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2024年8月30日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その81 21機目の-446 JA8909

cn26353/ln980として製造、1993年5月21日に初飛行、6月7日にJALに引き渡されたのがJA8909でした。

JALにとって最初に国際線用に導入したJA8101~JA8103の3機の-146が退役したのが1992年6月から12月でした。JA8101は終生、JAL機で、JA8102とJA8103は1982年から1986年までJAAに移籍していますが、これら3機のリプレイス用として、「ジャンボの後継はジャンボで」というポリシーで導入された機体のようです。

2005年夏にはサッカー日本代表応援ステッカーが機体に添付されました(写真はこちらをご覧ください)。日本代表チーム(監督はジーコ)
2005年6月8日にアジア最終予選B組1位となり、ドイツで開催される本大会FIFA WC 2006の出場権を獲得しています。これは世界で一番のりでした。

本大会はグループFに入り、初戦オーストラリア戦は1-3、第2戦クロアチア戦は0-0、第3戦ブラジル戦は1-4と勝ち点1、グループ4位で予選リーグ敗退でした。決勝はイタリアとフランスの戦いとなり、120分で決着がつかず、PK戦となり、5-3でイタリアが勝利しました。イタリアは6大会ぶり4回目のWC優勝となりました。

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1998/10/25 NRTJa8909-boeing-747446-26353-980-040414-nr 2004/4/14 NRT

JA8909はMAGIC-II装備の3クラス機として欧米線、東南アジア線に就航、2006年12月には旅客型から貨物機に改修され、-446BCFとなりました。2009年8月に退役、2010年12月6日からKalitta Airのフリートに加わり、レジはN744CKに。現在もActiveです。

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2024年8月29日 (木)

西武鉄道 2000N系 6連化された2091Fが国分寺線・拝島線運用に

2024年7月2日、池袋線で使用されていた2000N系8連,2091Fが横瀬基地に回送というニュースがありましたが、同編成は2291,2292を抜かれ6連化された後、武蔵丘車両検修場に入場、抜かれた2291、2292は7月16日に横瀬車両基地から廃車・解体施設へ陸送されました(情報)。6連となった2091Fは8月20日、武蔵丘車両検修場を出場し、試運転が実施され(情報)、翌8月21日より、これまでに6連化された2077F, 2081Fと同様に国分寺線、拝島線での運用に投入されました(情報)。私も8月26日に国分寺線で運用に就く姿を撮影しました。

2000n-6-2092-240826


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2024/8/26 小川 2091F 6662レ

2000n-6-2091-240826-21
2000n-6-2092-240826-21 2024/8/26 小川 6661レ

2000n-6-2092-240826-31 2000n-6-2091-240826-31 2024/8/26 小川 6668レ

この日は国分寺線運用に2077F、2051F(貫通扉窓小)の3編成、拝島線運用に2053Fが入っていましたが、小田急8000形改造のサステナ車が入線するまでにはこれまで国分寺線で活躍してきた2000N系オリジナル6連でバリアフリー対応未更新の2051F,2053F,2049Fは淘汰されるのでしょうか?

000N系8連の廃車(部分廃車)に関して

2057F 2023/1
2059F 2022/5
2061F 2023/2
2063F 2021/11
2067F   2024/3
2077F 2023/8 (2277・2278の廃車)
2081F 2023/12 (2281・2282の廃車)
2091F 2024/7 (2291・2292の廃車)
2097F 2016/9

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2024年8月28日 (水)

速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その3 焼島貨物

一ノ木戸(現、東三条)方面から延伸してきた北越鉄道の路線は1897年11月20日 、信濃川の川幅が1km近くあったことから架橋が出来ず、新潟市東部の沼垂に駅を設け、終着駅としました。新潟市民の反対は強く、開業前には沼垂駅で機関車と貨物庫、新栗ノ木川の鉄橋が爆破される騒動まで起きました。
 その後も鉄道誘致活動が続き、1904年5月3日、市の中心部に近い弁天公園付近に新潟駅が開設されました。これが初代の新潟駅ですが、1937年に日中戦争が勃発し、太平洋戦争を経て、戦後になると新潟駅は大陸からの引揚者などで常に人が溢れる状態が続き、さらに沼垂を出発した列車が大きく迂回をして新潟駅に入る時間的ロスや越後線の連絡も考慮し、信越線、白新線、越後線の3線の統合される現在の場所に移転となりました。新駅駅舎の完成は1958年4月29日でした。Photo_20240827095701

沼垂駅、旧新潟駅、現在の新潟駅と焼島貨物駅の位置関係を示した地図
Yahooの鉄道路線マップをベースに作成しました。

今回の旅行の2日目に東新潟、越後石山付近を歩いた後、新潟貨物ターミナルから焼島貨物駅に至る信越貨物支線を探して歩きました。新潟駅前から1ブロック北の東西に走る明石通りを東に歩くと栗の木バイパスとの交差点(栗の木橋)があり、さらにそれを越えて東進すると道路は立体交差となり、線路跡を越えます。

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2024/8/19 廃線跡 北側

Dsc09221_20240827100901 2024/8/19 廃線跡 南側

この廃線跡がかつて沼垂駅に通じていた信越線の線路跡で、南側の写真の奥に見えている新幹線の引き上げ線の高架付近で現在の信越線・白新線から分岐しています。

Dsc09222 2024/8/19 沼垂駅に続く信越線が水路を渡っていた跡、橋梁は撤去されていますが、橋台は残っています。

これをさらに南下し、信越線、白新線の下を潜り、線路に沿って進むと2日目の記事で紹介した都市計画道路出来島上木戸線の信越本線・白新線オーバクロスポイントに出ます。

3日目は明石通りをさらに東進し、現在もActiveな焼島貨物駅に通じる信越貨物支線を目指しました。

Dsc09407_20240827102001 2024/8/20 
榎町の歩道橋、日産自動車のディーラーの前を過ぎ、東消防署を右手に見て進むと、道路は線路を越えるため上り坂となり、その手前に左に分岐する道があります。

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2024/8/20 焼島貨物駅で出発準備をするDD200-22号機牽引 7082レ

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焼島貨物は北越コーポレーション新潟工場で生産された紙製品を隅田川駅のエフ・プラザ隅田川へ送る業務を担当しており、新潟貨物ターミナル駅と焼島貨物駅間のコンテナ貨物の牽引を愛知機関区配置のDD200形が担当しています。

新潟タ 843ー7251レー859 焼島
焼島 1058ー7252レー1116 新潟タ
新潟タ 1134-7253レー1150 焼島
焼島 1452-7082レー1510 新潟タ   と2往復設定されています。

かつては日本鋼管新潟製造所や旭カーボン本社工場などへ続く専用線もあり、旭カーボン線からは西武鉄道小川駅(ブリヂストン東京工場)向けのカーボンブラックの発送もされていたとのことです。2010年10月までは紙製品はワム80000形有蓋車で輸送されていました。

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2024/8/20 焼島貨物駅から上沼垂信号所へ
新潟タまで5.2kmと短い貨物線ですが、「乗れない鉄道」として産業に貢献していることが分かりました。

