2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その2 彦根城
長浜城を約1時間見学した後は長浜駅まで戻り、彦根へ。新快速、といっても米原以北は各停ですが、約30分で到着します。もっとも米原で9分の長時間停車も含めてなので走っている時間は20分程度です。 2023/8/31 彦根市 観光案内図 この地図は左下の矢印の先が北となっています。
彦根駅に関しても2014年8月に近江鉄道の車両基地、あるいは近江鉄道ミュージアムを見学した時に来ているのですが、彦根城を訪れるのは今回が初めてです。駅前の大通りを琵琶湖のほうに向かって500mほど進むと外堀らしきものが見えてきます。家康の側近として江戸幕府の樹立に功績を立てた酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政を俗に徳川四天王と呼んでいますが、井伊直政が関ヶ原の戦いの軍功により、近江国北東部に18万石を封じられ、石田三成の居城だった佐和山城に入場したのが1600年でした。直政は佐和山城の古さを嫌い、琵琶湖畔に近い磯山に居城を移すことを計画していましたが、関ヶ原の戦傷が癒えず、1602年に死去しました。直継はまだ幼少であったため、家老の木俣守勝が家康と相談し、1603年彦根山に彦根城の築城を始めました。
彦根は東国と北陸、西国へ通じる街道、そして琵琶湖の水運の結節点であったため、家康は尾張藩、越前藩など7か国12大名に手伝いを命じる天下普請で築城が行われました。1606年には2期工事が完成、天守完成と同じころ直継が入城、1616年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると彦根藩により第3期工事が行われ、御殿が建造されました。彦根城の築城に当たっては昨日の長浜城など廃城になった城の資材が流用され、彦根藩内の城は彦根城だけとなり、譜代大名の筆頭に位置する井伊氏は一国一城令を守る手本を示したといわれています。
二の丸佐和口多聞櫓
連郭式平山城で天守のある本丸、御殿が設けられた二の丸、三の丸と北側に山崎曲輪が配置されており、天守および附櫓、多聞櫓は国宝、城郭は特別史跡に指定されています。1874年の廃城令で陸軍省管轄の施設になりましたが、老朽化で民間売却されるところを明治天皇の彦根行幸の際に保存が決定、皇室付属地彦根御料所となり、最後の彦根藩主井伊直憲に下賜され保存となりました。さらに太平洋戦争においても1945年8月15日夜に米軍が彦根市を夜間爆撃する予定でしたが同日正午の終戦の詔勅で爆撃を免れました。
藩主などの馬が繋がれていた馬屋で城内に馬屋が残されている城は他にありません。重要文化財に指定されています。
天秤櫓と廊下橋
難攻不落な彦根城の象徴とも言われる構造物で侵入して来た敵に対して天秤櫓の急な石垣と戦時には落とされる廊下橋が待ち受けています。 3階3重の屋根で構成される天守 天守は大津城から移築とされ、国宝に指定されています。
天守の内部 天守は18万石時代に完成しており、直継の弟、直孝は大坂冬の陣の戦功で秀忠、家光、家綱の3将軍の執政となり、3回の加増で30万石になりました。さらに幕府領5万石の預かりを合わせ、彦根35万石と言われました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。
« 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その1 長浜城 | トップページ | 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その3 岸和田城 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その1 遠州鉄道の歴史(2025.02.04)
- 2023年12月26日 松本城を見学(2024.12.26)
- 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その3 岸和田城(2024.12.25)
- 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その2 彦根城(2024.12.24)
- 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その1 長浜城(2024.12.23)
「城巡り」カテゴリの記事
- 2023年12月26日 松本城を見学(2024.12.26)
- 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その3 岸和田城(2024.12.25)
- 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その2 彦根城(2024.12.24)
- 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その1 長浜城(2024.12.23)
- 2023年夏と2024年冬の名古屋旅行 その42 大坂の陣以降の尾張徳川藩と名古屋城の歴史(2024.05.09)
« 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その1 長浜城 | トップページ | 2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その3 岸和田城 »
コメント