(キハ49200形、同)、両運転台酷寒地向けキハ22形、片運転台寒地、酷寒地向け郵便荷物二等合造車キハユニ25形、片運転台寒地、暖地向け郵便荷物二等合造車キハユニ26形、両運転台勾配線区向け2個エンジン車キハ52形、両運転台寒地向けキユニ21形(キハ21から改造)の8形式の総称でキハ20形はバス窓の基本番台が1957年から103両(1~103)、二段上昇窓の200番台が1958年から284両(201-484)、車内灯を白熱灯から蛍光灯にした車両500番台が1964年から22両(501~522)製造されました。

20-443-220829-2

この車両は1962年1月19日、日本車輛にて竣工、新製配置は遠江二俣機関区で1987年2月3日に廃車になるまで25年1か月弱の全生涯、二俣線で活躍しました。1986年夏には「さよならキハ20 443」の運転が行われたそうです。

20-443-220829
現在留置されている線路はかつては遠江二駅の貨物側線で本線とも繋がっており、天浜線が開業した1987年3月15日にはキハ20 443をはじめ、DD13、トム、ワフ、キロ80なども停まっていましたが、今残るのはナハネ20とキハ20の2両と国鉄コンテナだけになりました。

国鉄車両配置表の遠江二俣機関区の気動車配置データを見てみると
1975年、1976年、1977年3月31日現在 
キハ10 22 31 32 33 34 70
キハ11 3 48 58 59 60
キハ17  22 62 237
キハ20 94 95 103 228 263 418 443 と動きがみられません。

20-443-220829-10

キハ20のエンジン、当初はキハ10系と同様にDMH17B形ディーゼルエンジン(160 PS)を搭載していましたが、燃料噴射ノズルなどの改良でキハ10系より10psアップの170ps仕様とし、さらに後年その大半が180psのDMH17Cになりました。

20-443-220829-8

キハ20の台車、登場当初はキハ10系と同様の防振ゴムブロックを枕バネに使用するウィングバネ式DT19C・TR49Aを履いていましたが、この車両は複列コイルばねを枕ばねに使用した揺れ枕吊り台車とし揺動特性を改善したDT22A・TR51Aに変更され、乗り心地が改善しました。

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2023年12月22日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その45 JT9D-7R4G2を搭載した国内線用 -346SR JA8183

cn23967/ln692として製造され、1987年11月24日N6005Cのテストレジで初飛行した機体は同年12月10日JA8183として国内線用SRシリーズとして登録されました。ただ、エンジンはP&WがJT9D-7Aの製造を終了していたため、JT9D-7R4G2となり、JA8170JA8176の時とは違い、型式は-146B/SUDではなく-346SRとなりました。座席に関してはJA8170やJA8176と同じJ25Y538のコンフィグでした。

Ja8183-b747346sr-cn23967-ln692-960504-hn 1996/5/4 HND

Ja8183-b747346sr-cn23967-ln692-9601013-h 1996/10/13 HND 予約電話番号入り


国内線用に-446Dが導入され始めるとBoeing Wichita工場で国際線用機材への改修が施工されました。

Ja8183-b747346sr-cn23967-ln692-990507-nr 1999/5/7 NRT ノーマル塗装で国際線に就航

Ja8183-b747346sr-cn23967-ln692-020623-nr 2001/9/24 NRT リゾッチャ塗装に

2009年7月には保管状態となり、2009年8月20日、ナイジェリアのMax Airに売却となり、レジは5N-DDKとなりました。2020年9月に解体されました。

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2023年12月21日 (木)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その6 天竜二俣駅で 一休み part3 駅横に静置されているナハネ20

天竜二俣駅に列車が到着するとホームの先、二俣本町方の線路際に停めてある車両群が目につきます。ひとつは屋根の形から20系寝台客車、もうひとつはタラコ色のキハ20のようです。さらにその先には昔懐かしい薄い黄緑色の国鉄コンテナもあります。

20-34720-443-220829 20-34720-443-220829-2 2022/8/29 天竜二俣

ナハネ20の車体番号は347で、1970年9月7日、日本車輛製造で竣工、新製配置は下関、最終配置は尾久です。
この車両は1970年10月改正で急行「安芸」(東京~広島:呉線経由)の「あさかぜ3-1号」に格上げ用に新製された車両群(20系として最後に新製されたグループ)

ナロネ21 142-147
ナハネ20 344-364
ナハネフ22 24-26
ナハネフ23 18-20
ナシ20 25-27
カニ21 25-27 

の1両で同年7月に「あけぼの」用に新製された新製車から施工された電源装置自動化に伴う設計変更の他、1970年12月1日より開始された新しい車両の検査方式やメンテナンスフリーを目的とした内容が加味された一群となりました。

