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2024年5月31日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その68 JAL機退役後も貨物機、空中消火機としても活躍した JA8086

cn25308/ln936として製造され、1991年10月25日に初飛行、11月11日にJALに引き渡されのがJA8086です。

導入当初から3クラスのコンフィグレーションを採り、欧米、東南アジア線に就航しているMAGIC-II装備機で、ニューヨーク経由、サンパウロ線などの超長距離線や、香港線、北京線、ドイツフランクフルト線などにも就航しています。

Ja8086-jal-b747446-cn25398-ln936-960706- 1996/7/6 NRTJa8086-jal-b747446-cn25398-ln936-980214- 1998/2/14 NRT

Ja8086-boeing-747446-25308-885-060528-nr 2006/5/28 NRT

2010年10月、保管状態となり、Aersale社の管理下、レジはN238ASとなりました。このときに貨物ドアが設置され-446BCFとなり、2012年2月23日からは第二の職場のEvergreen International Airlinesのフリートメンバーとなり、レジはN492EVとなりました。

Evergreen International Airlines の親会社である Evergreen International Aviationはもともと農業用の種子、肥料、除草剤の撒布・噴霧などのヘリコプター開発から出発した会社でしたが、1974年Lokked L-188 Electra2機を所有するJohnson Flying Serviceを吸収合併し、航空機運航資格を得て、やがてEvergreen International Airlines としてB747貨物機を運航する会社にまで成長しました。

一方、米国森林局は山火事などの消火用にはLokeed P3 Orionターボプロップ機などを使用していましたが、Evergreen International Aviation は B747に水や消火剤のタンクを搭載し、空中噴霧する装置を組み合わせたSuperTankerを考案しました。この構想に基づいて設立されたのがEvergreen SuperTanker Serviceでした。
 最初は1974年6月World Airways向けに製造され、Evergreen International Airlines が貨物機として運航していたN470EV (cn20663/ln237:B747-273C) をSuperTankerに改造しましたが、就航することはありませんでした。2機目は1971年デルタ航空向けに製造され、1991年からEvergreen International Airlinesが運航していたN479EV (cn19898/ln94: B747-132)が改造され、こちらは2009年のスペイン・クエンカで発生した火災の消火に使用され、さらに同年8月31日、カリフォルニア州オークグレイン火災でもその消火活動で活躍しました。
しかし2013年12月31日付けでEvergreen International Aviation は財政破綻し、N492EVは2013年12月に保管状態となりました。Evergreen Supertanker Serviceの後継会社Global SuperTanker ServiceがそれまでN479EVに設置していた噴霧タンクシステムを保管中のN492EVに移植し、3機目のSupertankerにすることにしたため、同機はレジをN744STとし、" Spirit of john muir  "と命名され、最大19600米ガロン(74,000リットル)の消火剤、もしくは水を搭載し、チリやイスラエルでの消火活動、さらにはボリビアでの消火活動に活躍することになりました。

2020年11月にSupertankerとしては退役しましたが、2021年9月24日からN936CAのレジでNational Airlinesのフリートメンバーとなっており、2021年5月から9月までの保管時期を挟み、引き続き現役で活躍中です。National Airlinesへの移籍は2021年Global SuperTanker Service が 経営破綻し、機体をNational Airlinesに売却したためであり、「会社は潰れても機体は解体されず生き残る」歴史を繰り返しています。

多くの-446,-446Dが比較的早期にリタイア、解体されている中で頑張り続けている機体です。

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2024年5月30日 (木)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その52  系列名が細かい近鉄一般車 その10 奈良線から転属してきた9000系

近鉄奈良線向けの界磁チョッパ制御車として1981年8810系4連が登場、その増結もしくは単独運転用に2連の9000系1983年に8本製造されました。言うなれば大阪線用の1400系の2連版として名古屋線向けに登場した1200系(後に1201系に)とほぼ同仕様、異系列名の車両となります。

12019000

1201系と9000系の比較

両車の違いは搭載している制御器のメーカーが違うことです。

9000

9000系は2001年から2002年にかけ、1回目の更新が行われ、2003年から名古屋線に転籍しました。

90009102-240105 2024/1/5 富吉 9102

名古屋線転属後、急行、普通、さらに支線での運用を続けており、5編成がワンマン対応改造を受けています。9000系の場合、ワンマン対応改造後も系列名は変化していません。

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2024年5月29日 (水)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その51  系列名が細かい近鉄一般車 その9 1400系の3連版 2050系

界磁チョッパ制御方式の一般車として1981年に大阪線に4連の1400系1982年に名古屋線向けに2連の1200系が登場しましたが、M-Mcの2両1ユニット方式の3連版として1983年に当初は大阪線向けに投入されたのが2050系でした。3連2本が製造されました。いきなり系列番号が2000番台に飛ぶのも近鉄らしいところかも知れません。1990年、大阪線の最小編成両数が4両となったため、1991年にかけ、高安区から富吉区に転属となり、2012年に明星区に再転属となりました。

2050


2050-2052i-240105 2024/1/5 米野 2052

2050-2052-240105 2050-2052-240105-2
2024/1/5 近鉄富田 2052

2050-2054-240105 2024/1/5 近鉄蟹江 2054

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2024年5月28日 (火)

武蔵野線北府中駅、東芝府中工場から続々と出荷される 台湾鉄路管理局500型 電機 ( 台鐵E500型電力機車)

近鉄名古屋線の話題はまだまだ続きますが、ちょっと中休みを。

武蔵野線北府中駅は東芝府中工場(東芝府中事業所)に隣接しており、同工場で完成した鉄道車両がJR線を通って出荷されてゆくのをしばしば目にすることがあります。最近よく目にするのは台湾鉄路管理局E500型2015年から2024年までの車両更新計画で従来から活躍するE1000型電車の機関車、E200型、E300型、E400型電機の更新の一環としてE500型が68両製造されるとのことで、東芝府中工場がその製造を請け負っています。

2023年8月30日E501号機が竣工し、9月17日に花蓮港第8埠頭に到着、税関検査後、9月23日に花蓮機務段(車両基地)に到着、10月28日に潮州車両基地で新車のお披露目が行われたそうです。その後も、製造は続き、昨日(5月26日)にはE511号機が発送の準備中であるのを武蔵野線の車内から見かけました。

主要諸元

軸配置 0-6-6-0(Co-Co)
軌間 1,067 mm
電気方式 交流 25,000V 60Hz
全長 20,770 mm
全幅 2,759 mm
機関車重量 96 t
軸重 16t
主電動機 東芝SEA-116
かご形三相誘導電動機
保安装置 ATS-SN、ATS-P、ATP
最高速度 130 km/h
設計最高速度 140 km/h
出力 3,888kW[1]
最大引張力 280kN

E500型は東芝が設計から最終組み立てまで担当したもので、1435mmの標準軌の国なら波ヨーロッパ製の標準軌仕様の電機を輸入するところですが、台湾は1067mmの狭軌であり、建築基準も日本統治時代のものがそのまま残されており、架線は25kV、60Hz交流方式であるため、日本の企業が製造を担当、輸出ということになったそうで日本製の電機の輸出第一号だそうです。

E507-240423-3

E508-2404232024/4/23 北府中駅 出場の準備をするE507号機とE511号機

ちなみにだいぶ塗装の劣化が著しくなっているED30EF65 535号機ですが、EF65 535号機の方は5月26日に見たところ、塗装が上塗りされたように見えました。

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2024年5月27日 (月)

