2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その3 岸和田城
2023年8月31日の城巡り、3か所目は岸和田城でした。
長浜城、彦根城と滋賀県の城巡りをしたので、3か所目は安土城あたりにしておけば良かったと今になって思うのですが、彦根から岸和田はいくら新快速~大阪~環状線~新今宮~南海線と乗り継いでも2時間以上かかる距離で、おまけに彦根駅で貨物列車の撮影などに時間をかけていたものですから、岸和田駅に到着したのは午後4時を回っていました。 2023/8/31 コントラストが低くて見にくいと思いますが、岸和田駅と岸和田城の位置関係を示した「岸和田わくわくナビマップ」
岸和田城というくらいだから南海本線の岸和田駅が最寄り駅だろうと思い込んでましたが、地図でよく調べると同じ南海本線の蛸地蔵駅の方が近いことがわかりました。
駅から歩くこと約15分、漸く石垣、堀が見えてきました。
城の門はどこかなと思いつつ、堀に沿って歩くと櫓や天守閣が見えてきました。
案内板を見つけ、入場時間をみると「入場は午後4時まで」、残念ながら時間切れでしたが・・・
南北朝時代(延元元年/建武3年)の湊川の戦いで楠木正成の部下として活躍した武将の岸和田治氏とその一族により、1400年ごろまでに岸和田の地が開拓されました。その後、15世紀後半に現在の岸和田城から約500m南東に山城が築かれました(岸和田古城)。しかし16世紀初頭には放棄されました。その後、信濃泰義により、現在地に移築され、1581年から1582年にかけての羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、豊臣家の一門衆で秀頼の傅役の一人だった小出秀政が1585年に和泉岸和田城3万石に封ぜられた際に5重の天守が整備されました。
大坂冬の陣では松平信吉が城主となり、1619年からの松平康重の時代に総構えと城下が整備されました。以後、紀州の監視の役割から家康の妹の子である阿部宣勝から阿部氏代々が城主となっていました。1871年の廃藩置県で廃城となりました。 連結式望楼型3層の天守、1954年に復興 築城時の天守は前述のように5重の天守でしたが、1827年11月20日の落雷で消失しました。
手前には国の名勝に指定されている重森三玲の設計で1953年に竣工した砂庭式枯山水庭園、諸葛孔明の八陣法をテーマに大将・天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎と石組みをした八陣の庭があります。
今回は訪れた時間が遅かったため、天守に登ることもできませんでしたが、またの機会に再訪し、八陣の庭を天守から眺めてみたく思います。
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