1977年度までは下関に配置され、「あさかぜ」「瀬戸」などで活躍、1978年度から1987年2月10日に廃車になるまでは尾久に配置され「あけぼの」で活躍しました。

20-347-220829 20-347-220829-3  20-347-220829-4
20-347-220829-2
鐡道公園の計画があり、これらの車両が当初、保存された様ですが計画が頓挫し、車両はその後、かなり荒廃の度が進んだそうですが、2006年からNPO法人「天竜レトロ・トレインクラブ」が保存ならびに修復を行っているそうです。

20-347-220829_20231220112401 この説明文のうち、347という番号は347番目に製造されたのではなくナハネ20の場合

昭和33年度本年度予算 日車:1-7 日立:51-56
昭和33年度債務負担 日車:8-14 日立:57-63
昭和34年度第二次債務負担 日車:15-22 日立:64-75
昭和37年度民有 日車:23-31 日立:76-84
昭和38年度民有 日立:85-91
昭和38年度第3次債務負担 日車:32-49 101・102
昭和39年度第1次民有 日車:103-118
昭和39年度第3次債務負担 日車:119-149、201-215
昭和42年度第2次債務負担 日車:216-235
昭和42年度第3次債務負担 日車:236-249,301-314
昭和43年度第5次債務負担 日車:315-324
昭和44年度第3次債務負担 日車:325-343
昭和44年度第4次債務負担 日車:344-364

と全部で252両(日車:211両、日立:41両)製造されており、番号的に飛び番があるので347番目の製造というわけではありません。

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2023年12月20日 (水)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その5 天竜二俣駅で 一休み part2 駅前の機関車公園に保存されているC58 389号機

天竜二俣駅での休憩中、駅周辺の保存鉄道車両について見学する機会がありました。ひとつは駅前の機関車公園に保存されているC58 389号機です。

C58-389-220829-2

C58-389-220829
2022/8/29 天竜二俣駅前の機関車公園に保存されているC58 389号機

遠江二俣機関区の機関車配置データを見ると
1960年4月 8620形式 78661*,78663,78665,78697*,78699* *一休
      C58形式 20,77,99,151,284,288,347
1965年4月  C58形式 20,77,99,151,152,219,284,288
1969年4月  C58形式 20,77,99,151,152,215,219,284,288
1972年4月 DE10形式   1515,1516,1517,1518,1519,1520,1521,1522,1523,1524,1525
とこの機関車は上記の配置データーには登場しません、しかし沖田祐作氏の配置履歴データでは

C58389  製造:汽車製造大阪工場=2525 1946-07-24 S58.70t1C1T(1067)
車歴;
1946-07-24製造→納入;国鉄;C58389→配属[達第397号];札幌局→
1946-07-24竣工→配置;苗穂→
1947-01-31現在;苗穂→
1949-03-01現在;北見→
1955-08-01現在;北見→
1956-01-00函館→
1956-10-00高山→
1969-10-29遠江二俣→
1971-04-23廃車;遠江二俣→
保存;静岡県「天竜市天竜二俣駅前」;C58389 (最終走行距離1,554,874㎞)
となっており、1969年10月29日に遠江二俣機関区に転入となり、廃車まで同機関区に配置されていたことが分かります。

C58-389-220829-6
C58から始まった密閉式のキャブ 赤い汽車會社の製造プレートと遠江二俣機関区の区名札が残されています。

C58形1938年から1947年にかけて汽車製造222両と川崎車両205両で総計427両が製造されました。
国鉄制式機としては計画に終わったC63形を除いて唯一の1C1(プレーリー)軸配置で、大正時代に製造された8620形9600形の後継機として8620形のスピードと9600形のパワーを併せ持った客貨万能機として計画されました。1938年当時、地方のローカル線においても輸送力の増強が求められ、日中戦争の勃発や満州国の建国支援などで9600形が中国に転出し、国内では中型機が不足気味でこれらの問題解決のために強力な中型機を新製することとなり生まれたのがC58形でした。大馬力を得るためボイラー圧力は16kg/cm2とし、広火室構造を採用したため従輪が設けられ、台枠、走り装置、箱形輪心はD51形のものを採用しました。

1943年までに製造されたC581~C58368号までが1次形、C58369~C58382号までの14両が第2次形でこれらは樺太庁鉄道からの編入機で基本的スタイルは1次形と同じですが給水温め機が装備されていないためイメージが違います。これら14両は終戦とともにソ連に接収となりました。C58383 ~C58427号が第3次形で1946年から1947年製造で戦時形の面影を残しています。さらにボイラー径が1364mmから1396mmとなり、大型化されました。炭水者も6-17(石炭6t、水17t)から8-20形と大型化され、船底形となり、台車も軸ばね形プレート式からまくらばね形鋳鋼製になりました。