昭和30年代塗装を部分再現した2000N系, 8連2071Fを撮影

西武鉄道は4月27日より、池袋線で運用に就いている2000N系2071Fに「旧西武鉄道黄色・茶色」の復刻ラッピングを両先頭車部分に施し、走らせ始めました。

わたくしもこの塗装は幼稚園時代に萩山駅などでよく見た塗装で、国電から払い下げられたモハ371形クハ1411形などがこの塗装を纏っているのを見た覚えがあります。ただ、既に赤電塗装に移り変わる時期だったためか、急速に赤電化されていったのを憶えています。その後、横瀬基地のイベントなどでクモハ351形がこの塗装を纏っているのを数十年ぶりに見ましたが、それが今になって復活したのは驚きでした。

2000n-8-2072-230403-21 2023/4/3 石神井公園 通常塗装時代の2071F

2000n-8-2072-240523-4 2000n-8-2072-240523-8 2024/5/23 所沢 5108レ 2071F

西武池袋線の8連運用と言えば豊島園線運用がメインのように感じますが、5月23日木曜日は池袋発飯能行きの運用に入っていたので、まずは所沢で上り5108レを狙いました。

2000n-8-2071-240523-4 同列車にひばりヶ丘まで乗車し、同駅で後から木て追い抜いてゆく急行2148レに乗り換え、石神井公園に先着

2000n-8-2072-240523-6
2000n-8-2072-240523-8_20240525152101 2000n-8-2071-240523 石神井公園にて5108レの3番線入線と停車中の写真を撮影しました。

なんでこの編成のラッピングがフルラッピングではなく、前面と乗務員室扉周辺の部分ラッピングなのか、訳が分かりません。

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2024年5月24日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その67 13機目の-446 JA8085

JALは1987年9月21日に5機、1988年5月30日に15機、計20機の-400をボーイング社に発注しており、そのうちの2機がJA8083.JA8084の-446Dであとの18機は-446でした。そのため、JA登録番号もJA8071からJA8090まで続き、21機目はJA8901からとなりました。最終的には42機の-400を受領しています。

cn25260/ln876として製造され、1991年9月6日に初飛行、同月24日にJALに引き渡されたのがJA8085です。

5月21日にもロンドンからシンガポールに向かって飛行中だったシンガポール航空機SQ321便(9V-SWM:B777-321ER、211名の旅客と18名の乗務員が搭乗)が航路上で乱急流に遭遇し、タイ・バンコクスワンナプーム国際空港に緊急着陸したものの、英国人男性乗客1名が死亡、30名以上が負傷するという事故があったばかりですが、JA8085機も1995年12月13日14時00分頃(日本時間)、JL001便として北緯38度、東経146度付近を高度39,000フィートを飛行中、修学旅行で搭乗していた17歳の男性乗客が喘息の発作を起こし、酸素ボンベで酸素吸入をし、その後、化粧室に行った際に痙攣をおこし意識不明となり、同行した看護婦および客室乗務員3名による心肺蘇生、酸素吸入処置を行ったものの亡くなるという事故がありました。

Ja8085-jal-b747446-cn25260-ln876-961116- 1996/11/16 NRT

Ja8085-jal-b747446-cn25260-ln876-980429- 1998/4/29 NRT

2010年10月、保管状態となり、AerSaleに売却、レジはN269ASになりました。2011年9月20日Biman Bangladesh航空にリース、レジはTF-AMYAir Atlanta Icelandicからのリースでした。2012年9月12日にリース解除、2014年3月、保管状態となり、N269ASにリレジされ、同年中に解体されました。

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2024年5月23日 (木)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その50  系列名が細かい近鉄一般車 その8 界磁チョッパ4連1400系をベースに2連化した1200系・1201系

大阪線に投入された1400系をベースに名古屋線の需要に合わせ、1982年、M-T編成1C4M制御界磁チョッパ車として投入されたのが1200系でした。160kW出力の主電動機を搭載、回生ブレーキを併用した電磁直通ブレーキと抑速回生ブレーキを装備しています。

12011200

車体は1400系に準じ、Mc車(モ1200形)に下枠交差タイプのパンタグラフ(PT-48)を2基搭載、台車はKD-88を履いていますが、1982年製のク1302~1306には廃車された2250系のKD-78Aが流用されました。1205F以降は側面に行き先表示器が設置され、1207F以降は車内内装デザインが変更されました。さらにユニークなのは1984年製造の1211F・1212Fでこれらは2410系のク2590形の冷房化に合わせ、4連化するためにMcTで製造され、ク2590+モ2450+サ1380+モ1200という前後で制御方式のみならず前面形状、車体断面の異なる2両同士の4連となっています。
サ1380形には長距離運用を考慮してトイレが設置されました。

2001年から2004年にかけ、車体更新工事が施工され、1201F~1210Fは同時にワンマン運転対応工事が施工され、系列名が1201系となりました。2002年にはク1301~1306の台車が2600系廃車で捻出されたKD-66に変更されました。

1201-1301-240105 1201-1201-240105 2024/1/5 近鉄富田 1201F

1201-1204-240105-2 2024/1/5 近鉄富田 1204F

名古屋線の平日日中の各駅停車は2連で使用されています。

1200-1211-240105-2 2024/1/5 近鉄富田 1200系 1211F

1200-1212-240105 2024/1/5 佐古木~富吉 1200系 1212F

こちらの前(鳥羽方)4両は前後2両ずつで制御方式、前面形態、車体断面の異なる4連(1200系)で、近鉄名古屋線最大の珍編成といっても過言ではないと思います。

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2024年5月22日 (水)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その49  系列名が細かい近鉄一般車 その7 大阪線用に登場した界磁チョッパ4連 1400系

近鉄においても電車の省エネルギー化の試みは1970年代から開始されており、最初は京都・奈良線に電機子チョッパ制御方式3000系1979年に試験的に投入されました。同系列は京都市営地下鉄烏丸線乗り入れ用にオールステンレス製車体、電気指令式MBS-2R型電力回生ブレーキを採用した画期的系列でしたが、電機子チョッパ方式は製造コストが高いため、この系列だけに留まりました。さらに1960・70年代車体の最終系列としてMM'ユニット、MGの出力電流で界磁を制御する界磁位相制御による回生ブレーキを採用した8800系1980年に投入されました。しかし、この方式は主流とはならず、以降の省エネ方式は界磁チョッパ方式となりました。そこで1981年に登場したのが大阪線用の1400系、奈良線用の8810系でした。車体のスタイルもそれまでの丸型から断面形状を変更し、片部のRを小さくした角型となり、軽量化が図られました。標識灯、尾灯の形状も変更されました。


1400

1400系は大阪上本町寄りからク1500形(奇数・Tc1)-モ1400形(奇数・M1)-モ1400形(偶数・M2)-ク1500形(偶数・Tc2)の4両編成4本の16両が製造され、1C8M制御の三菱電機製界磁チョッパ制御装置と回生ブレーキおよび抑速ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用し、主電動機は直流複巻整流子電動機のMB-3270-A、出力は160kWで定格は340Vです。歯車比は4.72で、台車は両抱き踏面ブレーキ式のKD-88形を採用しました。

1400-1508-240105
1400-1508-240105-2 2024/1/5 近鉄富田 1508

名古屋線で活躍する1400系はこの1編成のみですが、2両編成を名古屋方に連結した6連で、名古屋~鳥羽間の急行運用中心活躍しています。

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2024年5月21日 (火)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その48  系列名が細かい近鉄一般車 その6 京都線920系を高性能化してコンバートした1010系