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2024年8月27日 (火)

速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その2 直江津駅 part2

JR東日本とJR西日本の共同使用駅から北陸新幹線の金沢延伸で、第3セクター・えちごトキめき鉄道の駅となった直江津駅について、昨日の記事では同駅に乗り入れる第3セクターの車両について紹介しましたが、今回はJRの車両、列車について触れようと思います。

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Dsc09355edit Dsc09354_20240826073101 2024/8/20 直江津 E653系1100番台 特急「しらゆき2号」

北陸新幹線金沢延伸で金沢~新潟間の特急「北越」5往復、新井~新潟間の快速「くびき野」が廃止された代わりに新井・上越妙高~新潟間に計4往復設定されたのがこの「しらゆき」です。車両は既に何回か登場しているように常磐線で活躍していた「フレッシュひたち」のE653系4連です。
個人的には新幹線延伸の影響で直江津~新潟間の信越本線は大きくサービスダウンしたのではと感じています。開業前は特急「北越」5往復、快速「くびき野」3往復、いずれもかなり老朽化が進んではいましたが485系特急電車が使用されていましたが、開業後はこの「しらゆき」5往復のみとなり、2022年3月のダイヤ改正で1往復減便されました。

新幹線がいくら開業しても線区によって分断されることなく運行を続けているのがJR貨物です。もちろん、線路使用料の問題はあるかと思いますが、朝8時台の直江津駅は貨物列車の撮影時間帯でもあります。

Dsc09317_20240826082001 2024/8/20 直江津 3092レ
最初にやってきたのは所定、3:50着,3:52発のところ、4時間半の遅れでやってきた新潟タ発、福岡タ行、3092レでEF510-513号機牽引でした。

Dsc09323 2024/8/20 直江津 4091レ

続いて、3分遅れで到着した下り吹田タ発札幌タ行4091レはEF510-514号機牽引でした。

Dsc09343 2024/8/20 直江津 4076レ

撮影場所を1番線の西寄りにして写したのが、定刻より2分早く到着した八戸貨物発百済タ行4076レでEF510-5号機牽引でした。

最後に直江津駅の東側には1894年8月に発足した直江津機関庫をはじめとする直江津運輸区2015年3月14日限りで長岡運輸区に統合され、設備はえちごトキめき鉄道に譲渡された車両基地があります。

Dsc09361_20240826084101 2024/8/20 えちごトキめき鉄道の車両基地

この設備の一部が2021年4月29日から「直江津D51(デゴイチ)レールパーク」としてオープンし、年に何回か公開されていることをテレビの鉄道関連番組でしており、WEBサイトで調べてみたところ、8月の公開は10、11日で次回は9月14日とのことでした。

Dsc09372_20240826085001 2024/8/20 直江津駅南口

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Dsc09368 2024/8/20 直江津D51レールパーク

直江津駅南口を出て、案内標識に従い、進むと施設の入口にたどり着けます。

次回、オープンのタイミングに合わせて再訪したく思いました。

直江津から9:51発の1329Mで長岡へ、長岡から443Mで新潟に戻り、午後は沼垂駅に通じる貨物線、さらに焼島貨物駅にてDD200牽引の7082レを撮影しました。

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2024年8月26日 (月)

速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その2 直江津駅 part1

8月18日から21日にかけての新潟旅行、前回の2013年8月7日から10日の旅行で撮影した写真と見較べてみると、115系、E127系の姿は無く、特急「いなほ」の485系E653系に置き換わり、特急「北越」快速「くびき野」に代わって特急「しらゆき」が登場し、気動車もキハ40系かGV-E400系となり、JR貨物の牽引機もEF81の姿は無くなりました。10年ひと昔と言いますが、11年の年月が過ぎると車両もこうも変わるのかと驚かされた次第です。

そしてもっと驚かされたのが3日目に訪れた直江津駅の変貌ぶりです。直江津駅は2010年7月17日から19日にかけて訪れていますが、当時の写真を見ると

日本海縦貫線:急行「きたぐに」(大阪~新潟)581系、特急「北越」(金沢~新潟)485系、臨時特急「トワイライトエクスプレス」(大阪~札幌)24系 特急「はくたか」(金沢~越後湯沢)681系683系
信越本線:快速「くびき野」(新井~新潟)485系

北陸本線~信越本線:419系475系

信越本線:快速「妙高189系、115系(新ニイ、長ナノ)

ほくほく線:HK100形681系2000,683系8000

JR貨物:EF81、EF510    などが登場します。

Dsc09360 2024/8/20 直江津駅通路 

直江津駅を中心とした鉄道の発展の歴史を振り返ってみると、1886年8月15日官設鉄道により、 関山~直江津間が県内最初の鉄道として開業し、直江津駅はその終着駅として開設されました。その後、高崎方面には1888年5月1日に関山~長野、8月15日に長野~上田、12月1日に上田~軽井沢間が開通、1893年4月1日、軽井沢~横川間が開通し、1885年に開通していた高崎~横川間と繋がり、全通しました。
 一方、北越鉄道1897年5月13日、春日新田~鉢崎(現在の米山)を皮切りに、8月1日には柏崎、11月20日には柏崎~北条、沼垂~一ノ木戸(現在の東三条)、1898年6月16日には一ノ木戸~長岡、12月27日には北条~長岡を開業、1899年9月5日には直江津~春日新田間が開業し、1904年5月3日の沼垂~新潟(初代)間の開業で直江津~新潟間も全通しました。
 富山方面には1911年に7月1日に名立まで開業、1912年12月16日には名立~青海川間が延伸し、1913年4月1日、青海川~糸魚川間の開業で米原~直江津間が全通しました。このとき、糸魚川~直江津間を信越線から北陸本線に編入されました。

まさに新潟の鉄道は直江津から始まったと言っても過言ではありません。

Dsc09314 2024/8/20 直江津駅 駅名標

直江津駅は国鉄時代は在来線の拠点駅であり、民営化後はJR東日本とJR西日本の共同使用駅でしたが、2015年3月の北陸新幹線金沢延伸で駅舎や車両基地等の構内施設の大部分はえちごトキめき鉄道に移管され、路線名もJR東日本管理だった妙高高原~直江津間は妙高はねうまライン、JR西日本管理だった市振~直江津間は日本海ひすいラインとなりました。JR同士の共同使用駅が2社ともに撤退して第3セクターの管轄になった例としては初のケースとなりました。

Dsc09298 2024/8/20 直江津 ET122形 0番台 K4編成

この車両は直江津からあいの風とやま鉄道の泊駅までを結ぶ気動車でえちごトキめき鉄道がJR西日本の協力を得てキハ122形をベースに8両投入したもので、電化されているものの糸魚川~梶屋敷間のAC20kV60Hz/DC1500Vの交直切換えが存在し、交直両用車両を投入するよりも気動車を投入した方が車両製作費用が少ないことから、この方式となりました。沿線は頸城トンネル(11353m)等、6割がトンネル区間で「万が一火災が発生したら大変危険だ」という意見も出されましたが、JR西日本の最新の気動車系列をベースにした新造車両を投入するということで対処したようです。