C58-389-220829-2_20231219112601 前照灯はシールドビーム化されていますがガラスが欠損しています。

C58-389-220829-4 足回りはD51のシステムをそのまま使っているため逆転機リンク、クロスヘッド等よく似ています。

C58-389-220829-8 戦時形D51、C59などの炭水車でよく見られるまくらばね形鋳鋼製 台車

C58-389-220829-10 船底形炭水車で前照灯はありません。

C58-389-220829-9 上屋、柵もあり、定期的にメンテナンスが行われているようで保存状態は良いようです。

C58_217_140104

千葉県旭市中央児童公園に保存されている1次形の217号機の写真を再掲しますが、1364mmと1396mmのボイラー径の違いがなんとなく分かります。

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2023年12月19日 (火)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その4 天竜二俣駅で 一休み part1 遠江二俣駅と機関区

天竜二俣駅は1940年4月、国鉄二俣線遠江森駅~金指駅間が開通した際に遠江二俣駅として開業しました。そして同年5月遠江二俣機関区が開設されました。同機関区は二俣線のメイン機関区として当初は8620が配置されましたが1960年代以降は客貨両用のC58が配置され、通勤列車から貨物列車まで同タイプの本領が発揮される機関区でした。C58、9両が1971年4月の機関区廃止まで配置されました。

220827_20231218083001 2022/8/27 駅名標

1958年11月1日から1966年10月1日までの8年弱の間、遠州鉄道の気動車が接続駅の西鹿島から当駅まで乗り入れていました。

機関区は廃止され、1982年11月1日には貨物取り扱いも廃止され旅客駅となり、1984年2月1日には荷物取り扱いも廃止となりました。1987年3月15日、第三セクター化で駅名も天竜二俣に改称されましたが、機関区があった頃の機関車転車台、機関車扇形車庫、運転区事務室、運転区浴場、運転区休憩所が1998年12月11日には登録有形文化財として登録され、その後の貴重な観光資源となりました。

220827_20231218083701 2022/8/27 天竜二俣 ホームから車両基地(旧機関区)方面を

220827_20231218084201

2022/8/27 駅舎 駅舎本屋、上り上屋およびプラットホーム、下り上屋およびプラットホーム、敷地内の揚水機室、高架貯水槽も2011年1月26日に登録有形文化財として登録されました。

220827_20231218084401

220827-2_20231218085301

車両基地(旧機関区)、鉄道歴史館を巡るツアーが開催されています。

Th2111-220827-2
ちょうど掛川からの223レが当駅に到着した後、当駅が終着のTH2111が観光資源を見学するツアー列車として旧機関区に向かう列車になっていました。

今回の旅では基地見学ツアーには参加できませんでしたが、また機会があれば参加しようと思いました。なお、旧遠江二俣機関区に関しては浜松情報BOOKのページに大変参考になる記述があります。また当時の写真はこちらのサイトにあります。

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2023年12月18日 (月)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その3 掛川駅から天竜二俣駅まで

2022年の8月27日、8月最後の週末土曜日の旅でしたが、東京発6:30の1521Eで熱海に8:19到着後、8:23発の1435Mで沼津へ、沼津8:41着後、三島を9分前に出発し、沼津で接続待ちしてくれている8:44発の945Mに乗車、いつもこの列車が最近の東海道を18切符で下る定番列車でそのまま乗って行けば豊橋まで乗り換えなしで行けます。掛川に到着するのは10:27です。

Th2111-2208272022/8/27 掛川 発車を待つ天竜浜名湖鉄道の列車(TH2111他)

Th2111-220827_20231217091501TH2111の先頭部

天竜浜名湖鉄道への連絡改札口は無人・ICカード式で18切符、フリー乗車券の購入はできないのでJR北口を出て、正面に回ります。列車の出発をせかされながら、やっとの思いでフリー切符を購入、発車時間を過ぎていましたが、何とか列車に乗車。

220827_20231217091601 ワイパーにピントが合ってしまい、前面の風景がピンボケになっていますが、天浜線は掛川駅を発車後、しばらく東海道線、東海道新幹線と併走し、右へ折れて行きます。

220827_20231217092801 220827_20231217092802 2022/8/27 桜木駅

掛川市役所前駅は天竜浜名湖鉄道転換後の新設駅で、4番目の桜木駅が掛川を出発して初めての交換可能駅となります。列車交換を可能にする二股のポイントは切換え操作の不要なスプリング式です。