近鉄名古屋線で活躍する1960/70年代スタイルの車両、最後は1010系です。このシリーズの最初に登場した1000系1930年製の2200系の機器を流用し、新造の車体と組み合わせた系列でしたが、1010系は京都線に1972年、旧形車600系の置き換えを目的に奈良線8400系の車体と600系の機器(吊り掛け式)を流用し、投入された920系を名古屋線に転属させ、改番した系列です。ですから1000系とは車体は似ているものの、由来は全く別です。

京都線時代の1982年から冷房改造、前面行き先表示器の設置、10100系(ビスタカーII世)の主電動機の出力アップ流用、8000系の回生化で捻出された制御機器の流用で界磁位相制御化などの高性能化改造が施されましたが、3連が不要となり、1987年から1989年に名古屋線に移籍となりました。その際に1010系と改番されました。名古屋線では最も遅れて登場した1960/70年代スタイルの系列となりました。

1010

名古屋線に転属後、2006年に1012F、1015Fがワンマン対応改造工事を受けました。その後,1012Fのモ1064が鈴鹿線運用時に発煙事故を2度起こし修理されましたが、根本修理に至らず、2013年12月、1014Fの中間車を1012Fの中間に組み込み,1014Fの先頭車は廃車、1012Fのモ1062は電装解除され、奈良線8600系の中間車サ8167の代わりにサ8177として改番され、組み込まれました。

1010-1115-240105
2024/1/5 近鉄名古屋 1115

1010-1016-240105 2024/1/5 町屋川橋梁 1016

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2024年5月20日 (月)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その47  系列名が細かい近鉄一般車 その5 機器流用車 2000系

2680系から続く、通勤冷房車シリーズとして2800系に続き、1978年から1979年にかけ、2800系と同様の車体、主電動機と一部の台車に関しては廃車となった10100系特急車ビスタII世)のものを流用して登場したのが2000系です。ここでも系列番号が戻っています。尤もモ2000形という形式名は1930年製の参急デニ2000形、続いて1947年に運輸省規格で登場した私鉄規格型車両、モ2000、ク1550に使用されているので厳密には3代目となります。ク2101、奇数モ2001、偶数モ2002の3両編成が12本製造されました。

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発電ブレーキを装備していたため、大阪線に貸し出されることもありましたが、本来は名古屋線専用車両で、1996年から1999年に更新、ク2107には急行運用に対応するため、1987年にトイレが設置されました。同編成は2013年にイベント用編成として2013系つどい」と別系列化されました。

大阪線向けの2430系3両編成が名古屋線に転属した2024年3月15日に2001F、4月27日に2003Fが運用から運用離脱、2003Fは廃車となりました。

2000-2002-240105

2024/1/5 富吉 2002

2013-2107-170805-2 2017/8/5 鳥羽 リニューアル前の「つどい」

2013-2014-181007-7 2018/10/7 近鉄四日市 リニューアル後の「つどい」

近鉄一般車、1960年代、70年代スタイルシリーズ、次回は1987年に登場した奈良・京都線からのコンバート車の1010系です。

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2024年5月17日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その66 -446D 2号機 JA8084

cn25214/ln879として製造、1991年9月25日に初飛行、同年10月14日にJALに引き渡されたのがJA8084で-446Dの2号機でした。-446Dの1号機であるJA8083が型式証明取得などのため初飛行から引き渡しまでに7ヶ月弱時間がかかっているのに対してJA8084は3週間で引き渡されています。

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前脚のカバーのレジ表記が2桁から3桁になったのはB747-400の登場所頃からだったかと思います。

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2002/2/24 HNDImg_02132002/8/25 CTS
2001年10月末からはJAL50周年キャンペーンの一環としてJAL Dream Express6号機(Dream Story)としてスペシャルマーキング機となりました。

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2011年2月、ストア状態となり、N897DBにリレジ、2012年に解体されました。

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2024年5月16日 (木)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その46  系列名が細かい近鉄一般車 その4 通勤冷房車の草分け 2680系、2610系、そして2800系

特別料金なしで乗車可能な通勤車の汎用冷房車は名鉄5500系が日本初であり、登場は1959年でした。名鉄5500系は転換式クロスシート車で、ロングシート車としての初は1968年に運転を開始した京王帝都電鉄(当時)の5000系でした。国鉄では1970年山手線103系に試作冷房車が1本導入されました。
近鉄一般車の新造冷房車は2680系として試作冷房編成3連2本が1971年に登場したことから始まります。2680系の元となった系列は1970年に日本初の片側4扉、全席クロスシート、トイレ付で登場した2600系です。

2600
2702_750102 1975/1/2 近鉄名古屋 2702

乗降扉間に2ボックスの対面固定式クロスシートが設置され、ボックス長は国鉄近郊形車両の標準1420mmよりも100mm短い1320mmで背摺りもロングシート並みに低い設計でした。空調はラインデリアでした。トイレはクとサに和式が設置されていました。主電動機は三菱電機MB-3110-A (155kW)で駆動方式はWNドライブでした。 1979年に冷房化、内装も近代化されましたが、2002年2月から2004年1月にかけ廃車されました。

2680

2680-2684-180324

2018/3/4 今里 2684「鮮魚列車」

2600系を基本に冷房導入に関する基礎データ収集を目的に3両編成2本が製造されたのが2680系でした。当時近鉄では特急車の冷房装置は東芝製でしたが、2680系では三菱電機製を採用、8500kcal/hの集約分散式ユニットクーラーCU-14形を1両に5台搭載しました。ラインデリアも併設され、熱交換型換気装置(ロスナイ)も1台設置されました。台車は新造でしたが、制御装置・主電動機は1971年に廃車された初代ビスタカーからの流用品を用いました。2002年8月、2681Fが廃車、2683Fは2001年1481系の廃車代替として鮮魚列車に改造されていましたが、2020年3月の同列車廃止で廃車となりました。

2610

2600系、2680系の量産版として1972年に登場したのが2610系でした。1972年11月から1976年10月にかけ、4両編成17本が製造され、ボックス長は1400mmとなり、背摺りの高さも当時一般的なクロスシートと同等になりました。1991年から1995年にかけて行われた車体更新では2611F - 2620F・2622F - 2625Fの座席がロングシート化され、トイレ前対面固定式クロスシートのシートピッチ拡大が行われ、1997年までに全編成に車体の内外装材交換と車体側面の方向幕設置とトイレの室内改修を中心とする車体更新が行われました。

1996年から1997年にかけ、2621F、2626F、2627Fが車体更新された際にL/Cカーに改造されました。

2800

2610系のロングシート仕様、あるいは昨日の2430系の新製冷房車として1972年7月から1979年11月にかけ2連2本、3連4本、4連11本計60両が製造されたのが2800系でした。トイレの設置は当初、全編成で省略されましたが、1987年に2817F、1997年に2811F・2813F・2815Fのサ2950形に設置されました。1997年に2811F、2813F、2815FがL/Cカーに改造されました。2006年7月、2809Fが名古屋線に転属した際にサ2959が抜かれ、廃車解体されました。

2800-2901-220802
2022/8/2 米野 2901

2800-ax04-ctycns-230728

2023/7/28 米野 2804 アートライナー”CTY・CNSラッピング”

2800-2809-240105

2022/8/2 米野 2809 名古屋線転属の際に4連から3連になった編成

2800-2815-220802 2022/8/2 米野 2815

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2024年5月15日 (水)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その45  系列名が細かい近鉄一般車 その3 青山越え用強力モータ車 2400系、2410系、そして2430系

