2023年12月26日 松本城を見学
これまでにも何度か松本の街は訪問しておりますが、松本城を訪れたことはありませんでした。そこで2023年の冬シーズンの青春18切符を利用し、日帰りで松本往復を敢行しました。
このシーズンの18切符5日間分は、12月16日の宇都宮(ライトレール乗車の旅)、同29日大船(湘南モノレール乗車の旅)、2024年1月4日~6日(名古屋の旅)の往復に利用しました。
JR各社は2024年冬シーズンからこれまでの青春18切符のシステムを改定し、連続した5日間、もしくは3日間の利用、従来のように複数の人間が同じ行程に使用することも不可能にしました。これに対して、私ももちろん反対の署名をしましたが、多くの方々が反対意見を表明されましたが、JR東日本はその署名の受け取りも拒否したというニュースがありました。 2023/12/26 松本駅東口(お城口)のまち巡り案内図
松本城は松本駅の北北西の方向、直線距離にして約1km先にあります。 駅から歩いて約15分で到着します。
信濃の国の守護であった小笠原氏の館として現在の松本市に林城が築かれ、その支城のひとつに深志城(現在の松本城の昔の名前)がありました。1550年8月27日、甲斐の武田氏の侵攻で林城、深志城は落城、武田氏が松本盆地を支配しますが、1582年には甲州征伐で武田氏も滅亡、本能寺の変で織田信長も死去すると、小笠原氏が旧領を回復し、城主に、城の名前も松本城となりました。1590年、秀吉の小田原征伐で石川数正が入城し、その子孫康長らにより、天守、城郭、城下町が整備されました。
江戸時代になると松本城主は石川氏、小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏、そして再び戸田氏と代わり、明治時代になると版籍奉還などで城は廃棄、天守も競売にかけられ、解体の危機にさらされますが、難を逃れ、1903年から1913年には明治の大修理、1930年には国の史跡に、1936年には天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝に指定、1950年から1955年にかけて解体復元工事がなされています。
天守は5重6層で壁は下部が黒漆塗の下見板、上部は白漆喰仕上げとなっており、下見板は雨水をはじき天守の壁を守り、50年の耐久性が確保されていました。日本に現存する天守12城のうち、5重6層の天守としては最古のものとなっています。もともとこの城の天守は関東の徳川家康を監視するための戦略拠点としての役割も持って造られました。一方。江戸時代に造られた辰巳櫓、月見櫓(赤い欄干の)は江戸初期の平和な時代を象徴する構造物です。 天守台西方には北アルプスの山々が見えます。左から槍ヶ岳、常念岳、横通岳、東天井岳、大天井岳
天守台からこの朱塗りの橋は埋橋(うずみばし)と呼ばれ1955年に架けられたそうで、埋門へ通じることからこの名になったそうです。松本城の堀のアクセントになっています。
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