2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その41 名古屋城の石垣
城郭建築において石垣は建物の基礎としての役割のみならず、堀の構成など極めて重要な役割を担っています。名古屋城の石垣は本丸、二之丸、西之丸、御深井丸(おふけまる)を中心に築かれており、三之丸を含む城全体の総延長は約8.2km、高さは天守台以外は5~13m、天守台は東側が約12.5m、西側と北側が約20m、総面積は約6万5千平方メートルと推定されています。
名古屋城の大半の石垣が積まれたのは慶長15年(1610年)のことで、この頃は信長の安土城築城以来、蓄積してきた石垣積技術が最高潮に達した時期でした。
2024/1/5 二之丸付近の石垣 乱積、切込積 隅角部は算木積
東門付近 布積 切込積
石垣は松などに由来する杭と胴木を土台木にした上に根石を並べ、盛土の外側に裏込(栗石)を被せ、表面に築石を積んで行くもので、裏込と築石の間には介石を築石の間には間詰石を詰めて積んでゆきます。裏込(栗石)は水はけを良くし、築石にかかる圧力を緩和して崩落を防ぎ、地震などの際の揺れを吸収するクッションの効果があると考えられています。築石は野面、打込接、切込接の3種のの加工の度合い、そして、乱積、布積の2種類の積み方があり、計6通りの種類がありますが、名古屋城の石垣は打込接、乱積が主体となっています。石垣の角の部分(隅角部)は角石と呼ばれる直方体状に加工された大きな石を長辺を互いに振り分けて積む算木積と呼ばれる工法が使われています。
加藤清正自らが石曳の号令を、熊本の穴太による天守台の石垣 北側約20m
天守と小天守を結ぶ橋台
石垣を特徴づける構造上の特徴が石垣の勾配(ノリソリ)で各地の石垣職人(穴太、あのう)が各家の秘伝として他に技術が漏れるのを嫌ったようで、名古屋城の場合でも天守台の石垣構築では肥後国国主加藤清正が単独で担当し、築造中は天守台を幕で囲って技術の漏れるのを嫌ったそうです。
石材は天下普請に参加した大名がそれぞれ愛知、岐阜、三重、さらには瀬戸内海沿岸、遠くは九州北部の唐津から花こう岩、凝灰岩、砂岩等を運搬しており、それぞれの石には大名家の区別のため刻印、刻紋が刻まれました。
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