Dsc09302
2024/8/20 直江津 ET127系 V4編成

この車両は元来、JR東日本が新潟地区用に投入したE127系0番台13編成(うちV3編成は2008年9月18日、越後線内で発生した踏切事故で廃車に)で信越線妙高高原~直江津間の第3セクター化「妙高はねうまライン」用に10編成を改修の上、譲渡したものです。残った2編成は弥彦線専用で活躍した後、南武支線の205系1000番台置き換えのため鎌倉車両センター中原支所に転属しました。
ET127系10編成のうち、V1編成は「懐かしの新潟色」、V8編成は「横須賀色」とインパクトのあるラッピングとなっています。

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2024/8/20 直江津 JR東日本 E129系A13編成 北越急行ほくほく線 HK100形 H-101 H102編成

2010年の訪問の際にも撮影していますが、北越急行のHK100形が直江津駅に乗り入れています。JR東日本のE129系の運用も直江津まで来る編成は終日、長岡との間を往復しているようです。

JR車の到着に合わせて、ひすい、はねうま、ほくほくから車両がやってきて、それぞれ散って行くのを繰り返しているようです。

JRの車両が乗り入れていますが、改札等、駅の業務はえちごトキめき鉄道の社員が担当しているためか、18切符で出場するときは「どこから来たか?」、入場するときは「何時の列車に乗車するのか?」といちいち尋ねられる点、多少ストレスを感じました。

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2024年8月23日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その80 8機目の-446D JA8908

cn26352/ln978 として製造、1993年5月11日に初飛行、6月1日にJALに引き渡されたのが、8機目にして最後の-446DとなったJA8908です。
引き渡し後、直ぐに興銀リース他4社に売却され、JALがリースするという形で運航されました。

Ja8908-jal-b747446d-cn26352-ln978-960924 1996/9/24 HND

Ja8908-jal-b747446d-cn26352-ln978-980102 1998/1/2 HND

Ja8908-jal-b747446d-cn26352-ln978-000910 2000/9/10 NRT

シドニーオリンピック応援ステッカー「がんばれ!ニッポン!2000」(2000.6~2000.9)や

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2002/6/7 HND

JAL日本代表サポーターズ号」(2002.3~2002.8)としてFIFA Worldcup 日韓2002 ステッカーが貼られた機体ですが、

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2001/5/6 HND

なんといっても驚かされたのは2001年1月30日からJAL50周年、ウォルトディズニー生誕100周年を記念した「JAL Dream Express21 Friends号(1号機)」となったこと(2002年3月まで)でした。

2010年10月、退役し、レジはN806DBとなり、ますが第二の就職先は無く、2012年には解体されました。

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2024年8月22日 (木)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 4日目 

新潟からの帰路は予告したように磐越西線経由にしました。

昨日同様に新潟駅に朝5時に到着、5時14分発の420Mで新津に向かいます。

Dsc09434

2024/8/21 新津駅 SLばんえつ物語・25年の軌跡展@新津鉄道資料館開催のポスター

Dsc09437_20240821203101 歴代のHMのポスター

8月19日C57180号機のHMも25周年記念でしたが、上記の展示を告知するポスターとC57DD51DD53、そして客車に花を添えた歴代HMのポスターが掲示されていました。

Dsc09433_20240821203701 2024/8/21 新津 6:00発会津若松行 列車案内

新津からは磐越西線の初発224Dに乗車しました。

Dsc094462024/8/21 新津 新津運輸区からホームに入線するGV-E401+402-12

Dsc09448車内の様子 車体中央部に3組のクロスシート(1+2)が配置され、他はロングシートとなっています。

車両はGV-E401+402の2連で、勿論、初めての乗車です。ディーゼルエンジンで発電機を回し、得られた電力でモーターを回す、ディーゼル・エレクトリック方式2018年から川崎重工業で製造され、2019年8月19日に営業運転が始まりました。ちなみにこの方式は小海線に登場した蓄電池搭載のキハE200形シリーズ式ディーゼルハイブリッド方式とは別物です。

構造、仕様の詳細は後日、記述しますが、車体はステンレス無塗装で一見、武骨な印象があります。6:15には、同タイプの編成が羽越本線酒田行として出発します。酒田までは電化されていますが村上以北の交流区間対応は交直流車両を新製するより、気動車が有利との判断からですね。

磐越西線の新潟~会津若松間に乗車するのも初めてですが、阿賀野川に沿って走る風景は絶景の連続で、C57 180号機が牽引するSL磐越物語に素晴らしい舞台を提供していると感じました。

Dsc09458 2024/8/21 五泉付近 山が近いせいか気流の逆転層が発生している様子が伺えます

新津駅を出発し、信越本線から別れ左にカーブするとC57180号機が引退後、静態保存されていた新津第一小学校の前を通過します。しばらくは宅地が続きますが、新関駅あたりからは新潟平野の美田の中を進みます。新津を出発してからほぼ南に向かって進んでいましたが五泉駅で進路を東に変え、山が近くに迫ってきます。

Dsc09465 2024/8/21 三川~津川間 阿賀野川の流れ、美しい植林の風景

Dsc09479 2024/8/21 SL磐越物語停車駅にはこういったレトロ調の駅名標が準備されています。

Dsc09512 2024/8/21 喜多方 駅名標

阿賀野川の流れを右左に見ながら、風景が山線から盆地に入ったなと思うとラーメンで有名な喜多方に到着します。

喜多方と言えば、2022年3月のダイヤ改正でJR東日本は会津若松~喜多方間の電車運行を止め、架線を撤去すると発表し、地元から猛反対の声が上がったというニュースを耳にした記憶がありますが、

Dsc09511 2024/8/21 喜多方駅ホームから会津若松方面
果たして通電されているかどうかは不明ですが、ビームや架線は残っていました。

列車は喜多方駅で16分間停車した後、会津若松に向かって快速列車となり。8:47に到着します。

Dsc09528 2024/8/21 会津鉄道 AT-751

Dsc09524 2024/8/21 会津若松 只見線 キハ110-223

会津若松からは9:30発3234M郡山行に乗車しましたが、待ち時間には同駅に到着する只見線424D、同駅を出発する会津鉄道2307Dなどに遭遇しました。

ここから先は郡山~新白河~黒磯~宇都宮~浦和~南浦和~新小平と乗り継ぎ、我が家に帰り着いたのは16:45、ちょうど新潟のホテルをチェックアウトしてから12時間後でした。

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2024年8月21日 (水)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その1 越後線の旅

新潟の旅、3日目は18切符を利用して新潟から越後線で吉田、さらに柏崎、そこから信越本線で直江津まで行きました。

Dsc09238 2024/8/20 新潟駅 朝4時34分 
1番線から越後線、4番線からは白新線、5番線からは信越線の初発列車がそれぞれ出発します。車両はすべてE129系、前夜、最終もしくは回送で到着した車両が滞泊したものです(こちらのサイトに詳しいです。)