近鉄名古屋線は全線比較的平坦な線路ですが、大阪線は桜井~伊勢中川間に青山越えと呼ばれる連続急勾配区間が存在するため1480系2470系のようなMB-3020D型125kWモータ搭載の系列は2M1Tの3両編成でなければ運用は不可能でした。

2400

この問題を克服するためMB-3110A型155kWモータを搭載し、1966年1月に登場したのが2400系でした。McTc2両編成が6本計12両製造され、大阪線初の1M方式の高性能車として活躍、1975年から1985年にかけて冷房化されましたが、1998年から廃車が始まり、2004年までに形式消滅しました。

2410

2400系にラインデリアを装備し、側面の窓の大きさや連結面の貫通路幅、前面尾灯形状を変更して1968年にデビューしたのが2410系でした。1971年までに2連18本(2411F~2428F)、平坦区間専用増結車(ク2591~2593)の39両が製造、1973年には2429F,2430Fそして2410Fが増備されました。1979年から1985年にかけて冷房化され、組成変更なども行われ、更新後、電気検測車への転用、行商専用列車へ転用された編成も出ていますが、未だ大阪線用に高安検車区に健在です。

2430      

1971年、河内国分以東まで運行される準急、急行及び快速急行用に2410系の3両編成仕様として登場したのが2430系でした。3両編成17本と2410系中間車4両の55両が製造されました。1979年から1985年にかけ冷房化されました。当初はTcMMcとTcTMcの2種類の3連が製造されましたが、TcTMcで製造された2437Fと2438Fは運用上、河内国分以西限定で使い悪かったため、組成変更が行われました。この2編成以降、他系列のT車を組み込む組成変更が盛んに行われ、3連は2連と4連化されてゆきました。2006年9月から2007年4月にかけては4連化された編成からT車が抜かれ3連に戻された編成がワンマン対応改造を受け、2444系と新たな系列になっています。

2430-2436-240105

2024/1/5 伊勢朝日付近 2436

2430-2447-240105 2024/1/5 近鉄蟹江 2447

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2024年5月14日 (火)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その44  系列名が細かい近鉄一般車 その2 1600系、1800系から1810系へ

近鉄の一般車両の中で吊り掛け方式からWN駆動方式に進化した、所謂、高性能車と呼ぶに相応しい電車が1955年3月から製造された奈良線用の800系でした。当時、奈良線はDC600Vで電化されており、車体も18.5mのスイス・カー・アンド・エレベーター社との技術提携による準張殻構造軽量車体でしたが、これを1500Vで電化された南大阪線用とし、20.72mの両開き4扉車体と組み合わせたのが1957年9月に登場した6800系でした。Rabbit Carという愛称が与えられ、その車体デザインは1960年代、1970年代の基本デザインとなりました。

1600_20240513135101

一方、名古屋線は標準軌化工事が予定されていた関係もあり、新性能車の投入は遅れていました。1959年9月の伊勢湾台風の直撃で沿線は大災害に見舞われ、その復旧工事に合わせて改軌工事も進められ、20m4扉車体のWN駆動の新性能車として新製配置されたのが1600系でした。1600系はTc+Mcの2両編成5本が投入された後、編成単位の増備、Mc単独、Tc単独の増備、ク1580形からの編入などで在籍両数は44両でした。1961年製造の2次車まではモ1601(奇数番号)+ク1602(偶数番号)といったように車番が振られていましたが、1963年製造の3次車からはその後の標準となったモ1601+ク1701といった車番になり、1.2次車もその方式に改番されました。編成単位ではなく増結用としてモ1650形、ク1750形が製造され、1967年には大阪線用のWC付きク1580形3両がク1780形として編入、これらは1973年に運転台が撤去され、サ1780形となり、増結用として増備されたモ1650形3両と1601~1603Fに組み込まれ、4連化されました。
1982年京都線急行の5連化で増結用単独Mcが必要となったため、モ1651~1654は京都線へ転属、需要減で引退後は事業用車にコンバートされました。1992年から1994年にかけ1615F,モ1650形(1656~1659)、ク1750形は狭軌化改造を受け、養老線に転出しました。

1800_20240513091001

1966年に1600系の出力アップ系列として1800系が登場しましたが、製造両数は10両に留まりました。後年、1800系は養老線に転出し、600系、610系に編入されました。

1810

1967年、1800系にラインデリアを装備し、1M2T固定編成を標準とした系列として登場したのが1810系でした。

1810-1926-240105 2024/1/5 近鉄富田 1926

1810-1927-2401052024/1/5  近鉄富田 1927 

1810系はサ1960形、1970形の増備などもあり、3連が増えて行きましたが、昨日の記事にあるように1984年の1000系の新性能化の際にク1910形とク1100形の車両交換が行われ、さらにサ1960形(サ1961以外)は電装化されモ1050形になり、1000系2連に組み込まれ、サ1961とサ1970形は大阪線2430系に組み込まれ、1810系は全て2連となりました。1991年に車体更新が行われましたが、2000年代初頭から廃車が開始され、現在、残るは1826Fと1827Fの2編成のみとなっています。

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2024年5月13日 (月)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その43  系列名が細かい近鉄一般車 その1 1000系と新造冷房車1200系

2024年1月の名古屋旅行、名鉄、名古屋市営地下鉄、そして名古屋城の見学をした後、午後は久しぶりに近鉄名古屋線の撮影に向かいました。近鉄名古屋線に関しては2017年から2019年にかけて見てきており、さらに2022年夏の名古屋旅行でも米野駅で新たに登場した80000系ひのとり」などを撮影しておりますが、今回は名古屋線を近鉄富田まで下りながら出会う車両を撮影しましたので、それらをレポートします。

Photo_20240512193201

最初は1000系です(以前の同系列の記事はこちら)。この系列は1930年製の2200系の主電動機(三菱電機MB-211BF)を再利用し、当時最新の1810系・2410系と同等の車体と組み合わせた機器流用車でした。1972年から1973年にかけ、20両が近畿車輛で製造されました。当時は通勤車にも冷房車が登場し始めた頃で1000系はラインデリア車でしたが、冷房車として新造された車両は1200系と命名されました。しかし、1000系も1980年から冷房改造が施工され、1200系は1000系に編入されました。1200系のRT01編成は1000系4連として新たにT02編成となり、従来の2連のT02編成はT08 編成と改番、車番も改番されました。

Photo_20240512193202

4連2本(1本は1200系から)と2連6本の体制から、1984年10月からの高性能化(駆動方式の吊り掛け式からWNドライブ化、制御方式の抵抗制御から界磁位相制御化)改造が施され、まずは4連のTcMTMc編成を1C4Mから1C8M方式とするため、MとTの編成順序が変更となりました。さらにMGを効率的に配置すらために1000系のク1100形と1810系のク1910形の交換、改番が行われ、さらに2連では1810系のサ1960形を電装化して1000系2連に加え、3連化しました。

Photo_20240512193203

さらにT01編成は、2両ずつに分割され、大阪線の2430系2446Fと組んで活躍したこともありました。

しかし、2004年には1200系由来のT02が廃車、2007年にはT01も廃車され、相手方の2430系は元のスタイルに戻り、2008年にはT03、2022年にはT06,T07が廃車され、残るは3編成(T04, T05, T08)9両となっています。