220827_20231217093501 10駅目の遠州森駅 

「森の石松」といえば江戸末期の侠客、博徒で剣術に優れ、清水の次郎長の用心棒として大政、小政らと活躍したと浪曲や任侠映画などに登場します。この辺がその土地なんだと感じました。
二俣線が最初に開通したのは12月14日記事にあるように、掛川駅~遠州森駅間でした。

220827-2 220827_20231217094601 凝った駅名標 遠州森と遠江一宮

Th2113-220827-2 2022/8/27 遠江一宮 124レ
掛川を出発してから最初の列車行き違いは遠江一宮でありました。

Th2111-220827_20231217100201 2022/8/27 天竜二俣 TH2111

掛川駅を出発して48分、17駅目が天竜二俣駅です。途中、交換可能な駅は桜木駅、原谷駅、遠州森駅、遠江一宮駅、豊岡駅と5駅ありましたが、掛川発10:38の223レが交換したのは、遠江一宮駅での124レのみでした。

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2023年12月15日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その44 1992年からポリシュッド・スキンの特徴あるスタイルで活躍したJA8180

JT9D-7R4G2エンジン装備の-246Fの2機目として、さらにJAL最後の自社発注の-200Fとして、cn23641/ln684として製造、1987年7月29日に初飛行、8月11日に納入されたのがJA8180でした。

この機体は1987年8月から1992年の新鶴丸塗装になるまでは、すなわち旧鶴丸塗装時代は通常のチトーラインの入った白塗装だったそうですが、私は見たことがありませんでした。

Ja8180-jal-b747246f-cn23641-ln684-970817

1997/8/17 NRT

Ja8180-jal-b747246f-cn23641-ln684-971124 1997/11/24 NRT

1992年8月23日の新鶴丸塗装移行にあたり、機体の保護を従来のホワイトベースの塗装からシルバーをベースにしたポリッシュドスキンとし、透明の保護被膜で機体を覆う方式とする実験が開始されました。塗料分の重量を軽減し、塗装変更時のペイント剥離の際に発生する廃液の量の抑制が期待されましたが、機体表面保護のためのメンテナンスコストが嵩み、抜本的なコストダウンが図れるという結果にはならなかったようです。

空調システムが3系統あり、大量の家畜輸送輸送が可能というのもこの機体の特徴でした。

Ja8180-boeing-747246f-scd-23641-684-0205 2002/5/19 NRT

2003年にはJJ塗装に移行し、その際にも同様のスタイルが貫かれ、2008年3月に保管状態に、5月16日Southern Airに売却され、N723SAのレジに2008年8月にはMojaveに駐機、既に解体されています。

 

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2023年12月14日 (木)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その2 掛川駅

東海道本線の掛川駅は1889年4月16日、官設鉄道静岡駅~浜松駅間が開通した際に開業しました。

140813_20231213084501 2014/8/13 駅名標

東海道本線の東京側の開業の歴史を見てみると、1872年6月12日、品川駅~横浜駅間23.69kmの旅客線仮営業に始まり、同年10月14日の新橋(汐留)駅~横浜(初代)駅間(28.87km)開業後、横浜以西に延伸したのは1887年7月11日、横浜駅(初代)~国府津駅間(49.76km)が延伸開業し、程ヶ谷駅(現在の保土ケ谷駅)・戸塚駅・藤沢駅・平塚駅・大磯駅・国府津駅が開業しています。続いて1889年2月1日、国府津駅~静岡駅間(114.81km)が延伸開業しています。もちろん、このときの箱根越えは現在の御殿場線ルートで松田駅・山北駅・小山駅(現在の駿河小山駅)・御殿場駅・佐野駅(現在の裾野駅)・沼津駅・鈴川駅(現在の吉原駅)・岩淵駅(現在の富士川駅)・興津駅・江尻駅(現在の清水駅)・静岡駅が開業しました。4月16日の静岡駅~浜松駅間開業で1874年5月11日の大阪駅~神戸駅間(32.74km)開業に始まる西からの延伸、あるいは名古屋付近の延伸と合わせて、長浜駅~大津駅間が琵琶湖の水路を用いてでしたが、関東から関西までの輸送路は一応完成となりました。静岡駅~浜松駅間には焼津駅・藤枝駅・島田駅・堀ノ内駅(現在の菊川駅)・掛川駅・袋井駅・中泉駅(現在の磐田駅)が設置されました。