Dsc09241 2024/8/20 越後線 吉田方面 120MはA30編成でした。

越後線の新潟~吉田間は以前に乗車したことがありますが、吉田~柏崎間は今回が初の乗車でした。新潟を出発すると直ぐに信濃川を渡ります。かつて越後鉄道が柏崎から越後線の前身である路線を敷設した際、資金不足で信濃川を越える橋梁の架橋が出来ず、やむを得ず白山をターミナルとしました。新潟を出発し、しばらくすると進行左手に密集した住宅地を見下ろす景色が展開し、内野西が丘まで続きますが、そこから先は穀倉地帯新潟平野を感じる美田が広がっています。

Dsc09248 2024/8/20 越後曽根~巻間
進行方向右手の車窓に角田山、弥彦山が見えて来ます。地図で見るとこれらの山々は海岸縁に聳えています。

Dsc09251 2024/8/20 吉田

Dsc09255 2024/8/20 吉田駅 駅名標 西燕、矢作は弥彦線

新潟を出発して49分、列車は弥彦線との連絡駅、吉田に到着します。車両の運用は吉田で分断されており、大半の列車は吉田で折り返しています。あるいは内野で折り返しています。一方、新潟側も信越線から越後線へ、あるいは白新線から越後線へ、あるいはその逆といった運用をよく見かけました。

引き続き柏崎方面は122Mでホームに入線している、左の編成で1分の接続です。

Dsc09253 2024/8/20 吉田 柏崎方面122M A14編成

Dsc09257 2024/8/20 分水~寺泊間 信濃川の2大分水路のひとつ大河津分水路の鉄橋を渡ります。ちなみにもう一つの分水路は関屋分水路で関屋~青山間で越えています。

Dsc09267 2024/8/20 刈羽 駅名標

妙法寺から西山にかけては丘陵地帯を通り、刈羽で平地にでますが、「刈羽」という地名から分かるようにこの駅の海岸側には東京電力柏崎刈羽原子力発電所があります。

Dsc09270 2024/8/20 吉田を出発して1時間14分、柏崎に7:08到着です。

Dsc09280 2024/8/20 柏崎 越後線0番ホーム

柏崎は1975年最初に来ましたが、ホームの構成は今も同じ、0番線が越後線、1番線と2,3番線の間に4本の線路があります。

Dsc09285 長岡駅でも見かけましたが、観光列車「越乃Shukura」の停車する駅にはこういった駅名標が設置されています。

ここからさらに信越線で直江津に向かいました。直江津は2010年頃に来て、駅のそばのホテルに数泊しましたが、あの頃と駅の構造は同じですが、2015年春の北陸新幹線金沢延伸で信越本線長野~妙高高原間はしなの鉄道北しなの線に、妙高高原~直江津間はえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに、さらに直江津~糸魚川間の北陸本線のうち、市振~直江津間はえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインとなり、旅客輸送はDC-AC60Hzのデッドセクション越えの問題から気動車対応となっています。さらに越後湯沢と直江津を結ぶ北越急行ほくほく線も乗り入れており、直江津駅はJR東日本、えちごトキめき鉄道、北越急行、そしてJR貨物の貨物列車も走る駅となっています。

さらに長岡経由で新潟に戻った後は、2日目の貨物線巡りの延長で焼島貨物駅まで歩き、14:52に同駅を出発する新潟貨物ターミナル行DD200牽引の7082レを撮影しました。

あまりに話題が多すぎて、今回の記事では書ききれないので、これらはは帰京後に廻します。

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2024年8月20日 (火)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 2日目

新潟の旅、2日目は新潟駅周辺を歩き回りました。

信越本線に乗って越後石山を過ぎると、新潟貨物ターミナルに分岐する線路があり、新潟車両センターが右手に見え、やがて白新線の新潟に向かう線路が頭上を越え、さらに新幹線の高架も見えて来ます。さらに焼島貨物駅に向かう貨物線が分岐し、90度左に曲がって高架となり新潟駅に到着します。越後線や上越新幹線はその先に伸びています。また新潟貨物ターミナルと信越本線を結ぶ線路はデルタ線を形成しています。非常に線路構成が複雑な地帯ですが、鉄道駅は新潟駅、越後石山駅、東新潟駅(白新線)しかなくじっくり観察するにもなかなか出来ないのがこの辺りの特徴です。


そこで今回は東新潟から越後石山まで線路伝いに歩き、新潟から焼島貨物線方面を目指しました。




まずは新潟駅で朝の撮影、E653系1000番台いなほ」に関して、標準色はこれまで秋田駅で撮影していましたが、新潟駅では1日目にU106編成「瑠璃色」を撮影しましたが、標準色、U101,U103,U104,U105は撮影しておらず、ハマナス色U107も未撮影でした。

Dsc09125 2024/8/19 東新潟 駅名標


Dsc09129 2024/8/19 東新潟駅と新潟貨物ターミナル


Dsc09126


白新線のホームの北側は新潟貨物ターミナルでこのDD200-22号機牽引のコンテナ貨物は当駅から焼島貨物駅に向かう7251レでした。

東新潟駅から白新線の線路に沿って新潟駅方面に歩くとやがて越後石山駅手前で信越本線に合流する線路と信越本線方面から新潟貨物ターミナルに向かい白新線をオーバクロスする線路に遭遇します。

Dsc09143 2024/8/19 石山踏切
奥が東新潟方面、オーバークロスしている線路が越後石山で信越本線から分岐して新潟貨物ターミナルに向かう線路、白新線から信越本線に向かう線路は右手奥で分岐

Dsc09144 2024/8/19 石山踏切反対側
左の線路は新潟に向かう白新線、信越本線上下線をオーバークロスするため勾配が設定されています。右手の線路は白新線新発田方面。

Dsc09135 2024/8/19 卸団地踏切を通過する焼島貨物駅行 7251レ

Dsc09139 2024/8/19 石山踏切を通過する特急「いなほ4号」U103編成

石山踏切から越後石山駅に向かう貨物線に沿って歩き、信越本線越後石山駅の新潟より県道290号線の踏切がありました。ここは結構、見晴らしも良く新潟貨物ターミナルに分岐する貨物線、新潟車両所に入線する車両を観察することが出来ます。


Dsc09148


2024/8/19 新潟車両所に入区するE129系B6編成

Dsc09149 Dsc09150 2024/8/19 しらゆき1号 E653系1100 H202編成

越後石山駅から信越線に乗車、再び新潟駅に

Dsc09182_20240819163901 2024/8/19 新潟 特急「いなほ3号」はE653系1000番台U101編成

Dsc09207_20240819164201 2024/8/19 新潟 特急「いなほ6号」はE653系1000番台 U107編成ハマナス色でした。

午後は焼島貨物線を探して馬越付近をブラブラした結果、上越新幹線の引き上げ線と信越本線、白新線が交差するあたりで

Dsc09223 2024/8/19 新潟~越後石山・東新潟間 都市計画道路出来島上木戸線の信越本線・白新線オーバクロス
4本の線路の外側2線が白新線、内側2本が信越本線 奥が新津、新発田方面 4本の線路から左へ分かれて行く非電化の線路が焼島駅に向かう貨物線と思われます。高架線は上越新幹線引き上げ線