1000-1004-2401052024/1/5 近鉄蟹江 1004 T04編成

1000-1008-220802 2022/8/2 米野 1008 T08(元T02)編成

そして生え抜きの1000系はこれら3編成のMc車3両のみとなっています。
明日の記事では1000系と制御車、付随車を交換した大出力モーターの1810系について触れます。

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2024年5月10日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その65 -446D 初号機 JA8083

JALは国内幹線用にSR-46, -146B, -146B/SUD, -346SRといった747の短距離バージョンを導入して来ましたが、その-400版がJA8083から始まる-446D(Domestic)です。

-400Dは最大離陸重量を-400の87万5千lb(39万6900㎏)から60万lb(27万2160kg)に下げ、標準最大航続距離も2250nm(4167km)としました。機体の構造的には2階客席床面の構造強化、2階客席窓を右側3列、左側2列追加、中・後部胴体の上部構造の強化、胴体フレームの強化、後縁フラップのトラック追加、後桁バルクヘッドの追加といった客席数の増加と飛行サイクルの増加に応じた強化がメインとなっています。さらに外観的な最大の特徴は飛行距離が短いことからウイングレットが廃止されたことで、主翼端の形状が変わり、ウイングレット先端から211in(5.36m)の位置で外側の継ぎ目に合わせて翼端部を取り外し、そこに新設計の主翼端部を取付け、-200、-300と同じ翼端フェアリングが取り付けられました。これによって機体の全幅は64.43mから59.64mと小型になりました。フラップに関しても最外側の前縁可変キャンバー・フラップはなくなり、747Classicと同様の5枚構成となりました。エンジンは-446と同様のGE CF6-80C2B1Fでした。

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Ja8083-jal-b747446d-cn25213-ln844-961013 1996/10/13 HND

JA8083はcn25213/ln844として製造され、N60668のテストレジで1991年3月15日に初飛行、同年10月10日にJALに引き渡されています。同月14日に羽田空港にフェリーされ、22日から路線就航、初便は羽田~福岡線でした。シートコンフィグはスーパーシート24席、普通席544席で合計568席はJAL機材としては最大でした。

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2001/8/19 HND

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2001年6月11日からはJAL50周年キャンペーンの一環でJAL Dream Express3号機としてスペシャルマーキングとなりました。

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最後はJJ塗装で2010年9月にストア状態となり、N894DBにリレジ、2011年に解体されました。

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2024年5月 9日 (木)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その42  大坂の陣以降の尾張徳川藩と名古屋城の歴史

尾張徳川藩の初代藩主、徳川義直は慶長5年11月28日(1601年1月2日)家康の9男として大坂で生まれました。幼名を五郎太丸といい、4歳で甲斐国の藩主を拝命、実際の領国経営は甲府城城代平岩親吉と甲斐国奉行大久保長安が担当し、本人は生母於亀とともに駿府城に居住しました。7歳のとき、家康の4男で28歳で病没した松平忠吉の遺領を継いで尾張国清洲城に転封となりました。

1610年2月、家康は甲斐、信濃、および東海道の要として名古屋を重要拠点と考え、天下普請で名古屋城の築城を決断、1615年4月、完成した名古屋城にて義直と浅野幸長の娘・春姫の婚儀が行われ、家康も駿河から参加している最中に、大坂にて豊臣方挙兵の報が入り、そのまま大坂へ出陣し、大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしました。

名古屋城完成に伴う城下町の整備(清須越し)は1612年頃から、義直が名古屋城に移った1616年までに行われ、5万人を超える住民と社寺3社110か寺が移動しました。

義直は当初、1615年に完成した本丸御殿は居住していましたが、1617年に二之丸御殿が完成すると1620年に移り、本丸御殿は将軍上洛時の御成御殿とされました。1626年には大御所となった秀忠が、1634年には3代将軍家光が上洛の際に立ち寄っており、この際には大々的な改築がなされました。その後、1865年、14代将軍家茂が上洛の際に1泊しています。

家康は1616年に亡くなりましたが、その遺産が9男義直、10男頼宣、11男頼房に譲られ、尾張、紀伊、水戸の後に言う「徳川御三家」が出来ます。石高は尾張家61万9500石、紀伊家55万5000石、水戸家25万石(後に35万石)で尾張家は御三家筆頭に位置付けられていました。表高(公称知行高)では尾張と紀伊の差は少ないですが、尾張家には木曾上納といわれる木曾の山林から木を伐り出す権利も付与されており、その収入も加えると100万石近かったと言われています。御三家には宗家継承権があり、将軍家の跡取りがいなくなった際に御三家から出すというものでした。しかし徳川15代将軍振り返ると、7代将軍家継が8歳で死去し、宗家が断絶した際に八代将軍として紀伊家から吉宗が養子として入り、以後は紀伊家の血筋が14代家茂まで続きました。15代将軍慶喜は水戸家の出ですが、慶喜の場合は御三卿のひとつである一橋家に養子入りした後、将軍家を継承しており、水戸家が直接将軍家を継いだわけではありません。

今は徳川御三家といえば尾張、紀伊、水戸ですが、江戸時代初期は将軍家、尾張家、紀伊家を御三家と呼ぶことがあり、尾張家、紀伊家、駿河家(秀忠の3男忠長の系統、1代で終わり)の3大納言家を御三家と読んだ時期もあったそうです。さらに家光の子の甲府家(綱重、綱豊の2代、松平左馬頭家)および舘林家(綱吉、松平右馬頭家)が石高・家格的に匹敵することから御三家と同位に位置付けられた時代もありましたが、駿河忠長の改易、舘林綱吉が5代将軍、甲府綱豊が6代将軍(家宣に改名)でこれらの徳川家は消滅したことで水戸家が格上げされ、後世に伝わる御三家になったそうです。

将軍家と尾張徳川家の間でも後継ぎ問題等でいろいろぎくしゃくしたことは何回かあったそうで、1631年大御所秀忠が病気になった際に義直と頼宜が揃って江戸に見舞いに向かった際に家光が叔父二人を大磯で止めた事件があります。当時、家光に子供は無く、義直は家光より4歳年長で、すでに光友がおり、家光としては将軍の後継のことで叔父らが口出しをするのを嫌がったのではないかと言われています。さらに1633年家光が大病を患った際に義直は再び、名古屋から江戸に見舞いに向かいますが、老中酒井忠勝の命で品川で止められます。これ以来、幕閣たちに「尾張藩は本家横領の下心あり」との印象を持たれたようです。義直の後、光友、綱誠、吉通、五郎太、継友と藩主が代わりますがいずれも早逝しています。特に吉通は自立後、6代将軍家宣の信任が厚かったのですが、25歳の若さで急死してしまい、五郎太も3歳で藩主になったものの2か月で急死、ここで直系は途絶え、吉通の弟、継友が藩士に迎えられ、1716年7代将軍家継が8歳で病没し、将軍家の後継ぎ候補として、26歳の継友、紀伊家の吉宗33歳、水戸家の綱條61歳が候補になりますが、年齢が高い綱條がまず除外され、実績の点で吉宗が8代将軍に選ばれました。

