国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 1 初号機、2号機 JA8133、JA8134
第二次世界大戦終結後の1951年、連合軍最高司令官総司令部(GHQ)はわが国における航空活動の禁止を解禁し、国内各地に航空会社が誕生しました。政府・運輸省は「わが国の航空事業の健全な発展のため、事業者の集約化による輸送秩序の確立」を眼目とし、様々な施策を推進し、事業者間でも将来の過当競争を防止し、業界の健全な発展を期する趣旨から、事業者自らが選択し、提携・合併が行われてきました。
1970年(昭和45年)時点で幹線・およびローカル線輸送を行っていた航空企業は日本航空・全日本空輸・日本国内航空・東亜航空の4社でした。同年6月、運輸省は運輸政策審議会に対して「今後の航空輸送の進展に即応した航空政策の基本方針について」を諮問し、同審議会は10月21日に答申しました。答申を受け内閣は「航空企業の運営体制について」という閣議了解を出し、その内容は
- 航空輸送需要の多いローカル線については、原則として、同一路線二社で運営する。
- 国際定期は、原則として日本航空が一元的に運営、近距離国際航空については、日本航空、全日空提携のもとに余裕機材を活用して行う。
- 貨物専門航空については、有効な方法を今後早急に検討する。
1971年5月15日、日本国内航空と東亜航空が合併し、東亜国内航空が発足すると、1972年7月1日、以下のような運輸大臣通達が国内降雨空会社に示達されました。
日本航空……国内幹線、国際線の運航。国際航空貨物輸送対策を行う。
全日空……国内幹線およびローカル線の運航。近距離国際チャーターの充実を図る。
東亜国内航空……国内ローカル線、国内幹線の運航。
これが45/47体制、俗に航空憲法といわれる日本の航空市場における事業分野の棲み分けを定めたルールでした。
全日空は1964年にB727-100で国内線のジェット化に着手、さらにB737-200で羽田・伊丹発着の地方路線をジェット化、1969年にはB727-200により、競争力を確保してゆきました。一方で航空需要の増加に対応できないことが明白になったのが空港の処理能力でした。これはこれ以上の増便は不可能を意味しており、拡大する航空需要に対処するには大型の新鋭機導入による便あたりのキャパシティのアップしかあありませんでした。
この頃、激しい競争を展開していたのがDC-10とL-1011Tristarで、1972年、ANAはL-1011の導入を決定しました。JALは国際線用にB747を就航させており、国内幹線にもB747が導入するのはある程度、予想されていました。予想通り、JALは1973年に日本の国内線向けに開発されたB747SRを投入し、ANAは対抗手段としてロッキード社は提案したL-1011のストレッチタイプのL-1011-300、747SR,747-200Bの3機種が選定の候補となりました。国内幹線への適合性、運用面、経済性、さらに当時順調に推移していた国際チャーター便の実績も考慮され、1977年6月29日、B747SRの導入が決定しました。L-1011を機材大型化の過程で挟んだことはB747の導入を遅らせた結果になりましたが、B727-200からいきなりB747にするのではなくL-1011を挟んだことは、運航やハンドリングの現場の混乱を抑える効果があったと現在は評価されています。ちなみにB747SRのエンジンはJAL機に装備されたP&W JT9Dシリーズではなく、GE CF6-45Aでした。同年9月1日にボーイング社と3機の正式購入、8機のオプションを契約しました。
初号機はcn21604/ln346で製造され、1978年11月3日、Everett Factoryをロールアウト、N8286Vのテストレジで初飛行、同年12月21日にANAに引き渡され、レジはJA8133が与えられました。2号機はcn21605/ln351 で製造、1978年12月9日に初飛行、12月20日に引き渡されJA8134のレジが与えられました。両機ともに12月25日に羽田空港にフェリーされ、1974年1月25日、羽田~札幌、羽田~福岡線に就航しました。当時の愛称は「スーパージャンボ」でした。
1992/12 伊丹空港 導入当時のままの”モヒカン”塗装
レジの識別が難しい写真ですがJA8133だったと思います。
JA8133は16年間、ANAの国内幹線、亜幹線、さらには成田~グアム線などの国際チャーター路線にも投入され、1994年12月15日、退役となり、N747BKとしてBoeing社に売却されました。1995年6月12日からはQatar AirwaysのフリートとしてA7-ABKのレジでさらには1997年7月2日からはTunisairのフリートにもなりましたが、現在はすでに解体されています。
JA8134は1995年2月23日にBoeing社にN747BLのレジで売却、1995年6月12日からQatar AirwaysのフリートとしてA7-ABLのレジでさらには1998年3月18日からはSaudi Arabian Airlinesのフリートに、1999年3月1日からは再びQatar Airwaysのフリートとして活躍しましたが、こちらもすでに解体されています。
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