Dsc09232


2024/8/19 同ポイントで撮影したE653系1000番台U104編成 回送列車

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2024年8月19日 (月)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 1日目

前回、新潟を旅したのは2013年の夏でした。あれから11年、新潟駅を始め、新潟周辺の車両事情も大きく変わりました。それを見てみようと往路は上越線経由(新幹線では無く、在来線で)、復路は磐越西線経由で3泊4日に旅をすることにしました。

行程と時刻
新小平6:08-南浦和6:33/6:39-浦和6:41/6:45-高崎8:15/8:25-727M-水上9:31

と計画しましたが、以前、横川からしなの鉄道方面の旅をした際に武蔵野線の遅れのため、高崎~軽井沢間を新幹線を使うはめになった経験から、水上には高崎発7:45の725M:211系3000番台A51編成で到着しました。

Dsc08871_20240818195601 2024/8/18 水上 1721Mで水上に到着したE129系 A30+A25編成

新潟を朝一番の信越線420Mで出発すると長岡で7分の連絡でこの列車に乗ることが出来、725Mの折り返し732Mで10:03に高崎に到着できます。115系が一戦を退いてから、新潟地区の近郊形電車はE127系もえちごトキめき鉄道に譲渡され、今はE129系の天下となっています。2連のA編成100番台34本、4連のB編成0番台27本が新ニイに配置され、信越本線直江津~新潟間、白新線、羽越本線新津~村上間、越後線、弥彦線、上越線水上~宮内間で運用されています。1721Mの折り返しが水上発9:43の1731Mで長岡には11:48に到着します。ただ越後湯沢では15分の停車時間があります。

Dsc08905 2024/8/18 越後湯沢 北越急行ほくほく線 HK100形 H-102 Echigo-Tsumori Art Field ラッピング

停車時間中に831Mが到着、折り返しは832M直江津行

Dsc08916 2024/8/18 長岡駅 越乃Shu*Kuraの駅名標

水上から2時間5分(11:48)に長岡到着。長岡からは12:40発の445Mで新潟を目指しましたが、途中、東三条で弥彦線の電車を撮影するために下車。
Dsc08930 2024/8/18 東三条 弥彦線0番ホーム E129系 A5編成

115系時代は弥彦線カラーがありましたが、今は車両が共通運用されているので他と同じカラー

さらに「しらゆき6号」が13:38に停車するのでそちらも狙うことに

Dsc08940

Dsc08950

2024/8/18 東三条 E653系1100番台 H-202編成 上沼垂色

やって来た編成は新潟駅開業120周年、羽越本線全線開通100周年の今年、4月に登場した上沼垂色の編成でした。E653系4連の「しらゆき」を撮影したのは今回が初めてでそれがいきなりスペマーとは驚きました。

新潟到着後はしばらく列車の出入りを観察しましたが、高架ホームになって最大の変化は新幹線のホームと秋田方面からの特急「いなほ」が到着する5番線がJR九州の新八代や武雄温泉のように同一レベルで繋がったことでしょうか。

Dsc08976 2024/8/18 新潟 通常カラーのE653系1100番台「しらゆき」 H-203編成

新潟駅では磐越西線や羽越本線の交直デッドセクションを超える区間(新津~酒田)、米坂線、信越本線(新津~新潟)用に配置されたGV-E400形、GV-E401+E402形も初めて見ました。さらにE653系1000番台、U-106編成も撮影出来ました。

Dsc08986 Dsc08989 2024/8/18 新潟 GV-E401+E402の併結

Dsc09035Dsc09036

2024/8/18 新潟 E653系1000番台 U-106編成 瑠璃色

最後は新津駅まで行き、18日に運行されたSL磐越号の新津到着を撮影しました。日没時間を過ぎてかなり厳しい条件でしたがなんとか撮影出来ました。

Dsc09058

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2024年8月16日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その79 7機目の-446D JA8907

cn26351/ln963として製造、1993年2月16日に初飛行、3月2日にJALに引き渡されたのがJA8907です。同時期に引き渡された-446Dと同様に導入後、住銀リース他4社に売却、JALがリースする形で国内幹線に就航しました。

Ja8907-jal-b747446d-cn26351-ln963-961218 1996/12/18 HND

Ja8907-jal-b747446d-cn26351-ln963-970302 1997/3/2 HND

Ja8907-boeing-747446d-26351-963-020825-c 2002/8/25 CTS

日韓共同開催となったFIFA Worldcup2002のステッカーが貼られた機体でもありました。2003年6月から2004年1月には読売巨人軍の松井秀喜選手がNewYorkヤンキースに移籍したのを記念する特別塗装機”Dream Skyward"となりました。

Ja8907-boeing-747446d-26351-963-031209-h

2003/12/9 HND

2004年2月から8月にはJALのDC-6B沖縄線就航50周年を記念し、胴体後部にDC-6Bの機影が描かれた特別塗装機にもなりました。このときのベースの塗装はJJ塗装でした。ちなみに「松井ジェット」の2号機はAirbus A300B4-600JA8377でした。

2010年8月に退役、WFBN(Wells Fargo Bank NORTHWEST)の管理下、レジはN893DBとなりますが、再就職先はなく2012年に解体されました。

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2024年8月15日 (木)

2023年晩夏の関西旅行 大阪メトロ編 その1 大阪の地下鉄網はどのように形成されたか

2023年晩夏の関西旅行、早朝の阪急、午前の嵐電に続いて訪れたのは大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)の路線のひとつである中央線でした。

181201_20240814103701
2018/12/1 谷町九丁目駅柱 大阪メトロ路線図

大阪の地下鉄は第7代大阪市長で都市計画学者でもあった關 一 (せきはじめ)(1873年9月26日~1935年1月26日)(東京高等商業学校(現、一橋大学)の教授から大阪市役所幹部に転身、20年間市助役を務めた後、市長に「大大阪時代」を実現し、「大阪の父」と慕われるも、在職中に死去)が大阪市高速度交通機関計画を策定し、1933年5月20日、日本初の公営地下鉄として御堂筋線梅田(仮駅)~心斎橋間が開業しました。

1号線 御堂筋線 路線記号M:江坂~中百舌鳥間 20駅 24.5km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1933年5月20日 梅田~心斎橋間開業
 1970年2月24日 江坂~新大阪間の開業、北大阪急行電鉄と相互直通運転開始
 1987年4月18日 我孫子~中百舌鳥間が開業し全通

3号線 四つ橋線 路線記号Y:西梅田~住之江公園 11駅 11.4km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1942年5月10日 大国町~花園間開業
 1972年11月9日 玉出~住之江公園間が開業し全通