継友は39歳で麻疹で亡くなり、7代藩主となったのが宗春でした。宗春は八代将軍吉宗の緊縮財政、質素倹約をすすめる享保の改革に対抗して積極的な経済繁栄政策を推し進め、江戸在府中は吉原に通い、三浦屋の春日野太夫を身請けし。尾張藩の下屋敷に住まわせ、参勤交代で帰国する際には着飾らせ行列に加えたそうです。城下町名古屋では歌舞音曲を奨励、そのため全国から芸人が名古屋に集まり、芝居小屋が急増、遊郭も名古屋だけが賑わっていたそうです。これが名古屋を大都会に押し上げ、現代にも続く七五三、結婚式、嫁入り道具などにみられる名古屋の派手好き文化の祖となっていると思われます。藩の士風は乱れ、財政は悪化、「これを黙って見過ごしていては幕府の威信にかかわる」と1739年宗春の謹慎蟄居が命じられます。宗春自身、緊縮財政に転じますが蟄居で藩主は支藩から宗勝が迎えられ、宗春時代に抱え込んだ赤字減らしが行われ、さらに宗勝の2男宗睦の治世40年間で財政が立て直されたことから宗睦は「尾張中興の祖」と言われています。さらにこの時代には藩校明倫堂が創設され、藩士のみならず町人、百姓の聴講も許可されました。宗睦以降の藩主は義直の直系ではなく、一橋家からの斉朝、将軍家からの斉温、斉荘、田安家からの慶蔵、高須松平家からの慶勝、茂徳と養子が続きました。

18世紀中期には名古屋城の天守台石垣の不同沈下が進行し、特に西北隅の沈下は2尺にもなったため、1752年から大修理が始まりました(宝暦の大修理)。天守台の石垣の積みなおしも行われました。

慶応3年(1867年)3月、15代将軍徳川慶喜が京都二条城で「大政奉還」を申し出、同年12月討幕派の力を背景に、「王政復古の大号令」が発せられ、将軍職は廃止、天皇を頂点とする明治政府が成立しました。尾張藩も1868年、名古屋藩、犬山藩、今尾藩に分裂しました。1869年1月、版籍奉還が行われ、旧大名は藩知事に任命され、尾張徳川家16代当主の義宣が名古屋藩知事に任命されますが、1870年には名古屋藩は高須藩と合併となり、義宣の実父で元藩主の義勝が藩知事となりました。このときに天守の金鯱が無用の長物で天守から降ろされ東京に運ばれ皇居内に御物として収納されました。1872年には廃藩置県が断行され、名古屋藩は名古屋県となり、さらに三河、知多を中心とする額田県と合併して愛知県となりました。当時の明治政府は反乱や一揆に備えるため名古屋城全域を陸軍用地に指定し、陸軍東京鎮台第三分営が置かれ、本丸御殿が司令部、天守が仮兵舎として使用されました。1873年には廃城令「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」が出され、名古屋城は陸軍が使用していたため取り壊しを免れましたが、二之丸、三之丸などの建物は取り壊されました。その後、名古屋城と姫路城は1879年9月に陸軍省、内務省、大蔵省により、永久保存されることが決まりました。

1892年10月28日濃尾地震(マグニチュード8.0)で本丸の多門櫓、西之丸の榎多門が大破、天守は倒壊こそしませんでしたが床板が平坦でなくなり、漆喰壁が剥がれ落ち、本丸御殿は壁貼り付け絵やふすま絵に亀裂が入るなどの大きな被害が出ました。

Dsc00128 Dsc00130_20240508135101 2024/1/5 乃木文庫 陸軍時代に弾薬庫として建てられたもので名古屋鎮台に赴任経験がある乃木大将にちなんで命名されています。

太平洋戦争末期の1944年12月、名古屋への本格的空襲が始まり、1945年3月には本丸御殿の障壁画を御深井丸の乃木文庫に保管、金鯱を地中に埋める工事も手配されましたが、5月14日の空襲で天守、本丸御殿が焼失し、おおくの国宝建造物が失われました。

Dsc00139_20240508135001 2024/1/5 鉄筋コンクリート造りの天守閣

戦後まもなく天守閣再建を望む声が上がり、1954年頃から民間での募金活動も始まり、名古屋市は1957年6月、鉄筋コンクリートによる天守閣再建を決定、1959年10月1日、再建されました。ただ、同年9月には伊勢湾台風が襲来しており、名古屋は大きな被害を受けていたことから完成式は関係者のみで行われました。

Dsc00154_20240508135401 愛知県体育館 ドルフィンズアリーナ 三之丸地区にあり、毎年7月にはここで大相撲7月場所が開催されます。

2018年5月、築59年を経た天守閣は耐震性能が低いため閉館となり、同年6月には本丸御殿が復元完成し、一般公開が始まりました。木造で復元する天守閣お竣工は2022年12月と当初予定されていましたが、その後、コロナ禍などで遅れており、現時点で予定は明記されていません。

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2024年5月 8日 (水)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その41  名古屋城の石垣

城郭建築において石垣は建物の基礎としての役割のみならず、堀の構成など極めて重要な役割を担っています。名古屋城の石垣は本丸、二之丸、西之丸、御深井丸(おふけまる)を中心に築かれており、三之丸を含む城全体の総延長は約8.2km、高さは天守台以外は5~13m、天守台は東側が約12.5m、西側と北側が約20m、総面積は約6万5千平方メートルと推定されています。

名古屋城の大半の石垣が積まれたのは慶長15年(1610年)のことで、この頃は信長の安土城築城以来、蓄積してきた石垣積技術が最高潮に達した時期でした。

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Dsc00091 2024/1/5 二之丸付近の石垣 乱積、切込積 隅角部は算木積

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東門付近 布積 切込積

石垣は松などに由来する杭と胴木を土台木にした上に根石を並べ、盛土の外側に裏込(栗石)を被せ、表面に築石を積んで行くもので、裏込と築石の間には介石を築石の間には間詰石を詰めて積んでゆきます。裏込(栗石)は水はけを良くし、築石にかかる圧力を緩和して崩落を防ぎ、地震などの際の揺れを吸収するクッションの効果があると考えられています。築石は野面、打込接、切込接の3種のの加工の度合い、そして、乱積、布積の2種類の積み方があり、計6通りの種類がありますが、名古屋城の石垣は打込接、乱積が主体となっています。石垣の角の部分(隅角部)は角石と呼ばれる直方体状に加工された大きな石を長辺を互いに振り分けて積む算木積と呼ばれる工法が使われています。

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Dsc00104 Dsc00125_20240507135701 加藤清正自らが石曳の号令を、熊本の穴太による天守台の石垣 北側約20m

Dsc00137_20240507135901 天守と小天守を結ぶ橋台

石垣を特徴づける構造上の特徴が石垣の勾配(ノリソリ)で各地の石垣職人(穴太、あのう)が各家の秘伝として他に技術が漏れるのを嫌ったようで、名古屋城の場合でも天守台の石垣構築では肥後国国主加藤清正が単独で担当し、築造中は天守台を幕で囲って技術の漏れるのを嫌ったそうです。

石材は天下普請に参加した大名がそれぞれ愛知、岐阜、三重、さらには瀬戸内海沿岸、遠くは九州北部の唐津から花こう岩、凝灰岩、砂岩等を運搬しており、それぞれの石には大名家の区別のため刻印、刻紋が刻まれました。

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2024年5月 7日 (火)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その40  名古屋城の歴史

現在、「なごや」という地名に関して「名古屋」という漢字が使われていますが、古くは那古野、那古屋、奈古屋、名児耶といった漢字が使われていました。那古野城を最初に築いたのは駿河一帯を支配していた今川氏の一門の今川名児耶伊賀守高重で永正12年(1515年)のこととされています。今川名児耶氏の後継が途絶え、今川本家から今川氏豊が那古野城を中心とした尾張の領主として送り込まれますが、後年、清須城を拠点とする清須織田氏の家臣だった織田信秀(信長の父)に奪取されてしまいます。その後、織田信長は幼少期を那古野城で過ごし、弘治元年(1555年)には清須城に移り、那古野城は織田家家臣によって守られていたそうです。