140813_20231213084701 2014/8/13 改札口
新幹線の停車駅とは思えないローカルな雰囲気を持った改札口

1895年4月1日に官設鉄道は東海道線と線路名が制定され、1909年に東海道本線に改称されました。1935年4月17日に二俣線が開業しますが、このときは遠州森駅(当時は遠江森:とおとおみもり)まででした。元来、二俣線は掛川駅から遠江二俣、三河大野を経て岐阜県東濃地方の大井(現在の恵那)に至る遠美線として計画されましたが、昨日の記事にあるように軍事上の要請から、新所原に向かうように変更されました。1936年12月1日には新所原駅~三ケ日駅間が開業、二俣西線と称し、1938年4月1日には三ケ日駅~金指駅間が延伸、1940年6月1日、金指駅~遠江森駅間が開業して全通となりました。

140813-2 140813_20231213085001 2014/8/13 北口駅舎 
この木造駅舎は1940年6月に改築された二代目駅舎ですが、新幹線停車駅のように見えない雰囲気を持った駅舎です。2012年から耐震化工事が行われ、2014年1月26日に工事が完了したそうです。

140813_20231213085301 2014/8/13 天浜線連絡口 自動改札機が設置された無人の改札口のため、18切符や1日フリー切符では通行できません。

140813-2_20231213085701 2014/8/13 天竜浜名湖鉄道の掛川駅入口

JR東海、掛川駅北口を出て、線路沿いに少し西へ歩いたところにある天浜線の掛川駅、今回の旅行ではフリー切符の購入などのため4分の接続待ち時間はかなりタイトでした。

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2023年12月13日 (水)

天竜浜名湖鉄道、日帰りの旅 その1 概要編

静岡県と沿線自治体が出資し、設立された天竜浜名湖鉄道株式会社が運行する天竜浜名湖線は浜名湖橋梁が艦砲射撃等で不通になったときに備え、旧日本陸軍の要請で東海道本線のバイパス線として1935年4月17日に開業した国鉄二俣線1987年3月15日に三セク転換した路線です。

220827_20231212102801

車内に掲示されている路線図

路線距離67.7㎞、駅数39(起終点駅を含め)の路線で全線単線、非電化、軌道回路検知式党首自動閉塞、最高速度80km/hの路線です。


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社章

会社設立は1986年8月18日で資本金は1億円、本社は天竜二俣駅そばにあります。6300株が発行済みで主要株主は静岡県39.7%、浜松市19.5%、掛川市7.6%、湖西市5.2%、静岡銀行4.8%となっています。

1-220827scan
旅をしたのは2022年8月27日で東京から東海道本線で掛川駅まで行き、天竜浜名湖鉄道の1日フリー切符(¥1750)を購入し、乗車しました。

140813

2014/8/13 掛川 東海道線ホームから見た天竜浜名湖鉄道の列車

乗車のきっかけは以前から18切符の旅などで掛川を通るたびに東海道線の列車の車窓から同線の発着の様子を目撃しており、一度は乗らなくてはと感じていたからでした。

220827 運賃は掛川から新所原まで通しで乗ると1470円ですが、途中下車の予定があったので1日フリー切符を購入しました。

掛川発10:38の223レに乗車し、天竜二俣に11:26着、周辺見学、昼食の後、天竜二俣発12:48の327レに乗車し、新所原着14:09という旅程でした。

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2023年12月12日 (火)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その2 車両編 part6 ED31形機関車

伊豆箱根鉄道駿豆線では貨物輸送は行われていませんが、大雄山線5000系が大場工場に入出場する際の牽引や保線のためのバラスト輸送のために東芝製の小型電気機関車ED32, ED33形が在籍しています。

これらの機関車は1948年に東京芝浦電気が製造した40t級凸型電機で戦時設計の標準タイプでした。同系機に東武鉄道ED4010形・ED4020形や富山地方鉄道デキ14730形、名古屋鉄道デキ600形、南海鉄道ED1150形・ED5151形、日本国有鉄道ED37形などが存在します。

元々は西武鉄道が第二次世界大戦後、非電化だった川越線の電化用、貨物輸送力増強用に45t級電機4機の導入を計画したもので、その後、計画の変更等があり、電化完成の約1か月前に3両(31形31-33)として竣工しました。

主電動機は国鉄電車で制式とされたMT15(100kW)を搭載し、歯数比も電車並みの2.74としたため、牽引力が低く、定格速度が34.8km/hとこの種の機関車としては極端に高くなり、電気機関車としては扱いづらいものとなり、製造から経年が浅いものの持て余し気味となり1949年32号が降圧工事を実施の上駿豆鉄道に貸し出され、1952年には33号、1953年には32号が正式に譲渡となりました。

