2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その10 名古屋駅に最も近い非電化ローカル線 東海交通事業城北線
稲沢線は名古屋駅と稲沢駅を結ぶ東海道本線の複々線のうち、貨物線として利用されている複線で、名古屋駅の名古屋臨海高速鉄道あおなみ線のホーム付近から、名古屋駅13番線と東海道新幹線の14番線ホームの間を通り、枇杷島駅付近に達すると、東海疼痛事業城北線のホームがあります。その先、五条川信号場で東海道本線を越え、東海道本線の東側を通り、清洲駅を越え、稲沢駅に至ります。その先は下り線が東海道本線を跨ぎ、東海道本線下り線と合流しています。一方上り線は、尾張一宮駅から続く高架線が終わるあたりで、東海道本線上り線から分岐しています。
2023/7/28 枇杷島 駅に停車中の岐阜方面行列車からの前面展望
すぐ左の線路が稲沢線名古屋方面、その左側が城北線、その奥が稲沢線稲沢方面
今回の記事のテーマは枇杷島駅の北側で稲沢線の内側から合流する城北線です。
この線は東海交通事業という会社(1988年2月18日に設立、株式の100%をJR東海が保有する完全子会社で城北線(第2種鉄道事業者)の他、JR東海の駅業務(133の有人駅のうち、67か所56駅の業務を受託(2021年2月現在))、駅レンタカー事業を展開)が運営しています。
起点は勝川駅(中央西線の勝川駅とは別の駅で両駅間は500mほど離れています)から枇杷島駅までの11.2kmで味美、比良、小田井、尾張星の宮の中間4駅(全て無人駅)があります。小田井駅付近では名鉄犬山線、名古屋市交通局鶴舞線、味美駅付近では名鉄小牧線と交差していますが、駅間の連絡は全くありません。
全線高架の高規格路線で架線柱の設置の準備はされているものの非電化で、列車頻度は朝夕は2本/時間、日中は1本/時間です。そのため、輸送密度は500人/1日1km程度となっています。これはJR北海道の函館本線長万部~小樽間の列車密度を同程度であり、廃止に関して地元自治体と協議するレベルの数字です。
元々、名古屋に入る中央線のルートのひとつ、「瀬戸線」として計画されたもので1922年4月11日に公布・施行された「鉄道敷設法」の別表(149路線)の中に第72号ノ2 <愛知県瀬戸ヨリ稲沢ニ至ル鉄道>として登場します。1962年には鉄道敷設審議会の敷設予定鉄道路線になり、1976年に瀬戸~高蔵寺、枇杷島~勝川間が当時の鉄道建設公団により着工となりました。着工から11年、国鉄は民営化、鉄道敷設法も廃止され工事は凍結となりました。瀬戸市~高蔵寺間は第3セクター化され、その後愛知環状鉄道として、岡崎まで延伸、電化開業されましたが、勝川~枇杷島間は電化工事を進めると鉄建公団(後の鉄道建設・運輸施設整備支援機構(元の鉄建公団と運輸事業団を合体した独立行政法人)への借損料が増えることから、非電化の状態でJR東海が承継、2032年までの間、年間49億円の借損料を払う形となりました。1991年に勝川〜尾張星の宮間、1993年には尾張星の宮〜枇杷島間も開業、JR東海の子会社の東海交通事業が経営する形で今日に至りました。
2023/7/28 東海交通事業 枇杷島駅 駅名標
JR東海の駅名標とよく似ているが"TKJ"のロゴが入っています。
2023/7/28 枇杷島 城北線ホーム
城北線の枇杷島駅は稲沢線にホームが設けられており、稲沢~名古屋貨物ターミナル、関西本線方面間の貨物列車も通過します。城北線の気動車は貨物列車の通過とかち合わないように、折り返し停車する時間、ホームを使い分けているように見えます。
名古屋から一駅の枇杷島から分岐している路線がなぜ非電化なのか、非電化の割には高架、一部を除いて複線となっているのに、列車本数はなぜこんなに少ないのか、首都圏で言えば武蔵野線のように名古屋から放射状に出ている各線を結ぶ環状線ルートを採っているのに、なぜそれらの線との連絡は悪いのか、中央線勝川駅から分岐している構造なのに両駅間の距離はなぜ500mも離れているのか、運賃設定も他線に較べて割高なのはなぜか、といった多くの疑問を抱える路線であります。
J東海としては2032年の借損料を返却期限が来るのをひたすら待っているのでしょうか。 2005/7/5 枇杷島 キハ11-201
2012/9/13 枇杷島 キハ11-202
城北線の車両として1991年の勝川〜尾張星の宮間開業時にはJR東海からキハ40形を借りて運行開始しましたが、1993年の尾張星の宮〜枇杷島間開業でキハ11形200番台(201~204)を新製し、2両を城北線で使用、残りの2両はJR東海に貸し出されました。2015年、JR東海からキハ11-300を購入し、201,202とJR東海に貸し出された203,204もひたちなか海浜鉄道に譲渡されました。 2023/7/29 枇杷島 キハ11-301
2023/7/28 枇杷島 キハ11-302
キハ11形は国鉄から承継したキハ30形、キハ28形、キハ58形の置き換え、ワンマン運転の拡大用としてJR東海、東海交通事業が導入した新潟鐵工所製NDCシリーズをベースにした一般形気動車です。0,100,200番台は普通鋼製、300番台はステンレス鋼製車体です。
主要諸元
最高速度 95 km/h
車両定員 60(席)+50(立)=110名 *300番台は46席
自重 28.6t(0・100・200番台)29.5t(300番台)
全長 18,000 mm
全幅 3,188 mm
全高 4,095 mm
車体 普通鋼 ステンレス(300番台)
台車 上枕大口径心皿式空気ばね台車(0・100・200番台)C-DT58(動台車)(2軸駆動)C-TR242(付随台車)
軽量ボルスタレス台車(300番台)
C-DT64(動力台車)(2軸駆動)C-TR252(付随台車)
動力伝達方式 液体式
機関 C-DMF14HZA(カミンズ製)(0・100・200番台)330PS × 1 C-DMF14HZB(300番台)350PS × 1
変速段 変速1段・直結2段
制動装置 自動空気ブレーキ
直通予備ブレーキ
機関ブレーキ
保安装置 ATS-ST・ATS-PT
EB装置・TE装置
0番台は暖地用区分番台で1988年に新潟鐵工所で10両が製造され、伊勢車両区に配置され1989年2月20日より、営業運転に就きました。名松線・参宮線・紀勢本線で使用され、9は2007年1月の落石事故、6・8は2015年4月8月の車両入替で、残りの車両も2016年3月29日までに全廃されました。
100番台は1988年に新潟鐵工所と名古屋工場におけるノックダウン方式で23両が生産され、笛シャッタの取り付けや扉付近の保温対策などが施された寒地向けとされました。当初、全車が美濃太田車両区に配置されましたが、後年、107-112は伊勢車両区に転属し、残る6両が高山本線で活躍しましたが、2015年度中に全車廃車となりました。
300番台は1999年に増備された暖地向け・改良タイプで新潟鐵工所で6両が製造されました。車体が普通鋼製からステンレス鋼製になった点と車幅が2.7mから2.8mに拡大された点、車椅子対応トイレの設置、側窓の固定化、貫通路上への前照灯の増設などが変更点です。2015年7月までは紀勢本線多気以南で運用されていましたが、2015年8月以降はキハ25形に置き換えられ、参宮線・名松線運用が中心となり、2015年9月、301,302は東海交通事業に譲渡となり、城北線での運行に就きました。
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