信長による天下統一の試みが本能寺の変で潰え、1590年に秀吉が天下統一を成し遂げますが、関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍が徳川家康率いる東軍に屈し、徳川の天下となった1609年、家康は豊臣方との戦いを強く意識し、大坂城に攻め込むための、あるいは大阪からの大軍を食い止めるための拠点を那古野の地に考えました。当時、清須城(この頃には清洲城に)がもっとも中心的な城でしたが、五条川による水害の危険性、拡張性の問題、東海道との位置関係などから清洲以外の場所に対豊臣軍防衛の拠点を築くべきだと考えました。そこで白羽の矢が立ったのが那古野城でした。

家康が関ヶ原の戦い以降、天下普請として加納城、膳所城、福井城、二条城、彦根城、丹波篠山城、丹波亀山城を息のかかった大名に築城させて大坂城包囲網を形成して来ましたが、1610年には福島正則や加藤清正といった豊臣恩顧の大名も加わり、名古屋城の築城が始まりました。城下町も清洲から移転の際に当初は城と町が包み込まれる総構(惣構)とする構想でした。それが大坂の陣の終了、豊臣家の滅亡、家康の他界で総構とはならず現在の形の原形ができたとのことです。

名古屋城の完成が家康を強気にさせ、豊臣秀頼との二条城での会見でも豊臣上位・徳川下位の序列が逆転し、方広寺鐘銘事件(国家安康、君臣豊楽)を経て、大坂冬の陣に至ります。

まさに名古屋城の完成と名古屋城下町の構成は豊臣時代から徳川時代への時代の移り変わりを象徴しています。

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2024/1/5 名古屋城は名城公園の南側約半分を占めています。

Img610 「特別史跡 名古屋城」パンフレットから名古屋城案内図

本丸の一帯を縄張と言いますが名古屋城の場合、ほぼ正方形をしているのが特徴です。

Dsc00089 2024/1/5 地下鉄名古屋城駅から金シャチ横丁の前を通り、東門から二之丸へ

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右手に二之丸庭園を見ながら東南隅櫓(辰巳櫓)に向かいます。

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辰巳櫓 非公開で内部に入ることは出来ませんがかつては武具等が収納されていた櫓だそうです。

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本丸表二之門を通り、本丸に入ると目の前に五重五階、地下一階、石垣の高さ19.5m、天守本体の高さ36.1m、総高55.6m、18階建てのビルに相当する層塔型大天守が見えてきます。

Dsc00115_20240506102601 ただ残念なことに現在、大天守は耐震工事中のため入場は不可能でした。

Dsc00113_20240506103101 名古屋城といえば金の鯱が有名ですが、最初に城の天守の屋根に鯱を飾ったのは織田信長の安土城で、以降、秀吉の大坂城、伏見城、家康の名古屋城、駿府城、江戸城と続きました。名古屋城の金鯱は慶長小判金1940枚相当を使い、檜の寄せ木で造った芯の表面に金の板を打ち付けたもので総重量は雄雌合わせて215.3kgありました。現在の金鯱は二代目で銅板の型に金箔を貼り付け、樹脂塗装がされており、総重量は雌雄合わせて88kgです。

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2024年5月 6日 (月)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その39 名古屋城見学は地下鉄「名古屋城」駅から

「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」というのは伊勢音頭の一節ですが、名古屋を何度も訪問しておきながら名古屋城を見学していないのは大きな誤りだと感じ、2024年1月の名古屋旅行では名古屋城を見学することにしました。

1965年10月15日、名古屋市営地下鉄名城線の栄~市役所間が開通し、1971年12月20日、同線は大曾根まで延伸しましたが、「市役所という駅名は名古屋城の最寄り駅であることをアピールできていないのではないか」「駅名を名古屋城」にすべきではないかという議題が市議会に上程されたのは2017年3月10日のことでした。それからおよそ6年後の2023年1月4日、市役所という駅名は名古屋城に改称されました。

220804 2022/8/4 上前津駅の地下鉄名城線路線図、「名古屋城」という駅はなくまだ久屋大通と名城公園の間の駅は市役所

240105_20240505090801 2024/1/5 駅名標 駅名改称から1年と1日 旧駅名は副駅名「市役所・県庁」として残されました。

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2024/1/5 ホームの柱には名古屋城最寄りの出口は7番出口であることを案内する標識が
240105_20240505091301 2024/1/5 名古屋城駅 2022年10月27日に北改札口に設置された日本初となるレゴブロック製に「地下鉄案内図」

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240105_20240505094101 地下通路には名古屋城城郭絵図や本丸御殿の案内もあり、観光気分を盛り上げてくれます。

240105_20240505094401 7番出入口は名古屋城の高麗門を模した意匠となっています。

名古屋城駅(旧市役所駅)と栄駅(開業時は栄町駅)との間には名城車庫がありました。やがて車庫は名城工場となりましたが、路線が延長され車両が増えるにつれ手狭となり、名港車庫が拡張され名港工場となった時点の2004年10月1日に廃止されました。

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2024年5月 3日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その64 12機目の-446として就航した JA8082

cn25212/ln871として製造、1991年8月8日に初飛行、同月27日にJALに引き渡されたのがJA8082です。

同機は12機目の-446としてJALFleetに加わり、欧州線、東南アジア線で活躍、MAGICII装備の3クラスコンフィグ機でした。

Ja8082-jal-b747446-cn25212-ln871-960506- 1996/5/6 NRT

Ja8082-jal-b747446-cn25212-ln871-971019-

1997/10/19 NRT

Ja8082-jal-b747446-cn25212-ln871-980214-

1998/2/14 NRT

Ja8082-boeing-747446-25212-871-020414-nr

2002/4/14 NRT

2010年11月にストア状態となり、2011年5月24日Phuket AirlinesにAerSaleを介して売却されレジもN151ASとなりました。しかし、就航から僅か7か月の2011年12月には再びストア状態になり、2012年に解体されました。

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2024年5月 2日 (木)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その38 名鉄が JR東海から譲受したホキ80形

多くの鉄道会社が保線用砕石(バラスト)やレールの輸送を保守機械による輸送方式に切り替えている中、名鉄はEL120という新型の機関車を開発し、JR東海からホキ800形を購入し、ホキ80形に改造、EL120形2両の間に挟み、工事用臨時列車という形態で保線作業を行っています。

バラスト、セメント、小麦粉など粉状や粒状の積載物を袋詰めせずにばら積みの状態で輸送し、目的地で下部にある取り出し口を開け、取り出す貨車をホッパ車と言い車種記号は「ホ」で表しました。尚、石炭も砕石と形状は似ていますが、石炭車はホッパ車には含めないという了解がありました。最初にホッパ車が登場したのは1952年のことでセメント輸送用に有蓋ホッパ車(タキ2200形)が登場しました。当時は適切な車種が無く、暫定的にタンク車に分類され、1953年にホッパ車が制定され、タキ2200形はホキ1形(初代)に改番されました。一方、1930年、浅野造船所で浅野セメント向け鉱石車としてヲキ1形16両が製造されました。後年石炭車に類別され、セキ4000形に改められた車両も1957年にホッパ車に改められホキ4000形となりました。同車は1963年の称号規程変更でホキ600形に再改番されています。