駿豆鉄道では1949年11月にそれまで所有していたED4012、ED4013を岳南鉄道に譲渡、その代替として西武鉄道から32,33を借入れ、1953年7月に正式に譲受、1957年にそれぞれをED32,ED33と改番しました。1959年8月には1500V昇圧に備え、再改造が施され、ED32は1972年11月にATS、1978年11月には列車無線が装備され、1983年には国鉄サロンエクスプレス東京の乗り入れに備え、ED32,ED33に重連総括制御装置が装備されました。

主電動機も当初はMT15でしたが、現在はMT30(128kW)に換装されており、歯車比も現在は2.86に変更されています。ED33にもATSが設置され、本線走行が可能となっています。

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Ed32-190104-2 2019/1/4 大場工場内で休むED32, ED33

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2023年12月11日 (月)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その2 車両編 part5 1300系 

伊豆箱根鉄道駿豆線の車両、旅客車の最後は老朽化した1100系に代わって、2008年西武鉄道より譲渡された1300系です。

クモハ1300形-モハ1400形-クハ2200形からなる3連ですが、西武の101N系4連を3連化したものではなく、2連と4連からのそれぞれ1両、2両を組み合わせた3連となっている点がユニークです。

主要諸元

設計最高速度 120 km/h
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
全長 20,000 mm
全幅 2,850 mm
全高 4,246 mm
台車 FS372・FS072
主電動機 直流直巻電動機 HS-22436-03RB
主電動機出力 150 kW / 個
駆動方式 中空軸平行カルダン
歯車比 15:86=1:5.73
編成出力 1200kW
制御装置 抵抗制御 MMC-HTB-20E
制動装置 発電制動併用電磁直通空気制動 (HSC-D)

譲渡の際、先頭車前面に排障器が設置され、転落防止幌が撤去されたのが変化で、それ以外はオリジナルのままです。内装に関しては化粧板張替えが行われ、カラースキームは西武2000系更新車と同様となり、座席間にスタンションポールが設置されました。

1300

伊豆箱根鉄道1300系 編成表

1300-2201-120109-edit 1300-1301-120109-2 2012/1/9 三島田町 1301F

1300-1301-190104 1300-2201-190104 2019/1/4 三島
1301Fは2016年12月10日から西武101N系登場当時の塗装を再現した「イエローパラダイストレイン」になりました。

1300-2202-190104 2019/1/4 大場 1302F

1300-1302-220907 2022/9/7 三島 1302F

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2023年12月 8日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その43 B747-346の8番機として欧州直行便、北米線で活躍したJA8179

cn23640/ln668として製造、N6009Fのテストレジで1987年1月25日に初飛行、2月5日にJALに納入されたのがJA8179でした。この頃、次世代大型旅客機としてB747-400の開発が進められており、JALのB747導入ペースも-400に向け、クラッシックタイプの導入は抑制され、この年の国際線用機体はJA8179、1機のみとなっていました。

Ja8179-jal-b747346-cn23640-ln668-920323- 1992/3/23 NRT

Ja8179-jal-b747346-cn23640-ln668-96118-n 1996/11/18 NRT

Ja8179-jal-b747346-cn23640-ln668-980214- 1998/2/11 NRT

Ja8179-boeing-747346-23640-668-020414-nr 2002/4/14 NRT

導入当初はLAX,SFO、そしてヨーロッパ線の主力機でしたが、-446登場後はC12Y484のファーストクラス無しのコンフィグとなり、活躍しました。2003年からは飛行管理コンピュータ(FMC:Flight Management Computer)、オートパイロット(Auto Flight System)、各種航法機器/慣性航法装置(INS:Inertial navigation system)/GPSの技術を一体化させた装置であるFMS:Flight Management Computerの追加搭載が-346にも進められJA8179はその搭載の1番機となりました。導入時は旧鶴丸塗装、そして新鶴丸塗装にはなっていますが、JJ塗装にはなりませんでした。

2007年10月1日に ロシアのTransaero Airlinesに売却(レジはVP-BGY)となり、2012年10月には保管状態となりました。2022年1月には解体されています。

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2023年12月 7日 (木)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その2 車両編 part4 7000系 

バブル期が終息しつつあった1990年代初頭、老朽化した1000系の代替、所有車両の新性能化、冷房化率の向上、快速列車の増発などを視野にいれて新製されたのが7000系でした。製造は東急車輛製造が担当しましたが、実際は同社の委託で新潟鐵工所が製造した車両でした。設計当時JR東海東海道本線への乗り入れ、熱海・沼津・富士方面への直通運転が車内で検討されており、それが設計に反映されていましたが、現在に至るまで実現はしておらず、一部乗り入れ対応機器に関しては撤去されています。