4号線 中央線 路線記号C :コスモスクエア~長田 17.9km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1961年12月11日 大阪港~弁天町間開業
 1986年10月1日 近鉄東大阪線(現、けいはんな線)長田~生駒間開業で大阪港~生駒間で相互直通運転開始
 1997年12月18日 大阪港~コスモスクエア間開業で現在の中央線が全通

2号線 谷町線 路線記号T:大日~八尾南 26駅 28.1km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1967年3月24日 東梅田~谷町四丁目間開業
 1983年2月8日 大日~守口間が開業し全通

5号線 千日前線 路線記号S:野田阪神~南巽 14駅 12.6km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1969年4月16日 野田阪神~桜川間開業
 1981年12月2日 新深江~南巽間が開業し全通

6号線 堺筋線 路線記号K:天神橋筋六丁目~天下茶屋 10駅 8.5㎞ 軌間1435mm 架空電車線方式 DC1500V 
 阪急千里線の前身、新   京阪鉄道は1925年10月25日に天神橋(天神橋筋六丁目)~淡路間を開業していました。
 1969年12月6日 天神橋筋六丁目~動物園前 阪急千里線、京都本線と相互直通運転
 1993年3月4日 動物園前 - 天下茶屋間が開業し全通

ニュートラム南港ポートタウン線 路線記号P:コスモスクエア~住之江公園 10駅 7.9㎞ 自動案内軌条式旅客輸送システム (AGT)
 三相交流600V
 1981年3月16日 中ふ頭~住之江公園間開業
 1997年12月18日 OTSニュートラムテクノポート線コスモスクエア~中ふ頭間開業、相互直通運転開始

7号線 長堀鶴見緑地線 路線記号N:大正~門真南 17駅 15.0km 軌間1435mm 架空電車線方式 DC1500V
 1990年3月20日 鶴見緑地線 京橋 - 鶴見緑地駅が開業
 1997年8月29日 大正 - 心斎橋駅、鶴見緑地 - 門真南間が開業し、全通

8号線 今里筋線 路線記号I:井高野~今里 11駅 11.9㎞ 軌間1435mm 架空電車線方式 DC1500V
 2006年12月24日 井高野 - 今里駅 が開業

2018年3月31日、84年の歴史に幕を下ろし、市営地下鉄事業を大阪市高速電気軌道へ譲渡

大阪の地下鉄の特徴は路線が南北は新大阪-梅田-難波-天王寺を結ぶ御堂筋線から始まり、東西は中央大通りの地下を走る中央線を嚆矢に東西・南北一定間隔に碁盤の目のように路線が増えて行き、現在のネットワークが形成されていることで、東京のように中心部に皇居があるためそれを迂回する形で銀座周辺に過度に路線が集中しているのとは異なっているのが最大の特徴かと思います。設備的には東京の地下鉄に較べ、標準軌、第3軌条方式が多いこと、そのため国鉄・JR線との相互乗り入れは無く、民鉄線との相互乗り入れも少ない(阪急千里線と堺筋線、近鉄けいはんな線と中央線のみ)ことです。長堀鶴見緑地線(7号線)、今里筋線(8号線)は鉄輪式リニアモーター方式でこれらも既存の民鉄車両の乗り入れは不可能となっています。

それぞれの路線にラインカラーが1975年から導入されており、
御堂筋線は大動脈で臙脂色(赤、クリムゾンレッド)、
谷町線は沿線に寺院が多いことから高僧の袈裟の色で京紫(紫、ロイヤルパープル)、
四つ橋線は御堂筋線の静脈的存在で青縹色(はなだいろ、青、ビクトリアブルー)、
中央線は大阪城公園の側を通ることから木々の緑(スペクトリウムグリーン)、
千日前線は夜の繁華街の下を通るので桃色(紅梅色ピンク、チェリーローズ)、
堺筋線は相互直通運転を行う阪急電鉄に合わせて茶色(ビビッドブラウン)、
南港ポートタウン線は海と空を模して水色(セルリアンブルー)、
長堀鶴見緑地線 - 鶴見緑地で開催された国際花と緑の博覧会のテーマカラーである黄緑(萌黄色)、
今里筋線 - 朝に東から昇る太陽の様な暖かさをイメージした色ゴールデンオレンジ(柑子色)に決められたそうです。

西院駅から阪急京都線で淡路駅へ、千里線に乗り換え、天神橋筋六丁目から堺筋線へ、堺筋本町から中央線を西へ進み、コスモスクエアまで行きました。今回の訪問の目的は2023年6月25日から供用が開始された400系電車や老朽化で置き換えが進む20系、他線への転用が決まっている24系2022年から運転が始まった30000A系、そして近鉄けいはんな線から乗り入れてくる7000系7020系の撮影でした。

230829_20240814104501 2023/8/29 駅名標 堺筋本町

230829_20240814104601 2023/8/29 駅名標 コスモスクエア

個人的には大阪の地下鉄は東京のように東京メトロと都営地下鉄のように営業主体が複数存在しないこともすっきりしていると思います。ただ、御堂筋線に対してほぼ平行に南北に走る四ツ橋線のようにほとんど利用したことの無い路線もあります。

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2024年8月14日 (水)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part5 モボ2001形

2000年の嵐山本線開業90周年を記念し、モボ501形の置き換えのため登場したのがモボ2001形でした。武庫川車両工業で2両が製造されました。それまで長く続いてきた吊り掛け駆動式から嵐電初のカルダン駆動方式(WNドライブ)となり、制御方式も2レベルIGBT-VVVFインバータ制御方式になりました。ただ、形式名は以前として1929年以来のモボが付いており、沿線への誘導障害対策から回生ブレーキは装備されませんでした。2023年になり、回生電力貯蔵装置が導入されたことから回生ブレーキが付加されました。制御方式が他の形式とは異なるため、朝夕のラッシュ時の併結運転はモボ2001+2002の併結で実施されています。

2002-230829
2002-230829-2 2023/8/29 西院 モボ2002

嵐電の車両の紹介は今回で終わりますが、2023年5月に発表された「KYOTRAM」が2024年度から2028年度にかけ計7両導入予定されており、それによってモボ101形、モボ301形が置き換えられるそうです。わたしも近いうちに再度、嵐電を訪問し、風前の灯火となっているこれらの車両を撮影しておこうと思います。

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2024年8月13日 (火)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part4 モボ631形

モボ631形1995年から1996年にかけ、ク201形の代替車両として3両製造されました。主電動機はモボ121形121-124(それぞれ45kW、4基搭載)のものを各車2基ずつ流用し、台車は新品の住友FS93を履きました。パンタグラフは631がシングルアーム型、632,633がZ型です。2000年に床下制御機器が更新されました。

632-230829

632-230829-2 2023/8/29 西院 モボ632

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2024年8月12日 (月)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part3 モボ611形

モボ611形モボ111形の台車・主要機器を流用し、1992年から1993年にかけ武庫川車両工業で6両が製造されました。吊り掛け駆動方式、間接自動制御車で最大寸法:全長15.00m、全幅2.64m、主電動機:45kWx2、制御器:電制付縦軸式主幹制御器、制動方式:SME 直通空気ブレーキ、集電装置:シングルアーム式パンタグラフです。