バラスト運搬用ホッパ車として登場した貨車には北海道向けに1958年苗穂工場でセキ600形を改造して誕生したホキ1400形(1963年の称号規程変更でホキ1形(2代目)、複線用に特化した車両でバラストの輸送のみならず散布も可能な車両で1953年から1962年に三菱重工業が製造したホキ100形(1963年の称号規程変更でホキ300形に)、1957年から1959年に国鉄長野工場が製造したホキ700形、ホキ700形が軌道外側1方向のみバラストを撒布する方式だったのを軌道の内側・外側・遠近の3方向に撒布可能としたホキ800形があります。

100710

2010/7/10 東淀川 EF65PFに牽引され東海道本線を東上するJR西日本の工事用臨時列車

ホキ800形はバラスト撒布用ホッパ車の決定版として1958年度から1974年度にかけ、国鉄長野・浜松・郡山の各工場、東急車輛製造、三菱重工業、日立製作所、汽車製造で1066両が製造されました。

国鉄分割民営化の際にJR北海道105両、JR東日本407両、JR東海62両、JR西日本164両、JR四国10両、JR九州67両の計815両が承継されました。2021年4月1日時点でJR各社に在籍する車両はJR東日本100両、JR西日本45両で他の旅客会社の車両は全て除籍されました。

名鉄は2001年12月にJR東海からホキ800形、ホキ1035, 1741, 1746, 943, 942, 910を譲り受け、ホキ80形ホキ81~86と改番し、ホキ81 - 83は犬山検車区に配置され犬山線系統で、ホキ84 - 86が豊明検車支区に配置され、名古屋本線系統で使用されています。2010年に台車を台車をTR41CからTR214Bに交換し、昨日の記事にあるようにEL120形電機が登場した際に2両の機関車間に貨車を挟んで運用する際に総括制御が可能なように制御線が引きとおされました。瀬戸線用にJR東海から譲受したホキ945を改造したホキ87も喜多山検車支区に配置されていましたが、喜多山検車支区の移転に伴い2007年に廃車となりました。

84-240105 85-240105 86-240105 2024/1/5 豊明 EL120重連+ホキ84,85,86

名鉄以外にもJR各社から譲渡されたホキ800形として弘南鉄道、八戸臨海鉄道、小坂精練小坂鉄道、上信電鉄、小湊鉄道、伊豆箱根鉄道、大井川鉄道、遠州鉄道にホキ800形が在籍しています(小坂精錬小坂鉄道は2009年に廃止)。またホキ800形と同一設計で事業者が独自に製造した車両もあります。東武鉄道ホキ1形、西武鉄道ホキ81形、ホキフ71形、相模鉄道ホキ800形、富士急行ホキ800形、富山地方鉄道ホキ80形、近江鉄道ホキ10形、京王帝都電鉄ホキ280形、京浜急行ホ50形、阪神電気鉄道161形、神戸電気鉄道クホ760形、サホ760形、山陽電気鉄道クホ70形、サホ80形などがそうです。

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2024年5月 1日 (水)

2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その37 豊明検車支区にてEL120形を撮影

名鉄では1000両を越える車両の日常検査や定期検査、車両留置のために舞木、犬山の2つの検査場の他、茶所、新川、豊明、猿投、尾張旭の5つの検査支区があります。

舞木検査場は名鉄最大の検査場で全般検査、重要部検査が行われており、1997年の鳴海駅高架化の際に鳴海工場が移転するという形で同年3月12日に開業しました。名古屋本線の名電山中駅と藤川駅の間にあり、名電山中駅側から入出場が行われます。

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2022/8/3 広見線から犬山検査場方面分岐

犬山検査場は1985年9月15日、新川工場の月検査業務を引き継ぐ形で広見線の犬山駅と富岡駅間に開設されました。犬山線、常滑線、河和線用の150両を収容可能で犬山駅側から入出場が行われています。

茶所検査支区は当時の新岐阜駅から名古屋本線で2駅目の茶所駅の岐南駅寄りに1956年12月28日に開設され、開設時から優等列車の検査を担当し、7000系パノラマカーや5500系の日常検査が実施されてきました。

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2022/8/3 須ヶ口 新川検査支区

新川検査支区は1929年、当時の名古屋鉄道須ヶ口駅に併設された車両工場で名岐鉄道時代を通じ名古屋に最も近い車両工場として重要な役割を担ってきました。2005年1月29日の空港線開業に伴い、収容能力の向上や施設の更新がなされ、名鉄名古屋駅に最も近い車両基地として活用されています。

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2024/1/5 豊明 豊明検査支区

豊明検査支区は1997年の鳴海駅高架化工事に伴い、鳴海検車区が豊明駅隣接後に移転したもので1999年に開設されました。

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2022/8/4 猿投 猿投検査支区

猿投検査支区は1979年7月29日の豊田線開業に合わせ、同年6月三河線の猿投駅構内に新設されました。

尾張旭検査支区は2007年瀬戸線喜多山駅付近の高架工事に伴い、同年6月30日、喜多山車庫が尾張旭駅隣接後に移転し、新たに開設された車両基地です。

2022年夏の名鉄全線ほぼ乗りつくしの旅で撮影出来なかったEL120形が普段は豊明検査支区に常駐しているとのことなので豊明駅に行ってみることにしました。

EL120形は名鉄が保線作業や新製あるいは除籍された車両の甲種輸送用にそれまで使用していた旧型電機の置き換え用として2015年に東芝に発注した電気機関車で名鉄としては72年振り、受注した東芝としても45年振りの私鉄向け電機の製造となりました。

主要諸元

軸配置 B-B
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V (架空電車線方式)
最高速度 100 km/h(単独走行時)45 km/h(牽引時)
起動加速度 3.0 km/h/s(単独走行時)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
自重 39.8 t
全長 12,000 mm
車体長 11,660 mm
全幅 2,731 mm
車体幅 2,600 mm
全高 4,095mm
車体高 3,388.2 mm
台車 新日鐵住金 FS571MB
車輪径 860 mm
固定軸距 2,100 mm
軸重 10t
主電動機 全閉自冷式かご形三相誘導電動機 (架空電車線方式)
主電動機出力 190 kW (1,780 rpm) × 4基
端子電圧1,100V(127A・60Hz)
駆動方式 歯車型継手式平行カルダン駆動方式 (WN継手式並行カルダン軸駆動方式)
歯車比 98:15=6.53
出力 760 kW
定格出力 500V
定格速度 55km/h
制御方式 3レベル方式電圧形PWM IGBT-VVVFインバータ制御
制動装置 電気指令式回生・電空併用ブレーキ (留置ブレーキ・耐雪ブレーキ・滑走防止制御付き)
電気指令によるBP管自動空気ブレーキ(貨車用)
保安装置 M式ATS

形式の120は名鉄創業120周年にちなんだものです。構造的にも、運転操作的にも電車と共通である点が特徴です。EL121とEL122の2台が製造され、導入と同時に貨車にも制御線が引き通されており、2台の機関車を貨車の前後に連結し、前位側の機関車の運転台から後位側の機関車を総括制御することも可能となりました。

El121-240105
EL121

El122-240105

EL122  2枚とも 2024/1/5 豊明

車体番号は側面に121,122と表記されており、妻面はどちらもEL120となっているようです。

豊明検車支区に配置され、、走行試験・性能確認試験、乗務員訓練が行われた後、2015年5月から本格稼働に就きました。

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