主要諸元

最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.4 km/h/s (高加速SW未投入時)3.0 km/h/s (高加速SW投入時)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 389名(座席176名)
車両定員 130名(座席56名)※Mc・Tc 129名(座席64名)※M
車両重量 39 t (Mc・M) / 29 t (Tc)
編成重量 107 t
全長 20,000 mm
全幅 2,950 mm
全高 4,183 mm
台車 住友金属工業 FS542N(Mc・M車)FS042N(Tc車)
主電動機 直巻電動機 日立製作所HS22535-08RB
主電動機出力 120 kW / 個
駆動方式 中実軸撓み板継手式平行カルダン
歯車比 1:5.60 (15:84)
編成出力 960 kW
制御装置 発電制動併用抵抗制御 三菱電機ABFM-168-15MDHC
制動装置 発電制動併用電気指令式空気制動(HRD-1D)
保安装置 伊豆箱根式ATS

車体、特に側面の構造が先頭車と中間車で大きく異なっているのが特徴で先頭車は片側3扉構造でJR東海の311系と同一構造となっており、中間車は快速運用の際に指定席車両として運用することを考慮して、片側2扉213系と酷似した構造となり、乗降性を考慮し1400mmの扉が設置されています。同社では初となる側面行き先表示装置も全車に設置されました。

主制御装置は3000系二次形と同様ですが、駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式からTD平行カルダン駆動方式となりました。運転台機器は直通運転を考慮し、3000系で採用されたワンハンドル式ではなく、JR211系と同一配置の縦横軸併用ツインレバー式が採用されました。先頭車の屋根部にはJR列車無線用アンテナ取付座が準備され、保安装置もJR東海のATS-ST形との切替が可能なものを搭載しています。新製当初は運転室内にATS切替スイッチも装備していたが、後に撤去されました。 

座席配置は、直通運転や快速運用での快適性を考慮し、伊豆箱根鉄道初のオールクロスシート仕様とされ、客用扉間には転換クロスシート、車端部にはボックスシートがそれぞれ設置されました。

7000_20231206113501
表 伊豆箱根鉄道 7000系 編成
7101-120109 2012/1/9 三島田町 7001F

7501-190104 2019/1/4 大場 7001F

7000-7102-220907-edit 2022/9/7 三島 7002F
第2編成は2017年11月の全般検査で先頭車の額縁部分が金色になりました。

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2023年12月 6日 (水)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その2 車両編 part3 1100系 

 西武鉄道の701系冷改車を1989年8月1990年5月の2度に渡り、譲り受け、大場工場にて3連化したのが1100系でした。これは1000系の第5~第7編成として1975年、1977年、1979年に西武から譲受したクモハ500形4連の3連化した編成を置き換え、新性能化、冷房率のアップを図ったものでした。

西武701系4連が譲渡された先で3連化される場合、多くのケースがクハ1701形の運転台部分を切り出し、モハ701形に移設する方式が採られていますが、伊豆箱根鉄道の場合は701形奇数車の台車、主電動機等の床下機器をクハ1701形に移設し、同車を制御電動車化する方式が採られました。同時に、旧クハ1701形偶数車の台車もFS342Tに交換し、編成内の台車を統一しました。
これら以外に、MGの換装(出力の適正化)、制輪子のレジン製から鋼鉄製への交換、電気連結器の撤去、ATSの交換、一部座席の撤去、列車無線の変更、自動放送装置の新設などが行われました。

1100

表 伊豆箱根鉄道 1100系の出自と譲受後の変化

1100-1009-120109-5

2012/1/9 1009F
3編成のうち2編成は既に引退し、最後まで残った1009Fの引退を記念して、かつての赤電塗装となった1009F

1100-hm-2005-120109

惜別のHM

1100-2005-120109
1100-120109 同じ赤電塗装とはいっても西武の赤電と伊豆箱根の赤電では塗り分け線の高さの違い、妻面の塗装などに違いが見られました。

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2023年12月 5日 (火)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その2 車両編 part2 3000系 色物編成

昨日に続いて、伊豆箱根鉄道3000系の話題です。同系列にはこれまでにもHM付き編成や数種類の特別塗装編成が存在しました。

3000-3001-220907-5 2022/9/7 三島 3001F 復刻塗装

中でもインパクトがあるのが、3001Fの「軌道線カラー」仕様です。これは1906年から1000系が登場する1963年まで三島町停留所と沼津駅前停留所間を走っていた軌道線(路面電車)の塗色を復刻したものです。2018年6月12日から営業運転に入っています。

3000-3009-220907

3000-3505-220907

3009FのNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ラッピング塗装

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、放映開始に合わせて登場、放映終了と共に通常塗装に戻されました。

 

3000-3011-1901042019/1/4 三島 3011F 
「ラブライフ」仕様ラッピング この編成のみLED式行先表示器、車内案内表示器が設置されており、スカートも装備しています。