車体は普通鋼製で扉はモボ501形の反省から前後配置に戻されました。車体の塗色は2011年3月25日に嵐電開業100周年を機会に613号が「京紫」に塗色変更されたのを嚆矢に6両とも同色に変更されています。

2014年までに台車はインダイレクトマウント方式の住友FS-93に換装されました。

611-230829

611-230829-3

611-230829-23

2023/8/29 西院 611

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2024年8月 9日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その78 20機目の-446 JA8906

cn26350/ln961で製造、1993年2月5日に初飛行、同年3月1日にJALに引き渡され、受領後、すぐにシャーロットエアクラフトに売却、JALがリースという形で運航に関わり、MAGIC-II装備、3クラス機として関西空港発着のロンドン線、パリ線、ロサンゼルス線、シカゴ線などで活躍、2010年6月に退役したのがJA8906でした。

Ja8906-jal-b747446-cn26350-ln961-960506-

1996/5/6 NRT

Ja8906-jal-b747446-cn26350-ln961-970221- 1997/2/21 NRT

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2002/4/14 NRT

退役後は-446BCFにコンバート、Kalitta Airのフリートとなり、レジはN743CKになり、現在も活躍中、現時点で機齢31.6年となります。再就職先がなかなか見つからず解体された機体が多い中で現役の数少ない機体です。

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2024年8月 8日 (木)

西武鉄道 6000系 6107Fが新宿線に転属

ネットのニュースによるとこれまで池袋線で活躍していた6000系の6107Fが8月3日から新宿線で運用にされるようになったようで、私も8月6日に確認してまいりました。
この6107Fに関しては今年3月27日に新宿線運用に入っているところを目撃しており、「すわ、転属か?」とフライング気味の記事を書いた因縁の編成でもありました。

6000-6107-240806 6000-6007-240806-3 2024/8/6 中井 2662レ

6000-6007-240806-22 6000-6107-240806-21 2024/8/6 中井 2347レ

8月6日は 本川越14:37発西武新宿行急行2662レを中井駅でさらに同駅で西武新宿15:41発拝島行急行2347レを撮影しました。

これで6000系の前面白顔タイプの転属は

6103F 2023/3
6104F 2023/7
6105F 2024/3
6106F 2023/12
6107F 2024/8
6108F 2023/3

となり、今後も6109F以降も続くのかとりあえずはこれで一段落なのか、気になるところです。

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2024年8月 7日 (水)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part2 モボ501形

嵐電のモボという形式名はモータとボギー車を意味しています。今から100年前の大正から昭和初期にかけての時代、西洋文化の影響を受け、都会に出現した先端的な男女のことをmodern boy, modern girlと呼んだことがあったようですが、嵐山電気鉄道でも1929年モボ101形が登場するまでの開業時からの形式は1形(1-20:1910年3月、川崎造船所製、台車は21Eタイプの単車)、31形(31-37:1921年11月入線、元阪神1形、こちらは日本初のボギー台車)、21形(21-27、51-61:1形の改造車、1924年から改造で登場)などで形式名に「モ」や「モボ」は付いていませんでした。一世を風靡した言葉とモボという形式名、全く関係なかったのかどうかが気になります(笑)。そして2000年に製造されたモボ2001形にまで受け継がれている点も流石です。

今回の記事で紹介するのはモボ501形です。

501-230829 2023/8/29 西院車庫

モボ501形は1984年に501、502号、1985年に503,504号が製造されました。デザインは都電7000形の車体更新車を参考にしたそうです。ワンマン運転に備え、それまでの前・後2扉配置から後扉を車体中央に移動しました。また当初から冷房装置搭載でした。製造は武庫川車両工業でした。最初からZ型パンタを搭載した車両で嵐電車両では初めてでした。
走行・制御に関する主要機器類は501号はモボ114号、502-504号はそれぞれモボ129、130、128号から流用しています。台車も501号が住友KS46L形、502-504が川崎車輛BWE12形を履いていましたが、後に501号の台車はBWE12形に換装、制御機器もモボ611形、モボ631形と同じ住友FS93に換装されました。
503,504号は2000年から2001年にかけ、モボ2001形に置き換えられる形で廃車されましたが、501,502形は2016年10月、リニューアル改造されました。

運用に際してワンマン運転向けに準備された前中扉構造は他の形式と扉位置が違うことから乗客の動線の悪化を招くことがわかり、出入口の狭さも乗客の乗降に支障を招くことが判明し、以降、増備されたモボ611形以降は従来のドア配置、ドア幅に戻されました。501,502号もリニューアル工事で前後扉方式に変更され、乗務員室の左側に乗務員扉が設置されました。

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2024年8月 6日 (火)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part1 モボ21形とモボ101形

京福電鉄京都本社嵐山線部門の主力車両は1929年の嵐山本線四条大宮~嵐山間全線複線化に伴う輸送力増強と新京阪電鉄による桂駅~嵐山駅開業に対抗して製造が開始され、モボ101形(1929年製造:101-106、藤永田造船所(現、三井造船)製)、モボ111形1932年製造:111-117、田中車両(現、近畿車輛)製、モボ121形1936年製造:121-130、川崎車両(現、川崎重工業車両カンパニー)製)、ク201形1950年製造:201-203、汽車会社(現、川崎重工業車両カンパニー)製からなります。

1968年、老朽化が進んだモボ101形については台車交換、外板張替え等の修繕工事がなされ、さらに1975年には車体の更新が行われました。1980年代にはモボ111形は機器流用でモボ501形モボ611形に、モボ121形は同様にモボ501形モボ621形モボ21形に、ク201形は同様にモボ631形に生まれ変わりました。

1971年には武庫川車両工業(現、阪神車両メンテナンス)により、モボ301形(301,302)が製造されています。
以上が、モボ101形の主要機器類を踏襲した自動加速制御の吊掛け駆動車ですが、2000年、嵐山本線開業90周年記念に、モボ501形の置き換え用として初のカルダン駆動、VVVFインバータ制御のモボ2001形(2001,2002)が武庫川車両工業で製造されました。

といった経緯から、現有車両は

モボ101形:6両 101-106
モボ301形:2両→1両 301 302号は2007年3月29日に運用離脱 西院車庫に留置後、オークション等を経て、解体
モボ501形:4両→2両   501,502 モボ111形、モボ121形の機器流用車 503号,504号はそれぞれ2001年2000年に廃車解体
モボ621形:5両 621-625 モボ121形の機器流用車
モボ611形:6両 611-616 モボ111形の機器流用車
モボ21形:2両 26,27 レトロ調 電車 モボ121形の機器流用車
モボ631形:3両 631-633 ク201形の機器流用車
モボ2001形:2両 2001,2002 となっています。

