2023年晩夏の関西旅行 城巡り編 その1 長浜城
2024年6月25日から、途中に別の話題を挟むこともありましたが、阪急電鉄、嵐山電鉄、大阪メトロ、JR西日本、JR貨物、近江鉄道、そして南海電鉄と関西圏の様々な鉄道会社の車両を見てきましたが、最後は城巡りの話題で終わらせようと思います。
2024年8月31日、早朝から西宮北口駅で阪急神戸線を撮影した後、梅田へ、JR大阪駅から新快速で長浜に向かいまずは長浜城を見学しました。長浜には2014年8月、長浜鉄道スクエアを見学した際に来ており、今回は2度目の訪問になります。長浜城は琵琶湖に面した豊公園内にあり、南北に走る北陸本線長浜駅から西へ歩いて数分の距離です。
2023/8/31 JR長浜駅と豊公園、長浜城歴史博物館の位置関係
2023/8/31 JR長浜駅から見た長浜城の復興天守閣
現在の天守閣は東京工業大学名葉教授故藤岡通夫氏の設計指導により1983年に再興されたもので2層の大屋根に望楼をのせた初期天守の様式で天正期の城郭を想定したものです。
この城は1573年、羽柴秀吉が姉川の合戦、小谷城攻略で浅井長政を滅亡させた功績として主君の織田信長から浅井氏の旧領を拝領し、それまでの浅井氏の居城だった小谷城(伊部山にあった山城)の資材や竹生島宝厳寺が1558年の火災からの復旧に際して浅井長政が寄進した材木を流用し、築城した城で秀吉にとってみれば人生最初の城でした。城の完成は1577年頃とされ、城下町は小谷城下(湖北町伊部)からそっくり移し、それまで今浜だった地名を信長の名から一字拝領し、長浜に改名しました。長浜は秀吉の領国・城下町経営の基礎を醸成した地とされています。
1582年の本能寺の変で明智光秀に織田信長が殺害されると長浜城も明智に加担した山本山城主の阿閉貞征に占領され、羽柴氏の係累は近隣のてらに逃れました。阿閉は山崎の戦いに参戦し、しかし明智光秀が羽柴方に敗戦したことで、阿閉も捕縛され、一族すべてが処刑され、長浜城も羽柴氏の支配下に戻りました。
1586年の天正地震で城は全壊、当時の城主山内一豊の息女が死亡、側方流動で城の一部が琵琶湖に水没しました。1606年、内藤信成・信正が城主に、1615年の大坂の陣で内藤氏は摂津高槻に移封となり、長浜城は廃城となりました。資材の大半は彦根城の築城に流用されました。
2023/8/31 天守から西方を見ると琵琶湖越しに彦根城の天守閣がみえます。
復興天守の内部構造
1983年に犬山城や伏見城をモデルにした復興天守が建設され、市立長浜城歴史博物館として運営されています。
2023/8/31 琵琶湖湖岸の豊公園にある太閤井戸の碑
1939年の夏、旱魃の際に、湖中から発見された井戸跡で厚さ3cm程の木製の井戸枠が湖中から確認されました。
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