こちらは2017年4月8日からの「ラブライフ!サンシャイン!!」スペシャルフルラッピングというそうです。

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2023年12月 4日 (月)

伊豆箱根鉄道 駿豆線 その2 車両編 part2 3000系 レギュラー塗装

1971年まで導入が続いた1000系に次いで自社発注車両、第二弾として1979年から1997年までに導入されたのが3000系です。東急車輛製造が担当し、3両編成6本が製造されました。伊豆箱根鉄道としては初のカルダン駆動車であり、また初の冷房車でした。ブレーキシステムも同社初の発電ブレーキ併用電気指令式となりました。

主要諸元
最高運転速度 85 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 2.4 km/h/s (高加速SW未投入時) 3.0 km/h/s (高加速SW投入時)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 455名(座席200名) [3001F: 441名(座席192名)] 〔439名(座席188名)〕
車両定員 148名(座席64名) 〔143名(座席60名)〕※Mc・Tc車
159名(座席72名) [モハ3002: 145名(座席64名)] 〔153名(座席68名)※M車
自重 40 t 〔38 t〕(Mc・M)/30 t 〔28.3 t〕(Tc)
編成重量 110 t 〔104.3 t〕
全長 20,000 mm
全幅 2,900 mm 〔2,950 mm〕
全高 4,246 mm 〔4,241 mm〕
台車 住友金属工業FS372N(Mc・M車)FS072N(Tc車)
主電動機 直巻電動機
日立製作所HS-836-Krb 日立製作所HS-836-Frb
主電動機出力 120 kW/個
駆動方式 中空軸平行カルダン
歯車比 86:15=1:5.73
編成出力 960 kW
制御方式 発電制動併用抵抗制御
制御装置 三菱電機ABFM-168-15MDHA 〔三菱電機ABFM-168-15MDHC〕
制動装置 発電制動併用電気指令式空気制動 (HRD-1D)
保安装置 伊豆箱根式ATS
備考 〔〕は2次型(ステンレス車体)の数値

この車両からかつての西武鉄道の「赤電」塗装から伊豆の空と富士山の白雪をイメージした塗装になり、青は「ライオンズブルー」と呼ばれました。

3000_20231130144601

1979年から1982年まで毎年1編成ずつ増備されたのが1次形で車体は普通鋼製でした。これにより、それまで駿豆線に在籍した1000系以外の旧形車両は大雄山線に転出、もしくは廃車され、駿豆線の編成はすべて20m車体となりました。1988年には一部座席指定の快速列車が登場し、そのために3001Fの中間車モハ3002の扉間の座席は転換式クロスシートになりました。

5次車となる第5編成は1987年に国鉄211系に準じた軽量ステンレス製となり、1両あたり重量が約2t軽量化されました。前面デザインは大雄山線の5000系と同一とされ、側面の戸袋窓の寸法変更、側窓の1段下降式への変更、車端部ロングシートの定員が変更されました。その後、西武701系譲渡車の1100系の入線、7000系の増備が行われましたが、7000系はJR東海への直通運転を前提に増備されていましたが、直通運転計画がとん挫したことから1997年に非冷房の1000系を置き換える目的で3000系第6編成が増備されました。

3000-3001-120109 2012/1/9 三島田町
登場時の塗装だった頃の3001F

3000-3003-190104

2019/1/4 三島 3003F

3000-3503-211224 2021/12/24 三島 3005F(3503)

3000-3007-070304-3
2007/3/4 三島 3007F

3505-060810 2006/8/10 大仁~牧乃郷 3009F
二次形の軽量ステンレス車体

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2023年12月 1日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その42 B747-346の7番機として欧州直行便、北米線で活躍したJA8178

cn23639 ln664として製造され、1986年12月3日に初飛行、12月15日にJALに納入されたJA8178は7機目の-346として納入早々、年末年始の繁忙期の輸送に投入されました。なかでもヨーロッパ線直行便やデイリー運航のシカゴ便はこの頃のJAL B747の花形運用でした。

-446がJALのフリートに加わると、活躍の場をアジアに路線に移しました。晩年は2クラス仕様(C/67,Y/324)での活躍となりました。

Ja8178-jal-b747346-cn23639-ln664-951123- 1995/11/23 NRT

Ja8178-jal-b747346-cn23639-ln664-971019- 1997/10/19 NRT

引退はJALの-346では最も早く、2006年9月29日Orient Thai Airwaysに売却となり、レジはHS-UTOとなりました。インドネシアのスカルノ・ハッタ空港に2008年6月、駐機状態となり、2018年に解体されました。

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