26-102-230829-2_20240805090101 2023/8/29 西院車庫で休むモボ21形26とモボ101形102

モボ21形は1994年の平安京遷都1200周年記念行事の協賛の一環としてモボ621形(621-625)が製造された際に基本設計はモボ621形に倣い、装飾やダブルルーフ屋根などをレトロ調にした車両で、モボ621形の続番として下2桁の26,27とし、モボ121形の126.121の制御装置、主電動機、台車を流用して製造されました。2021年に車両更新が行われ、行き先表示器がLED式に、パンタグラフがシングルアームタイプ、台車がBWE12から住友FS93に換装されました。

モボ101形102号は前述の通り、1929年藤永田造船所製で1975年のポール集電廃止で、Z型パンタに換装、車体はモボ111形117のものと交換、1990年には冷房改造を受けました。2016年には京紫塗装になりました。

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2024年8月 5日 (月)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その2 嵐電の歴史

嵐電こと嵐山線は京都市内で軌道事業(嵐山本線・北野線)、鉄道事業の鋼索線(叡山ケーブル)・叡山ロープウェイを運営する京福電気鉄道の経営下にあります。同社はかつて京都市内の叡山本線・鞍馬線の2つの鉄道路線を運営し、福井市内でも鉄道・バス事業を行っていましたが、叡山本線・鞍馬線は京福全額出資で設立した子会社の叡山電鉄1986年に分離譲渡、福井本社傘下のバス事業は2000年に子会社の丸岡バス(譲渡後、京福バスに)へ、鉄道事業は2003年に第3セクターのえちぜん鉄道に譲渡し、現在は京都市内の軌道事業、鉄道事業(鋼索線)と福井県での小規模な不動産事業を残すのみとなり営業路線も最盛期は120kmを越えていましたが、現在は13km程となっています。

Img054 1981年頃 叡山本線 宝が池付近
1929年、京都電燈が叡山線用に増備したデナ21形21~24のうちの1両

2003-7603-edit 1976/3 福井 三国芦原線の車両

7603-edit  
1976/3 福井 勝山永平寺線の車両

関西から北陸にかけての地域をテリトリーとした京都電燈株式会社は琵琶湖疎水の蹴上発電所から生み出される大量の電力を背景に電灯の本格的普及に貢献し、京都市の産業振興にも貢献、さらに日本初の路面電車である京都電気鉄道(後の京都市電)の開通にも貢献しました。この京都電燈が太平洋戦争時の配電統制令で1942年に解散した際、陸上輸送・鉄道事業部門を継承したのが京福電気鉄道でした。譲渡は1942年3月2日に行われました。ちなみに発送電部門は日本発送電1942年4月1日に、配電部門は関西配電(後の関西電力)と北陸配電(後の北陸電力)に継承され、1944年に精算が完了しました。京都電燈から鉄道事業を京福電気鉄道が継承したタイミングで当時傍系だった鞍馬電気鉄道三国芦原電鉄が合流しました。

京福という社名は京都と福井を鉄路で繋ぐという意味ではなく京都は祇園をはじめとする夜間の電力需要が多く、福井は織物工場が稼働する昼の電力需要が多いことから、互いの電力を融通するため京都電燈が建設した「京福送電線」が語源となっているそうです。1944年には永平寺鉄道・丸岡鉄道を合併し、1950年頃には京都と福井の営業路線距離は120.9kmとなりました。

1964年8月(発坂駅西側)正面衝突事故、1977年8月(発坂駅東側)脱線横転事故、2000年12月(ブレーキ部品脱落)正面衝突事故、2001年6月(発坂駅西側)正面衝突事故など、福井の越前本線内では、わずか1kmの範囲で3度の事故とわずか半年間で2度に亘る電車同士の正面衝突事故を起こしたために、国土交通省から列車運行停止が命ぜられ、2003年に福井地区の鉄道事業から撤退を表明、越前本線、三国芦原線の廃止が決まり、えちぜん鉄道に事業譲渡となりました。

嵐山本線、四条大宮~嵐山間7.2kmは1906年12月17日、軌道特許状が下付され、1910年3月25日、嵐山電気軌道により開業しました。1918年4月2日、京都電燈が嵐山電気軌道を合併、嵐山鉄道部傘下となりました。1928年12月、全線が複線化されました。北野線、北野白梅町~帷子ノ辻間3.8㎞は1925年11月3日、京都電燈が北野~高雄口(現、宇多野)間を開業したのが始まりで、1926年3月10日、高雄口~帷子ノ辻間が延伸開業しました。

611-230829-24 2023/8/29 西院 611

嵐電の車両に関しては明日以降の記事で触れますが、京福電気鉄道の車両、京都嵐山、叡電、福井越前線の車両形式名をみてもモボ301デオ300ホデハ301とバラバラ、さらに車両番号の重複もある点が特徴でした。

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2024年8月 2日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その77 6機目の-446D JA8905

cn26349/ln948として製造、1992年11月11日に初飛行、1992年12月1日にJALに引き渡されたのがJA8905でした。

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2001年8月1日からJAL Dream Expressの5号機として青色を基調としたスペシャルマーキング(Tokyo DisneySEA)となり、さらに2007年8月から2008年1月にかけ、2007年12月に公開された「たまごっち」初めての長編映画作品「えいがでとーじょー!たまごっち ドキドキ!うちゅーのまいごっち!?」のデザインを機体に施した特別塗装機となりました。

Ja8905-jal-b747446d-cn26349-ln948-010819 2001/8/19 HND

2010年5月、退役、WFBN(Wells Fargo Bank Northwest)に売却、レジはN892DBとなりましたが、2011年に解体されました。

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2024年8月 1日 (木)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その1 西院駅

2023年晩夏の関西旅行、十三駅で神宝線、京都線の阪急車両を撮影した後は京都線に乗車し、嵐電とのクロスポイントである西院駅に向かいました。

230829

2023/8/29 西院駅 大阪梅田方面の駅名標

阪急線の乗車のために大阪梅田駅で以前と同様に「阪急阪神1dayパス」を購入しての乗車でしたが、嵐電のホームに近い北改札口の自動改札機はこの切符は通行出来ず、西改札口から地上に出て歩くことになりました。

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2023/8/29 阪急 西院駅の案内図

230829_20240731092101
京都方面行き先頭付近にあるのが北改札口で嵐電の乗り場に近く、大阪梅田寄りが西改札口
西改札口は写真のような駅ビルの地下にあります。地下から地上に出ると方向感覚がつかみにくく、嵐電の踏切がどこにあるのか分からずに誤った方向に進む前に現在地と方向を確認することが肝要です。
左右道路が西大路通、交差するのが四条通

230829_20240731092801 2023/8/29 嵐電の嵐山方面ホームの裏手にある北改札口入口

230829_20240731093601 2023/8/29 四条通を渡る嵐電の線路 四条通の地下を阪急京都線が走っています。

嵐電の西院駅は四条通挟む形でホームが存在し、嵐山方面は北側、大宮方面は南側にあります。

嵐電の車庫は嵐山方面のホームの奥、この写真の線路に沿って路地を入っていった先にあります。

26-102-230829-2

2023/8/29 車庫の入口付近から、車庫で休む嵐電の車両を撮影しました。

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